つれづれに

イメージ 1

イメージ 2

今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=4xkiVgINQ28


昨日はシネマの日。 「オズ」を見てくる。ディズニーの制作というから、ディズニーランドに
行く気分で、どこまで純粋に仮想の浮き浮きした気分になれるか、これも面白そうと!
やはり、頭が硬くなっているのか・・・ それでも子供の頃に、ひとときでも入ることができた。 
評価は、私にバイアスがかかっていることも含めて、80点というところ。
http://www.disney.co.jp/movies/oz-hajimari/home.html



・・・・・・
1464, 発想名人 -読書日記
2005年04月06日(水)
最近よく本屋で見かける斉藤孝の本を図書館から数冊借りて読んでいたが、
また「発想名人」を借りて読んでみた。
内容は前の本からみると軽いが、表紙裏の言葉がなかなかよい。
ー『ネガティブな意見を言っている暇があったらアイディアをだせ!』
これが私の最近のスローガンである。すべての現実の困難は、具体的な
アイディアによって乗りこえるものだと私は考えています-
ネガティブな意見を出すのは簡単である。相手の正反対の視点を設定して正面から突き刺すのである。
私も独りで考える時に、正反の問いかけを何回かしてみる。その繰り返しの中で問題を掘り下げる。
それが、考えることである。したがって、肯定だけでなく否定の視点も必要である。
計画を練ることは、正反合を繰り返し繰り返ししていくことである。
ネガティブの意見も「異見」として正の立場を逆に見直すことになる。
チームで計画を練ると、否定だけの人がいる。
ネガティブはエネルギーを殆んど使わないで済むことを知っている。
ただ、アイデア・バスターをしていれば済むからだ。ほぼ対案を持ってない。
特に女性に多い。亭主の否定をして、稼ぎを当然のように取りあげれば済む。
それも自覚してないケースが多いから泥沼に陥ってしまうケースが多くなる。
判断を相手にさせて失敗した場合に、その非をなじるか、冷笑しているばこと足る。
その辺は巧妙であり、テクニックである。これを繰り返していると、本人がアイディア欠乏症になる。
ネガティブが体質として身につくと、アイデアー知恵が出てこなくなるのだ。
思考停止になってしまい、武器は否定だけになる。
全ての神経が武器に集中することになるから、アイデアなど出てくるわけが無い。
恐ろしいのは、自分のアイデアさえも否定してしまうことである。いや、出てこないのだろう。
正・反・合の繰り返しが経験知として蓄積されて知識から知恵へと醸造されてくる。
否定はそこで全て切断してしまい、思考を切断してしまう。秀才があるところまで行くと、
全く成長が停止をしてしまうのは、アイデアが出てこなくなるからだ。だから評論家には、
このタイプが多くなる。
色いろな人がいるから世の中が成り立つのだろうが、企業活動ではプラスにはならない。
企業は知恵の集合体でなければならない。特に情報化社会では、無限にある情報を選択して
知恵に換えていかなくてはならないからだ。寝ても醒めても、自分の仕事に集中しないと知恵は出ない。
その知恵を否定するのだから、そのエネルギーの深さが見えなくなる。
考えつくしていると、考えない人の否定が見えてくる。
最後はこの辺に話になってしまうが、実際のところ自分自身にこそ、その傾向が強いのだろう。
「我内なる否定者」の話でもあるが、しかし、・・・ 口先だけの肯定もあるから何ともいえないが?

・・・・・・
2004年04月06日(火)
1099, 「80対20」革命 -4
「自分の20㌫のスパイク(強み)を見きわめる問い」が
考えさせられて面白い!
ー以下に書き写してみる。
△あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか?
 一番熱心になれることは、どんなことか?
△自分が有名になったと想像してみる。
 どんなことなら有名になれるか?
△自分の個性でもっとも特徴的なことは何か。
 人と一番変わっているところは何か?
△何をしているときがもっとも幸せで充実していると思うか?
△一番得意なものは何で、他の人より得意なものは何だろうか?
△どんな役割や仕事がもっとも適していると思うか?
△別の分野や活動で、自分が優れていることがないか、あらためて考えてみる。
 できるだけ現在とかけ離れた意外なものがよい。 あまり深刻にならない方がよい。
△もし新しいベンチャーを始めて驚くほど成功するとしたら、
 どんな事業であろう? 想像力をはたらかせて考えてみる
ー以上であるが、
現在の自分について考えてみて書いてみた。ここでは書けないが、如何に深耕があった部分と、
無かった部分がよく見極めることができた。今回は内容を書くのは控えるが、この随想日記に
殆ど書いてあることばかりである。まあバカの壁を辛辣に見えてしまっているからだ。
もう見せているから今更だが。全て反省の言葉が多いのが人生と思っているが。

