つれづれに

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  今日のYoutube

 今日は、佐川元長官の国会喚問の一日になる。
一種の、公開裁判のようなものでもある。一つ間違えると
検察に逮捕される可能性があり、スリリングの場面が幾つか出るのか?




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3653, あと一月で10年
2011年03月27日(日)
 何ごとも、一日3時間を10年続ければ「ひとかど」になるという。 
で、この随想日記を書き続けて、あと一月で10年。で、何だったのか? 
常に、「何か書かなければ」という心理的圧迫が感覚を磨く作用をしていた。
ここで何年に一度、書き続けている効用を取り上げてきた。論理思考が
培われたことと、読書の備忘録や、旅行の感想文、そして毎年、同月同日に
書いた文章の何年分を読み返す効用など、現在の私にとって無くてはならない
存在になっている。常に変わったことや、面白いことに出合うと、その場で
自然に起承転結の文章化をしてしまう癖がついてしまった。
「記者の目で論理を組み立てる習慣」という、現象に隠された本質を、
あらゆる角度からみる視線である。 ところで10年一区切りで実はホッと
したところもある。この随想日記を休むことも考えている。一度休むと、
再び書くことが面倒になるが・・ 「一日も休まない」というのは
実は大きなプレッシャーだが、反面それが張りになっていた。 
何も書かないとなると、頭が変になってしまうかもしれない。
書くということは、自分の心の開放でもあり自由を獲得している部分がある。 
それにしても、10年も続いたものと自分自身が驚いている。
「偉そうなことを書いているが、その様は何だ」が、読み手の心理。 
それを分かっていても、偉そうなことを書くことで、自分を開放をする
面白さもある。 65歳、そろそろ自分の痕跡の消しに入る時期に入った。 
このまま書き続けるか、それとも形態を変えるか? 書くことの秘儀は
少しは?分かった。書き出すことで、その背後にある膨大の世界を僅か
ながらでも知覚できたことが何よりも変えがたい収穫であった。 
節目の時であることは間違いない。 


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2913,ホテル&旅館 大淘汰
2009年03月27日(金)

新聞広告に、週刊ダイヤモンドの特集記事が載っていた。
 「ホテル&旅館 大淘汰」である。
さっそく書店で買って読んだが、大体予測したとおり直撃の惨状。内容は東京圏内の外資系高級ホテルと、
  日本の御三家、リゾートホテル・旅館の不振を取り上げたもの。ホテルマン45年歴の日本ホテル協会会長
  が「初体験」というほどの急激な売り上げダウンに見舞われて激しい値引き競争で収益が激減している
  というもの。
ー概要を大きくマトメルと
外資系ホテルが壊滅状態で、安売りのジレンマに陥っていて、
 開発ラッシュが一転して 全国で開発の中止、延期が続出
・日本の「御三家」ーオオクラ、帝国、ニューオータニーが沈没
 特にオオクラは内部崩壊に瀕している
能登のホテル百万石も破綻、身売りが多発していて、変化に対応できない事態
 沖縄も観光ブームに沸いていたが一転、閑古鳥が鳴いている
  以上が、この特集の骨子になる。
 ー
全てにわたり、11月以降は二桁のマイナスが続いている。
ホテルは在庫の蓄積は効かないので、とにかく日ごと売って何ぼの商売、この世界恐慌?は、
新規に出店した外資系のホテルにとって、根底から揺らぐのも肯ける。
ハッキリいえば、何処も「稼働率激減、市場は壊滅状態」というのが、ビジネス、都市型ホテル、
リゾートホテル、大型旅館など全ての業態でいえる緊急事態。

最近開業したホテルの多くは、実需ベースというより、「再開発の最大化」のための誘致の傾向が
  強かった。それに行き場のない外資の資金が後押しをしたことも重なってバブル現象である。
大阪、名古屋のホテルも総崩れで20パーのダウン、大阪や中国、韓国などのアジア圏の売上激減。
名古屋は自動車業界の惨状が直撃、悲惨な事態である。

地元の新潟でも、外資系のビジネスホテルが数軒オープンしたが、バブルの様相の感がしていた。
その上に11月下旬より、極端な稼働率の下落が顕著になっており、深刻という面では同じ。
特に4月からの年度変わりからの予約の状況が非常に悪いのが気がかり。
「1~2年なら何とか凌げるが、後は誰も分からない」というのが大部分の実感だろう。
3年先に、まず一棟が新潟駅再開発の道路拡張の買収予定に入っているので、何とか目安が
あるのが救い。 しかし大津波が覆いかぶさってきている事実は厳然としてある。
  <一日、一生>の思いで生きるに丁度よいか?

