つれづれに

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 今日から甲子園高校野球ですか。
今年は、何やら面白くなりそうな…

 






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4150, 5年前に、現在の状況を予測できたか?
2012年08月06日(月)

 今から5年前といえば、2007年8月である。それから13ヶ月と10日後にリーマンショックが生じた。
当時は以前に経営していた会社のリストラ効果で、何とか目途が立ったところで、アメリカの住宅ローン
の債権証券が危険水域にあると新聞が書き始めていた。そして2008年9月15日にリーマンショック
現実に起きてしまった。それから売上は激減、二年半後に倒産に至った。あの時と現在の状況を比較すると、
東北大震災もあり現在の方が格段に悪い。
 今後5年後を考えると、早ければ年内に、遅くとも数年内にリーマンショックなど比べようもない激震が
世界中に駆け巡る。それからして、かなり厳しい想定を現実としてしなければならない。私自身も年齢から
みて、これまでの不摂生を考えると、今さらなので腹を据えているが。実際のところ5年後、どうだろう?
この5年の激変より遥かにマイナスの状況と見るのが自然。今から5年後に、「現在の状況を予測できたか」
という問いに対して、やはり想定外であるという答えが帰ってくるだろう。目に前に迫っている経済大津波
分かっているが、実際に起きてみないと実感できないのが人間。想定外のことは考えられないが、万一の備え
を作っておくことは可能である。家族経営をしているところは、①身内を外に出すか、それとも自分が出るか。
②身内の債務保証を無くすこと。③売上が半減した時の想定をしておくこと。④運転資金がマイナスに転じた
時の対処の想定。(見切り千両のタイミングの想定)⑤予備資金の準備、などが考えられる。
私の場合、7年がかりで予備資金を準備をして、万一、これを一時的にも流用した時が見切り時とし、
そして実際に実行した。ところで5年前に、現在の状況は想定外だったのだろうか? その頃、危機管理
セミナーに立て続けて参加していた。予測通りの部分と、まだ予測に至ってない部分があるが潮流は大方、
予測通り。しきりに金の購入を勧めていたが、当時より金価格は2~3倍になっている。恐らくハイパー
インフレが5年内で吹き荒れるが、その状況が予測不能ということか。中国が一度、国内外で動乱が起こる
可能性があるが、いずれにしても立ち直りは早いはず。ユーロ圏、アメリカ、ロシア、中国、日本と、
いずれも激変するはず。 大変とみるか、面白いとみるかだが、前者だろう。 
まず経営者は5年後の仮説をたてないと!
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3785, 世界でひとつだけの幸せ ー②
2011年08月06日(土)
 * 「世界でひとつだけの幸せ」 マーティン・セリグマン著
   ー この本の概要からー
【 「楽観的で前向きな人は、幸せで、長生きで、成功する!!」 と、
  楽観主義を身につける方法が具体的に紹介されている。
   ● 心から幸せを感じるにはどうすべきか
 ・ パート1では、過去、現在、未来において、どのようにすればよいか
  (*過去は感謝、容認、忘却、 *未来は希望と楽観、 *現在は快楽と充足感、との違いを理解し、
   充足感を満たす生き方をする)。
 ・ パート2では、6つの美徳を紹介、それを基に24種類の強みを示し、どのような強みを持って
   いるかを知り生かすことを提言。
 ・ パート3では、人生の大きな3つの局面である仕事、愛情、子育ての状況において同じ強みを
   発揮するかという実践的な内容。
* 楽観主義の「永続性」については、「悪いことは一時的、良いことは永続的と考える」ことや、
     「普遍性」については、「悪いことは一部の面に限られていて、よいことは普遍的だと考える」
* 今回の震災に直面しては、「これは一時的なことだから、もうすぐ解決する」とある。
*「学習性無力感」についてや、「まったく同じショックを受けても、それを制御できる、つまり自分が
  行動すればショックをくい止められるような場合には、動物も人間も活動的になり、情動が落ち着き、
  健康になるという結果が得られた。」
*「行動することに効果があり、結果を制御できると知ることが重要なのである」という「随伴性」に
  ついてがわかりやすい。
*「ただ苦悩を和らげるだけでは、苦しみ、自暴自棄になっている人を、本当の意味で救うことはできない。
  人はどん底にあっても、美徳や誠実さ、さらには生きる目的や価値を必死になって求めている。
 本当に必要なのは、『苦しみを理解して和らげることではなく、幸せを理解し築き上げることである』」
* 人間の心はいつでも変えられる。今までの説をくつがえし、人々の願いをかなえるもの、それが著者
  の提唱する「ポジティブ心理学」」
 1.お金持ちは幸せか? = 著者は「アメリカ、日本、フランスなど先進国はこの50年で購買力が
  倍以上になったが全般的な生活に対する満足感は少しも変化していない」と。必要な生活できる収入
  と購買力が得られた後は富が増えても幸福は増えない。幸福感を決めるのは、お金をどのくらい大切
  なものと考えるか、という価値観であると。
 2.強みを生かせば幸せになれる  = 「弱みを克服することに人生を費やすのは間違い。
  むしろ、人生最大の成功と真の満足感は強みを伸ばした時に現れる」と。
 3.過去が未来の幸福を決めるのか?  =「そんなもので決まるわけ無い!」と! これまでの心理学
  (ex.フロイト派)のマジョリティーは「過去が決める」だった。実際の調査結果の一例として、
  11歳になる前に母親と死別した子どもは、鬱病になる確率が若干高いが、女児に限るとそのリスクは
  ごく稀。むしろ「幼児期の経験が現在の不幸の原因だと思いこんだり、そのために未来に対して
  臆病になったりすれば人生をむだにすることになる。」という。 】
 ▼「ネガティブ志向の人が、自らの短所や悩みを解消するのではなく、それぞれに備わっている「強み」
  を さらに伸ばすことで今よりもっと幸せになる」は、この本の要諦。「得手に帆を上げ」前に進む
  生き方を勧めている。
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3420, その後の、我が家のインコ
2010年08月06日(金)
 去年の秋口にコガネインコが、我が家に来てから10ヶ月、ペットショップの店内で従業員や客に可愛
がられ人に懐いていたインコ。あまりに人懐こいので数回、店で頭を撫ぜていた。ところが三ヶ月も
経っても、いつもの籠で人から頭を撫ぜてもらっている。何か愛おしくなったが、値段が6万8千円もするし、
家内が生きものが大嫌い。もしか買った大騒動が起こる。しかし衝動的に、そのインコが買いたくなって、
「このインコ、1万円を引いてくれたら買うけど、どうですか」と女店員に言うと、大人しそうな女店員が、
「このインコは、従業員みんなで大事に育てた素直なインコ。値引きなど、とんでもない」と、怒りだした。
「じゃあ、責任者にお客が三ヶ月も売れないインコは、それだけで商品価値が下がっている。6万円なら、
買うといっていると、聞いてきて」というと、しばらくして、戻ってきて「店長がオッケーをだしました」
という。 という訳で商談成立。それはよいが、家内の怒りを考えると、冷や汗が出てきた。そして家に
帰ってから、一ヶ月間は毎日のように罵声を浴びせられた。それに耐え切れずに新潟のホテルの長期滞在の
棟に、お客様のペットして持って行くことにした。 しかし、持っていこうと、車に乗せる直前を図って、
「暫くの間、置いておいてよい」との、許可を得た。本人もしたたかだ。居間のベランダに鳥篭を置いて
いたため、部屋そのものにも寄り付かなかった。 それが今では毎日数回は籠の前にある椅子に座って
インコの相手になっている。とにかく人恋しく、相手にして欲しいと鳴き叫ぶのである。あらゆる鳴き声で、
自分の気持ちを伝えようというのが分かるから、生きもの大嫌いな家内も、情にほだされたのである。 
女店員がいうに「気が優しく、籠の蓋を開けておいても外に出ようとしない。しかし人好きで、頭を撫ぜて
もらうのが大好きでペットしては最高です」と、いったとおりである。人間も鳥も当たり外れがある?。
小桜インコを5代続けて飼ってきたが、子供2人が高校を卒業してからは、飼ってなかった。小桜インコと
比べると、鳥というより、犬という感である。 とにかく人好きで、あらゆる鳴き声で気持ちを伝えてくる。
個々の足音や車音で誰かの判別が可能。また犬が尻尾を振ったり股に入れたりで、喜びや恐怖を表現するが、
このインコ、羽ばたきで表現する。鳥の形をした愛犬という風。要は自分を相手にして欲しいと全身をつかう。
今でも居間の私の定位置のガラス戸一枚先のベランダで時々、鳴声で呼びかけてくる。家から遠ざかるときは
「行かないで」という鳴声、帰ってきたときは嬉しそうな鳴声。これは、むしろ犬。小桜の10倍の値段のわけだ。
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3045,会津八一の 学規
2009年08月06日(木)
  会津八一は「学規」を作成し、 自ら及び教え子達の範とした。   
 ふかくこの生を愛すへし かへりみて己を知るへし  学芸を以て性を養うへし  
 日々新面目あるへし
  ー 十四ヶ条 ー
1 感情を以ってうたふこと。
2 真に内心から湧き上がる感情無きときは、漫然として歌を作らんと思わざるべきこと。
3 世才・文才・常識、そんなものでは、自分も感動してをるにあらず。
  それを以て他人を動かし得ざること当然なり。
4 感情を単純化してうたふべし。
5 表現も単純にして直裁なるを尚ぶ。徒に曲折せるは、真情の流露をさまたぐ。
6 詞句の曲折は初学の能くなし得るところにあらざるも、老熟してこれを自在になし得るとも真情の
  枯渇し居らば、かへりて厭うべきなり。
7 用語は常人の耳に遠からざるものをよしとす。ろくろく学問を精しからぬ者が専門家振りて、
  古語歌謡といふようなるものを襲用するは、最も厭うべきことなり。 古語を用ふるは、やむを
  得ざる時にのみ限りて許さるべし。
8 散文にていふに如かざることを歌として歌ふは、根本的に心得ちがいなり。
9 和歌は我国のみにあれども、詩歌は如何なる民族にもあり。和歌はその一種なりと知るべし。
  我国の歌人なかまにあらざれば解しがたき如きことを、詩歌の本道とも本質とも認めがたし。
  外国語に翻訳しても、その国の人々によりてたやすく解せらるるやうにてありたし。
10 従って、その辺の歌集をのみひもどき居りて、それで勉強したりとおもふは不心得なり。
  ひろく世界古今の詩歌を味ひみるべし。
11 いやしくも歌を作るは容易にあらず。うかうかと濫作して、よき歌の出来んことを希ふは無理なり。
  一方心境を練り詩歌を弘むるとともに、真に感興の内に催すをまちて、精細を傾けて歌ひ出すべし。
12 要するに作歌は、天才と人力とをまちて、しかも精進して初めて為し得るのみ、漫然たる態度にて
  たづさはるべきにあらず。
14 書外は工夫をつみて悟得せらるべし。
  ~~
 八一は新潟の人で名前は以前より知っていたが、これだけ含蓄のある学規があったことを知らなかった。
(字数の関係でカット11年08月11日)
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2680, 漠たる不安
 2008年08月06日(水)
アメリカのサブプライム問題や、中国の動乱の予感や、イラン・イラク問題など世界は漠たる
不安に覆われている。それに対して二つの取り得る態度がある。
・それから目をそらさずに色いろ対策を練って対処をするか、
・将来に対してあまり深く考えずに、ただ目の前のことだけに対処をして将来に対しては
 自己逃避をするかだ。
(字数の関係でカット09年08月11日)
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2007年08月06日(月)
 2316, 日本の原発依存度って、どうなっている?
      ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning
今回の地震による柏崎刈羽原発の火災などで、殆ど意識してなかった原発に対する依存度に関心が向いた。
そこでインターネットで早速しらべてみた。それによると・・世界の電力の16%は原子力で、日本国内の原子力
依存度は、約3分1強の37パー。世界全体として原子力の依存度が高まる傾向にある。現在の日本では石油危機
当時と比べ、エネルギー消費に占める石油依存度が大幅に低下。日本と同様に石油資源を持たないスウェーデン
では、70年の77%から95年の43%へと着実に石油依存度を削減 、スウェーデンのエネルギーシステムの中で
原子力発電は重要な位置を占めている。石油危機当時の73年度には77.4%だったエネルギー消費に占める
石油依存度は、2001年度に50%になった。(エネルギー消費と発電の石油依存度は違う)現在の日本には、53基
原発あり、発電量で37%を占め、これを50?まで戦略上持っていきたいというが政府の意向。電力10社では
原発31%、石炭火力26%、LNG・LPG火力24%と構成が異なるものの、いずれも原発依存度は30%台と高い。
日本の原子力発電所は17カ所、53基が稼動中。その数は米国、フランスについで3番目。国内総発電量の37%
の日本に対し、アメリカは20?でしかない。ここまで原発への依存度が高くなると撤去するわけにもいかない。
地球温暖化対策として化石燃料を増やせない現在、日本では原発でカバーせざるを得ないのが実情。刈羽原発
を筆頭として、日本列島はどこでも地震が起こり得る。今度の地震も新たな活断層が動いたというが、日本で
活断層を避けるのは難しい。今回のように地震が起こって初めて分かるのが現状である。資源の乏しい日本
では、エネルギーを確保、維持していくことは国の盛衰に関わる。といって数年来の原発事故や安全性隠しで
原発に対する不信感は非常に強い。敦賀周辺や東海周辺の原発の地下には活断層がある可能性があり、
一つ間違えば、大都市が近くに多くあるため、数十万、数百万単位で死者が出る可能性がある。
この問題は日本にとって今後ますます大きく問われることになる。 byebye ・ω・o)ノ゛
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2006年08月06日(日)
1951, ローマから日本が見えるー20  \(^▽^*)おはよう    ー読書日記ー
第八章 「パクス・ロマーナ」への道 -3
 ーローマ軍団のリストラ
皇帝アウグストゥスは税制を整理・再構成をすることによって、以後のローマ帝国の財政面の基盤を確立。
  (字数の関係でカット10年08月06日)
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2005年08月06日(土)
 1586, 日本経済恐ろしい未来      
「日本経済 恐ろしい未来」ー 読書日記
この本を図書館から、何回か借りてきた。そして読み返しながら、日本経済の行方の参考にしている。
(字数の関係上、あとの文章は「引き出し」の読書日記のコーナーに貼り付けてある)2008年08月06日
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2004年08月06日(金)
 1221, 運について-2
  何回か「運について」(後にコピーしてある)を書いてきたが、再び書いてみる。運にも二種類ある。
 受身の運と、積極的に自分からつかみとる運である。
・受身の運は、「結果として何時も運がついている運」 性格とか、親の愛情が本人に染み付いているとか、
 宗教的な環境の中で育っていて良い結果をもたらす運である。ー性格の明るく良い人。良家の子女(躾が
 ゆきとどいている人)。
・積極的な運は、「何事にもポイントがある、それを見逃さないよう努力をする。意志こそ運の原動力、
 原因」という運である。
 ここで取りあげる運は、両者を重ねもつ運である。両方が揃って初めて開ける運である。
私の周辺の女性に、美人で、性格が明るくて、一生懸命に生きているが、そのわりには状況が不幸せの人が
何人もいる。やっと幸せを手に入れたと思ったら、すぐに不幸のどん底に落ちてしまう。よく見ていると、
両親が不仲だったり等、色いろの理由がハッキリみえる。「ある程度耐える」という家系からくる知識・
体質を持ってない。「ありがとう」を繰り返し言いつづけることは、耐えることの呪文である。
運が上向く以前に、耐えることが出来ない習慣を変える作用がある。いま一つ、言葉の重要性を知らない。
「自分は、ついている(運がある)」と、毎日こころの底から思っていれば、そして、「ついている」と
現に言葉に出していれば、ツキが回ってくるに。「俺はついてない」「どうしようもない」「世の中が悪い」
「あいつのせいで、こうなった。あの畜生め」と、あけてもさめても唱えていれば、不運しかこないのは当然。
もし幸運がきても、それが見えなくなってしまっている。世の中の八割そうだから、それで良いのかもしれ
ないが。チョッとしたことなのに、せっかくの人生、あまりにも勿体ない。運は因縁と似ている。
因は直接の原因、縁は間接原因をいう。これが重なって結果がきまってくる。多くの因縁の中で、良いものを
選択するのも本人である。やはり良い本、良い人、良い芸術、大自然にシャワーのように浴びるしかないのか。
ーーーー
265, 運について -1
2001年12月10日(月)
(字数の関係でカット09年08月06日)
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2003年08月06日(水)
854, 閑話休題
 全くテーマが浮かばず如何してよいか解らない日がある。まあほとんど毎日だが。そこが面白い面もあるが。
それでも強引に書いた文章ほど後で読むとよいから不思議なものだ。そうこう考えていたら、あるHPに
閑話休題」というテーマがあった。これから無理にテーマを決めないで、時々「閑話休題」で書くことに。
書いた後でテーマを書き換えればよいし、そのまま閑話休題としてもよい。野口悠起雄の「超文章法」の中で、
テーマの探し方に「窓から飛び降りそうなくらい大変なものである、考え尽くしてひねり出すしかない」と
書いてあったが、それを読んで学者でもそうかとほっとした。それと「文章上達は量をこなして、
校正と推敲を重ねるしかない」と本音で書いていた。結局は努力努力努力しかない。 
  (字数の関係でカット12年08月06日)
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2002年08月06日(火)
479, 楽観と意志
 「楽観は意志、悲観は感情」この言葉と出会って、「楽観の意味」が始めて理解できたようなきがした。
そういえば若い時ー理想に燃えていた時、その背後には悲観という不安が大きな口を開けて足元にあった。
若い時期の楽観はあくまでも虚構のような夢の世界であった。その正体が意志であった事がこの言葉を知る
まで解ってなかった。それだけ強烈な言葉であった。悲観はただ流されている喜怒哀楽でしかない。そういう
悲観に占められていた時期の自分は、ただ感情的世界でしかなかった。鬱の自分はそう感情の世界にドップリ
つかっている意志喪失の自己の世界である。常に鬱の人は教養のない感情に支配されている人が多い。また
非行動的の人が多い。行動の、行は仏教語で判断という。動はあくまで動物の動きでしかない。行動は意志が
入った動きだ。行動的ということは楽観が勝っている状態と云える。私の周辺の80?の人は悲観的な感情に
支配されている人だ。また非行動的の人が多い。行動的かつ楽観的の人はその背後に強烈な意志が
隠されている。楽しかった過去を思い出し楽しみ、将来の楽しみの計画をたてている今。それに過去の
計画を実践している今。 それが楽観であり、意志である。
・・・・・・・・・・
2001年08月06日(月)
 [100] あら!たのし
難しいことをやさしく! やさしいことを深く! 深いことを愉快に!  (井上やすし)
井上やすしの本を読んでいて納得して、彼のように紙に書いて机の電気スタンドに張ってある。
彼の言葉じゃなくて誰かの言葉を彼なりに変えた言葉だが。 コツとか要領を旨くついている。
天才はそれぞれこの方法を子供の時より造りあげていた。考えている対象の文章化とか、ゲーム化とか
絵画化とかして。楽しみまで高めるのはそう簡単ではないが、でもやってやれないことはない。
「四S主義 = シンプリフィケーション  スタンダディゼーション スペシャリゼーション  
セグメンテーション 」というチェーン理論のベースになる教えも、これに近い。

