『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆 (著)
   * 悪魔憑き 〜ミシェル・ド・セルトー著『ルーダンの愚依』 
 映画で幾つか悪魔憑きの場面を見たが、実際に、具体的事実?
を読むのは初めて。 ー以下は、実際にあった内容?ーだから、驚きである。
≪ ミシェル・ド・セルトーの『ルーダンの愚依』がはじめて全訳された。
「ルーダンの慰依」は、十七世紀フランスの田舎町の女子修道院で起きた、
歴史上最も有名な集団的悪魔憑き事件。十七人の修道女からなるウルスラ
修道院に、数週間前に亡くなった告解師の亡霊があらわれた。霊はしばらく
修道女のベッドの脇で泣いた。 別の亡霊が次の日真っ黒な球のかたちで
修道院の食堂にあらわれ、二人の修道女を乱暴に地面に押し倒し、肩に乗った。
やがて修道女たちの肉体と精神に奇妙な変調があらわれ、次々に判断力を失い、
全身がすさまじい痙攣に襲われた。教会の上層部は動転し、調査をした結果、
この事件の犯人は悪魔だと判断した。「悪魔祓い」が専門僧の手で行われた。
 悪魔に名を名乗れと命じると、「神の敵」という。悪魔にとりわけ狂った
院長の体から出るよう命じると、院長は暴れ回り、吼え、歯をきしらせ、
奥歯が二本抜けた。悪魔と問答を続けているうち、悪魔を彼女の体に
入れたのは、ユルバン・グランディエという別の教会の司祭であると判明。
「彼女たちは叫び、グフンディエを探そうとして、修道院の屋根に駆け上り、
また肌着だけで木のうえに、それも枝の先までよじ登ったのです。
そこで恐ろしい叫び声を上げながら、風や雨に耐え、何も食べずに4〜5日も
留まっていた」。この悪魔憑き事件は、たちまちヨーロッパ中に知れわたり、
ルーダンの街に何千人もの野次馬が押しかけた(修道女が教会の尖塔に上り
宙を飛ぶなどのウワサが広まった)。野次馬は何日も泊りカけで狂える
修道女を見物した。修道女は吼え叫び、土の上でころげまわり、足や手を
絡み合わせ、足の裏をくっつき合わせたりした。卑猥なようすで舌を出し、
つばを吐き、冒涜的な言葉を吐きちらかした。・・
 修道女たちとグランディエとの対決が行われ、グランディエが否認しても、
彼が悪魔に使われている証拠が次々に出てきた。六人の悪魔とグランディエが
署名した「契約書」すら出てきた(「神を否認して悪魔に仕え、できる限りの
悪を尽し、なろうことなら人間でなくなり悪魔になることを願う」)。
グランディエは、ルイ十三世直々の指名による特別法廷で魔法使いとして
裁かれ、一ヵ月余の審理を経て、膨大な証拠(悪魔との契約書など)によって、
火刑による死刑が宣告された。 刑は一万人以上の見物客の前で執行。
裁判中に、修道院長と修道女の一人が、無実のグランディエを告発して罪に
おとし入れたと告白したが、その告白も、魔法使いの魔力を証明するものと
され何の影響も及ぼさなかった。この異常な事件は、欧米では繰り返し検証の
対象となり数々の論文や小説が書かれた。 映画も(カヴァレロヴィチ
「尼僧ヨアンナ」、ケン・ラッセル肉体の悪魔」)作られ、オペラも
(ペンデレツキ「ルーダンの悪魔」)作られている。・・ ≫
▼ 信じがたい事件だが、事実?なのだろう。神の存在証明は、難しいが、
 こういう憑依なら、でっち上げ易い。しかし集団となると、誤魔化しは難しい。
17Cのフランスで、17人の修道女が集団の悪魔憑きの物語となると?
やはり信じがたい。信仰心を深めるための法王庁の戦術も考えられるが・・
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4660, 知る悲しみ ー『極道辻説法』は、シマゲジゴーストライター
2013年12月19日(木)
  * 今東光の『極道辻説法』は、シマゲジ作  ー『知る悲しみ』島地勝彦著
 図書館でみつけた島地勝彦著「知る悲しみ」。例の「水の上を歩く?
