一神教vs多神教 ー3


                    ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ〜♪
  *近代天皇制は一神教か?
   まずは、この本にある、「近代天皇制は一神教か」という部分を抜粋してみる。
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近代天皇制は一種の一神教、擬似一神教ではなかったかと、ぼくは考えています。
近代日本は一神教の欧米の脅威にさらされて、わが国も一神教で対抗するしかないと思い、
京都にすっこんでいた天皇を引っ張りだしてきて神聖不可侵の神のような存在にし、
国民、特に兵士に天皇への絶対服従を強いたのですが、日本人も追いつめられると
同じようなことをしたわけです。
ウェーバーユダヤ教の神、ヤハウェは戦争神だと言ったということはさっきも話題になりましたが、
近代日本も、その前の徳川時代には二百数十年、国内的にも対外的にも戦争をしなかったのに、
明治になってから戦争ばかりやっていました。これも、天皇一神教の神のコピーのようなものに
したことと関係があると思います。多神教徒だって、追いつめられると、一神教的になり、
原理主義に走るんですよ。ガンジーを暗殺したのは、彼がヒンドゥ教とイスラム教との融和を
唱えたことに反対したヒンドゥ原理主義者でしたね。暴力が暴力を誘発するように、
一神教一神教を誘発するのです。とにかく、一神教原理主義は危険です。・・・・
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モーセユダヤ人に伝えたイクオトンの太陽崇拝は、太陽が唯一神であるというにしても、
まだ一神教の前段階じゃないでしょうか。近代天皇制も、天皇という具体的な人間存在が
崇拝の対象である以上は純粋な一神教ではありません。
ましてや国民は天皇陛下の赤子だなんて言っているんですから、
イスラム教のように偶像崇拝を完全に排除した一神教の場合は人間と隔絶しています。
隔絶しているというのは血のつながりがないということです、神と信者とのあいだには
まだ血のつながりがあるわけです。そのように厳密に一神教を考えると、
天照大神がいくら神々の中心であるからといっても、神道一神教ではないですね。

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   以上だが、封建的、閉鎖的で、国家といえない国を国家へと変えようとするとき、
   擬似一神教として「神」の存在を創りあげる必要があったのである。
   それが、明治天皇、そして昭和天皇だったのである。
   その意味で、あの時期に近代天皇制を創りあげた政治家達は、やはり卓越していたといえる。
   現在の日本は米国に属国化しているが、米国はキリスト教という一神教を背景に持った国。
   日本は多神教の国であるから、それが一神教に支配されているということになる。
   
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