『生きる力ってなんですか? 』おおたとしまさ(著)
 図書館で、『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?』の第2弾を見つけた。
『生きる力ってなんですか?』のテーマなら、以下の筆者に負けない内容を
書くことが出来るような人生を生てきたつもり? 大した事業ではなかったが、
亀のように、準備15年、実業30年、合計45年を生きた経験から言える
言葉がある。何の実態のない得体のしれない事業に、誰一人、助けてくれない。
そこで、まずは、助けてくれる社員を、集めるしかない。何も無いところに、
自分のイメージを計画に落として、それを「カ・タ・チ」に移行していく。
 カ=神のカ、発想、着想。 タ=田圃のタ、枠組みつくり。
チ=血、エネルギーの投入。これを一人、こつこつ、作り上げていく
実践が「生きる力」として作動する。
   〜アマゾンの内容紹介〜
≪ 新学習指導要領のメインテーマ「生きる力」について各界の識者が語る。
「システムが存在しない場に自力でシステムを作り出す」 ・・・内田 樹
「手足がなくて幸運でした。自分の方法を編み出せたから」・・乙武 洋匡
「いやな会社はとっとと辞めろ。女は自分で稼げ」・・・・・・西原理恵子
「正しい生活のためにちょっとの工夫ができること」・・・・・C.W.ニコル
「自分だけじゃなく地球のことも考えられる力」・・・・・・・椎名 誠
「もめごとは肥やし科と異性を学ぶ科へどうぞ」・・・・・・・高濱 正伸
「エベレストに登ったのは生きる力を維持するためです」・・・三浦雄一郎
   (「BOOK」データベースより)
「勉強ができるだけじゃダメ!」「じゃあ、何が必要なの?」「…」答えられない
大人のために、7人の識者が語りました。大人気シリーズ第2弾。親子で読んで
語り合えるように、子ども用のページと大人用のページに分け、ほとんど同じ
内容を、子ども用にはできるだけやさしく、大人用には詳しく書いている。
   (カスタマー・レビュー)
生きる力をとは、最短距離で生き延びるための付け焼き刃のマニュアルを教え
込むことではなく、いかなる咄嗟の危機が差し迫って来た時でも、丸腰の状態
で平然と対処出来る能力のことであると思う。たとえ何度失敗したり遅れを
とっても、その都度その道の先達に衒いもなく教えを請うて絶えず修正しながら、
晩年になってでも再起出来る復元力が必要であると思う。
 政治家や教師が幼児化しているのは、子どもの頃に葛藤を避けたりケンカを
しない様に教えられ、異質なものを受け容れずに大勢に迎合したり、従わない
ものを無視して斬り捨てる教育を受けてきたからであろう。
この本ではそれぞれが小児期から老年期に至るまでの自分の現体験が綴られて
おり、7人とも劣悪な家庭環境や劣等生から如何に人生の師を見つけて立ち直り、
独自路線を切り拓いていったかが簡潔に述べられており、子供よりもこれから
でも教育されるべき大人に読んでいただきたい書である。 ≫
▼ 現在の私の生きる力は、誰に頼まれた訳でもない、毎日の少し厳しい日程を
 こなすこと。どの時間帯も、充実をしているが、そうしないと、精神が大きく
揺らぐ可能性がある。 丸腰で異質なものとケンカをし続けなければならない
のが「生きる力」である。 内田 樹の、「システムが存在しない場に自力で
システムを作り出す」ことこそが、「人生の生きる力」である。そこには、
血と汗と涙がつまっている。

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5186,修羅場の極意
2015年05月27日(水)
                  『修羅場の極意』佐藤優
  * カネがないのが最大の修羅場
 月末の運転資金が足りないなどの資金繰りの修羅場を経験をしないで事業を
終えることができたのは不幸中の幸いであった。現在、中小・零細の三分一が、
資金繰りに追われる修羅場状態という。身近で、倒産時の修羅場をみてきたが、
正に阿修羅、いや獣のごとく!であった。そのため先年、知人が自殺に至った。
『修羅場の極意』の巻末の西原真理子と、著者との対談がリアル! 
