つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive
 

  今日のYoutube

 今日は風邪でSJを休むことにした。
すぐに治ると思っていたが、なかなk咳が止まらない。
 まあ、休めというサインだろう。



・・・・・・
・・・・・・
2815, 不況景色 -4
2008年12月19日(金)

 今回の金融危機で、まずは日本の自動車、住宅、電気メーカーが大打撃で、深刻な事態になっている。
その一つが為替差損である。一円のドル安でトヨタで400億というから、120円から87円となれば、
33円×400億=一兆三千億円以上になる。数年でトヨタでさえ倒産というのも肯ける。
ニュースでホンダのトップが涙目で、異常事態と言っていたが、果たして如何だろうか?
野口悠紀雄の『円安バブル崩壊』の中では、
ー「「金融緩和政策と為替介入によって生み出された異常な円安バルブが崩壊して、本来の状態に戻りつつあるだけ」
 と指摘。金融崩壊までの景気拡大は、企業の“選択と集中”による企業体質の強化や、改革による効果というよりも、
 異常な円安バブルがもたらしたものだという。( この本は2008年5月29日に発行だが・・・)
 昨年8月以降に急激な円高が進んだが、日米の金利差や消費者物価上昇率を比較すると為替レートは1ドル=60
~70円程度。 世界でほぼ同一品質のものが販売されているマクドナルドのビッグマックが課税前価格で
日米で同じ価格の為替レートを算出すると1ドル=79円に相当するという。
 これから考えても、きっかけは金融危機としても、円高は円安バブルの崩壊の70円代というのも肯ける。
 この自動車業界の惨状からみて、これまでの彼らの繁栄が、大多数の国民の犠牲の上で成り立っていたと思うと、
 腹が立つことも事実である。
 ーこの本のP-8にある次の箇所を読んでいて、腹が立ってきた。ー
 ・・・・「ビッグマック指数を使って次のように考えるとよくわかる。
 東京で276円で買ったビックマックをニューヨークに持っていって売るとする。販売収入3、49ドルを100円の
レートで日本円にすれば349円になる。276円の元手で349円が得られるから、こういう行動が利益をもたらす。
 移動で品質が低下するので現実的ではないが、製造業では品質は低下しないから、取引は現実的になる。
 たとえば、「日本でもアメリカでも自動車がビッグマック一万個分」とすると、日本円で276万円の車が、
 3万4900ドルになる。したがって、日本で製造した車が外国に輸出して売れば、右のメカニズムで利益が発生する。」
 この数年間に現実の経済で生じたことの基本は、このようなことだった。・・・・

 現在起こっていることは、その正常値になっただけと、野口悠紀雄は述べているのである。
 それも一挙だから、パニック状態になるのである。 円高原油高、穀物高、資源などを5割以上も高く買わされていた
 国民からみたら、マイナスである。 その上で、彼らは繁栄を謳歌していたのである。それが東海ベルト地帯だけが、
 その他の地域と違う国ではないかとさえ思えるほどの差になっていたのである。

 ・・・・・・・・・・
2007年12月19日(水)
2450, 手帳は予定、日記は過去を書くもの!
                          (σ・з・)σオハYO!!
そろそろ来年度の日記と手帳の準備に入る時期である。 最近では手帳と日記が兼用になっているものも目立つ。
書いたこと自体忘れていた学生時代の日記を倉庫で見つけ読み返し、その当時の記憶が鮮明に思い出されて、
気持ちを書き残す重要性を実感した。当時、何故書き残していたのか?当時の日記からすると、
自己コントロールとして書いていたようだ。それが結果として行動記録になったのである。
現在はブログと随想日記に日々行動と心情を書いているが、見られることが前提である。
学生時代の日記に39年ぶりに出会って懐かしく感じるのは、本心を書いていたからだ。
公開していたら、赤裸々な気持ちをそのまま書けなかっただろう。
昨日、毎日新聞の読書欄に東大教授が日記と手帳について解りやすく書いていた。 ズバリである。
下手に心情など書こうとするから書けなくなる。 身近なことを簡潔にメモを刷ればよい、それも自分の言葉で!
ーまずは、その内容から

