『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福の探求
 目次をそのまま掲載したことはあまりないが、深く立入り、全体を俯瞰する
ためにも、あえて載せることにした。目次をランダムに、いずれのページを
開いても、深い響きが届いてくる。「著名な哲学者の父親があってこそ、この
人物あり」を思わせる構成である。西欧文明の真只中で英才教育?の素養が
あればこそ、チベット仏教の真髄が見える。 中村天風の『積極一貫』
『絶対肯定』の人生への姿勢と似ている。中村天風も、チベットで偉大な師
について修行している。
  〜目次〜  ●幸福の探求
 はじめに
第1章 幸福に関する名言        第13章 羨望
第2章 幸福は人生の目的から      第14章 自由への大いなる飛躍
第3章 両面の鏡 内から外から     第15章 幸福の社会学
第4章 見せかけの友         第16章 幸福の実験
第5章 幸福は可能か         第17章 幸福と利他心
第6章 苦しみの錬金術        第18章 幸福と謙遜
第7章 エゴのべール       第19章 楽観主義、悲観主義、世間知らず
第8章 自分の考えが一番の敵になるとき 第20章 黄金の時間、鉛の時間、 
第9章 感情の川            第21章 時の流れと共に
第10章 厄介な感情とその治療法    第22章 幸福の倫理学
第11章 欲望             第23章 死を意識した幸福
第12章 憎しみ            第24章 道
                   瞑想の実践  あとがき
 ーー
 「まえがき」の、何ゆえ、順調なキャリアを捨て、チベット仏教徒に
 なったのか? 親子の葛藤はどうか? 〜その辺りを抜粋する〜
《 ・・前途洋々に滑り出したかに見えたキャリアを唐突に放り投げて
 しまおうとする私に対し、父は失望を禁じえないようすだった。しかも、
「仏教に反対するつもりは毛頭ない。純粋で率直な仏教的教えは、各種
の宗教的教義の中でも独特の立場を確立している。究極の厳密さを要求する、
西欧の哲学者からも重視されていることは事実」と好意的に話しているとは
いえ、確信的な不可知論者である父が、仏教を真剣に受けとめる日が来よう
とは夢にも思わなかった。久しく顔を会わせないのは当り前で、父のほう
からダージリンブータンまで足を伸ばして会いにきてくれたこともあった。
記者の質問に対して、「息子との間をさえぎる雲があるとすれば、それは
アジアのモンスーンだけだ」と応じている。
 こうして私が発見したものは、盲目的な信仰心の強要ではなく、
豊かで実際的な心の科学、利他の心に基づいて生きる技術、深遠な哲学、
内側を本質的に変革する精神的鍛錬などと表現できるだろう。この35年間、
私が理解してきた科学的精神と矛盾すると感じたことは一度もない。
<仏教とは要するに、経験主義的な真理の探求に他ならない>のである。
こちらに来て、「常に幸福」な状態が続いている、という人物に何人も
出会っている。これらの人たちは、一般的に考えられている幸福な人とは
異なり、現実とは何か、何が心の本質か、などを深く洞察し、他者に対する
慈悲心に満たされた状態にある人たち、と呼ぶに相応しいだろう。生まれつき
人一倍幸福を感じることのできる人は世間にたくさんいる。だが、彼らの幸福
は脆くて不完全なものである。これに対し、永続的な幸福を体得するには技術が
必要であること、内側の平静さ、今この瞬間の気付き、利他の心に根ざした愛、
といった人間に本来備わっている能力を開発するには、それなりの努力と訓練が
必要であること、などが次第にわかり始めた。深遠で静寂な観想の方法論と
英知を言葉と行動で具体的に範を示してくれる生きた見本に直に触れる、
という経験は、間違いなく充実した人生を歩むためのお膳立てができた、
といっても過言でない。「私の行動は真似せずに言葉にだけ従え」といった、
真理の探究者を失望させる、多くの教えとは一線を画す本物の教えに
出会ったのだった。 》
▼ 「意味ある偶然の一致」としても、前年の新年明けの
 同月同日に、この幸福論に丁度良い回答をテーマにしていた。
<「いのち」は「わたし」の生れる前からある。
 「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。
 「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。>
このことに気づくため瞑想をし、「永遠のいのち」に宿る「わたし」に
気づいた状態が幸福という。これ以上の明快な答えは見当たらない。
 これを知り、〔「わたし」<「いのち」〕という発想に私も、少し近づけた。
「遺伝子は生物の体を借りて、代々、生き延びてきた」という遺伝子の科学者
のいうのが、遺伝子の「いのち」が、生物のからだ(いのち)に例えると、
少し理解できる。「わたし」が80年の人生を終えても、遺伝子という
「いのち」が生き延びていく、と思えば、死の恐怖は減る。
 「いのち」−「わたし」=「永遠のわたし」 か?
