* 今日、衆院選
 今回の選挙ほど見ている分に興味深い選挙はない。この国難といえる問題山積の中、結果が大きく将来を左右するからだ。
終戦から67年、今だにアメリカに実質に占拠されている状態。この間、国民が借物の民主主義で骨抜きにされてしまった。
この世界的大変動の中で待ったなしで新憲法をつくりかえる時節になった。 明らかに民主党は、この三年間で方向を誤った。
しかし自民党は、それ以前に日本を大きく弱体化させた張本人。 県内の自民党女性候補が何と、「人からコンクリートへ!」
と絶叫していたのを聞き耳を疑った。 彼らに票を与えすぎると地震対策という御題目で、ゼネコンマフィアと組んで、
建設国債を発行させ無制限に公共投資をしてくる。彼らの景気対策は、それしか考えられない。どっちらに転んでも、
救いようがないなら、最後の饗宴をするのも分からないでもない。 ところで、私のスタンスは、
改憲、消費税増税、国会議大幅員削減、原発の現状維持、原爆保持、以上が賛成。インフレ政策反対」である。
今度の投票は人物第二で、家内?ともどもに無党派だが日本維新の党へ投票予定。 石原の傲慢さは好かないが、一番まとも。
     * 今年、買った最大の物は何?
 何気なく、Yahooを見ていると、今日のお題「今年、買った最大の物は何?」という言葉があった。
ハッとして考えてみた。電波歯ブラシと、ジャケット二枚に、ウォーキングシューズ、他に何だろう? 本が数冊。
後はスーパーで酒のツマミと百円ショップで小物以外、心当たりがない。そうそう、電気洗濯機を買え換えた。
これは家庭必需品。私が買った部類に入るのか入らないか。 それよりも去年の春以降、iPad以外、思い当たらない。
何か欲しい!と大体思わなくなったことがある・・ いや、年金生活者は、大体こんなものか。 現在、欲しいのはパソコン。 
だが5年使っているiMac二台が、まだ使える。TV、パソコン、月に数回のシネマ、スポーツジム、月に1〜2度の
飲み会の世界では、こんなもの。ところで家では「ママリッチ、パパプアー」。大きな夫婦間格差が現実。(´;ω;TOHO!
・・・・・・
3917, 精神力ーその偉大な力 ー7
2011年12月16日(金)
  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
* まず相手を許すこと、そして自分自身を許すこと
◎ ヤコブは聖書に書いている、「汝が乞うても受けないのは、誤り乞うからだ」それを別の訳にすれば、
  「あなたが求めるが受け入れられないのは、間違った求め方をするからだ」ということ。
  「その人を許しなさい。そうすれば天にいます貴方の父、すなわち大生命力は、あなたを許して下さる」
◎ 傷ついた否定的な過去の記憶では、大生命力のエネルギーの自由な流れを妨げる。それを愛と信念をもって
  書き換えねばなりません。「なんびとかに、また、なにものかに反抗して抱く全てのものをゆるせ」といった
  キリストの言葉は、非常に実用的である。
◎ もし彼を許さなかったら、私自身を不愉快な体験に、そしてまた、その人に結びつけておくのです。彼を思うたびに、
  不愉快な体験を繰り返すことになる。もし、私が誰かを傷つけたとして、彼が私を許せば、彼は解放されたことになる。
  その許すということは、彼の側の精神活動です。怒りは憎しみは、恨まれた人より、恨んだ人を傷つけるものです。
  賢い、常識的な考え方は、愛し、理解し、そして許すことです。「神よ、彼に祝福を」とだけ、心の底から言いなさい。
◎ 私たち各自は、毎日、静かに座って自分向かって次のことを言い、それをまじめに務めるがいい。
 「 ・・・ 私たち各自は大きな無限の大生命力の一部であって、大生命力は実在の一部である。その大生命力の中で、
  すべてを生き、動き、そして実在している。これは真理だから、私が行なったあらゆる過ちはについて私自身を許す。
  そして多少とも私を害したあらゆる人を私は許す。許すなら、あらゆる体験から善いことのみが私に来ると知るから。
  私が行なった一つ一つのあやまちは、より大きな理解と、より大きな機会への踏み石だから、過去のあらゆる体験を
  私は祝福する。どんな過去の体験も、今日あるいは未来において私を害さない。私が許されたいよう、私はことごとく許す。」
自己啓発の、このようなセミナーに出席して感化を受け、日常の考え方と、祈りに取り入れたら、心の傷は和らぐだろう。