ーーー
日記をつけない人はいう。いったい何を書いたらいいのかと。何も書く必要はないのだ。
何かを書こうと思う時点で拘束され、負担に。やがて挫折。日記は提出の必要なし。
文章表現に凝ることはない。自由きままに、その人の「いちばん楽なごとば」でつければいい。
感情表現を加えると重くなる。寝る前に一日を振り返り、「晴。午後から講義。夜、必殺仕事人、見る」。
ぼくはこんな感じ。田山花袋は、いう。事実を書くだけでいいと。
<こう思ったとか、ああ思ったとかいうことよりも、こういうことをした、
ああいうことをしたという行為を書いておく方が「日記」という本来の性質にかなっている>。
  (字数の関係でカット2008年12月19日)
  荒川洋治、東大教授(日本政治思想史)日記の「新年」 (._.〃)ゝ…バイバイ

ーーーーーーーー
私のように読書の要約を残すため公開するコーナーや、日々の社会の感想を何気なく
書き続けることで、より周囲や社会を深く広くみることを動機にしている輩にとって、
誰にも見せない日記も必要になる。それでも、いつか誰かに見られる前提で書くしかない。
そうだとしても独り自分に対峙する日記は、必ず習慣として持つべきである。

・・・・・・・・
2006年12月19日(火)
2086, 哲学者が霊能者を一刀両断すると!-2
           オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!   
  「知ることよりも考えること 」-?  読書日記
             
「生きていること自体が、神秘体験である。生前、死後の世界と何を取り繕っているのか、馬鹿も休み休み
言いなさい。それなら、現に生きている神秘を説明してみたら!」と問われたら江原某はどう答える
のだろうか?「見えるものは見える」と言うしかないか。それとも「それじゃ心が見えますか?」と言うか?
ばっさり切り捨てている部分が更に面白い。             
   
   ー生きていること自体が神秘体験だろう!-
  ーー
 前世を語る者たちの、オーラとカルマの「物語」なのだ。物語とは、文字通り物語なのだから、
本当でも嘘でもない。知り得ないことについて、本当とも嘘とも言えないのは決まっている。
 あれらの物語を求める人はおそらく、あれらの物語を「本当のことだ」と思っている。
 それを信じることによって、人生の意味と理由が与えられたように思うのである。
 しかし、そのような仕方で与えられるような人生の意味と理由は、それ自体が物語である。
 本当か嘘かさだけではない。 そんなもので本当に救われるのだろうか。
 人が何らかの神秘的なもの、「神秘体験」に惹かれるのも、恐らく同じ理由である。
 オーラやカルマや臨死体験を神秘というなら、自分が存在しているということは、どうして神秘ではないのか。
 ほとんどの人は、自分が存在していることを神秘だとは感じていない。そんなことは当たり前だと思っている。
 だから、生まれる前とか死んだ後とか、どこか別のところに神秘を探しに行くのだ。

 神秘を見つけて、神秘だと騒ぐ。そんなことができるのも、自分が存在しているからこそという神秘には、
 どういうわけか騒がないのである。自分が存在していることは、科学的には説明できず、理性によっても
理解できない。なんでこんなものが存在し、これが毎日生きているなんて、とんでもないことである。
 驚くべきことである。私には毎日が神秘体験である。
 じっさい、「存在する」ということは、それ自体で生死を超越しているのだから、「生前」「死後」は
眼中になくなる。逆に、存在の神秘の前には、そういうものは全て物語だということが、ハッキリ
見えてくる。「毎日を生きている」と、とりあえず言ったが、その意味で毎日が死に瀕している。
 毎日が臨死体験である。生きているという神秘を知れば、死後の神秘には用は無い。