 「いのち」+「わたし」=「有限のわたし」 になるのか?
何か、岸本葉子と、リカールの妖術にかかったようである。
・・・・・・
5055,生と死をめぐる断想  ー6
2015年01月16日(金)
           『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著)
   * 時代という背景
 それぞれの時代背景に相応しい、医療からはみ出た民間の癒しが出てくる。
著者が、それをシンプルにまとめているが、これは大衆の生活の知恵でもある。
癒しは、心奥で誰知れず独り納得するもの。長年かけた信仰を持たない人たち
にとって、手近な癒しに縋るしかない。 〜その辺りを抜粋〜
≪「癒しを生きた人々〜近代知のオルタナティブ』(田邊信太郎.島薗進編)
という本は、そうした煩悶の中でひかれた本だ。タイトルに多くのメッセージ
が含まれている。「癒し」は医療からはみ出た広汎な領域を、考察の対象として
いることを示す。そしてそれをオルタナティブ(代替)な知と位置づけている。
「生きた」は「実践」であろう。実践した当人による主観的な記述でなく、
三者たる研究者が客観的に論じているのも、読みたい気持ちを起こさせた。
取り上げている、それぞれのキーワードを一文字で、著者らは示している。
 坐  岡田虎二郎と岡田式静坐法
 霊  大本と鎮魂帰神
 心  森田療法の心と癒し
 食  マイクロビデオテックの世界観
 気  野口晴哉と「全生」思想
・岡田式静坐法は岡田虎二郎が創始した、呼吸と姿勢を重んじる静坐法。
・大本は出口なおを開祖とし出口王三郎が礎を築いた神道系の新宗教で、
・御魂帰神という技法を特色とした。人についた霊にはたらきかけ、
 その人の口を通じて霊に語らせ、病気その他の問題の原因を突き止めて、
 霊を祓い鎮めることにより解決を図る技法である。
森田療法精神科医の森田藤慰が考案した、神経症に対する独自の精神療法。
マクロビオティックは医師で薬剤師でもある石塚左玄の提唱を、桜沢如一
 が発展させた、狭義には食事療法だ。
野口晴哉は野ロ整体の創始者である。現代にも活動が引き継がれ、健康法
 として修養として今なお多くの人を集め、海外まで広まっているものもある。
森田療法は一章でふれたサイコオンコンコロジーの医師が、欧米の研究者
 から禅に次いで質問を受けるものだと言っていた。
・野ロ整体はカルチャーセンターの講座でみかけ、現在も読まれ続けている。
・マククロビオティックは毎外の著名人が実践していることで知られ、
 レストランや物販の展開、料理本の相次ぐ出版と、商業的にも
 一定の 成功をおさめている。 ≫
▼ どれも東洋的土着の癒し。他に、天理教、お光様など様々ある。
 どの時代も、ストン!と暗黒の穴に嵌まり込み、独り、思い悩んでいる人が、
多く存在する。現に、様々の落ち込んでしまった人を多く見てきたが、確かに
人生は厳しいことの連続。逆に、この暗黒の穴に落ち込んで、独り這い上がった
経験がない人に、恐ろしい未来が待っている。四苦八苦を乗越えてこそ人生だが。
・・・・・・
4690, 身近な貧困 ー4
2014年01月16日(木)
   * 最も貧困なのは、自分の脳! と、人生の貧困
 貧困といえば、その最たるものが己の脳、いや各々方の脳。「無知の知
ではないが、まずは、その自覚が第一歩。脳は暗黒大陸といわれたアフリカと
同じように、未開の分野。何故か一生の間に脳の2〜3%しか使わない。
あっても使えないのは、無くて使えないことより遥かに問題。自分で知恵を
絞って使うしかない。脳活動を邪魔をするのが「自分は他人とは違う」という
逆上せ上がりと、逆に「自分は、この程度」という枠の設定。
まずは知らずに洗脳されたまま、脳を使いこなせてない自覚が第一歩。
ソクラテスの自分は何も知らないという、「無知の知」から出発するしかない。
ところが、それが難しい。最近、スマートフォンタブレットPCという脳補佐
