つれづれに

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 今日のYoutube
 
 さてと、今日はシネマの日。 
ハリウッドの『ホビット』シリーズものか、邦画の『寄生獣』か。
 今週か、来週かになるが、両方とも面白そうだ。 

 ロシア、中国、北朝鮮が、かなり際どいようだが、
その矛先は、日本になってくる。 その意味でも、早々に
憲法改正をすべきだろう。 どの道、いずれも、バブル崩壊
襲ってくるのは必定。 それにしても、原油が55ドルとは・・
 そして、円が120円とは・・ ロシアと中国、見ものである。
それ二つの朝鮮も。 そういう日本も危ないが、やはり、
見えない恐慌が、来ていると見るべきである。 
 現在の韓国の姿が、近未来の日本ということ?


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1356, 梅の花ー2
2004年12月19日(日)

部屋は六畳ぐらいの大きさで、机の下が掘りごたつ風になっている。
メニューは、湯葉煮、茶碗蒸し、豆腐のけんちん揚げ、
黒豚と季節野菜の豆乳しゃぶしゃぶ、豆乳リゾッテ風、シャーベットである。
食事が終了するのに、一時間半はかかった。

挨拶に来た、マネジャー風の人の話によると
「昼客の殆どが女性のグループで、11時過ぎに来て2時近くまでいる。
その為お客はあまり回転をしない」とか。
最短で1時間半かかるのだから、女性客はそれだけ居座るだろう。
いま流行の、スローフードの典型である。

「郊外型、高級料亭ふう京料理のスーパーストア廉価店」といえる。
新潟下越中越地区の女性客が一巡する数年は、物珍しさも手伝って
好成績をあげるだろう。その後は何とかやっていけるかどうかの業態。
経営者も、3~4年で投資回収をしてしまえば、後は何とかなると踏んでいるのでは
ないだろうか。

たまたま知人の姪が、東京の「梅の花」で店長をしているという。
新潟のこの店は成功で、客単価は5000円弱。
会社全体として、この三年で勢いは落ち始めたという。
店で作る豆腐以外は、九州の本部から送ってくるレトルトの加工するだけ。
「チェーンシステムを京懐石料理に取り入れた」ということだ。

梅の花」のHPを調べると、決算書の内容から見て、
それほど好業績の会社ではない。
売り上げが200億、自己資本比率が30%弱。
多店化を始めた頃の店が成績が急落したため、新店でカバーせざるを
得ないというのが決算書から読み取れる。
三年前の9・11事件からの落ち込みは何処も同じである。

客としての判断は、
あくまでも女性客に的をしぼった店であり、もう二度と行かなくてもよい店である。
しかし、長い時間ゆっくりと食事をしたい女性客にとっては良いと思われる。

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 2003年12月19日(金)
989, 軽井沢の思い出

 現在書いている随想日記に「軽井沢」のことが頻繁に出てくる。
記憶の彼方のことが、今更のように思い出される。

 大学二年の秋に、隣の部屋の先輩から「OBの先輩がペアレント
している軽井沢の山荘」のアルバイトに誘われた。
丁度、学生時代の生活に慣れて、寮とクラブだけの生活に辟易としていた
時期で、丁度よいタイミングであった。

 仕事といえば、食事つくりと、掃除と、宿泊客の夜の遊び相手である。
若い女性が殆どで、フォークソングを一緒に歌い、ゲームをしたり、話相手になる。
初めての経験で夢のような毎日であった。
卒業するまで連休や夏・冬休みなどに二年間ほど行っていた。

 早朝の朝もやの中、宿泊客とか同じヘルパーの女学生と散歩をするのが
一番の楽しみであった。並木道の木が重なり合っている「愛のトンネル」
いや「「愛の小道」という絵に出てくるような場所もあった。
周囲は別荘や池やホテルなどがあり、鳥のさえずりや雉の鳴き声が聞こえてきて、
幻想的な小説の主人公になったような世界であった。

 そこで仲が良くなって東京で会ってもTPOSが違うのか、一度で夢破れた
ことが何回かあった。夢は夢にしておくべきということを何度か再確認をした。
また久々に会う女学生が嬉しそうな顔をして走りよってくる姿が、
何ともいえない記憶として残っている。
何で誰とも結婚しなかったのだろうか、不思議で仕方がない。
両親の縛りから抜け出せなかったのだろう。
いや??!まだ受け止められるだけのものが無かった。