酒場でジョーク」島地 勝彦・開高 健 (著)の、元プレーボーイ編集長の島地の著書。
「知らない悲しみより知る悲しみのほうが上質である」とは、言い得て妙だが、
何と『極道辻説法』の「和尚前白」は島地が東光に憑依して書いたと告白。
生臭坊主の名回答も、シマゲジの創作とは・・  ーその一節を書き出してみるー
・矢野「いまインターネットなどで『今東光語録』が箴言集のように扱われています。
 ところが私などから見ますと、どう考えても大僧正の興味のテリトリー外のテーマ
 などが書かれてありまして、ずばり訊きますが『和尚前白』は大憎正が書いたもの?
・島地「今日はすべて告白しよう。あれは全部オレが書いたものだよ。
 しかしよく分かったね。読み込んでいるなあ、矢野は」
・矢野「ただ『速記録』で実際に大僧正が語った回想や時評をうまくリライトされて
 いるのもあります。ですから島地さんの全くの創作ばかりとは言い切れない。
 今日は漢幸雄さんが収集した『和尚前白』を持参してきましたので、どれが完全に
 島地さんの創作なのか教えてくれませんか」
・島地「いいとも。(『和尚前白』を読み進めながら)第一回からオレの文章。確かに。
 このころからうまいなあ、オレは。(国連総会の演説を取り上げた回を示し)
 これもオレ。高校野球の話、これもオレだ。この回は大僧正の話をまとめたもの。
 これもオレじゃないかな。ほんとに大僧正が愚依してるね。いま読んでも面白い!」
・矢野「スポーツや外国小説がテーマのものやアル・カポネの話もみんな
 島地さんの創作なんですね」
・島地「もちろん、そうだよ」
・矢野「このインタビューを読んでひっくり返る人、いっぱいいますよ。
 いま島地さんは『乗り移り人生相談』という連載をされていますが、まさに当時から
 大僧正に乗り移ってたことになりますから」
▼ 私もひっくり返った一人である。島地が今東光に憑依しないと、あれだけの
 名回答は出てこない。そうすると、この本の題名「知る悲しみ」に通じてくる。
「知らない悲しみより、知る悲しみの方が上質」としても、読者の一人として、
知らない方が良かったと思うのが人情。ここで紹介されている「エロ・アーカイブ
は興奮した。飼犬の秋田犬と夫婦の3P?を生々しく書いてあるが・・ 
今度ここで紹介しようか?ー【スカトロ・マニア】犬のロッキーを恋人にした私の妻ー
 と検索すると出てくるが、お勧めはできない。
成るほど、「知る悲しみ」そのもの・・ 上質かどうかは別!
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4295, 過去10年間を振り返り、今後の10年先を予測してみる −2
2012年12月19日(水)
   ー 2022年の年末に、この10年間を振り返った物語ふうに書いてみる。
≪ 以下の文章は、10年前に書いた2022年を想定した文章である。当時は、創業から
 30年事業経営していた会社を倒産させ二年足らずで、少し悲観的と思っていたが・・ 
 まずは、当時の想定をした文章をコピーしてみる。
【 * 近い将来に欧州発の世界恐慌か、イスラエルによるイランへの核施設の攻撃と、
 イランのホルムズ海峡の閉鎖がある。それに伴いNATO軍との戦争が勃発。 
 原油価格が暴騰、日本経済が最初に大打撃を受ける。そして株価の世界的暴落で
 一挙に世界は不安定になる。
* 欧州経済は、ますます悪化、その煽りで中国経済と社会は不安定化し、
 暴動が頻繁に発生、その矛先を尖閣列島フィリッピンベトナムの国境紛争を
 画策し、国内の不満を向ける。これに伴いアメリカも経済悪化。アメリカ国債
 株価も暴落、一時1万3千ドルもしていたダウ平均が、8千ドルまで暴落する。
* 世界が不安定になる中、日本では首都圏直下型地震と富士山が噴火。
 政府は、国家非常宣言を出して、銀行閉鎖。経済はハイパーインフレに転じて、
 米やパンなど食料の一部は配給制に逆戻り。IMFが、この事態に乗り込んでくる。
 10数年前、韓国がIMFの管理下に入ったのと同じ道を歩く。失業率は15%に、
 生活保護世帯は300万世帯になる。現在のギリシャ、スペインの事態以下に、
 まさかなろうとは、誰も思っていなかったようだ。日本の国債も、それに伴い暴落、
 国を信じた善良な?年寄は路頭に迷うことになる。
* スマートフォンタブレットなどの情報端末の性能が年々、飛躍的に良くなり、
 それが逆に一強他弱の傾向を強めていく。中古品が出回り、収入は半減しても
 最低生活は可能である。しかし、一部勝ち組の生活が垣間見れるため、
 不満が溜まる一方。】
△ 以上が予測だったが、実際に起こった現実は、こんなものではなかった! 
