つれづれに

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 『人生、二度なし! 後悔のないように生きよ』を、モットーにしてきたため、
 面白い経験を多々してきた。 もっと、楽しんでおけば良かったのにとかの、
青年期の後悔は少ない。 それでも、あと先が短いと実感する現在、何を、
もっとしておけば良かったのだろう? そう~ 家族に、因縁在りし、
人たちに、もっと優しくしておくべきだったか?学生時代の、修行時代の
縁ありし人たちと、手紙のやりとりを切らさなければ良かったとか・・・
 まあ、人生は、後悔することが、多いが、あまり反省はしてない。
『反省すれども、後悔なし』と、言うけれど。
 実際は、『後悔すれど、反省なし』である。でも、実に恵まれていた!



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2973,超円高社会
2009年05月26日(火)
 「超円高社会」 水澤潤著 ー読書日記
 この本は初めから終わりまで、たとえ話のオンパレードである。
下手な分析より、たとえ話の方が解りやすいことが多い。
「まえがき」の一行目の冒頭から、
《 日本は世界のATMだと言われてきた。お金が必要だと思ったら、
欲しいだけ、いくらでもニッポンATMからゼロコストで引き出しできる
というのだから。そこで引き出された金は、みんな日本以外のところに
流れていき、世界中を潤してきた。21C初頭の世界的な好景気の原動力と
なったものこそ、実はニッポンATMがしゃぶしゃぶに供給してきた
キャッシュだったのである。アメリカ、中国、欧州、ロシア、インドが、
産油国が好景気を堪能した。 (字数の関係でカット2008年5月26日)
・・・・・・
2609, サルトルについて、考えてみる ー1
2008年05月26日(月)       ..φ(ー ̄*)カキカキ_φ(* ̄0 ̄)ノオハ
 最近は、サルトルは人気がないが、私が学生時代は最も人気のある思想
・哲学者であった。サルトルといえば「存在と無」である。その中で説かれて
いる「対自」と「即自」と「対他」というキーワードがある。これらの言葉に
出あった時の驚きを今だに忘れることが出来ない。
この言葉から「自分の裂け目」を言葉で初めて知った。
 ・そのままの存在が「即自」。犬は己を犬と思わない。
  自分が何者かを問わない存在。
 ・その己に語りかけるのが「対自」になる。自分が「?である」ことを
  意識して生きている存在。 
 ・そして、他人から「もの」として見られる存在という意識が「対他」。 
「実存が本質より先立つ」人間はまずは生まれて「存在」となる。その後に、
それぞれの本質が作られる。実存主義だが、サルトルは、それで、「私」
という殻から抜け出て「外に出よう」と....。 この辺が学生時代の「私」の
理解である。当時、これを読んでいるうちに少しオカシクなりかけた記憶がある。
先週は、面白いので手持ちの哲学書入門書の何冊かを引っ張り出して、サルトル
に集中してみた。なるほど大戦後に一世を風靡するだけのことがある。
共産主義の理解者として、左派のイメージが当時あったが、現在振り返ると、
それほどでもない。 さて、この一週間で サルトルで思い出した知識といえば、
・「主体性」の哲学であること。
デカルトは「あらゆるもの疑ってみた結果、疑っている自分、そのように
考えている自分がいる、ということだけは疑うことが出来ないのではないか」
と考え、「私は考える、ゆえに私は存在する」とした。それをサルトル
批判をした。彼は「私が、何かを見ている」「私が何か考えている。」
の「私」が疑問という。「何か考えている」は確かだが、「私」は振りかって
「反省」をしていた時に生まれる対象。つまり反省している意識とは、
意識自身を対象とする意識なのである。「私とは一人の他人」なのである
・人間は自由の刑に処されている。「人は何も決められてない投げ出されて、
 一から自分をつくりあげていくしかない。それが人間の「自由」である。
 投企とは、現在の自分を乗り越えるため未来へ 自分を投げ出していくこと。
 人生を前向きに生きていくことということである。
・アンカジュマン=自分の選択をする以上、自分の行動には責任を負わなければ
ならない。と同時に社会の未来に対して責任を負うべきである。ー 等々である。         
次回は、新たに知ったことを要約してみる。     ヾ(^ω^*)


