つれづれに

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 今日のYoutube

 寒さのためか、少し鼻風邪気味。
クシャミが連発するが、熱が出るとかはない。
毎朝、何年にわたり、まず生姜湯を飲んでいるが、
鼻風邪とは関係ないか… 



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・・・・・・
5026,閑話小題 ~ロシア経済が変
2014年12月18日(木)
  思わないところからブラックスワンらしき声が聞こえてきた。
 ロシア経済が危ないらしい。 あるレポートである。
≪ ロシア株の時価総額(ドル換算)が、アップル1社の半分以下に落込んだ。
 アップルは6300億ドル余り。一方、世銀の統計では、2012年に
ロシア株の時価総額が8746億ドル。しかし、その後のロシア株、ルーブル
暴落により、現状では3000億ドルを大きく割り込む水準と推定される。
その程度の規模の市場となると、ヘッジファンドにとっては「おいしい」標的。
 季節的にも欧米市場はクリスマス休暇モードで連日、商いは薄いので値だけ
飛びやすい地合いだ。しかも、プーチンに残された選択肢は極めて限定的だ。
直接市場介入、資本規制、更なる利上げなどである。それゆえ足元を見られる。
数少ない救いは、4000億ドルを超す外貨準備と、財政赤字対GDP比13%
(2013)の低さだ。しかし、外貨準備は徐々に減少しつつあり、更に制度的
に介入に使えない部分もある。ロシアの、国内インフレ率は9%を超え、国民の
不満も鬱積中だ。ルーブル離れも目立つ。四面楚歌となったプーチンが、例えば
ウクライナ隣国でロシア系住民の多いモルドバに侵攻するなど、愛国心高揚かつ
国民の士気を高める奇策を打つ「地政学的リスク」もある。欧米側は、プーチン
ウクライナ妥協で経済制裁が緩和され、経済の負担を減じることが望ましい。
しかし、その場合、国内強硬派の批判が高まること必定だ。結局、ロシア経済
不安の今後は原油価格次第。輸出の32%を原油、21%を原油関連製品、
14%を天然ガスに依存する構造は変わらないからだ。≫
▼ 二年間で、ロシアの総株価が三分一に減り、時価総額がアップル社の半分に。
 そして、ロシアルーブルは米ドルに対して、約1年で半値になってしまった。
輸出の7割近くが原油・ガスというから、この数ヶ月来の半値の原油安の結果
である。もしかしたら、リーマンショック以来に、世界的経済危機もありうる
事態である。ロシア中央銀行は16日、原油価格の急落を受けて、通貨ルーブル
の下落に歯止めがかからないことから、政策金利を10.5%から17%へと
大幅に引き上げることを決めた。 その割りには株式の暴落がないのは、1998年の
ロシア経済の危機をアナリストが知っているから?‘死なばもろ共’と、世界
恐慌に自ら火をつけて回るか? 一度、どん底まで落ちたロシア、厳冬には
慣れている。リーマンショックから6年、そろそろ、膿みだしの条件が揃った。
アメリカも大統領がレイムダックになったし、欧州の経済は最悪、中国も、
暴動の嵐。前の事業を考え合わせると、背筋が寒くなる。
で、地方銀行って、どうなってる?

・・・・・・
3180,今年の総括
2009年12月19日(土)
 今年も総括の時期になってしまった。 
去年のリーマンショックや、中国・深川大地震のような大事件は無かった。
オバマが一月末に正式にアメリカ大統領に選出、日本では自民党が惨敗し民主党の鳩山政権が発足。
それと新インフルエンザが本格的な流行を始めたことと、WBCで日本が優勝、マイケル・ジャクソン
が亡くなったことぐらい。身辺でも金融恐慌の暗い雰囲気が漂ってはいたが、亡くなった人は従妹一人。 
 来年は、その分だけ大きな経済的事件や、国際紛争も起きそう。今年は、中休止の年というところか。 
しかし日本経済は厳しさを増している。当方も新潟国体で何とか息をつけたが来年は大きなイベントは
見当たらない。来年は来年だが、気持ちは暗くなる。
 今年を歴史的に振り返ると、「ハイパー・デフレが始まり」「新インフルエンザが本格的に蔓延」、
自民党が崩壊、民主党が政権を取り」「国債発行が予算を超えた」が、キーワードになる。
決して安泰の年というのではなく、急な坂を転げ落ちていく境目の年である。
 私自身、25年ぶりに海外旅行に行かなかったことである。 9月に行こうとしたが、新インフルエンザの
世界的な拡大に迷いが出て、キャンセル。 今からすると、行っておくべきだったと後悔をしている。
この恐慌の中、行かない判断も正解だったのかもしれない。 2001年9月11日のテロと、去年の
9月15日のリーマンショックの激震で、世界は大動乱に入ってしまった。 その二つの津波のウネリが
大きく覆い被さってきているのが、昨今の大不景気の原因。 今年も無事?終わりそうだが、来年は
どうなっているか? 神のみぞ知るである。

・・・・・・・・
2815, 不況景色 -4
2008年12月19日(金)

