つれづれに
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http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive
今日のYoutube
今日は、久々に天気晴朗なり。
朝方は曇りでチャリの信濃川一周は控える。
明日は中学校の同級会、土曜日は東京の人形町で学生時代の同級会。
なぜか、直前になると腰痛が出てくる。 今のところは大丈夫だが。
・・・・・・
・・・・・・
3536, 沈黙せよ!
2010年11月30日(火)
「語りえぬものからの問いかけ」という東大駒場〔哲学・宗教・芸術〕連続講座ー
《 「言い表せないもの」の詩学 -チュッチェフ『沈黙』の逆説ー沼野充義 》
の「沈黙」という詩に、思わず息を飲んでしまった。 何か、毎日、自分が書き
続けていることを根底から否定されたようである。
否定されるほどのものも無いことを私が一番知っているから書いているだけだが。
ーまずは、以下の文と詩からー
【 チュッチェフには「沈黙」と題された詩がある。この詩人は、ドイツ・ロマン
主義の影響の色濃い哲学的・思弁的な作風で知られ、バラティンスキーと並んで
ロシアにおける思想詩の系譜の一人とみなされている。
「沈黙」も、そういった傾向を代表する彼の初期の代表するチュッチェフ初期の
代表作の一つで、ロシア人なら誰もが知っているほど有名なものです。
文豪のトルストイはこの詩に感激し、「なんという驚くべき作品だろう!
これ以上の優れた詩を私は知らない」とまで言ったと伝えられていす。
それほど有名で優れた詩であれば、これまで多くの専門家によって数多くの研究や
解釈がなされてきたのも、また当然のこと。 ・・・
翻訳で読み、解釈するという作業にはどうしても限界がありますが、そのことを
肝に銘じたうえで、しかしそれでも何かを読み取ることができるかどうか、
読解を試みてみましょう。
ー 沈黙! ー
沈黙せよ、隠れよ、そして隠せ 自分の気持ちも夢も―
魂の深みでそれらは 夜の星のように黙々と
昇っては沈むことを繰り返しているがよい それに見惚れ、沈黙せよ!
心はどうしたら自分を言い表すことができるのか 他人にお前のことがどうして理解できようか
お前の生きがいが他人にわかるだろうか 心に思うことも口に出せば嘘になる
泉を掘り返しても、水をかき乱すだけだろう ただ泉の水を飲み、沈黙せよ!
自分自身の中で生きることだけができればよい お前の魂の中にはまるまる一つの
神秘的で魔法のような思念の世界がある その思念を外の騒音がかき消し
昼の光が追い散らしてしまう それら思念の歌に耳を傾け、沈黙せよ!…
~~
「 ・・・・・・・・・・ 」この詩について、何かを語れといっても・・
「HP読みながら、いつも思っていた!」って言わない。 思念公開も面白いもの。
土いじりや、趣味の世界、神への思念に没頭すると、沈黙せざるを得なくなる。 ーつづく
・・・・・・・
2009年11月30日(月)
3161,つれづれに ー閑話小題
* 円高 85円
為替が円高・ドル安に動き出してきた。 それにつれて金の価格もジワリと上がって
きている。年末に向かって周辺も冷え冷えとし、殺伐としてきている。年末年始は
大荒れになるのか、それとも何とか中小企業特別救済で乗り切れるのか? 公共事業の
大幅カット、そしてボーナスの減額、デフレスパイラルによる不況の深化などで、
一日一日と厳しさを感じる。 この上に円高というから、救いようがない。
社会はますます内向きに成りざるを得ない。
* 「坂の上の雲」がNHKドラマの初回が放送されたが
「坂之上の雲」が日曜日夜のNHKで数回シリーズのドラマとして放送が始った。
私たちの年代の多くが、この小説に大きく感化された。 筋立ては、秋山兄弟と
正岡子規の生きかたを通して、明治時代の人間像と時代背景を書いている。
ある意味で、戦後日本人に一番影響を及ぼした歴史小説で、「大きな物語」の典型。
20歳代の青春時代を思い出しながら、このドラマを見るつもりである。 ただ、
小さな物語(個々人の物語)の時代の現在、大きな違和感も出てくるだろう。
司馬遼太郎が晩年、日本のバブルの狂態をみて、「自分が、こんな連中の時代の
ために、小説を書いてきたのではない」と怒っていたのも印象的である。
* 同じ映画を二度みたのは始めて!