・・・・・・
2244, 耐震偽装 -2

2007年05月26日(土)

          ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!。
この本の、面白さは著者の藤田東吾がHPに時系列で記録を残していることである。
だから政治家や役人が奇麗ごとをいっても、その時やりとりした記録には
真実の迫力がある。 ネット上に事実が時系列に流れているからである。
「安部首相が何で『美しい日本!』など言う資格があるというのか?」と、
週刊誌に取りあげてあったが、これを読んでいると心底から同調する。
魚は頭と尻尾から腐るというが、全くその通りである。

藤田はパソコン世代なのである。
会社のHPや自身のパソコンに詳細に成り行きをメモしていたのである。
文藝春秋が圧力?で、この本の出版から降りてしまった。
しかし、彼は自費出版というカタチで世に問うてきいたのである。
それと、人気ブログの「きっこのブログ」に、自分の書いた文章を
寄せてきたのである。これで、火がついたのである。

国交省の役人も思ってみない所から火がついてしまった。
小泉と安部でしか、この隠蔽は指示・判断できないのは明らかである。
そして、その安部が『美しい日本』などと、のたまっている。
政治家を今さら非難するなど、意味はない。
ただ政治家も官僚もネット社会の実態を知らないのである。

今回の問題は、建設マフィアと政治家が組んで、構造計算のチェック機能を民間に移動、
チェック機能そのものを骨抜きにしたことだ。
そして、そのミスを権力を持った役人と政治家が、うまく責任転嫁をして、
適当な者に罪を背負わせ、事件を総括してしまったのである。この書から、
森元首相、小泉、安部につながるラインの濃い悪臭がそこから臭っている。
国交省が責任逃れのために書いたシナリオに乗ったのである。                
ー藤田の次ぎの言葉が全てを言っている。
p-263
親である国交省が、この社会的大問題は、うちの子供が悪いんです。
理由はかくかくしかじかなんです」と子供の責任だと嘘をついて片づけようと
いう事実。しかもそれを、子供が真っ向から否定、無視したところで、
誰が耳を傾けてくれるだろう。

「皆さん聞いてください、じつは実はうちの親が悪いんです。
うちの親が、昔、いい加減に認定した『大臣プログラム』によって
構造計算書が改ざんされてしまったのです。
その責任を僕に押付けるために、いい加減な理由をこじつけて、
21件だけの物件で蓋をしようとしているのです。
僕らが発見した偽装物件はほんの一部で、現実には数百万棟の建設物が、
偽装された可能性があるんです。僕の言うことをきいてください」

国土省という虎の威を借りた狐が、既得権を死守するために描いた嘘の
ストーリーを、国民は疑いもせず信じてしまうのではないか。
国土省は、政治家を動かし、マスコミを動かし、一部の業者に繋がる利権構造
と行政権限の安定を、国民の生命を危険に晒し、その財産の犠牲のうえに
維持しようとしている。
子供の僕がそう言ったとしても、誰も子供の言葉には耳を傾けてくれなかった。

かなりの数の人が、これを知った。何故なら多くの人がビルに住んでいるからだ。
こういう話は、口伝で広まるものである。
           -つづく
                    ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
・・・・・・・・
2006年05月26日(金)
1879, つれづれにー
                おっ w(゚Д゚)w ハァョ~

湯沢のイナモト旅館が自己破産をしたと、先日の新聞に載っていた。
18年前に中学校の担任の定年祝いを兼ねた同級会を泊り込みで開いた老舗の料理旅館。
40歳代前半の同級会が一番良いと聞いていたが、普段出たことのない東京在住が
5~6名出席をした。総勢25人、丁度総勢の半分近くが出席した。
社会的にも、家庭的にも人生のピーク時で大いに盛り上がった。
その東京の在住のうち3人が、7~8年前に癌で亡くなってしまった。
  