閑話小題 ~美しいことは、どう、良いのか?

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   * 美の神話に支配される社会
 ある意味で、世界中で最もタブーが、「美の神話」。風貌は、先祖代々、
受継がれたがゆえに、本人の責任でないが、そうともいっていられない大問題。
 アメリカの大学教授ダニエル・S・ハマーメッシュ氏は、著書
『美貌格差-生まれつき不平等の経済学』において「美人はそうでもない人より
も生涯約3000万円得をする」と… シリアスな論がある。女性は二人でつるんで
行動することが多い。その二人の風貌は、同レベルが多い。まず友達からして、
選び選ばれている。 そこで、ネット検索をかけると、それはシビアな…
 ―
≪ Wolf(ibid.)によれば、現代社会においては美の神話が存在しているという。
◉ 美の神話とは、
「女は美しくなければならない」、
「男性から愛されるためには美しくなければならない」、
「職場で成功するためには美しくなければならない」という神話のことである。
「妻であれ」、「母であれ」、「女らしくあれ」という「女らしさの神話」が
女性解放運動の中で崩壊していくにつれ、美の神話は、雑誌と広告主(アパレル
業界や化粧品業界など)の生き残りのために生み出され、拡大膨張し、現代女性
を支配する新たなイデオロギーとなっている。 そして、女性解放を目指した
フェミニズムの遺産を挫折に追い込んでいるというのだ。
◉ 美の神話の下では、女性たちは「恋人の目に自分がどう映るかなどは無視し、
『美の神』の目にどう映るかを必死に探らなくてはならない」(ibid., 296)
という。美の神話に生きる女性たちは、美しくないのに男性に愛されるという
ことを信じることができず、男性ではなく「美しさ」こそが至上の価値だと
思っているという。
このような美の神話は、男性のためだけではなく自分のために美しくなろうと
する女子力と共通するものがあるように思われるが、どうだろうか。雑誌分析
において検討したい。
◉ また、女性同士の関係においては、美の神話は女性たちを世代ごとに分断
するだけではなく、容姿を通して女同士の警戒心を助長するという。 女性は
「美」をめぐって「他の女性」と敵対するのだ。女性は他の女性を見る時、
まずは外見を見て、自分よりも良いと「良すぎる」と憤慨し、自分よりも悪いと
無視する。女性たちは美をめぐるライバルであるため、男性のように結束する
ことが出来ないのだという。そして、同じ性別同士で連帯できないことが男性
に比べて女性が社会変革の手段を持たないことにつながると指摘がされている。≫
 ―
▼ まだまだ続くので、あとは次回につづく。幼児の頃から、7人の兄姉のもと、
 特に4人の姉の重圧のもとで、全神経を使って我が身を守る知恵がついていた。
女の特殊な自己に対する目線が、知らずに理解できたのが、ある意味で、人生を
豊かにさせていたことに、老年期になって気づくことになった。三次産業に身を
置いていたこともあり、何処も女性の職場が多いが、直にNO1の女性に無意識に
近づいていくコツがあった。人畜無害で、自然体で警戒されなかったことも?
そこには女社会の残酷な『美の神』の格差社会がある。若い時分は、一いち面倒
なため、NO1に、とにかく三度、自然に褒めてしまう。まず褒め殺しをボスから…
それで女社会は、円満に過ごすことが可能に。 付いている機能は同じなのに、
何なんでしょうか? 世の中の7不思議の最も不可解なところ!  ~つづく
 
・・・・・・
6354,読書日記 ~修羅場を愉しむ
2018年08月06日(月)
          <「好き嫌い」と才能 楠木建 編著>より
    * 修羅場は人を純化させる!
  ヤマトホールディングスの社長の木川眞の言葉~
『修羅場では人間はものすごく純化する!』が目に入った。20歳、30歳代は、
修羅場の連続。 有能の人からすれば、能力不足が招いた事態でしかないが、
私にとって、初めての経験。 ひたすら、真正面に無心で全身で立ち向かい、
知恵を出しながら「貫き抜けること」しか頭にない一種、無心の気違い状態。
 それは純化した心持であればこそ可能になる。20歳代後半、30、40、60歳代
の半ばに、修羅場がやってきた。 失敗は許されない。そこで自分を道具に
化して、無心の何かに憑りつかれた純心の魔物のような存在が感じ取れた。
それが後々、返り矢として問われるが、当然、覚悟の上。甘んじるしかない。
 挫折、崩壊の節目時の修羅場に到達した中の純粋性から知恵が湧出てくる。
節目に、チャンスを見出すのは、その内なる純粋性の知恵からであり、普段の
自分から昇華したエネルギーである。人生に大から少なかれ誰も経験すること。

 ロマン・ローランの『ベートーベンの生涯』にある手紙の一節、
『苦悩をとおり抜けて歓喜に!』の言葉を代表に様々な言葉がある。
他にも、
『純粋な心だけが美味しいスープを作る!』
『不死の心を持つ我々人間は、苦悩と歓喜の為だけに生まれる。その中で
 最も優れた者は、苦悩を突き抜けて、歓喜を勝ち得ると言える。』
『友よ拍手を! 喜劇は終わった。』
『墓の下にいても、あなた達の役に立てる。これほど嬉しいことがあるだろうか。』
『音楽とは精神と感覚の世界を結ぶ媒介のようなものである。』
『困難な何事かを克服するたびごとに、私はいつも幸福を感じます。』
これらの言葉の中に、彼の辿ってきた修羅場の激しさを感じ取ることが出来る。

交響曲第9番「合唱付き」ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。
ヴァイオリン・ ソナタ第5番「春」。ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の代表曲に、
その純化した魂を感じ取ることが出来る。特に難聴の病になった時の絶望感その
ままの、交響曲第5番「運命」が魂をうつ。『苦悩を付き抜けて歓喜に至る』、
そのままが伝わってくる。余命数ヵ月を直感したときに、誰もが陥る絶望感。
その後の『歓喜』はあるのだろうか? いや、乾いた『ピーッ、プツン!』か。

・・・・・・
4892,定年後の4年目のリアル -2
2014年08月06日(水)
            「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著)
 面白そうな要点の抜粋が、アマゾンのレビューに幾つかあった。
≪ ・「この先わたしたちはどうすればいいのだ、・・・というように具体的な
 方策を他人や本に求める根性がすでにだめである、・・・「自分のリアル」は
 自分にしかわからない」(6~7頁)。
・「わたしのこころは基本的に幼少年期からずっとおなじものである。
 中年になってもこころはひとつ。・・・わたしはこれを自分年齢だと考えるが、
 その中核は、多くの人にとっては少年期や思春期のときのこころのままでは
 ないのだろうか」(67頁)
・「社会的年齢と生理的年齢と自分年齢は絡み合い、相互に反発しあって
 一致することはあまりない。そのときは一も二もなく、自分年齢を優先すれば
 いいと思う。いいも悪いもない。そうするしかない。基本的には自分の
 「こころのリアル」に従って生きていくのが一番である」(70頁)。
・「どんな立場もなくなるということが、これほどまで自由だとは知らなかった」
                           (104頁)。
・「さみしいなあ、でもそれがどうした」と思うことである。
 これは「ありのままの自分でいいんだよ」ではない。これが自分の現況である、
 というだけのことである」(153頁)。
・「つまらないことだが、三日間絶食をしてみた。結果、食は生活の句読点
 であり、それが失われると一日はのっぺらぼうの時間になる。それが失われる
 と生活の楽しさの大半が失われる、ということに気づいた」(169頁)
・「わたしたちは自分なりのしかたで自分の生を生きるほかはない」(208頁)。
・「さて、ここでわたしは、「定年後、残りの人生をベストに過ごすには
 どうしたらいいのだろう?」という問いに対しては、たった一言でもって
 完璧無比に答えることができる。「あなたの好きなように生きてください」
 である。 ・・・「好きに生きよう」である。
「好きでなくても、今の生活しかないのなら、それで生きよう、である」(213頁)
・「私が死んでも、・・世界にとってはまったく大したことはない。
  この世はつねに生きている者たちのもの」(235頁)
 食って、寝て、本(新聞・週刊誌・小説を含む)読んで、勉強(歴史、思想史、
 数学、等々)して、AV観て、何か執筆でもし、たまには小料理屋で一杯やって、
 あるいは散歩や旅行にでも行って・・・そういう生活に私は入りたい。≫
▼ 私が一番、実感したことは、「どんな立場もなくなることが、これほどまで
 自由だとは知らなかった」である。確かに、少し寂しいし、肩書き無しの自分に
向合うと、今まで如何に、その土台の上で好い気になっていたかを、思い知る。
しかし、それも時間が解決してくれる。ただ、突きつけられるのは収入が激減
してしまう現実。仕事上を含め付合いなどの経費は殆ど無くなるが、可処分所得
も皆無になり、ヘソクリをしてない?自分に後悔する。この辺りが、一番の
「定年後のリアル」の問題。次が、「自由の不自由」の問題。 何もかも自分で
計画をたて、判断をしなくてはならない。が、更に厄介なのが、今までの仕事の
拘束に換わって家庭内の、差別が待っている。
 