 今回の金融危機で、まずは日本の自動車、住宅、電気メーカーが大打撃で、深刻な事態になっている。
その一つが為替差損である。一円のドル安でトヨタで400億というから、120円から87円となれば、
33円×400億=一兆三千億円以上になる。数年でトヨタでさえ倒産というのも肯ける。
ニュースでホンダのトップが涙目で、異常事態と言っていたが、果たして如何だろうか?
 野口悠紀雄の『円安バブル崩壊』の中では、
ー「「金融緩和政策と為替介入によって生み出された異常な円安バルブが崩壊して、本来の状態に戻り
つつあるだけ」と指摘。金融崩壊までの景気拡大は、企業の“選択と集中”による企業体質の強化や、
改革による効果というよりも、異常な円安バブルがもたらしたものだという。( この本は2008年
5月29日に発行だが・・・)
 昨年8月以降に急激な円高が進んだが、日米の金利差や消費者物価上昇率を比較すると為替レートは
1ドル=60~70円程度。世界でほぼ同一品質のものが販売されているマクドナルドのビッグマック
課税前価格で日米で同じ価格の為替レートを算出すると1ドル=79円に相当するという。これから
考えても、きっかけは金融危機としても、円高は円安バブルの崩壊の70円代というのも肯ける。
この自動車業界の惨状からみて、これまでの彼らの繁栄が、大多数の国民の犠牲の上で成り立って
いたと思うと、腹が立つことも事実である。
  ーこの本のP-8にある次の箇所を読んでいて、腹が立ってきた。ー
 ・・・・「ビッグマック指数を使って次のように考えるとよくわかる。
 東京で276円で買ったビックマックをニューヨークに持っていって売るとする。販売収入3、49ドルを
100円のレートで日本円にすれば349円になる。276円の元手で349円が得られるから、こういう行動が利益
をもたらすのである。 移動で品質が低下するので現実的ではないが、製造業では品質は低下しないから、
取引は現実的になる。たとえば、「日本でもアメリカでも自動車がビッグマック一万個分」とすると、
日本円で276万円の車が3万4900ドルになる。したがって、日本で製造した車が外国に輸出して売れば、
右のメカニズムで利益が発生する。」
 この数年間に現実の経済で生じたことの基本は、このようなことだった。・・・・
 現在起こっていることは、その正常値になっただけと、野口悠紀雄は述べているのである。それも一挙
だから、パニック状態になるのである。円高原油高、穀物高、資源などを5割以上も高く買わされていた
 国民からみたら、マイナスである。 その上で、彼らは繁栄を謳歌していたのである。それが東海ベルト
地帯だけが、の他の地域と違う国ではないかとさえ思えるほどの差になっていたのである。

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2007年12月19日(水)
2450, 手帳は予定、日記は過去を書くもの!
                          (σ・з・)σオハYO!!
そろそろ来年度の日記と手帳の準備に入る時期である。 最近では手帳と日記が兼用になっているものも
目立つ。書いたこと自体忘れていた学生時代の日記を倉庫で見つけ読み返し、その当時の記憶が鮮明に
思い出されて、気持ちを書き残す重要性を実感した。当時、何故書き残していたのか?当時の日記から
すると、自己コントロールとして書いていたようだ。それが結果として行動記録になったのである。
現在はブログと随想日記に日々行動と心情を書いているが、見られることが前提である。
学生時代の日記に39年ぶりに出会って懐かしく感じるのは、本心を書いていたからだ。
公開していたら、赤裸々な気持ちをそのまま書けなかっただろう。昨日、毎日新聞の読書欄に東大教授が
日記と手帳について解りやすく書いていた。ズバリである。下手に心情など書こうとするから書けなくなる。 
身近なことを簡潔にメモを刷ればよい、それも自分の言葉で!
ーまずは、その内容からー
日記をつけない人はいう。いったい何を書いたらいいのかと。何も書く必要はないのだ。
何かを書こうと思う時点で拘束され、負担に。やがて挫折。日記は提出の必要なし。
文章表現に凝ることはない。自由きままに、その人の「いちばん楽なごとば」でつければいい。
感情表現を加えると重くなる。寝る前に一日を振り返り、「晴。午後から講義。夜、必殺仕事人、見る」。
ぼくはこんな感じ。田山花袋は、いう。事実を書くだけでいいと。
<こう思ったとか、ああ思ったとかいうことよりも、こういうことをした、
ああいうことをしたという行為を書いておく方が「日記」という本来の性質にかなっている>。
  (字数の関係でカット2008年12月19日)
 荒川洋治、東大教授(日本政治思想史)日記の「新年」 (._.〃)ゝ…バイバイ
 ーーー
私のように読書の要約を残すため公開するコーナーや、日々の社会の感想を何気なく
書き続けることで、より周囲や社会を深く広くみることを動機にしている輩にとって、
誰にも見せない日記も必要になる。それでも、いつか誰かに見られる前提で書くしかない。
そうだとしても独り自分に対峙する日記は、必ず習慣として持つべきである。

・・・・・・・・
2006年12月19日(火)
2086, 哲学者が霊能者を一刀両断すると!-2
           オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!   
「知ることよりも考えること 」-?  読書日記
             