 なるほどこの世には、霊能者、霊媒、魔法使い、「常人」が所有しない能力を所有する人は存在する。
 普通の人が見えないものが見える。できないことができる。物語が語れる。単にそれだけのことである。
 だからたとえば、非常な有能な霊能者が現れ、宇宙開闢以来の全歴史が見えると言っても、
 私はその人が何を理解しているとも思わない。 人生が存在する。存在が存在するということの神秘は、
 いかなる仕方によっても理解できないということを、私は理解しているからである
  ーーーーー
 ところで、ビッグバンが爆発して、この宇宙ができたというが、元のラグビー大?の素粒子は、無から
生じるわけがない。 それがどうして発生したのか?この根本が解るわけがないのに「生まれ変わり」
など論じても何の意味もないはず。そして「私が存在する不思議」もしかり!「生まれ変わりの存在」
を仮説することにより、天使の役割をもたらすのかもしれない。エホバの商人とかいうカルト的宗教
団体の「物見の塔」の視線に似ている?か。生まれ変わると確信して死んでいけるなら、
これほど幸せなことはない。           
              ∥┓  ((  
             (_)   匚P  バイバイ!
              ━┻     
・・・・・・・・
2005年12月19日(月)
1721, 日本一短い手紙 「喜怒哀楽」 -1

『 日本一短い手紙』のシリーズを読むのが二冊目になるが この「喜怒哀楽」がよい!
  人間の赤裸々な姿だからだ。 読んだ瞬間、涙が出そうになった。 何も書けません! 

ー 第10回一筆啓上賞の中の10篇である。

口元のわずかな動きで分かります。かあさん、きょうは、うれしいんだね。
                    金子数栄 長崎県 59歳 農業
喜怒哀楽って季節みたいだ。1度に全部来ないし、何かを残してすぎてゆく。
                   寺沢紗裕里 岩手県大船渡市 15歳 中学3年
潮が引いた浜辺に貝が二つ。お父さん、私達みたいだね。次の波も 被り抜いていこう。
                   田中久美子 熊本県水俣市 46歳 地方公務員
家族全員がいたときの玄関いっぱいの あの喜怒哀楽の靴たちはどこですか
                   中江三青 鳥取県鳥取市 54歳 会社員
畜生!あげたてのてんぷらが食いてえ! ― ガ島で戦死した兄からの最後のハガキ ―
                   井邑勝 福岡県北九州市 69歳 無職
きみは小さな足でかわいい地団駄を踏む。 いったい誰から教わったんだい?
                   塩見直紀 京都府綾部市 37歳 自営業
雨音で目を覚ましたので窓を見たら アジサイがのぞいて笑っていました。
                   岸波由佳 福島県福島市 18歳 高校3年生
目を閉じるとき瞬間私は貴方との人生に「喜怒哀楽」のどの顔をするかしら
                   高橋直青森県青森市 31歳 主婦
母が怒り出したから、「だっ」と逃げたら、「だだっ」と母が追って来た。
                   石榑美樹 新潟県長岡市 18歳 高校3年生
いつの間にか付けていた心の仮面が、 今では勝手に感情を作る。本当の感情はどれ?
                   加藤裕美子 福井県福井市 15歳 高校1年生
ー他にも、すばらしい作品が多くある。 人の心は、弱く儚いものだが
 ーー
ねぇあなた、哀しみの次には楽しさが来るんだよ。 もう一度頑張ってみようよ。           
先日、満員電車で、席を譲られてね、感謝したけど、何故か心に、空席が出来たよ。           
あなたがいないから、泣いていたんじゃないの、私もいないから、泣いていたの。            
虹が出た時、土筆の顔が見えた時、今年初めて燕を発見した時。何だか幸せ。      
「喜び」はきっと一人じゃ作れないよ。だって一人じゃうれしくないじゃん。
      
