つれづれに

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   今日のYoutube

 今日のシネマは、『海難』を見る予定だが、明日、
スターウォーズ』の予定で、二日連続見るかどうか?
先々週、行かなかったので、続けて行ってもよいが、
さてどうするか。 お気楽なことだが。 


・・・・・・
2449, 今年の創作熟語
2007年12月18日(火)
                 p≪゚+。ぉレ£∋ぅ。+゚≫q(´I`●)
先週、今年の創作熟語が発表された。
まず創作四字熟語とは
住友生命保険が日本全国から世相を反映した四字熟語を創作してもらい、
毎年12月中旬に発表するイベントである。」 1989年から発表されており、
10000語を超える作品が寄せられている。
第一生命のサラ川(柳)の向こうを張ったものである。
創作と名が付いているが、基本的に既存の四字熟語の文字や読みを世相を
映す単語に変更したものが多く、優秀作品はシャレの効いたものが目立つ。

そこで、
読売新聞や住友生命のHPの記事を少し変えた語呂合わせをしてみた。
 ーー
{7月の参議院選挙で自民党が歴史的惨敗を喫し、
「二党両壇(にとうりょうだん)」になり、
 その結果、突然返位(突然変異)で安倍前首相が辞任。
 秋より食の偽装が「連詐反応(連鎖反応)」を起こした。
  また医師不足問題を象徴した「医師薄寂(意志薄弱)」や
 様々なダイエット法の中でハードな「軍似痩練(ぐんじそうれん)」が大ヒット。
「人離相撲(ひとりずもう)」の角界も、「廃反治拳(はいはんちけん)」のボクシング界も、
 来年に向かって「出発進幸(しゅっぱつしんこう)」しましょう。} てなところである。
 --
これまで、この存在は全く知らなかったが、
「創作四文字熟語」は第一生命のサラ川から見ると、
少しインパクトは弱いようだ。
                 ヾ(^ω^*)  
・・・・・・・・
2006年12月18日(月)
2085, 哲学者が霊能者を一刀両断すると! -1
                才八∋ウ_〆(∀`●)
知ることよりも考えること -? 池田晶子著  ー読書日記
ー前世を知りたいー             

哲学者が霊能者を批判すると、これだけ説得力があるものか?
霊能者の立場の視点で読んでみると、反論しようがみあたらない。

    哲学者は霊能者のいい加減さを一刀両断で以下の通り切り捨てる。
    ー人間は自分が存在しているという以上の神秘がありえない。
    (自分が)存在していることということは、科学的には説明できず、
    理性によっても理解できない。なんで存在するのかわからないものが存在し、
    毎日生きている驚くべき神秘の毎日こそ神秘体験のはずが。
    その当たり前のことこそを知ることが先ではないか。
   [超常]を言う前に、[常識]を知るべきだー
    と。 全く、哲学者のこの論は理にかなっている。

私も父が死んだ後に「妙な霊的な感覚?」が10年近く身についたことがある。
今TVなどで話題になっている江原啓之氏のことを多くは知らないが、
恐らく見えないものが見えるのだろう。
  それより女哲学者の論があまりに的を得ている。  
  ー以下は、その中の抜粋であるー    
     ーー
    輪廻転生という考え方は、現代に限らない、科学の発生以前から、
    人間が宇宙と人生をという謎を理解しようとする時、繰り返し
    起こってくる型である。同一の魂が宇宙的法則によって生まれ変わりを
    繰り返すというこの物語は、わかりやすいので受け入れられる。
    つまり人はそれを[本当のことだ」と思うのである。

しかし、よく考えて見ると、これもよくわからない。霊能者は過去を見るという。
しかし、過去なんてものは、今やどこにも存在していない。
過去はその人の記憶としてしか存在していないのである。
そして、記億はそれ自体が物語として構成されたものでしかないのは明らかだ。
霊能者が見る過去世の物語というのは、人間の言語により構成された文字通りの
[物語」なのであって、客観的事実であるわけがない。
それらの人たちは、それらの物語を事実だ、本当のことだと「思い込んでいる」。
本当はどうなのかわからないことを、本当だと思い込んでいるのである。

    しかし、物語もまた、謎を語るためのあくまでも「方法」であって、
    方法によって謎が謎でなくなるわけがないのは同じである。
    宇宙が存在し、我われがそこで生きて死ぬというこの驚くべき謎の側は、
    やっぱり動かない。我われは何一つ理解していないのだ。
    この根源的絶対的無知、これを忘れると物語は容易に宗教と化す。