≪ 西原: 夫が病気になって思ったことですが、人間は必ず病気になる。
 病気にならない夫も、潰れない会社に勤めている夫も、浮気しない夫も、
 この世の中には存在しません。そのとき、専業主婦だったら家の中は
 滅茶苦茶になる。夫が倒れて、自分に子どもを養う力がなければ、
 家庭は修羅場になります。専業主婦は極めて危険な仕事です。
 夫を治すために莫大なおカネがかかり、半年後にちゃんと死なせるため
 にも莫大なお金がかかりました。 最大の修羅場はおカネがないこと。
 おカネがないと、たいていの人は獣になってしまいます。おカネがないと
 男の子は泥棒に、女の子は売春婦になる危険性が高くなる。
 自分の娘と息子がそんなことになったら、人生最大の修羅場と考えている。
 それさえ避けられれば、ほとんどのことはどうでもいい。
佐藤: 西原さんの修羅場の対処法を整理すると、まず、最悪の状況を
 シュミレーションをしておく。それで、原因を理性的に分析して、
 危険な芽をつぶしておこうということですね。
西原: 子どもを東大に行かせようなど高望みしない。いい子に育てようと
 いった漠然とした理想も描かない。最悪の危馨理から逆算するのであって、
 上は想定していません。
佐藤: いいじゃないですか。東大を出て超有名企業に勤め上司の顔色ばかり
 うかがって、人間としての誠実さを失っていくようなエリートはいっぱい
 いますが、そんなふうになっても仕方ないのですから。
西原: そうですね。人に好かれる、何か言われてもはね返せる強さが身に
 つけばいいなと思っています。人に好かれるって一番の財産ですよね。
 それと、女の子は他人の中傷とかにすぐへこんだりしがちですが、
 それさえ気にしないで生きていける強度があればいいと思っています。≫
▼ 普通の子女が金に困り売春する金額は世界共通で、その地域の一週間分の
 給料分で、日本では4〜5万円が相場とか。対談相手の漫画家の西原真理子
は、夫の酒乱に悩まされ、末期ガンの夫を見送った手記は、日常生活の修羅場
そのものだったという。私も、事業をしている時、『起こってしまった難題に、
更に最悪を想定し、そこから対策を構築』していた。その積み重ねが、喩えば、
シェルターとか、避難ボートの準備だった。また、事業計画の段階で、最悪を
想定して、逃げ口を念入りに想定した。でも、こんな大津波(情報化社会)が
やってくるとは、思いもよらなかったのが本音である。事業で、お金は、
空気と同じで、きれた瞬間が死(倒産)である。そこから逆算しての
安楽死が事業にはある。安楽死は、自分でしか決断出来ないため、悲喜劇が
繰返される。その三分の一の経験だけは、したくはなかった。父の口癖、
『金がないのは、首がないのと同じ! 万一を想定し、備えを整えるべし』
の実践が最後には救ってくれた。準備があれば、最悪を冷笑する視線が生じる。
『こんな面白いことはない!』という、自虐的な、地底からの視線である。
鼻声で、他人の不幸は蜜の味という何への、侮蔑・汚蔑の視線が面白い。
ところで事業生活45年の、どの部分を切りとっても、修羅場と天国。
商売、事業とは、本来そういうもの。 両方とも楽しむのがコツ。
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4821, 「事業人生を決心して45年」の語り直し ー3
2014年05月27日(火)
  * ジャスコ入社と、新井石龍禅師の一喝!