     その時、担任の先生が翌日のスナックで、
    「自分の人生は無かった!」と深刻な顔をして言われた。
    (以前にも書いたが)一番寂しい言葉である。
    「両親が現在も90歳近くて矍鑠としていて、全てを支配された人生だった。
      俺の人生は無かった。本当に辛い!」と。

60歳直後の鬱病は人生で一番キツイとは聞いていた。
亡き義父も鬱病になりかけたのを助けたことがあったが、
60歳になると歪み?が出てくるようだ。
私のように元々歪んでいる?と歪みようがないが・・・
この年齢になってみて、なるほど色いろの問題がシワ寄せに重なるものと
思い知ったが、欝などはほど遠い状態である。
綱渡りで生きてきたから、‘そう’いう悩みに驚いてしまった。

    湯沢の老舗旅館の倒産、地震の風評も重なったのだろうが、
    不況と時代の変化が根底にある。他人事の話ではない!まったく。
    ーー
今日は、私の事務所のあるホテルで、[新潟県活性化を考える会]が開かれる。
14~5名の出席である。去年11月、東京で不動産鑑定士をしている
大学のゼミの後輩から電話が入った。
卒業後、ゼミ出身者の会で何度か顔を合せていたが、それでも十数年ぶりであった。

この人は[道路行政に関する本]を出していて、数万冊売れたという。
それを読んだ???総研から「新潟を活性化するには如何したらよいか」
という依頼を受けた、というから、
「新幹線を新潟駅から新潟飛行場まで通して、
‘首都・東京駅から新幹線直接乗り入れの世界稀なる飛行場’を目玉に、
日本海拠点都市を宣言し、空港周辺を物流特区か、労働特区、高層ビル特区
のいずれかにすべし。ただし単線にしてコストは常識からみて十分の一以下に
なるように知恵を使う。
第三セクターで押さた土地を高層ビル特区にして容積率を上げて、
その値上がり分で工事費を浮かすような思い切ったことをする)
飛行場周辺の住民には、新潟駅まで格安の値段で乗れるようにする。

新潟はインフラという達磨をつくってあるが、目玉が入ってない。
目玉は新潟空港の新幹線乗り入れと、
シベリアと旧満州と朝鮮・中国に対する拠点としての特区をつくり、
それを環日本海拠点都市宣言すべし。」と答えたら、
これが彼らにピンと来たようで、今日の会になった。

どうなることか?あまりこういうことには乗らない主義だが!
一期一会である。
              !(*^ワ^*)i バイバイ
・・・・・・・
2005年05月26日(木)
1514, 酒中日記

何げなく図書館で借りてきた「酒中日記」が面白い。
小説現代」に連載された『酒中日記』のエッセイを集めたもの。
出版年は2005年だが、各エッセイは昭和41年からのもの。
四十年前の酒飲みの交友であると同時に、文壇交遊録でもある。

ちょうど私が20代の頃で、東京、四日市、神戸、千葉、金沢、
と転々としていた所々で、うまい酒を飲みまくっていた頃である。
現在の私の年齢と同じ位の当時の作家達が、
面白おかしく酒を飲んだ生々しい日記だから、更にひきつけられる。
30年~40年前の日記が、昨夜のように感じられるのが良い。

さすがに作家の日記である。具体的に克明に、面白おかしく書いてある。
このように私も当時の酒中日記が書いてあったら、それぞれの懐かしさが
具体的に記憶に鮮明に残っただろうに、残念である。
「金沢などの当時の人間関係を織り込んだ酒場でのやりとり」
が書き残してあったら、私にとって絶品の内容になっただろう!
誰もが、酒で多くの気晴らしや、ほろ苦い出来事や、面白い記憶があるはずだ。