20歳代半ば、何度も何度も、この本を読んで救われていた。こういう経験があったから、何人かの鬱病の相談にのれたのだろう。
現状でも平然?としていられるのは、自分で見つけ、何度も読んで一人で手当をした経験があるためと、再確認をしている。
数ヶ月前に、地球の芯からの声が聞こえてきたのは、こういう経験があったからである。芯の声は大生命の声、魂の声である。
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3552, 何に出会うかを、成長と呼ぶ
2010年12月16日(木)
  「何に出会うかを、成長と呼ぶ」 ある雑誌の新聞広告にあった言葉である。
 実際に出会った人、著書を通して出会った人、宗教的啓示で触れた何もの。大自然の荘厳な景色から受けた感動、
絵画や音楽を通して感じた作者・作曲家の魂など、出会いそのものが成長になる。マイナーの何ものかの出会いは、マイナー
成長ということか。 その中で、書物を通して崇高な教えや啓示などの出会いは、一番身近で誰もが出会う機会になる。
最近は、ネットやテレビや映画などからも多くの出会いが可能になってきた。長年の風雪の中で、これまで読み継がれてきた
古典には、何かがある。その辺から多くのことを学ぶことも出会いになる。65年間に多くの出会いと別れがあった。
自分が経験してきた蓄積が新たな出会いを呼び込むのである。 最後は自分の「死」の直感という厄介な何に出会うのだろうが。
それも刷り込まれたイメージでしかない。出会いといえば、感動が伴なった経験である。人はどれだけ、感動、感激に
出会えるかで人生の豊かさが決まってくる。 ところで、この出会いに関しては、本当に豊富であった。
その蓄積が、さらなる上質な感動の場面を作り上げてくれる。感動した対象に対し我われは何だろうか?と知りたくなる。
それが、考えるキッカケになる。 もう一つ、出会いの中で、宗教がある。知識を持ってしまった人間は、いずれは
死ぬ運命にあることを身近の人の死を通して知ってしまう。それは二人称の死で自分の死とは違うと分かっていても、
長年かけて、知人の遺体と焼却を目の当たりにすると、二人称の死を一人称の死に重ね合わせてしまう。
 出会いこそ人生であり、生き方が変ってくる。未知との遭遇、無知との遭遇、人生には色いろある。
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3177,デフレス・パイラルの脅威
 2009年12月16日(水)
* ハイパー・デフレの始まり
 どうも本格的なデフ・レスパイラルに入ったようだ。それもハイパー・デフレ。ということは、二番底に向かって
転がりだしたということになる。先日、自宅から歩いて10分もしないところにある中古プレハブ住宅の販売広告が入っていた。
土地が25万、建物が20万?の相場の家屋が何と土地15万、建物10万の値段である。(その逆でも同じぐらい)
その販売業者は、競売物件を買って、少し手を入れて二割位の利益を乗せて売るのを専門にしている。
(なぜ分かるかというと、知人の自宅が、そのプロセスで売却されたからで、競売落札の値段も、お化粧代も大よそ分かる。)
どうみても半値に近い相場だが、結果として資産デフレに火をつけている。 近所の相場が、それによって暴落する。
会社の人の自宅近くが半値×八掛けで売りに出され、数日で売れたという話も入ってきた。資産デフレである。
 あらゆるところで価格が暴落しているのは、誰も彼もが実感していること。 背広の客単価が一年前の4割も落ちているし、
薄型テレビも3割ダウンした。冬物衣料などもオール半額!というチラシが入ってくる。 ホテルもネットで2980円、3180円、
3280円が出ている。安い順に売れていくが、それさえも最近は売れ残っている。 安くしないと、消費者は買わないから、
競って安くするが、全ての業界が始まり体力の消耗戦になってきた。 一番強い者だけしか生き残れないのである。 
そして、会社の多くは淘汰され、そのうちに、今度は金(かね)の価値が暴落を始まる。 ハイパー・インフレが始ると、
これは国家破綻を意味する。いつも同じことを書いているが・・ 世界は間違いなく経済も、政治も含めて大動乱に入った。
 アメリカも、去年のリーマン・ショック以来、経済はガタガタ。失業率が、あれよあれよと、10パーセントを超えてしまった。 
日本も、数年以内に、それを超えるだろう。リーマンショック津波が姿を現してきた。デフレス・パイラルは4年間?続く。