・・・・・・
5257,二度の地球規模の大爆発 ~地球大進化46億年 ー④
2015年08月06日(木)
      ー「地球大進化 第3回 知られざる“生命の星”の秘密」ー
   * 爬虫類から哺乳類への主役交代
 地球環境により、その都度、新しい生命が生まれ出てきた。 そして、
環境の激変で、それらが絶滅。違う環境に適した生命が生まれ出てきた。
知的生命たる人間が、それ故に、自滅するのに百年はかからないというが、
何か時代の様相からみて、考えられないことがない。 ~その辺りから~
≪ 2億5千万年前、突然生命に襲いかかった地上最大の火山噴火、それが
 当時生きていた生物の実に95%を絶滅させるしまうことになった。
さらにその後訪れた巨大恐竜の全盛時代、私たちの祖先はその影に怯えながら
暮らすことを余儀なくされていきます。しかしこの暗黒の時代を乗り越えた時、
私たちの祖先は爬虫類から哺乳類へと一気に進化し、大きな飛躍を成し遂げる
ことになる。おなかの中で子供を育て哺乳で養うという哺乳類独特のLife style
の誕生。それは全ての生命を絶滅の危機に追いやるような地球の途轍もない
大変動とその後の恐竜の支配がなければ生まれなかったことが分かってきた。
地球生命史上、最も劇的といわれる哺乳類誕生のドラマとは・・・
 ○ 大量絶滅:地球が95%死んだとき
 私たち哺乳類を語る前に、まず2億5千年前に起きた史上最大の生物絶滅事件
の実態を探る旅からスタートする。実はこの事件こそ私たちの哺乳類の誕生の
ためになくてはならないものだと考えられているからです。それは恐竜が登場
するはるか昔の出来事でした。案内してくれたのは南アフリカ博物館、ミジャー
スミス博士です。20年に渡ってここカルー盆地で動植物化石を調査してきた。
乾燥した大地に絶滅が起こる直前の地層がむき出しになっていた。
ここに童子の陸上を闊歩していた動物の足跡が残っているという。
この動物の体長は3m、しかし恐竜ではありません。最初の恐竜が地上に現れる
のはこの足跡よりさらに2000万年も後のこと。足跡をつけたのは一体どんな
動物だったのか。実はこの時代に繁栄していたのは現在の哺乳類と非常によく
似た動物、ディクトドンと呼ばれる草食動物の化石(南アフリカ蔵)。
体長は50㎝、穴熊のように地面を掘った巣で暮らしたと考えられています。
またゴルゴノプスと呼ばれる肉食動物、体長3m。鋭いきばが特徴です。
この時代の百獣の王、いわばライオンのような存在だったと考えられている。
これらは皆、爬虫類のように卵によって繁殖したと考えられています。
しかし骨格や歯に私たちの哺乳類と共通の特徴が数多く見られるため、哺乳類型
爬虫類と呼ばれています。この仲間の中からやがて哺乳類へと進化的動物が現れる
ことになります。「哺乳類型爬虫類は一般にはあまり知られていない存在です。
しかし実に多様で当時の環境に非常にうまく適応していた動物であること知ると
皆さん驚くことでしょう。しかも私たち人類の祖先にあたる動物なのです。
彼らは恐竜が現れる数千万年も前に繁栄しました。いわば地球を初めて
支配していた動物たちだったのです。」≫
▼ 上記のプロセスを経て、哺乳類が、そして類人猿が地上に現れ、主役の
 座を占め、人間へと進化?してきた。乗越えることが出来ないような、
大きな壁が、逆に進化をもたらすのは「人生」と同じ。成長後、挫折と崩壊、
そして灰の中からの再生から、その都度、新たな自分が生まれ出てくる。

・・・・・・
5987,閑話小題 ~最後の講義・7 ー石黒浩:対談
2017年08月06日(日)
    ―所属する集団で意識が左右される―
 20歳代を振りかえ考えると、意識、価値観が、その時々に所属した集団で
大きく変わっていった。その中で、自分の志(天に輝く星)を目安にして判断
していったが、若さが故のエネルギーがあってこそ。大きな判断ミスは比較的
少なかった? それぞれの節目時での自問自答を、少ない経験と知識の範囲で、
するしかなかった。 何事にも自由に触媒し、実戦出来ることが、若さの特権
であった。20歳で「創業」を志して、21歳で「欧州+東南アジア・ツアー」に
参加をし、アッパーの人種を知り、22歳で「武澤ゼミ」に参加。そして、
ジャスコの合併」に立ち合い、その後、産能大編入。その後、金沢に
一年半、修行の身を経験。 26歳で千葉市郊外の新興住宅地・千城台で、
「千城ビル」の一年の準備。27歳で最大の協力者の父親の死に立ち合う。
その半年後に結婚と同時に、ビル内で飲食ビルを立上げ、焼きたての、
パン屋のFC店をオープン。数ヶ月後に実家で「御家騒動」が生じて、急遽、
二つの店は知人の紹介で経営委託をして、Uターン。振返ると、濃厚な10年間
だった。尤も、30歳代は、さらに濃度が増していったが。「所属する集団で
意識が左右される」というが、その中で、それに流されない強力な意志が必要
となる。それは「発狂」状態。狂う時には、狂わないと、出来ないことがある。
学者の生き方と自ずから違って当然。他人のことなど、所詮は理解しようが
ないし、出来るわけがない。 ~その辺りから~
 ――
≪ <本荘>
皆さんの中で、小学生のときに、人の「気持ち」や「考える」ということに
対して、疑問を持ったことのある方はいますか。
<石黒>
みんな問いは持っていると思います。その問いを大人に投げかけると、
「うるさい」と言われ、「そういうことは、大人になったら分かるよ」と、
うそをつかれるのです。僕自身は、人の話を聞かない子どもでした。授業参観
とかで、先生の言ったことを全部無視して、1人だけ絵を描いていたら、それを
見た母親が泣いていました。自分は、「人とは違うのだ」と思いました。
<本荘>
アインシュタインみたいですね。 以前、中学生に対して「若いのだから、
何でもトライすればいい」と言ったところ、「初めてそういうことを言われた」
と返されたことがありました。 周りの大人は、日常的に「(○○を)やっては
いけない」、「オマエにはできない」などと言ってしまっているのです。
<石黒>
もっと不思議なのが、PTAなどの場において、「こういった親はダメだ。」
と説いて周囲からは賛同されている大人が、家に帰ると、自分自身がダメな大人
になってしまうことです。つまり、所属する組織や群れに適応するように振る
舞うことができても、別の集団に属した瞬間に意識が変わってしまう。
自分の中で、何が疑問で何を解決しないといけないかを考えていないと、集団の
意識に簡単に振り回されてしまう。だから人の話を聞いてはいけないのです。≫
――
▼ 6年前に長岡・新潟間の31年間の通勤生活を終えて、自宅周辺の生活圏に
収まった。高校を卒業をして30歳近くまでの県外生活を含め、合計43年間を、
曖昧な二重生活をしていたため、現在、息苦しい生活を強いられているが…
 とはいえ、割切ってしまえば、それはそれで… 問題は受け止め方。
<共同体には、それぞれの長年かけた価値観や道徳感があり、それを前提に生活
している中で、何やら得体のしれない妙なことを、ここで書いている。>が現状。
 最近、泡沫候補上がりのトランプが大統領になって失態を重ねているが、
根底に、「コミュニタリアニズム」がある。「自分の生れた場所や、仲間が第一」
の考え方。地域社会は、外の世界に対する無知のヴェールで覆われているため、
本来、強固である。グローバリズムの弊害が顕著になっている現在、原点回帰も、
当然かもしれない。EUの問題と同じ。「悪貨は良貨を駆逐する」ではないが、
唯我独尊の姿勢も、情報化故に必要となる。 ロボットはロボットでしかない。
されどロボットでもあるが。 所詮、人間の心など、泡沫でしかない。

・・・・・・
5622,人生を幸福で満たす20の方法 ~②
2016年08月06日(土)
          <人生を幸福で満たす20の方法> 三宮 麻由子(著)
   * 空虚な日々を楽しむ方法 ~好奇心が世界を開かせる
 好奇心が幸福を満たすための第一歩という切口は新鮮である。
老いるとは好奇心が萎んでしまうことだろう。特に知的好奇心から萎む。
教養とは知的好奇心のベースを言うのだろうが、その枯渇したのが「おばさん」。
現象を、そのまま現実として受け止める蓄群である。やはり、知的好奇心が、
萎んだ心を開放させてくれる。
≪  1、好奇心で心を満たそう
  情報の八○パーセントを受け持つといわれる視覚を失うのは、正直なところ
 かなりしんどいことである。しかし、その特色を生かして音を味わい、音で
できた風景を心のなかに再構築することは実に楽しい。これによって、私は
scenelessからscenefulへ止と生まれ変わることができた。そして、ここまでの
道程を楽しくリードしてくれたのは、他ならぬ好奇心だったのである。
  好奇心は、幸福の真空を埋めるばかりか、このように人生に新しい世界を開き、
人を生まれ変わらせる可能性を秘めた宝物だと思う。それを豊かに養い、年齢に
関係なく育てていくポイントはただひとつ。少しでも印象に残ったことがあったら、
それを迫いかけて一歩を踏み出すことである。
 素朴な疑問を素直に追いかけ、何か新しいこと、面白いことはないかと目を
キラキラ輝かせ、耳をピンと澄ませて受信アンテナの感度を上げていくのである。
もちろん、野次馬はいけないけれど、よい好奇心、特に知的好奇心は、必ずや
私たちにワクワクする世界を開いてくれることだろう。

 きょうからできること
興味の向かなかった分野を覗いてみよう
きょう発見したことをメモしてみよう
明日は何をチェックしようか、と考えてみよう  ≫
――
【とにかく、やってみましょう!やれたらそれだけ豊な1日になるのです】
子供の頃の好奇心は、何処に行ったのだろうか。何もかもが面白く、世界は
光り輝いていた。そして、学生時代にみた世界の、あの輝き。高度経済成長期
に青春を過ごせた幸運。 好奇心は感性である。磨くほど、それは光り輝く。
      

つれづれに

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 長岡祭りの『長岡花火』も無事に終了。結局、二日ともTVのみ。
といって、見ておけばという後悔も、まったくなし。

 明日からは甲子園高校野球が開幕。今年も面白そうだ。
原・巨人、出来過ぎと思っていたが、そろそろ逆境の弱点が出てきた。
だから面白いともいえるが。






・・・・・・
・・・・・・

3419, 新たなる金融危機に向かう世界
2010年08月05日(木)
   「新たなる金融危機に向かう世界 」副島隆彦 (著)
  ーまずは、アマゾンの内容紹介からー
ギリシャの財政危機に端を発したユーロ暴落の裏側にはアメリカの仕掛けがあった。
アメリカは米国債に世界の資金を環流させなければもうもたないからだ。そして5月6日にダウが一時
998ドル急落する過程で、ゴールドマン・サックスのロボット・トレーディング・システムが壊された。
このあと、金(ゴールド)が崩される。そして、金(ゴールド)の大きな下落のあとにドル(米国債)が
暴落させられるだろう。 ――サブプライム崩れを始め、これまでことごとく経済予測を当ててきた著者が、
2010年末の恐慌突入に向けてさらに下落を繰り返す世界の金融経済を読む。
 ~~ 面白そうなので、ネットで買ったが、☆4つ、というところか。
*現在、世界のゴールドは、16万トンといわれているが、それは表の話、バチカン、イギリス、スイスに、
 それぞれ10万トン、合計30万トンある。したがって、16+30=46万トンあり、1600兆円
 あるとか。だから、いつでも金本位制度へ戻ることは可能である。ただし、 先ほどの国に覇権が戻る
 ということか?
*ゴールドの大きな値下がりと、大きく新聞広告に書かれていたが、グラム3000円で、最大2500円
 でしかない。現在ユーロが狙われているが、それが終わると、次はゴールドが、狙われる可能性がある。
 そして、その次にはドル(米国債)が下げられる。 ゴールドが値上がりをすると騒いでいた副島が、
 舌の根の乾かないうちに?
*秋以降には、アメリカの株価が6500ドルに向かって動き出す。
アメリカは、不良債権4000兆円の実損処理をしなければならない。
 これは血をみるおもいで、やらなければならない。
~~ 以上が印象に残ったところだが、今年、来年、再来年と、大きな危機が次々と襲ってくる。
 それは株価や、国債の暴落とか、実物経済でも不動産とかの暴落として現われてくる。恐ろしい限り。
 100年か、500年に一度の変動期に入ったが、まずは徹底的破壊から始る。それが日ごと現象に
 現れてきているが、再来年には、非常に厳しい局面を世界も、日本もむかえる事になる。10年、20年
 スパンに渡ることになるから、想像を絶した場面が次々と現れる。  背後にあるのは、情報化社会
 のウェーブ。

