つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive


  今日のYoutube

年末年始にかけて風邪気味で寝込んでいたこともあって、
スポーツジムで、何時ものコースをこなすが、まだ身体が元に戻ってない
のが分かる。 逆に言えば、それだけ運動していることになる。
 としても、年々、少しずつだが、運動量が減っている。
元気なうち、欲があるうちが花である。



・・・・・・
3228, フリー -5
2010年01月26日(火)
 「フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略>」 
                          クリス・アンダーソン著  
 * フリーワールド ー誘発された陳腐化ー  (p271)
≪中国では、不正コピーが音楽消費の95パーセント占めているといわれる。といって、ミュージシャン
は動じない。彼等は多くの人が聞いてもらえるほど、そのコンサートツアーのギャラが高くなるから、
別に困らない。 困るのは音楽会社だけ。経済学には「海賊版パラドック」という用語がある。
ファッション業界を下支えする根本的なジレンマから生まれている。つまり、「消費者は今年の
デザインを気に入らなければならない。そのうえに、直ぐにそれに不満を持ち、翌年のデザインを
買いたいと思う必要がある。技術商品と違って、アパレルメーカは翌年の製品が優れているとは主張できない。 
見た目が違うだけである。そこで、消費者に熱を冷まさせる理由が必要となる。その解決策は偽物が多く
出回ることで、高級だったデザインが大衆向けのコモディティになることなのだ。そうすると、そのデザイン
の神秘性が失われ、目の肥えた消費者は何か特権的で新しいものを探さなければならなくなる。これが
「誘発された陳腐化」と呼ぶものである。コピー商品の登場で、そのファッションが流行に敏感な人の
ものから大衆のものへとすばやく移り、敏感な人は何か新しいものを見つけなければならない。
中国では敏感の人とは。新興の富裕層と、中流階級で、10億の大衆はまだ、その偽物を持つことで
高級品の市場に足を踏み入れたばかりである。本物と偽物の異なるセグメントをターゲットにし、
互いに相手の役に立っている。≫

偽ブランド品はメーカーにとって不可欠な存在だったのだ。「偽ものが出回るほど、一般の人が
憧れる商品としての価値の証明になる」上に、更に「誘発した陳腐化をうながしてくれる」。
 悪役が善玉を引き立ててくれる上に、善玉の次なる善行を引き出す役割になっている。
 
