つれづれに

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 今朝は、二日ぶりにポタリング

 政府が、100歳平均の生存時代に、65歳で2000万の貯金が必要と発表。
人口の収入の真中の平均値が400万。3割がゼロの時代に、何で2000万が必要
と発表したのか? 消費税を8%から10%への布石のつもりだろうが…
都会の一部上場のサラリーマンで、平均2000万と聞いていた…

 そろそろ大不況の前の変な風が吹いてき出す頃。理想だけを言っていられ
ない時節に入ってきた。としても、アメリカ、中国、ロシアが、何かが変である。





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2016/06/05
フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは ~②

   * 強烈なミヤコ蝶々の母役   <山田洋次名越康文 対談>より
 なぜか、シリーズの中で印象に強く残っているのが、寅の母親。
ミヤコ蝶々が演じていたが、これがハマリ役。寅の『基低欠損』の原因である
関西のオバアチャン。 私事になるが、終戦直前に焼出された商家再建の中で、
産まれ育った。両親は商売に熱中、私を含めた8人の兄姉たちは、親の直の愛情
を受ける機会が少なかった。その中、末っ子もあって、兄、姉たちだけでなく、
多くの従業員の愛情を一身に受けたのが大きい。両親は、気が向いた時だけ
愛情を注いでくれていた。その代わり、美人の女店員に付いてまわっていた。
 ふと思いついた言葉が、私に関しては「基底肥大」。兄、姉は、終戦
最中の混乱で、『基低欠損』が大きくあったような。 
~これは、何れの家庭にいえることだが。条件と原因は、ほぼ同じ働きをする。
≪山田:自覚はしていないけれど心の中に空洞を持っている人間、寂しさを抱えて
 いる人間は、そこを埋めたい埋めたいと意識の下で思っている。だから、時々、
 ヒステリカルに怒ったりしてみんなに嫌われたりするということでしょうか。
名越:寅さんは第二作で実の母親に会います。しかし京都でラブホテルを経営して
 いる母親役のミヤコ蝶々さんがこれまた強烈で、せっかく念願の親子再会を果た
 したのに、「今頃、何の用やねん。あっ、銭か、銭はあかんで」と、サラッと
 言われてしまう(笑)。
山田:撮影した後、そういう残酷な母親を演じさせた僕に、蝶々さんは
 「気にしなくてもいいんですよ」と言うんですよ。「わてはこういう汚い役は
 好きなんや。その奥に、人間のキラッとしたものが見えればそれでええんや」
 と言っていました。
名越:さすが蝶々さんですね。この第二作の中で、蝶々さんは「どの世界に、
 喜んで子供を捨てる親がいるんじゃ!」とズバッと言いす。-このセリフが心に
 残るんです。ぞしてラストシーンでは、橋の下で、寅さんが母を追いかけている。
 あの場面は本当に象徴的で、カウンセリングを山のようにやってきた人間から
 すると、「そうそう、これしかないんだよな」と思います。つまり、子供の方が
 一生懸命、親の「理想像」を作り、それをいつも追いかけているんです。≫
▼ 母親が亡くなった時、医師の依頼で、解剖をすることになった。
 兄二人が、たて続きに不幸な死に至った苦悩で極度のノイローゼに陥って、
数年間、心筋梗塞などで死線を彷徨った中で、心臓の4分1が壊死をしていた
ことがわかった。医師は、よく生き延びていたと、驚いていた。その中で、
生き残った6人に、深い『基底欠損』が、当然あった。青年期に至るまで、何度
も亡くなった兄二人が夢に出てきていた。その傷を抱え、膨大なエネルギーを
要する創業を、我ながら目指したもの。その経験があるため、第三者の批判の
軽さに心底から蔑視ができる。批判は自分の影に対する反映でしかないのが
自覚できない。影口の呟きで、自分の壁をつくっているのが、俗にいう世間人。
 ~で、また偶然だが、以下につづく!