土曜日にシネマ「2012」を再び観てくる。映画を二回つづけて観るのは初めて。
二回目にみた方がズシリとくるから凄い。 初回は、世界崩壊のリアルさと、物語
の筋たての両方に気持ちがいったが、二回目は地球崩壊の画面をリアルに観ること
に絞って、気持ちを入れて観た。そのため前回には観えなかった画面をシビアに
感じることができた。何で、これだけ引きつけられるのか?といえば、地球規模
の破壊スケール。南極と北極が入れ替わるというから。 金融恐慌から恐慌への
過程の中で、タイミング的にピッタリの内容である。
・・・・・・・・・
2008年11月30日(日)
2796.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・5
ー 金を追うな、金に追われるような人間になれ ー
【第4の法則】 金を追うな、金に追われるような人間になれ
「空気人間になれ」
(ゲットーに住むユダヤ人は隙間で生きていかなればならなかった。
自分に対する誇り、自尊心が確立されているから、仕事の体裁などにこだわる
ことはない。チャンスとみれば偏見に囚われずに何でもやる。元手が少なくても、
わずかなチャンスを確実にっかみ、成功に近づいていく。空気のように軽く、
どこにでも入っていく。それでいて、空気のように誰もが必要とする資質を
兼ね備えた人間。苦難を空気化した人間、それがルフトメンシュである。)
ユダヤの知人の言葉
*「この仕事で 豊かな気分になることはない ただあるのは、どれだけ
稼いでも、新しいレベルの 相対的貧困感に苛まれること」
ユダヤ人の知人のコトバ
*「神がお金について どう考えているのかを 知りたいのでしたら、どんな人に
神が お金を与えたのか を観察してみるといいでしょう」 ドロシー・パーカー
*お金は手段にすぎません。自分が行きたいところには 連れていってくれますが、
*11ポ・ドの金塊よりも、 1オンスのツキのほうが 価値がある」東欧ユダヤ社会の諺
*「人生は、賢者にとっては 夢であり、 愚か者にとっては ゲームである。
金持ちにとっては 喜劇であり、 貧乏人にとっては 悲劇である」
ショーレム・アレイヘム
・・・・・・・・・
2007年11月30日(金)
2431, ネット君臨 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
「ネット君臨」-毎日新聞取材班ー(出版・毎日新聞社)
-読書日記
この本を図書館で見つけ、読んで驚いてしまった。この春先に毎日新聞が
連載したものを本にしたものだが、この連載は大きな社会問題を提起、幾つかの
規制の法案ができるキッカケになった。私も政治や、ゼネコンなどの談合に批判を
書いているが? 言い方には気をつけなければと自戒させられた。
マイナーの人?いや色いろな考えの人が見ているのである。それにしても、
ネットによる虐めの陰湿さには驚いてしまう。特に「2ちゃんねる」上における、
匿名による誹謗・中傷の内容は、人を死に至らしめるほどの内容に満ちている。
毎日新聞の連載をまとめた本だが、ネットのマイナス面に絞っているのも、
ネット社会の規制を考える面で、良いこと。
*まずはアマゾンの、この本の紹介文から
ー内容紹介ー
匿名社会の恐怖、拡大するネット犯罪…。ネット社会の急速な進展は、我々の
生活 に便利さや効率をもたらす一方、さまざまな負の部分を生み出している。
ネットは我々をどう変えるのだろうか。また我々はネット社会をどう築けばいいのか。
ネット社会に警鐘を鳴らした毎日新聞取材班の大反響連載「ネット君臨」の書籍化。
本書では、国内最大のネット掲示板「2ちゃんねる」に代表される匿名による誹謗・
中傷が人々の暮らしに深刻な影響を与えている実態を現場から報告。
「2ちゃんねる」の管理人ひろゆき(西村博之)氏にインタビューしている。
さらに国の政策がインフラ整備に偏り、企業や個人のマネーゲームを生んでいる
実態や米国、韓国、中国のネット犯罪の現場をルポ。
ー概要ー
マスコミがこれまで殆ど触れてこなかったネットの問題点に真正面から切り込んでいる。
難病(拘束型心筋症)の上田さくらちゃん(四歳)がアメリカでの心臓移植をうける費用
(約一億三六〇〇万円)を賄うために「さくらちゃんを救う会」が結成され、
ボランティアによる募金活動が開始された。(字数制限のためカット、09年11月30日)
・・・・・・・・・
2006年11月30日(木)
2067, あたりまえなことばかり -18
(+>∀<+)ノ おぁはは~ようさん!
人生には、それぞれに相応しい時期がある。その年齢ごとに新しい経験を織り込んで
いくのが人生である。私の中学校のクラスは卒業後も非常に仲がよくて、節目ごとに
クラス会を開いていた。地元にボス的な女性がいて、その都度声を掛け合って20人は
集まっていた。卒業後15年ほどしてからは1~2年ごとにクラス会を開いていた。
担任の先生の停年の年には(18年ほど前)、湯沢に一泊した翌日、長岡に帰ってきて、
延々と夜半まで三〇数時間も一緒に飲み続けた。最近までは毎年のように理由をつけて
会を開いていた。そこで見えてくるのは、「歳をとるから老いる」ということではない
ことである。経験を自分の人生の中で織り込んでしまえば、生きるということ、老いる
ことも、むしろ面白く、味わいが深くなる。人生など大したことがないものである。
深刻に考えるだけ馬鹿馬鹿しい。気楽に考えて、その時々を真正面から生きていさえ
すれば、それでいいんじゃないか! ということである。
( ^3)~♪よ~よ~それが一番、難しいんじゃないかい!