 ・・・・・・・・
3044、罪深き新自由主義
2009年08月05日(水)
 「罪深き新自由主義」  高杉 良 (著), 佐高 信 (著)
 対談・高杉良×佐高信である。二人は「小泉・竹中路線」の深層構造を取り上げ批判、
小泉・竹中路線の罪でもある「かんぽの宿」問題と、マスメディアの劣化を鋭く問うている。
「現在の日本にリーダーはいなくなった」ことに二人は共鳴し、今の不景気は小泉・竹中不況と言い切る。
小泉・竹中虚構改革で得をしたのは米国だけで、ライブドアを太らせたのも小泉の「改革」を悪用しただけ。
 新自由主義を標榜していたアメリカがこけたのだから、日本は重症になって当然。
去年の9・15による世界的な金融恐慌が無ければ、これだけ早くアメリカの国家的犯罪も露出はしなかった。
 数年前に、アメリカの投資会社のトップがインタビューで、耳を疑うようなことを平然と言っていた。
《 日本の1985年のバブル発端のプラザ. 合意で、日本銀行は金融緩和を大胆に進めた。
あれは我われが意図的に仕掛けた政治的な戦略。 その結果としてのバブル崩壊と、その後の失われた10年で、
我われは日本を徹底的に買い叩いた。》と。それに対して、評論家が誰も反論をしなかったのも驚きであった。
 それがユダヤ資本のやり方で、日本は米国の隷属国家のために彼等のなすがままだったのである。 その
ユダヤ新自由主義アメリカ金融が、アメリカ国内だけでなく世界に向けて似たような犯罪行為を行った結果
がこの金融危機を招いたのは今さら言うまでもない。 サブプライム・ローンなどの傷物債権を束ねて、同じ穴
のムジナ(=格付け会社)に高い評価をつけさせて、ばら撒いたのである。これは見方によれば国家詐欺である。 
それが新自由主義の正体だったのである。 その日本版の子分が小泉であり、竹中という。
 実際のところ、私も9・15の金融危機が起こるまでは、新自由主義を支持してきた。世界が、自由化で、かつ
グローバル化の流れなら仕方がない上に、競争社会は世界を進歩させると信じて疑わなかった。しかしアメリ
格付け機関の基準を日本の企業や金融機関に押し付け、日本を撹乱したことは間違いない事実。高杉良は、
ここで「小泉政権の5年半が日本を非常に傷めた。『官から民へ』のスローガンの象徴が郵政民営化と断定。
その結果は無残であると。 利益を出す効率化のもとに郵便局は減り、国民のライフラインはズタズタになろう
としている。もし日本郵政グループがアメリカの銀行などに出資をしておれば、現在の金融危機で大変なことに
なっていた。生活基盤の維持は国が関与すべきだ」という。この改革で、日本の元気だったミドルの活力の素
が力を失い、『勝ち組』と『負け組』に分極してしまった。」という。
 --
 この改革は、何だったのだろうか? ユダヤの陰謀ということか? 最近、周囲を見渡すと、中間層が
少なくなってきている。 上流とやらも減ってきているし、居たとしても、風前の灯のところが多い。
医者とか、弁護士、それと官僚がいるが・・・
 宮内、堀江モン、木村剛、それと村上ファンド。 一時期は脚光を浴びたが今や、戦犯扱いである。
 ・・・・・・・・・
2679, ソルジェニーツィンが亡くなった
 2008年08月05日(火)
ロシアの作家のソルジェニーツィン が亡くなったと報じていた。 享年89歳だった。
私が20代前半の頃に、『イワン・デニーソヴィチの一日』『煉獄のなかで』『ガン病棟』を読んで、
大きな衝撃を受けた記憶が鮮明に残っている。 当時のソ連は一番勢いがあった時期。
反体制は秘密警察に捕まり、収容所に入れられるなどの弾圧を受けた。その経験を書いたものだが、
彼の文からソ連共産党支配の弾圧の中の重苦しさが作品から滲み出ていた。
それに対して日本は高度成長期で絶頂期、その温度差にも驚かされた本であった。
ー経歴からして骨入りである。(ウィキぺディアより)
1918年、北カフカス、キスロヴォツクに生まれる。敬虔なクリスチャンの母と祖父母に囲まれて成長。
1941年ロストフ大学卒業と同時に第二次世界大戦に従軍。誕生の半年前に戦死した父と同じ砲兵大尉となる。
1945年、スターリン批判の嫌疑で告発され、欠席裁判で懲役8年を宣告される。収容所に送られ後に流刑。
    (字数の関係でカット 09年08月5日)
 ーこのWeb辞書の中に次ぎの一節がある
1991年12月31日深夜、ソ連は消滅してしまった。代わりにロシア共和国が消滅して再生したロシア連邦は、
ソルジェニーツィンの提言どおりのロシアではなかった。 ロシア連邦の中で再び民族が捕われている。
彼の地元のチェチェン共和国はかつてエリツィンに、今はプーチンに独立を妨げられたまま。彼は書いた。
「それぞれの民族は、たとえ最も小さなものであっても、神の意志によってこの世に生まれてきて、
それぞれ独自性をもっているのである。ウラジミール・ソロヴィヨフは、キリスト教の戒めをもじって、
こう書いている。『自分の民族と同様に、他の民族を愛せよ』
ロシア人の民族自決権を認めるなら、他の民族の自決権も認めるロシア連邦になるように願うものである。
 --
40年前といえば、ブレジネフが第一書記で、コスイギンが首相だった。二十年近くがソ連の絶頂期だった。
この小説を読んだ感想は、「歴史的にみてー百年単位でみたらソルジェ二ーツェンは大作家、
この二人の権力者は歴史的汚点」と、直感したことを憶えている。
現在、ブッシュとかいうアメリカ大統領は、話題を出すこと自体が小汚い気がする。
それだけ現在のアメリカは狂乱状態と言ってよい。 現在の日本のエリートとかいう政・財・官の連中!
このアメリカの隷属に尻尾の振り方で選抜されているに過ぎない。
何かうら悲しい気がするが、自分のコンプレックスが根こそぎ解消できることも事実。
「この隷属の御陰で、物理的に恵まれた時代を過ごせてのは我々の世代だろう!」
の、心の奥の声、これも事実。
・・・・・・・・・
2007年08月05日(日)
2315, 風評で県外観光客が10分の1!ですと
              ・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
先日の読売新聞によると、
「・・県によると、7月16日の地震発生以降、県内での旅館やホテルのキャンセルは、約5万件に上り、
県外からの観光客は例年の10分の1以下にとどまっている。地震の被害がほとんどなかった佐渡妙高高原
越後湯沢温泉でも観光客が激減し、原発の被災などによる風評被害が深刻化。」(2007年8月2日 読売)
当社にとって、あまり関係ないと思っていた風評も、日ごと影響が出始めている。今のところ10?ほどだが、
県外の観光客が10分の1とは尋常ではない。特に一年で一番の稼ぎ時のリゾートホテル・旅館は致命的。
地元民も自粛をして、飲食や温泉などに出ないから堪ったものではない。三年前の地震からやっと立ち上が
ろうとした矢先である。天災だから、何処に不満の矢先を持って行きようがない。新潟市内の居酒屋屋スナック
も、その日を境に売り上げが激減して、全く回復の兆しがないという。この長岡祭りの名物の花火も、私が
見るところ昨年の人出の6割。この十年間、信濃川の土手のある場所に行くが、20時過ぎると当然のこと
ながら、座る場所がない。人の流れに沿いながら見てきたが、今年は自由席が半分以上も空いていた。新潟
から長岡への17時過ぎの新幹線も、例年の混雑のやはり6掛け。8月の2日からの10日間は当方にとっても
稼ぎ時だが、少しだが影響が出ている。2~3割ダウンではないからまだよいが、それでもこの時期のダウン
は痛手である。この影響は当分の間は続きそう。寺泊に先週の土曜日に行ってきたが、さすがにゴースト
タウンほどではなかったが、駐車場は三分の一は空いていた。一年の一番のピーク時からみたら数分一だろう。
ここは県外の観光客が多いので死活問題の事態である。2~3年は生き残りをかけた状態が続くだろう。全く他人事
ではない。日にちが経つほど、深刻度が深くなる。連続二回と、原発の直下型と火災はイメージがあまりに悪い。
柏崎市内の土地が大きく下落を始めたと親戚から情報が入ってきた。外部の人は誰も買わないし、原発再開が
無いとしたら、柏崎経済は壊滅。もし再開すれば、即死の怯えて生きていかなくてはならない。
どちらにしても下がるのは当たり前である。その影響は長岡も遅かれ受けるであろう。
  ところで、日本の原子力の依存度はどうなっているのか、調べてみようか。
   インターネットは、思いついたことが気楽に調べることが出来るから便利である。 
・・・・・・・・
2006年08月05日(土)
1950, 第四回新潟県活性化の会ー概要        
        (+>∀<+)ノおぁはは~よう!
7月の28日に行われた「新潟県活性化の会」の概要を、私の主観でマトメてみた。
 ーー
*「環日本海拠点都市宣言」をする。
 -冷戦終了後、中国とロシアが自由経済を取り入れ成長。 
  この十数年で、環日本海の重要度が全く変わってしまった。これからは環日本海の時代である。
  首都圏から新幹線2時間圏の新潟は非常に恵まれ有利な立地にある。
  それを高らかに宣言し、全エネルギーを集中すべきである。
  このままでは、北陸新幹線開通を機に、金沢、富山、福井(北陸地区)が環日本海の拠点都市
  になる。
日本海時代の象徴として、首都東京から新幹線の新潟空港への直接乗り入れを全県総力をあげて実現をする。
新潟空港までの新幹線延長工事が、55億の投資で延長工事が可能かどうか? 
  それを可能にする構想案を一般募集をする。採用の際には、その案に対して500~1千万円の懸賞を出す。
「新潟国際空港への新幹線直接乗入れゴーゴー(55)作戦」いうネーミングにする。
*まず公共事業ありきではなく、 民間が主導をとって環日本海拠点都市としての機能
  ー流通情報基地などーの充実をはかる。
*新幹線延長工事に合わせて、特区構想を、幾つか立ち上げる。(高層ビル特区、流通特区、チャイナ特区、
 朝鮮特区・・) 高層ビル特区は、あらかじめ土地を沿線に買っておき、二倍~三倍の値段で売りぬけ、
 工事代金に振り向ける。
新潟駅再開発と合わせて2015年の完成を厳守すること。
 ーー
以上であるが、一つの目標(新潟県活性化)に向かって知恵を出し合って議論するのも、面白いもの。
それぞれの個性が意見として出てくるのと、「模擬・県議会小委員会」の議論のようでもある。
・・・・・・・・
2005年08月05日(金)
 1585, 自民郵政解散の攻防
いま現在、自民党が下野の恐れが出てきた。そのため衆院で反対票を投じた連中が慌てだした。
流れからいって、一般の国民から不支持をされることは間違いがないからだ。再選はホボ絶望になる。
これで衆院を解散すれば、郵政改革阻止の犯人探しになって血祭りに間違いなくされてしまう。
旧守派は、その現実的な可能性に震える事態になってしまった。参院本会議で否決されれば2時間後に、
解散の為の臨時閣議が開かれて衆議院本会場で万歳が待っている。その瞬間から代議士ではなくなるのだ。
一度、解散をして抵抗勢力をマトメテ処分するに良いチャンスになる。
(以下、字数制限のためカット 2,010年8月5日)
・・・・・・・・
2004年08月05日(木)
 1220, 日記について
このホームページで随想日記と、日々の出来事を書いているバードウォッチングを公開しているが、
その他に手書きで「10行日記を」つけている。ところが、最近はマンネリぎみである。
 そこで以前買った「4行日記」と、荒川洋治の「日記をつける」と阿久悠の「日記力」を読みかえしてみた。
・その日付けと曜日と天気を書き、時系列に書くのもよいー特に天気はその日の自然環境であるから重要。
「今日は快晴で、うだるような暑さであった」とか
・身辺の出来事を書いて、会った人の会話の内容、食事の内容、夢の内容等を具体的に書く
 ー時間も書いておくとよい
・その日読んだ本、TVのドラマの感想
・今日の新聞記事の気になったスポーツとか、政治等の感想を書く。
それ位のことなら幾らでも身辺に転がっている。雑事として、あまり書かなかった内容こそ、後で読んで
みると大事が多い。日記は、「その日でしか書けないこと」を書くことが重要だという。 ホテルの客室と
同じで、その日に売らなくては、単なる空間でしかないのだ。 その日の雑事・出来事を書いてこそ、意味
があるのだという。通勤の新幹線の中での観察とか、知人のこととか、その日の新聞ネタとか、立ち寄った
本屋の印象とか幾らでもあった。手書きの日記までテーマ日記主義を通そうとしていたのだ。勝手に枠を
決めて、幾らでも書くべき当日の日常を書かなかった。Web上の日記では、書いてはいけないこともある。
それが、そのまま手書きの未公開の日記と混同してしまっていたのだ。単純なものだが。そういえば
「22歳の日記」は、時系列に、正直にその日の出来事が書いてあった。何時に起き、食事をして、何時に
学校に行き、誰々と会って話をして、何時に寮に帰ってきて、誰々の部屋に遊びに行って、何時に寝たとか。
今から読み返してみて、もっと具体的内容を書いておけばよかったと思う。本を読んだでなく、その本の名前
を書き記すとか、感想を書くとか。ならば、そのパターンを真似て、具体的な内容を書き加えればよいのだが。
随想日記や、身辺のことを書いているバードウォッチングも、これから少しずつ変わっていくだろう。
より具体的に、日常的に。書き続けることは、自分を掘り下げることになる。
・・・・・・・・
2003年08月05日(火)
 853, 熊の世界
 昨夜のゴールデンタイムのNHKスペシャル岩合光昭の「北極熊」を放映していた。
そういえば先月行ったアラスカのツアーで、ガイドの伊藤さんから熊の生態の話を多く聞いた。熊は他の動物
と違い、仲間内の共食いが日常当たり前の世界。子供が生まれて8割から9割が途中で殺され、その大部分が
他の熊に食べられてしまうという。雄熊が実の子供を食べてしまうだけでなく、メスも度々食べられてしまう。
そういえば20年位前に週刊誌に北海道の動物園の熊牧場で1頭の熊が他の全部の熊に食べられる顛末の連続
写真が載っていた。人間の常識をはるかに超えた世界がそこにあるという。 動物写真家の星野道夫も熊に
最後に食べられてしまった。襲われた瞬間の熊の顔のクローズアップの写真が最後の彼の遺作になった。
動物写真家は原野に何日も一人じっと潜み、カメラを構えシャッターチャンスを待つ。その間彼等はいろ
いろな言葉をくり返し暖めるという。写真も言葉も深くなるのも当然である。
  (以下、字数制限のためカット 2,010年8月5日)
・・・・・・・
2002年08月05日(月)
 478、100円ショップ
以前も他のテーマの中で書いたことがあるが、100円ショップについて書いてみる。
初めは泡沫に見えた100円ショップも社会的認知を得たといってよい。結構便利で使え勝手のよいものが多い。
今でも月に一回は必ずいく。先回は、センスを買った。私の場合、なくす確率が8割である、いや100?である。
それなら割り切って、100円ショップのセンスを買ってみた。悪くはない、ワンシーズン持てば充分である。
3本買ったが、恐らくあと二ヶ月で二本は壊すか無くすだろう。でも200円でしかない。旅行用で便利なものも多い。 
飛行機やバスで使う空気枕。小物をいれる網でできている子袋。健康機器、ハンカチ、食料いろいろある。
この良いところは、トレードオフの商品が多い。一つの機能の他は全て殺ぎ落としているのがよい。
初めは、無印良品がそうであった。しかし、今やユニクロと100円ショップにとって変わろうとしている。
壊れても、欠陥があっても腹のたたない値段が100円だという。これこそ消費者主体の商品つくりである。また
楽しいのだ。ダイソーの社長が100円で楽しめるデズニーランドといってた。「商売は少し馬鹿にされるのが一番
よい時」と丸井の創業社長がいっていた。月賦が認知されだしたときから旨みが無くなったと。今まで100点ぐらい
買ったと思うが、1万円でしかない。30回位いったとして、楽しみを入れたら十分お釣りがくる。 十数年前
アメリカのチェーン店の視察に行った時、99?ショップに行ったとき誰も見向きもしなかった。まさか
100円ショップがこれだけ伸びるとは誰も想像できなかった。時代の変化なのだろう。いく度に商品の内容が
良くなっていくのもよい。100円だからこそ買える商品だからこそ、存在価値がある。
・・・・・・・・・
2001年08月05日(日)
 [99] 現地日本人ガイド -2
南アフリカの50歳の女ガイド。 日本の商社で知り合ったイギリス人と結婚。いろいろあってその旦那とケープ
タウンに住んでいるという。不安はないかと聞くとその心情の一端を話してくれた。子供の名前の件で真剣に
日本名にするか、それとも英国名にするか戦いになるらしい。自分が死んだ場合残るのは子供の名前だけ。
自分の存在がそれこそ瞬間虚無になってしまうという不安らしい。最近までケープタウンに一つだけしか
日本名の墓はなかったという。移住は若いときはいいが、老年になるときいてくるという。子供が独立し亭主が
亡くなった時がきついと言っていた。一つしかない墓の名前が女の名前でそれを見たとき、芯から不安を感じた
という。聞いているだけで肌が寒くなってきた。

閑話小題 ~AI卓球ロボットの驚き

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    * AIロボットに驚かされる日々
《 サイエンスZERO「進化する超絶技巧!スーパーロボットアーム大集結」>
 餃子を包んでくれる!卓球の練習相手になってくれる!
日本が世界シェアトップを誇る「ロボットアーム」の進化が止まらない。これまで
ロボットは、安全制御の観点から活躍の場が限られ、工場の生産ラインの“柵の中”
や、人間から隔離された場所で働くのが一般的だった。ところが、今やトレンドは
「協働」。安全性の向上で人間を助けてくれるありがたい存在となっている!
ユニークでかわいいロボットが大集結!》
 ―
《 卓球未経験の記者が体験したロボットとのラリーでは、打ちやすいコースに
 配球してくれたほか、「完璧なサーブですね!」などとプレーを褒めてくれ、
まるで友人と卓球を楽しんでいるような感覚を味わうことができた。
 しかし、オムロンはこのロボットを商品化する予定はないという。
コーポレートコミュニケーション部の大西栄樹氏は「昨今は『ロボットが人の仕事
を奪う』などとマイナス面が取り上げられる傾向にある。 しかし当社では
『ロボットは人のためになる』『人ができることを増やしてくれる』と考えており、
人とロボットの適切な関係性を示すためにフォルフェウスを開発した」と話す。》
 ―
▼ 卓球AIアームロボには、驚いた。卓球を上達するには、1~2ランク上の実力
 を持った対戦相手と練習するのがベスト。当事者の実力を読みこみ、練習相手
と対戦するソフトが現にある。その他に、相手を撃破するソフトも別にあり、それを
相手に普段の練習に取入れる。将棋、囲碁の世界は、幼児の頃から、そのソフトで
実力を磨かれ叩き上げられた若手が、それぞれの世界を席巻をしている。これでは、
AIロボットに勝てないのは、至極当然。株、為替の相場も、AIロボット同士の競走に
入っているようだ。こういう情報機能を駆使した器械をフルに利用可能な階級と、
出来ない層との格差は広がる一方。何かしら20世紀が、どんどん遠くなっていく。