 関東直下型地震が想定を超えた規模で、富士山の噴火に連動して首都圏はパニック
状態に陥り、数万規模の死者・行方不明が出た。首都圏に住む甥っ子一人が死亡。
日本経済は世界恐慌の煽りで国家経済が破綻。そして現在、アメリカのIMF
管理下にある。失業率は20%を超えて、近くの小学校では夕方からの炊き出しに
行列の状態。リッチ層の多くはオーストラリアと、カナダに移住していった。
10年数年前からの傾向だが、リッチ層の子弟は海外に留学をさせるのが
顕著になっている。日本でのビジネスは絶望的な事態。私も実のところ、76歳
まで生きてはいないと思っていた。この有様では、生きていて良かったかどうか。
今では首都圏からの経済難民日本海側に移住する流れになっている。 
中国は動乱になって内乱状態。市民が武器を持ったテロ活動が始まっている。
一部の共産党幹部の汚職が目にあまりに辛辣。その反発が武器を持った蜂起に
なっている。共産主義という名の資本主義の汚辱が、深く浸透した結果である。 
日本は10年前まで続いていた失われた20年の後には、崩壊の10年が待っていた≫ 
▼ こんな物語になるが、10年前に「2002〜2012年の過去語り」を書いていた
 としたら、現実との乖離は、あまりに大きいはず。ということは、こんな
ものではないということ。それより、まず私自身、生きているかどうか。
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3920,精神力ーその偉大な力 ー10
2011年12月19日(月)
 * 人間の4つのベース  〜「精神力ーその偉大な力」ダン・カスター著
【 大生命力(宇宙にある無限のエネルギー)は、人間を通して
 4つの方法で自らを表現したいと望んでいます。
・一つは創造を通して・第二はリクレーション―娯楽で・第三はあなたを
 通した愛の表現で・第四には精神的に、知的に成長することを望んでいます。
 この4つの枝が等しい長さを持つギリシャの十字架を思いなさい。
この十字架にあなたの人格を代表させましょう。創造、遊び、愛、知恵の4つが
基本の十字架こそ、大事なカタチになります。仕事=創造と、遊びの重要性の
重要性と、愛を持って何事にも取り組むこと。そこて知的成長こそ、あなたの
魂に再充電をしてくれる。それは、あなたの深い本質を表現を与えることになる。
だから学び続けなければならないのです。あなたは大生命力=宇宙のエネルギー
への畏敬と、その親しい交わりこそ求めるべきこと。知性と推理が成長すること
こそ、大生命力があなたを通して現れ出てくることになります。仕事も、遊びも、
愛も、学びも、健全でなくてはなりません。心の絵図に従って宇宙のエネルギー
は流れ込むので、自我理想はバランスがとれ、かつ健全であることが求められる。
そして、古い自我イメージを、この新しい自我理想に置き換えなさい。
これが人格造成の技巧です。理想の見地からあなた自身を考えなさい。 】
▼ ここでは、「力、遊、知」に「愛」が加わったバランスを人格形成の
 自我理想にしている。その年代で、重心が変わってくる。還暦もすぎると
何になるのだろう?これも、それぞれの人生を如何に過ごし方で変わってくる。
バランスも、一つは極端に突出したり、へこんだり、している。私の場合、
「愛」が欠けていた? 八人姉兄の末っ子で、愛情を充分に受けたが、
与えるのは不充分だった?