来年からは、その中で食品の一部が値上がりが始る。 ハイパー・インフレの波も現れる。 
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2812, 今年を振り返る
 2008年12月16日(火)
今年もあと半月、振り返って、思いのまま書いてみる。
大荒れの一年で、歴史に残る年といってよい。
 ■ 世界をみると
アメリカ発の金融恐慌である。予測はされていたことだが、実際に起こると、その衝撃度は甚大。
 100年に一度の経済的危機というが、私の人生で起こった最大の世界的大事件である。
 一次世界大戦、第二次世界大戦世界恐慌の三つの一連のウネリより大き事象が十年以上は続くレベルの大事件である。
アメリカ大統領選挙で、民主党オバマが史上初の黒人大統領に選出された。
 これも歴史的出来事である。それだけアメリカの懐が深いということか。
・中国の大地震ミャンマーのサイクロンの自然災害は、地球システムが人間システムに対して発した警告である。
・中国オリンピックの開催と、中国国内の暴動の頻発。 これは中国の将来を暗示してもいる。
北朝鮮の金総書記に異変? 朝鮮半島が流動化になるかどうか。
 ■ 国内では
金融危機で一挙に景気の悪化。不気味な雰囲気が漂い始めた。
・福田が辞任して麻生が首相になったが、凡将の器が露見、一挙に政治混乱が始る。
・若者等の無差別殺人が続出をした。
今後、10年以上続くだろう社会的な大混乱の‘目次’と‘前書き’が今年の事件の集約とみるべきである。
暗い日々が待っていると思うと憂鬱になるが、これだけの変動の中で、自己責任をより自覚しないと。
「1970年代に始った新自由主義経済の崩壊が始った」と、新聞の論説にあったが、
この数年間で統制が強くなるだろう。それぞれの企業が、根底から存在意義を問われ、
価値のないものから否応無く淘汰される。特に来年一年が今後を占う年になる。 どうなることか?
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2007年12月16日(日)
 2447, 四四太郎の霊日記 ー12       (*´_●`)ノオハオハオハ♪
さてと、お出ましである。何時も同じようなことをブツブツ言っているが、違う視点を持つことに意味があるということじゃ。
<私>+<私の体>=「私」ということは 「私」−<私の体>=<私> と誰か哲学者が論じていただろう。
 その<私>の芯にあるのが、≪私≫とすると、更にその奥にあるのが≪≪私≫≫ということになる。
いや、この括弧を内側に幾つかつけたのがワシということ。これが≪私≫を通して<私>に語りかけているということ。
だから、御主も何か変な気分になるのは解るし、御主とは見方が違ってくる。 だから先祖を大事にせい!というのは、
決して間違ってはいないのだ。ただ、葬式坊主のタカリに乗ってもよいというのとは違う。
ところで、御主が娑婆で過ごす心得を教えてやる。大きな地球儀を何処か身近に置くことじゃ。
パソコン内ではない、とにかく手に触れる場所に置くこと。そして月の上か、衛星から地球をみる気持ちで常に見ることじゃ。
字数の関係でカット(2011年12月16日)
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2006年12月16日(土)
2083, 哲学者がローマ法王の奇跡を切り捨てると!    才八∋ウ_〆(∀`●)
   知ることよりも考えること−? ー読書日記          
週刊新潮の連載コラムを集めたため、身辺の話題が解いやすい内容である。
先年亡くなったローマ法王ヨハネ・パウロ?を『聖人』として認定するかどうかの審査会議などの低?次元の話題や、
最近TVなどに出てくる胡散臭い江原啓之とかいう男の超常現象?について、哲学者の視点から言及している。
どれをみても理路整然と、その矛盾をストレートに切り捨てているところが痛快である。。
「あたりまえのことばかり」「人生のほんとう」に続いてこの本を読んであまりに面白いので、
さらにアマゾンで中古本だが「14歳からの哲学」と41歳からの哲学」を買って、読んだ。第四章ー54項目の構成だが、
ランダムに面白そうなところから選んで要点の場所を抜粋しながら考えてみよう。
まずは次元の低い「教皇の聖人の認定か否か」の問題である。アホくさいが、まあ著者・池田の真骨頂が現れていて面白い!
