つれづれに

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 この三連休は、やはりTVと、パソコン三昧。
昨日の高校サッカーと、大学ラグビーの決勝戦が劇的で面白かった。
日本の高校サッカーの人気を外国のメディアが多数、目をつけて
取材をしているのが印象的であった。

 今日からは大相撲が始まる。一日、2時間以上は、TV観戦にとられる
ため、どうしても、ブログのエネルギーをとられてしまう。







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5782,多国籍タウンで夢を追う
2017年01月13日(金)      
    < にっぽん紀行:オオクボ・ドリーム
      ?東京大久保 多国籍タウンで夢を追う?>
            2017年1月9日放送(18:10~18:45NHK総合)
  * Tokyo Okubo 外国人の夢 行き交う街で
 大久保が今では町全体が外国人街の様相を示していると、以前から聞いていた。
その実情を外国人の目線からレポートした内容で、非常に興味を持ってみた。
世界各国、特にアジア各国から重い事情をもって来日して必死に働く彼らの姿は、
アジアの縮図を見ているよう。一つ間違えると、不法労働者として、国外追放に
なる立場。貧しい母国には仕事も希望もない。ネット検索に「大久保ドリーム
NHK」と入れると、以下の通り要約した紹介があった。舟板一枚下は奈落の底。
≪ よく大久保を訪れるというレポーターが大久保を案内。ホットク、ケバブ
 など世界の食にありつけると紹介。この街の住民の3割が外国人、彼らは夢を
求めてやってくる。バブル景気を境に大久保には外国人が増え始めた。商店街
では、インドネシア語や中国語、ロシア語など様々な言葉で放送が流れる。
外国人が経営する店も軒を連ねる。一方で移り変わるも激しい。
パキスタンからやってきたシャヒーンさんは、大久保では名のしれた実業家で
アリババと呼ばれ、タイ料理店を10店舗展開している。 アリババはつねに
新しいビジネスを探している。この日も不動産業者と交渉していた。
アリババは、この街には面白さがいっぱいあると話した。
★インド出身の料理人、モハメド・ユースフさんは、一旗あげたいと日本に
やってきた。得意料理のニハリや、ビリヤニを紹介した。給料は手取り16万円、
5万は家族へ仕送り、3万円は小遣いで、のこりは貯金している。自分の店を持つ
のが夢だと話した。ユースフさんは店の近くのアパートで、同僚と一緒に暮らす。
彼にはインドに妻と3人の子どもがいる。いつか家族を日本に呼びたいと話した。
メインストリートから一歩入った住宅街には多くの外国人が住んでいる。
ユースフさんが働くインド料理店の2階にはモスクが作られた。また、キリスト
教教会には以前からの韓国の人に混じって、フィリピンやベトナムなど7カ国の
人たちがやってくる。 ユースフさんは、ランチタイムの客の入りが悪いことが
気になっていた。2日後、ユースフさんは道でチラシを配っていた。チラシを
見て、店を女性が訪れ、おいしいと話した。仕事の間、ユースフさんはインドの
妻に電話をしていた。今年中に日本に家族を呼び寄せるつもりだという。
ミャンマーからやってきたチッピョンさんは娘のパンズンさんと8畳一間で暮ら
している。ミャンマーの地方の町で家族5人で暮らしていたが、軍事政権で身の
危険を感じてチッピョンさんが日本に、その後、娘を呼び寄せた。娘は日本語を
勉強している。午前4時半、チッピョンさんは仕事にでかけた。夜は居酒屋で
アルバイトをしている。娘の学費70万円を稼がなければならないのだ。時給千円
前後のアルバイトで生活を繋いでいる。そのころ娘は昼ごはんを作っていた。
チッピョンさんが戻り、2人で昼食を食べた。食事の後、チッピョンさんは仮眠を。
★大久保の路地裏にある仏堂は、中国や台湾の人たちが多く訪れる。12月上旬、
中国出身の高さんが訪れ、写経をしていた。100ページ近い写経をやりとげる。
高さんは、10年前に来日。沖縄や大分のホテルで働き、10日ほど前に契約が切れ
仕事を失った。仏堂の管理人、游人樺さんは、高さんを気にかけていた。いつも
は6時に仏堂を閉めるが、高さんのために空けていた。翌朝7時、写経が完成し、
仏様にお供えした。高さんはこの仏堂の近くに住んでいたという。車に家財道具