 ――
    * ISの消滅の蔭に、住民諸共の虐殺が…
 ネット・サーフィンで、行き当たった一枚の写真。恐怖に泣き叫ぶ男と、
冷淡に縛りつける兵士の顔と、汚職?キャンペーンを掲げる背後の無表情な顔
の人たち。 日本では有りえない公開銃殺が日常生活に存在する国が、現に隣国
に存在している。ISが一時期、中東を席巻していた頃、檻に入れられた男を油で
焼き殺す録画があった。ISが、占領地域の住民を盾にする戦術。ロシアも含めて、
ISの抹殺を決定した後に、中東の戦闘のニュースが全く途絶えた時期があった。
住民諸共、虐殺されていた。アメリカ本土で、白人対有色人種、とりわけ近隣の
ヒスパニック系の対立からくる、内乱を思わせる事件が続いている。
ときの大統領が極右の白人第一主義者とくれば、この亀裂は、更に拡大。
日韓の問題の本質も、格差と差別の問題を含む文明の相剋。大変な時代に入って
しまった。娑婆とは本来、不自由で、常在戦場で、差別の世界を端的に現す言葉。

・・・・・・
5986,閑話小題 ~最後の講義・6 ー石黒浩:対談
2017年08月05日(土)
 ロボット学者ゆえに、切口が新鮮である。自分のロボットをつくり、常日頃、
対峙すると、無機物のロボットの、サルトルのいう、「対自」「対他」「即自」
が、クッキリと浮かび上がってくるのだろう。 ヨガの仕上げの5分間の
「死者のポーズ」として、宇宙の彼方から魂の抜けた己の姿を逆照射する
イメージと同じような。「定年までの自分」と、「それ以降の自分」の対峙も
似たような? これらは、一般的には「余命半年、3ヶ月」と宣言された時に、
初めて、自分に突きつけられるのだろう。落語の米朝のロボットが、生身の
米朝と高座に上がっている写真があるが、文化遺産として残すには最適だろう。
――
   ―人の気持ちの正体とは―
<本荘> 石黒先生は小さいころから「テーマ(問い)」を持たれましたよね。
<石黒> 僕は、小さいころ夢がなくてぼんやりしていたのですが、小学5年の時、
「人の気持ちを考えなさい」と大人に言われて衝撃を受けました。
その気持ちを考えることは大事なことなのに、考え方自体を一度も教わって
いないし、大事にしろというその「気持ち」を見たことがないわけです。
皆さんは「気持ち」が何か知っていますか。

<本荘> 「気持ち」を100字以内で説明せよ、というやつですね。
<石黒> そうです。「気持ち」でも「考える」ということでもどちらでもよい
ですが、それを定義した瞬間にコンピューターが勝ってしまいます。 だから、
小学校5年生のときには、「自分の考えている次元とは違う世界に行けるなんて、
大人はすごい」と思っていました。ようやく高校生ぐらいになって、全員うそを
ついていると分かったので卒業しないままずっと学校の中にいるのです。
▼ 石黒は、「気持」について、逆照射して考えるため、曖昧な定義を
 戒めているのでは? 

そこで、<「気持ち」を100字以内で説明せよ>の私の答を即興で書くと…
【「気持ち」で浮かぶ言葉は、感情である。感情といえば「喜怒哀楽」と、
「感動、感激、感謝」になる。「クールヘッド、ウォームハート」と分けると、
温かい心。逆に、冷たい心とは、生物の本能の「エゴ」を優先すること。】
 たまたま、考えを進めるに、去年の以下の文章が参考になる。ロボットには
無い真逆の問題だから。幸・不幸など、感情でしかないことが浮かびあがる。

・・・・・・
6353,閑話小題 ~二年続けて「長岡花火は行かずしまい!
2018年08月05日(日)
    * 猛暑の朝、やはりTVの話題ですか!

 ◉ 暑い夏は、寝室でTV映画とスポーツ観戦を
 一月生まれもあってか、暑さに弱い。そこで、例年のごとく、寝室に籠って
録画した映画とドラマ三昧。ブルーレイの300本以外に、ディスクに数十本、録画
をしたのを、当たるも八卦と、一番面白そうなのから順次見ているが、当たりが
当然、多い。 空いていたら迷わず録画をして、閑な時間に頭出しをして、90点
に到達してないと消去をする。それでも、なかなか少ない。それでも時々、飽き
がくるが、そこで、YouTubeの何時もの定番のコースへ。
 
 ◉ ワールドカップも終わり…
 甲子園の高校野球が今日より始まる。地元からは中越高校が出るが、相手は
慶応高校で、強豪チーム。残念だが、8~9割は勝てないのだろうが、そう思って
みれば、負けても落ち込みは少なく済むし、甲子園、何が起こるか分らない。
前評判の良いのは、この数年、準々決勝まで勝ち上がっていたチームばかり… 
多くの有望選手もいる。さて、今年のスターに誰が? ますます俗っぽくなった
自分が良いのか悪いのか。 成るほど、<命短し、恋せよ乙女>である。

 ◉ 去年に続き、今年も花火見物に行かず自宅のTVで…  
 以前から人混みが苦手。会場で生でみるか? ドッチが好きかの好みの問題に。
現場に溶込んで雰囲気と共に楽しむか、冷房の効いた寝室で、独り、電気を消し
TVで見るのも、なかなかのモノ。TVの画面がリアルで、これはこれで…
 3日、BS:TBSのライブの花火中継に回すと、花火案内人が見たことのある
お年寄りがいた。 …それが何と小学校同期生の「長谷川健ちゃん」。
「60歳超えからは、その5歳上は「大年寄り」と言うが…。 先生の子息で、
当時から、人を寄せ付けない異様な感があった人。 当時から現在に至るまで、
殆ど口はきいたことがなかったが、古希の同期会のスナップの写真を送って
くれた。 無難に花火の蘊蓄を話していたが、どこかソワソワした浮いた感が
あったが、これで当分、良い、悪いの世間話のネタの恩恵?を受ける羽目に。

 ◉ 私の知人に数年前にリタイアした人がいる。それをキッカケに65インチの
 有機TVを入替えたのはいいが、夫婦して嵌って、夫婦交代制で見ているため、
24時間、TVを付けっぱなしで、僅か二年で、加熱のため、修理に出したとか。
考えてみたら、我家の二台のTVを合算すると他山の石ではない。 
NHKで、4k、8kの専門チャンネルが新設され、これが生活を一変えるというが。
現在でも現場の数倍、数十倍の臨場感を味わえる?と、言うから…。
これにゴーグルでも使えば、更にライブ感が増す。
 
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4891,定年後の4年目のリアル -1
2014年08月05日(火)
             「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著)
 朝日新聞の新刊広告に『定年後の7年目のリアル』があった。3年間、私が、
ここで書いてきた内容と同じような見出しにあった。 そこで、アマゾンで
内容紹介を見たところ、前著の『定年後のリアル』があり、『・・7年目のリアル』
の内容は続刊。 内容紹介だけだが、生々しいだけ私の内容の方がシリアスの筈・・  
 ーまずは、内容紹介よりー
《 ◇お金、仕事、健康、生きがい……退職したら、どんな毎日が待っている?
不況のいま、いかにして生きていくかという問題がクローズアップされている。
特に定年退職が迫った人に対してメディアは、定年後は「6,000万円の貯えが必要」
孤独死にご用心」を語る。著者は、さまざまな定年本、定年者たちの生き方を
引き合いに出しながら、メディアが煽る「不安」など、実際にはそれほど思い
わずらう必要もないことがほとんどという。いまの日本人は、過剰な情報に振り
回され、不必要なほど不安になってしまっているというのだ。たとえば貯蓄や
健康状態の「平均」がどの程度かといった話が盛んに語られ、自らを引き比べて
不全感を増している人も多いが、現実には「平均」は自分の生き方とはあまり
関係のない情報であり、気にしすぎる意味はない。またアンチエイジングや若さ
を保つ方法が日々声高に喧伝されているが、本来、人は年を取ったら取ったなり
の自分を認めていくのが自然であり、若さを過度に持ち上げる価値観自体がいびつ
だともいえる。 ・・人は死ぬ、年を取ったら衰えるのが当たり前であり、
そうした事実を正面から受け入れて、初めて本当の人生に出会える。そのうえで
一日一日から得られる人生の喜びを享受して生きていくのが、定年後の理想的な
生き方だという。さまざまな不安の正体を解き明かし、心をほっとしてくれる。》
▼ 私の喩えで、「森の生活からサバンナへ!」がある。 森の中でイメージを
していたサバンナの生活は、そこはそこで面白く、生きがいもあり充実をしている。
森の住人には、それが理解できない。そのことを、森の住人に問いかけている
内容のようである。しかし、これは森の生活で、準備をしてきたかで大きく違う。
私の場合は、ハードランディングだったとしても、万一の備えを長年にかけして
いた為、何とか着陸をした。そして、リアルな毎日が待っていた。そして
4年目に入って、そんなことより、老いそのものの方が現実として迫ってくる。
この紹介の中で「老いの一日一日から得られる人生の喜びを享受して生きていく
のが、定年後の理想的な生き方だ」というが、享受するのは、喜びと楽しみだけ
でなく、怒り、哀しみが伴なう。老いは確実に精神も肉体も衰えさせている。
哀しみに覆われた日を何とか過ごすのもリアルの一日になる。逆に有余る時間で、
思いのままに一日を過ごす楽しみもある。
夕暮れの残照の中での、最後の宴も良いもの!

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5256,蓄群本能  ~ニーチェ「超」入門~
2015年08月05日(水)
             ~ニーチェ「超」入門~白取春彦
   * 蓄群本能 
 誰も持っている『群蓄本能』。城下町では、その小さな世界で群蓄本能が、
互いの足の引張りあいになり、その個性を内に押しとどめるしかなくなる。
違うということが、マイナスの世界。割切るしかないとしても。~その辺りから~
≪ わたしたち現代人はただなんとなく、道徳とは個人の行為に関する規範だと
 思い込んでいる。あるいは、人間性が生んだ規範、社会を健全に生きるための
知恵のようなものだと思っている。 ところがニーチェは、「道徳とは、共同体
のために個々人の内部で作用する一種の畜群本能から生まれたものなのだ」
(『悦ばしき知識』116)という。 この畜群本能というのは、「共同体が個人より
も価値が高いのだから、個人の利益より共同体の利益を優先すべきということと、
「一時的な利益よりも永続的な利益を優先させる」という、国家や社会の全体を
益するための考え方を因習とし継承してきたあげく生まれた。
 たとえば、盗んではならないという身近な一つの道徳律を考えても、ニーチェ
の説はあてはまっているように見える。実際に、空腹ゆえにパンを盗んでも、
社会に損失を与えたとして罰せられる。そして、「個人よりも全体を優先する
という因習が覆う社会で人間は教育され、生活してきた」。よって、「人の心に
ある道徳性とは、これらさまざまな因習の全体に向かう感情にすぎないのだ」
になる。一般的な道徳が自然な心情や宗教の神の配慮から生まれてきたのでは
なく、利益の重さをどこにおくか、つまり功利がその出発点になる。
そう考えた二ーチェは、もちろん道徳の発生を理性に見るカントに反対する立場
にいるわけだ。二ーチェのこういう考え方は、現代哲学で使われている用語で
いえば明らかに構築主義的だということはもうわかるだろう。
 だから、ニーチェはこうもいう。
・「道徳的、倫理的であるというのは、古くからあった掟、古くからの因習に
 従順であることを意味しているのだ」・・
・「良心の中身とは何か。幼少時代のわれわれが尊敬し、かつ恐れた人々が、
 理由もなく規則的にわれわれに要求してきたものすべてが良心の中身だ。
 …そういうさまざまな古い権威に対する信仰が良心の源泉なのだ。したがって、
 良心は人の胸の中にある神の声などではない。その人の心の内にいる幾人かの
 人間の声である」(「人間的」)
 つまり、良心は群れとして生きる人間がみずから生み出したものだということ。
だから、本当に個性的であることはいやがられるし、個性的ゆえに良心の痛みを
覚えやすい。しかし、そこを越えなければ、新しいものは出てこないのだ。
けれども、自分の中に巣くっている古い群れの声にしたがわない行為、考え、
発見はどれも社会からは悪だとみなされる。過去をふりかえれば、みなそう。
新しい思想、新しい知識、新しい方法は、それぞれの時代で弾圧され、
狂気だとみなされ、犯罪扱いされてきた。≫
▼ 一匹狼的か、群れる羊の一匹として生きるか。論語も蓄群の精神マナー?
 確かにマナーは必要だが、古くからある因習に従順過ぎると、世界を自分
から小さくするし、個性的人生からは遠ざかることになる。「個性、個性と
いうが、所詮は砂利の一つの石ころじゃないか」ともいうが、その石ころの
デザインを自分でしてきたか、してなかったか? それも同じことか?