� ジャスコ岡田屋に入社。幹部候補の特訓のためだが、そこは激烈な仕事量と、
売場と店の急速配転で、疲労困憊の極地。 知らぬが仏とは、このこと。そこは
戦場の真っ只中。自分を鍛えるには絶好の場所だが、実際は、3K、4Kの世界。
悪くいえば、当時の流通業は溜めの世界。それまでのアカデミックの世界とは、
真逆の環境。
まずは、四日市ジャスコ岡田屋本店の配送センターへ。ここが激烈な仕事量。
三ヶ月後には、日用雑貨のカーペットと絨毯売り場へ、その一ヶ月後に、神戸
ジャスコフタギの垂水店へ転勤。合併のための人事交流の尖兵である。
神戸の新興住宅地の駅前店。今度は日用雑貨売場に配転され、まずやらされた
のが新兵を試す瀬戸物の叩き売り。店頭に問屋が持ち込んだ瀬戸物を自分勝手の
売価で売る。あのテキヤの瀬戸物の叩き売りである。 
恥ずかしいのは一時間だけ、これがお客との駆引きが非常に面白い。
安く売れば売上高は上がらない。が、高くすれば売れない。相手が買う値で、
可能な限り売上を上げる。総売上の3割が店のマージンで問屋から入る仕組み。
男はつらいよ」の寅さんが、露天で売っているのは、この方式。
その二ヶ月後が、これまでフタギに無かった靴売り場の責任者に。 
これが面白いように売れた。嘘のような話だが、数値目標の20倍の売上。
その辺りから、目の回るような配転もあって、これで良いのか、自分が事業を
立ち上げるために、これで良いのだろうか?という疑問が湧き上がる。
そして、原点を見つめ直そうと、学生時代に卒論書きのため通っていた六日町の
禅寺「雲屯庵」に、4日間の休暇をとって坐禅のため行くことにした。
そこには一年前にも司法試験の勉強をしていた高橋さんが、そのままいた。 
 そして、新井石龍禅師との問答。私の『思いの他、世の中が厳しいことが
解りました!』に対し、禅師の『世の中は、いつの時代も変わらない。
厳しいと感じたのは、あんたが甘いだけの話。世の中のせいにしないこと』
の御言葉。ガッツンとやられた上に、たまたま慶應を卒業後にハーバード大
ビジネススクールに通っていた学生と、そこの修行僧と、高橋さんと私と夜半、
お茶を飲みながらの雑談に、私だけ、彼らの話についていけないのである。
何か根こそぎ、自分が全面否定されているような大きはショックで、迷いが更に
大きくなっていた。そして、今、学び直さないと、一生、後悔するのではと、
ここで退社をして、独りになりきる必要性を感じ、その4ヶ月後に退社を決意する。
しかし、考えてみれば、自分の身勝手で、勤務先など多くの迷惑をかけていた
ことに なる。我ながら脂汗が滲み出てくる。事業創業とは、エゴ丸出し、馬鹿
丸出しのドンキホーテそのもの!漫画といえば漫画だが、何故か、後悔はない!
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4454,一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー2
2013年05月27日(月)                                          
   * まず「4つの呼吸」を理解しよう   
 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー番場浩之著 
呼吸も座禅と同じく吸い1に対し、吐きが2。ここでは、呼吸量のコント
ロールを取り入れている。その道の大家が言うのを、心を開いて学ぶのが筋。
スポーツジムのヨガ教室では、まだ、これは教えてない。
 ーまずは、その辺りからー
≪「4つの呼吸」では、呼吸量をコントロールしながら、「意識して行う入息」
→「自然と行われる出息」を繰り返す。普段の生活では、呼吸を意識することも、
腹式呼吸と胸式呼吸を区別して行うこともほとんどないので、まず、お腹で
たっぷりと呼吸することからはじめ、段階的に胸にも息を充たすようにして
いきます。この呼吸がゆったりとなめらかであればあるほど、呼吸の波にゆらぎ
の波動があらわれて、こころとからだの芯にに響くものとなります。
A・静かな呼吸
「静かな呼吸」では、丹田を意識して腹式呼吸をたっぷりと行います。ここでは、
胸の呼吸は行いません。鼻からゆっくりとおなかに入れ、2倍くらいの長さで、
鼻からゆっくりとなめらかに息を出していきます。普段の呼吸の40%位。
B・軽い呼吸
「軽い呼吸」は、「静かな呼吸」の要領でおなかにたっぷりと入れたのち、
胸郭下部を左右に開くようにして、胸にも息をみたします(胸式呼吸)。
胸とおなかをゆるめて、その2倍くらいの長さで鼻からゆっくりとなめらかに
息を出していきます。60%位の呼吸量。
C・深い呼吸
「深い呼吸」は、「静かな呼吸」の要領でおなかにたっぷりと入れたのち、
胸郭全体を上下・左右に開くようにして、ダイナミックに胸にも息をみたします
