『自分史の書き方』立花 隆(著)
東京や札幌などで深夜タクシーの運転手さんが、時おり、自分の身の上話を
してくれるが、これはショート・ショートの自分史でもある。大都会の乗客も
運転手も、一期一会の出会いを知っているから、真実の会話が遣り取りをする
のだろう。酔いが醒めても、覚えているのは、そのため。自分の人生とは
何だったのだろうは、永遠の課題である。自分史を彩る、エピソードを、
可能な限り書き出しておくことが必要になる。
≪ 人間不思議に、60歳を過ぎるあたりで、自分史を書いてみたくなるらしい。
還暦という、生まれてから60年目にやってくる人生の大きな区切りを目前にする
辺で、誰でも「自分の人生っていったいなんだったんだろう」と立ち止まって
考えたくなるものらしい。 しかし、自分の人生はなんだったのだという大きな
問いを立ててても、そんな抽象的あいまいで曖昧な問いにそう簡単に答えられる
わけはない。その問いに答えるためには、まず、人生っていったいなんなの?
という問いに答える必要がある。 その問いに対する答えは意外に簡単だ。
とりあえず、人生とは「一人の人間がこの世に生を受けたあと、その人の上に
時々刻々起きてきた『一連の事象の流れ』」といった程度の暫定的定義で充分。
とするなら、そのような「自分の人生を構成する一連の事象の流れ」を具体的
につかむことにこそ、「自分の人生はなんだったのだ」という問いへの答えが
あると言うべきである。そして、よく考えてみればそれを具体的につかむため
になにより必要なことは自分史を書くことだ、ということになるだろう。
別の言い方をするなら、「自分の人生がなんだったのかを知りたければ、
『まず自分史を書きなさい』」ということである。自分史を書きながら、自分の
人生のさまざまな岐路となった場面を思い起こす。そして、その前後の状況を
思い出しつつ、ああでもない、こうでもないと記憶を呼びさまし、その前後の
あれやこれやの記憶を反笏してみる。 あのときの、人生の岐路に立って下した
自分の決断、判断は正しかったのか。あるいはあのときの自分の行動・言動
などがちがうものになっていたら、別の人生が展開する可能性があったのか。
そしてそのほうがよかったのか。それとも、よくよく考えれば、すべては
ほとんど必然的に起きるべくして起きたことだったのか、などと考えをめぐら
して、後ほぞ悔の念で膀をかんだり、自分の人生に妙に納得したりするわけ。
そのように思いをめぐらすことこそが、自分の人生はなんだったのかを考える
ことそのものになるわけだ。先回りして言っておけば、こういう問いに対して、
堂々めぐりの記憶の反駁をいくら続けても、「自分の人生はこれでよかったか」
という問いに対する、正しい答えには、決してならないだろう。いずれに
しても、歴史的時間の中でリアルに起きたことだけが、起きたことであり、
それは今さら変えられないことなのだから、自分の人生がこれでよかったか
どうかは「言うてせんなきこと」に属すると言えるだろう。しかし、人生を
ふり返るというのは、結局のところ、「考えてもせんなきこと」を考えること
であり、「言うてせんなきこと」を心の中でつぶやいてみるという行為である。
還暦を迎える頃になると、みんなそうせずにはいられない気持ちが湧き上って
くるものらしい。つまり、それはそのあたりの年齢が、自分史を書く適齢期だ
ということである。本書は、その年齢にさしかかった人々に読んでもらいたい
と思って書いている。≫
▼「自分の人生は、これでよかった?」の問いは、永遠の問いであり、
良くもあり、悪くもありで、考えてもせんなきことを考えることである。
そこで、簡単な手立てとして、身近な他者の粗探しを始める、その辺の
『世間人』に成り下がっていく。あのゾンビたちである。縦に貫く蓄積が
ないため、身近な人の、それを見つめるしかない、あの方々に陥る。
・・・・・・
5027,読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 ー4
2014年12月19日(金)
『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆 (著)
* 悪魔憑き 〜ミシェル・ド・セルトー著『ルーダンの愚依』
映画で幾つか悪魔憑きの場面を見たが、実際に、具体的事実?