・・・・・
4149, 強迫性障害
2012年08月05日(日)
 オリンピック開会式で久しぶりにサッカーのベッカム選手の姿があったが、
彼は強迫性障害であることを最近、告白した。「何でもまっすぐに並んでいない
と気が済まないし、何でもペアになってないと気が済まない」という。自宅の
冷蔵庫や、宿泊先の部屋でもすべてを「左右対象でまっすぐ」に並べ直す作業に
長時間を費やす。 ディカプリオ主演、『アビエイター』のモデルになった
大富豪のハワード・ヒューズも、この病。この映画をみたが、
「すべてのものが汚染されている」という考えにとりつかれ、人との接触
避けるようになり、自分が買い取ったホテルで20年間も暮らして、最後は
孤独死を遂げた。 ーそこで、ネット辞書で検索してみるとー
≪ 強迫性障害とは、簡単にいうと「わかっちゃいるけどやめられない症候群」。
自分でも不合理だと思いながら何回も繰り返すので、本人には大変つらい病。
よくみられるものは、トイレに入った後何回も手を洗う、ドアのカギをかけたか
どうか、ガス栓をしめたかどうか何回も確認するというもの。本来これらの行為
は安全を確保するために誰でも行うが、それが何回も何十回も確認しないと
気がすまない状態になると社会的に支障をきたすことになり、何らかの治療が
必要となります≫ とあった。 これは、心の病と、脳の病の原因があり、
それぞれの治療がおこなわれているという。心の病の場合、過去の「喪失と悲しみ
が、原因になっていることが多い。病気に至るのは、喪失の悲しみを乗り越え
られないため。人生は、考えてみれば喪失と悲しみがつきもの。
そんなことをいったら現在の私は、重症の強迫性障害に陥っていて当然である。
定年も転職も失業も同じ。「喪失と悲しみ」の中で、最も辛い一つは、連れ合い
との死別。傷が癒えるに最低二年は要するという。 亡くなった姉が晩年、
合唱の先生をしていたが、未亡人だけのグループをつくって(歌で互いに癒しを
隠れテーマにして)いた。その姉が私に「誰も平静を装っているが、死別の傷の
ためか尋常でない何かを感じる!」という。躁鬱症も、分裂症も、この強迫障害
も、誰もが多かれ少なかれ持っている。それをコントロールしようとしてできる
ものでない。私も当然、それに思い当たる強迫障害に近い症状が幾つかある。
多人数の兄姉の末っ子で、両親が終戦直後で、家業の再創業期にあり、異常な
生活環境にあった影響が、心の奧底に大きく存在していた。人生を通して、
その脱皮が人生のテーマだった。それぞれが、それを抱え生涯を生きている。
私の場合、心の底から笑える性格があったのと、両親の温もりが地熱として
あったのとが、症状を軽くしてくれた。分裂、躁鬱、強迫障害症の三つを
束ねるのが自己になる。

 

つれづれに

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 昨夜も、長岡花火に行かず、20時前に寝入ってしまった。
家内は100M先のスーパーの駐車場に行ってみてきたが、
それでも、良かったという。来年は土手にでも行ってみてみますか。
目の前で車椅子の若い女性が涙をしているのが印象的だと、家内の話。
老い先短い我が身。やはり行くべきか? 無理することでもないか?






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5985,閑話小題 ~最後の講義・5 ー石黒浩:対談
2017年08月04日(金)
        ~多摩大学客員教授・本荘修二:特別対談
   * 夢を言い訳にするな
 過去を、特に若い時節を振返ると、「夢の実現」のため、世界を小さく
閉ざしてきたようだ。それ故に得たこと反面、失ったこと、機会ロスをした
ことが頭の中をよぎる。 『お前、何をしてきたのか?』と。
まずは読書からして、限定してきたようだ。
<よく見れば薺(ナズナ)花咲く垣根かな> の芭蕉の句のとおり、小さな
 世界が無限に存在していた。しかし…
まさか、夢のマイナス面を、ズバリ指摘するのも、新鮮である。
「夢ツリー」を心に鮮明に持ってこそ知りえたこと、出来たことがある。
 
   ー夢は持ってはいけませんー
<本荘> 本日は、石黒さんと一緒に「夢を実現させる力」というテーマで、
話を進めます。みなさんの中で、石黒さんが書かれた「アンドロイドは人間に
なれるか」という本を読んだ人はいますか?これを読んだ人は、夢を実現させる
力を分かっていると思います。 ちなみに僕は夢を持ったことがありません。
<石黒> 僕も同じで、いつも学生にも「夢は持っちゃいけない」と言っています。
早めに夢を持ってしまうと、幅広い事柄について勉強しない言い訳として夢を
使ってしまうので、夢は持たない方がいいと言っています。自分の能力はどん
どん拡張していくはずなのに、夢によって潰されてしまう感じがします。

<本荘>
夢の実現という例として、セリエAに所属するサッカーの本田圭佑選手が、
さいころの文集に書いた夢がかなったということで大人たちが過剰に美化して
いましたが、私は違うのではないかと。夢は育みつくるもので、どんどん変化
して当たり前なのです
<石黒> 夢を持つことでうまくいく人もいるかもしれませんが、確率的には
ほとんど意味がありません。夢を1つしか持てないと、やらないことの言い訳
に使われてしまいます。私は、夢を持つなら100万個くらい持てと言っています。

――
▼ 20歳で、「創業を目指す」と、一匹狼としての生き方を決心した瞬間から、
 周囲が全く変わってみえるようになった。時代背景もあったが、日々の何も
かもが新鮮で、面白く、明るく輝きを増していた。
 しかし、背後から黒い得体のしれない影が覆うようになっていた。
いま考えてみると、内なるエネルギー、そう両親の期待?だった。「夢ツリー」
があればこそ、人生を豊かにしてくれたが、せっかく地球ツアーの機会を与え
られたのに、小さなツリーに縛られて、それ以外に、大したことが出来なかった
人生を眼前に突き出され、狼狽えるのが大方の人生? いや違うか。
 今さら、「夢ツリー」は、視野教唆で、マイナスといわれても… 
最期は充実感の手ごたえがあったかどうか。これもそれも、夢幻でしかないか。
 夢ツリーに、行蔵としての、電飾や人形とか、おもちゃを吊るして楽しむのも
楽しいもの。ただし、部屋の一角に収めて置き、時々、独りで眺めること。
・・・・・・
4890,閑話小題 -人型ロボットの現在と未来 ~2
2014年08月04日(月)
   * 自分のアンドロイドを講演会場に!
 自分のアンドロイドをつくる着想が非常に面白い!分身そのものである。
奇妙な感覚ではないか?そのアンドロイドの目(カメラ)から映る周辺の景色と、
人々との交流の感覚はどんなだろうか? ーその箇所のコピーからー
≪ 私は、自身をモデルにした瓜二つのアンドロイドを海外での講演にしばしば
 使っています。数年前にはアンドロイドに自らを合わせようと、私は美容整形
も試みました。アンドロイドを講演会場に送り込み、聴衆から質問を受けるとき
だけ、インターネットを介して遠隔操作で私が答えます。最近では、私よりも
アンドロイドへの講演依頼のほうが多いくらいです。私が直接出向くと、ホテル
代やら飛行機代がかかるので高くつくんです(笑)。 人間国宝桂米朝師匠の
アンドロイドも作りました。見た目はもちろん、身振り手振りまで師匠そっくり
で、落語を演じさせると非常に迫力があります。このアンドロイドによって
初めて、無形文化財有形文化財になったと言えるでしょう(笑)。
将来は多くの人がアンドロイドを所有して、自分の分身として活用する日がくる
かもしれません。 人間は、機械にあらゆる行為を代行させたいという欲求を
詩っています。たとえば、食洗機、掃除ロボットなどは家事を代行してくれます。
このような機械は今後も発展を続け、肉体労働をますます減らしてくれる。
しかし、いくら技術が進歩しても、機械には代行できない何かが残る。
それこそが人間らしさの源泉ではないか。私がアンドロイドを作るのは、
人間の人間たるゆえんに迫りたいからです。 私は抱き枕型通信ロポット
「バグビー」も作っています。携帯電話をクッションに入れ、本体を抱きしめ
ながら会話をすると、相手の存在がより近くに感じられます。・・・≫
▼ この下書きの後にTVを見ると、将来のロボットの姿を研究者が実物を
 目の前にして解説していた。ゴミ箱が、ユラユラと歩いて人の傍にいく。
あるいはゴミと判定した傍による。それを見た人は、ゴミを入れたくなる
ゴミ箱ロボット。あとは、手だけ付いていて散歩を一緒にしてくれるロボット
も面白い。ただ合理的ではなく癒し系のところがミソ。玩具とは癒しの要素が
多いから、玩具メーカーにとって、ロボット系玩具は宝の山だろう。
メガネ型PCや、チョッキ型PCや、帽子型PCなど着装式情報端末も、ある意味、
ロボットと捉えることが出来る。これらが進化していくと、思いもよらない
端末が現れ出てくる。

閑話小題 ~私も、あと一年で後期高齢者

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閑話小題 ~私も、あと一年で後期高齢者

   * 衝撃の「魂の書」の邂逅から17年ですか!
 これを読んだ時に衝撃は、計りしれないものだったが、今では、あと一年
あまりで後期高齢者。少しは枯れるかと思いきや、少し足腰の弱りと、物忘れが
気になる程度で、毎日が面白く、楽しい日々。ふと、去年の同月同日をみると、
≪6352,ある老女の遺書-3 魂の書との邂逅 >があった。
『年寄りとは、自分より5歳、年上をいう』とは、言い得て妙だが、8人兄姉の
末っ子のため、3,5,7,9、…年先の「人生、甘くない露払い」と見えてくる。
各々の『生老病死』と、『四苦八苦』が、あからさまに、合せ鏡として。
 自分の世界を確保し、そこを基盤に自由を満喫できる教養を持つ必要の重要性と、
日常に埋没しない『孤独』の世界の確保が如何に重要かを教えてくれる。
そして、私も、老人に仲間入り。人は、ごく身近な人以外は、その行蔵をみない。
それも呆けて、身体の不自由であれば尚のこと。あの怠そうな動きは、足腰が
実際に鉛を身につけたような重さがあり、鈍痛があることに、老いて初めて知る
こととなる。老いるほど、楽しさも、面白さも、好奇心も、心の高まりの激変して
いくことに、老後に初めて気づき涙する。これを読んだ時分は、51歳で母親を
看送り… その詳細は、飽きるほどに書いてある。この17年で、世界も、日本も、
さま変わりをした。特にスマートフォンと、ネットTVの映像世界は目を見張る。

・・・・
6352,ある老女の遺書-3 魂の書との邂逅
2018年08月04日(土)
   * 老人の時節に、再び
 一昨日、同月同日分の文章をコピペのため振返ると、この文章に出会った。
これを読んだのは22年前、その6年後にテーマにしていた。 捨身で人生を
楽しんでいた56歳、この個人HPを開設し二年目に入っていた。壮年から、
老年に一歩、足を踏み入れた頃で、人生のハイライトの時節。
海外ツアーには、
【39】パタゴニア。ー002・12。
【38】スイス。ー2002・07。
【37】西アフりカ ーコート-ジボアール・ガーナ・ベナントーゴ
    ―2002・03
その6年前の1996年には、
【22】 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖) ―1996・06    
【21】エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)―・02に参加。 

当時、少し過剰気味かと思ったが、この感動の御蔭で、翌年、5年半のアルツ
ハイマー病の母親を見送った後に、心というより‘魂のスイッチの切替’に
なった人生を俯瞰させてくれた内容である。
 で、現在、前期老齢者の半ばを超えた72歳。近未来に、彼女の状況と、
心境が、間違いなくやってくる。このテーマを書いて16年。一年、一年が、
新たな老境との出会いになる。何もかもが面白く、新鮮で、知らないことばかり。

・・・・・・・・・・
2002年08月02日(金)
475, ある老女の遺書-1

 この文は「心に残るとっておきの話」第五集に載っていた話で、そのまま
写し書きしてみる。ー老人ホームで孤独に死んでいったある老女のロッカーの
中から見つかった詩、書き置きです。
≪「何がわかっているのです! 看護婦さん、あなたは何をわかっているの? 
 さほど賢くもない年老いた気難しい女、ぼんやりとした目付きをして行動力も
緩慢で、食ものをボロボロこぼしても返事をしない。(努力して、やってみて
欲しいの!}とあなたが大声でいっても、そんな事少しも気にかけない様子で、
靴下や靴はいつもなくしたまま、何も逆らわず、何をしようというわけでなく、
長い一日を入浴と食事で埋めている。そんなふうにあなたには思え、そんな
ふうにあなたは私のことを考えているの? もしそうなら、看護婦さん、目を
開いて、私を見つめてごらん。あなたのいうままに、あなたにしたがって食事
をし、私がじっと静かにここに座っている間に、私のことを話しましょう。
・私が十歳の子供の時、父と母が一緒に暮らし、兄弟姉妹は互いに愛し合い、
・十六の若い少女のときはウキウキし、すぐに愛する人に巡り会えることを夢み、
・やがて二十歳になろうとする時、花嫁になり心は踊り、永遠に守ると
約束した誓いの言葉。                 ー続く
――――
476,ある老女の遺書ー2
2002年08月03日(土)

・25歳で子供が生まれ、子供のために安全で幸福な家庭をきずき、
・30歳の女性になり、子供の成長も早く、永遠に続く絆で互いに結ばれ、
・40歳の時若い息子たちは成長し、巣立つ日も近く、
・50歳の時、再び、私のヒザの上で幼子が遊びたわむれ、
 もう一度私を愛する子供達と私は理解しあう。
・夫が死に暗い日が続き、未来を見つめ、恐怖に身震いする。
若い者達はみな子育てに忙しく、私は昔を、愛し合った日々を思う。

私は年老いた女。自然は残酷だ。
老年が私をおろかにみせる。
私の体から優雅さは打ち砕かれた。
活気はなくなり、かって熱く燃えた心も今は石のよう!
しかしこの古い身体の中に、若い少女は住み続けている。

そして今も再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった日々を思い出し、
私の人生を愛し続け、過ぎ去った日々を再びたどる。
永遠に続くものは何もないという厳しい事実だけを残し、
あまりにも短い、あまりにも早く過ぎ去った年月の事を思う。

さあ看護婦さん、あなたの目を開きなさい。
目を開いて私を見つめて、もっとそばによって、
気難しい老女でない、‘私を知って!’
… …
この文は6年前に読んで非常に感動した本だ。
一人の人間の心の叫びがそのまま伝わってくる。
これを何時か書こうと思っていたが、その時がきたようだ。
いや久々に検査の為、病院に行ったのがきっかけでしかないが。


▼ < この古い身体の中に、若い少女は住み続けている。そして今も
  再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった日々を思い出し、
 私の人生を愛し続け、過ぎ去った日々を再びたどる。
永遠に続くものは何もないという厳しい事実だけを残し、あまりにも短い、
あまりにも早く過ぎ去った年月の事を思う。>
 老人の深い悲しみ、怒り、心の悲鳴が聞こえてくるようだ。