マシーンが出現し、これまで使いこなせなかった高年齢者や、女・子ども気楽に
使えるようになってきた。これで世界が一変してきている。何せ、キーワード
で各々の脳が繋がり、それぞれ蓄積してきた知識・情報・知恵の公開を始めた。
そのアクセスも、記憶補佐マシーンの普及で一瞬で可能になっている。 
問題は、その消化。そのためには基礎知識がベースに必要である。
しかし目標を定めれば、情報と知識はネットから誰でも簡単に手に入る。
チャンスはスマート機種開発に中にある。今年から数年にかけて奇想天外な
面白い端末が出てくる。既にあるが、コスト面で表立ってないが、量産に目処
が立てば大幅ダウンで普及する可能を含んだものがある。「脳の貧困と何を
もっていうか?」の疑問が立つ。 もう一つの貧困といえば、人生の達成感、
充実感。死を恐れる原因の最大の心理要因が、この貧困感。私の嫌う「C」
さん、に多いが、これも脳の貧困が起因している。何度も書いてきたが、
秘境ツアーに来ている初老に差し掛かった人が、けっこう正直に、
『 人生、あまり深く考えずに親の価値観を信じて、ここまで生きてきた。
ところが、残された人生も後僅かと気づいた。このままでは死にきれない! 
世界の果てで独りになって考えるため、ここまで答えを求めてきた。
帰ったら、直ぐに直面する問題が待っている!』と。それでも、
そのことに気づいただけ良い。人間という無限のエネルギーが、小さな
肉体と生活習慣と運命・宿命に閉じ込められ窒息しそうな一生を終える。
これが人生だが、このことに気づくか?気づかないまま、一生を終えるか? 
気づかないのも、人生。亡くなったが、中学の担任の定年時の悩みを直接、
聞いたが、それは深刻だった。「90歳を過ぎた両親に言いなりの人生。
一歩も外に出れないほど苦しいことはない!」 人生の貧困感である。
決して、それが貧困ではないが、初老性ウツである。これも偶然だが、
以下の去年の「我々がみずからに投げかけるべき質問群」に継っていく。
・・・・・・
4323, 財政恐慌 −1
2013年01月16日(水)
              『財政恐慌』浜矩子著
 ここで紹介されている架空の人物のベンジャミンの質問が良い。
現在の経済危機に対する軽い問答形式が問題を解りやすく浮び上がらせている。
  * 我々は今どこにいるのか? ミスター・ビーンに聞こう 
 ー まずは、「人生の不確実性」について ー
≪ これを考えていくにあたって、皆さんに紹介申し上げたい人物が一人いる。
 その名はサー・ベンジャミン・フレッチャー。イギリスの大物政治家である。 
交通大臣や社会保障大臣を歴任、下院議長も務めた。そして、彼は架空の人物。
彼を演じて大反響を得たのが、ローワンナトキンソン。イギリスの怪物的に
異様な喜劇俳優だ。物言わぬドタバタ男キャラクー「ミスタービーン」として、
彼をご存知の皆さんは多いだろう。ミスター・ビーンは何も言わない。
だが、アトキンソンは実は極めて多芸な俳優さんなのである。七変化的な役柄
の演じ分けが得意だ。そんな彼のかつての持ち役の一つが、ベンジャミンだ。
ベンジャミンは、ロンドン市長主催の晩餐会でスピーチに立つ。
市長の晩餐会はイギリス恒例のビッグ・イベントである。その栄えある舞台で、
ベンジャミンは「人生の不確実性」について語る。 その中身は、あたかも
今日の日本を語っているがごとくだ。 「今日、イギリスは一三八○年以来
最大の経済危機に直面している」と、サー・ベンジャミンは口火を切る。
なぜ一三八○年なのかはよくわからない。・・・ そのような危機に当面して、
「我々は不滅の苦悶にさいなまれ、心配が絶えず、憤懣が溜まり、あらゆる試練
に耐えなければならない」とベンジャミンは続ける。「再び我々の生活から灯が
消える時、準備万端整っている状態を確保するつもりなら、我々はみずからに
決定的重要性を持つ一連の問いかけを発してみなければならない」ここから、