を読むのは初めて。 ー以下は、実際にあった内容?ーだから、驚きである。
≪ ミシェル・ド・セルトーの『ルーダンの愚依』がはじめて全訳された。
「ルーダンの慰依」は、十七世紀フランスの田舎町の女子修道院で起きた、
歴史上最も有名な集団的悪魔憑き事件。十七人の修道女からなるウルスラ会
修道院に、数週間前に亡くなった告解師の亡霊があらわれた。霊はしばらく
修道女のベッドの脇で泣いた。 別の亡霊が次の日真っ黒な球のかたちで
修道院の食堂にあらわれ、二人の修道女を乱暴に地面に押し倒し、肩に乗った。
やがて修道女たちの肉体と精神に奇妙な変調があらわれ、次々に判断力を失い、
全身がすさまじい痙攣に襲われた。教会の上層部は動転し、調査をした結果、
この事件の犯人は悪魔だと判断した。「悪魔祓い」が専門僧の手で行われた。
悪魔に名を名乗れと命じると、「神の敵」という。悪魔にとりわけ狂った
院長の体から出るよう命じると、院長は暴れ回り、吼え、歯をきしらせ、
奥歯が二本抜けた。悪魔と問答を続けているうち、悪魔を彼女の体に
入れたのは、ユルバン・グランディエという別の教会の司祭であると判明。
「彼女たちは叫び、グフンディエを探そうとして、修道院の屋根に駆け上り、
また肌着だけで木のうえに、それも枝の先までよじ登ったのです。
そこで恐ろしい叫び声を上げながら、風や雨に耐え、何も食べずに4〜5日も
留まっていた」。この悪魔憑き事件は、たちまちヨーロッパ中に知れわたり、
ルーダンの街に何千人もの野次馬が押しかけた(修道女が教会の尖塔に上り
宙を飛ぶなどのウワサが広まった)。野次馬は何日も泊りカけで狂える
修道女を見物した。修道女は吼え叫び、土の上でころげまわり、足や手を
絡み合わせ、足の裏をくっつき合わせたりした。卑猥なようすで舌を出し、
つばを吐き、冒涜的な言葉を吐きちらかした。・・
修道女たちとグランディエとの対決が行われ、グランディエが否認しても、
彼が悪魔に使われている証拠が次々に出てきた。六人の悪魔とグランディエが
署名した「契約書」すら出てきた(「神を否認して悪魔に仕え、できる限りの
悪を尽し、なろうことなら人間でなくなり悪魔になることを願う」)。
グランディエは、ルイ十三世直々の指名による特別法廷で魔法使いとして
裁かれ、一ヵ月余の審理を経て、膨大な証拠(悪魔との契約書など)によって、
火刑による死刑が宣告された。 刑は一万人以上の見物客の前で執行。
裁判中に、修道院長と修道女の一人が、無実のグランディエを告発して罪に
おとし入れたと告白したが、その告白も、魔法使いの魔力を証明するものと
され何の影響も及ぼさなかった。この異常な事件は、欧米では繰り返し検証の
対象となり数々の論文や小説が書かれた。 映画も(カヴァレロヴィチ
「尼僧ヨアンナ」、ケン・ラッセル「肉体の悪魔」)作られ、オペラも
(ペンデレツキ「ルーダンの悪魔」)作られている。・・ ≫
▼ 信じがたい事件だが、事実?なのだろう。神の存在証明は、難しいが、
こういう憑依なら、でっち上げ易い。しかし集団となると、誤魔化しは難しい。
17Cのフランスで、17人の修道女が集団の悪魔憑きの物語となると?
やはり信じがたい。信仰心を深めるための法王庁の戦術も考えられるが・・
・・・・・・
4660, 知る悲しみ ー『極道辻説法』は、シマゲジがゴーストライター
2013年12月19日(木)
* 今東光の『極道辻説法』は、シマゲジ作ー『知る悲しみ』島地勝彦著
図書館でみつけた島地勝彦著「知る悲しみ」。
例の「水の上を歩く? 酒場でジョーク」島地 勝彦・開高 健 (著)の、
元プレーボーイ編集長の島地の著書。
「知らない悲しみより知る悲しみのほうが上質である」とは、言い得て妙だが、
何と『極道辻説法』の「和尚前白」は島地が東光に憑依して書いたと告白する。
生臭坊主の名回答も、シマゲジの創作とは・・ ーその一節を書き出してみるー
・矢野「いまインターネットなどで『今東光語録』が箴言集のように扱われて
いるが、私などから見ますと、どう考えても大僧正の興味のテリトリー外の
テーマなどが書かれてありまして、ずばり訊きますが『和尚前白』は大憎正
が書いたもの?