・・・・・・・
2004年12月19日(日)
1356, 梅の花ー2

部屋は六畳ぐらいの大きさで、机の下が掘りごたつ風になっている。
メニューは、湯葉煮、茶碗蒸し、豆腐のけんちん揚げ、黒豚と季節野菜の豆乳しゃぶしゃぶ、
豆乳リゾッテ風、シャーベットである。食事が終了するのに、一時間半はかかった。挨拶に来た、
マネジャー風の人の話によると「昼客の殆どが女性のグループで、11時過ぎに来て2時近く
までいる。その為お客はあまり回転をしない」とか。最短で1時間半かかるのだから、女性客は
それだけ居座るだろう。いま流行の、スローフードの典型である。「郊外型、高級料亭ふう京料理
のスーパーストア廉価店」といえる。新潟下越中越地区の女性客が一巡する数年は、物珍しさも
手伝って好成績をあげるだろう。その後は何とかやっていけるかどうかの業態。経営者も、
3~4年で投資回収をしてしまえば、後は何とかなると踏んでいるのではないだろうか。 
たまたま知人の姪が、東京の「梅の花」で店長をしているという。新潟のこの店は成功で、
客単価は5000円弱。 会社全体として、この三年で勢いは落ち始めたという。
店で作る豆腐以外は九州の本部から送ってくるレトルトの加工するだけ。
「チェーンシステムを京懐石料理に取り入れた」ということだ。
梅の花」のHPを調べると、決算書の内容から見て、それほど好業績の会社ではない。
売り上げが200億、自己資本比率が30%弱。多店化を始めた頃の店が成績が急落したため、
新店でカバーせざるを得ないというのが決算書から読み取れる。 三年前の9・11事件からの
落ち込みは何処も同じである。客としての判断は、あくまでも女性客に的をしぼった店であり、
もう二度と行かなくてもよい店である。 しかし、長い時間ゆっくりと食事をしたい女性客に
とっては良いと思われる。

・・・・・・・・ 
 2003年12月19日(金)
989, 軽井沢の思い出

 現在書いている随想日記に「軽井沢」のことが頻繁に出てくる。 記憶の彼方のことが、
今更のように思い出される。
 大学二年の秋に、隣の部屋の先輩から「OBの先輩がペアレントをしている軽井沢の山荘」
のアルバイトに誘われた。丁度、学生時代の生活に慣れて、寮とクラブだけの生活に辟易と
していた時期で、丁度よいタイミングであった。 仕事といえば、食事つくりと、掃除と、
宿泊客の夜の遊び相手である。若い女性が殆どで、フォークソングを一緒に歌い、ゲームを
したり、話相手になる。初めての経験で夢のような毎日であった。卒業するまで連休や夏・
冬休みなどに二年間ほど行っていた。早朝の朝もやの中、宿泊客とか同じヘルパーの女学生と
散歩をするのが一番の楽しみであった。並木道の木が重なり合っている「愛のトンネル」いや
「「愛の小道」という絵に出てくるような場所もあった。周囲は別荘や池やホテルなどがあり
鳥のさえずりや雉の鳴き声が聞こえてきて、幻想的な小説の主人公になったような世界。
 そこで仲が良くなって東京で会ってもTPOSが違うのか、一度で夢破れたことが何回かあった。
夢は夢にしておくべきということを何度か再確認をした。 また久々に会う女学生が嬉しそうな
顔をして走りよってくる姿が、何ともいえない記憶として残っている。  何で誰とも結婚
しなかったのだろうか、不思議で仕方がない。
両親の縛りから抜け出せなかったのだろう。いや??!まだ受け止められるだけのものが無かった。
 ところで話が変るが、そこの名前は「友愛山荘」であった。旧軽から歩いて7~8分のところ
にあった。政治家一族の鳩山家の政治団体「友愛」が、ボランティアで運営しているユース
ホステルであった。今はもう「鳩山家」の別荘に変っている。 そのペアレントー山荘の
責任者が、学生寮の先輩で「三浦満さん」あった。結婚したてで、奥さんが明るい人で
「波子さん」と言われて皆に慕われていた。 一歳の赤ちゃんがいた。
夜の「お遊びタイム」の後、三浦さんと酒を飲みながら政治や哲学など話すのも楽しみだった。
{ユースホステルでは、宿泊客をホステラーといい、アルバイトをヘルパー、マネジャー役の
夫婦をペアレントという。}大学を卒業をしてから10年位の間2年に一度は遊びにいっていた。
また私の結婚式には三浦夫妻に出席してもらった。「海外旅行」「葉山」「留学」「軽井沢」
「外車」ゼミ」などの言葉は学生時代の私の世界では、特別の響きがあった。
友人の何人かは外車のアルファロメオフォルクスワーゲンなどを乗り回していた。
貧乏(寮生活)と金持ち(欧州旅行で知り合った友人)の狭間で、目が回るような日々であった。
 今から考えてみると、あらゆる人と社会的なものを一切脱ぎ捨てて、裸で付き合えたのが
学生時代の一番の特典であった。