「生きていること自体が、神秘体験である。生前、死後の世界と何を取り繕っているのか、馬鹿も休み
休み言いなさい。それなら、現に生きている神秘を説明してみたら!」と問われたら江原某はどう答える
のだろうか?「見えるものは見える」と言うしかないか。それとも「それじゃ心が見えますか?」と
うか? ばっさり切り捨てている部分が更に面白い。             
   ー生きていること自体が神秘体験だろう!-
ーー
 前世を語る者たちの、オーラとカルマの「物語」なのだ。物語とは、文字通り物語なのだから、
本当でも嘘でもない。知り得ないことについて、本当とも嘘とも言えないのは決まっている。
あれらの物語を求める人はおそらく、あれらの物語を「本当のことだ」と思っている。
それを信じることによって、人生の意味と理由が与えられたように思うのである。
しかし、そのような仕方で与えられるような人生の意味と理由は、それ自体が物語である。
本当か嘘かさだけではない。 そんなもので本当に救われるのだろうか。
人が何らかの神秘的なもの、「神秘体験」に惹かれるのも、恐らく同じ理由である。オーラやカルマや
臨死体験を神秘というなら、自分が存在しているということは、どうして神秘ではないのか。ほとんど
の人は、自分が存在していることを神秘だとは感じていない。そんなことは当たり前だと思っている。
(以下、字数制限のためカット 09年12月19日)
・・・・・・・・
2005年12月19日(月)
1721, 日本一短い手紙 「喜怒哀楽」 -1
『 日本一短い手紙』のシリーズを読むのが二冊目になるが この「喜怒哀楽」がよい!
  人間の赤裸々な姿だからだ。 読んだ瞬間、涙が出そうになった。 何も書けません! 

ー 第10回一筆啓上賞の中の10篇である。

口元のわずかな動きで分かります。かあさん、きょうは、うれしいんだね。
                    金子数栄 長崎県 59歳 農業
喜怒哀楽って季節みたいだ。1度に全部来ないし、何かを残してすぎてゆく。
                   寺沢紗裕里 岩手県大船渡市 15歳 中学3年
潮が引いた浜辺に貝が二つ。お父さん、私達みたいだね。次の波も 被り抜いていこう。
                   田中久美子 熊本県水俣市 46歳 地方公務員
家族全員がいたときの玄関いっぱいの あの喜怒哀楽の靴たちはどこですか
                   中江三青 鳥取県鳥取市 54歳 会社員
畜生!あげたてのてんぷらが食いてえ! ― ガ島で戦死した兄からの最後のハガキ ―
                   井邑勝 福岡県北九州市 69歳 無職
きみは小さな足でかわいい地団駄を踏む。 いったい誰から教わったんだい?
                   塩見直紀 京都府綾部市 37歳 自営業
雨音で目を覚ましたので窓を見たら アジサイがのぞいて笑っていました。
                   岸波由佳 福島県福島市 18歳 高校3年生
目を閉じるとき瞬間私は貴方との人生に「喜怒哀楽」のどの顔をするかしら
                   高橋直青森県青森市 31歳 主婦
母が怒り出したから、「だっ」と逃げたら、「だだっ」と母が追って来た。
                   石榑美樹 新潟県長岡市 18歳 高校3年生
いつの間にか付けていた心の仮面が、 今では勝手に感情を作る。本当の感情はどれ?
                   加藤裕美子 福井県福井市 15歳 高校1年生
ー他にも、すばらしい作品が多くある。 人の心は、弱く儚いものだが
 ーー
ねぇあなた、哀しみの次には楽しさが来るんだよ。 もう一度頑張ってみようよ。           
先日、満員電車で、席を譲られてね、感謝したけど、何故か心に、空席が出来たよ。           
あなたがいないから、泣いていたんじゃないの、私もいないから、泣いていたの。            
虹が出た時、土筆の顔が見えた時、今年初めて燕を発見した時。何だか幸せ。      
「喜び」はきっと一人じゃ作れないよ。だって一人じゃうれしくないじゃん。
      
・・・・・・・
2004年12月19日(日)
1356, 梅の花ー2
部屋は六畳ぐらいの大きさで、机の下が掘りごたつ風になっている。メニューは、湯葉煮、
茶碗蒸し、豆腐のけんちん揚げ、黒豚と季節野菜の豆乳しゃぶしゃぶ、豆乳リゾッテ風、
シャーベットである。食事が終了するのに、一時間半はかかった。挨拶に来た、マネジャー
風の人の話によると「昼客の殆どが女性のグループで、11時過ぎに来て2時近くまでいる。
その為お客はあまり回転をしない」とか。最短で1時間半かかるのだから、女性客はそれだけ
居座るだろう。いま流行の、スローフードの典型である。「郊外型、高級料亭ふう京料理
スーパーストア廉価店」といえる。新潟下越中越地区の女性客が一巡する数年は、物珍しさも
手伝って好成績をあげるだろう。その後は何とかやっていけるかどうかの業態。経営者も、
3~4年で投資回収をしてしまえば、後は何とかなると踏んでいるのではないだろうか。 
たまたま知人の姪が、東京の「梅の花」で店長をしているという。新潟のこの店は成功で、
客単価は5000円弱。 会社全体として、この三年で勢いは落ち始めたという。
店で作る豆腐以外は九州の本部から送ってくるレトルトの加工するだけ。「チェーンシステム
を京懐石料理に取り入れた」ということだ。「梅の花」のHPを調べると、決算書の内容から見て、
それほど好業績の会社ではない。売り上げが200億、自己資本比率が30%弱。多店化を始めた
頃の店が成績が急落したため、新店でカバーせざるを得ないというのが決算書から読み取れる。 
三年前の9・11事件からの落ち込みは何処も同じである。客としての判断は、あくまでも
女性客に的をしぼった店であり、もう二度と行かなくてもよい店である。
しかし、長い時間ゆっくりと食事をしたい女性客にとっては良いと思われる。