・島地「今日はすべて告白しよう。あれは全部オレが書いたものだよ。
しかしよく分かったね。読み込んでいるなあ、矢野は」
・矢野「ただ『速記録』で実際に大僧正が語った回想や時評をうまくリライト
されているのもあります。ですから島地さんの全くの創作ばかりとは言い
切れない。今日は漢幸雄さんが収集した『和尚前白』を持参してきました
ので、どれが完全に島地さんの創作なのか教えてくれませんか」
・島地「いいとも。(『和尚前白』を読み進めながら)第一回からオレの文章。
確かに。このころからうまいなあ、オレは。(国連総会の演説を取り上げた
回を示し) これもオレ。高校野球の話、これもオレだ。この回は大僧正の
話をまとめたもの。これもオレじゃないかな。ほんとに大僧正が愚依してる。
いま読んでも面白い!」
・矢野「スポーツや外国小説がテーマのものやアル・カポネの話も
みんな島地さんの創作なんですね」
・島地「もちろん、そうだよ」
・矢野「このインタビューを読んでひっくり返る人、いっぱいいますよ。
いま島地さんは『乗り移り人生相談』という連載をされていますが、
まさに当時から大僧正に乗り移ってたことになりますから」
▼ 私もひっくり返った一人。島地が今東光に憑依しないと、あれだけの
名回答は出てこない。そうすると、この本の題名「知る悲しみ」に通じてくる。
「知らない悲しみより、知る悲しみの方が上質」としても、読者の一人として、
知らない方が良かったと思うのが人情。ここで紹介されている
「エロ・アーカイブ」は興奮した。飼犬の秋田犬と夫婦の3P?を生々しく
書いてあるが・・ 今度ここで紹介しようか?ー【スカトロ・マニア】
犬のロッキーを恋人にした私の妻ーと検索すると出てくるが、お勧めは
できない。成るほど、「知る悲しみ」そのもの・・ 上質かどうかは別!
・・・・・・
4295, 過去10年間を振り返り、今後の10年先を予測してみる −2
2012年12月19日(水)
ー 2022年の年末に、この10年間を振り返った物語ふうに書いてみる。
≪ 以下の文章は、10年前に書いた2022年を想定した文章である。当時は、
創業から30年事業経営していた会社を倒産させ二年足らずで、少し悲観的
と思っていたが・・ まずは、当時の想定をした文章をコピーしてみる。
【 * 近い将来に欧州発の世界恐慌か、イスラエルによるイランへの核施設
の攻撃と、イランのホルムズ海峡の閉鎖がある。それに伴いNATO軍との
戦争が勃発。原油価格が暴騰、日本経済が最初に大打撃を受ける。
そして株価の世界的暴落で一挙に世界は不安定になる。
* 欧州経済は、ますます悪化、その煽りで中国経済と社会は不安定化し、
暴動が頻繁に発生、その矛先を尖閣列島、フィリッピンやベトナムの国境紛争
を画策し、国内の不満を向ける。これに伴いアメリカも経済悪化。
アメリカ国債と株価も暴落、一時1万3千ドルもしていたダウ平均が、
8千ドルまで暴落する。
* 世界が不安定になる中、日本では首都圏直下型地震と富士山が噴火。
政府は、国家非常宣言を出し、銀行閉鎖。経済はハイパーインフレに転じて、
米やパンなど食料の一部は配給制に逆戻り。IMFが、この事態に乗り込んで
くる。10数年前、韓国がIMFの管理下に入ったのと同じ道を歩く。
失業率は15%に、生活保護世帯は300万世帯になる。現在のギリシャ、
スペインの事態以下に、まさかなろうとは、誰も思っていなかったようだ。
日本の国債も、それに伴い暴落、国を信じた善良な?年寄は路頭に迷う
ことになる。
* スマートフォン、タブレットなどの情報端末の性能が年々、飛躍的に良く
なり、それが逆に一強他弱の傾向を強めていく。中古品が出回り、収入は
半減しても最低生活は可能である。しかし、一部勝ち組の生活が垣間
見れるため、不満が溜まる一方。】
△ 以上が予測だったが、実際に起こった現実は、こんなものではなかった!
