つれづれに

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  今日のYoutube

 そろそろ、年末の雰囲気が出てきた。
 とはいえリタイアの身には大して関係ない。

 今年も、振り返ってみれば
・英国の欧州離脱
アメリカ大統領選で、モンロー主義に近いトランプ大統領が選出。
・テロは、止まることもなく続いている。
 どれもこれも、歴史的な事件である。
・身辺では、駅周辺の家の商売を継いでいた二人の従兄が亡くなり、
 商売を廃業した。県内の母方、父方で実家の商売が続いている
 家が、完全に消滅。 従姉が嫁いだ先が続いていても、虫の息状態。
 鎌倉と浅草ちかく親戚も、商売を止めたという。 時代の変化は激しいが、
 これが、現実である。

 事業から身をひいて、6年近くになるが、さっさと、決断をしてよかった。
 もう一つのネット社会で、特性を生かして生き延びるのも、そう簡単ではない。



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3181、インコの話
2009年12月20日(日)
 私はペット好きだが、家内は大嫌い人間。 子供の頃から家には犬か猫、はたまた猿が
家に同居していた。猿は二代にわたり4年位はいた。 結婚してから10年後に、互いに
妥協?をして小桜インコを5代にわたり飼っていた。しかし子供二人が大学に行ってしまい、
誰も居なくなってからは飼わなくなってしまった。 それと最後のインコを寒さで死なせた
罪悪感から飼うのを止めたのこともある。 ところが三ヶ月ほど前に、スーパーセンター
「ムサシ」のペット売り場で中型インコの「メキシコ・コガネインコ」を衝動買いをして
飼っている。 生後半年で、人に懐いている。近くに引っ越していった長男が、このインコを
飼ってから必ず家に立ち寄り、世話をするようになった。 本人に特に懐いていて、家内が
言うには長男の車の音を聞き分けるという。 ここまで人に懐くと情がうつるもの。 
 買った時、そのインコを送り出す女店員二人が、車まで籠にいれたインコをキャリアカーで
持ってきてくれたが、何か寂しそうな顔をしていたのが印象的であった。
「凄く人に懐いていて、寂しがりや。外にでたがるので、籠の蓋を開けても外にでない臆病
なところもある。三ヶ月も皆で可愛がっていたので、愛情がタップリあるので、可愛がって下さい」
という。それを直感したので、私も買ったのだが。 二ヶ月前に、犬の半値セールのチラシが
入っていて、面白そうなので立ち寄った時に見かけたインコ。 その後、そのインコがまだ
いるか気になって再び行ったが、売れずに居たのである。インコにしては値段が高いからである。 
小桜インコの数倍は人に懐く性格で、頭を撫ぜると親から毛繕いをしてもらっているような
顔をする。 一度、冬越えをすれば、寒さにも慣れるという。
それにしても四六時中、独り遊びをしているのには感心する。
 「動物は露出した魂そのもの」というが、成るほどである。 
家内も以前ほどケギライをしなくなった。
 
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2816, 不況景色 -5
2008年12月20日(土)
貸し剥がしが全国で吹き荒れ、そして大量倒産が