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3555, 哲学的ジョーク
2010年12月19日(日)
プラトンとかものはし、バーに寄り道」ー ジョークで理解する哲学 ー
             トーマス カスカート, ダニエル クライン (著)
 少し難しいジョークと解説集。しかし考えさせられる内容で満ちていて、味わい深い。
哲学をジョークに絡めるというより、ジョークそのものが本来、哲学を含んでいる。
  * 合理的に疑う=哲学的ジョーク 
ある被告が殺人の容疑で裁判を受けていた。有罪を示す強い証拠があったが、
死体がなかったのだ。被告人の弁護士は最終陳述で奇策に出た。「陪審員のみなさん、
これからあなた方をびっくりさせようと思います。殺されたはずの人間が、一分以内に、
この法廷にはいってくるでしょう」 かれは法廷のドアのほうを見た。動転した陪審員
たちは、いっせいにドアを注視した。一分間がすぎたが、なにごともおこらなかった。
弁護人はいった。「死んだ人が廷内に歩いてはいってくるというのはわたしのでっち
あげでした。ところが、あなた方の全員が期待感をもってドアのほうを見ました。
つまり、だれかが殺されたかどうかについて、わたしはこの事件では合理的な疑問が
あることを、あなた方に示したわけです。あなた方に『無罪』の評決を下されるよう、
求めなければなりません」  (字数制限のためカット 2011年12がつ19日)
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3180,今年の総括
2009年12月19日(土)
 今年も総括の時期になってしまった。 
去年のリーマンショックや、中国・深川大地震のような大事件は無かった。オバマ
一月末に正式にアメリカ大統領に選出、日本では自民党が惨敗し民主党の鳩山政権が発足。
それと新インフルエンザが本格的な流行を始めたことと、WBCで日本が優勝、マイケル
・ジャクソンが亡くなったことぐらい。 身辺でも金融恐慌の暗い雰囲気が漂ってはいたが、
亡くなった人は従妹一人。来年は、その分だけ大きな経済的事件や、国際紛争も起きそう。 
今年は、中休止の年というところか。しかし日本経済は厳しさを増している。当方も
新潟国体で何とか息をつけたが来年は大きなイベントは見当たらない。来年は来年だが、
気持ちは暗くなる。 今年を歴史的に振り返ると、「ハイパー・デフレが始まり」
「新インフルエンザが本格的に蔓延」、「自民党が崩壊、民主党が政権を取り」
国債発行が予算を超えた」が、キーワード。決して安泰の年というのではなく急な坂を
転げ落ちていく境目の年である。私自身、25年ぶりに海外旅行に行かなかったことである。 
9月に行こうとしたが、新インフルエンザの世界的な拡大に迷いが出て、キャンセル。 
今からすると、行っておくべきだったと後悔をしている。この恐慌の中、行かない判断も
正解だったのかもしれない。2001年9月11日のテロと、去年の9月15日の
リーマンショックの激震で、世界は大動乱に入ってしまった。 その二つの津波
ウネリが大きく覆い被さってきているのが、昨今の大不景気の原因。 
今年も無事?終わりそうだが、来年はどうなっているか? 神のみぞ知るである。
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2815, 不況景色 −4
2008年12月19日(金)
 今回の金融危機で、まずは日本の自動車、住宅、電気メーカーが大打撃で、
深刻な事態になっている。その一つが為替差損である。一円のドル安でトヨタ
400億というから、120円から87円となれば、33円×400億=
一兆三千億円以上になる。数年でトヨタでさえ倒産というのも肯ける。ニュースで
ホンダのトップが涙目で、異常事態と言っていたが、果たして如何だろう?  