ーーーーーーーーーー
老いは個人の生を超え -?
ーーーーーーーーーー
老いるほど人生は面白くなるという言い方は、確かに可能である。その歳まで、
いったい何をしてきたのかと訝りたくなるような老人が多い。おそらく、何もして
こなかった。摂食、生殖、快楽の追及以外何もしてこなかった。
刺激に反応して、反応したら忘れるといった動物的生存の日々、そういう人々は、
したがって老いることを拒む。動物的生存に価値がある限り、肉体の衰えは価値の喪失
以外ではないからだ。老いた自分に価値が認められない。「老醜」とは正確には自虐的
に使われる。逆に、内省を知っている人は美しい。 鏡を内側に持っているからだ。
外に映る鏡の姿が崩れているにしても、ともに崩れる必要がない。若年からの内省の習慣、
老いるほどにその姿は違って見える。内省すること、心の姿を整えること、それが魂の
世話をする意味である。歳を重ねると、内省と回顧が判然としなくなるが、面白いのは、
このとき回顧されているのが自分の人生ではなくなっているということだ。
自分の人生を振り返ってその視野に、自分の人生としての人類の人生、すなわち「歴史」
が、当たり前のように入ってくるようになる。内に鏡を所有して生きることの面白さは、
その現在の鏡に過去が映っているからだ。過去とは現在以外ではなく、歴史とは自分
以外のものでなかった、と気づかされるのだ。それが鏡が鏡であることの秘密である。
「歴史は鑑である」とは、本来その意味であった。
ーー
母親が80歳の時に、「私の生きた5~6倍前に家康や秀吉が生きていたと思うと、
大して昔じゃなかったのね!」いった言葉は、歴史が鑑であるという意味ではないが、
ハッとする言葉であった。 自分の生きた時間と家康の生きていた時代を対比して感じ
取った言葉だからだ。 田中角栄がどうした!と、今では確信を持っていえる自分がいる。
それは自分の人生とは比べようもない実力を持った人も、過ぎ去ってしまえば、
ただの悪名高き犯罪者でしかなかった政治家。その男が活躍していた時、私は学生で、
雲の上の人とみていた。いまは、「何じゃい!戦後バブルの波に浮かんだ泡以上でも
以下でもない男。 そしてまだ、その娘が馬鹿丸出しで恥をさらしているだけ」としか
思えないのも、自分が生きてきた時間の中で、自虐の自分を鑑にしてみるからだろう。
(-"-;) これも長年生きた歪みが、この言葉であるということだ。
あと十年経てば70歳、20年経てば80歳である。これは生きていればの話で、
もしそこまで生きていて加齢した自分を 自虐していたとしたら、全く何もして
いなかった人生を嘆いているだけになる。それは現時点でも言えることである。
・・・・・・・・
2005年11月30日(水)
1702, 中学校還暦同期会 -2 nemu(ρ_-)
先日「中学校の還暦同期会とはこんなものだった」という概略を書いた。
今回は還暦から人生を振り返って、感じたことを書く。人生の60代に入り、
40数年ぶりの幼馴染に会い感じたことは「人生の成功とか、失敗は大して変わり
はしない」ということだ。(いや、あるか?)
*上手くいったという人はそれでよし、
*上手くいかなかったが、それも自分の責任、悔いはなし、というのもそれでよし。
要は、自分の人生の受けとめかたである。人生の成功・失敗とは何だろうか?
改めて考えてみる必要がある。どういう人生であっても、明るくニコニコしていれば
それで良いのではないだろうか。(≧▽ 本当か?誰にでも悔いがあるのが人生である。
それに対し、でも生まれてきてよかった!と、心から思えれば良いのではないか?