・・・・・・・・ 
 2003年12月19日(金)
989, 軽井沢の思い出
 現在書いている随想日記に「軽井沢」のことが頻繁に出てくる。記憶の彼方のことが、今更の
ように思い出される。 大学二年の秋に、隣の部屋の先輩から「OBの先輩がペアレントをして
いる軽井沢の山荘」のアルバイトに誘われた。丁度、学生時代の生活に慣れて、寮とクラブだけ
の生活に辟易としていた時期で、丁度よいタイミングであった。 仕事といえば、食事つくりと、
掃除と、宿泊客の夜の遊び相手である。若い女性が殆どで、フォークソングを一緒に歌い、ゲーム
をしたり、話相手になる。初めての経験で夢のような毎日であった。卒業するまで連休や夏・冬休み
などに二年間ほど行っていた。 早朝の朝もやの中、宿泊客とか同じヘルパーの女学生と散歩を
するのが一番の楽しみであった。並木道の木が重なり合っている「愛のトンネル」いや「「愛の小道」
という絵に出てくるような場所もあった。周囲は別荘や池やホテルなどがあり鳥のさえずりや雉の
鳴き声が聞こえてきて、幻想的な小説の主人公になったような世界。
 そこで仲が良くなって東京で会ってもTPOSが違うのか、一度で夢破れたことが何回かあった。
夢は夢にしておくべきということを何度か再確認をした。 また久々に会う女学生が嬉しそうな顔を
して走りよってくる姿が、何ともいえない記憶として残っている。何で誰とも結婚しなかったのだ
ろうか、不思議で仕方がない。両親の縛りから抜け出せなかったのだろう。いや??!
まだ受け止められるだけのものが無かった。 ところで話が変るが、そこの名前は「友愛山荘」。
旧軽から歩いて7~8分のところにあった。 政治家一族の鳩山家の政治団体「友愛」が、
ボランティアで運営しているユースホステルであった。今はもう「鳩山家」の別荘に変っている。 
そのペアレントー山荘の責任者が、学生寮の先輩で「三浦満さん」あった。結婚したてで、
奥さんが明るい人で「波子さん」と言われて皆に慕われていた。一歳の赤ちゃんがいた。
夜の「お遊びタイム」の後、三浦さんと酒を飲みながら政治や哲学など話すのも楽しみだった。
{ユースホステルでは、宿泊客をホステラーといい、アルバイトをヘルパー、マネジャー役の夫婦を
アレントという。}
 大学を卒業をしてから10年位の間2年に一度は遊びにいっていた。また私の結婚式には三浦夫妻
に出席してもらった。「海外旅行」「葉山」「留学」「軽井沢」「外車」ゼミ」などの言葉は学生
時代の私の世界では、特別の響きがあった。友人の何人かは外車のアルファロメオやフォルクス
ワーゲンなどを乗り回していた。貧乏(寮生活)と金持ち(欧州旅行で知り合った友人)の狭間で、
目が回るような日々であった。 今から考えてみると、あらゆる人と社会的なものを一切脱ぎ捨てて、
裸で付き合えたのが学生時代の一番の特典であった。

・・・・・・・
2002年12月19日(木)
615, パタゴニア旅行記ー2
 この旅行は12月4日~17日までの14日間の旅行であった。
・まずの見どころは世界自然遺産の一つ氷河国立公園の拠点のアルゼンチンのカラファテに三連泊。
 大迫力の氷河の崩落を見るペリノモレノ氷河、及び氷山の浮かぶアルティーノ湖のクルーズを楽しみ、
 この氷河国立公園最大のウプサラ氷河を見る内容であった。 モレノ氷河については前回書いたが、
 ウプサラ湖の一面小さい氷山で埋め尽くした景観はその氷河をバックに何ともいえない美しさを現していた。
 またウプサラ氷河は幅10?高さ80?の壮大な景観を、晴天の空の青に氷河の白と青をミックスさせて
 我々の眼の前に展開していた。 何ともいえないパタゴニアの美しさに時間の静止を感じた。
・次のハイライトはパイネ国立公園であった。1万年前に絶滅した巨大なナマケモノーミロドンの骨が
 発見されたミロドンの洞窟の岩ドームに呆然とした。その中でやはり圧巻はパイネグランデの雄姿である。
 雲を頂く岩峰が4つ天を突き刺す姿はパタゴニアを象徴するものである。帰りの車の中でみたその姿は
 一生概忘れられない夕景であった。山頂近くまで以前氷河があったのが山頂の岩の色の違いで分かるのが
 良い。その先にあったグレー湖とその水源のグレー氷河に50?近くまで船を近づて見上げたのも印象的。
 氷河の美しさでは近くで見たこともあってベストであった。