野口悠紀雄の『円安バブル崩壊』の中では、ー「金融緩和政策と為替介入によって
生み出された異常な円安バルブが崩壊して、本来の状態に戻りつつあるだけ」と指摘。 
金融崩壊までの景気拡大は、企業の“選択と集中”による企業体質の強化や、
改革による効果というよりも、異常な円安バブルがもたらしたものだという。
( この本は2008年5月29日に発行だが・・)
 昨年8月以降に急激な円高が進んだが、日米の金利差や消費者物価上昇率を比較
すると為替レートは1ドル=60〜70円程度。世界でほぼ同一品質のものが販売
されているマクドナルドのビッグマックが課税前価格で日米で同じ価格の為替
レートを算出すると1ドル=79円に相当するという。 これから考えても、
きっかけは金融危機としても、円高は円安バブルの崩壊の70円代というのも肯ける。
この自動車業界の惨状からみて、これまでの彼らの繁栄が、大多数の国民の犠牲の
上で成り立っていたと思うと、腹が立つことも事実である。
 ーこの本のP−8にある次の箇所を読んでいて、腹が立ってきた。ー
・・「ビッグマック指数を使って次のように考えるとよくわかる。東京で276円で
買ったビックマックをニューヨークに持っていって売るとする。 販売収入
3・49ドルを100円のレートで日本円にすれば349円になる。276円の元手で349円が
得られるから、こういう行動が利益をもたらすのである。移動で品質が低下するので
現実的ではないが、製造業では品質は低下しないから、取引は現実的になる。
たとえば、「日本でもアメリカでも自動車がビッグマック一万個分」とすると、
日本円で276万円の車が、3万4900ドルになる。したがって、日本で製造した車が
外国に輸出して売れば、右のメカニズムで利益が発生。」
 この数年間に現実の経済で生じたことの基本は、このようなことだった。・・
現在起こっていることは、その正常値になっただけと、野口悠紀雄は述べて
いるのである。それも一挙だから、パニック状態になるのである。 円高原油高、
穀物高、資源などを5割以上も高く買わされていた国民からみたらマイナスである。 
その上で、彼らは繁栄を謳歌していたのである。それが東海ベルト地帯だけが、
その他の地域と違う国ではないかとさえ思えるほどの差になっていたのである。
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2007年12月19日(水)
 2450, 手帳は予定、日記は過去を書くもの!   (σ・з・)σオハYO!!
そろそろ来年度の日記と手帳の準備に入る時期である。 最近では手帳と日記が
兼用になっているものも目立つ。書いたこと自体忘れていた学生時代の日記を
倉庫で見つけ読み返し、その当時の記憶が鮮明に思い出されて、気持ちを書き残す
重要性を実感した。当時、何故書き残していたのか?当時の日記からすると、
自己コントロールとして書いていたようだ。それが結果として行動記録になった。
現在はブログと随想日記に日々行動と心情を書いているが、見られることが前提で
ある。学生時代の日記に39年ぶりに出会って懐かしく感じるのは、本心を書いて
いたからだ。公開していたら、赤裸々な気持ちをそのまま書けなかっただろう。
昨日、毎日新聞の読書欄に東大教授が日記と手帳について解りやすく書いていた。 
ズバリである。下手に心情など書こうとするから書けなくなる。
身近なことを簡潔にメモを刷ればよい、それも自分の言葉で!
ーまずは、その内容からー
日記をつけない人はいう。いったい何を書いたらいいのかと。何も書く必要はないのだ。
何かを書こうと思う時点で拘束され、負担に。やがて挫折。日記は提出の必要なし。
文章表現に凝ることはない。自由きままに、その人の「いちばん楽なごとば」で
つければいい。感情表現を加えると重くなる。寝る前に一日を振り返り、
「晴。午後から講義。夜、必殺仕事人、見る」。ぼくはこんな感じ。 
田山花袋は、いう。事実を書くだけでいいと。<こう思ったとか、ああ思ったとか
いうことよりも、こういうことをした、ああいうことをしたという行為を書いて
おく方が「日記」という本来の性質にかなっている>。
  (字数の関係でカット2008年12月19日)