つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 
    今日のYoutube
 8年前の下記の文章があるが、この9ヶ月後に、
リーマンショックが発生し、アメリカの証券会社の多くと、
自動車ビッグスリーが国家管理になり、大手企業も多く倒産した。
そして、三年後に、経営していた私の会社も整理に至った。

 アメリカは、為替の暴落をすることなく、ドルを三倍に増やし、
何とか、切り抜けたが、世界市場は、その整理がついてなく、
今年あたりから、そのマグマが吹き出ようとしているのが、
この株価の暴落の正体。 マグマは決して消えたわけでなく、
地下で、そのエネルギーを煮えたぎらせてきた。その分、
爆発すると、止まることはない。中国や、ロシアなどに、
その波紋が出てきて、目先を誤魔化すため、下手をすると
戦争になる。 
・・・・・・
2478, 「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 -1
2008年01月16日(水)
                b(^o^)d w(^0^)w オッハー♪
 昨日の毎日新聞の 
 ~記者の目:黄昏の米国「多元的世界経済」へー(内野雅一)が刺激的。
 サブプライム問題の深刻化と同時に、景気の減速どころか、
「恐慌」が現実化をしてきた。 機軸通貨ドルへの信頼感からアメリカへ
 還流していた資金が原油と金、そして穀物にも向かっている。
 またアメリカ一極から、資源大国ロシア、中国、中東諸国へと、
 「多元的世界経済」へ変化を始めた。
 その移動過程で、一番影響を受けるのがアメリカと日本であるのは自明。
 年末年始にかけてサブプライムや社会的格差の実態をNHKが
 ゴールデンタイムに放送した。それだけ事態は深刻ということである。 
 
 *まずは、その記事である。
  ーーーー
 「東証一時765円安」「大発会で最大の下げ」「原油高で大波乱」。
1月4日付主要各紙の夕刊1面の見出しである。普段ならご祝儀相場となることが
多い年頭の株取引・大発会が「波乱の幕開け」になったことを伝えている。

 そのころ発売中だった、私たちがつくっているビジネス経済誌週刊エコノミスト
新年合併号の特集は「世界恐慌」。辞書によると、「恐慌」とは
「景気後退にとどまらず、企業倒産や失業が急激かつ大規模に進行する現象」とある。
 悲観的過ぎるという批判は、甘んじて受けよう。読者からも「恐慌までいったら、
あとがなくなってしまいますよ」といった声が届いた。が、私は確信犯だった。
「世界経済は大転換」を、過激とは知りながら「恐慌」の言葉に込めた。

 そう考えた理由は二つ。
資金のアメリカ離れ加速と、「原油本位主義」ともいえる原油価格の高騰である。
このことをくしくも、「波乱の幕開け」が裏付けてくれたわけだ。
手前みそだが、合併号はよく売れた。

 中国を筆頭にBRICsなど新興国の台頭が、相対的にテロと軍事以外での
アメリカの影響力を薄れさせている。政治的な分析は専門家に任せるとして、
経済的には、極端な株主重視経営、金融工学を駆使した錬金術、消費至上主義が
支える「アメリカ流資本主義」の行き詰まりがある。
 
 少し振り返ってみよう。 05年9月、総選挙の自民大勝で日本の株価は
上昇に弾みをつけ、自社の株価をつり上げて時価総額を高め、M&A(企業の合併・買収)
を仕掛けた「ホリエモン」を勢いづかせた。マスコミもエールを送った。
しかし年が明け、ホリエモンが逮捕されると株価は急落し、「アメリカ流」への疑問が
頭をもたげた。バブル経済崩壊後、アメリカン・スタンダードを押し付けられてきた
経営者の口から、「日本型経営」の再評価が語られ始めた。
「品格」という言葉が人々の心をとらえたのもこのころだ。