――――
2016/06/06
フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは ~③

 「基底欠損」を、ネット検索すると
≪ ■概要
 基底欠損とはBasicFaultの日本語訳で、「基本的信頼感の欠如」を意味する。
基本的信頼感とは人間の根源的な信頼関係であり、お母さんと赤ちゃんのような
何物にも代えがたい関係を言います。この基本的信頼感がしっかり形成されて
いますと、精神的にも情緒的にも安定した状態でいられます。
 基底欠損はこの基本的信頼感がうまく形成できていない状態で、そのせいで、
世の中や他者に対して信頼をおくことが難しい状態をいう。言い換えれば、
世の中や他者に自分の身を預けて安心することがなかなかできません。
 パーソナリティ障害では、情緒不安定パーソナリティや境界性人格障害など、
この基底欠損がみられる。≫ とあった。 
――
名越が山田洋次との対話で、「寅さんのように幼少期に愛されずに育ったため、
恋愛などで相手と関係を構築できなくなることを基底欠損という」と述べ、
山田監督に、「もし僕が寅さんに『基底欠損ですよ』って言ったら、
『てめえさしずめインテリだな!』って返されますかね」と聞いたところ、
山田は「いや、『俺は基底欠損ってんだそうだ』って、自慢するんだろうね。」
と答えていた。 名越の一映画ファン兼心理学者のマドンナ=女優評も面白い。
吉永小百合「謙虚で清純で、優しくて気高い、でもどこまでも頑固で
 人から影響を受けない性質」
竹下景子「かわいらしいけれどもどこか野暮ったく、知的だけれども控えめな
 『ザ・日本女性』」
都はるみ「芸を売って生きる女の悲哀、色気、さすらう人生が匂ってくる」
マドンナ・リリー役を演じた浅丘ルリ子については、ない。
▼ さしずめ私は「基底肥大」と前回書いたが、基底欠損と、基底肥大が入り
乱れた歪な性格になる。親の愛情こそ必要なのが人間。その絶対量が、その人
の人生を決めることになる。 何故か、長女のA型の女性に引かれるのは、
優しさと、芯の強さを母親代わりに求めるためか。「この人の、基底欠損、
基底肥大は何か?」と知るだけで、その人となりを知ることができる。
 ところで、日本の基底欠損、基底肥大は何かを、今度、考えてみる。


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5929,ネットの未来 ② ~リア充と、非リア
2017年06月09日(金)
       <「鈴木さんにも分かるネットの未来」川上量生著>
   * ネット原住民とは
 この本を読みながら、リタイア後の私は、ネット原住民の仲間入りと、
ほくそ笑んでいたが、彼らは、そんな甘くないコテコテの引籠りの人種。
ネット原住民というより、ネット先住民といった方が正しい。
今では、スマフォが普及して、ネット社会という新世界に大量になだれ込ん
でいる。先住民にとって新大陸で、非常に迷惑という。カメラ機能を使い、
現実世界の楽しみを公開、先住民のプライドも、ズタズタに壊される。
 ~その辺を要約すると
≪世には「リア充」という言葉がある。これは、リアル(現実の生活)が充実
している人で、具体的にいうと、友人や彼女と日々楽しんでいる人をいう。
逆にリア充でない人を「非リア」と呼ぶ。ネット住民は、自らを基本的には
非リアと認識している。非リアに認定される条件は、もともと、もっと厳しく、
彼女がいるかどうか、それも人生の中で一度も彼女がいない、風俗経験すら
ない位でないと、非リアと認定されなかった。ネット上では、自分がリア充
ないと主張することが重要になる。リア充は、ネット社会で憎悪の対象であり、
迫害の対象になる。
 ネット住民が誰かリア充を呼ぶとき、基本的にはその言葉に敵意が込められ
いる。ネットでよくみる言い回しに「リア充、氏ね」とか、「リア充、爆発しろ」
という。ちなみに、「氏ね」というのは、「死ね」という意味がある。
住民には、複雑な優劣等感が入り混じっている。
 ▽ ネット住民の劣等感の例
・現実社会で友達が少ない
・彼女・彼氏がいない
・学校でいじめられた経験がある
・自分の趣味の理解者がいない 話すと相手がひく。