一昨夜のNHKの「クローズアップ現代」は30分の枠を1時間15分に延期した厳しいものだった。
その中での中小企業への銀行の貸し剥がしを具体的にレポートしていた。
一般的には、銀行借り入れは短期と長期の組み合わせになっている。短期は、半年とか1年で
借り換えをするが、まずは、急激に悪化した企業には、借り換え時期の貸し出しを断る。
銀行の立場からすれば当たり前だが、物件持込など銀行が持ち込んだ投資案件など、銀行に
梯子を外されるケースも多い。長期も計画通り返済できない時に、返せなかった部分を銀行が
追い貸しをしながら企業の回復を待つケースが多い。ところが、今回の金融恐慌で、銀行も企業も
体力が消耗して上に、日本中は貸し剥がしが露骨に行われているという。レポートは、黒字を
長年続けている企業に突然、借り換え時に返済を要求してきたケースであった。
 その経営者は、何で突然返済を迫られたか呆然としていた。
当社のコンサルティングをしてもらっている、H氏が先日の酒席で、「銀行の貸し剥がしについて、
どう定義づけますか?」と問われた。深く意味を考えたことがないので、その時に思いのまま
答えたことは、「資金の切迫している弱みに付け込んで強引に資金回収すること」あるいは
「自社の都合で、借り換え時に資金を回収すること」と答えた。H氏曰く、「償却後に利益を
出している会社から一方的に資金回収すること」 成るほど思ったが、「それがホテルや製造業
などの設備装置産業にいえることでは」と問い返した。飲食業など、三年~五年が目安のところも
あるからだ。 それに対して、「いや同じだと思う」という。そういえば、今回の金融恐慌に
対して、当社の数年先の最悪の売り上げダウンの場合の一つの目安が、設備の償却後の利益確保を
基にしている。 審査の厳しい銀行も、初めにそこをみる。9・11のテロ以来、4年間ジワジワ
と売り上げがダウンした時に、それをネタに大手銀行に揺さぶられたことがある。
H氏は『償却後に、これだけ利益を出しているだけで、何を言っているのか。その支店長の
パフォーマンス。動じることは全くない』と終始一貫していた。ゆすぶられた時の売り上げが底で、
その直後に回復基調になったので、それ以上の揺さぶりはなかったが・・。 それにしても、
今考えてみても明らかにオカシイ動きだった。同時期、全国で同じような異様な動きをして
大問題になり、その後、大人しくなった。それからみて今度の落ち込みがどれ位になるか、
考えただけでも末恐ろしい。貸し剥がしは、これから数年間は続くだろう。銀行そのものも一つ
間違えば、不良債権の山になり倒産になりかねない。ところで、いま一度実感としての貸しはがし
とは?「貸出先の危険を他の金融機関に一歩先に取り立てる銀行の立場を守る行為」 ?
まずは第一波が、来年の1月05日である。年末に資金繰りの出来なかった企業の倒産が続出。
次が2月初旬。そして3波が4月初旬で、次からは毎月の初旬で、来年は恐慌パニックの年になる。
恐ろしいことだ。5年後に駅前再開発の道路拡張で、1つホテルが収容され、それが返済財源
プラスされるから大丈夫だが、それでも何が起きるか分からない。5年以内に、半数近くの
事業所が消滅するだろう。過去5年で三割以上が消滅したというから、何も極論でない。
(新しいのが出来ているので目立たないが)
*追記(12月21日)Hさんから、早速メールが入り、「償却前の利益」
  の勘違いという。前と後の一言で、大違いである。
 もし、これがマスコミで知れわたったっら、多くの中小企業は助かるはずだ。
 