・・・・・
2003年04月06日(日)
732, 「こうすれば良くなる」??
いまの日本の議論で大部分が、「こうすればよくなる!」という発想が、基点となっている。
これに対して「もうこの発想から脱却すべきではないだろか?」という論が新聞にあった。
その内容を私なりにアレンジをして書いてみた
ー誰もがいまの日本は縮小すべき時期にきていることを知っている。
それを回復とか現状維持を前提に議論しているから、ますますおかしくなる。
失業率だって今の倍の2~3倍になってどこが悪い。
それで西欧並みでしかないからだ。
日本をとりまく環境が変わってしまったのだから失業が増えて当然である。
 デフレもグローバルになったのだから仕方がない。
どうして日本の経済規模を縮小していくかを真剣に議論すべき時期である。
そうしなくては、自然の暴力にもろに破壊されてしまう。恐慌というやつにだ。
 いまや株価や土地が20年以上前になっているなら、政府の予算規模も縮小すべきである。
それができないなら、恐慌が起こるのが当然である。「良くするなどと考えている非常識」が
まかり通っている。思い切って、国家規模ー予算を20年前に戻すべきだと宣言すればよい。
それにしても、箱物や道路や橋や新幹線を造ってしまって、その借金をもあるから単純にはできない。
このジレンマからいつ抜け出る事ができるのだろうか?
ー以上になる。
人の意見をこうアレンジして書いてみると、これが自分の意見になるのだ。
なるほどと、自分でも感心する。大体がこんなものだから批評家が存在するのだろう。

・・・・・・
2002年04月06日(土)
368,リオのカーニバル
いまTVをつけたら、NHKのハイビジョンで
リオのカーニバル」をやっていた。
2時間があっという間に過ぎてしまった。
7年前に行った内容をコピーしておくが、本当に素晴らしい内容であった。
今見ている内容は当時に比べ、かなり豪華にかつ派手になっているようだ。
カーニバルは元々はヨーロッパで行われていた、キリスト教のお祭りである。
南米の農園に売られていった奴隷が、一年に一度のカーニバルに与えられる
休日に輪を作って歌い踊ったという。普段でも彼らの楽しみは歌と踊りだけで、それが段々
サンバに変わっていった。1888年に奴隷制度が廃止された時、彼らはリオに仕事を求めていった。
彼らはグループを作って踊っていたが、そのうち互いに競いだしたのがリオのカーニバルの始まりという。
リオだけでも400のグループがあり、そのトップクラスと準トップクラスが正式に会場で競う。
それぞれチームごとにテーマがあり、それによってストーリがある。
それにより、衣装や歌や踊りが決まってくる。上位のチームにそれぞれのチームにスポンサーが
付いているという。それぞれ項目があって、厳格の審査のうえで順位が決まる。去年から見ているが、
ハイビジョンのせいもあるが素晴らしい。一年は全て、カーニバルを中心に回っている。
ーーーーーー
H0703ブラジル旅行記
 “行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で行われており、
四日間全国がお祭りの為休みとなる。
その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれなのである。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、
Bランクが15~16チーム、Cランクは数十チームとなっている。
AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー850mを80分の持時間で
踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、
その年の優勝等順位があらそわれる。
そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。
我々のTV新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。
チームは四千名が1チームで構成されており、
それが約500名×8チームに細分化され、統一のコンセプトのもとに、
仮装が華やかにつくられている。
音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉をかけてつくる。
その作曲も採点の大きなポイントになるという。
一日6~8チームが夜の七時より翌朝の七時まで延々と踊りの行進が続く。
観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。
音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。
上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び行進がおこなわれる。
優勝チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けてのよいスポンサーが約束される。
その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれており、
東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。
ブラジルの印象として残ったイメージとして、キーワードを書くと
“サッカー”と“サンバ”(カーニバル)と“森林”と“イグアスの滝
そして“汚職まみれの国”である。
さらに加えるなら“まずしさ”である。

・・・・・・
<新しいメイド >
 家に電話をしたら、新しいメイドが出た。
 家内を呼んでくれと頼んだら、男と寝室にいると言う。
 頭にきたその男、メイドに書斎の机にある銃で、二人を撃ち殺すよう命じた。
 暫くすると、二発の銃声が聞こえた後、電話口で今殺してきましたとのこと。
 ついでに、死体を庭のプールに投げ込むように命じた。
 暫くすると、メイドが電話口で
 ‘庭にプールはありません!’