 ▽ 優越感の例
・PC、ネットの使い方に詳しい
・新しい情報をネットを通じて調べる能力がある
・ネットリテラシー(何をすると炎上するか)に詳しい。
リア充は、最近では、肯定的な意味で使われることが多くなった。
リア充」と同じぐらい重要な言葉が、「情報強者」「情報弱者」。
つまり、ネット検索で最新の情報、正しい知識を手に入れ得をしている人達。
今では、情報強者とは、賢い人、情報弱者は馬鹿、というニュアンスがある。≫

▼ 一日、16年以上、3~4時間はパソコンの前に座っている私は、先住民と
 思い込んでいたが、後続の流民の一人、地続きの二つの世界に住む、大部分
の人たちでしかない。新しネット住民は、現実世界を楽しむ「リア充」で、
占められている。先住民は、その居場所を追いやられ、怒りに満ちている。
新大陸に居場所をつくってしまえば、これほど面白いところはない。流民の
私の実感は、<とにもかくにも、落ち着き、充実感があり、面白い!>

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5564,閑話小題 ~にほん縦断こころ旅 ~②
2016年06月09日(木)
   * 自転車に乗ってとうとう6年目  火野正平
 「文芸春秋・4月号」に火野正平の『自転車に乗ってとうとう6年目』があった。
私自身が、8年目になるので、これに触発され始めたのではない。兎にも角にも、
直に川辺の自然の中を電動アシストの力を借りて、疾走するのは、この上なく
気持ちがよい。 車輪付のグライダーに乗ったようである。
 数年前から、NHK/BSで、朝食を食べながら、この番組を観るのが
日常になっている。あの目線で、土手を突っ走った直後のため、何か延長上
にいるような錯覚をすることシバシバ。 人懐こい火野の生の声が聞こえて
きそうな文章である。  ~全文を2回に分けて紹介する。
【 最初にNHKプロデューサーの企画を聞いた時、「アホちゃうか」と思ったよ。
普通、火野正平にこんなの頼まないでしょ(笑)。俺が自転車に乗って日本全国を
旅する番組『にっぽん縦断こころ旅』(NHKBSプレミアム)も、今年の三日からの
放送でとうとう六年目。去年の秋に通算五百日を突破したから、一年で百日は
自転車に乗っている。六十六歳でこれだけ乗っている人は、なかなかいないだろ。
確かに自転車は子どものころは好きやった。12歳からこの仕事をやっているけど、
子役で稼いだギャラの大半を自転車につぎ込んでいた。中学・高校では毎日
乗っていたし、サイクリングクラブにも入っていた。大阪の豊中に住んでいた
から、六甲山にもよう上ったな。
 だから番組で久々に自転車に乗ったときも、段差があるとこでは必ず尻を
浮かせていたし、体重移動も自然に出来ていた。スタッフはお尻が痛いって
言っていたけど、俺は痛くなったことはない。俺のケツが凄いのか?って思った
けど、体が覚えていたからなんだろうな。もちろん坂道はしんどい。大山の
鍵掛峠なんて「行くとこやない」って、スタッフもみんな愚痴っていたもの。
 自慢できるのは、これだけ乗っていてコケたことがないこと。昔はかなり
危ない運転をしていたけど、いまコケたら大怪我するかもしれないから、だいぶ
気をつけてる。若い頃はスピードが出すぎて、このまま行くと崖から落ちちやう
から、わざとコケて止める、なんてこともしていた。いま考えると恐ろしなるな。
自転車だと車じゃ見えないものが見える。風も、気温も、雨も感じることが
出来る。道端に虫がいたらそれも分かる。この番組は視聴者から貰ったお便りに
書かれている「こころの風景」を探しに行くのがメインテーマだけど、自転車
だからこそ見つけられる場所もある。たまに「何これ?」っていう場所もある
けどな。単なる路地の曲一がり角とか(笑)。   ~次回に続く~ 】 
▼ 最近、いやに同月同日分の内容が偶然にして出来すぎではと思えるほど、
テーマが同じか、続きものとして被ることが多い。恐らく、脳には自覚できない
何かがあるのだろう。 なんだろう、これは? それと、あの「布置」という
偶然。人生の節目で、己の心の血を、私の傷口に直接的にぬり付けてきた、
大部分の、当人か家族に、病気か事故が生じるのは?
