つれづれに

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   今日のYoutube

 まったく、一週間の経つのが早い! 数日前に、シネマ館で
  映画をみたと思ったら、明日が金曜日である。

 



・・・・・・

2862, アメリカ発 世界自動車危機
2009年02月04日(水)
 一昨日の22時・Nスペ「アメリカ発 世界自動車危機」には、驚いた。
  ーまずは、NHKの・HPの番組紹介ー
《 20世紀の世界経済を牽引してきたアメリカの自動車産業が、メルトダウン
 ともいうべき崩壊の危機に直面している。2008年、金融危機の炎はまたたく
間に自動車業界に延焼。 旺盛だった自動車の需要は一気にしぼんた。GMを
始めとするビッグスリーは経営危機に陥り、トヨタなどアメリカでの販売で
利益を上げてきた日本のメーカーも深刻な打撃を受けている。なぜこんなことに
なったのか。関係者への取材で浮かび上がってきたのは。長年のビジネスモデル
を延命させるために作り出された「架空の消費」である。売り上げをのばすため
自動車ローンの審査が極限まで甘くされ、ウォール街が推し進めた証券化ビジネス
と手を結んだ車販売のシステムが広がった。それが今回の金融危機で一気に
瓦解したのである。時代は次のビジネスモデルへ向かって急展開を始めている。
大物投資家なども参入し、業界再編後を見据えた電気自動車など環境対応車
時代への模索が加速している。 自動車業界の歴史的な大転換を、現場の動き
から明らかにしていく。》
▼ 以上だが、これを録画にとって朝晩と二度見たが、アメリカ金融崩壊の
 デルを目の当たり見せられたようだ。GMのローン会社GMAC・元ナンバー
2の人の語る内容がすざましい。GMと、販売会社と、GM子会社のGMACの
三社のシステムの構図は住宅サブプライムの自動車版。販売会社はGMACから、
ほぼ無審査で買い手にローンを組むように依頼されており、ホームレスにも
ローン付きでクルマを販売していたという。そのローンはGMACで各種債権と
混ぜて、格付けがAAAになるように加工され世界中にばら撒いていた。   
(字数の関係でカット 12年02月04日)

・・・・・・
2008年02月04日(月)
2497, 無くてはならぬもの -5    YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
              佐古純一郎著 「無くてはならぬもの」
  * 何を信じて生きるのか   ー不信の中の絆ー
この本の中で著者佐古純一郎はー「理解しあうことがあってはじめて
信じることができるのではなく、信じることができてはじめて、理解しあう
ことできるのである」と述べている。
 P-164で、 人間が、犬と猫と根本的に違うのは、人間が人格的存在として
つくられたためである。そのことに、どこまで人間はめざめているのだろうか。
本能とか、社会における地位や身分とか、その他いろいろな点で人は千差万別
といえよう。しかしそんな差別は、実は何でもないことであり、人は神様から
つくられていることにおいて、まったく平等である。ー と述べている。
ところで、ここからは私の論になるが、信用を逆手にとって言葉を巧妙に操り、
人間の良心を悪用する輩が巷に闊歩している。それは巧妙であるが、所詮は
中・長期的に馬脚を現しているのである。 自分が騙していること自体に
気づかないから始末が悪い。その手法を一番してはいけない相手に対し巧妙に
仕掛けるのである。 それも、己の行為が騙しという意識がないから、
尚のこと始末が悪い。カントではないが、人間には良心が必要である。
宗教と倫理こそ信じるべき道標である。他人ごとでない自分自身のことでないか。
「これこそ愛」などと思いは、すべてが勝手な思い込みでしかないのである。
人を愛するなど簡単には出来はしないのである!だから親の愛こそ必要となる。 
しかし愛は心だけではなく、力と知恵が必要となる。
以下は、当時の自分の気持ちの中で最も突き刺さった部分である。  
 P-183  じっさいは、私たちは善をしようと思う気持ちが切実であっても、
そういう自分の意思をそむいて悪をしてしまう。パウロはそのことを次のように
告白している、「自分は善をしようとする意志はあるが、それを行う力がない。
・・・私はなんと惨めな存在なのだろう。だれか、この死の体から、わたしを
救ってくれるだろう、」ほんとうに自分の善をなす力のないみじめさを、
このパウロのように、苦悶にまで深く掘り下げないのでないと、宗教の世界に
ふれるということはできないかもしれない。宗教などいらないという人は
毎日の生活のなかで、自分をごまかしているのではないか。自分には他人を
愛する力がないのだということに、みじめさを感じるほど、私たちは、真剣に
他人を愛しようとしただろうか。
▼ こういうことを先に気づくか、後で気づくか?人生は、口先だけでは後で
後悔の日々になる!青春時代の苦悶は、いや人生は、パウロの言葉に収れんする。

