2006年02月02日(木)
1766, こころの羅針盤(コンパス) −1
         才ノヽヨーφ(・ω・`)  −読書日記

三十篇の文章を、どれを読んでも深い心の世界に引き込まれる。
「私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。
行くべき場所へむかうために羅針盤を用いるだけだ。」
という言葉一つ捉えても、ハッとする内容が次から次へと出てくる。
その幾つかを抜粋してみる。 (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
 
まずは、
「こころの震えを感じるとき ─まえがきに代えて─   五木寛之
 ・・
「人生いろいろ」という歌があったが、こころ模様もいろいろである。
「こころの羅針盤」というタイトルヘの感想もまた、各人各様だろう。
「こころ」という言い方がなあ、と苦笑する人もいるだろうし、
「こころ」に羅針盤なんていらねえよ、と、そっぽを向く人もいるにちがいない。
 しかし、本のタイトルなど、本当はどうでもいい事なのだ。

      「題名いろいろ」と、歌いとばしてもらっても一向にかまわない。
       とりあえずここにギュウギュウづめになっている三十篇の文章を、
       どこからでもいい、パッとぺージを開いたところから
       読みはじめてごらんなさい。

「人間いろいろ」「文章もいろいろ」、こんなに各人各様でいいのかしら、と、
 あっけにとられる位に個性的な書き手のオンパレードである。
 声に出して笑ったり、ため息をついたり、なるほどなあとうなづいたりと、
 私自身、人生を三十回生きたような感じがした。

        才気あり、含蓄あり、厭味あり、教養あり、風格ありと、
        活字を読む楽しみこの一冊につきると言えば、
        いささか香具師の口上めいてくる。
        羅針盤の針は必ずしも一点を指すわけではない。

 実際に磁石を使ってトレッキングしたかたなら経験がおありだろう。
 震える針は揺れ動きながらも、最後は落ち着くところに収まる。
 この三十篇の文章は、右へ左へと跳びはねながら、
 最後は或る一点に読む人を導く。

        それは「こころ」という実体など、じつはどこにもない、
        という乾いた真実である。
        私たちが「こころ」と信じているものは、存在する人間の影にすぎない。
        ひとりひとりの性格や体型が異なるように、
        その影も異なったかたちをしている。

 私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。
 行くべき場所へむかうために羅針盤を用いるだけだ。
 ここに集められた文章のすべてに、その確かな意志がひそんでいる。

        そのことが感じられたとき、震える私たちの「こころ」は、
        それぞれの一点にむけて収斂するにちがいない。
        ここにあるのは、そのような力を秘めた見事な文章ばかりなのである。
                                           
 作家は、どうしてこのような上手い文章を書けるのか、
  その博識に驚かされ、ただ感じ入るだけだ!
                   (σД≦)ネムゥ〜
               −つづく
・・・・・・