 ・・・・・・・・
2853, 格差世襲  -1
2009年01月26日(月)
ー 貧困とは溜めのない状態 ー
格差について、一昨年の今時分に(2007年01月25日(木)階級社会ー不平等社会を考える)で取り
上げたことがある。他にも読書日記で幾つかの本を取り上げた。 ところが先日、図書館で、
半年前の08年8月30日号の「週間ダイヤモンド」を見つけた。
 ー「下流」の子は下流? 格差世襲 ー の特集である。
普段の会話ではタブーに近い内容が次々と出てくる。格差といえば差別である。自分が上位に
立っているときは何とも感じないが、下位にたたされて差別で屈辱を経験した時に格差社会
実態を知ることになる。 差別からくる屈辱は傷になり、恨みは何時までもまとわりつく。
般若の面は、差別の屈辱に対する怒りの顔。
 この特集では、いろいろな視点から格差を調査しているが、
・「育った家庭によって、機会の不平等が生じている」という「格差世襲」の残酷な調査結果
を示している。
・「まるで溜めのない貧困層」、それに対して 「溜めに包まれた富裕層」
 「貧困とは‘溜め’のない状態」と現実は教えてくれる。
その典型が何も考えない若い人の成り行きの「??婚」。何の経済的な裏づけのない人たちの結婚。
ここに夫婦格差が生まれる。 その子どもには両親以上の教育が施すことなど、出来ようがないのである。
その結果、下流の子は下流になるしかない。 「溜めのない貧困層」といえば、大阪・堺市生活保護
受給者の四分の一が、親の世代も生活保護を受けていた。母子家庭にいたっては、四割が‘生活保護二世’。 
また母子家庭の26・4パーセントが十代の出産を経験。まさに貧困の連鎖の構図がここにある。 
逆に溜めのある人は、溜めのある人と群れるケースが多くなる。一例として最近、医者同士の結婚が多い。 
女性が医学部に多く進学するようになった結果である。
また医者社会での結婚のチャンスも多く、二人の給料の総額は莫大になる。
1995年以降に自分でのし上がってきたベンチャー経営者や、専門職を中心にした新世代の富裕層は、
お金より自分の知恵や経験を子どもに相続させたいと考えている。
多額のお金を相続させるより、子どもの教育に金の糸目をつけないのが特徴。
無形の財産を与えることで、子どもにも自分の力で成功を勝ち取るように教えている。
「地位獲得競争ゲーム」に、無形の「出来レース」を与えていることになる。
世界の億万長者のトップのビル・ゲイツ、ウォレン・バフェットとも、資産は子どもに残すことをせず、
その大半を寄付をすると公言している。 とはいえ、同じ兄弟でも大きな強弱が出来る。                                                              - つづく
ーーーーーーー
2008年01月26日(土)
2488,  iMacの感想! 
     ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は~♪
Mac製品の売り場を何度か通って、何時かは使ってみたいが何か壁があった。 それは外国メーカーと、
少数派の壁だったろうか、それとも周囲に一人も使っている人がいなかったため? だったのだろうか。 
しかし、今度思い切って買ってみた。iMacというWindows兼用可能の製品で、オールインワン型である。 
買ってみて初めて分かったことは初心者に優しいということである。 
まだ合計でも数時間しか使って(いや、触って)ないが、それでもWindowsより使いやすいことは分かった。
Windowsは、あらゆるメーカーのパソコンにのせるため、メーカーの方に顔を向けざるをえないのである。
ソフトとハード一体型開発の大手は、考えてみたらアップルしかない。
それを強みにして消費者に(特に初心者)にとって使いやすい開発に特化してある。
ところで、なぜマイクロソフトにシェアをおさえられたのか?
多くのパソコンのメーカーが、それぞれ特化しながら売り込みを図るからである。
更にマイクロソフトのナンバーワンの強みに、ソフトのシェアがWindowsで占めている事情がある。
一般企業や大衆はMacに魅力を感じながら躊躇するのである。 
ところが私のような、ブログとHPとインターネットと、写真管理ぐらいしか必要としない大多数が、
Windows vista の不評をキッカケにMacに関心を向けはじめつつある?ようだ。 会社の事務所の
MacはWindows Vistaと兼用のものだが、ソフトを多く必要としなければ、Mac専用の方が、その良さ
を引き出せるのでは!という見方もある。あと一~二週間後に結論を出すが、その方が面白そうか?
それも時間が経ってみないと分からないのか? 自宅は、少し様子をみてからMacを入れるつもりである。
恐らく、一年後、いや数ヵ月後は、Macの熱狂的なファンになるだろう? まあ単純なものだが・・・
それにしても、現在使っているノート型のパソコンと、この薄型のデスクトップ型と、
これほど違うのには驚きである。ブラウン管とデジタルTVの差の違いと同じである。
ブログにしても、このMacにしても、進化はとどまることはない。
                      (。´_`)ノ ホナ!             
ーーーーーーー
2007年01月26日(金)
2124, 死んだ人に、もう会えない?
             <(_ _)> おはようございます!