(胸式呼吸)。胸とおなかをゆるめて、2倍くらいの長さで、鼻からゆっくりと
なめらかに息を出す。 こののち「軽い呼吸」の入息と自然な出息を行い、
続いて、「静かな呼吸」の入息と自然な出息を行います。80%位。
D・各自の呼吸
 最後に、「各自の呼吸」を行います。
「静かな呼吸」「軽い呼吸」「深い呼吸」がしっかりとした意識呼吸であるのに
対して、「各自の呼吸」は、「静かな呼吸」→「軽い呼吸」→「深い呼吸」→
「軽い呼吸」→「静かな呼吸」を行ったあとをおさめる、ゆとりの呼吸のこと。
自然とおなかに入息、ゆっくり鼻からなめらかに出息していく、やすらぎの呼吸。≫
▼「40、60、80、60、40%、フリーの呼吸量を繰り返す」、46864
 と「への字」の形の呼吸と思えばよい。 私の場合は、さざなみ、中波、大波、
中波、さざなみ、引き波をイメージして呼吸量を、それにあわせる。
これなら何処でも練習出来る。22歳の座禅体験から始まり暫く休んで、
ここで早朝座禅、瞑想の再開。 悟りにほど遠いが、面白い。
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4080, 老いの見本帳ーダークサイト −4
2012年05月27日(日)
      「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)  
  * 鼻白む出来事  
 ここで紹介されていた新宿の百貨店の地下のベーカリーでの出来事が、
どこにでもありそうなエピソードである。品性卑しからずの70歳すぎの老人が、
盆に乗せていた一斤のパンを落としてしまった。不思議なことに誰も、そのこと
に気づいていないようだった。そこで、その老人は素知らぬ顔をして拾い、元に
戻して別のパンを乗せ変えた。著者は呆然と、それを眺めていたが不快感を
持ったという。正直に店員に話せば普通なら店の方も心得ていて、新しいパンを
取り替え、そのパンは奥に引っ込める。それが、外見に相応しくない品のない
行動に老いのイヤラシサを見せつけられてしまった。 私も雨の中、ある駐車場
から一般道に出るとき、溝の鉄板が外れてしまったことがある。大雨が降って
いなければ元に戻すところだったが、誰も居ないことを良いことに、やり過ごした
ことがある。その後の数年間、その近くを通るたびに自己嫌悪に陥った経験がある。 
今回の倒産劇の中でも、そのことだけは注意をしたが、それでも幾つか悔いの
残る部分はあったが、可能な限り自分の良心に従った。もちろん、落城に付き
ものの手の裏を返した身内や友人が数名いた。 後味が悪い切断は、一生ついて
まわる経験則が無いのだろう? 品性もあるが。最後に残るのは自分の良心との
自問自答だけ。後足で砂を蹴った思いほど嫌なものはない。しかし実は返り矢で、
自分で気づいてないのが本当のところだろう。立場変われば、薮の中で、自分の
勝手の解釈を、それぞれがしているにすぎない。老化からくる偏執は、自分の
価値観の歪曲からくる決めつけの起因が多い。老化による精神の弱体の顕在化は、
そのへんから見えてくる。著者は、「老いは、それだけで、その人の在りようを、
偏屈で意地悪で寂しい老人と決めつけられ、それも安っぽい、底が浅い不良少年に
まつわる物語にされてしまう」と述べている。社会的弱者になる、ということ。
だから、早く自覚をすべきということか。静かに、温かみを持って笑い、
独り読書か、音楽を聴いて、目立たない老人も悪くないが、意地悪ばあさん
じいさんも割り切ってしまえば楽である。 最後は、やはり宗教頼み、
こんな私を神様、お助けください!か。
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3714, ジャズについて −9
2011年05月27日(金)
 モダン・ジャズの誕生 ー�    ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
   * マイルス・デイヴィスが生んだ 「クール・ジャズ」とは ?
【 そのチャーリー.パーカーのクインテット(五重奏団)でトランペットを
 吹いていたマイルス・デイヴィス(一九二六〜一九九一)は、四九年から五〇年
にかけて伝説的なレコーディングをする。このレコードの発明(四八)からほどなく
して録音されたこれらの曲を、レコード会社は『クールの誕生』というタイトル
でまとめた。これは、その名の通り「クール・ジャズ」の誕生を告げたアルバム。
クラシックでは馴染みの楽器、チューバとフレンチホルンが加えられたこの
レコード。 ここでのプレイでは、ビバップにはまだ残されていたドライブ感の
あるビートやホットな音色はきれいに消え去り、かわりにビブラートのない繊細
な音色、明瞭で軽快なスウィング調のビートが生かされた。黒人音楽の伝統で