 秋刀魚の骨も信心から」と思って読めば、これもよい。
ー奇跡大好きー
ローマ法王の選出選挙、コンクラーベの政治性も凄かったが、これも凄い話である。
何でも、この[聖人]とは、カトリック教会の最高位で、死後これに認定されるためには、厳しい審査がある。
[聖人]よりワンランク下の「福者」として、先般マザーテレサが承認されたが、法王といえ、これらの位には
なかなか昇格できないという。神の前に平等のはずの宗教界でも、階級化が[死んだ跡]にもついて回るのである。
生きているうちに政治的な動きをしていたのだろうか?が、凄いと思ったことは、その資格認定とされるものだ。
必須とされているのが、「聖人」の場合でも二回以上、「福者」でも一回の奇跡をおこしていなければならない。
[奇跡]の定義が、[科学的に説明不能」であること、それを審査するためにバチカンにも専門の科学者がいる。
そこで、説明不可能といわれたものが、[本物]の奇跡であるか否か、高僧達が判断を下すそうだ。
私はある種感嘆をおぼえた。科学的に不可能であるということが「すなわち」価値である世界があるとは、
盲点を突かれる思いであった。彼らが[奇跡]を価値とするのは、イエス・キリストが病人を癒したとか、
死人を生き返らせたとか、聖書に記載されているからだろう。それで、そういう[奇跡的]力を有する人が宗教的に
優れた人ということになるのだろう。しかし、当のキリストは、この世の命を命と思うな、現世の価値に執着するなと、
繰り返して説いている。永遠なるものは、その価値は、あなたたち自身の内にあると。
宗教の本質とは、現世的価値に対して永遠的価値を提示することにあるのではなかろうか。
癒しや復活など現世的としての奇跡的出来事は、宗教の本来無関係のはずである。
ゆえに、宗教が奇跡それ自体を価値とするなら、すでに話は転倒している。 宗教など、早い話が、永遠のふりをした
しょせんは現世利益じゃないかと言われても、仕方がないのである。第一、科学により説明不可能ということが、
何で奇跡ということなのか。逆に科学により説明可能なら、奇跡は奇跡でなくなるというのか。ここに根本的な勘違いがある。
科学というのは、そのとおり、説明のための一方法である。何を説明するかといえば、言うまでもなく、自然である。
字数の関係でカット(2011年12月16日)
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2005年12月16日(金)
1718, お金の現実          
          −読書日記  岡本 吏郎著   ma!~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモ
これまで著者の本は二冊読んでいるが、
 ・中小企業を経営しているなら、一億の現金を個人名義で持ちなさい。
 ・ヤップ島のフェイという石で出来たお金の話以外、さしたる記憶が残っていない。
  今年の4月に新らしく刊行されて本屋で見たが買う気にならなかった。ところが先日図書館で見つけて読んだところ、
  なかなか面白い。ほとんどのポイントが最後の章の第五章・この本の結論に集約されていた。
ーそれを更に私流に要約すると、
お金の語源から、その意味するところは「測定」「警告」「狂気」「生け贄」「循環」というキーワードである。
「測定」は、対象の価値を測定するもの「警告」は、お金からの警告である。
儲からなくなってきたのは、お金から事業に対する警告である。
「狂気」は、成功している人は必ず狂気を含んでいる。パラノイア(偏執狂)とか、変人である。
それが無くなったとき、平凡な経営者に落ち込んでいる。「生け贄」は、何かことを成すときは、犠牲が必要である。
それは私生活であったり、普通の人の生活の犠牲であったり。「循環」は、お金は循環してこそ本領が発揮できる。