義母が昨年の12月01日に亡くなって、もう49日以上が過ぎ去った。
家内を慰める言葉として、哲学者のエピクロスの「<われわれ>が生きているとき、死はそこになく、
死がそこにあるとき、<われわれ>は生きてはいない。だから死はわれわれに何のかかわりもない・・」
の意味を説明し、補足として、「一人称の本人の死は存在しないし、三人称の死は他人ごとでしかない。
二人称の死も実際のところ本人じゃない。死に慌てている、そして死に対し無知な自分がいるだけ。
死はあくまでも他人の昇天と周囲の悲しみを見て感じつくりあげた観念でしかない。実際は死んではいない」
といったところ、家内「でも、会うことがもう出来ないじゃないか」と素直な気持ちを吐露した。それに対し、
スラスラ出た言葉が、「でも、それはこれからのこと。唯心論じゃないけれど、思い出の中で会える。
自分の大部分は過去で出来ているし、過去は都合の良いように変えることも出来るが、 間違いなく存在していた。
その存在こそ絶対であるし、消すことも無くなることもない。 もし死んだとしても、実は死んではいないし、
もう会えないということより、母親その人と会えたことの方が奇跡だし、その方を考えた方が良い。
悲しいのは解るが、死とは何かじっくり見つめ学ぶ機会と考えた方が良いんじゃないか」悟ったような答え
であったが、考えてみたら哲学者の池田晶子の言葉のうけ売りの言葉。 しかしスラスラと出たのは事実。
『死』は人生の最大の関心事である。それも自分の母親の死は、自分そのものの死を考える機会になる。
両親が亡くなって、その直後の数ヶ月を過ぎてからは寂しい思いはなかった。
亡くなることによって、心の中心により深く住むようになった。そして心の底から感謝ができるようになった。
しかし、これは義母-二人称の死の話だが、実は自分のことでもある。まさに死そのものより、
「現在、いまここ、にある自分の存在」の意味と同じことをいっているのである。死を考えるということは、
自分が「いま・ここ」に、そして生きてきたことの不思議を考えることである。   
亡くなる=無になるということは有り得ない。「無にどうしてなるのか? 無いものに成るなど、
ありえないこと!」 全くそのとおりで疑う余地は全くない。それが存在することの不思議につながる。
「何故いま・ここに、自分がこうして存在しているのだろうか?」不思議で不思議で、
まずそこから出発しないと・・存在とは何か?そして、その消滅とは?
                       ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪
  ・・・・・・・・・・・
2006年01月26日(木)
1759, 閑話小題
          (●′∀`)σ )Д`○)★Ohayou☆
ー新手のおれおれ詐欺?ー
・友人A 氏の名をかたった「おれおれ詐欺?」の電話が自宅にあった。
一昨日の午後、自宅に友人A氏 の名前で「主人在宅ですか?」という電話が入った。
家内が声が違うので不審と思い、直ぐに切ったという。昨日友人A 氏に聞いたら、先週の金曜日に、
彼の前の会社の元部下B氏の自宅にも同じ時間に同じような電話があり、やはりB氏の奥さんに疑われて
電話を切ったという。私とその友人氏B は顔見知りだが仕事上の直接の繋がりは無い。
友人A氏の10年前の会社を名乗ったというから?A氏の現状を知らないとみてよい。
恐らく十年以上前にA氏と行った飲み屋?で渡したA氏の名刺の裏?に、会話の中から名前を知り書いたか、
あるいは私もB氏も(別々)に名刺を置いてきたのかもしれない。こういう仮説をたてるのは面白い!が。
直ぐ電話を切らないで、相手が何を狙ったのか聞いていたほうが面白そうだ。
新手のおれおれ詐欺だろうが、気楽に名刺も出せない時代になった。   ~旦_(‥ )ま、茶どうぞ!
ーうそー
日本語は面白い。その中で、人のためと書いて「偽」ーウソがある。
昔の人は深く偽善を見抜いていたのだろう!人が為すことは全て偽とも受け取れるが!
論語を黄色い声で読んで、その視点で(自分ではなく)他人を攻撃する輩を何人か知っている。
それでも勉強をしないよりましか?そういえば亡くなったが、茶坊主の経営評論家が、
論語を持ち出し片っ端から切り捨てていた。経営者は人格がまず要求される第一の要素だが。(*ノω<*)
                ヾ(*´▽`)ノ=з=з=з バイバイ!
・・・・・・・
2005年01月26日(水)
1394, 人間の成長角度 ー知人が面白い話をした。
「人間には、それぞれ上昇角度がある。それを早く見抜いてエリート教育をすべきである。
その角度は、よほどの事がない限り変わらない。変わるとしたら、大きな挫折か、大失恋かである。」
なるほど、と感心をした。ある共産党員が話していたとか。 中学校は選抜される前の最終の集団である。
(今は違っているケースが多いが)その時の成績の順位が、そのまま人生の優劣を決定している。
以前にも書いたことがあるが私の中学校の同級生を見ると、一番が慶応の教授(故人))、
二番が日本レコード協会の専務理事、三番が自衛隊の偉いさん?で、四番が私?で、大手損保の支店長、
中学の先生、その後が税理士になって?の税理事務所長(二代目だが)で、ー女性は省いたー成績で見ると
目立った人はいなかった成績の悪い順は書かないほうがよいようだ。??な人が殆んどである?
別に「慶応の教授がどうだ」ということはないが、生き生きしているかどうかで判断してもよい。
人間の成長角度