が詰め込まれていた。しばらく友達の家を転々とするという。大家さんの好意で
車だけ置かせてもらっていた。高さんは「ありがとう」という曲が好きと聞かせた。
高さんは、故郷に錦を飾れるようになってから帰りたいと話した。≫
―――
▼ シリアスな内容で、身近にアジアの底辺の窮状を見せつけられる。彼らは
 隠れ経済難民で、これでも故郷の生活からしたら恵まれているのだろう。
難民受入れに厳しいと言われても、観光ピザで数知れず流入している実情がある。
自宅の目前にアパートがあり、東南アジア系の若者が住んでいるが、騒いでも、
何ら気にならない空気のような存在。<アメリカの中・下層白人が、トランプを
支持するのが分かる>と思う日々が遠くない将来、やってくるのだろうか。
アメリカの大部分の被支配階層の人たち、いつか当ててやろうと信じている
から絶対格差に耐えられるという。 

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3945, ファイナル・クラッシュ ー4
2012年01月13日(金)

      「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」  
 以下の文章は欧米の資産家の資産運用の一部を垣間見せる内容である。彼らは、
リーマンショックを大地震と例えれば、それから発生する大津波=ファイナル・
クラッシュは当然、織り込み済み。逆に、それを逆手にとって運用利益を狙う。
その中で、日本は一部の人を除いて、この大地震に気を取られファイナル・
クラッシュには、いま一つ警戒感が足りてない。前ぶれ波の直撃で惨事を受けた
立ち位置にいたため二波、三波の大津波が見えている。
  ー 以下に欧米のファンドマネジャーの世界の一部が垣間見れる ー
【 タネ本の著者ヒューゴ・ブローは、卒業後、ロンドン市立大学に進学、金融関係の仕事に就いて
 チャネル諸島英仏海峡、イギリス王室属領)やイギリスで働き、出版当時はあるプライベート
バンクのファンドマネジャーとなっていた。プライベートバンクは、日本の銀行のようないわゆる
商業銀行とは業態が異なる。 基本的に株式会社ではなく、預かり資産に対して無限責任を負う
パートナーによる個人銀行である。王族や貴族を含む世界トップクラスの富裕層を顧客とし、その資産
保全や運用を主な業務としている。ロスチルド(日本では 「ロスチャイルド」 として知られている)
メロンといった家系に属する、表に出ない富豪たちは、それぞれのプライベートバンクお抱えのファンド
マネジャーを囲っている。著者はそうしたファンドマネジャーとして、「この地球上で最も裕福な人たち」
の資産運用を担当しているという。資産を運用してもらうには、最低でも一億ドル、日本円で100億円
程度は必要であろうという、世界でも指折りのマネジャー。ファンドマネジャーは、だいたいロンドンか
ニューヨークの近辺に住んでいる。だが、著者がタックスヘイブンであるガーンジー島に住んでいるのは、
税金を嫌ってのことだろう。 おそらく自らも巨額の報酬を得ているのだと想像する。 
 私はこれまでにも、彼のようなファンドマネジャーに何人も会っている。イギリスでは一定以上の資産家
には必ずファンドマネジャー、顧問弁護士、顧問会計士、子弟教育コンサルタントがいる。かかりつけの
家庭医がいるのと同じようなもの。イギリスには、ファンドマネジャーを家族で引き継ぐ習慣もある。 
ちょうど、執事を代々引き継ぐような感覚である。そのあたりの習慣は日本とは全く違う。私はイギリス人
の友人から、その人が資産運用を任せているファンドマネジャーを繹介してもらい、それを私の日本人の
顧客に紹介するようなこともしていた。私はクラブ主催者を通じて著者の本名を知ったのだが、本書では
ペンネーム「ヒューゴ」で通す。】
▼ こういうのを見ると、力の蓄積があり、豊かな階級の人が、ますます豊かになるように出来ている。
 それがリーマンショックで一部は破綻したが、その傾向は、そのまま。資産運用のプロがいて、
どのプロに任せればよいかを資産家は考えていればよい。それは実績と、それに裏付けられた信用である。
世界の1%が富の過半数を占めているが、ファンドマネジャーが弱者から吸い上げるシステムは
数百年かけ作り上げられている。 これが世界の現実である。
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3580, 何故、民主党が駄目か!