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2001年12月19日(水)
274,一卵性双生児
 今は行かなくなったが、10年前ぐらい週一回、10年近く通っていた店がある。
そこの板前兼亭主が一卵性双生児である。店の名前が「味生」である。面白いのが、共同経営のうえに
一軒の住宅に二家族が住んでいる。子供が2~3人ずついて、食事も一緒に食べるという。二人の奥さんが
一日交代に店にきて手伝う。残ったほうの1人が家事をするという。小説になるような話だ。
「現実は小説より奇なり」とはよく云ったものだ。ふぐの専門店で客種はいい、なんともいえない雰囲気
があった。副業と趣味を兼ね、チャウチャウのブリーダーでもある。双子の世界は、一般の常識では解ら
ないものが「テレパシーとか感覚の世界」であるという。二人がカモシダシテイル雰囲気がなんともいえ
なくいい。TV小説の世界に入ったような気になる。色いろな世界があるものだ!
・・・・・・・・
ある時間の断片
12月19日 1968年 
 目が覚めたのが12時少し過ぎである。少し寝すぎたようだ。食後13時から17時まで集中して卒論を
書き上げる。休んで、21時から0時まで再び集中する。そこから頭を休めるつもりで「愛について」を読む。
今の自分の姿勢を否定している部分が多い。「受容」と、「犠牲的精神」「信頼」という部分が見失われて
いるようだ。クールヘッド・ウオームハートといっているが、今の私が完全に逆のようだ。
もっと広い範囲で本を読むべきであった。

・・・・・・
3179, Twitter の意味すること!
2009年12月18日(金)
 4ヶ月前に、一度ツイッターに興味を持ち登録をして試したが、その後は全く見もしなかった。
ところが10日前になるが、衛星TVのニュース専門番組で、「ツイッター」の特別番組を放送していた。 
そこで驚いたのが、そこに自分のブログを貼り付けたり、写真を貼り付けるサービスのPicture.Twitter
などがあることだった。 
ツイッターとは、それらを含め分りやすくいうとミニブログである。
 基本は、「140文字で、つぶやく」原始的、現場の生生しさが、見る方にとっても面白いことである。 
・モバイルや携帯電話で、気楽に、自由に、思いのままの言葉を発信できるのが取り柄である。
・そのつぶやきに、見ている人が、語りかけることが出来るのが良い。 
それでは、自分がというと、少し抵抗がある。 しかし加藤登紀子などのつぶやきに割って入って
つぶやくことが、現実に可能なのである。
 私の場合、ヤフーのブログ《バードウォッチ》で、「つぶやき」専門として毎日書きこんでいるが、
イタズラの書き込みがあってから、発信専門にかえた。ところで先日さっそく書店で「Twitter社会論」
津田大介著 を買ってきて読んでいる。 ネットにTwitterの6つの特徴が書いてあった。「リアルタイム性」
「伝播力が強い」「オープン性」「独特のゆるい空気感」「使い方の自由度が高い」「属人性が強い」。
・リアルタイム性については、SNSソーシャル・ネットワーキング・サービス)の「mixi」と対比して、
 その違いの一例として、「 mixiTwitterは数分か数秒の違い 」という。
書き込みへの反応は、mixiでは早ければ5分程度である一方、Twitterでは早ければ数秒後。津田氏
本人は「SNS(の広がり)以降、ネットのポスト(投稿)の反応は快楽が得られると意識され始めた。
Twitterではそれが短いスパンでどんどんもたらされるので「一日中離れられない中毒性を生んでいる」という。
・伝播力の強さについては、「放送メディアに匹敵するブロードキャスト力」と、Twitterの強さを強調。
 インターネットで数百万人に同時に情報を送ることはサーバーへの負荷の問題で難しかったが、
Twitterがそれを実現した。
・加えて、特定のテーマのつぶやきに共通で付ける「ハッシュタグ」、ほかの人のつぶやきを自分の
つぶやきとして再発信する「ReTweet」などの仕組みにより、伝播力がより強化されているという。
・一方、デマ情報も一気に広がる可能性があることを課題として挙げた。 
 