 この年齢になれば、家庭内に、病気や事故の一つ二つはあって然るべきだが。
 数日以内に、「復讐するは我にあり」のテーマを書いてみる。
それにしても、ここまでシリアスの偶然の一致は、我ながら気持ちが悪い?
 いや、気持ちが良い! ですか。

・・・・・・
5199,閑話小題 ~にほん縦断こころ旅 
2015年06月09日(火)
 4月~11月までの8ヶ月間、雨天以外の毎朝6時半から7時半まで
ポタリング(自転車散歩)を続けて、はや、6年数ヶ月になる。
家に帰った直後、NHK:BS『にほん縦断こころ旅』を見るのが日課である。
通りすがりの車の中から、『いつも見てますよ!』と声が掛けられる。
NHKの印籠を持った『水戸黄門』一行様の行列が、親しみをふりまいて
通り過ぎていく。火野正平は人懐こい風貌、性格が特徴。 町、村の小さな
食堂の食事の場面が地域性があってよい。また、それぞれの地区の人の暖かい
触れ合いも色を添えている。 先日、一人家さきで、休んでいる火野の隣に、
何気なく座って話しかけてきた80歳過ぎ?の老人との会話がよい。
 話の切欠に、老人が、『私の歳が幾つにみえますか?』に対し、
火野が、『そういうには、見た目より、遥かに歳をくっているでしょう』に、
『91歳です』と。確かに10歳は若く見えた・・ 老人は気なく人生を語る。
『戦争で、満州に4年間、抑留され、昭和24年、24歳の時に帰国した。
マイナス30~40℃には・・』 火野は、『昭和24年は、丁度、自分が
産まれた年だ』と答えていた。 人に歴史ありで、何とも印象に残った会話。
 ーところで、NHKのHPから、この番組の案内をコピーしてみたー
≪  目指すのは、あなただけの「こころの風景」
 俳優・火野正平さんが相棒・チャリオ(自転車)に乗って日本全国を走ります!
その日の旅の目的地を決めるのは、みなさんから寄せられたお手紙です。
「人生を変えた忘れられない風景」「大切な人との出会いの場所」
「こころに刻まれた音や香りの情景」「ずっと残したいふるさとの景色」など、
お手紙に書かれたエピソードをもとに、ひとりひとりの心に大切にしまってある
「こころの風景」を訪ねます。 たくさんの人々と出会い、上り坂にあえぎ、
下り坂に笑う、ぶっつけ本番の旅。(時にはチャリオをつれて、電車やバス、
船、軽トラック!?にも乗ります。)そして1日の旅の終わりには、どんな
「こころの風景」が待っているのか?これまで4年で8,188kmを走破し、
404日間(※)旅してきました。5年目の春は和歌山をスタートし、東海、
そして関東へ。東北の太平洋側を通って北海道を目指す14週間の旅です。≫
▼ 『世界まち歩き』という番組があるが、これは、世界の街を気ままに
 歩いた現場感覚を大事にした内容だが、火野正平・目線の自転車の道路から
みた光景がよい。自分の代わりに、自転車で、各地を見て廻ってくれる感覚が、
親しみを感じさせる。自転車で完走するのではなく、ところどころ、バスや
電車で繋ぐことも抵抗感が全くない。伴走の4人を含めて5台の自転車一行。
他に、地元のNHKのワゴンが、別目線で一行を遠めで撮影している。
 毎朝の一時間の自転車散歩、実感は、あんなもの。ただ違うのは、
早朝であること、毎日、同じ風景であること、そして独りということ。
長距離用サイクリング自転車に対し、私のは、電動アシストクロス自転車。
iPodで音楽を聴いていること。 同じことは、独りごとを言っていること。
 自然を楽しみ、味わっていること! 