自分の現在を理解するために、とくに過去世を知る必要はない。
過去を知ったところで、現在が変わるわけはない。もし現在を変えたかったら、
現在において変わる以外ないだろう。「色即是空」もブームと聞く。
生まれ変わり、死に変わりというのは、どう考えても「色」である。
よって「即ち」、そんなものは、「ない」と言う。

 --
 次回も続くが、霊能者も言うだろう、
「空即是色」と! 現世のことが解ってないのに、何が来世!
変な物語を勝手につくりおって!という論は、非常に説得力がある!
秋刀魚の頭も信心からとなると、インチキ宗教になってしまう。
似たようなものである。
信じたい人いるのだから、面白いじゃないかプロレスの観戦と思えば!
ショーと知りつつ、楽しむのも!
現世も、来世も、生まれかわりも、ショータイムでしかないのだから!            
             ーつづく     まあ冗談はさておいて
 \(^▽^*)バイ!          ~~■P o(´・∀・` )coffee 飲めて
     
・・・・・・・・・
2005年12月18日(日)
1720, 生きるのがつらい     ー読書日記
 「一億総うつ時代」の心理学 平凡社新書 
           諸富祥彦/著
  ー本の内容
この国の年間自殺者はもう何年も三万人を超えている。
 誰もが自分は「軽うつ」ではないかと疑いはじめている。
  この時代には確かに、私たちの生きる意欲を奪う何かがある。
   生きるのがつらい。もう、前向きになんか生きられない。
    そんな閉塞感が漂う世の中で、自分の苦しみにうまく対処し、
     身近な人と支えあいながら生きていくには、どうすればいいのか。
      反ポジティブシンキングの思想で語る、
       「一億総うつ時代」の心の処方箋。  (*`θ´*) i
ー目次
第1章 みんなつらさを抱えて生きている     
 第2章 つらさをつらさとして受けとめる
  第3章 弱音を吐くのも生きる技術
   第4章 ありのままの“今の自分”を受け入れる
                オレ クルクル σ@( ゚∀ ゚) パー!?
    第5章 身近な人がつらいとき
     第6章 「助けあい、弱音を吐きあう関係づくり」の大切さ
  ーーーーーー
こういう本のほうが私にとっては、面白い!
 ポジティブの本より、ネガティブシンキングの方が、気休めになる
  類の人にはプラスになるのだろう。
     (~_~;) (~Q~;) (--;) (;-_-;) (-。-;) (-o-;) ( ̄ω ̄;)!! o    
    一部勝ち組以外は、負け組みの時代、一億総うつになるのも、必然かも知れない。
    といって、そうそう万年うつ病も肯定はできまい。
  その為には、ネガティブなものに居場所を与え、それとうまくつきあう工夫の方が、
 強引なポジティブシンキングよりも、はるかに効果があるのだろう。
何処かに仏様?の持つポジティブ、暖かさがなくてはならない。
 だから、人間は必ず信心が必要なのだ。
  その意味で、この本は何かが欠けていると誤解してはなるまい。
   隠しポジティブがこの論の背景にあるのだ。

「あとがき」の中で生きづらさを、どのようにして凌いでいくかの工夫のエッセンスを
・決して前向きになりすぎないこと。
 ・ ポジティブに考えすぎないこと。と述べている。また、
   「つらさや弱さを追い払うことではなく、それと共存すること。
     その存在を認め、それに居場所を与えること。
     そしてその言い分を聴いていくこと。
     つらさや弱さをしのぎ、それとうまくつきあっていく方法を工夫すること」である。
     また心を楽にしてくれる二つの考えを紹介している。
    ・一つは「人類は、いずれ滅ぶ。いつしか、跡形もなく、消え去る」という考え。
     そう考えると、なぜか、圧倒的な解放感になる。 【゚Д゚】y─┛~~~ソウカ~
   ・いま一つは、「人間どこからも来ないし、どこにも行かない」ということが
   解ると気が楽になるということだ。
  ひとことで言うと、「わざわざ死ななくても、人間は、生きているうちから、
 じつは同時に、死の向こう側の世界(あの世)にもいるのだ」ということ。
 このことに気がついたとき、著者は「生きていける」と確信を持てたと。    
                       (・_・)ヾ(^^;  
   この人の人生観とみれば、納得するが?
    無理してまで肯定をするな、ということでしかないのか。
                      (^Ω^ )ノ ンジャ~
・・・・・・・・・
2004年12月18日(土)
1355, 梅の花