442  子供叱るな、来た道じゃ
    年寄り笑うな 往く道じゃ

    来た道、往く道、一人道
    みんな来た道、往く道じゃ

    これから通る、今日の道
    通り直しのきかぬ道
    いまやらねば、いつ出来る
    わしがやらねば、誰がやる (平櫛田中
443  八笑七敗(負けても笑える心を持つ事)
444  腹たたば 鏡を出して
    顔をみよ、鬼の姿が
    ただでみられる
445  僕は(+)(-)をはずして生きるという事を、
   若い時よりやっていたと思います。
   常識でいえば(-)と考えられる事も、
   体験の大きさでは(+)(-)も同じ。
  (+)3と(-)300なら、マイナスが損と思うが
  (+)(-)の符号をとれば…(日野啓三)  
                 ~『事業百訓』より~
・・・・・・
5620,恋愛心理学 ~⑫恋愛論の最終章
2016年08月04日(木)
          『美人の正体』~越智啓太著 
   * 恋愛論の最終章
 恋愛論、美人論は、なかなか面白いが、そろそろ最後にする。
「美人が何だ、それが如何した」といえば、それまでの話。しかし、綺麗で、
優しい女性は年齢に関係なく、やはり良い。清潔感と、緊迫感に、色気が
加わった一期一会の出会いの中で、何ともいえない輝きが生じる生身の美は
人生の花でもある。 特に20歳前半の一瞬の輝きは、美の極致を垣間見ること
が出来る。全国の美人を数多く見てきたが、地域ごとの個性の輝きがある。
特に金沢の加賀美人は、その趣からして美人の極致だった。世の中には、いる
のである。とはいえで、そうそう絶世の美人は存在しない・・ 
 若い女性の美は一時的輝きでしかない。それを知ってか知らずか、
男たちは、目が眩み一生を棒にふることになる。 新潟県は美人の産である。
これは、水と、米に、関係している。 全国的にみて、近くに大きな神社が
あるところに美人が多い。水、米が上質で、人の出入りが、淀みを少なくする。
 越後新潟でも、弥彦神社の近くは、昔から芸者の産地?と言われてきた。
細面の色白の美人である。
 ところで、森光子が最盛期の天地真理に、
「この輝きと美しさは、いつまでも続くものではないのよ」と諭したという。
「その時には、何のことか理解できなかった」と、往年になって語っていた、
のが印象的だった。 女性の美も生花と同じ一瞬の輝きでしかない。
それもこれも、幻想、幻覚の一つでしかない。大自然の美に感動させられるが、
女性の美は、そのミニ版というところ。

・・・・・・
3783, ユング ー16
2011年08月04日(木)
   * ユング心理学、3つの流れ ー � 発達派
 ☆ 発達派ー人間の精神的成熟と対人関係
【 ユング派の第三の流れは発達派と呼ばれており、主にロンドンを中心に活躍
 しているユング派の人たち。ロンドンというユング派とフロイト派の両方が
交流しながら発展している地域柄もあって、フロイト派の精神分析に近い考え方
を持っている。この派の特徴の一つに、「成人の人格の発達における幼児期の
重要性を強調」している。その人が幼児期にどのような親子関係で育ってきた
かが、その人の現在の人格のあり方にとって大きな影響力を持っているという
考え方。その頃の親子関係が、対人関係と感情や衝動のコントロールに関して、
非常に重要になる。その頃、あまり親に愛されてないと感じた子供は大人に
なってからも、「自分は(親に愛されてなかったから)もっと愛されたい」とか、
「自分は、いつも良い子でないと受け入れてもらえなかったから、この人にも
良い人と思われないと、見捨てられる」とか、歪んでいきやすい性格に
なってしまう。
 ー発達派の治療態度ー
 治療場面で、治療者と患者(あるいは相談者)にわきおこる転移、逆転移
取り扱うことを主な作業とするのも発達派の特徴である。転移とは、治療の過程で
相談者がそれまでの人生において重要だった人物(親・養育者)との関係を、
治療者との間で再現することをいう。つまり、治療過程で、患者(相談者)が、
両親や、それに類する人に感じられる人になるということである。これと逆に、
治療者が相談者に抱く特別の感情を逆転移という。この転移、逆転移
「対人関係におけるファンタジー・幻想」といった方が分かりやすい。そこに、
集合的・普遍的な父親像、母親像も表現されるので、それが重要な分析材料になる。】
▼ いかに、幼児への親の対し方が難しいか、その辺のところが人間の精神の
 成熟の鍵が隠されている。10歳までに人間の性格、能力の殆どが決定されて
しまうことは、自分と、至近の人たちを見渡せば分かる。そこまで、立ち戻って
治療をしていくのが発達派の治療態度。これを血筋と昔から日本人は言っていた。
(哲学的にいえばハビタス)。 もちろん、それぞれ例外はあるが・・ 
両親との関係から、現在の自分に至ったプロセスを見つめ、その歪みを自覚
させるように導き出す。 多かれ少なかれ歪みの集合体が自分ということになる。

・・・・・・
5255,ルサンチンマン  ~ニーチェ「超」入門~
2015年08月04日(火)
               ~ニーチェ「超」入門~白取春彦
   * ルサンチマン
 ニーチェといえばルサンチマンである。ユダヤ教は、男と強者のための宗教
に対し、キリスト教は、女と奴隷などの被支配者の弱者を愛する教えだった。
支配者にとって、弱者の宗教ほど、支配するため都合の良い教えはなく、
中世から近代にかけて、欧州がアフリカ、南米などを世界進出する際、
キリスト教の普及が有効に働いた。 ーその辺りを抜粋ー
≪ モラルもまた遠近法的な見方から生まれた価値解釈とニーチェは考える。
 道徳、モラルというものは、誰か特定の人々が定めて広めたものだ。
古代君主道徳と奴隷道徳においては、しばしば暴力によってその地を占めた
支配者やその所属の人々だ。彼らは貴族と自称した。支配者や貴族たちは自分
たちを中心にして善悪を定めた。つまり、自分たちの気質や行為を「善」とし、
そこから遠ざかっている行為を「悪」とした。これはもちろん遠近法的な思考
から生まれたものだ。貴族のような力を持った者たち、いわゆる強者から生まれた
道徳を、ニーチェは「君主道徳」とした。ちなみに、現代では辞典に採用される
ようになったこのドイツ語は「主人のモラル」とも「支配者のモラル」と訳すこと
ができる。それと対立する支配される側の者たち、いわゆる弱者たちから生まれた
道徳、キリスト教道徳に代表されるようなものを「奴隷道徳」と名づけた。
こちらの原文のドイツ語は文字通りに「奴隷のモラル」と訳せる。 ところで、
こういう名称からくる印象によって現代のわたしたちは二ーチェは差別主義者
のように思えるかもしれない。しかしニーチェは、どんな道徳にしても遠近法的
な思考から生まれたものだということを述べているのだ。つまり、どちらも真の
道徳だというわけではない。それどころか、真の道徳というものなどなく、
あるのは何を自分たちの道徳にするかという遠近法的解釈だけ。
 道徳はその時代の文化、その土地の文化から生まれ、それゆえ多様だからだ。
この地での悪とみなされる行為が、別の地では悪ではないことは往々にしてある。
たとえば、古代においては人間を殺して神への供え物とする風習の地があった。
これは悪習ではなく、宗教上の道徳的義務でもあったのだ。
  ールサンチマン
どんな道徳も当時の遠近法的思考から生れたものだとニーチェは認識しながらも、
やはりキリスト教道徳に対しては嫌悪感を見せている。なぜならば、キリスト教
道徳は恨みから発したものだからというのだ。この恨みはルサンチマンと呼ばれる。
強烈なやっかみ、屈折した逆恨みのニュアンスを含ませるためにルサンチマン
いう語を使ったのだ。 モラルなど最初からなくて、あるのは何を自分たちの
道徳とするかという遠近法的解釈だけなのだ。
 ニーチェは、キリスト教道徳の生まれた紀元の時代の人間関係にこの道徳の
発生の原因を見た。つまり、ローマ帝国が地中海を中心にヨーロッパのほぼ全域
から北アフリカまでを支配していた頃である。当時、ユダヤ教徒は支配される側の
民族の神だった。ユダヤ教徒の右派はローマ帝国に対して三回も戦争をしたが、
戦闘技術にたけたローマ兵にかなうわけもなかった。≫
▼ ニーチェは、何も考えないキリスト教を妄信している穏やかな平民を、まず
槍玉にあげた。恨みから発したルサンチマンを「支配者のモラル」として徹底的
に否定。そして神にかえ、「超人」を置いた。キリスト教社会では、否定されて
当然である。これこそ、ニーチェの真髄である。
・・・・・・
5985,閑話小題 ~最後の講義・5 ー石黒浩:対談
2017年08月04日(金)
        ~多摩大学客員教授・本荘修二:特別対談
   * 夢を言い訳にするな
 過去を、特に若い時節を振返ると、「夢の実現」のため、世界を小さく
閉ざしてきたようだ。それ故に得たこと反面、失ったこと、機会ロスをした
ことが頭の中をよぎる。 『お前、何をしてきたのか?』と。
まずは読書からして、限定してきたようだ。
<よく見れば薺(ナズナ)花咲く垣根かな> の芭蕉の句のとおり、小さな
 世界が無限に存在していた。しかし…
まさか、夢のマイナス面を、ズバリ指摘するのも、新鮮である。
「夢ツリー」を心に鮮明に持ってこそ知りえたこと、出来たことがある。
 
   ー夢は持ってはいけませんー
<本荘> 本日は、石黒さんと一緒に「夢を実現させる力」というテーマで、
話を進めます。みなさんの中で、石黒さんが書かれた「アンドロイドは人間に
なれるか」という本を読んだ人はいますか?これを読んだ人は、夢を実現させる
力を分かっていると思います。 ちなみに僕は夢を持ったことがありません。
<石黒> 僕も同じで、いつも学生にも「夢は持っちゃいけない」と言っています。
早めに夢を持ってしまうと、幅広い事柄について勉強しない言い訳として夢を
使ってしまうので、夢は持たない方がいいと言っています。自分の能力はどん
どん拡張していくはずなのに、夢によって潰されてしまう感じがします。

<本荘>
夢の実現という例として、セリエAに所属するサッカーの本田圭佑選手が、
さいころの文集に書いた夢がかなったということで大人たちが過剰に美化して
いましたが、私は違うのではないかと。夢は育みつくるもので、どんどん変化
して当たり前なのです
<石黒> 夢を持つことでうまくいく人もいるかもしれませんが、確率的には
ほとんど意味がありません。夢を1つしか持てないと、やらないことの言い訳
に使われてしまいます。私は、夢を持つなら100万個くらい持てと言っています。

――
▼ 20歳で、「創業を目指す」と、一匹狼としての生き方を決心した瞬間から、
 周囲が全く変わってみえるようになった。時代背景もあったが、日々の何も
かもが新鮮で、面白く、明るく輝きを増していた。
 しかし、背後から黒い得体のしれない影が覆うようになっていた。
いま考えてみると、内なるエネルギー、そう両親の期待?だった。「夢ツリー」
があればこそ、人生を豊かにしてくれたが、せっかく地球ツアーの機会を与え
られたのに、小さなツリーに縛られて、それ以外に、大したことが出来なかった
人生を眼前に突き出され、狼狽えるのが大方の人生? いや違うか。
 今さら、「夢ツリー」は、視野教唆で、マイナスといわれても… 
最期は充実感の手ごたえがあったかどうか。これもそれも、夢幻でしかないか。
 夢ツリーに、行蔵としての、電飾や人形とか、おもちゃを吊るして楽しむのも
楽しいもの。ただし、部屋の一角に収めて置き、時々、独りで眺めること。
・・・・・・
4890,閑話小題 -人型ロボットの現在と未来 ~2
2014年08月04日(月)
   * 自分のアンドロイドを講演会場に!
 自分のアンドロイドをつくる着想が非常に面白い!分身そのものである。
奇妙な感覚ではないか?そのアンドロイドの目(カメラ)から映る周辺の景色と、
人々との交流の感覚はどんなだろうか? ーその箇所のコピーからー
≪ 私は、自身をモデルにした瓜二つのアンドロイドを海外での講演にしばしば
 使っています。数年前にはアンドロイドに自らを合わせようと、私は美容整形
も試みました。アンドロイドを講演会場に送り込み、聴衆から質問を受けるとき
だけ、インターネットを介して遠隔操作で私が答えます。最近では、私よりも
アンドロイドへの講演依頼のほうが多いくらいです。私が直接出向くと、ホテル
代やら飛行機代がかかるので高くつくんです(笑)。 人間国宝桂米朝師匠の
アンドロイドも作りました。見た目はもちろん、身振り手振りまで師匠そっくり
で、落語を演じさせると非常に迫力があります。このアンドロイドによって
初めて、無形文化財有形文化財になったと言えるでしょう(笑)。
将来は多くの人がアンドロイドを所有して、自分の分身として活用する日がくる
かもしれません。 人間は、機械にあらゆる行為を代行させたいという欲求を
詩っています。たとえば、食洗機、掃除ロボットなどは家事を代行してくれます。
このような機械は今後も発展を続け、肉体労働をますます減らしてくれる。
しかし、いくら技術が進歩しても、機械には代行できない何かが残る。
それこそが人間らしさの源泉ではないか。私がアンドロイドを作るのは、
人間の人間たるゆえんに迫りたいからです。 私は抱き枕型通信ロポット
「バグビー」も作っています。携帯電話をクッションに入れ、本体を抱きしめ
ながら会話をすると、相手の存在がより近くに感じられます。・・・≫
▼ この下書きの後にTVを見ると、将来のロボットの姿を研究者が実物を
 目の前にして解説していた。ゴミ箱が、ユラユラと歩いて人の傍にいく。
あるいはゴミと判定した傍による。それを見た人は、ゴミを入れたくなる
ゴミ箱ロボット。あとは、手だけ付いていて散歩を一緒にしてくれるロボット
も面白い。ただ合理的ではなく癒し系のところがミソ。玩具とは癒しの要素が
多いから、玩具メーカーにとって、ロボット系玩具は宝の山だろう。
メガネ型PCや、チョッキ型PCや、帽子型PCなど着装式情報端末も、ある意味、
ロボットと捉えることが出来る。これらが進化していくと、思いもよらない
端末が現れ出てくる。

つれづれに

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 昨日の長岡花火は三年連続、行かずにTVでみる。
これも慣れれば、けっこう風情がある。

 今朝方、何時ものミニ・チャリで長岡大橋から
大手大橋経由で長岡駅前のコースを走行してきたが、
今まで無かった?大通りの町内会がボランティアの
清掃をしていた。

花火の観覧席の掃除ボランティアと、関取の人たちで
数百人が出ていた。




・・・・・・
・・・・・・

6351,幸福な人ほど「知的」になるのはなぜか?
2018年08月03日(金)
              <「自分のための人生」ダイアリー著>
   * 知性は、幸福なればこそ
 この本の小項目、<幸福な人ほど「知的」になるのはなぜか?>が、
面白い。知性のある人は概して幸せそうである。何故か美人は、清潔感と、
明るさと、質素感がある。生れ育ってきた過程と、家庭環境が相まって
自然と、そうなったのだろう。自然と、そこには知性が育まれている。
 ここで、
≪『適正とは、学習すべき課題を習得するのに要して時間』であると。
この言葉が示しているのは、充分の時間を与えられれば、どんな人でも課題を
習得できるということ。知性は、遺伝とか、他から与えられるものではないと
いうこと。知的な人ほど、「この世には、いくら学んでも学びきれないことが
ある」と知っている。彼らは、「分からない」と言うことを恐れません。
知らなければ、学べばいいのです。本当に頭のいい人は、知らないことに落ち
込まず、「知らない」を「知る」に変える努力をします。知性とは、自分の知識
の限度を心得ていることなのです。≫ とある。