 そして、住宅価格の下落を発端に07年、アメリカのサブプライムローン
低所得者向け高金利住宅ローン)が問題化。夏には、ローンの焦げ付き→信用収縮
実体経済へ悪影響という連想で、アメリカ株が急落した。ホリエモン後、
企業業績の好調さをなぞるように上昇してきた日本株も、つれて下落
当時、ある金融トップがつぶやいた。「どこに爆弾があるか、わからない。
サブプライム問題で、複雑怪奇な金融商品への不信が高まった」
                      ー次回へ つづく
 --
 アメリカのドル基軸は、サブプライム問題で瓦解したのだろうか?
その結論を出すのは早いかもしれないが、今までとは違ってきたのは間違いない。
アメリカの衰退は日本の衰退を意味する。
                     ヾ(=・ω・=)o☆バイバイ
・・・・・・・
2007年01月16日(火)
2114, セレブ殺人事件ーロスト・ジェネレーション
             b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
    
    現在を象徴する事件として多くの意味が含まれている事件である。
    正月から朝日新聞で、この事件を予告するような
   「ロスト・ジェネレーション」をシリーズで連載していた。
    二人の息子も、この世代であるので興味をもって読んだが、
    セレブ殺人事件の二人は同世代である。

 ロスト・ジェネレーションとは、
バブル崩壊後の就職氷河期失われた10年」に社会に出た、
25歳~35歳(2007年現在:1970年代生まれ)の世代を指す言葉として、
朝日新聞が定義した。この世代は非正規雇用が増え、賃金格差が広がった世代。
朝日新聞で元旦から、一面でこの10年の世代を扱っているが、
彼らは自分探し世代、仮面世代、世直し世代などと言われている。
(元々、このロスト・ジェネレーションとは第一次大戦への従軍体験から、
 戦後、社会のあらゆる既成概念に疑念を示し、虚無的傾向のうちに新たな生き方を
 追求した米国の作家の一群。ヘミングウェイフィッツジェラルドら。
 女流小説家G=スタインの命名である。)
    このシリーズでは、彼らの恵まれてない事例を幾つか取り上げている。
   《*食べてゆく為に、悪徳リフォーム会社に夜中の2時まで営業に回れと言われ、
     一週間取引がないと、殴られる。最低賃金10万、成績が良いと100万の月給。
     成果主義だった。
    *派遣先で自分が休んでも仕事に問題ない。
     単調な仕事のなか、自分が必要にされていないと悩み転職を繰り返し、今、
     日本語教師として、韓国に、その前はベトナムにと、自分探しは続いている。
    *就職は新卒での内定がほとんど。いまや、人気企業の倍率は1/1000 。
     作業的な工場は、中国、韓国、などが拠点となりロボットの発展にともなって、
     従業員は減っている時代。残業代もサービスが多く、
     厳しい現実と向き合わなければならない。等々》

セレブ殺人事件の二人の特徴といえば
・セレブといわれる勝ち組であり、この世代では恵まれている。
(被害者は自らを日本で100人の指に入る勝ち組と自認)
・二人からは、人間としての深さを全く感じとることができない、
 成金のピカピカ ーメッキの薄さが目に見えている。
現代の理想像という風潮があるが、それを見事に叩き壊してくれたのが、
この事件であり、大きな問題提起を起こしてくれたといえる。

    ライブドアの堀江や、村上ファンドの村上の挫折に似ている。
    しかし結婚の当たり外れは五分五分。
    この事件はたまたま外れのケースでしかないともいえるが。
    二人とも地方の出身で、大学も1・2流どころで、
    現代社会の表層の世界しか見えなかった背景も見逃すことができない。
    
 コンクリート・ジャングルの悲劇と言えばそれまでだが・・・
 まずは相手を認める訓練が必要である、それも連れ添いを!
 一番むずかしいことは、相手の話をジックリと聞くこと、
 そして、肯くこと、褒めること、そして微笑むこと。
 これ訓練で出きるのです・・・
    
     合コンで知り合って三ヶ月じゃ、無理無理、見極めるのは!
     あんな男、同性でも虫唾がはしる!のに。
     好みも、それぞれだから、これも何ともいえない。
    
 で、どうした!(何をいいたい!)
 アフォな結婚前の男・女諸君、結婚だけはよーく考えて!
 そのヒントは、互いの両親の仲の良し悪しにあるのです!
 ということをいいたかっただけ。
 少し違った、都会のセレブの成りそこない批判でした。
            (o ・д・)ツ  バイ!