あるブルース的な表現も極力抑えられており、その意味では、クール・ジャズは
ビバップから‘黒っぼさ’を抜いた音楽、ともいえる。事実、その後のクール・
ジャズは、白人中心の展開を見せる。マイルス自身も白人のアレンジャーである
ギル・エヴァンスや白人ピアニストのビル・エヴァンスなどとともに
「マイルス・アヘッド」「マイルストーン」「カインド・オブ・ブルー」など、
歴史に残る名盤を発表している。また、マイルスはそのキャリアを通じて、
モダン・ジャズの歴史に大きな足跡を残すとともに、つねに新しいアイデア
提供し続けたアーティストであった。 ヘロイン中毒から立ち直った一九五六年
には、クインテットを結成してパートナーにジョン・コルトレーンを迎えている。
この頃のアルバムに「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」がある。
 六〇年代後半には、テナーサックスのウェイン・ショーターやピアノの
ハービー・バンコックらの新進とジャズの枠を飛び出す新しい方向を模索し、
その成果は六九年の「ビッチェズ・ブリュー」で開花することになる。 
エレクトリック・サウンドの導入による、ロックとジャズの融合という果敢な
試みを成功させたこのアルバムは、伝統的なジャズファンの間では賛否両論を
巻き起こしたが、マイルスの名声をさらに高めることになる。七六年には一時
引退し、再びドラッグに手を染めたが、八一年に復活。彼の音楽はより
ポピュラリティを増したものになり、ディスコでもかかるようになった。
日本のCMにも登場するなど、ジャズブァン以外にも広く名前を知られる栄光の
うちに、九一年、六十五歳の生涯を閉じた。なお、四〇年代後半にニューヨーク
においてマイルスによって起こったクール・ジャズは、朝鮮戦争で軍需景気に
沸くロサンジェルスなど西海岸にも飛び火し、ウエスト・コーストジャズなど
と呼ばれるようにもなった。こちらも、中心は白人ジャズメンであった。 】
▼クール・ジャズを要約すると、「ビバップから‘黒っぼさ’を抜いた音楽」
 で、白人中心の展開を見せはじめた。ビバップにはまだ残されていたドライブ
感のあるビートやホットな音色は消え、かわりにビブラートのない繊細な音色、
明瞭で軽快なスウィング調のビートが生かされた。黒人音楽の伝統である
ブルース的な表現も極力抑えられた。この辺になると、ジャズマニアの嗜好の
範疇になる。この辺を意識して、貰った千数百のジャズの曲を改めて聴くと、
それぞれのジャンルを想定しながら聴くと、また違って聞こえてくる。
 ・・・・・・・
3349, 3339, 2011年新聞・テレビ消滅  −3
 2010年05月27日(木)
 「2011年新聞・テレビ消滅 」佐々木 俊尚 (著)
  * 新聞の敗戦
ー第二章 新聞の敗戦ー の内容は強烈。著者によるマスコミの死亡予告。
  その一部分を抜粋してみる
≪ 結論として、こういうことだ。何をしたって助からないものは助からない。
 コンピューターの時代がやってくれば紙のマスメディアが成り立たなくなる
ことは、実はアメリカでは何十年も前から議論されていたが、これまで
「こうすれば何とか生き延びることができる!」という話は聞いたことがない。
もう紙メディアは「さようなら」である。≫
 ここまで書いて良いものかと一瞬思ったが、著者の言うとおりである。 
さらにいう、≪ 新聞は再販制度に守られてぬるま湯に浸り続け、あげくに
押し紙」などという発行部数の水増しを行って弱小新聞売店をいじめてきた
流通寡占と広告減少が密接にかかわっている(中略)寡占が進むと供給者と
需要者の間の情報を取り持つ広告の機能がなくなってくる(中略)メーカーなど
の供給者は、マスコミを通じて直接需要者に宣伝するよりも、強力な流通業者に、
セールスプロモーションと称するカネを払って、自分の商品を売ってもらう
ほうが効率的という考え方になる新聞、テレビが来年、消滅するというより、
壊滅するのは間違いないようだ。地方の新聞社にとって三行広告というのが
隠れた収入源だったのが、アメリカでは、これがネットにより崩壊過程にある。
「売ります」「買います」「仲間募集」といった個人広告がそうだ。≫
▼ 何度も書いているが、アップルのタブレット式のiPadが明日発売
 されるが、これが新聞の息の根をとめる役割になる。日刊紙だけでなく、
週刊誌も、月刊誌もだが。3〜5年もしないうちに、全国紙が倒産か、大同
合併をするしかない。総部数も半分か三分の一になる、といっても実感が湧か
ないが。新聞記者より、端末を持って現場にいる人の方が、情報を先取りし、
共有してしまう。さらにミニブログツイッターが爆発的に普及しているが、
これも影響してくる。電子化の波は、新聞、そしてTV局を破壊する大津波である。 
次は、テレビ、いやテレビ局の崩壊について、である。