その「我々がみずからに投げかけるべき質問群」が並べ立てられていく。
 ーそれらを、この紙面上に再現してみようー
  ● 我々は今どこにいるのか      ● いかにしてここにきたのか
  ● なぜ、ここにきたのか       ● 我々はどこに行きたいのか
  ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか
  ● どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか 
  ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、
    どうすればわかるのか       ● 我々は地図を持っているのか    
  ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか
  ● 我々はここで立ち止まりたいのか  ● それとも我々は元に戻って
    最初からやり直したいのか我々はどうしたらよいのか ≫
▽ これを、私の人生に置き換えて考えてみた。 私は今どこにいるのか? 
 いかにしてここにきたか? なぜ、ここにきたか?等々。人生の8〜9合目
 に立って、これまで登ってきた道筋を振り返り、この山で良かったのか、
 立ち止まっていて良いのか、などを考えるに良い質問群になる。最初から
 出直すことが出来ない、二度とないのが人生。だから人生は面白い。
 両親の生き様を見て、ある程度は、解っていたが・・  
 次回から著者の現在の財政危機についての問答を紹介する。
・・・・・・
3948, 未婚時代の婚活
2012年01月16日(月)              
  * 普通の男性は1パーセントしかいない!
 文藝春秋のリポートで、現代の未婚時代の分析を元戦略コンサルタント
分析をしていた。それが、なかなかユニークな切り口で面白い。仕事が三次産業
にいたため若い男女の生態を見る立ち位置にいた。伴侶を決めるのは、女性も
男性も、一生の一大事。そうそう満足できる相手には巡りあえることはない。
そして決めたあとでも、もっと良い人がいたのではとしゅんじゅんするもの。
この歳になっても、今だ・・ 著者の目でみると彼らの結婚したくとも結婚
できない女性の共通する悩みが殆ど同じことに気づいた。 たとえば、
「私は、決して高望みはしていない。普通の男性でよいのに、周りにいない」 
「いい男は、なぜか皆んな早婚」「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォー
で独身のまま。何故あの人が?って何時も話題になります」 確かに、現象面
から見れば当たっているが、著者が分析からすると、至極当然になる。
 まず「普通の男性がいない」は、普通の男性は、僅か1パーセントしか
いないことになる。普通の男性は、通常いくつもの「普通」が重なり合っている。
:普通に会話できる:普通のルックス:普通の身長:普通の清潔感:
普通のファッションセンス:普通の学歴:普通の年収 などなど。
「普通」というからには確率は50%、それらの全てを満たすとすると、 
:会話普通50%×ルックス50%と掛け合わせていくと×=0・8%になる。
それぞれを高望みをしなくとも、全てを満たす人は100人に一人になる。
そこに社会情勢からして男女とも年収が激減している。このレポートでも
取り上げているが、グラフがある。年収の高いレベルを横軸の右側、縦軸に既婚
か未婚かになっていて、それぞれの面積の広さで人数の比率が一目でわかるもの。
ここでは、30〜34歳のデータだったが800万以上が約8割が既婚。
200〜400万の6割が未婚。200万以下は7割以上が独身だった。
「いい男が早婚」なのは、年収だけでなく、性格の良い男も結婚が早い。
女性から見て結婚相手として人気の高い「誠実で、私思いの、いい男」。