▼ 都会に出て、周囲を見渡した時にまず実感したことは、都会人の読書量の
 多さと、話題の豊富さ。それ以前に話術のセンス。ただ、無口でいるしか
ない劣等感に陥ってしまう。そして、まずは読書をするが、まずは絶対量から
入るしかない。部屋や、図書館に籠って読書に熱中すると、心が落ち着く反面、
何故か疎外感が強くなり、誰か友人と群れたくなる。で、行きつく先が女友達。
その質を深く考えることなく、一生の伴侶を決めてしまう。
 「良いこと3:悪いこと1以上が幸福の目安とすると、その状態なればこそ、
知性を呼寄せることになる。17年前に、個人HPを開設し、「一日一テーマを
自らに位置付けた。50年程前には、一日、二時間の読書時間の確保を…ライフ
ワークにした。それにしては、大した質量のベースでないが、この二つの
生活習慣が、51回の秘・異郷ツアーの別腹の世界を構築させてくれた。
さらに、40年以上の早朝散歩とポタリングも、然り。以前に書いたが、現在の
私の幸せ度数は『6対1』である。7年前の節目に、構築した生活習慣が大きく
影響を与えてくれる。それと、このブログの17年にわたる随想日記の継続と
蓄積がある。些細で、自慢は出来ないが、それでも、6:1の幸福感が、下支え
になっている。知性は、己より質量が上だと、霞んで見えるが、逆になると
鮮明になるから恐ろしい。そのまま性格、特に幸福度数の質量に現れる。

・・・・・・
5619,閑話小題 ~日本五大花火大会について
2016年08月03日(水)
  * 日本五大花火大会について
 昨日、今日と、長岡花火。昨夜は、早朝の自転車コースの水道町公園に
19時半から20時半まで一時間ほどの花火見物に行ってきた。「フェニックス」
が終わるのを待って、帰ってきたが、空が曇っていたが、「フェニックス」が
上がる頃には、何とか空が晴れていた。 ~ネット検索によると~
<二大といえば「大曲」「土浦」。三大で、「長岡」が入る。
 次に、PL、諏訪湖、片貝、熊野、 袋井、豊田とある。>
 ~他のネットでは、
< 1位 長岡まつり 大花火大会;
  2位 全国花火競技大会(大曲の花火);
  3位 土浦全国花火 競技大会;
  4位 ふくろい遠洲の花火;
  5位 赤川花火大会;
  6位 豊田おいでんまつり花火 大会;
  7位 常総きぬ川花火大会;
  8位 熊野大花火大会;
  9位 古河花火大会;
  10位 水戸 ...           >
 それぞれの特質があって、どれがベストかは言いがたいようだ。
長岡花火は、二年前に、『この空の花』で、映画化されて一躍、有名になった。
昭和24年の夏、山下清が日本一の花火を見るため長岡に現れた。その翌年、脳裏
に焼き付けた記憶で生まれたのが、貼絵の技法で描かれた「長岡の花火」である。
 これらを鑑みると、三大花火の一つというのが、正しいのだろう。
10年前までは、ツアーなどでの自己紹介で<長岡出身です>といえば、
<『田中角栄』『田中真紀子』の出身地ですね!>だったが、
「フェニックス」以来、<「長岡花火」の長岡ですね!>と言われるようになった。

・・・・・・
5254,下流老人 
2015年08月03日(月)
 去年になるが、 NHKスペシャル、ー老後破産:長寿という悪夢ー
をみて衝撃を受けた。家内も厚生年金のため、人並みの生活は出来そうだ。
先日、新聞の雑誌広告で、『下流老人』という言葉が目に付いたので、
ネット検索をすると、以下のような厳しい内容が出てきた。
≪ ・ ー下流老人とは、
1、収入がない、2、資産がない、3、社会的ネットワークがない老人をいう。
 総務省の家計調査や、所得統計から貧困ラインから下流範囲を推測するが、
生命保険会社や金融機関では、老後生活の費用は最低ラインで20万円、ゆとり
ある暮らしには30万円超が必要という。ほとんどの老人世帯は最低ラインで、
ゆとりある老人世帯は一握り。(これは金融商品や保険を売るため使われる。)
・2014年の我が国における65歳以上の高齢者人口は3300万人、総人口に占める
割合は25.9%と、共に過去最高を記録しているが、大づかみに言って、そのうち
600~700万人が「下流老人」と見なされている。内閣府の調査でも(2010年)、
65歳以上の高齢者世帯の「相対的貧困率」が22.0%となっていることから、
この推計は大きく的を外してはいない。老人と若者の間の「世代間格差」
が問題となっているが、老人の間の「世代内格差」も凄まじいものがある。≫
▼ 10年、20年スパンでみると、9割の老人が「下流老人化」するという。
 老いれば、金を使う場面も少ないから、さほどの問題ではない?と、たかを
括っていられない。死ぬまでは金が要るが、死んだ瞬間から、生活費がゼロ
になるので、当人にとっての持ち金は微妙な問題でもある。 それでも
総世帯の15%が「下流」というから、やはり老人の立場は弱い。本格的
な国家衰退が始まってきたが、そのシワ寄せは、まず弱者に襲いかかる。
ギリシャが問題になっているが、それより、日本が遥かに深刻である。
ひたすら直視しないで、先送りしか手立てがないだけ。その限界の年が、
今年から来年。その矛先が、まずは老人と、母子家族。何がオリンピックか!
目先を凌ぐ、末期患者のリンゲルと同じ。その責任は、選んだ国民にあり。

・・・・・
4522, 生きる悪知恵  ー1
2013年08月03日(土)
  「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著)
 図書館の返却コーナーで見つけた本で、面白そうなので借りてきたが、これが
面白い! 著者は、このところ売れっ子で、岩井志麻子中村うさぎなどと
女無頼を売りにしている。しかし答えは至ってまともで、的を得て、簡単。
「被害者面するな。世間体やプライドとか言ってる暇あったら、あの手この手
を使って状況を打開しろ」で、「人生、生き延びてナンボ」が一貫している。
  ーアマゾンの内容紹介ー
=『ぼくんち』『毎日かあさん』で知られる人気漫画家・西原理恵子が、
波瀾万丈な人生経験をふまえて、恋愛、家族関係から仕事、おカネの問題まで、
あらゆる悩みに答える「人生相談」エッセイ。 主な項目は以下の通り。
「70社受けてもダメ。出口の見えない就活に疲れ果てました」
「苦手な上司に毎日のように飲みに誘われます」
「結婚して5年。妻がブクブク太っています」
「夫が浮気しているようです。追及すべきでしょうか」
「息子の部屋からロリコン漫画が出てきました」   
「60代の父が30代の女性を同棲。妙にやつれてきました」
「頼まれるとイヤと言えない性格を何とかしたい」  
「夫が痴漢で逮捕されました。無実を信じたいのですが」
「小銭を借りて返さない同僚に困っています」など。=
  ー「はじめに」の冒頭からして、これ(以下)であるー
≪ ・・私の故郷の高知県なんか、すごいですよ。
 高知で一番大きな会社はどこかっていうと「生活保護」。
「あれだけお金払える会杜、ほかにない」って。で、生活保護をもらえる人は
貯金しない人だから、きっちり毎月全額を飲み食い、遊興費で使ってくれる。
それで高知県の経済が回っている。それはまあ半分冗談ですけど、実際ケース
ワーカーさんに話を聞いたら、「確かに腹の立つヤツもおる。こいつは
インチキやろ、というのもおる」と。だけど、「具合悪くて働けんゆうたら
そうかもしれんし、そんなに悪ないゆうたら悪ないかもしれんし、人間なんだ
から玉虫色なんです。ただ、それで生活を立て直す人たちも確実にいることを
覚えてお いてください」と言うてました。日本人って「正直であれ」とかよく
言うけど、真面目すぎるのも生きづらい。もっとウソつきでいいんじゃないかと。
 私がこれまで漫画家として生きてこれたのは、正直じゃなかったから。
ウソをつくのを悪いと思うてない。一番最初のお客さんである編集者を、
いかにダマすかというところから始まりています。締め切りがギリギリで
絶対OKもらえなさそうな人には、最初にくだらないA案を見せて、あとにもう
ちょっとマシなB案をもってくるとか、目くらまし的なことをやって。あと、
10万円欲しいときには、最初に「100万円くれ」って言ってみるとか。
火事場泥棒みたいなことは我ながらうまいかな、と思いますね。もうひとつ
よかったのは、プライドがなかったこと。私の仕事は客を笑かしてナンボなので、
自分の表現がどうとか関係ない。もらえる仕事は何でもやってきた。
身もフタもないことを平気でできるというのは大事です。プライドでご飯は
食べられません。誰だって働けなくなる日は来るんだから、とにかく働けるうちは
働いてお金を貯めておけ、と。だから、今でも仕事はどんどん入れてる。
国とか会社をアテにしてたら酷い目に遭いますよ。》
▼ 西原は「借金を重ねながらも夫を看取り、子供を育て、誰に頼らないで
 大量の仕事をこなしながら、ここまで至った。人生・体験に基づいた
回答だから、「生き延びたもの勝ち! 横から攻めたり、一旦逃げたり、
ダメな時の解決は人任せ」 でも嫌に説得力がある。男には書けない
開き直りが面白みを増している。

・・・・・
3782, ユング ー15
2011年08月03日(水)
  * ユング心理学、3つの流れ ー ? 元型派  
 ☆ 元型派ーひたすらイメージと対話し、遊ぶ   
< 元型派= 古典派が自己の元型の象徴と、その変容に重点を置くのに
 対して、『元型派』は変容や自己実現はフィクション・幻想であるとする。
そして常に変容を目指すという古典派の態度そのものが、かえって人間を
傷つけるとして、変容や統合を目指さないでひたすら「イメージそのものを
大切にする」という態度をとる。それはたとえば「オルフェウス」の神話の
解釈に表れている。{ギリシャ神話の音楽と詩の神オルフェウスは、蛇にかまれて
死んだ妻を地下の世界、つまり黄泉の国に行き、連れ帰る途中に、決して後ろを
振り向いてはいけない約束を破ってしまったため、妻は洞窟の奥に吸い込まれて
消えてしまった。そして、彼の使っていた竪琴だけが天に昇って琴座の星座に
なってしまう。その後、オルフェウスは放浪の旅先で殺されてしまう。}
 この神話は古典派的視点から見れば、女性像=アニマを獲得しそこなって
男性性を確立しそこなった失敗例として扱われる。しかし、イメージそのものを
大切にする元型派は、この神話の各登場人物やアイテムが「生き生きしている
ことが大切」である。 竪琴が星座になってキラキラしているのであれば、
自己実現しているのだと理解できる。患者が統合や発達の失敗、男性性や
女性性の確立の失敗などの夢を見ても、失敗例と見ない。その夢の中の
イメージや登場人物・アイテムについて、じっくり 話し合い、そのイメージ
と遊ぶように接していくのが元型派の特徴である。
  ー元型派の治療態度とはー
 元型派は、患者の夢のイメージそのものを何よりも大切にし、イメージと遊ぶ。
古典派の患者の変容や治癒だけを目指すのではなく、患者のイメージにいかに
寄り添えるかを大事にし、夢そのものを色いろな角度から味わい、深めることを
目的とする。 時には、治療者と夢に関連させて共に空想を膨らませたり、
昔みた映画やドラマの話しをしたり、突拍子もない話をする態度である。
それは、あくまで治療者の「癒し」につながる遊びである。それらの対談の中で、
その夢は単に、その人だけのものでなく、人類に普遍的なものだったり、時空を
こえた昔話だったり、神話につながることに気づくことで、孤独が癒される。
 このように、イメージに忠実に寄り添い、深めることで、結果的に治療や変容
が生じてくるのであり、変容を起こそうと思ってはいけないのが、元型派の
基本的態度である。 >     (『ユング心理学』福島哲夫著ーP・200)
▼ 患者の夢について、色いろな角度から深く語りあううちに、患者の悩みが
 特殊なものでなく普遍的なものと気づくことから孤独感が薄らいでいく。
何ごとも肯定的に受けとめることが重要になる。〔イメージそのものを大切にする
元型派は、この神話の各登場人物やアイテムが「生き生きしていることが大切」〕
とあるが、考えさせられる。そのイメージと遊ぶように接すれば生き生きして
くるはず。神話は民族の元型である。その登場人物はキラキラ輝いていなければ!
6350,読書日記 ~久しぶりの 『道は開ける』 ~2
2018年08月02日(木)
              『道は開ける』 D・カーネギー (著),
   * あなたにはロックフェラーを超える財産がある
 半世紀の年月を超え、以下の言葉の衝撃が鮮明に甦ってくる。
数年前の会社整理で直感したことが、『‘空即是色’で良いじゃないか。」
考え方、見方をを変えれば、それで済む。65歳はビジネスのリストラ時節。』
 この『日々 是 口実』で、辛うじて精神のバランスを保っていた。
失ったモノ、コトより、残せたコト、モノで楽しめば良いと… 
「善、悪は他人の気まぐれ!  良し、悪しは自分の正否」と、
自問自答するしかなかった日々。

≪ カーネギーの講義のマネジャーをしていたハロルド・アボットは、
 10秒もかからない出来事によって、それまでの10年を超える学びを得て、
すべての不安が消えたという。
食料品店の経営に失敗した彼は、貯金を失っただけでなく、返済には7年も
かかる借金もあった。銀行で当面の金を借りようと、とぼとぼと歩いていた時、
両足のない男がやってくるのが見えた。彼はローラースケートの車輪をつけた
小さな木の台に座り、握った木の角材を使って前進していた。
両足のない男の目が合ったとき、その男は素晴らしい笑顔で挨拶してくれたのだ。
「おはようございます。良い朝ですね」。元気よくそう言ってくれた足のない男
を見たとき、アボットは自分がどんなに恵まれていたかがわかった。
自分には足が2本あって歩くこともできる。
私たちが所有する豊かな富を考えれば、お金がなくてもいつも陽気でいられる。
・あなたは両目を1000億円で売る気はあるだろうか? いくらなら両足と交換する?
・体の一部ではなく、子どもや家族ならどうだろうか? あなたが持つ財産を合計
 すれば、それがロックフェラー家とフォード家とモルガン家の財産のすべてを
 差し出されても、渡したくないほど価値があるものだということがわかる。
私たちは、すでに持っているもののことは滅多に考えず、いつも、持っていない
もののことを考えてしまうのだ。 ≫

▼ 日本に『ヨガ』を導入した中村天風が、常日頃、教えているのが、このこと。
<私たちが所有する豊かな富を考えれば、お金がなくてもいつも陽気でいられる。>
 このことを忘れるさせるのが、常日頃、ここで語る『世間』様。半径500mに
固執する衆愚の人たちの妄想。死んでも気づかないから、これも生き方だが。
『道が閉じてしまった!』 ことすら理解できなく、目先を右往左往して生きる。
すでに持っているもののことは滅多に考えず、いつも、持っていないもののことを
考えてしまう人たち。だから、他者の浮沈みで、失ったモノしか見えない。得て、
しまい込んだコトが見えないのである。世界は500mの外にあるのを理解できない。
これらを衆愚というが… 何時の間にか、私たち?も、この溝沼に… ?