 「つぶやき」は、リアルで、臨場感がある。 
 自然な本音が伝わるから、良くも悪しくも決め細やかな情報が瞬時に駆け巡ることになる。

・・・・・・・
2814, 不況景色 -3 
2008年12月18日(木)
  *景況感下げ幅 過去二番目
先日の日銀の短観によると、企業の景況感が石油危機以来下げ幅が21ポイントと過去二番目になった。
今回は、その角度が大きく、速度が速いのが特徴で、一日一日と奈落に落ちるように悪化している。
ニュース、ワイドショーなど、失業、倒産、節約などの話題一色、僅か三ヶ月で、世界が凍りついた。
当然のことながら来年から大量倒産時代が到来し、それにともない大量失業者が溢れることになる。
世界恐慌は、20%の失業率というから、前年比7割になるというから、想像を遥かに超えた暗い社会になる。
長岡駅裏に、数ヶ月前から、ホームレスが三人、毎日のように座って酒を飲んだり、通行人に金をせびって
いる。全国的に今後大量解雇が行なわれるというから、こういう姿が日常的になる。
年金年齢に達したから、仲間に入らなくて済む・・・ こういうのが冗談では、無くなるのである。
 ーーー
 *アメリカの金利が実質ゼロ!だと
ついに、アメリカが金利ゼロを打ち出した。ヘリコプター・ベンの面目躍如である。
見方によっては、これで金利下げの最後のカードを出してしまい、次の手がうてないことでもある。
それだけ事態が切迫していることだが、私は、これが正解と同調する。総額7000億ドルの公的資金活用を
盛り込んだ金融安定化法で、急速に手元資金が流出しているGM、クライスラー、フォードの救済に出すというが、
半分の3500億ドルは、この法案では議会の承認が必要。AIGなどで、これで3500億ドルを使い果たす
ことになり、万一、シティーあたりが、緊急資金が必要な場合、承認を得られないで、倒産やむをえないという
ケースも出ることになる。来年、アメリカがデフォルト(返済不能)になるか、新ドルに切り替え
(旧ドル二ドルに対して、一ドルにする)て、対外の借金を半分にする可能性もある。アメリカのこれまでを
見ていると、その可能性は十分ある。
 ---
 *百貨店の商売モデルは終わったのか
 (以下は字数制限のためカット 09年12月18日)
・・・・・・・・・・
2007年12月18日(火)
2449, 今年の創作熟語
                 p≪゚+。ぉレ£∋ぅ。+゚≫q(´I`●)
先週、今年の創作熟語が発表された。 まず創作四字熟語とは「住友生命保険が日本全国から
世相を反映した四字熟語を創作してもらい、毎年12月中旬に発表するイベントである。」 
1989年から発表されており、10000語を超える作品が寄せられている。 第一生命のサラ川(柳)の
向こうを張ったものである。創作と名が付いているが、基本的に既存の四字熟語の文字や読みを世相を
映す単語に変更したものが多く、優秀作品はシャレの効いたものが目立つ。
そこで、読売新聞や住友生命のHPの記事を少し変えた語呂合わせをしてみた。
 ーー
{7月の参議院選挙で自民党が歴史的惨敗を喫し、「二党両壇(にとうりょうだん)」になり、その結果、
 突然返位(突然変異)で安倍前首相が辞任。 秋より食の偽装が「連詐反応(連鎖反応)」を起こした。
 また医師不足問題を象徴した「医師薄寂(意志薄弱)」や 様々なダイエット法の中でハードな
「軍似痩練」が大ヒット。「人離相撲(ひとりずもう)」の角界も、「廃反治拳(はいはんちけん)」
 のボクシング界も、来年に向かって「出発進幸(しゅっぱつしんこう)」しましょう。}てなところである。
 --
これまで、この存在は全く知らなかったが「創作四文字熟語」は第一生命のサラ川から見ると、
少しインパクトは弱いようだ。
                 ヾ(^ω^*)  
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2006年12月18日(月)
2085, 哲学者が霊能者を一刀両断すると! -1
                才八∋ウ_〆(∀`●)
知ることよりも考えること -? 池田晶子著  ー読書日記
ー前世を知りたいー             
哲学者が霊能者を批判すると、これだけ説得力があるものか? 霊能者の立場の視点で読んでみると、
反論しようがみあたらない。哲学者は霊能者のいい加減さを一刀両断で以下の通り切り捨てる。
 ー人間は自分が存在しているという以上の神秘がありえない。(自分が)存在していることということは、
科学的には説明できず、理性によっても理解できない。なんで存在するのかわからないものが存在し、毎日
生きている驚くべき神秘の毎日こそ神秘体験のはずが。その当たり前のことこそを知ることが先ではないか。
 ー以下は、その中の抜粋であるー    
 (以下は字数制限のためカット 09年12月18日)
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 次回も続くが、霊能者も言うだろう、「空即是色」と! 現世のことが解ってないのに、何が来世!
変な物語を勝手につくりおって!という論は、非常に説得力がある!
秋刀魚の頭も信心からとなると、インチキ宗教になってしまう。似たようなものである。
信じたい人いるのだから、面白いじゃないかプロレスの観戦と思えば! ショーと知りつつ、楽しむのも!
現世も、来世も、生まれかわりも、ショータイムでしかないのだから!            
             ーつづく     まあ冗談はさておいて