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4834,つれづれに ーミニ物語の効用
2014年06月09日(月)
   * ミニ物語の効用
 連日、随想日記を13年も書いてきた効用で、頭の中で、気楽に考え事を
楽しめるようになった。人は誰もしているのだろうが、ミニテーマを決め、
サブテーマと、キーワードを幾つか思い浮かべ、その言葉の羅列を繰返す。
一種の黙想だが、これが頭と心の整理に良い。
 ここでライブで、その実例をしてみる。
【 テーマはー今朝方の夢ー 夜半、というより朝方になるが、寝床で目を
 醒ますと、そこは学生時代の寮の部屋。まさか!と思い、ジッと部屋を観察
すると、やはり当時の部屋。これは、間違いなく夢。しかし、どうも、現実の
ような感じもする。すると、私は誰かの居住部分に無断で寝ていることになる。
まずいとしても、これは夢?それにしても懐かしい!と思っていると、何時の
間にか、そこの学生が、近くに寝ている。そうこうして夢からさめ、ウトウト
した後、覚醒した。現在の随日のテーマ「事業人生を決心して45年、の語り直し」
を書いているが、過去の折折を思い出すに、当時の具体的イメージの細部を
引っ張り出し、糸口にすれば、色いろ思い出されるのでは!と思い至った。
これは、過去の思い出だけでなく、近未来の計画も、可能のはず・・】と。
 そんな暇があったら、TVでドラマか、旅番組を見ていた方が良いと思う
だろうが、目の前の現象を言語化するのも、面白いもの。 NHK朝ドラの
花子とアン』のハナが、想像の翼を広げて、その文章化を楽しんでいる場面
が度々、出てくるが、それを自分でも身に着ければ、より心が豊かになる。
度が過ぎると、私のような変人、奇人になる?
   * マークX・ジオ
 先週末の土曜の午後、中古だが、マークX・ジオがとどく。家内がオーナー
だが、22年ぶりの車・・ 「車好きの55歳以上向けの多機能が、売り」だが、
実際には、その層には、受けなかったようだ。去年の秋に生産中止になって、
殆ど見かけないことと、荷台にスポーツ自転車を乗せ、近隣の山や海辺で
ミニサイクリングが可能なことが決めてになった。納車後に、初めて乗ったが、
やはり試乗してみるのが筋。 果たして、自転車を乗せて何処かに行って
乗りまわす?どうだろう。燃費がリッター12キロというから、ソアラ
1・5倍の距離を走るが・・ 年齢もあって、もう近くしか乗ることもない。 
もう一つ選定で、自宅と車のバランスもあった。その辺の陰口?まで吟味
すると、こんなところ?  やはり、スポーツ車だったか?