・・・・・・・・
2006年01月16日(月)
1749, 心のままに生きてごらん-3
               (゚Д゚*)ノ⌒【おはよう】
鳥はよけいなものを背おわない。
だから、とべるんだよね。            -87
          過去は記憶のなかにしかない。
          記憶はあくまであたまのはたらきで、
          あたまはきりかえがきくから、
          過去も自分でかえられる。  -91
ほんのすこし時間をさくだけで、
よろこんでくれるひとがどれだけいることか。
それなら、それをいとわないこと。        -96
          死にもいろいろと いいことがあるのに、
          ほとんどのひとが わかっていない。
          ということは、この、唯一たしかなことに
          ほとんどのひとが目をむけてないんだ。 
                         -97
    ~~~~~ヾ(* ̄▽)_旦~~オチャドーゾォー♪
なんでも できないひとなんていない。
みんなできる。
すこしはできる。
なにかはできる。                -104
          思うようにならないと
          他人のせいにするのは、
          まちがった列車に乗って、
          列車のせいにするようなもの。 -109

ひとの期待にこたえようとして生きるのは ひとの服をきるようなもの
・・・・・そもそもサイズがあわないし、 色やがらもしっくりこない。       
                         -116
          わすれちゃいけない
          ーみんなせいいっぱいやっている。 -118
          ((≧(≧∇(≧∇≦(≧∇≦)≧∇≦)∇≦)≦)))
おもしろくないのは
あたりまえのきりかえをいやがっているから。      -125

         復讐はみずから苦痛をもとめる行為。 -131
             sosi sosi!!o┤*`□´ *├o sosi sosi!!
人間も牛のむれもおなじ。
てんでばらばらに見えるけど、
少し上からはなれて見れば、
みなおなじ方向へ向かっている。            -150

         おしえるのは他人にできても
         まなぶのはあなたにしかできない。 -152
                 (・ω・`メ)(-ω-`メ)ウ~ン ソウダ!
                 
 「ひとの期待にこたえようとして生きるのは ひとの服をきるようなもの
      そもそもサイズがあわないし、色やがらもしっくりこない。
                       -116
  一生気がつかない人がほとんどだろう。
  まだ人の期待にこたえようとして生きるだけましだが。
  それさえ意識しないで生きている人が多い?
  
  ところで親の期待は、どうなんだろうか。
  一番しばられる期待であるが。まずは親からの離脱が必要か?
  手と指の関係と同じで無理といえば無理と考えるか、
  それとは違うといえば全く違うのか。  
                  ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪  
 ・・・・・・・ 
2005年01月16日(日)
1384, 生きる2004~森山良子コンサート

昨夜、何げなくTVの番組表を見ると
「生きる2004~森山良子コンサート」があった。
森山良子のコンサートを学生時代に見に行ったこともあり、ジックリ見た。
加山雄三さだまさし平原綾香の4人がそれぞれの時間を受け持つもので、
彼女のワンマンショーではなかった。

誕生日に心に残る何かがないかと思っていたが、
これがメルクマールになった。かわいいものだが。
何げなく皇后の来賓席の姿を映し出していた。
そのためか、全員の歌に熱が入っていたようだ。

加山雄三と森山良子は、学生時代の思い出の歌手である。
さだまさしも心の歌をジックリ聞かせてくれるので好きである。
平原綾香の「ジュピター」も好きな曲である。

自分の誕生日の贈り物と勝手に思って聴いたが、部屋の電気を消して
真っ暗の中で聴いていると、実際の会場にいるようであった。
特に、森山良子の歌の全てが心に響く。「今日の日はさようなら」は、
学生時代の22歳の日記のバックミュージックにピッタリである。
私にとっての青春の歌である。