そうすると、笑いと感謝さえ失わなけれ、「『ありがとう』を一日、千回いって、
その結果として自然の笑いが出てくればよい」 ということになる。♪~(=^ε^= )
出席している人は、比較的に恵まれている人?のため、全体として明るい人が多かった。
めでたい席で暗い顔もしていられないのだろうが。私が、彼らの気持ちを代弁していうと、
「ここまで、人生の良いところを生きてこられて良かった!」というのが、偽らざる
気持ちだったろう。 年齢に気持ちがついてきてないのが本当のところだろう。
人生は短い! 成人式ということだ! (^_^)/~~baybay
・・・・・・
2004年11月30日(火)
1337, 「自分を活かす極意] 」 ー読書日記 -1
齋藤スタイル―自分を活かす極意 齋藤 孝 (著)
書店のエンドでよく斎藤孝の本を見かけたが手にとるだけで買わなかった。
いや一度、この著者の本を図書館から借りてきたが、読まずに返したことがあった。
先日、図書館でこの本を見かけ借りてきて速読をしたところ、内容が濃厚である。
斉藤孝の多角的世界を集大成してある。日本語、身体、能力、読書、教育、子ども…。
多彩なテーマを独自のスタイルで語たりかけていて、斎藤ワールドのダイジェスト。
対談という形を通して著名な人の意見と議論がより深みを持っている。
特に「三色ボールペンで読む日本語」のダイジェストの章がよい。赤ペンチェック
の言葉が多い。「図化と文章化」 「具体的かつ本質的」「エネルギーを出し続けて
いるが故に、技も必然的に磨かれていく」などもよい。著者は、「勉強でもスポーツ
仕事でも、自分が体験し学んだことは、自分のスタイルとして練り上げ、技化
しなければならない」といっている。齋藤氏の「スタイル」と、ノウハウの集約書。
ー今回は、まずは三色ペンについて書いてみる。数年前に、「三色ボールペンで読む
日本語」を図書館から借りてきて目を通したが、ほとんど読まないで返してしまった。
おそらく他に面白い本があったのだろう。しかし先週の土曜日に、この本を借りて
きて再度「三色ペン」の効用を読んで、4色ペンを買ってきた。
ー著者の勧めの青、緑、赤だけの三色ペンが無く、これに黒の入った4色ペンしか
なかった ー まずは買うことによって、実際の効果を確かめたかったのである。
この本では、三色ペンで読書をしながら
・重要な部分を「赤」の線、 ・少し重要な部分は「青」の線、
・面白いところを「緑」の線、で色分けをすることを勧めている。
これは取りも直さず20対80法則の、20の区分けをしていることになる。
( 以下、字数の関係でカット 2010年11月30日 )
・・・・・・・・
2003年11月30日(日)
970, 「遺言川柳」
UFJ信託銀行が11月25日に単行本「遺言川柳」を発売をした、と新聞や
TVで話題になった。当銀行が「遺言川柳」を募集したところ、約1万2000人
から5万通以上の作品が寄せられたという。せいぜい2000~3000作品」
と見込んでいたUFJ信託銀行にとってうれしい誤算だった。そこで急きょ、
出版社からの申し出で「敬老の日」を狙った作品集の発行が決まるなど、
「遺言川柳」がちょっとしたブームになっているという。遺言といえば、両親とも、
私にとって「有利な遺言」を書いて亡くなった。遺言は残された子供にとって、
その後の人生を左右するほど大きい要素になる。母が亡くなったときは、
さすがに4人の姉に「恨み辛み」をいわれた。それだけ、両親は「家」という
ものを重んじていたのだ。両親が亡くなるとき、同居をしていたため情が移って
いる部分と、末っ子という特殊要因もあった。 相続は、それぞれの子供に連れ
合いがいるから複雑になる。日常でおこる争いの一番の原因になる。そして生々しい。
ー以下の遺言川柳は一つ一つの意味の深さを十二分に実感できる。
-------
ー特選ー 1作品
・遺書書いて 腕立て伏せを 二十回 (64歳・男性)
ーー
ー入選ー 5作品
・遺言も 開けてみるまで 宝くじ (25歳・女性)
・情よりも 法が出しゃばる 遺産分け (63歳・女性)
・書き替える たびに痩せゆく 遺産額 (70歳・男性)
・通夜の席 銀行マンが 勢揃い (55歳・不明)
・遺言を 地球が書いて いるらしい (46歳・男性)
ーーーー
以下は、字数の関係でカット
2007年11月30日
・・・・・・・・・・
2002年11月30日(土) (2)
596, スーパー床屋は席貸業 -
最近、新潟でも目立つようになってきたスーパー床屋の実体が面白い。
日経流通新聞の広告でフランチャイジーの募集の内容に興味を持った。
「経営は理髪師の免許がなくても可能です」どうして?と思うのは当然である。
若い人が既存の店で修行と称してタダ働きに近い状態?を強いられていた
職人の世界である。そのプロセスを踏まないと新規の出店の時に想像を絶する
嫌がらせに会うと聞いていた。誰もが知っているあの日本的馬鹿いや愚かの世界。
関西人がそこに目をつけ、チェーン化を始めた。場所貸し業と捉えたのである。
スーパー床屋のシステムはその席貸し業に組み替えたシステムである。
この辺の話しは良く解る。オーナーは不動産業なのである。
最適な立地の不動産のオーナーと理髪のフランチャイザーが組む。
フランチャイジーはマニュアルどおりにやればよい、タダそれだけでしかない。
席を借りた人は働いただけお金になるのだ。札幌のススキノで飲んで帰る
タクシーの運転手さんの話が今でも忘れられない。深夜のタクシーは倒産した人
の最後の砦の世界という。とりあえず、お金がほしい自分達の必至の金稼ぎの世界である。
タクシー会社も深夜の高い人件費を考えると、そのままタクシーを丸投げで貸した
ほうが良いという。その応用がこのスーパー床屋の世界なのである。
場所貸しで割り切った若い人が必至に働いてもらった方がいい。
若い人で4~50万稼ぐ人がいるとか。都会の既存の床屋はここにきて大きな落
ち込みが始まり、また新規開店が激減したとか。床屋の世界おまえもか!である。
そういえば宅配便の運転手はもっとシビアの世界だ。
(以下は、字数の関係でカット 2010年11月30日 )
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http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive
今日のYoutube
今日は、久々に天気晴朗なり。
朝方は曇りでチャリの信濃川一周は控える。
明日は中学校の同級会、土曜日は東京の人形町で学生時代の同級会。
なぜか、直前になると腰痛が出てくる。 今のところは大丈夫だが。
・・・・・・
・・・・・・
3536, 沈黙せよ!