お金の概念として一番重要な意味といってよい。箪笥預金は、お金として一番意味も無いし、本領を発揮しない。
我われが情報を買っているのは、金で時間を買っていると同じことである。
 ーさらにポイントをあげるとー
  字数の関係でカット(2009年12月16日)
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2004年12月16日(木)
1353, おれおれ詐欺ー2
  お笑い学芸会ー可愛い演技 「おれおれ詐欺振り込め詐欺
4〜5日前に自宅に「面白い電話=俺俺詐欺」と思われる電話があった。「土地を買いたいという人がいるが、業者ではないが
売る気があるのか」とか。これ、土地の売買のプロからいうと、とんでもないことである。素人の騙しか、玄人の人をバカにした内容。
それも、旦那がいない時間に自宅に電話をするのは、詐欺以前の軽蔑の電話である。
字数の関係でカット(2010年12月16日)
・・・・・・・
2003年12月16日(火)
986, おれおれ詐欺
字数の関係でカット(2007年12月16日)
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2002年12月16日(月)
612,ある時間の断片-26
10月27日1968年  土曜日
 夕方6時に、欧州旅行の????会が集合。池袋の「嵯峨」に集合。川崎と隣で話す。彼は私のことをよく解かってくれる。 
欧州旅行中に私のことを一番理解してくれた。でもいい加減な自分を感じてもいるようだ。今後とも彼のような男と
巡り会えないだろう。20時に高木が来る。これで我々の仲間の6人中5人が集合した。「パブ・エリート」へ飲みに行く。
最後の一人の酒匂も来る。全員集まった。個人主義の塊のような男が5人目の前にいる。それだけ見ているだけで楽しい。
その後、目黒の高木の行きつけのバーに0時半まで飲む。本当にこの会をやってよかった。
その後食事をして2時頃に寮に深井と酒向がくる。 30分で酒向は帰る。私は隣の留守の佐々木さんの部屋で寝る。 
このところ毎日刺激が強い酒だ。
 10月28日1968年(日曜日)
 10時起床。深井とオリンピックの閉会式を見る。 13時に新橋の深井の家に行く。15時まで彼の家で過ごす。
その後に深井の車で久々に江ノ島に行く。第三京浜も久々だ。夕日の富士が絶景だ。こんな夕景の富士は初めてだ。
合気道の合宿で富士吉田のそれよりもよいように見えた。右に真っ赤な夕日、左に江ノ島。秋の夕べの海岸はよい。
一生の思い出か。 帰って、夜半の3時まで卒論の勉強をする。
・・・・・・・・
2001年12月16日(日)
271,今年の驚愕?
毎年驚愕することが多い! 
 ー驚きーでは言葉が足りないので「驚愕」にした
   ー今年は以下五つー
1、アメリカのテロ  あえて書いても仕方がない!
2、ホームページ作りからみたパソコンとインターネットの世界!
3、イチローアメリカでの活躍!
4、不況感!
5、ソニーの36インチのハイビジョンTV  1年見続けての実感として凄い!
ー実感としてこの五つは、今までの常識を超えていた。
 やはり21世紀の景色である。旅行には例年感じる驚愕は少なかった。
・それでは去年は如何であったか?「シルクロード」「シリア・ヨルダン・
 レバノンの旅」!「オーロラ!」どちらが凄い?と聞かれてばもちろん、迷わず去年?
・ 一昨年はもちろん驚愕!「ヌ〜の河渡り!」そして「イスラエル」と「ネパール!」・・!
・3年前は「スペインのパンプローナ牛追い祭り」と「インド」と「イスラエル」 ショック!
・4年前、「ギアナ高地」と「タンザニア」・・・・! と比べることが、おかしいといえばおかしいが。
 何だ旅行の自慢か!いや、違う!「うん〜」「そう〜か!ちゃんとバランスがとれているのか?」
それにしても21世紀とはこういうことだったのか!  