・・・・・・
2133, 閑話小題
2007年02月04日(日)
           オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!
*顔筋マッサージ

先日、「顔筋マッサージ」について書いた。
TVで映し出される代議士の加藤紘一氏が顔が横に広がってきていた。
ところが顔筋マッサージをしたら、たちまちスッキリした云々と文藝春秋に書いていた。
その時に「参院幹事長の片山虎之助がすればより効果があるだろうに」と、
面白おかしく書いていた。縦より横の方が広くみえるほど頬の肉が張っている。
それが数日前のニュースで片山の顔が映し出されたが、見事なぐらいに
スッキリと以前とは見違えるように変わっていた。
あれぐらいスッキリするのだから、丹念に時間と回数をかけたのだろう。
しかし、今朝のモーニングショーに片山虎之助が出ていたが、
元に戻っていた!マッサージをしていなかったのか?

私の面白そうなので毎日10分ほど始めたが、まだ効果はでていない?

*一連のバラバラ殺人事件について

セレブ?の二件のバラバラ殺人事件、考えれば考えるほど問題の根は深い。
普通の家庭で育った普通の人の事件だからである。
それも人間の死体をバラバラに切り刻むなど考えられないからだ。
そのような異常な事件が次々と毎日のように起こるから・・・
何かが壊れてしまったのだろうか?
身近でも、先日に異常な行為をする幼児の話を聞いた。
やはり両親の離婚とか家庭内不和が大きな原因である。
それと情報化で手軽に色いろな情報が無防備に入りこむ。

私もレンタルDVDを毎週のように借りてくるが、殺人絡みの内容のものが
多いから気をつけなければならない。
酒を飲んで泥酔したのはよいが、翌朝留置場に入っている云々が・・・。
何の裏づけのない人生経験しかしてない若い人が切れたとき、
殺人を犯してしまうのも解らないでもない。
毎日のように映像を見て刷り込みされてしまっているのだ。

そういえばバラバラ殺人事件の映画も去年だけで何本か観ている。


*また一人倒れる!

中・高校時代の友人が進行したリンパ癌になって入院と聞き見舞いに行ってきた。
まさか彼が!と思っているうちに、自分の順番もくるのだろう。
長岡からホボ一歩も出たことのない+-の両面を持った男である。
進んで幹事などを買って出ていた人に慕われた男である。そういえば、
「私設・桜井良子の現地秘書』と陰口を言われるほどのファンで、
携帯で何時も連絡を取り合っていた。

あの辛口の女評論家、地元の同級生の同性には如何いうわけか、嫌われていた。
理由は幾つか聞いているが、・・・
十数年前に、家内から聞いた話がある。
ーこの人の講演会を開いたおりのこと、嫌われているのか
聞きにいく人がいないので、と友人に頼まれていった。
ところが、彼女の言わんとすることは、こんな小さな世界の老舗とか、
何処の誰それとかに囚われないで、大きく目を世界に広げるべきである、
あんなたち、もっと自由になりなさい!とかいう、内容だったという。

当にその通りである!×10. しかし、そこに来ているのは、その小さな世界の
因縁から出ることのできなかった人たち。それも、その何処が悪いのか!
としか考えられない視野しか持ってない。それも汗水流して観客?を
動員した人と、嫌々ながら聞きに来てやっている女性達。
『その汗と白けた聴衆と、桜井の段差があまりにも大きい!
所詮は評論家ね!』というのが家内の評価だった。ー
_〆(。。)に値しないレベルのことだが・・・

親父コンプレックスが、あの鋭い批評の裏に隠されているのだろう。
どうでもよいことだが、話はかなり大きく逸れてしまった。
大きく振動していれば、それだけ小さい振動をつぶしてしまうということ。

 このところ中・高校の同級生が毎年数人は倒れる。

・・・・・・・・
2006年02月04日(土)
1768, セブン・イレブン
           (o゚▽゚)o オハョ~
         (朝´∀`){♪Good Morning♪}(´∀`朝)