・・・・・・・・・
2549, 一神教vs多神教 ー3
2008年03月27日(木)
                    ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪
*近代天皇制は一神教か?
   まずは、この本にある、「近代天皇制は一神教か」という部分を抜粋してみる。
ーーー
近代天皇制は一種の一神教、擬似一神教ではなかったかと、ぼくは考えています。
近代日本は一神教の欧米の脅威にさらされて、わが国も一神教で対抗するしかないと思い、
京都にすっこんでいた天皇を引っ張りだしてきて神聖不可侵の神のような存在にし、
国民、特に兵士に天皇への絶対服従を強いたのですが、日本人も追いつめられると
同じようなことをしたわけです。
ウェーバーユダヤ教の神、ヤハウェは戦争神だと言ったということはさっきも話題になりましたが、
近代日本も、その前の徳川時代には二百数十年、国内的にも対外的にも戦争をしなかったのに、
明治になってから戦争ばかりやっていました。これも、天皇一神教の神のコピーのようなものに
したことと関係があると思います。多神教徒だって、追いつめられると、一神教的になり、
原理主義に走るんですよ。ガンジーを暗殺したのは、彼がヒンドゥ教とイスラム教との融和を
唱えたことに反対したヒンドゥ原理主義者でしたね。暴力が暴力を誘発するように、
一神教一神教を誘発するのです。とにかく、一神教原理主義は危険です。・・・・
 ーーー
モーセユダヤ人に伝えたイクオトンの太陽崇拝は、太陽が唯一神であるというにしても、
まだ一神教の前段階じゃないでしょうか。近代天皇制も、天皇という具体的な人間存在が
崇拝の対象である以上は純粋な一神教ではありません。
ましてや国民は天皇陛下の赤子だなんて言っているんですから、
イスラム教のように偶像崇拝を完全に排除した一神教の場合は人間と隔絶しています。
隔絶しているというのは血のつながりがないということです、神と信者とのあいだには
まだ血のつながりがあるわけです。そのように厳密に一神教を考えると、
天照大神がいくら神々の中心であるからといっても、神道一神教ではないですね。
   ーー
   以上だが、封建的、閉鎖的で、国家といえない国を国家へと変えようとするとき、
   擬似一神教として「神」の存在を創りあげる必要があったのである。
   それが、明治天皇、そして昭和天皇だったのである。
   その意味で、あの時期に近代天皇制を創りあげた政治家達は、やはり卓越していたといえる。
   現在の日本は米国に属国化しているが、米国はキリスト教という一神教を背景に持った国。
   日本は多神教の国であるから、それが一神教に支配されているということになる。
   
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2007年03月27日(火)
2184, 聖地と台所
      オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
                       ー 読書日記
 「ファンタジーの魔法空間」 ー2
           著者・井辻朱美  岩波書店

 前回、「いい場所」とは、台所と屋根裏部屋]という部分を抜粋して考えてみた。
今回は台所と聖地を同定しながら、聖地とは何かを台所とは何か考えてみよう。
    まずは、その部分を抜粋してみる。
ー P-41
ある場所に置かれる神像はその[場所]の指標なのである。
どこに置いてあって良いというのではない。
日本なら吉の方向が定められており、マルタの台所では「一日じゅうそれが見える」
場所がそれである。神像が置かれる場所が[いい場所]ではなく、[いい場所]に
神像を置くことが正しい。

神像的[いい場所]をさらにグローバル的にいったのが聖地であろう。
植島啓司氏は『聖地の想像力』の中で、その9つの条件をあげている。
01:聖地は一?たりとも移動しない。。
02:聖地は極めてシンプルな石組みをメルクマールとする。
03:聖地は「この世に存在しない場所」である。
04:聖地は光の記憶をたどる場所である。
05:聖地は「もう一つのネットワーク」を形成する。
06:聖地は世界軸で貫通しており、一種のメモリーバンク(記憶装置)である。
07:聖地は母胎回帰願望と結びつく。
08:聖地とは夢見の場所である。
09:聖地では感覚の再編成が行われる。