新潟の郊外に最近「梅の花」という
‘ユバと豆腐'の京懐石料理のチェーン店が開店した。
本部は九州で店は61店舗あるという。

面白そうなので、昨日の昼飯を食べに行ってみた。
実をいうと、一昨日の12時にいったが、駐車場が満杯なのだ。
まさかと思い玄関口に行くと、前の若い二人連れが予約を確認して入っていった。
フリー席は、もう満席で一時間待ちだという。
100人のお客が既に入っていて、待合に10人いるという。
それでは、翌日の予約というと、お一人様3700円という。
予約は個室になるので、昼のサービス・コースは予約はできないという。
バカバカしいので、「予約なしでは何時に来たらよいか」と聞くと
「11時のオープン直後なら大丈夫」と言う。

「ランチが1600~2900円で、11時過ぎでなくては入店できない店」
と知ったら、意地でも入りたくなるのが人情である。
 家内も新潟の友人から、店に行ってきた話を聞いたという。

昨日の11時に店に行くと、3分の1の駐車場の埋まりである。
しかし、車が次々と入ってくる。門構えから京都の懐石料理亭の雰囲気が出ている。
入ると、老舗の高級料亭の感覚だ。
下足人兼案内人が、マネジャーと思しき人に取り次いで、数分待合に待たせて
仲居さんに取り次ぐ。そしてその仲居さんが丁寧に個室に案内する。
予約が入ってない部屋があるので、優先的に個室に入れるという。

私が2900円の「野菜と豆乳のしゃっぶランチ」つれが「京の梅ランチ」を注文。
部屋からは中庭が見え、料亭の雰囲気をかもし出している。
さあ、これからが新しい物好きの観察が始る!
                       ー つづく 
・・・・・・・・・
2003年12月18日(木)
988, 建物をつくることは神の代行

 40年前に、父親が現在住んでいる自宅をつくった時、
「将来必ず事業で上手くいかなくなる時がくる」と想定して設計をした。
売却やアパートに建替えるとか、潰しがきくようにしてある。
鉄骨の建物で、一切柱が入っていない構造になっており、
中を掻き出せば、どうとでもつくりかえる事ができる。

 その教訓もあって、私が手がけてきたビルも殆ど柱を入れてない。
千葉で初めて建てたビルから現在のホテルまで増築も含めて八棟全て、
やむをえない部分を除いて柱の極力ない構造にしてある。
27年前に私がたずさわった実家のビルが、最近に私の予想値よりも
はるかに高く売れたのも、建物の構造が他の業種に転用可能であった為だ。

 30数年前に千葉の建物の設計計画にはいった時に、設計事務所の担当に
言われた言葉が「建物をつくることは神の代行」である。
これは設計事務所の当時の社長の信念であった。特にビルは当事者の思惑とは違って、
数十年も独りで生きていくものである。それを建築主の好みで創ったとしたら、
時代の変化の中で他人にわたった時に潰しが効かなくなる。

 自分だけの思惑で建物は創るべきでないというのも理に適っている。
たまたま実家の家が、その10年前に「その思想のとおりのもの」
を見ていたのでその意味を直ぐに理解した。26歳の時であった。
それから事業で多くのことを学んだ。

・・・・・・・・
2002年12月18日(水)
614,パタゴニア旅行記ー1

今回の旅行のハイライトはやはり氷河であった。
氷河の融け水でできた湖から、氷壁と崩落を船で見るものであった。
ソニーのコマーシャルで見たものは、てっきり南極の氷が崩落するものと思っていた。
しかしアルゼンチン国内の山脈の麓の湖に崩落するものと初めて知った。
ソニーのそれはペレノモレノ氷河の景観であった。

まず驚いたのは氷河の美しさである。
太陽に映える白とコバルトブルーの織り成す美しさだ。
どんな美しさもこの単純な輝きには敵わない。
白をバックにしたコバルトブルーの輝きの美しさ。
太陽の光のブルー以外を吸収して妖しく反射する美の極致だ。

8000?のアンデス山脈パタゴニアの地でその積雪を氷床に姿を
変えて最後は海に流れ込むか、山脈の麓に湖をつくりそこに自らを
崩落させていく。それを湖から眺めるのが今回の目的であった。
アンデスに降り積もった万年雪が、溶解と氷結を繰り返しながら
数百キロの氷河をつくりだし、最後はその最先端で長い旅路を迎える
ドラマである。それが夏の時期に目の前で見れるのである。