2010年11月30日(火)
「語りえぬものからの問いかけ」という東大駒場〔哲学・宗教・芸術〕連続講座ー
《 「言い表せないもの」の詩学 -チュッチェフ『沈黙』の逆説ー沼野充義 》
の「沈黙」という詩に、思わず息を飲んでしまった。 何か、毎日、自分が書き
続けていることを根底から否定されたようである。
否定されるほどのものも無いことを私が一番知っているから書いているだけだが。
ーまずは、以下の文と詩からー
【 チュッチェフには「沈黙」と題された詩がある。この詩人は、ドイツ・ロマン
主義の影響の色濃い哲学的・思弁的な作風で知られ、バラティンスキーと並んで
ロシアにおける思想詩の系譜の一人とみなされている。
「沈黙」も、そういった傾向を代表する彼の初期の代表するチュッチェフ初期の
代表作の一つで、ロシア人なら誰もが知っているほど有名なものです。
文豪のトルストイはこの詩に感激し、「なんという驚くべき作品だろう!
これ以上の優れた詩を私は知らない」とまで言ったと伝えられていす。
それほど有名で優れた詩であれば、これまで多くの専門家によって数多くの研究や
解釈がなされてきたのも、また当然のこと。 ・・・
翻訳で読み、解釈するという作業にはどうしても限界がありますが、そのことを
肝に銘じたうえで、しかしそれでも何かを読み取ることができるかどうか、
読解を試みてみましょう。
ー 沈黙! ー
沈黙せよ、隠れよ、そして隠せ 自分の気持ちも夢も―
魂の深みでそれらは 夜の星のように黙々と
昇っては沈むことを繰り返しているがよい それに見惚れ、沈黙せよ!
心はどうしたら自分を言い表すことができるのか 他人にお前のことがどうして理解できようか
お前の生きがいが他人にわかるだろうか 心に思うことも口に出せば嘘になる
泉を掘り返しても、水をかき乱すだけだろう ただ泉の水を飲み、沈黙せよ!
自分自身の中で生きることだけができればよい お前の魂の中にはまるまる一つの
神秘的で魔法のような思念の世界がある その思念を外の騒音がかき消し
昼の光が追い散らしてしまう それら思念の歌に耳を傾け、沈黙せよ!…
~~
「 ・・・・・・・・・・ 」この詩について、何かを語れといっても・・
「HP読みながら、いつも思っていた!」って言わない。 思念公開も面白いもの。
土いじりや、趣味の世界、神への思念に没頭すると、沈黙せざるを得なくなる。 ーつづく
・・・・・・・
2009年11月30日(月)
3161,つれづれに ー閑話小題
* 円高 85円
為替が円高・ドル安に動き出してきた。 それにつれて金の価格もジワリと上がって
きている。年末に向かって周辺も冷え冷えとし、殺伐としてきている。年末年始は
大荒れになるのか、それとも何とか中小企業特別救済で乗り切れるのか? 公共事業の
大幅カット、そしてボーナスの減額、デフレスパイラルによる不況の深化などで、
一日一日と厳しさを感じる。 この上に円高というから、救いようがない。
社会はますます内向きに成りざるを得ない。
* 「坂の上の雲」がNHKドラマの初回が放送されたが
「坂之上の雲」が日曜日夜のNHKで数回シリーズのドラマとして放送が始った。
私たちの年代の多くが、この小説に大きく感化された。 筋立ては、秋山兄弟と
正岡子規の生きかたを通して、明治時代の人間像と時代背景を書いている。
ある意味で、戦後日本人に一番影響を及ぼした歴史小説で、「大きな物語」の典型。
20歳代の青春時代を思い出しながら、このドラマを見るつもりである。 ただ、
小さな物語(個々人の物語)の時代の現在、大きな違和感も出てくるだろう。
司馬遼太郎が晩年、日本のバブルの狂態をみて、「自分が、こんな連中の時代の
ために、小説を書いてきたのではない」と怒っていたのも印象的である。
* 同じ映画を二度みたのは始めて!