 ところで話が変るが、そこの名前は「友愛山荘」であった。
旧軽から歩いて7~8分のところにあった。
政治家一族の鳩山家の政治団体「友愛」が、ボランティアで運営している
ユースホステルであった。今はもう「鳩山家」の別荘に変っている。

 そのペアレントー山荘の責任者が、学生寮の先輩で「三浦満さん」あった。
結婚したてで、奥さんが明るい人で「波子さん」と言われて皆に慕われていた。
一歳の赤ちゃんがいた。
夜の「お遊びタイム」の後、三浦さんと酒を飲みながら政治や哲学など
話すのも楽しみであった。
{ユースホステルでは、宿泊客をホステラーと言い、アルバイトをヘルパー、
マネジャーの役の夫婦をペアレントといっていた。}

 大学を卒業をしてから10年位の間2年に一度は遊びにいっていた。
また私の結婚式には三浦夫妻に出席してもらった。

「海外旅行」「葉山」「留学」「軽井沢」「外車」ゼミ」などの言葉は
学生時代の私の世界では、特別の響きがあった。
友人の何人かは外車のアルファロメオフォルクスワーゲンなどを
乗り回していた。貧乏(寮生活)と金持ち(欧州旅行で知り合った友人)
の狭間で、目が回るような日々であった。
 
 今から考えてみると、あらゆる人と社会的なものを一切脱ぎ捨てて、
裸で付き合えたのが学生時代の一番の特典であった。

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2002年12月19日(木)
615, パタゴニア旅行記ー2

この旅行は12月4日~17日までの14日間の旅行であった。

・まずの見どころは世界自然遺産の一つ氷河国立公園の拠点の
アルゼンチンのカラファテに三連泊。大迫力の氷河の崩落
を見るペリノモレノ氷河、及び氷山の浮かぶアルティーノ湖の
クルーズを楽しみ、この氷河国立公園最大のウプサラ氷河を
見る内容であった。

モレノ氷河については前回書いたが、ウプサラ湖の一面小さい氷山
で埋め尽くした景観はその氷河をバックに何ともいえない美しさを
現していた。
またウプサラ氷河は幅10?高さ80?の壮大な景観を、晴天の空の
青に氷河の白と青をミックスさせて我々の眼の前に展開していた。
何ともいえないパタゴニアの美しさに時間の静止を感じた。

・次のハイライトはパイネ国立公園であった。
1万年前に絶滅した巨大なナマケモノーミロドンの骨が発見された
ミロドンの洞窟の岩ドームに呆然とした。

その中でやはり圧巻はパイネグランデの雄姿である。
雲を頂く岩峰が4つ天を突き刺す姿はパタゴニアを象徴するものである。
帰りの車の中でみたその姿は一生概忘れられない夕景であった。
山頂近くまで以前氷河があったのが山頂の岩の色の違いで分かるのがよい。

その先にあったグレー湖とその水源のグレー氷河に50?近くまで
船を近づて見上げたのも印象的であった。
氷河の美しさでは近くで見たこともあってベストであった。

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2001年12月19日(水)
274,一卵性双生児

今は行かなくなったが、10年前ぐらい週一回、10年近く通っていた店がある。
そこの板前兼亭主が一卵性双生児である。店の名前が「味生」である。

面白いのが、共同経営のうえに一軒の住宅に二家族が住んでいる。
子供が2~3人ずついて、食事も一緒に食べるという。

二人の奥さんが一日交代に店にきて手伝う。
残ったほうの1人が家事をするという。小説になるような話だ。
「現実は小説より奇なり」とはよく云ったものだ。

ふぐの専門店で客種はいい、なんともいえない雰囲気があった。
副業と趣味を兼ね、チャウチャウのブリーダーでもある。

双子の世界は、一般の常識では解らないものが「テレパシーとか感覚の世界」
であるという。二人がカモシダシテイル雰囲気がなんともいえなくいい。
TV小説の世界に入ったような気になる。

いろいろな世界があるものだ!
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ある時間の断片
12月19日 
 1968年
 
 目が覚めたのが12時少し過ぎである。
少し寝すぎたようだ。
食後13時から17時まで集中して卒論を書き上げる。
休んで、21時から0時まで再び集中する。
 
 そこから頭を休めるつもりで、「愛について」を読む。
今の自分の姿勢を否定している部分が多い。
「受容」と、「犠牲的精神」「信頼」という部分が
見失われているようだ。
クールヘッド・ウオームハートといっているが、
今の私が完全に逆のようだ。
もっともっと広い範囲で本を読むべきであった。