 \(^▽^*)バイ!          ~~■P o(´・∀・` )coffee 飲めて    
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2005年12月18日(日)
1720, 生きるのがつらい     ー読書日記
 「一億総うつ時代」の心理学 平凡社新書   諸富祥彦/著
 ー本の内容
この国の年間自殺者は何年も三万人を超えている。誰もが自分は「軽うつ」ではないかと疑いはじめている。
この時代には確かに、私たちの生きる意欲を奪う何かがある。生きるのがつらい。もう、前向きになんか
生きられない。そんな閉塞感が漂う世の中で自分の苦しみにうまく対処し、身近な人と支えあいながら生きて
いくには、どうすればいいのか。反ポジティブシンキングの思想で語る、「一億総うつ時代」の心の処方箋。 
ー目次
 第1章 みんなつらさを抱えて生きている     
 第2章 つらさをつらさとして受けとめる
 第3章 弱音を吐くのも生きる技術
 第4章 ありのままの“今の自分”を受け入れる オレ クルクル σ@( ゚∀ ゚) パー!?
 第5章 身近な人がつらいとき
 第6章 「助けあい、弱音を吐きあう関係づくり」の大切さ
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こういう本のほうが私にとっては、面白い!
 ポジティブの本より、ネガティブシンキングの方が、気休めになる類の人にはプラスになるのだろう。
     (~_~;) (~Q~;) (--;) (;-_-;) (-。-;) (-o-;) ( ̄ω ̄;)!! o    
 一部勝ち組以外は、負け組みの時代、一億総うつになるのも、必然かも知れない。
 といって、そうそう万年うつ病も肯定はできまい。その為には、ネガティブなものに居場所を与え、
 それとうまくつきあう工夫の方が、強引なポジティブシンキングよりも、はるかに効果があるのだろう。
 何処かに仏様?の持つポジティブ、暖かさがなくてはならない。だから、人間は必ず信心が必要なのだ。
 その意味で、この本は何かが欠けていると誤解してはなるまい。隠しポジティブがこの論の背景にあるのだ。
 「あとがき」の中で生きづらさを、どのようにして凌いでいくかの工夫のエッセンスを
・決して前向きになりすぎないこと。
 (以下は字数制限のためカット 09年12月18日)
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2004年12月18日(土)
1355, 梅の花
 新潟の郊外に最近「梅の花」という‘ユバと豆腐'の京懐石料理のチェーン店が開店した。
本部は九州で店は61店舗。面白そうなので、昨日の昼飯を食べに行ってみた。実をいうと、一昨日の
12時にいったが、駐車場が満杯なのだ。まさかと思い玄関口に行くと、前の若い二人連れが予約を確認して
入っていった。フリー席は、もう満席で一時間待ちという。100人のお客が既に入っていて、待合に10人
いるという。それでは、翌日の予約というと、お一人様3700円という。
予約は個室になるので、昼のサービス・コースは予約はできないという。バカバカしいので、
「予約なしでは何時に来たらよいか」と聞くと「11時のオープン直後なら大丈夫」と言う。
「ランチが1600~2900円で、11時過ぎでなくては入店できない店」と知ったら、
意地でも入りたくなるのが人情である。 家内も新潟の友人から、店に行ってきた話を聞いたという。
昨日の11時に店に行くと、3分の1の駐車場の埋まりである。 しかし、車が次々と入ってくる。
門構えから京都の懐石料理亭の雰囲気が出ている。 入ると、老舗の高級料亭の感覚だ。
下足人兼案内人が、マネジャーと思しき人に取り次いで、数分待合に待たせて仲居さんに取り次ぐ。
そしてその仲居さんが丁寧に個室に案内する。予約が入ってない部屋があるので、優先的に個室に入れる。
私が2900円の「野菜と豆乳のしゃっぶランチ」つれが「京の梅ランチ」を注文。
部屋からは中庭が見え、料亭の雰囲気をかもし出している。さあ、これからが新しい物好きの観察が始る!                       ー つづく 
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2003年12月18日(木)
988, 建物をつくることは神の代行
 40年前に、父親が現在住んでいる自宅をつくった時、「将来必ず事業で上手くいかなくなる時がくる」と
想定して設計をした。売却やアパートに建替えるとか、潰しがきくようにしてある。鉄骨の建物で、一切
柱が入っていない構造になっており、中を掻き出せば、どうとでもつくりかえる事ができる。
 その教訓もあって、私が手がけてきたビルも殆ど柱を入れてない。
千葉で初めて建てたビルから現在のホテルまで増築も含めて八棟全て、やむをえない部分を除いて
柱の極力ない構造にしてある。27年前に私がたずさわった実家のビルが、最近に私の予想値よりも
はるかに高く売れたのも、建物の構造が他の業種に転用可能であった為だ。
 30数年前に千葉の建物の設計計画にはいった時に、設計事務所の担当に言われた言葉が
「建物をつくることは神の代行」である。 これは設計事務所の当時の社長の信念であった。
特にビルは当事者の思惑とは違って、数十年も独りで生きていくものである。
それを建築主の好みで創ったとしたら、時代の変化の中で他人にわたった時に潰しが効かなくなる。