 ・・・・・・
 ある時間の断片 
 12月16日ー月曜日1968年
10時起床。
卒論のテーマの変更のため登校する。武沢教授に会うことができた。10分位で用件が終わる。食事をして帰寮するが、
急に眠くなる。今日は、姉の優子さんのところ行く予定であったが17時過ぎまで寝込んでしまう。駒村君の部屋に行き、
彼と食事に出る。食堂のTVでゴーゴーをやっている。見ていたら、二人で顔を合わせて行こうという話になる。
着替えて、そのまま新宿へ行く。23時近くまで2時間も踊る。その後、スタンドバーに入り飲む。
もう寮では私のあとの見えない勢力争いがおき始めているいう。 初めて解ったことだ。彼とブーちゃんと尾形君だという。
40分近くも歩いて帰ってくる。南波嬢の件を言いだす。私がイビッテイルという。別にそうしている訳ではないが、
そうなら気をつけないと。最近は石川や深井や米林につぎ彼女のことを、イビッテしまったのか。この前の軽井沢で
生意気そうだったので、少し意識をして無視をしただけだ。まだ以前に軽井沢の「愛の散歩道」を二時間おデート散歩した
気持ちの余韻が残っていることか。 可愛いが、あまり身近すぎて面倒だ。必死に突っ張っている自分がそのまま露呈したようだ。

つれづれに

イメージ 1

今日のYOUTUBE
http://www.youtube.com/watch?v=DWsN63PRCW8


 今日、衆院選だが、既に勝負はついたようだ。
これで民主党は、壊滅状態。 鳩山は引退、小沢は一派を引きつれ抜け駆けをして
未来の党とかいうのをつくったが、惨敗間違いない。 元社会党系の管前首相も落選の危機。
自民党の圧勝は間違いないみたいである。これに公明と、維新の党で後ろを固めて新憲法
つくればよい。 それと同時に、弱者救済のスタンスが、弱肉強食に一変するはずだから、
地方と中小・零細企業は大ごとになる。 自民党圧勝で良いではないか、この際。



 ー 明日の随想日記の下書き ー
閑話小題 ー選挙結果の政治談議
    * 選挙結果が出た
 選挙結果が粗方の予想通りになった。小選挙区制度では、こんなものだろう。
これで日本も右傾化の体制で、この難局に立ち向かうことになる。
北朝鮮のミサイル発射も日本の右傾化を進める結果となったが、中国の狙いが日本の右傾化を
進めて、逆に挑発する狙いがある仮説を立てておくべきである。それだけ、甘く見られているのか。
 しかし、これでガッラと空気が変わるはず。自民党は、民主党の弱者救済のスタンスから、
弱肉強食へ大きく舵をきるはず。グローバル化の中では仕方がないと割り切るしかないのか。
ここで来年三月の金融円滑法の打ち切りが問題になってきている。
自民党が果たして、打ち切りが出来るだろうか? 
地元の高校の同級生が3人立て続けて、倒産、不祥事、自殺が発生した。
これも、「地方は既に恐慌が始まっている」という私の説の現象化でもある。
ある意味、ここで政策の大転換が必要な時節もあり、小選挙区制も悪くはないとするか。
 ー 後は今夜の選挙結果を見て、明朝、書くが、
  1929年の恐慌以来、第二次大戦に突進んだ、80年前に、様相が酷似してきた。
・・・・・・・・
1352, 23歳の日記ー6
2004年12月15日(水)
6月17日 (2)

今日は休日である。何かしらない安堵感と、寮で一人いる不安感が複雑な気持である。
何か日ごとに、会社に染まりつつある。それ自体悪いことでないが。
流されている自分が不安である。自分が目指してきたものが、少女の淡い結婚を夢見ている
姿とどこが違うというのだろう。その甘さが、今の気持を不安にしているのだ。
それが行動にチグハグが出ているのだ。流されているという感じも、そのためだろう。
自分の信念に対して、決してたじろいではならないのだ。歩むことしか、今は許されないのだ。
休むことも必要だ。といって、休みすぎて、歩くことに躊躇を感じるようになってはだめだ。
登っていることはそれでよいが、しかし断念はしてはならない。
頂上の着くことより、そこへ着こうとしている努力こそ求められなくては
ならないのだ。しかし、登山には登山の準備が必要である。
一つずつ山を登り続けなくてはならないのだ。現在目指す山は『商道で力をつけることだ』
流通業で、自分の創造力をつけることだ。
しかし、僅か3ヶ月もしないうちに、不安と疑問を持ち始めているのだ。
このこと自体ナンセンスなのではないか?という疑問である。
5月病でしかないのか。自らが燃えないで、どうして光をつくることが
できようか。そのエネルギーがこの程度ということか?どうしたのだろうか?