関東直下型地震が想定を超えた規模で、富士山の噴火に連動して首都圏は
パニック状態に陥り、数万規模の死者・行方不明が出た。首都圏に住む甥っ子
一人が死亡。日本経済は世界恐慌の煽りで国家経済が破綻。そして現在、
アメリカのIMFの管理下にある。失業率は20%を超えて、近くの小学校
では夕方からの炊き出しに行列の状態。リッチ層の多くはオーストラリアと、
カナダに移住していった。10年数年前からの傾向だが、リッチ層の子弟は
海外に留学をさせるのが顕著になっている。日本でのビジネスは絶望的な事態。
私も実のところ、76歳まで生きてはいないと思っていた。この有様では、
生きていて良かったかどうか。今では首都圏からの経済難民が日本海側に移住
する流れになっている。中国は動乱になって内乱状態。市民が武器を持った
テロ活動が始まっている。一部の共産党幹部の汚職が目にあまりに辛辣。
その反発が武器を持った蜂起になっている。共産主義という名の資本主義の
汚辱が、深く浸透した結果である。日本は10年前まで続いていた失われた
20年の後には、崩壊の10年が待っていた≫
▼ こんな物語になるが、10年前に「2002〜2012年の過去語り」を書いていた
としたら、現実との乖離は、あまりに大きいはず。ということは、こんな
ものではないということ。それより、まず私自身、生きているかどうか。
・・・・・・・
3920,精神力ーその偉大な力 ー10
2011年12月19日(月)
* 人間の4つのベース 〜「精神力ーその偉大な力」ダン・カスター著
【 大生命力(宇宙にある無限のエネルギー)は、人間を通して
4つの方法で自らを表現したいと望んでいます。
・一つは創造を通して・第二はリクレーション―娯楽で・第三はあなたを
通した愛の表現で・第四には精神的に、知的に成長することを望んでいます。
この4つの枝が等しい長さを持つギリシャの十字架を思いなさい。
この十字架にあなたの人格を代表させましょう。創造、遊び、愛、知恵の4つが
基本の十字架こそ、大事なカタチになります。仕事=創造と、遊びの重要性の
重要性と、愛を持って何事にも取り組むこと。そこて知的成長こそ、あなたの
魂に再充電をしてくれる。それは、あなたの深い本質を表現を与えることになる。
だから学び続けなければならないのです。あなたは大生命力=宇宙のエネルギー
への畏敬と、その親しい交わりこそ求めるべきこと。知性と推理が成長すること
こそ、大生命力があなたを通して現れ出てくることになります。仕事も、遊びも、
愛も、学びも、健全でなくてはなりません。心の絵図に従って宇宙のエネルギー
は流れ込むので、自我理想はバランスがとれ、かつ健全であることが求められる。
そして、古い自我イメージを、この新しい自我理想に置き換えなさい。
これが人格造成の技巧です。理想の見地からあなた自身を考えなさい。 】
▼ ここでは、「力、遊、知」に「愛」が加わったバランスを人格形成の
自我理想にしている。その年代で、重心が変わってくる。還暦もすぎると
何になるのだろう?これも、それぞれの人生を如何に過ごし方で変わってくる。
バランスも、一つは極端に突出したり、へこんだり、している。私の場合、
「愛」が欠けていた? 八人姉兄の末っ子で、愛情を充分に受けたが、
与えるのは不充分だった?