また加山雄三の歌も一曲一曲が当時を思い出させてくれる。
昭和40年代は経済の高度成長期のよい時代だったということだ。
歌は時代背景を、そのまま反映する。
まあ誕生日に丁度よい番組みに当たったということだが、小市民そのものだ。

・・・・・・
2004年01月16日(金)
1017, 足の話-2

 前にも少し書いたが、野球のスカウトがまず注目するのは足である。
リトルリーグから大学を経て社会人になるまで観察し続けることもある。
まず足が速いこと、それによって体のバネや筋肉や関節の柔らかさが分る。
野球はランニングに始まり、ランニングで終わる。
大リーガーのスカウトは、特に足にうるさいという。
イチローや、二人の松井も脚力は並外れている。

 大相撲でも、入門をすると徹底的に下半身ー脚を鍛え上げる。
股割りから始まり、すり足、四股を教えていく。
そして、足指で土を掴まえるようになるまで足を鍛える。
本場所の相撲を見ていて、足に目があるのではないかと思うくらい微妙なところ
で俵の上で残ったりする。そこまで鍛え上げているからだろう。
 
足を辞書でひくと、
「体を支え移動させる機能。たとえば、動物の下肢、立ちまたは歩行の用をなすもの、
タコなどでは遊泳の用をなすもの」等が書いてある。 
 足といえば、「足が付く」「足が出る」「足を洗う」「足を引っ張る」
「勇み足」等々、慣用句にもなっているほどだ。
お金のことを「お足」とさえ言っている。これは、走るように去っていくという
意味がある。いずれにしても、自分の体を移動させる重要な機能である。

 ところで、足の代用として何が考えられるだろうか。
移動手段として見ると、まずは車である。
免許が無いのは、現代イザリとさえ言われている。飛行機、船、列車が考えられる。
このような移動手段の発達が人類の進歩に大きな役割を果たしている。

 海から生物が陸に上がってきて進化する過程で、移動手段としての足は
重要な機能となった。
鳥のように前足を羽に進化させて、空を飛ぶということで移動する生物もある。
また蛇のように一切足を持たない生物もある。逆に百足のようなものもある、
  
 ところで、今の乗り物の多くは生物の機能の真似から出来てきた。
車は馬、飛行機は鳥、潜水艦は魚等。しかし船だけは見あたらないというが。
それと自転車やオートバイなどの二輪車は何だろうか?

・・・・・・・・・
2003年01月16日(木)
648, 流通業界を考える

実家も勤務も前業も流通業界の出身の為か業界のウネリに興味がある。
一般小売店と地方百貨店はほぼ壊滅。その流れが都心の百貨店にきている。
そごう百貨店の倒産、西武流通グループの解体と西武百貨店の再生法。
東急もしかり。三越の不祥事の連続の事態。
これからは高島屋の隠れた問題が吹き出るはずである。

百貨店といっても、その実体は不動産業でしかない。
問屋とアパレル業やメーカーの場所貸しでしかない。
それに優勝劣敗の管理を加えている位だ。
当然、スーパーや大手専門チェーンに侵食される運命だった。

その勝ち組であったスーパーがおかしくなり始めた。
イカル・長崎屋・九州の覇者の壽屋ヤオハンの倒産である。
ダイエーは解体過程、西武流通グループは完全解体、西友外資
買収された。原因は多角化の失敗である。
アメリカのNO・1であったスーパーのKマートが去年倒産したが、
これはシアーズの生活総合業の真似によるエネルギーの分散の為である。

ダイエーは、野球やリクルートとホテルなどの多角化が本体のエネルギーを
そぎ落としてしまった。他もそうだっだ。
勝ち組と見られるヨーカ堂ジャスコは売り上げ経費率が25~28?もあり、
近々大量出店を見込まれるウォールマートの16?の2倍近い。
10年後の流通図が、この数字に全て暗示されている。
この2つが合併しても16?にそぎ落とす事は無理だ。