ここで取り上げるのは、コンビニではない。
バブル期の旧住友銀行の行員の猛烈社員ぶりを端的に顕す言葉である。
(行員は朝の7時から夜の11時まで仕事をしているという)
あくまでも誇張した流布と思っていた。
ところが、
「新婚さんいらっしゃい」のTv番組で、三井住友の行員が出てきて、
奥さんが旦那の猛烈ぶりに欲求不満?と嘆いていた。

      その旦那の一日の日程とは!      
      4時 起床、        ̄□ヾ)ネムー
      4時半 家を出発、
      6時前に会社近くにあるロイヤルホスト
         朝食を兼ねて仕事の準備、
      7時出社、~
      ~23時に帰路、
      0時過ぎに帰宅、
      1時就眠・・・
      土曜日は一日寝て、
      日曜日に家族サービスという。
       聞いて耳を疑ったが、噂は本当だった?
       若いうちは、ここまでしなくては仕事をこなせないのだろう。

生々しい金融の世界で、このような生活をしていたら世の中の人間、
全て馬鹿にみえてくるだろう。
これに高速配転で鍛えられるのだから、能力は蓄積されて当然である。
地方などにきたら、いるだけで腹が立って当然だろう。
地銀に出向になってきた都銀の行員と地銀の行員の意識と能力の段差は
埋められないという。
      どちらが良いかは、
      全く違う問題になるが!
                     ヾ( ̄◇ ̄)ノ))バイ
  ・・・・・・・  
 2005年02月04日(金)
1403, 人口減少経済の新しい公式
           ー 読書日記
ー縮む世界の発想とシステムー

この本を読むと日本の将来に対し非常に悲観的になる。
解っていたことだが、ここまで理路整然と日本の悲観的な現状を
人口減少という面で指摘されると・・・
本屋で並んでいる日本の将来の悲観論より、
何げなく人口問題で指摘されると、やはりショックである。
考えてみれば、経済の本質は人口問題である。
その減少ということは、それも労働人口が激減するというから、
これに対する手段は考えにくく、悲観的になる。

ーまえがきーの一行目からして刺激的である。
「今日は、2015年の大晦日。今年も企業の売上高は前年を下回った。
そうした状況はもう何年も続いている。新聞でも経済成長率をいう言葉は消えて、
「経済縮小率」という用語が一般的になった。
しかし経営が悪化する企業は殆んどなく、景気の現状を不況というひともいない。」
ーー
以上だが、
地方経済、特に新潟や札幌などのデフレなど、
不況を直撃している地区にとって現状そのものである。
これからの変化は一挙に迫る極大値後"(2008~9年)の世界に突入する。
速すぎる日本の人口減少高齢化により自然と経済成長率が最も低くなる。
極大値に達した後の日本経済の破裂がこれから起きようとしているのだ。

経営環境の激変の原因は、2030年に3分の2になる労働力の減少問題であり、
そのために縮む経済規模にある。
(この時期の人口は14,2?減だが,
 労働時間と労働者人口の関係で33,4?の労働力減になる)
労働人口の減少は、生産設備の総量を減らすことになる。
遵ってスリム化が企業経営の基本になる。

今までは、都会ー特に首都圏が豊かであったが、今後は地方が豊かになる。
老齢化により都市圏における生産性が極端に落ちていく。
元々老齢化が進んでいた地方が逆に豊かになり生活水準格差が縮小していく。
先ずは公共サービスの見直しが迫られる。
現行の年金制度も維持できなくなる。
公共事業も半減せざるを得なくなるのも自明のことだ。

社会は全体より個人が優先されるようになり、
働かない自由も、世間一般的に承認される。
またライフスタイルの多様化がますます進むことになる。
「人口減少経済」の中にあって、日本の経済システムの再構築が
おこなわれなくてはならない。
地域経済システムの再構築が当然の事として、おこなわれる。

人口減少下の生活設計も根本的に変えざるを得ない。
ソ連の解体と同じ結果が待っているのだ。
解っていても、どうにもならない事態である
勝ち組は一部に限られ、大部分は負け組みという形で収入は激減する。

いずれにしても、これからの若い人にとって「断絶の時代」が待っている。

ーーーーーーー
ーある書評
日本経済新聞 朝刊
(2004年6月20日掲載)
 