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2007年12月20日(木)
2451, 今日を楽しむための100の言葉
 『今日を楽しむための100の言葉』伊藤守著 ディスカバー21
「自分自身の素晴らしさに気づく」ことをテーマとするiBDセミナーを15年間
主催してきた著者が、今まで語ってきた中から100の短い言葉を選び出してある。
若い人はそのまま受け止めればよいが、この歳のためか、その正反対の言葉が出てしまう。
それでは、せっかくの言葉が台無しになるので、書くことは控える。 
特に若い人に良い言葉だろう! 
 ーーーー
 『辛いだなんて、格好つけるな。』
 ー
『嘘がいけないのではない。 問題は、自分がどんな嘘をついているか、知らないこと。』
*嬉しくもないのに嬉しいと言ってしまったり、だいじょうぶじゃないのにだいじょうぶ
な振りをしたり。わたしたちは、たくさん嘘をついている。そして、そのことに気がついて
いない。まるで、失神したまま生きているようだ。
  ー
『やりたいことはやっている。やらなかったことは、やりたくなかったこと。」
*やっていないことを反省するより、いろんなことをたくさんやった方がいい。
 周りの人がどう思うか、そんなことはどうでもいいから。
 ー
『可能性は、いつもあなたの外にある。したことないこと、やってごらん。』
 ー
『気球が上がっていくときは、最初に砂袋を捨てるんです。いくらヘリウムガスを入れようと、
 それより重い砂袋をもっていては上がらない。いまもっているものを何ひとつ捨てる
 ことなく、気持ちだけ軽くなろうだなんて、ちょっとむずかしい。
 ー 
『あぶなくなったら、トカゲは尻尾を切る。タヌキは死んだ振りをする。 
 ヒトは、感じない振りをする。』
 -
『誰かがあなたを好きなのはあなたが優しいからじゃない。あなたがあなただから。』
 ー
『うまくいってる人は うまくいくパターンを使ってる。
 上手いってない人は 上手いかないパターンを使ってる。それだけのこと。」
 ー
『楽しくない人生は、基本的に意味が無い。」
*毎日ご機嫌で暮らしている人の前では、業績とか財産とか、
 これまで自分がすがってきたものが、本当に色あせて感じられるものです。
 ー
『私たちは誰かのために生まれてきたんじゃない』
*それなのにどうして他人の評価で自分の価値を計ろうとする習慣から 
 抜け出さないのだろう
 ー
『目標をひとつに決める勇気を持ちなさい』
*私たちが目標を持てないのは、目標を決めてしまったら、それ以外のものが手に
 入らなくなってしまうのではないかと恐れているから。何かひとつでも、本当に達成
 できたらすべてが手に入るというのに。完全になったから人に認められるわけではない
 完全になったから人に愛されるわけではない
 ー
『いちばん問題なのは、問題なんかないという状態に逃げ込んだ人。』
 ー
『人間はそう簡単に変われるものじゃないって?そう思っている人は,
 確かに変わらないと思うよ。』
 ー
『天に星が輝いていても、あなたが見上げなければ、ないに等しい
あなたが自分自身に目を向けなければ、あなたの価値もないに等しい』
 ー
『ほかの誰かになろうとしない ほかの誰かにならないようにしない』
ーーーーー
以上だが、やはり素直に受け止めた方が良い言葉である。
考えること、考え続けること、それが最も大事なことである。
そのためには独りになる時間を持つこと、問題から逃げないことである。      
今日を楽しむといったら、任せておけ!と言いたいところだが・・・
殆ど、私にとって当たり前のこと?でしかない?? 
いや、違うか??微妙なところだ!
                  (*^-^)ノ バアイ
・・・・・・・・
2006年12月20日(水)
2087, 経験についての一考察 -2
        b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
10日ほど前に、「経験」について書いたが、さらに考えをすすめてみよう。    
歳を重ねるとは経験を重ねることであり、それが成熟することであり、良い人生経験
を重ねることが熟年として豊かな心で最後の光となる、云々と前回書いた。 経験が
マイナスの部分から自分の心を苛むことも多くなった。福田和也の「成熟への名作案内」
PHP)に以下のような一節があったが、自分の心の影の部分をそのまま言い当てている。
ードイツの哲学者ヘーゲルは、経験を「自分の真実を失うこと」だと書いている。
自分の真実を失う、つまりこれが自分なのだ、自分はこういう人間であり、そのように