傍で見ている分には面白いが、これから始まる大競争時代を象徴している。
解体と再統合の繰り返しの始まりだ。これは今の銀行の先行を明確に現しいている。
地銀以下レベルは40年前の日本の流通業に酷似している。
どう収れんされていくのか? 今年からその再編成が始まる。
これは日本の根底の再編成になる。

・・・・・・・・
2002年01月16日(水)
302、事前の一策は事後の百策に勝る

生きてきて、事業を通してつくづく感じる事である。
これは準備の大事さ、計画の大事さをいっている。
ビル計画の場合、出来上がった後「こうしておけばよかった、
ああしておけばよかった」ということが出てきても、その
修正に莫大の費用がかかってしまう。従ってアアでもないコウでもない
と仮説を立て、あらゆるケースを考え設計にエネルギーを叩き込む。

これ以上もう考えられないところまで、考え尽くす。
それをどこまでやれたかが、10年~20年後に結果として出てくる。
宮大工は、自分が死んだ数百年後の修理のことまで十分意識して、
建物を造るという。数百年後の宮大工を意識して仕事をするという。

以前何かに書いたが、成功の言葉は「練り上げ成す」という。
事前の一策を練る事といえる。
一般にみていると、「事前の一策の戦略ミス」を「事後の戦術でカバーしている
プロセスを踏んでいる」ケースが多い。本人はその意識もないレベルだが。
他人事でないか?!事前の一策をどう打つか、立てるかがポイントになってくる。

それでは「それを十分に立てることが可能か?」もちろん「可能」である。
十分な情報収集とその分析に、時間とエネルギーをかけることである。
過去の自分の失敗事例と成功事例を振り返ると、ここに行き着く!
準備とは集中の要である。準備とはなんに集中するかを、とことん突き詰める事だ。
計画中断も一策かもしれない。根本から数回やり直すことも、
必要だったらやるべきだ。やる前ならどうとでも修正できる。
結婚もそれがいえるかもしれない。以前は「足入れ婚」があったという。
数年住んだあとで、籍を入れる、ああそうか今は同棲という形か!

・・・・・・・・
1月16日  1969年

9時起床。
10時前に大学にいって卒論提出。
万歳!これで頭を痛めていた難問をクリアーする。
内容は満足のいく半分のできであった。
あれだけ努力をして、内容はこのレベルでしかない。
基礎ができてなかったのだろう。

あちこちの文章を切り抜いて、自分の言葉に言い換えただけでしかない。
そこに新しい視点を見つけることは不可能であった。
甘さといい加減さが、この内容が物語っている。
以前の自分はもっと自分に厳しかったはずなのにどういうことだろう。

そういえば今日試験があったのを知らなかった。
これをとらないと単位が取れないという。
欠席届を出して、後はどうなるか様子見である。一つ大きな心配が増えた。
ゼミの河村と石川と外山と4人で研究室に行き、助手の横浜さんと話をする。
その後、寮に帰りTVをつけると、東大の校舎で反代々木系全学連安田講堂
たてこもって8千人の警察官と攻防を繰りひろげていた。まるで戦場である。
講堂の屋上からは火炎瓶、空からはヘリコプターが三機もいて
サイリュウガスを撒いている。驚くばかりである。
駒村の部屋に行く。彼とは大きな距離を感じる。その後風呂に行く。

その後部屋に帰ってくると、先輩の永田さんくる。
先日、飲みに行ったばかりだが、また彼と飲みにいく。
先日よりズット落ち込んでいた。
あれだけ強気であった人が、何があったのか弱気なのだ。
もう秘書は辞めて田舎に帰るとか、鼻ー蓄膿症ーが悪くてどうにもならないとか。

午前一時過ぎに帰って、就寝。