 例えば、エルサレムは01・02の条件によって、3つの聖地になっている。トルコのイスタンブール
にあるアヤソフィア回教徒寺院はかってのキリスト教会を転用したものである。
 逆にスペインのゴルドバは回教徒寺院をキリスト教会に転用したものである。
 それをパワースポットと呼ぶにせよ何にせよ、古代人はそこが聖地であることがわかっていた。
 この聖地の条件は、台所という空間の中での、マルタでいう「いい場所」にあてはまる。

台所は大地の炎の力に結びつき(04)、
ウクライナでは、そこでは大家族が一同に会し、「座ったり、料理をしたり、
食べたり、洗濯をしたり、寝たり、何でもする」(06,07)
ウクライナの台所とはそれ自体が聖地であるという以上に、家そのものであり、家族にとっての全世界であった。
ウクライナにとって、そこはさらに、「いい場所」という中心点が必要になる。
マルタの「いい場所」もまた、それはこの世ならぬ世界の道しるべであり、
みあかしに照らされた光の記憶は夢見の衝動を誘い(08)、
聖母子像は母胎回帰の夢想と他の信者とのネットワークを示し(05)、
そこに家族の思い出を結びつけるメモリーバンク(06)でもある。
それがなければ台所は「からっぽ」なのである。
  ーーーー
  私の聖地は、何処だったのだろうか?自分が生まれ育った町が聖地(生地)ということか。  
  それにしても、エレサレムは素晴らしい聖地であった。 生生しいが!
                (o ・д・)ツ  バイ!
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2006年03月27日(月)
1819, あちら側の世界 ?2  
    才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
ウェブ進化論 」?2  ウェブ社会の現状は?
  
ー「あちら側」のウェブ社会と「こちら側」のリアル社会は、あまり融合しないのではないかー
 若い人が当たり前だと思っていることでも、リアル社会の大人たちは何にも知らない。
 ネットの「あちら側」の興奮はリアルの「こちら側」には全然伝わらない。
 ウェブ社会とリアル社会の本質的融合はイメージできない。
 ウェブ社会では特殊で不思議なことが起き、影響力が大きくなっても、
 普通に暮らしているリアル社会の人には全然見えない。
 家庭で言えば、お父さんとお母さんはリアルの社会で暮らしている一方、
 15歳と13歳の子どもはアフィリエイトとグーグルのアドセンスで小遣い稼ぎしている。
昼間、学校に行ってる間に、子どもたちの分身のウェブサイトがパートの母親より稼ぎだす。
 でも、親にはよくわからない。子どもは相変わらず「勉強していい大学行きなさい」と言われ続けている。
若い人たちは「説明してもしょうがないからいいや」となってしまう。「ウェブ」と「リアル」の隔絶
は時間がかかる。生まれた時にはウェブがあった子供たちが、リアル社会の主役になると変わってくる。
 だから長い時間がかかる。世代交代によってしかリアル社会への変化は起きないように思う。

 シリコンバレーから、日本のIT産業をどう見えているか?現在の日本のベンチャー企業
あり様は、20年から25年ぐらい前のシリコンバレーに近い。
 90年代後半にシリコンバレー型の起業家経済の種が日本にも輸出された。日本社会でも芽が出てきて
いる。普通の経済ルールとは違うから、鬼っ子みたいな企業も生まれるだろう。
 でも、種は植えつけられた。だから20年ぐらいかかると、そういう起業家経済圏が広がってくる。

 例えば、ビル・ゲイツは50歳、スティーブ・ジョブズも50歳。
 PC産業が誕生した70年代半ばに20歳ぐらいだった人が、成功したのが80年代前半。
 ゲイツら有名人だけではなく、そういう企業の成長期に会計士や弁護士で入った人がいる。
 ベンチャーキャピタル(VC)でも、グーグル、アマゾンなどへの投資で知られる
 大手クライナー・パーキンスのジョン・ドーアとかも同じ世代だ。