一見、少し地味な印象で口下手で、華やかな女性にはモテるわけでないが、
それ故に、遊ぶぐせが付いたり、他の女性に目移りすることなく、若くして年貢
を収めてしまう。また女性もほっとく訳がない。彼らは誠実で真面目なため年齢
を重なるたびに良い男になっていく。が、結婚相手として、とっくに目立たない
うちに刈り取られている。こうして、「いい男はみんな早婚」になるのである。    
                     ーつづく
・・・・・
3583, アート画像転換システム
2011年01月16日(日)
 カシオが、このところ全国紙に全面広告で「アート画像転換システム」の
広告記事をたて続けに出している。そこで会員登録をし、HPのソフトを使って
驚いた。アップした画像を油彩、水彩、色エンピツなどアート風に転換。
それが思いのほかに良い。デジタルで撮った風景や人物も、それぞれ簡単に
転換できる。それがプロが書き換えたと思えるほどの出来栄えで、ここまで
来たのかと溜息が出るほどカルチャーショック。これではプロがカタナシである。
この絵を実際に描くには、数年は絵画教室にでも通わなければならない。
それが数秒で誰でも気楽に転換が可能になった。デジカメで撮った過去の写真
を転換する度、その出来栄えに狐につまされた思いになる。まだ、その機能が
入ったデジカメを手にとって見てないが、その場で転換可能のもの。 
タブレット式パソコンで、現地で写真を撮って、その場で色を書き加えれば、
これまで一部の人しか出来なかった各種のアート画が、現地で可能になる。 
他のHPにも自由に使えるソフトが幾つもある。そこには美人、線画、版画、
漫画、スケッチなど100位の写真加工転換ソフトが使える。 私にとって、
これは夢のようなソフトになる。 これまで、多くの写真がCDカードや
アルバムに眠っている。この中で、気に入ったものを画像転換すれば、
私にとって素晴らしいアートが出来上がる。おそらく、セザンヌゴッホ
ピカソなど世界的な画家の筆致のソフトが出てくるはず。それだけでない、
彼らの絵画を自分で転換して新たのアート作品に作りかえれば、違った
作品が出来る。それが実際の作品より数倍良くなることもありえる。
実際にゴッホの「ひまわり」を加工してみたが、水彩画などに転換したものは、
何とも味がある。カシオは、これに膨大の開発費を投入したと思われるが、
それをフリーソフトで公開し、出来上がった作品をパネルや、装飾品に印刷、
販売するサービスを始めるようだ。 再度、書くが、「この写真が、こんな
風に転換してしまうのか!」の、驚きの連続である。 iPadの次世代機種に
カメラ機能が付くと噂されているが、これが発売されたら買うつもりである。
観光地に持っていって、その写真を撮り、スケッチ画に転換して、絵描き
ソフトで書き加えることが可能になる。いや、書き加える必要もないほど
最良に近いソフトが、それを許さないか? これは、凄いソフトである。
 ・・・・・・・  
3208, Twitter の意味すること! ー3
 2010年01月16日(土)
* Twitpic 
Twitterが凄いと思っていたら、その写真版が、そのサービスの中にあった。
直ぐに「写真版があってもよい」と思ったが、サービス周辺をみたら当然の
ようにあったのである。そこで早速、デジカメで撮った通勤途中の福島江の
桜の写真を載せてみた。なるほど、これなら雪桜を知らない人でもわかる。 
そのサイトには世界各地の人のTwitpicの写真が羅列してあった。
「英語が分からない」という拒否反応が直ぐに出たが、数言の英語なら状況
から分かるし、写真そのものが語りかけてくる。雪桜という言葉なら分から
なくても 写真なら世界中の人が見ても、白の幻想的なイメージは分かる。
それと同じことが、世界中のTwitpicにもいえる。それが、また面白いのが多い。 
このシャツは自分が現在作っているもの、という紹介のサイトだったり、