2011年01月13日(木)
 自民党は駄目、そして民主党に替えてみたが、これが更に駄目。 国家崩壊の下地を自民がつくり、
その上を民主党が加速して突っ走っているのが現状。これは民主党の枠組みが戦後体質を引きずったまま
現在に至っているため。世界中がネットで覆われて、人々が世界中に行き来し、情報、金が行き来して
いる中で内向きな福祉重視では、対応できない。 元もと世界は長年かけ人種格差、国家格差、経済格差
がつくられている。現に白人が有色人種を支配している厳然たる事実がある。米英を頂点とした白人国家が、
後進国援助という建前を立て、実は有色人種の世界を支配してきたのである。そのことが長年の時間をかけ、
民族間、国家間で、格差になっている。ところが、この10年でネット社会が世界を覆い、様相が一変
してきた。 国家間、民族間の垣根越しに情報や人間が行き交い、その結果、フラット化が始った。
それが日本にも押し寄せてきている。 明治来、自民党などの保守政党と官僚とが結託し、利権構造を
つくり上げ支配してきた。そのプロセスの中で特権階級が出来て現在の日本を支配している。その二世、
三世が政界の多くを占めている。それを嫌った国民が、平等を旨とした民主左派に政権を与えた。
しかし、それで国家が動かなくなってしまったのが現在進行中の内部分裂。これまで右上がりの経済成長
の中で批判政党だった民主党は国家の舵取りは最も不得意。社会の建前は平等だが不平等が世界の現実。
そこに社会主義的政策を真正直にとれば、時代逆行に陥るのは当然。国家という枠を超えたグローバル化は、
当然弱肉強食が激しくなり、格差が大きくなる。それをフォローをするのが政治であって、格差そのものは、
止めようがない。小泉元首相は間違った政策をとったのではなく当たり前の政策をとっただけ。 
何で国内の出稼ぎのアジアの労働者より、日本人が優遇されるのか? それは日本人だからだ。
その日本人の中でも格差がつくのは、世界の格差の構図に比例してきただけ。公平と平等は違うのである。 
戦後から日本はアメリカの間接・被占領統治国の立場で憲法を与えられ、無能化教育をされてきた。
その両輪として加担したのが自民党社会党である。自民党社会党も、あたかも貴族院の様相。中国と
アメリカの大国の間で、真の独立は難しいとしたら、アメリカの属国として割り切るか、スイスのように、
軍備力を徹底的に補強するしかない。原爆などの破壊兵器の保持は、最低条件である。現在の日本の
民度は、それをするに低すぎる。それならばアメリカ属国として生き抜くしかない。地勢的に日本は
丁度よいところにある。 とすれば、現在の立場が一番よいことになるが・・・
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3205, 古町の衰退
2010年01月13日(水)
 大和百貨店の撤退、書店の北光社の閉店と、新潟のダウンタウン古町の衰退が問題になっており、その
連載が地元紙・新潟日報一面で「古町 揺れる灯」として連載をされている。ダウンタウン地盤沈下
今さらの問題だが。郊外には大型SCが多くでき、互いに凌ぎを削っている。更に、駅には駅中専門店街
が次から次へとオープンしている。その中での衰退は当然である。 私事になるが、年に4~5回行って
いた古町には、去年は一度も行かなかった。タクシーの往き帰りが勿体ないのと、不況の中、飲む回数も
減っている。日報の記事は10回シリーズだが、何か哀愁に満ちた内容。スナックが酷いとは聞いていたが、
15~6年前に450軒あった飲食店が、現在は250軒になって日ごと客数が減っているというスナック
のママさんの悲鳴がインタビューであったが、この数ヶ月でも多くの店の閉店するはず。
 (字数制限のためカット、2012・01月13日)
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2009年01月13日(火)
NHKの日曜日大河ドラマ天地人」で、若き直江兼継が修行した「雲頓庵」が舞台になっている。
雲頓庵を思い出しながらみているが、何度か隠れ屋的に通ったことが青春時代の一ページとして残っている。
特に当時、80歳半ばの怪僧の新井石龍禅師の思い出は鮮烈に残っている。
   以前、社内報で書いた部分を紹介してみる。
ーS63・05 新井石龍禅師に学んだ事 ー?