この本では、酒を通じての交友、華やかな祝い酒、酒乱とその翌日の後悔の時間、
大酔しての活躍状況、いくら飲んでも底なしの人物……
その他いろいろ、各種各様のタイプの酒にまつわる話が次々と出てくる。
吉行淳之介から、安岡章太郎瀬戸内晴美遠藤周作など、
現代文学史に出てきそうな人たちから、山田詠美吉村昭までの32人の作家による
エッセイだから、面白くないわけがない。

「某月某日」で始まる(酒を飲むこと)をテーマに、軽く書かれたが内容は生々しい。
「バーからバーへとはしごを続け、気が付くとパジャマで朝の新宿を歩いていた」とか、
作家同士、昼日中に相手の家に押しかけ、飲んでは人を呼び自分も出かけるという、
「作家」イメージが見事に再現されている味ある文章が続く。

「朝、家で起きてみると、やはり目の前に大きな鬱のクマがいた。
しかたなく、また死んだフリをする。」など、
酒飲みの何ともいえない心理を書いている作家もいる。

銀座に遊ぶ作家たちの賑(にぎ)やかな酒もいいが、
京都逗留の水上勉の一人酒の話もよいものだ。
創作の疲れか、女性問題の悩みか、花見小路や先斗町
フラフラと飲み歩く姿が目に浮かぶようだ。
孤影悄然とした水上の一番輝いている姿だろう。
 
次に、具体的に彼らの文章を書き写してみたい。
                  ー つづく
 ーーーー
「酒中日記 」  中公文庫  吉行 淳之介著

・・・・・・・・
2004年05月26日(水)
1149, ああ結婚! -1

結婚について『随想日記』の中で、多くを書いてきた。
長い歴史の中で一番多くのドラマが、結婚という結びつきの中で生まれてきた。
そのドラマは、多様で深遠で、いくら書いてもつきない。

そこで、格言集の中から面白そうなものを探してみたところ、
あるある、とびきり深い奴が、いくらでもある。
赤裸々な人間の本性が、結婚という名のもとにあらゆるカタチで露出している。
結婚前には、知らない方がよいことがあまりにも多い。
そこにあるのは、相性と、忍耐と、諦めと、思いやり、である。

以下のインターネットで調べた格言は、読めば読むほど男女の溝の深さを感じる。
と同時に人間の本質がそのまま、可笑しくも、悲しく顕れている。

 一番こころ、うったのは、
「ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめだ!」
 ーバイロンーである。
過去の亭主どもが、この言葉を殺意?を持って何度つぶやいたことか!女房も同じだが。
自分に甘く、他人に厳しいエゴイズムが、ぶつかりあう先ず初めての場が結婚生活だ。
手持ちのジョーク集の中に面白いものがあった。
実際にありそうな話だ。

ー「こわい話」
男A「棺桶にテレコを隠しておいたんだ。
       ‘おい開けろ!’って声がしたはずなんだが」
男B「奥さんビックリしたろうな!」
 A「いや俺がビックリしたんだ!」
 B「なんで?」
 A「昨夜はおくさんがひとりで通夜してたはずが、 
   なんの騒ぎも起きなかったんだ!」
 
ー面白く、深いから、ご覧あれ!!  それも何回も!
 ー結婚についての格言ー 

・女には、どうしてもわからないテーマが一つある。
 男は仕事に注ぐだけの熱情をなぜ家庭にそそげないのか、ということだ。
                    D・デックス
・女はみんな結婚するほうがいい、男は一人も結婚しない方がいい。
                    ベンジャミン・ディズレーリ
・男はみんな賭博師だ。でなきゃ結婚なんてしやしない。
                    フレデリック・リット
・あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている。
                    バルザック
・結婚――いかなる羅針盤もかつて航路を発見したことのない荒海。
                    ハイネ
・結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。
                    キルケゴール
・正しい結婚の基礎は相互の誤解にある。
                    ワイルド
・朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし。
                    伊達正宗
・すべての悲劇というものは死によって終わり、すべての人生劇は結婚をもって終わる。
                    バイロン
・三週間互いに研究しあい、三ヶ月間愛し合い、三年間喧嘩をし、
 三十年間我慢しあう。そして子供達が同じことをまた始める。
                      テーヌ
・男は結婚によって女の賢を知り、女は結婚によって男の愚を知る。
                      長谷川如是閑
不本意な結婚をした男にとって、彼女は妻ではない。敵だ。
                      プラウトウス
・正しい結婚の基礎は相互の誤解にある。
                    ワイルド                    
・・・・・・・・・・
2003年05月26日(月)
782,ドイツが揺れ始めた