 ---
7月16日  1969年
    22時30分
10日位前に四日市から、神戸の垂水店に来ている。
四日市検収をしている商品管理部から、室内装飾の売り場に移動後、やっと慣れたら、
2日後に急遽転勤の辞令である。実際のところ頭が真っ白である。前知識なしに何人かが
合併の先頭として、交流の為に神戸や大阪や姫路などに転勤である。
まだ日にち4ヶ月も経ってないが、刺激的な日々である。
昨夜は当直、その為か今日の午前中は肉体的極限状態であった。
聞きしに勝る酷い環境で、何か数百年前の江戸時代のような世界である。
日用雑貨の一部を受け持つが、30歳近い「主のような女性」が難物である。
店の女性を仕切っている大ボスである。まず彼女を自分の監督下におかないと。
乗りこえなくてはならない女の壁だ。四日市本店は丁度よい時期に転勤かもしれない。
ボロが出る直前だったからだ。そのためか、良い思い出だけが残った。
特に寝具売り場の大西さん、黒田さん、伊藤さん、名前は忘れたがエッチャン、伊藤さん、
それに梅村さんだ。それも、四日市のよい思い出になった。特に最後の夜の思い出は
忘れることができない。ところで今日、アポロ11号の打ち上げがTVで放送されていた。
歴史に残る、素晴らしい光栄に満ちた出来事である。
あと半月後に社員登用試験が控えている。それには絶対受からなくてはならない。
それにしても、凄いところにきたものだ。寮が、四日市で同室であった堀田君が
一緒というのが救いである。丁度良い相手が同室になって良かったが、寮生と店の人たちは、
まだまだ、心を開いてはくれないが、彼らも様子見というところだろう。

・・・・・・・・
2003年12月15日(月)
985, アパについて
 先日の夜のワイドショーにアパホテルの女社長がTVで出ていた。
アパ・マンションの社長婦人で、ホテルを任されている人だ。
ホテルにしても、会社の奥さんがTVのワイドショーに出てきた時は大体が末期の時である。
落ちとして、最後には「わが社のマンションを買ってくれ」とのコマーシャルで終わった。
 このマンションを請け負った大手ゼネコンの営業部長が「あそこのマンションだけは
買わないほうがよい。10年もしないうちにボロボロになるのは必定の設備である」と言うのだから、
これだけ確かなことはない。
 いつ消滅するかどうか分らないマンション分譲メーカーの長期物件を買う人の無知に大問題がある。
無恥を曝け出してTV出演をしてサクセスストーリーを得々と話している姿をみると、こちらまで
恥ずかしくなってくる。そもそもマンションを買うのは、やめておいた方がよい。
理由は20年~30年経ったマンションをみればよい。ほぼゴミ屑同然である。
それすら分らない相手を騙すのだから凄い。
 アパ・マンションに対しては、
・光の部分をみると、「三こう」がコンセプトに入っている
 -高(高感覚ー若い人の感覚に合っている)
 ー広(広い面積)
 ー好(値段が見た目から安く好感が持てる)
 これは、今までなかったマンションで若者に支持を受けている。
・影の部分は
 10年、20年経ったときのことはほとんど考えてない?