土曜日にシネマ「2012」を再び観てくる。映画を二回つづけて観るのは初めて。
二回目にみた方がズシリとくるから凄い。 初回は、世界崩壊のリアルさと、物語
の筋たての両方に気持ちがいったが、二回目は地球崩壊の画面をリアルに観ること
に絞って、気持ちを入れて観た。そのため前回には観えなかった画面をシビアに
感じることができた。何で、これだけ引きつけられるのか?といえば、地球規模
の破壊スケール。南極と北極が入れ替わるというから。 金融恐慌から恐慌への
過程の中で、タイミング的にピッタリの内容である。
・・・・・・・・・
2008年11月30日(日)
2796.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・5
ー 金を追うな、金に追われるような人間になれ ー
【第4の法則】 金を追うな、金に追われるような人間になれ
「空気人間になれ」
(ゲットーに住むユダヤ人は隙間で生きていかなればならなかった。
自分に対する誇り、自尊心が確立されているから、仕事の体裁などにこだわる
ことはない。チャンスとみれば偏見に囚われずに何でもやる。元手が少なくても、
わずかなチャンスを確実にっかみ、成功に近づいていく。空気のように軽く、
どこにでも入っていく。それでいて、空気のように誰もが必要とする資質を
兼ね備えた人間。苦難を空気化した人間、それがルフトメンシュである。)
ユダヤの知人の言葉
*「この仕事で 豊かな気分になることはない ただあるのは、どれだけ
稼いでも、新しいレベルの 相対的貧困感に苛まれること」
ユダヤ人の知人のコトバ
*「神がお金について どう考えているのかを 知りたいのでしたら、どんな人に
神が お金を与えたのか を観察してみるといいでしょう」 ドロシー・パーカー
*お金は手段にすぎません。自分が行きたいところには 連れていってくれますが、
*11ポ・ドの金塊よりも、 1オンスのツキのほうが 価値がある」東欧ユダヤ社会の諺
*「人生は、賢者にとっては 夢であり、 愚か者にとっては ゲームである。
金持ちにとっては 喜劇であり、 貧乏人にとっては 悲劇である」
ショーレム・アレイヘム
・・・・・・・・・
2007年11月30日(金)
2431, ネット君臨 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
「ネット君臨」-毎日新聞取材班ー(出版・毎日新聞社)
-読書日記
この本を図書館で見つけ、読んで驚いてしまった。この春先に毎日新聞が
連載したものを本にしたものだが、この連載は大きな社会問題を提起、幾つかの
規制の法案ができるキッカケになった。私も政治や、ゼネコンなどの談合に批判を
書いているが? 言い方には気をつけなければと自戒させられた。
マイナーの人?いや色いろな考えの人が見ているのである。それにしても、
ネットによる虐めの陰湿さには驚いてしまう。特に「2ちゃんねる」上における、
匿名による誹謗・中傷の内容は、人を死に至らしめるほどの内容に満ちている。
毎日新聞の連載をまとめた本だが、ネットのマイナス面に絞っているのも、
ネット社会の規制を考える面で、良いこと。
*まずはアマゾンの、この本の紹介文から
ー内容紹介ー
匿名社会の恐怖、拡大するネット犯罪…。ネット社会の急速な進展は、我々の
生活 に便利さや効率をもたらす一方、さまざまな負の部分を生み出している。
ネットは我々をどう変えるのだろうか。また我々はネット社会をどう築けばいいのか。
ネット社会に警鐘を鳴らした毎日新聞取材班の大反響連載「ネット君臨」の書籍化。
本書では、国内最大のネット掲示板「2ちゃんねる」に代表される匿名による誹謗・
中傷が人々の暮らしに深刻な影響を与えている実態を現場から報告。
「2ちゃんねる」の管理人ひろゆき(西村博之)氏にインタビューしている。
さらに国の政策がインフラ整備に偏り、企業や個人のマネーゲームを生んでいる
実態や米国、韓国、中国のネット犯罪の現場をルポ。
ー概要ー
マスコミがこれまで殆ど触れてこなかったネットの問題点に真正面から切り込んでいる。
難病(拘束型心筋症)の上田さくらちゃん(四歳)がアメリカでの心臓移植をうける費用
(約一億三六〇〇万円)を賄うために「さくらちゃんを救う会」が結成され、
ボランティアによる募金活動が開始された。(字数制限のためカット、09年11月30日)
・・・・・・・・・
2006年11月30日(木)
2067, あたりまえなことばかり -18
(+>∀<+)ノ おぁはは~ようさん!
人生には、それぞれに相応しい時期がある。その年齢ごとに新しい経験を織り込んで
いくのが人生である。私の中学校のクラスは卒業後も非常に仲がよくて、節目ごとに
クラス会を開いていた。地元にボス的な女性がいて、その都度声を掛け合って20人は
集まっていた。卒業後15年ほどしてからは1~2年ごとにクラス会を開いていた。
担任の先生の停年の年には(18年ほど前)、湯沢に一泊した翌日、長岡に帰ってきて、
延々と夜半まで三〇数時間も一緒に飲み続けた。最近までは毎年のように理由をつけて
会を開いていた。そこで見えてくるのは、「歳をとるから老いる」ということではない
ことである。経験を自分の人生の中で織り込んでしまえば、生きるということ、老いる
ことも、むしろ面白く、味わいが深くなる。人生など大したことがないものである。
深刻に考えるだけ馬鹿馬鹿しい。気楽に考えて、その時々を真正面から生きていさえ
すれば、それでいいんじゃないか! ということである。
( ^3)~♪よ~よ~それが一番、難しいんじゃないかい!