 自分だけの思惑で建物は創るべきでないというのも理に適っている。たまたま実家の家が、その
10年前に「その思想のとおりのもの」を見ていたのでその意味を直ぐに理解した。26歳の時。
それから事業で多くのことを学んだ。
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2002年12月18日(水)
 614,パタゴニア旅行記ー1
今回の旅行のハイライトはやはり氷河であった。氷河の融け水でできた湖から、氷壁と崩落を船で見るもの
であった。ソニーのコマーシャルで見たものは、てっきり南極の氷が崩落するものと思っていた。
しかしアルゼンチン国内の山脈の麓の湖に崩落するものと初めて知った。ソニーのそれはペレノモレノ氷河
の景観であった。まず驚いたのは氷河の美しさである。太陽に映える白とコバルトブルーの織り成す美しさだ。
どんな美しさもこの単純な輝きには敵わない。白をバックにしたコバルトブルーの輝きの美しさ。
太陽の光のブルー以外を吸収して妖しく反射する美の極致だ。8000?のアンデス山脈パタゴニアの地で
その積雪を氷床に姿を変えて最後は海に流れ込むか、山脈の麓に湖をつくりそこに自らを崩落させていく。
それを湖から眺めるのが今回の目的であった。アンデスに降り積もった万年雪が、溶解と氷結を繰り返しながら
数百キロの氷河をつくりだし、最後はその最先端で長い旅路を迎えるドラマである。それが夏の時期に目の前で
見れるのである。数日に一回の崩落と思っていたが、モレノ氷河で1時間のうちに4回の崩落が見ることができた。
静けさを打ち破る腹の底までとどろくような轟音ともに氷壁が崩れ落ちる。その瞬間誰もが息を呑み見とれるのだ。
時間が止まるとはこの事だろう。そして同時に湖面に高波が立つ。氷河が氷山に変わったのだ。その数十メートルか
数百メートル先から、氷が裂ける轟音が時々、落雷のように聞こえるのが何ともいえないバックグランドの音になる。
小さい氷山が湖面に多く漂っているのが美しい形を創っている。 自然の芸術の展示会のようである。
白鳥のようであったり、船のようであったり、ラクダであったりする。
自然は本当に大芸術家であるというのは、別に文学的言葉ではないことを思い知った!!
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2001年12月18日(火)
 218,喜怒哀楽  ー情念の世界
学生時代に読んだ、赤塚行雄の‘ナチの研究’の「教祖の話術」が印象的な内容で今もはっきり憶えている。
ある意味で、運命的な出会いの本といってよい。 その本を読んでから、生きかたが全く変わってしまった。
その本の内容は、「ナチがいかにして短期間に大衆を惹きつけ、扇動したか」の要素の分析であった。
ヒトラーの感情むきだしの演説の手法である。大衆の感情にうったえる手法である。 感情を抑えるのでなく、
むしろ前面におしだし自己を主張せよ。「感情を抑えるのが理性でなく、むしろ燃え上がらせ、その舵取りが
理性であると。大衆を感情的に徹底して扇動、熱狂させろ!大衆はそれを待っている」「大衆は馬鹿な存在だ、
それを待っている」というのだ。 かなり刺激的の本であった。 昔の記憶なので、かなり主観的な内容に
変わっているが。30歳少し前、長岡に帰ってきた時「おい堀井が変わってしまったぞ!」と地元の友人に言われ
たのも、実はそれが大きい要因である。考えてみれば単純なものだ。しかし創造は発狂だということを実際
体験した。たいして狂ってなかったが。 これをやると決めたら全ての情念を叩き込む!
「もっともっと喜べ、怒れ、悲しめ、楽しめ!」というのだから。 周りは大変であったと思う。
それも気づかれない様にやってるのだから。本人はもっと大変だったが。ペルソナ(仮面)であったからだ。
長岡で全員が、その反対を真面目な顔で演技していたから驚いた。感情豊かであるほど人間性豊かである。
感情豊かという事は、車のエンジンの排気量が大きいことに繋がる。ガソリンは、感動・感激である。
その為には超一流の芸術に接しることだ。素晴らし音楽を聴くこと、絶景の場所に行くことだ。
そのシャワーを浴びる事だ。その時の感動が人間を豊かにするのだ!というような教えであった。
殆どこの辺が創作になる。いやこの文そのものが偽悪の表現だが。まっとうに生きようと思ったら狂うしか
ないのも事実だ。まっとうに生きるとは何かだが? 自分の真に好きな事をみつけ忠実に生きる事だ!
それをやれば、世間様の目から見たら、狂っているとしか見えないからだ。
 チロリチロリ、チンチロリ 一期は夢 ただ狂え  今は「ホームページつくり」に狂ってます。

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ある時間の断片
 12月18日 1968年
9時に甥のムーちゃんに起こされる。食後。浅草近くで電気商をしている従兄弟の治田さんが遊びに来る。
12歳も年上だが、子供の頃から殆ど変わってない万年青年だ。彼を見ていると青春は年齢でなく、理想と
創造性をいかに持ち続けるかということが解る。写真マニアで子供の頃の写真は殆ど彼が撮ってくれたもの。
昼飯を一緒にとって13時頃に帰る。14時から17時まで卒論のマトメをする。卒論の清書を一枚50円で
姉に書いてもらうことにした。50枚で2500円である。それに食事代を5000円を払うつもりであったので、
この金額を捻り出すのが大変である。それと今月は遊びすぎて支出が大きい。 
23日にジャスコオカダヤにレポートの構想と下書きを書いて、27日までに完成させる予定である。