・・・・・・・
2002年12月19日(木)
615, パタゴニア旅行記ー2

 この旅行は12月4日~17日までの14日間の旅行であった。

・まずの見どころは世界自然遺産の一つ氷河国立公園の拠点のアルゼンチンのカラファテに三連泊。
 大迫力の氷河の崩落を見るペリノモレノ氷河、及び氷山の浮かぶアルティーノ湖のクルーズを楽しみ、
 この氷河国立公園最大のウプサラ氷河を見る内容であった。 モレノ氷河については前回書いたが、
 ウプサラ湖の一面小さい氷山で埋め尽くした景観はその氷河をバックに何ともいえない美しさを
現していた。またウプサラ氷河は幅10?高さ80?の壮大な景観を、晴天の空の青に氷河の白と
青をミックスさせて我々の眼の前に展開していた。 何ともいえないパタゴニアの美しさに時間
の静止を感じた。
・次のハイライトはパイネ国立公園であった。1万年前に絶滅した巨大なナマケモノーミロドン
の骨が発見されたミロドンの洞窟の岩ドームに呆然とした。その中でやはり圧巻はパイネグランデ
の雄姿である。雲を頂く岩峰が4つ天を突き刺す姿はパタゴニアを象徴するものである。
帰りの車の中でみたその姿は一生概忘れられない夕景であった。山頂近くまで以前氷河があった
のが山頂の岩の色の違いで分かるのがよい。
 その先にあったグレー湖とその水源のグレー氷河に50?近くまで船を近づて見上げたのも印象的。
 氷河の美しさでは近くで見たこともあってベストであった。

・・・・・・・
2001年12月19日(水)
274,一卵性双生児

今は行かなくなったが、10年前ぐらい週一回、10年近く通っていた店がある。
そこの板前兼亭主が一卵性双生児である。店の名前が「味生」である。
面白いのが、共同経営のうえに一軒の住宅に二家族が住んでいる。子供が2~3人ずついて、
食事も一緒に食べるという。二人の奥さんが一日交代に店にきて手伝う。残ったほうの1人が
家事をするという。小説になるような話だ。「現実は小説より奇なり」とはよく云ったものだ。
ふぐの専門店で客種はいい、なんともいえない雰囲気があった。副業と趣味を兼ね、チャウチャウの
ブリーダーでもある。双子の世界は、一般の常識では解らないものが「テレパシーとか感覚の世界」
であるという。二人がカモシダシテイル雰囲気がなんともいえなくいい。TV小説の世界に
入ったような気になる。色いろな世界があるものだ!

・・・・・・・・
ある時間の断片
12月19日 1968年 

 目が覚めたのが12時少し過ぎである。少し寝すぎたようだ。食後13時から17時まで集中して
卒論を書き上げる。休んで、21時から0時まで再び集中する。そこから頭を休めるつもりで、
「愛について」を読む。今の自分の姿勢を否定している部分が多い。「受容」と、「犠牲的精神」
「信頼」という部分が見失われているようだ。クールヘッド・ウオームハートといっているが、
今の私が完全に逆のようだ。もっと広い範囲で本を読むべきであった。