普通の女性?二人が胸を露出した写真だったり、黒人の男のヌードもあった。 
構えてないところが良い。 当然、Twitbideoというのもある。写真もビデオ
も、パソコンでもモバイル端末で、何時でも何処でも見ることができる。
ハイチの大地震の現場写真も世界中を駆け巡っている。TVのニュースでも、
かなり際どい怪我人の惨状映像が流れていた。情報化の事例の一つである。
数年前からYoutubeというショートの映像配信の投稿サイトがある。 
グーグルが千五百億円で買収したことで話題になった。これも手軽に何処から
でもビデオを配信できるからよい。 Twitterも、三年で既に九百億円の値が
ついているという。
 Twitterに話が戻るが、自分で、キーワードと指定した言葉の前に‘♯’
をつけると、それがネットでグループ化される。「藤の花」を知らせたい場合、
‘♯藤の花’と入れると、その言葉の検索で、直近の映像から羅列して出てくる。
*長岡の花火、*福島江の桜、*ハイチの地震、*居酒屋で一人で飲んでいる等々、
幾らでも発進できる。全国レベルだから「おれも、いま一人で飲んでいる!」
とか、直ぐの反応があるはず。初めキーワードをコンピューターが選定すると
思ったが、実際は♯で、本人から指名できる。それなら同じ状況の
「つぶやき」が繋がる。 もし、「三菱UFJ銀行への怒り」の前に♯を入れると、
この銀行の怒りを持った者同士が、怒りを共有することが出来ることになる。 
世界の情報の網目が小さくなり、かつ鋭敏になるのである。更に情報を送り
たい相手のサイトの前に@をつけると、自動的に送信される。
これが携帯で飛び交うから驚くのである。ブログがマイクロ化し、互いに
キーワードで結び合う、のである。 だからマイクロ・ブログともいわれる。
若い人を中心に直ぐに当たり前の機能として使われだしている。
 情報格差は、無限に開くばかりになる。
 ・・・・・・・・
2843, 雲屯庵 −3
2009年01月16日(金)
 当時、雲屯庵に若い僧侶がいた。外見は茫洋としているが、この男がなかなか
の博識で、俗にいう玉。最近調べたら新井の姓になっていたので新井石龍禅師の
養子になったか?、名前だけ継いだのか?この人が語った「異世界」の話しが
面白い。 もう40年も前の話だがよく憶えている。
《 数年前に社会勉強と修行のために二年間ある工場に入った。そこで僧侶の
感覚で、朝6時に出社。他の人が出社する前に徹底的に掃除をした後に働いた。 
三時間も前に来て働いているのだから、上司に直ぐに認められ、一〜二年も
しないうちに、工場のトップクラスに登りつめてしまった。別に、必死に働いた
のではない、ただ僧侶の感覚で仕事をしただけ 》
 この一言は当時、勤めたばかりで身体も精神も出来てない‘柔’の私にとって、
激務で疲れ果て憔悴していた私にとって、ショックであった。何時の間にか、
周りの勤め人に感化されていたのである。彼の一言一言が鋭いナイフのよう。
 また、その時に寺社会の底知れぬ昔からの風習を聞かされた。
その世界は裏表がハッキリしていて、チャンと「何?の方の世界」はシステム
(風習)としてあるという。もし若い庵女なら、隠れ旦那の風習があり、通婚
のシステムがある。(もちろん地域的なものもあろう。そういえば
「午前様は過去に何度か女性で失敗、本来は本山のトップになれる経歴と能力が
十分にあったが、それが原因で、この寺で終った人物」と父親から聞いていた。
この歳になっても、少し綺麗な女性が身辺に来ると「直ぐに手をつける?」等々、
なかなか真偽は解らないが面白い話題で満ちていた。更には、預金通帳には
?千万(現在なら?億)あり、 非常に裕福であるとか・・云々。 
 今でも??は度々、訪ねて来るが、品が良く、綺麗な人。 問題になるから、
この位にしておくが、40年も以前のことだとしても人間の俗社会と大して
変わらない。名寺で京大印度哲学科出の午前様なら、昔なら御殿様クラスの