認識され規定を試みた人間として、この世の中を見ているんだという、自信というよりも、
自認と足場が崩壊し、自己が自己として、自分に対して持っていた信頼感なり当てに
する気持ちが胡散霧消してしまうこと、それが経験なのだ。それは自分というのは、
良くも悪くも、この程度の人間、がんばっても、しくじっても、この範囲の人間であり、
どんな窮地におかれても、最低の品位を崩すことはない、というような自信が、具体的な
行動の中で失われる、あるいは変わるということ。それが、経験だと、ヘーゲルは言っている。
だとすれば、成熟とは、何よりも自分が自分であるということを失い、自分から任じていた
ような、立派な人間ではなければ、尊ぶべき個性も独自性も、勇気も持っていないという
ことを知り、その崩壊のあとになお、自分の姿を見つめて生きていこうと努力することが、
成熟をするということに他ならない。
ーーー
以上であるが、私の現在の心情はとりもなおさずほぼ同じである。
これが「熟年という心象風景」かと、毎日のように内省する日々である。
経験を重ねるということは深い悩みが色濃く蓄積していくことでもある。
 ひとり、心の奥の高みにいて、すべてを見下していた自分が、
「薄汚れた軽薄な馬鹿な男」と気がついたときの衝撃。
そのとき、中原中也の詩「汚れてしまった悲しみに 今日も・・」の悲しみが
深く心に響いてくる。挫折という「心の背骨」の骨折で逃げおおせなくなったとき、
見下していた周囲を見上げたときに初めて気づく真実の光景。 そのとき、自分の
価値観が根底から変化する。  この繰り返しの中で、人間の成熟が初めてもたらされる。    
  熟年は、深く心の憂いが霧になって取り囲んでくる。その中で独り飲むコーヒーの
味も良いが!
                (⌒▽⌒)/"”さいなら!
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2005年12月20日(火)
1722, 時代を読み解く「三つの言葉」
             才八∋_φ(・ω・`)゜+.
文藝春秋の今月号の<新年特別企画> の特集が面白い。
この数年は、殆んど月刊誌と週刊誌を買わなくなった。
図書館で立ち読みをする程度だが、文芸春秋の新年号の新聞広告をみて
思わず買って読んだが、それぞれなかなか含蓄がある。各界リーダー32人が選ぶ
時代を読み解く三つのキーワーであるが、それぞれの人の文章が短いが鋭い。
 その一部を抜粋する
 (字数の関係でカット 09年12月20日
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 2004年12月20日(月)
1357, 23歳の日記ー7
 1969年 7月17日 神戸・垂水にて
この会社で、もう何人から誘われたが、女の職場は厳しい。
一人に振り向けば、その人以外は全てに無視されるのが女性の職場である。
地方のせいか、心の綺麗な純粋な人が多い。また、声をかけてくる人は自分に自信がある人。
目的がなければ何人かが合格で?、毎日が楽しい日々だろう。それでは何故ここまで来たのか、
意味がなくなる。それと、学生時代の女友達と比較してしまう。妥協できない。武澤先生のいう、
学生時代に相手を見つけておくのが一番良い相手に出会う確率が高い、というのがわかる。 
ただ、決めてしまっていれば、今のような気持ちでなれない。
ーーーー
7月18日
今日、堀田君と女性に関してお互いに誓う
『女性に関して、お互いに流されないようにチェックしてコントロールする。』
早く妥協してしまいそうだからだ。彼も、動揺するような誘いが多いようだ。
全くもう、こんな異様な状況で神戸の元町のような場所に誘われて・・自分が自制できなくなる。
荷物は持たないことだ。持ってしまってからではお終いである。それにしても、神戸も綺麗な
あかぬけた明るい女性の多い。若い女性の中は、地方の特徴がそのまま出ている。
ーーーーー
8月9日
意のむくまま、文章を書いてみよう。9月になったら、1~5日まで休暇をもらうことにしよう。
最も効率的にすごす為には、学生時代に卒論を書く為に籠った
新潟の六日町の雲屯庵に行くことにした。そこで自分を見直してみるのもよいだろう。
自分を冷静な状態にしておかないと、大きな落とし穴にはまり込んでしまう。
自分の目的が何だか解らなくなってしまう。こう文章を書いていても、この境遇から何も
見えなくなりつつある。同室に堀田君という同期がいるから、気持の中で支えがあるが。
あまりにも4ヶ月は変化が激しいし、刺激が強すぎる。自分を支える為にも、
違う視点を持つ為に。