 ー目に見えない部分の設備などは徹底的のコストカットしてある。
 水漏れなど、時間が経つとトラブルが続出する。
 精神衛生上、マンションは問題になることが多い。
 確かに、メンテや防犯的には合理的に見えるが、
日本におけるマンションの歴史が浅いのが致命的な欠陥である。

・・・・・・・・・
2002年12月15日(日)
611,ある時間の断片-25
 1968年 10月25日 金曜日
8時前に起床。学校へ向かう。人事管理で討論をやる。
我々のグループでは予習をいいかげんの割には論議に筋が通っていた。
授業後、兼子と奥村と食事。その後、ゼミの同期の連中と食堂で話をする。
その後、欧州旅行仲間の川崎と酒向の下宿に行く。
大学の近くにある。寮住まいも大変だが、アパートの一人住まいも寂しそうだ。
それぞれあるのだろう。欧州旅行の仲間の会を日曜日に開くことにする。
そこで連絡の打ち合わせをする。
茶店のジョーイに行く。そこで川村の鈍行というグループが集まっている。
石川と田島もいる。田島と例の件で議論をする。田島は個性豊かな人間だ。
私の顔がユニークだという。貶しているのか、褒めているのか。
お前に言われたくないとも言えなし。13時から武澤ゼミに参加。
指定の本をあまり読まなかったせいか、軽井沢ボケのせいかまるでついて
いけない状態だった。つくづくいやになる。
ゼミ終了後、高木と石川とゼミの3年の二人と飲みに行く。
2軒回った後に、所属している合気道会の主催の「素晴らしき飛行機野郎」を
タッカーホールに見に行く。21時半に寮に帰ってくる。
新聞を読んでいると、後輩の米林君がくる。寮の佐藤嬢とのノロケを聞かされる。
別れようが別れまいがどうでもよいだろう。23時に就寝。
ー反省ーゼミでの論理の曖昧さを実感した。もっと本を集中して読まないと。批判にしても
プラスマイナスを明確に把握しないと。その為には、本を4~5回は読まないと。
       10月26日 土曜日
朝10時起床。
午後は卒論や音楽を聞いて過ごす。
22時から、先輩の河路さんのオーストリアへ留学の送別会だ。彼らの仲間のOBが主体でやる。
全く彼等とは上手くいかない。私の吊るし上げに近い状態だった。もう少し寮の先輩を
大事にしろと言っているようだ。彼等の目で見たらそうかもしれないが、如何しろというのだ。
自分の世界に一人割り切りすぎるというのか。
まとまりのある寮にしろというのは自分が外に行き過ぎていることか。
2次会の終了後、市川さんと飲みに行く。自棄酒で夜半の2時に帰ってくる。
市川さんが気の毒と思ってくれたのか奢ってもらった。ぼろぼろだ。

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2001年12月15日(土)
270,本屋と図書館
“私は書物を人にはすすめない。その人にとって本は買うまでが勝負である。
本屋でこの本を自分が買うと決めるその一瞬こそ最も大事なのだ。”
(第一生命・桜井社長・“NHKトップインタヴュー”より)
本屋に行くと何ともいえない緊張感がある。そのせいかもしれない。
自分でリサーチをして、そして決断か、情報万引きー立ち読みか、本当の万引きか、
その雰囲気を楽しむかいろいろあるからだ。
週に二回か、三回行く。その時の時勢が反映しているのが面白い。
最近はネットの「紀伊国屋」や「アマゾン・コム」で、半分以上買うようになった。
桜井氏の考えにも一理あるが、私など是非そのような人物が近くにいたら、
教えてもらいたいと思う。といってやはり自分で苦労して捜してこそ意味があるのも当然の事だ。
本屋とか図書館に神か妖怪がいて、自分が真に求めている所に導いてくれるという。
誰もがその不思議な出会いを経験しているはずだ。
立花隆の「僕はこんな本を読んできたⅠ・Ⅱ」が今の私のガイドブックになっている。
トイレに置いてある。一度座るたび、ダイジェストで一冊の要約を知る事ができる。
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ある時間の断片
12月15日 ー日曜日  1968年
 朝10時に起床。
午後も何となく過ごす。夕方食事に行き、その後独りで本を読む。
その後卒論をまとめてたりして過ごす。
 今朝ゼミの植本君から一昨日の礼状がきていた。その番のうちに礼状を書いて
翌朝速達でよこすとは凄い。それだけ感激したようだ。
しかしこの気持ちが一番大事なことである。
 先日のゼミの私が創作をした内容は実家の商家をモデルにした。
そこでの人間関係を現在の寮の自分の立場に置き換えて話した。
しかし、あまり練ってなかったので、その場でパフォーマンス的につくり
変えたので矛盾点が出たのだ。どうしても表面的な受け答えに なってしまった。
必死に突っ張っている自分がそのまま露呈したようだ。