「人口減少経済」の新しい公式、
方策の問題点突き、通念崩す
――松谷明彦著

 一国の経済の運営は長期を考える「参謀本部」を要する。
日本ではその役目を霞ケ関が担ってきた。
この本の著者はまさに霞ケ関出身であり、その使命にふさわしく、
長期を熟慮した大いなる問題提起の本を書いた。
人口減少という、避けてとおれない重要事をつきつめて考察し、
しばしば提起されるふたつの逃げ道のあやしさを衝(つ)く。

 ひとつは出生率の上昇である。
働く女性がふえてもスウェーデンのように子育てと両立する雇用慣行、
ファミリフレンドリイな施策をとれば、高齢化は防げる、という方策である。
他は、昨今の経団連の提言のように外国人労働者をいれて問題を緩和しよう、
という方策である。

 このふたつの提案を人口の分析というきわめて確度のたかい
根拠から否定する。出生率の回復をまつ前にもう高齢化がきてしまう。
そして外国人労働者で人口高齢化をふせぐには、二十五年後までに
二千四百万もいれねばならず、しかも問題の先送りにすぎない。

・・・・・・・
2004年02月04日(水)
1036, 一人遊び -2

以前「一人遊び」を書いたことがあるが、再び書いてみる。

一人遊びができれば人生の問題の大部分を解決できるだろう。
自己完結をしたことになるからだ。
一人で散歩をして、読書をし、一人食事をして、一人で考え、一人街を歩き、
一人買い物をして、一人で旅に出て、一人仕事をする。
一人遊びは人生を通して、特に晩年に要求される。
これは訓練と練習で身につけることが可能である。
しかし長い年月の積み重ねが必要である。
その積み上げた一人の楽しみを知ってこそ、人との楽しみも数倍に膨らむものだ。

いま35年前の日記を書き写しているが、一人でよく遊んでいたことに驚く。
若かったことと、遊ばなくては神経のバランスが保たれなかったのだろう。
それが結婚を機にして、一人遊びのカタチが変ってしまった。
本屋まわりや、散歩や、読書や、ホームページの書き込みや、
図書館通い、などなどの一人遊びをしている。
大人数の末っ子ということもあって、あまり人に気をつかうのが嫌なのだ。
といって、多くの人の周りにいたいのだ。

ノイローゼとか、精神症は他者に依存をしようとする姿勢から生じる。
群れの中で自分を見失っていくのだろう。
連れ添いに先立たれて、友人も次々に亡くなった時に真の一人遊びに
なるのだろう。
  以前書いた「一人遊び」の内容をコピーしておきます。
ーーー
2002/01/05
一人遊び

孤独に強い人かどうかは、一人遊びができるかどうかにある。
一人で楽しみを見つけ遊ぶ・・・、
書いていて気がついた、それって「お宅」でないか。
似ているがやはり違う。
それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのでは?
結局中途半端のそれをいうのではなかろか?
字のとおり「お宅」は部屋に引きこもって自分の殻にこもった状態をいう。
山登りや釣りなどは、一人遊びの典型である。
別にそれをお宅とはいわない。 読書好きの人もお宅といわない。

ところで私の強みは孤独に強いことだ?
人に何かを求めないこと、求めてもそこに何もないことを、
経験上知っている。 結局人間最後は一人だ。
自分をボールに見立て、一人でバウンドさせていくしかない。
そうしていれば、人が面白そうと自然に寄ってくる。

「禅」とは、その修行によって、字のとおり単(一人)を示すことだ
「示単」。これはある有名な禅僧から直接聞いたことだ。
そこで自分の好きのことを見つけ、
それを楽しむことから始めなくてはならない。その積み重ねが個性を作る。
ノイローゼになる人をみていると、これができない人だ。
常に人に何かを求めているか、頼っているからだ。
「人は人、我は我、されど仲良く」が、一人遊びの本筋である。

・・・・・・・・
2003年02月04日(火)
671, アルカイダ

「お前は言葉のアルカイダーだ!」
土田氏の葬式に出たときの「しのぶ会」で,ある同級生にいわれた言葉である。
同級生『ヘンな奴に何をいわれても「あの馬鹿!」で済むが、お前の奴は
ズバリ核心を言うからな~。・・・・お前は言葉のアルカイダーだ』