 まず親しい仲間と会社を立ち上げた。その後、違う会社で失敗したり成功したりして、
 ある人に引っ張られてこっちにきた、というようなことを繰り返している。
 彼らは30年間、同じような経験を積み重ねてきた。
 一緒に仕事した経験の蓄積が、あの土地で見えないネットワークになっている。
 シリコンバレー活性化の理由は、このコミュニティの存在だ。
 日本の30歳前後の起業家にも、5年ぐらい前から同じようなことが起きている。
 現在の若手のソフトハウスの社長も20年もすれば、50歳ぐらいになる。
 このコミュニティに広がりがでてくる。何かやろう、となっても電話一本で、さっとチームができる。
     
 シリコンバレー型のベンチャー企業には誤解もある。起業家経済圏というのは「無」から「有」
を生み出す世界だ。起業家は新しい技術やビジネスモデルで社会に大きな貢献を果たす。
 それに対して、例えばライブドアの事件は、報道によれば「生み出していない」
 のに「生み出した」とウソをついた、ということになる。
「売り上げは全然ありません、でもその会社には高い時価総額がつきました」
 という話と、ライブドア事件を混同してはいけない。つまり「すごい技術を開発しました。
でも売り上げはありません」と正直に言える会社には種がある

その種をどう評価するかはマーケットの問題。 マーケットが、評価するか、
しないか、ということは、起業家経済につきものの「ゆらぎ」なんですよ。

大企業になると客観的な評価基準がある。「無」から「有」を生み出す最初の過程には、
ものさしがない。 売り上げがなくても、「この会社の価値はすごく高い」とか
「才能のある人が10人、20人いるから何かを生み出してくれそうだ」
といった期待値をお金の額で評価しなければならない。この見極めが難しい。
だが、その過程がないと、起業家経済圏は育たない。
そこで重要なのは、ベンチャー企業が正直に自らの情報を開示しているかどうかだ。                              
             ー  つづく   βyёε('c_,'`)з゛ 
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2005年03月27日(日)
1454, BOSEのステレオー5

BOSEのコンポが居間に入って二週間経った。
年に数回しか聴かなかったCDを、一日朝晩平均2時間は聴くようになった。
(BSラジオで週一は、音楽を聴いていたが)恐らく、このパターンは変わらないだろう?
パソコンを打ったり、本を読んでいるバックグランドにもよい。目と頭が休まるし、何よりも音楽その
ものがよい。セットなどで買った100枚以上のCDの在庫がある。一枚に平均10曲以上入っているので、
1000曲はある。 そのカセットボックスを近くに置いて気の向くまま曲を選ぶ。 音楽は好きだが、
TVのほうに気持ちがいっていた。家では殆ど居間にいるが、パソコンをいじっているか、
TVを見ているか、新聞か本を読んでいるかである。要するに一点を見つめているだけだった。
それが目を瞑り、耳に集中する時間が多くなった。目がホッとしているのではないか。
その上に音楽は気持ちを深く安らかにしてくれる。
ところで、知人の音楽マニアがコンポについてのレクチャーをしてくれた。
マニアにとっても興味がある代物という。
・コンポは買って直には良い音はでてこない。野球のグローブの皮と同じで、音に馴染んでくるのに最低半年、
 最適に聴けるようになるまでは1年半から2年はようする。とにかく多く聴いてやること。
・偏った音楽ばかりかけると、その音楽にあったマシーンになってしまう。
 生き物と同じで、色いろな音楽で慣らした方がよい。愛情をかければ、良いものになっていく。
・今の高度なコンポは音楽のマニアが、色いろの調整をするのを、コンピューターで自動でしてくれるのが凄い。
 小さなマシーンの中に多くのノウハウが詰め込まれていて自動処理をしてくれる。
 以上が知人の教えてくれた要約だが、世界のオーディメーカーの流れを聞いたが、
やはり日本のメーカーが強いとのこと。
 
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2004年03月27日(土)
1089, その一言が運命を!