 学生時代に、父と禅師が親交があり、実家泊りに来ていただいた事等の因縁で、 六日町の禅寺“雲頓庵”
に読書を兼ね春・夏休みになると滞在していた。度々なので自然と禅師と話をさせていただく機会があった。
無知と若さの為に生意気な質問をした私に、いつも笑顔で答えてもらったことが、今では懐しい思い出。 
京都大学哲学科卒で、気持ちは若い。女性で何度か失敗して、その世界では登りつめることが出来なかったと、
両親から聞いたことがある。
  まだ鮮明に憶えている対話とは、
(私)  -禅とは一言で言うと何ですか?
(禅師) -字の通り天地宇宙に己の単(一人)である事を示す(気づく)事。  ー 示単
  社会に出て半年あまりで気負いすぎで早くも行き詰まり、五日間の夏休みでの雲頓庵の禅師との対話。
 (私)  -世間と理屈は違う。理屈どおりに世の中いかなという事がつくづくわかりました。
 (禅師) -あなたの理屈がおかしいだけ、世の中は厳しくも甘くもない。 世間も理屈もあるものか!
 (厳しく感じたのは自分自身そのものが甘いだけ)。後者の言葉には頭を真二ツにわられてしまった!
  というのが実感。頭で物事を考えていた私が、“自分が”前に出ていた私が、その時点でたたき
  こわされ、社会人の一員に一歩踏み入った瞬間だったことを憶えている。
 ー以下は、当時の日記であるー
   ー1968年 雲頓庵    9月10日
 7時5分起床。掃除に食事、9時半より11時半まで勉強! その後、長岡の明治大学の1年の田村君と話す。 
3日まえにやはり勉強の為に来た男だ。夕食後7時半より、午前様と「神」について話す。 
・午前様「一という数字はあるが、一という実体はない。それを一といえば一であるが、一でないと
 いえば一でない。 一は万物であるともいえる」「人間は実体だけでない、魂であり、永遠的なもの。
 全ては生き続けている。」
デカルトの「我思う、故に我あり」の言葉を引用された。
「誰もが神の要素を持っている、磨くかどかだ」「人間の見る聞くは5感6感の働きでしかない。
それを超えた存在はいくらでも存在する。それは修行によって初めて知る事ができる。」
「神が罰を与えるのは、困らせる為でなくそれにより、間違いを知らしめる為である。」
御前様と話していると自分の無知が露出されてくる。 明日は座禅を8時にくむ予定である。
  ー9月11日
 午前様が座禅の指導をしてくれる。解ったような解らないような! 9時から夜9時まで
座禅に挑戦!計8時間休み休みだ。午前中は雑念だけだ。午後からは少し集中できる。感想はただ
疲れただけだ。当然ながら禅の事はさっぱり解らない。ここの2週間近くは、充実したものだった。
明日からは娑婆である、楽しみだ。 これから高橋さんと根本君と送別会だ。
 ▼ 恐らく日記に書いてなければ、全て忘却の彼方。書き残すことは痕跡を残すことである。
                                       ーつづく
・・・・・・・・・
2008年01月13日(日)
 2475, 年頭の新聞の記事の総評 -2          才ノヽ∋ ー ヾ(´∀`o)+。…
産経新聞の30人の論説委員の「論説委員がもの申す」、見開きの二面全ページの寸評だが、的を得ている
ものばかりである。年頭の特集では一番、わかりやすく、今年はどのような年になるかを考えるには、
これを読み返せば、ほぼ網羅しているといってよい。この中で、ある論説委員が取上げていた阿久悠
遺言のラストメッセージ、ー日本の社会が「湿り」と「暗がり」を失ってしまったーは、面白い見方だ。
  (字数制限のためカット、2010・01月13日)
ーーーーーーー
2007年01月13日(土)
2111, セレブ殺人事件ー普通の人が一番恐い!  才八∋ウ_〆(∀`●)
 世の中どうなってるのだろうか?毎日のように凄惨な殺人事件が続いている。バラバラ事件のセレブ妻
が逮捕される前の電話のやり取りをTVで生々しく放映していたが・・。電話のやり取りは70分もわたって
いたというが・・ 犯人の奥様が新潟中央高校の裕福な出身で、お嬢様学校の白ゆり学園卒のセレブという
から興味が倍増する。
「何処の誰か」が知れわたるから、針の筵だろう。苗字が旦那名だろうからよいが、地方は狭い社会である。
ところで年末に借りたDVDが「400万ドルを拾った三人が狂っていく物語」で、なかなか面白い内容だったが、
その最後のセリフが言いえて妙だった。「普通の人が一番恐ろしい!」この事件も、まさに普通の人である。