ーーーーーーーーーー
老いは個人の生を超え -?
ーーーーーーーーーー
老いるほど人生は面白くなるという言い方は、確かに可能である。その歳まで、
いったい何をしてきたのかと訝りたくなるような老人が多い。おそらく、何もして
こなかった。摂食、生殖、快楽の追及以外何もしてこなかった。
刺激に反応して、反応したら忘れるといった動物的生存の日々、そういう人々は、
したがって老いることを拒む。動物的生存に価値がある限り、肉体の衰えは価値の喪失
以外ではないからだ。老いた自分に価値が認められない。「老醜」とは正確には自虐的
に使われる。逆に、内省を知っている人は美しい。 鏡を内側に持っているからだ。
外に映る鏡の姿が崩れているにしても、ともに崩れる必要がない。若年からの内省の習慣、
老いるほどにその姿は違って見える。内省すること、心の姿を整えること、それが魂の
世話をする意味である。歳を重ねると、内省と回顧が判然としなくなるが、面白いのは、
このとき回顧されているのが自分の人生ではなくなっているということだ。
自分の人生を振り返ってその視野に、自分の人生としての人類の人生、すなわち「歴史」
が、当たり前のように入ってくるようになる。内に鏡を所有して生きることの面白さは、
その現在の鏡に過去が映っているからだ。過去とは現在以外ではなく、歴史とは自分
以外のものでなかった、と気づかされるのだ。それが鏡が鏡であることの秘密である。
「歴史は鑑である」とは、本来その意味であった。
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母親が80歳の時に、「私の生きた5~6倍前に家康や秀吉が生きていたと思うと、
大して昔じゃなかったのね!」いった言葉は、歴史が鑑であるという意味ではないが、
ハッとする言葉であった。 自分の生きた時間と家康の生きていた時代を対比して感じ
取った言葉だからだ。 田中角栄がどうした!と、今では確信を持っていえる自分がいる。
それは自分の人生とは比べようもない実力を持った人も、過ぎ去ってしまえば、
ただの悪名高き犯罪者でしかなかった政治家。その男が活躍していた時、私は学生で、
雲の上の人とみていた。いまは、「何じゃい!戦後バブルの波に浮かんだ泡以上でも
以下でもない男。 そしてまだ、その娘が馬鹿丸出しで恥をさらしているだけ」としか
思えないのも、自分が生きてきた時間の中で、自虐の自分を鑑にしてみるからだろう。
(-"-;) これも長年生きた歪みが、この言葉であるということだ。
あと十年経てば70歳、20年経てば80歳である。これは生きていればの話で、
もしそこまで生きていて加齢した自分を 自虐していたとしたら、全く何もして
いなかった人生を嘆いているだけになる。それは現時点でも言えることである。
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2005年11月30日(水)
1702, 中学校還暦同期会 -2 nemu(ρ_-)
先日「中学校の還暦同期会とはこんなものだった」という概略を書いた。
今回は還暦から人生を振り返って、感じたことを書く。人生の60代に入り、
40数年ぶりの幼馴染に会い感じたことは「人生の成功とか、失敗は大して変わり
はしない」ということだ。(いや、あるか?)
*上手くいったという人はそれでよし、
*上手くいかなかったが、それも自分の責任、悔いはなし、というのもそれでよし。
要は、自分の人生の受けとめかたである。人生の成功・失敗とは何だろうか?
改めて考えてみる必要がある。どういう人生であっても、明るくニコニコしていれば
それで良いのではないだろうか。(≧▽ 本当か?誰にでも悔いがあるのが人生である。
それに対し、でも生まれてきてよかった!と、心から思えれば良いのではないか?