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2004年12月20日
ー感想記
文章に残すということは、良いのか悪いのか。
読めば読むほど記憶としての糸口になるが、反省・悔悟の思いがでてくる。
35年前の反省をしても仕方がないだろうに。恐らく死期を悟った時、昔のことが走馬灯の
思い出され、反省と悔悟と、反面喜びなどの、多くの思いが重く軽く、嵐のように吹き
荒れるのだろう。真面目な、世間知らずの?男が、高度成長期の時代背景の中で、あせって
いる姿がそのまま文章に出ている。当時の心の傷が、そのまま今も残っている。心のままに
書き残すことも大事なことだ。それにしても、やはり異常な状況での体験であった。 
20~40歳代は、誰もがこんなものか? それとも、やはり? 人生は面白い!

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2003年12月20日(土)
 990, 軽井沢の思い出ー2
軽井沢駅から少し歩いたところに「離山」という小さな山がある。麓から頂上まで一時間も
しないうちに登れる山で、独りで何回か登った。その頂上から見る風情は何ともいえない趣があった。 
また別荘地の散策も面白い。歩いているだけで豊かな気持ちになれるのだ。 別荘と、そこの
表札を見ているだけでも面白い。有名人や大手の会社の名前で占められているのだ。それと一歩、
別荘地に入ると殆ど人気が無いのもよい。一時期、都内の若い女性の間で「5千円族」という
のが流行ったことがあった。 その金額で休日、軽井沢の日帰りコースとして丁度手軽だからだ。
別荘地を散策して、軽井沢銀座のウインドウショッピングをして、軽く食事をして5千円で済ます。
早朝、街を歩いていると小奇麗な喫茶店が開いていて何げなく飲んだコーヒーが絶品だったことを
思い出した。いま考えいてみると、何処の湧き水と最高級のコーヒー豆を使用していたのだろう。
また「万平ホテル」もレトロ調で軽井沢にピッタリの雰囲気。 そこのレストランが美味しい。
ところで私の新婚旅行は軽井沢であった。挙式後、三浦さん夫妻と一緒に帰ったことを思い出した。
丁度30年前のことである。

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2002年12月20日(金)
 616,パタゴニア旅行記-3
パタゴニアの印象といえば、氷河の他に遠くに広がる原野とアンデス山脈である。アルゼンチン
からペルーへの移動で見た左右の視界が270?もあるアンデス山脈のパノラマが素晴らしい。
数千メートルの山頂なら幾らでもあろうが、少し小高い平地で三百キロに近い景色が見えるのは
想像を絶していた。アフリカで数十キロの視界の景色を見たときの驚きを今もはっきり憶えているが、
それがなんと数百キロの視界の景色を目の当たりに見たのだ。 世界は驚異に満ちていると実感
した瞬間であった。秘境系の旅行はこういうチャンスに満ちているのがよい。世界の果てのマゼラン
海峡や世界の果ての町ウシュアイア。そこから船に乗り、ビーグル水道に埋めつくすアザラシや
ペンギンの群れをまじかに見たのも鮮烈な記憶に残っている。人口十万のこの町で見た夕日の
美しさも忘れられない思い出だ。 大型の野良犬があちこちに屯していたのが印象的だ。
厳しく貧しく派手さはないが、ある豊かさを感じ取った。ほとんど時代の変化に翻弄されること
なく地道に生きてきた逞しさからくるものであろう。ペルーでは殆ど見ることなかったコンドル
が多く見ることができたのも今回の印象であった。小さいテーブルマウンテンに似ている山の岩壁
に巣が多く作られていた。ペルーで見たリャマの一種の野生のグアナコが出身に多く見れた。
それとダチョウにそっくりの野生のニャンドウも印象的であった。両者とも捕獲が禁止されている為
に多く繁殖した。その土地の景色にピッタリの動物が棲んでいるのも自然のなせる業だろう。

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2001年12月20日(木)
 275、後回しー我が内なる無能性
後回しにして忘れ失敗した事を、誰もが数知れず経験しているはずだ。後回しは半分以上
やらないことだ。言葉の遊びになると思うが、「さき回し」もあるはずだ。準備はそれに似ている。
夢を持つことは、一種のさき回しになる。準備はものごとを上手くやる最大の秘訣である。
成功の功はネルという意味だ。練り上げ成すことが、成功という。準備・計画の練り上げが最も大切だ。
計画の練り上げ内容でほぼ決まってしまう。実行プロセスはあくまで、その手順レベルでしかない。
後回しはそのレベルと全く違う。ABC分析のCの後回しならわかる。 それ全て含めて後に回す。
無知無能の習慣パターンだ。わかっている、それが致命傷のなることを。
そして今までそれで致命傷に近い失敗をした。それでも後回しにしようとする。
今の日本の姿そのものがこれだ。ここにきても更に改革を後回しにしよう
のたうち回っている。戦後社会主義ー官僚体制主義から抜けきれずに。
決断の後回し、いや決定の後回しといっていい。後で後で後で人生終わってしまう!
「全て定年後といって内の亭主何にもしないの!」と家内の知人が言っていると
いう話を聞いたことがある。それの究極だ。ブラックジョークにもならない。