夫婦間のことは二人しか知りえぬことがあるが、二人とも愛人がいたという。新宿の歌舞伎町近くに、これ
見よがしにバラバラの胴体を置くとは、余程の憎しみがあったのだろう。この文章を書いている現在、
TVで3人の暴力団に殴られた普段大人しい男が逆上して、その3人を刺し殺してしまった事件を報じている。
書いている内容そのもの「素人こそ恐ろしい!」である。暴力団のチンピラが殺したならわかるが、ド素人
に殺されるのだからカタナシだ。暴力団もオフレを出さないと、「素人衆には気をつけろ!」と・・・
笑うに笑えない娑婆である。    
 (字数制限のためカット、2012・01月13日)
 ・・・・・・
2006年01月13日(金)
1746,心のままに生きてごらん- 2   
    才ノヽ──d(∀`d*) ─(*b´∀)b──ヨ     ー読書日記
外見がかわれば なかみも かわるわけでもないけれど・・ なかみがかわれば 外見もかわる-34
苦労は彫刻家のノミのようなもの。えたいのしれない かたまりを けずり、
なかにかくれていた傑作を うきぼりにする                       -36    
なにもかも、いや、愛のほかはなにもかも、みな、かりものにすぎない、          -37                  
(字数の関係でカット09年1月13日)
・・・・・・・・
2005年01月13日(木)
 1381, 現在、世界で何が起こっているのか? -2
ー自然環境的側面ー
中越地震も含めてインドネシア地震など私にとっても生まれて初めての事件が続く。学生時代、TVで、
『環境破壊がこのまま続けば、30年後、50年後にはオゾン層の破壊や地球温暖化で、地球上は破滅状態
になる』という番組をみた、鮮明な記億がある。その時、『何故解っているのに、誰も政治的に手を打たない
のだろうか?』と、素朴な疑問を持ったことがあった。自分の生きている時代のことしか考えないのが、
人間の本質なのだろう。この様が「地球環境の破壊」からくる、事態である。一人の人間として、
『地球環境の破壊』のことより、自分のことに全てを考えてしまう、オゾマシイ存在が人間である。
この地球環境は更に、早かれ遅かれ徹底的に破壊される。ならば、いま起こっていることを当たり前のこと
でしかない? これが「現在、大気圏で起こっている自然現象」である。これに中国の13億の民や、
インド、旧ソ連の民が目覚め石油などをドンドン使いだしはじめた。更に絶望的な事態である。
地球上の生物にとって人間は癌細胞そのものと言うのも肯ける。
・・・・・・
2004年01月13日(火)
1014, 足の話-1
 図書館の健康のコーナーを見ていたら「足」に関する本が多いのに驚いた。手にとって読んでみると、
ナカナカ面白い。そこで「足は何のためにあるか」と「足の裏から見た体」を借りてきた。速読で印象に
残ったところを中心に纏めてみた。
ーその前に足に対する私の知っている範囲の知識を書いてみる。
・相撲取りは足首を見ればよいと聞いたことがある。 どんなに太っていても足首が締まってなければ三役
 にはなれない。それと土踏まずが広いことも大事と聞いていた。子供のときから力士を見ていて間違いない。
 北の湖大鵬や若の花など歴代の横綱は全てそうだ。
・また野球選手も、まず見るのは足であるという。早く走れるということは、全ての可能性を秘めていると。
・足は第二の心臓、常に刺激を与え続けなければならない。(風呂時には、念入りにマッサージを続けている)
・人間の老化はまず足より始まる。足を若い時から鍛え続けておかなくては。(一日1万4千歩を歩いている)
 ▼ この本に書いてある内容を印象の強い順に書いてみる。
・人間の効き足は左足である。 ー実験の結果、男女の放尿時には左足に重点がかかっているという。 
 一番の自然の姿であるからだ。 左足は、体全体のバランスを保つ機能を受け持ち、移動方向を定める。
 右足は、攻撃とかスピードをコントロールする。(前から、効き足はどちらであろうか素朴な疑問が
 あったが、昨日初めて知った)ということは、一歩踏み出す時は右足からが自然であり、長く立っている
 時は、左足に重心を置くほうが良いことになる。
・人間の一番の特徴は二足性歩行にある。 直立の姿勢の結果として咽喉が真っ直ぐになり、
 話す言葉を持つことができた。
・まず四足動物から4手動物としての猿に進化。その後、下半身の2手が足に(後退?)