 昨夜のNHKスペシャル「地球市場・富の攻防(5)・自動車欧州戦線」
フォルクスワーゲンの戦略ーが面白い内容であった。
2年前に北欧に旅行した時、どの国の首都も不況の真っ只中であった。
その国の首都に集中していた企業の本社がドイツのベルリンに、雪崩をうって
移転している為だ。EUが国のあり方を変えている。
昨夜の内容は新たに10カ国増えて、25カ国に拡大する事に決まったEU
舞台にいま、自動車メーカーが激しいシェア争いを繰る広げている。
その最前線を探る内容であった。

 旧共産圏の人件費の安い国に工場移転が本格的になってきている。
それがドイツの国を根幹を揺るがしているのだ。
現在の日本と中国・アジアの関係に酷似している。
ドイツお前もかというのが感想である。
第二次大戦の成功モデルの日本とドイツが、そのシステムが根こそぎ揺らいでいる。
部品メーカーが価格引下げの要求に、旧共産圏に工場を移転しなくては
成り立たなくなってきているのだ。
そうするとドイツやスペインなどの企業が、今までの労使の協約も根本から
見直さないと、会社そのもの国そのものが存立しなくなってしまうのだ。
グローバル化の典型的な事例である。

 話は変わるが、今度のSARS騒ぎは企業の情報化を更に推し進める事になるだろう。
TV会議システムなどの直接人間同士が接触しなくとも、衛星などを使った
情報交換を最大限駆使したシステムを使い情報交換が可能な状態にするだろう。
今回のイラク戦争も殆どが情報戦であった。
これで駆使されたシステムが、一般の企業の端末に入ってくるのは時間の問題である。
ますます競争の激化と、変化が顕著になる。
この情報化社会はグローバル化と激しい競争社会を加速していく。
そして既存の社会・国・企業・家庭・個人のあり方など全てを根本から変えていく。

・・・・・・・・・
2002年05月26日(日)
418,価値観の変遷

大学の同期のゼミの男が「価値観の年齢における変遷」
を卒論のテーマに選んだ。
「こいつ凄いテーマを考えたな」と完成を待ったが、
結局テーマ倒れであった。
時間がないということで、断念してしまった。

ーそこで軽く短かい内容で、遊びで考えてみる。
1、中学まではやはり親の価値観にほとんど左右されている。
2、中学、高校は、自分に適した大学、高校選びである。
  マセタ子供なら緊急事態の性欲処理としての異性の確保であろう。
3、大学はそれまでの進学という目標から、
  基礎教養と,会社選びと職業選択の知識の収集である。
4、そして社会人。
  男の場合は、その集約として会社の仕事の把握である。
  そしてその中での出世がポイントとなる。
  女性の場合は、結婚相手の選択が大きい位置を占める。
6、そして家庭づくりである。
  家と子供育て、そして会社では自分の出世、事業ならその発展である。
7、・・・ 
  そして最後は「ころりと死にたいと望む老人の切なる願い」

 以上のようなことが、その年齢でどんどん変化していく。
 以前書いた人間の7年・8年の周期説がある。
 その周期ごとの価値観の変更とも考えることができる。
 それを受身でなく、積極的に自ら変えていく時節。