そうすると、笑いと感謝さえ失わなけれ、「『ありがとう』を一日、千回いって、
その結果として自然の笑いが出てくればよい」 ということになる。♪~(=^ε^= )
出席している人は、比較的に恵まれている人?のため、全体として明るい人が多かった。
めでたい席で暗い顔もしていられないのだろうが。私が、彼らの気持ちを代弁していうと、
「ここまで、人生の良いところを生きてこられて良かった!」というのが、偽らざる
気持ちだったろう。 年齢に気持ちがついてきてないのが本当のところだろう。
人生は短い! 成人式ということだ! (^_^)/~~baybay
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2004年11月30日(火)
1337, 「自分を活かす極意] 」 ー読書日記 -1
齋藤スタイル―自分を活かす極意 齋藤 孝 (著)
書店のエンドでよく斎藤孝の本を見かけたが手にとるだけで買わなかった。
いや一度、この著者の本を図書館から借りてきたが、読まずに返したことがあった。
先日、図書館でこの本を見かけ借りてきて速読をしたところ、内容が濃厚である。
斉藤孝の多角的世界を集大成してある。日本語、身体、能力、読書、教育、子ども…。
多彩なテーマを独自のスタイルで語たりかけていて、斎藤ワールドのダイジェスト。
対談という形を通して著名な人の意見と議論がより深みを持っている。
特に「三色ボールペンで読む日本語」のダイジェストの章がよい。赤ペンチェック
の言葉が多い。「図化と文章化」 「具体的かつ本質的」「エネルギーを出し続けて
いるが故に、技も必然的に磨かれていく」などもよい。著者は、「勉強でもスポーツ
仕事でも、自分が体験し学んだことは、自分のスタイルとして練り上げ、技化
しなければならない」といっている。齋藤氏の「スタイル」と、ノウハウの集約書。
ー今回は、まずは三色ペンについて書いてみる。数年前に、「三色ボールペンで読む
日本語」を図書館から借りてきて目を通したが、ほとんど読まないで返してしまった。
おそらく他に面白い本があったのだろう。しかし先週の土曜日に、この本を借りて
きて再度「三色ペン」の効用を読んで、4色ペンを買ってきた。
ー著者の勧めの青、緑、赤だけの三色ペンが無く、これに黒の入った4色ペンしか
なかった ー まずは買うことによって、実際の効果を確かめたかったのである。
この本では、三色ペンで読書をしながら
・重要な部分を「赤」の線、 ・少し重要な部分は「青」の線、
・面白いところを「緑」の線、で色分けをすることを勧めている。
これは取りも直さず20対80法則の、20の区分けをしていることになる。
( 以下、字数の関係でカット 2010年11月30日 )
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2003年11月30日(日)
970, 「遺言川柳」
UFJ信託銀行が11月25日に単行本「遺言川柳」を発売をした、と新聞や
TVで話題になった。当銀行が「遺言川柳」を募集したところ、約1万2000人
から5万通以上の作品が寄せられたという。せいぜい2000~3000作品」
と見込んでいたUFJ信託銀行にとってうれしい誤算だった。そこで急きょ、
出版社からの申し出で「敬老の日」を狙った作品集の発行が決まるなど、
「遺言川柳」がちょっとしたブームになっているという。遺言といえば、両親とも、
私にとって「有利な遺言」を書いて亡くなった。遺言は残された子供にとって、
その後の人生を左右するほど大きい要素になる。母が亡くなったときは、
さすがに4人の姉に「恨み辛み」をいわれた。それだけ、両親は「家」という
ものを重んじていたのだ。両親が亡くなるとき、同居をしていたため情が移って
いる部分と、末っ子という特殊要因もあった。 相続は、それぞれの子供に連れ
合いがいるから複雑になる。日常でおこる争いの一番の原因になる。そして生々しい。
ー以下の遺言川柳は一つ一つの意味の深さを十二分に実感できる。
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ー特選ー 1作品
・遺書書いて 腕立て伏せを 二十回 (64歳・男性)
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ー入選ー 5作品
・遺言も 開けてみるまで 宝くじ (25歳・女性)
・情よりも 法が出しゃばる 遺産分け (63歳・女性)
・書き替える たびに痩せゆく 遺産額 (70歳・男性)
・通夜の席 銀行マンが 勢揃い (55歳・不明)
・遺言を 地球が書いて いるらしい (46歳・男性)
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以下は、字数の関係でカット
2007年11月30日
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2002年11月30日(土) (2)
596, スーパー床屋は席貸業 -
最近、新潟でも目立つようになってきたスーパー床屋の実体が面白い。
日経流通新聞の広告でフランチャイジーの募集の内容に興味を持った。
「経営は理髪師の免許がなくても可能です」どうして?と思うのは当然である。
若い人が既存の店で修行と称してタダ働きに近い状態?を強いられていた
職人の世界である。そのプロセスを踏まないと新規の出店の時に想像を絶する
嫌がらせに会うと聞いていた。誰もが知っているあの日本的馬鹿いや愚かの世界。
関西人がそこに目をつけ、チェーン化を始めた。場所貸し業と捉えたのである。
スーパー床屋のシステムはその席貸し業に組み替えたシステムである。
この辺の話しは良く解る。オーナーは不動産業なのである。
最適な立地の不動産のオーナーと理髪のフランチャイザーが組む。
フランチャイジーはマニュアルどおりにやればよい、タダそれだけでしかない。
席を借りた人は働いただけお金になるのだ。札幌のススキノで飲んで帰る
タクシーの運転手さんの話が今でも忘れられない。深夜のタクシーは倒産した人
の最後の砦の世界という。とりあえず、お金がほしい自分達の必至の金稼ぎの世界である。
タクシー会社も深夜の高い人件費を考えると、そのままタクシーを丸投げで貸した
ほうが良いという。その応用がこのスーパー床屋の世界なのである。
場所貸しで割り切った若い人が必至に働いてもらった方がいい。
若い人で4~50万稼ぐ人がいるとか。都会の既存の床屋はここにきて大きな落
ち込みが始まり、また新規開店が激減したとか。床屋の世界おまえもか!である。
そういえば宅配便の運転手はもっとシビアの世界だ。
(以下は、字数の関係でカット 2010年11月30日 )