私『じゃ~お前は下半身のアルカイダー!』
同級生『・・・・・・』
これは私の瞬時の答えである。
同級生同士が酒を飲んで他愛もないことを言い合っていただけだが。

「何々のアルカイダー」は何でも使えそうだ。
銀行のアルカイダー化が今の日本を駄目にしているとか。

私の学生時代の専攻が「社会学の人間関係学科」だったから、
どうしても人間の本質を話すので、聞く人はグサリとくるのは解る。
別の男が『それよりもっと凄い言葉がないか?』と言ったが出て来なかった。
それではアルカイダーが正当化されるか?
自殺を正当化して、それを武器にするテロは正当化されるものではない。

城下町のような固定化社会では、なるべく波風を立てないで真実より目を逸らす
方がよい。でも言いすぎであるのも事実である。

 ・・・・・・・・・・
2002年02月04日(月)
321、宗教的真実について-1

・「もし、私の聖書の読み方が正しいとすれば、神があるがままの
人間を愛される、あるべき人間の姿を期待して愛されるのではないのです」
(ジョセフラブ・神父)
 ーこの言葉でハッとした。あるべきという視点で人を見ていなかったか? 
マイナスをマイナスとして愛すということ?
だから、こうあるべきとかいう自分の価値観で人を見るべきでない
という理屈は納得する。 宗教は真実を気ずかしてくれる。

・「聖書は事実でないかもしれないが、真実である」
ーこれもいい言葉である。
聖書の創世記では「アダムとイブの時代」は7000年前という。
150億年前のビッグバンとはあまりに差がありすぎだ。 
  私が神に対する知識といえば
「人間を自然をここまでならしめている天地創造の存在」
「人間の創り出した手前勝手な絶対的存在」
「人間が持っている共通意識の絶対存在」
「言葉が造り出した理想的バーチャルの世界の絶対者」
「人間が創りだした自然現象に対する畏れの神格化」

・・・・・・・・
2月4日 火曜日 1969年

朝8時半、母屋から電話で起こされる。
誰だろうかと、思ってでると中条さんだ。
アルバイトで知り合った人だ。
石原慎太郎と美濃部の都知事選挙で、数日間宣伝カーでマイクを
ガナッタ連れであった。
数日間、そのアルバイトからの帰路、寮が近くにあり
飯田橋の駅から二人で話をしながら帰った。
富山県のおっとりした芯の強い人だった。
その後オーストリアに留学をした寮隣の部屋の河路さんと親しくなった。

その妹分の洋子が、今日これから荷物をまとめて帰ってしまうという。
洋子は躊躇をしていたようだった。
本人と話をしていると、胸がつまって何も言えなくなる。
自分がおかしくなって涙が出る。
彼女も泣いていたようだ。

三年の時によく合コンで気があって何時も一緒だったが。
学生時代で女性では一番心が通じた一人であった。
私の好きなタイプの品の良い、素素としたお嬢様タイプの美しい人だ。
一年間全くの接触が無かったのに、このタイミングの電話は厳しい!

中途半端に、何もいえないで電話を切ってしまったが。
見送りに行くべきであったのだろうが、不意なので思いもつかなかった。
でも、これから故郷に帰ろうという直前に電話をくれたのは嬉しい。
そういえば、去年の二月初めやはり(仁科)ヨウ子という名前の人が、
これから帰るという電話が来たことを思い出した。
女性の場合、そういう時誰かに電話や手紙を出したくなるのだろう。
毎日のように一人一人と別れになる。

部屋に帰ってきて再び寝る。
何かどうにもならない自分に対してヤケ寝しかない。
13時に起きて食事をして、そのあと試験勉強をして風呂に行く。
その後、彼女に2時間かけて手紙を書く。
恋愛感情はなかったが?やはり寂しい。
はっきりいって、自分でも自分の気持ちがわからない。

しかし一度も誘わなかったことが恥ずかしい。
心からぶつかってきてくれた事がよい思い出だ。
いい加減さを突いてくれたことも、はっきり憶えている。
と強がっていても、今かなり動揺をしている。

仕方のないことだ、今さら時間は戻せない。
お前は傷つくのが怖いだけなのだ。
その自分をどうしようもない。
また、1人と最後のお別れだ。
いまの、それは一生会う事がないだろうから、キツイ。

いまは学生時代そのものと別れているのだ。
自分ももうすぐ旅立つ!