 どんどん変わっていく価値観と、変わらない価値観がある。
 そして地域によって違う価値観がある。
 その年齢ごとの欲望の変遷でもある。

 56歳ー7年説から考えると、8*7=56歳で変身の歳・時節にきている。
 価値観の再検討、いや今の変えるべき価値観からの脱皮の時節という事か。

・・・・・・・・・・・・
 2001年05月26日(土)
[32] 34年ぶりの文章化

欧州1周旅行(印象記)欧州1周 ー 1967・07~
 デンマークコペンハーゲン)・スエーデン・イギリス
 ・ドイツ・フランス・スイス・イタリア・オーストリア・タイ・・・ 

・34年前の立大三年ー大学の海外旅行研究会が募集した旅行会が募集した
 欧州1周旅行に参加した。
・期間 は30日間ー1967年7月01-30日ー総勢 40名
・ 団長 高木豊 添乗員 玉井 氏であった。 -深井・川崎・酒向・池永・堀井八郎・・

内側(内面。国内)ばかり見てきたそれまでの世界観が一変、
地球の広がりを肌で感じた当時年間20万人しか海外旅行者はなかった。
カルチャーショックで、人生観が全く変わってしまった。
自分の世界の狭さを知る人生の一大転機でもあった。
それまでの総てが粉々になってしまった。
人生でこれだけの楽しみも初めてといってよかった。

その時の印象に残っている事は、
1.まず自分は東洋人ということであった。
 白人の世界で初めてそのことを自覚をしたのだ。それと露骨な人種差別の視線を。
2、欧州の豊かさも想像をはるかに超えていた。
3、また文化の深さに驚愕した。毎日毎日見るものふれるものが、
 全て新鮮で興奮の連続であった。 
 全く事前の知識を入れてなっかったのが逆に良かった。
4.若さにありがちなコンプレックスの塊の自分に初めて自信がついた
 ー行動としては初めてといってよい。

A.まず機内ーー飛行機で食べたヒレステーキーこんなにおいしい牛肉は生まれて初めて!
B.デンマークの街並みの清潔かつ美しさ!
一人で路面電車に乗ったとき嬉しさと不安!
 郊外にあったお城からみた緑と空の色!
 当時日本では殆どなっかったコッテジ風ホテル
C.スウエーデンでみた金髪美人の美しさと着こなし!
 それが北欧の街並みにぴったり!
 そこのバイキングの食事
 ―バイキング方式の食事の存在をそこで初めて知った。
D・ロンドンの王宮そしてビッグベン。イギリスではパブが印象に残っている。
 軽くスタンドでビールを飲める感じであった。
E.ドイツはミュンヘンビヤホールの大きく豪華なこと。
 確か2000人位の客がステージの楽団にあわせて
 ホール全体が一つになり楽しんでいのるのが不思議に思えた。
 なるほどヒットラーが出るわけだと思った。
 また古い街並みと古城のよいハイデルブルグそしてライン下りで見た
 田舎ドイツの何とも言えない深みのある景色。
F.スイスアルプスの登山列車から見る山並み。    
G・オーストリアで飲んだ地酒のワインと生ハムの美味しい味。 
H・パリで見た凱旋門とシャンゼリデ通りそしてルーブル博物館のモナリザの絵と
 ミロのビーナス。そしてヴェルサエル宮殿とその鏡の間。そして庭。
I.ローマの遺跡の数々。
 コロセウム闘技場にトレビの泉。284本の円柱が囲む楕円形のサンピエトロ広場と
 寺院そこで見たピエタの像。地中海のカプリ島。幻想的だったコモ湖
J.帰りに立ち寄ったタイのバンコク―その何ともいえない素朴な景色。
 寺院もどこもかしこも仏教の影響の為か純粋な東南アジアの良さがにじみでていた。
 この旅行から帰ってきて2~3ヶ月呆然自失であった。
 もし神様が人生で1ヵ月時間を戻してくれるとしたら、迷わずこの一ヶ月を選ぶだろう。

 ー34年ぶりの文章化である。意外と憶えているものだー