・・・・・
4467,ガン闘病と刑務所暮らし、どっちがきついか
2013年06月09日(日)
 昨日の午後のタカジンのバラエティで、ホリエモンが特別出演した、
「タカジンのガン入院とホリエモンの刑務所暮らしの、どちらがきついか」
の質問に対して笑い飛ばす内容。1年2ケ月の闘病と、1年9ヶ月の獄房生活
の厳しさ、さてどちらか? 前者は多くの人が通る道だが、生命危機の瀬戸際。
後者は、期限付きだが、普通の人にとって特殊な経験で、興味という面で、
ホリエモンの体験談の方が圧倒的に面白い。まあ、関西系のTV番組としても、
各質問が下ネタなどエゲツナイ。 -要点をまとめると
・体重がホリエモンが30キロ減に対し、タカジンは10キロあまり。 
 それは入院と獄内の規則正しい食事と運動量の差。
・現在、ブログの会員がいて、会費840円で、会員1万(有料会員6千)人。 
 これだけで既に月五百万が入ってくる。
・2年半の実刑に対して1年9ヶ月で出所したが、入獄後半年の頃、これが、
 あと二年も続くと思った時と、夜半に死を考えた時が辛かったという。
・地獄の沙汰も金次第。獄内の楽しみは読書、それが買えるかが、大きい。
・楽しみは大相撲のTV観戦と、慰問のショー、それと知人などの面会。
 何がしたいかというと、気心のしれた人との雑談。分かるような気がする。
・「お金は道具」と過って言っていたが、その考えは変わりませんか?
  の質門には、「基本は変わらない」。
・「先のことを考えず、過去の良かったことを思い出し日々を過ごす方が
 良いと聞いていたので、そのようにしていた」とも。
・「極限の中で、何か自分に気づいたことは?」の質問に、
 「忍耐強い自分に驚いた」と。
・獄内で、幾つかの事業プランをたててある。やはり、その衝動は大きい。
▼ 私も倒産という特異体験をして、2年3ヵ月経った。二人ほどでは
 ないが、やはり白眼の中、甘くない日々。失意平然としているつもりだが、
頼れるのは、自分の気持ちだけ。まずは「ウツ」対策。早朝のミニサイクリング
とスポーツジムで三時間の運動と、この随想日記と、幾つかの習慣を淡々と
コナスことで、むしろ健康的であるが、やはり特異体験である。
それにしても、堂々と、自分を曝け出せるホリエモンには驚かされる。
ホリエモンのブログ、一ヶ月無料というから、会員に入ってみようか・・
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4093、私は完全な本 "日本の自殺"ー1を作った
2012年6月9日(土)
 先日、何気なく文芸春秋3月号を借りてきた。この号は二月に図書館内で
田中慎弥芥川賞受賞作品を読んだ。しかし、トップに取り上げていた論文を
見逃してしまった。最初は最近書かれた内容と思っていた。その内容が的を
得ているので冒頭に戻って見直すと、何と37年前に文芸春秋で掲載された
論文と知り衝撃を受けてしまった。今年一月の朝日新聞の一面で、これを取り
上げた主筆が瞠目したという内容。著者は「共同執筆・グループ1984年」。 
そこに添えられていた要約=「1975年、小誌にある論文が掲載された、それは
高度経済成長を遂げ、繁栄を謳歌する日本に迫る内部崩壊の危機に警鐘をならす
ものだった。それから37年、朝日新聞若宮啓文主筆が1月10日朝刊の一面で、
この論文に注目し、「『日本の自殺』がかってなく現実味を帯びて感じられる」
と、今なお「予言」の響きを失わない論文を再考していた。
 ーまずは、小見出しを拾ってみる
1 日本没落の予感      
2 ローマ帝国滅亡との類似点  
3 日本が直面する困難    
4 危機は日本人の内部にある 
5 豊かさの代償       
6 現代文明がもたらす幼稚化  
7 デマによる集団ヒステリー 
8 情報の洪水が人間を劣化させる
9 自殺のイデオロギー    
10 戦後民主主義の弊害
11 没落を阻止するために、
 この見出しだけでも、現在の日本の現状分析の項目そのもの。 
敗戦後、日本は物質的に歴史的な復興をしてきたが、精神的には、ほとんど
敗者のまま。現在の日本はギリシャ並み?か、それ以下に荒廃した魂で、茫然
自失の状態である。次回から、見出しごとに、要点を書き出してみる。
「日本の自殺」を、「我々(私)の自滅」と置き換えて読むと、身に覚えの
あることばかり。我々は、私は緑の原野で何をしてきたのだろうか。
欧米が主導してきた文明とは何だったのか。