 進化していった。そこで2手がさらに進化していった。       ー 続く
 ・・・・・・・・
 2003年01月13日(月)
  645, お金はむき出しの真実
以前にもお金についての一考察を書いたが、さらに書いてみる。
・お金で不幸になるというが、それは他人のお金をいう。-そのとおりだ!!
・事業、それ他人のお金だってさ!!-それ当たり前の事?自己資金の範囲
 ー無借金の場合、事業といわない?!
・どんな人間でも買収されないものはない!!
 ただ問題はその金額である。 -凄いシビアの話だね。でも考えてみれば誰でもそうだろう。
・お金は自由の塊である。その金に縛られている馬鹿がいる。-気づいているかどうかだがー
・貧困が犯罪の母であるなら、知恵の不足が犯罪の父である。-この合体が刑務所の中の真実??
・お金は不平等を平等にする。それだけ絶対的な威力だ。ー世の中の不幸は不平等からきている!
・お金は「力」だけでなく「言葉」である。 -意味をたっぷり含んだ言語だ。
・借金は自由の人間を束縛する監獄だ。   ー 私など懲役刑。
  渋沢栄一の「必要なら樽の水は飲んでもよい。しかし絶対に漏らすな!」。
   (字数制限のためカット、2011・01月13日)
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2002年01月13日(日)
 299、動物の不思議な世界
以前テレビの動物番組で目を疑うことがあった。ハイエナに襲われた小鹿を、カバがそのハイエナを追い払い、
その後小鹿に大丈夫かと思いやっている内容であった。異種の動物の子供をかばうということが、現実にあった。
その子鹿はすでに死んでいたが、鼻先で起こそうとしていた。もちろん同種であれば当然かばうだろうが、
本能的にそれをしたのだろう。先日も野生の雌ライオンが、鹿の子を育てているのがニュースに出ていた。
その後水飲み場で、雄ライオンに食べられてしまったといっていた。以前、温帯魚を飼っていたとき、同種で
あるが一匹の魚が他の魚を執拗に攻撃していた。見ていると他の魚が必ずその間に割って入っていた。
「嘘だろう」と見ていたが、何回もそのパターンが続いていた。長岡の鯛の専門店でのこと、水槽の中を
2~3十匹の鯛の群れが一方の方向に回遊していた。その時一匹の鯛と目が合ってしまった。その後2時間近く、
回ってくる度に見詰め合っていた。その後スナックにいったが、その話でモチッキリになって、その鯛を
食べに行こうとなりその店に電話をした。すでに閉店していたが、もちろん実際は行く気はなかった。
・・・・・・・
ある時間の断面
 1月13日 1969年
12時半に起床。午後、姉の優子さんのところに電話をする。今月中に清書をしてもらった金を払いに行くと
約束を。川崎から電話でスケートにいけなくなったと電話が来る。夜、先輩の永田さんが部屋に遊びに来る。
二人で飲みに出る。かなり弱気になっていた。今は誰もが気持として不安定のようである。
この人は県会議員になるというハッキリした目標がある。 しかし自信が無くなってきたとか。
こういう先輩が私に悩み事を正直に言ってくるのは、私の中に客観的な視点をみたのだろう。
武澤ゼミ効果だろう。 私も最近おかしい。 何もするでなし、スランプを抜け出れない。