数日に一回の崩落と思っていたが、モレノ氷河で1時間のうちに4回の
崩落が見ることができた。
静けさを打ち破る腹の底までとどろくような轟音ともに氷壁が崩れ落ちる。
その瞬間誰もが息を呑み見とれるのだ。時間が止まるとはこの事だろう。
そして同時に湖面に高波が立つ。氷河が氷山に変わったのだ。
その数十メートルか数百メートル先から、氷が裂ける轟音が時々
落雷のように聞こえるのが何ともいえないバックグランドの音になる。

小さい氷山が湖面に多く漂っているのが美しい形を創っている。
自然の芸術の展示会のようである。白鳥のようであったり、
船のようであったり、ラクダであったりする。
自然は本当に大芸術家であるというのは、別に文学的言葉では
ないことを思い知った!!

・・・・・・・・
2001年12月18日(火)
218,喜怒哀楽 -情念の世界

学生時代に読んだ、赤塚行雄の‘ナチの研究’の
「教祖の話術」が印象的な内容で今もはっきり憶えている。
ある意味で、運命的な出会いの本といってよい。
その本を読んでから、生きかたが全く変わってしまった。
その本の内容は、「ナチがいかにして短期間に大衆を惹きつけ、扇動したか」
の要素の分析であった。

ヒトラーの感情むきだしの演説の手法である。大衆の感情にうったえる手法である。
感情を抑えるのでなく、むしろ前面におしだし自己を主張せよ。
「感情を抑えるのが理性でなく、むしろ燃え上がらせ、その舵取りが理性であると。
大衆を感情的に徹底して扇動、熱狂させろ!大衆はそれを待っている」
「大衆は馬鹿な存在だ、それを待っている」というのだ。かなり刺激的の本であった。
昔の記憶なので、かなり主観的な内容に変わっているが。

30歳少し前、長岡に帰ってきた時「おい堀井が変わってしまったぞ!」と
地元の友人に言われたのも、実はそれが大きい要因である。
考えてみれば単純なものだ。 しかし創造は発狂だということを実際体験した。
たいして狂ってなかったが。 これをやると決めたら全ての情念を叩き込む!

「もっともっと喜べ、怒れ、悲しめ、楽しめ!」というのだから。
周りは大変であったと思う。それも気づかれない様にやってるのだから。
本人はもっと大変だったが。ペルソナ(仮面)であったからだ。
長岡で全員が、その反対を真面目な顔で演技していたから驚いた。

感情豊かであるほど人間性豊かである。
感情豊かという事は、車のエンジンの排気量が大きいことに繋がる。
ガソリンは、感動・感激である。その為には超一流の芸術に接しることだ。
素晴らし音楽を聴くこと、絶景の場所に行くことだ。そのシャワーを浴びる事だ。

その時の感動が人間を豊かにするのだ!というような教えであった。
殆どこの辺が創作になる。いやこの文そのものが偽悪の表現だが。
まっとうに生きようと思ったら、狂うしかないのも事実だ。

まっとうに生きるとは何かだが?自分の真に好きな事をみつけ忠実に生きる事だ!
それをやれば、世間様の目から見たら、狂っているとしか見えないからだ。

  チロリチロリ、チンチロリ 一期は夢 ただ狂え  
今は「ホームページつくり」に狂ってます。

・・・・・・・  
ある時間の断片
12月18日 1968年

9時に甥のムーちゃんに起こされる。
食後。浅草近くで電気商をしている従兄弟の治田さんが遊びに来る。
12歳も年上だが、子供の頃から殆ど変わってない万年青年だ。
彼を見ていると青春は年齢でなく、
理想と創造性をいかに持ち続けるかということが解る。
写真マニアで子供の頃の写真は殆ど彼が撮ってくれたものだ。
昼飯を一緒にとって13時頃に帰る。

14時から17時まで卒論のマトメをする。
卒論の清書を一枚50円で姉に書いてもらうことにした。
50枚で2500円である。それに食事代を5000円を払うつもりであったので
この金額を捻り出すのが大変である。それと今月は遊びすぎて支出が大きい。
23日にジャスコオカダヤにレポートの構想と下書きを書いて、
27日までに完成させる予定である。