2007年03月27日(火)
2184, 聖地と台所
      オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
                       ー 読書日記
 「ファンタジーの魔法空間」 −2
           著者・井辻朱美  岩波書店

    前回、「いい場所」とは、台所と屋根裏部屋]という部分を抜粋して考えてみた。
    今回は台所と聖地を同定しながら、聖地とは何かを台所とは何か考えてみよう。
    まずは、その部分を抜粋してみる。
ー P-41
ある場所に置かれる神像はその[場所]の指標なのである。
どこに置いてあって良いというのではない。
日本なら吉の方向が定められており、マルタの台所では「一日じゅうそれが見える」
場所がそれである。神像が置かれる場所が[いい場所]ではなく、[いい場所]に
神像を置くことが正しい。

神像的[いい場所]をさらにグローバル的にいったのが聖地であろう。
植島啓司氏は『聖地の想像力』の中で、その9つの条件をあげている。
01:聖地は一?たりとも移動しない。。
02:聖地は極めてシンプルな石組みをメルクマールとする。
03:聖地は「この世に存在しない場所」である。
04:聖地は光の記憶をたどる場所である。
05:聖地は「もう一つのネットワーク」を形成する。
06:聖地は世界軸で貫通しており、一種のメモリーバンク(記憶装置)である。
07:聖地は母胎回帰願望と結びつく。
08:聖地とは夢見の場所である。
09:聖地では感覚の再編成が行われる。

    例えば、エルサレムは01・02の条件によって、3つの聖地になっている。
    トルコのイスタンブールにあるアヤソフィア回教徒寺院はかっての
    キリスト教会を転用したものである。
    逆にスペインのゴルドバは回教徒寺院をキリスト教会に転用したものである。
  それをパワースポットと呼ぶにせよ何にせよ、古代人はそこが聖地であることがわかっていた。
  この聖地の条件は、台所という空間の中での、マルタでいう「いい場所」にあてはまる。

台所は大地の炎の力に結びつき(04)、
ウクライナでは、そこでは大家族が一同に会し、「座ったり、料理をしたり、
食べたり、洗濯をしたり、寝たり、何でもする」(06,07)
ウクライナの台所とはそれ自体が聖地であるという以上に、家そのものであり、
家族にとっての全世界であった。
ウクライナにとって、そこはさらに、「いい場所」という中心点が必要になる。

マルタの「いい場所」もまた、それはこの世ならぬ世界の道しるべであり、
みあかしに照らされた光の記憶は夢見の衝動を誘い(08)、
聖母子像は母胎回帰の夢想と他の信者とのネットワークを示し(05)、
そこに家族の思い出を結びつけるメモリーバンク(06)でもある。
それがなければ台所は「からっぽ」なのである。

  −−−−−−
  私の聖地は、何処だったのだろうか?自分が生まれ育った町が聖地(生地)ということか。  
  それにしても、エレサレムは素晴らしい聖地であった。 生生しいが!
                (o ・д・)ツ  バイ!
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