私の最大の欠点は一言多いことである。それも親譲りの胸を深く切り裂く言葉を言ってしまう。
子供の頃、父親の言葉の鋭さが一番恐ろしかった。そして、その部分を引き継いでしまったようだ。
昨夜もスナックのママから以前、「グサリと、その一言で刺してしまった」状況をリアルに聞かされて
しまった。ついついジョークで言ったつもりが心の一番深いところをついていたからだ。本当に困ったもの
さらに、学生時代のゼミで現象分析の訓練をしたためか、一瞬で言葉が脳に出て
しまう。当時の日記を読んでいると、その当時言ってしまった「その一言」の多くが思い出される。
家内も私に負けず言葉が鋭い。言い違いや甘さに対して、即座に強烈な皮肉で帰ってくる。
言葉に対しては家庭内でも真剣勝負である。
結婚当初になるが、泥酔している私の顔を見て「白ナス!」と言われたことがあった。
鏡を見たら、本当に白ナスのような顔であった。「言葉の持つ恐ろしさ」をいっている格言が幾つかある。
自戒を込めて列記してみる。
・「神は言葉が持つ破壊的な力から私たちを守っていてくださる!
  鋭い刃物よりも胸を深く切り裂く言葉がある。一生胸に突き刺さったまま忘れられない言葉がある」
・「賢者の口は心にあり、愚者の心は口にある」
・「ガチョウのわめき声は、ライオンの爪よりも痛みを感じさせることがある」というスペインの諺がある。
・「黙れ、さもなくば沈黙にまさる言葉を口にせよ」 ーピタゴラス
・「ふさわしいことを話すのだ。それができなくては黙ることだ」
  ジョージ・ハーバード
・「気難しい口調で真実を述べるくらいなら、沈黙を守っていないほうがましだ。
  それは美味しい料理にまずいソースをかけるようなものだ」
  ーー
 言葉は人を生かしも殺しもする。一度発した言葉は元に戻すことはできない。これで人生の幅を
いかに狭くしてきたことか。 特に酒の入った時の言葉の鋭さは「気違いに刃物」である。
 酒を飲むときは「一期一会」という気持ちで飲んでいるのが逆に悪いのだ。酒は脳に敵を入れ込む
ようなものだ!悪口や陰口は言わないようにしているが、逆に目の前では抑えることができない。
 今更、陰口に切り替えるわけにもいかない。陰口をいくら言われても、目の前でグサリとやられるより
傷は少ない。あまり懇意な集会以外は行かないことにしている。特に殿様蛙のあつまるところには。

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 2003年03月27日(木)
 722, 「日本酒について」

新潟といえば「酒と魚と米」と美人?である。新潟の酒に対して書いてみる。
朝日山の「久保田」とか「越の寒梅」などの全国的に知られている酒がある。
全国的でないが、ほぼ匹敵する酒として「麒麟山」や「雪中梅」や「〆張鶴
「八海山」「マスカガミ」など数え切れないほど美味しい酒が多い。
私レベルの評価なので、かなりの先入観が入るが「ごく普通の新潟の酒飲み」の実感を書く。
・「越の寒梅」は確かに美味しい、といって「麒麟山」や「〆張鶴」などの酒と比べて
 ほとんど味のランクは変わらない。ブランドという自己満足という事だろう。
・「麒麟山」と「〆張鶴」と「越の寒梅」を並べて飲んでも、銘柄を当てる事が難しい。
・私の好きな酒は朝日山の「吟醸古酒」である。 ただ一時期飲んだが、今は飲んでない。
ワインを飲んでいる感覚になる。あとは「〆張鶴」と「辛口菊水」である。」
・地味だが、長岡の老舗の酒の「吉乃川」も美味しい。
あるレベルを超えると酒は同じ味に感じるのも事実だ。
ところで次元の低い話だが、日本酒の場合、二種類の酒を混ぜると
美味しいほうの酒に味が移行する。自分のブレンドをつくるのもよい。
以上のことは新潟の酒好きの人は大体同じことをいうはずだ。
新潟はこと酒と米と魚は間違いなく美味しい! あとは美人か?
 http://www.sakesake.com/kurabetu/12.html

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2002年03月27日(水) 358,縞模様

縞模様は、中世では囚人やらい病や魔女とレッテルを貼られた人に着せられていた。
悪魔の象徴の模様が由来という。それがパジャマの模様で着ているのは、どういう理由なのであろうか。
囚人服や病院服と似ているのは?悪魔の模様であったのが、いつの間にか日常に使われているのが面白い。
よこしま(邪ま)な野郎だ、という語源がここから来ているとは思えないが。
明治や慶応のラグビー部が確かこの模様であったが、知っているいるのだろうか。
いや相手がこの模様のために、少し臆してしまうのを狙う効果もあるか。
シマウマは悪魔の馬と聞いた事がない。そういえば葬式の時、バックに張る布も縞である。いやあれは縦縞か