・・・・・・・
3555, 哲学的ジョーク
2010年12月19日(日)
「プラトンとかものはし、バーに寄り道」 ージョークで理解する哲学ー
トーマス カスカート, ダニエル クライン (著)
少し難しいジョークと解説集。しかし考えさせられる内容で満ちていて、
味わい深い。哲学をジョークに絡めるというより、ジョークそのものが本来、
哲学を含んでいる。
* 合理的に疑う=哲学的ジョーク
ある被告が殺人の容疑で裁判を受けていた。有罪を示す強い証拠があったが、
死体がなかったのだ。被告人の弁護士は最終陳述で奇策に出た。「陪審員の
みなさん、これからあなた方をびっくりさせようと思います。殺されたはず
の人間が、一分以内に、この法廷にはいってくるでしょう」 かれは法廷の
ドアのほうを見た。動転した陪審員たちは、いっせいにドアを注視した。
一分間がすぎたが、なにごともおこらなかった。弁護人はいった。
「死んだ人が廷内に歩いて入ってくるというのはわたしのでっちあげでした。
ところが、あなた方の全員が期待感をもってドアのほうを見ました。
つまり、だれかが殺されたかどうかについて、わたしはこの事件では合理的な
疑問があることを、あなた方に示したわけです。あなた方に『無罪』の評決を
下されるよう、求めなければなりません」
(字数制限のためカット 2011年12がつ19日)
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3180,今年の総括
2009年12月19日(土)
今年も総括の時期になってしまった。
去年のリーマンショックや、中国・深川大地震のような大事件は無かった。
オバマが一月末に正式にアメリカ大統領に選出、日本では自民党が惨敗し
民主党の鳩山政権が発足。それと新インフルエンザが本格的な流行を始めた
ことと、WBCで日本が優勝、マイケル・ジャクソンが亡くなったことぐらい。
身辺でも金融恐慌の暗い雰囲気が漂ってはいたが、亡くなった人は従妹一人。
来年は、その分だけ大きな経済的事件や、国際紛争も起きそう。
今年は、中休止の年というところか。しかし日本経済は厳しさを増している。
当方も新潟国体で何とか息をつけたが来年は大きなイベントは見当たらない。
来年は来年だが、気持ちは暗くなる。 今年を歴史的に振り返ると、
「ハイパー・デフレが始まり」「新インフルエンザが本格的に蔓延」、
「自民党が崩壊、民主党が政権を取り」「国債発行が予算を超えた」が、
キーワード。決して安泰の年というのではなく急な坂を転げ落ちていく
境目の年である。私自身、25年ぶりに海外旅行に行かなかったことである。
9月に行こうとしたが、新インフルエンザの世界的な拡大に迷いが出て、
キャンセル。 今からすると、行っておくべきだったと後悔をしている。
この恐慌の中、行かない判断も正解だったのかもしれない。2001年
9月11日のテロと、去年の9月15日のリーマンショックの激震で、
世界は大動乱に入ってしまった。 その二つの津波のウネリが大きく覆い
被さってきているのが、昨今の大不景気の原因。 今年も無事?終わり
そうだが、来年はどうなっているか? 神のみぞ知るである。
・・・・・
2815, 不況景色 −4
2008年12月19日(金)
今回の金融危機で、まずは日本の自動車、住宅、電気メーカーが大打撃で、
深刻な事態になっている。その一つが為替差損である。一円のドル安でトヨタ
で400億というから、120円から87円となれば、33円×400億=
一兆三千億円以上になる。数年でトヨタでさえ倒産というのも肯ける。
ニュースでホンダのトップが涙目で、異常事態と言っていたが、果たして
如何だろう? 野口悠紀雄の『円安バブル崩壊』の中では、
ー「金融緩和政策と為替介入によって生み出された異常な円安バルブが崩壊
して、本来の状態に戻りつつあるだけ」と指摘。金融崩壊までの景気拡大は、
企業の“選択と集中”による企業体質の強化や、改革による効果というよりも、
異常な円安バブルがもたらしたものだという。
( この本は2008年5月29日に発行だが・・)
昨年8月以降に急激な円高が進んだが、日米の金利差や消費者物価上昇率
を比較すると為替レートは1ドル=60〜70円程度。世界でほぼ同一品質
のものが販売されているマクドナルドのビッグマックが課税前価格で日米で
同じ価格の為替レートを算出すると1ドル=79円に相当するという。
これから考えても、きっかけは金融危機としても、円高は円安バブルの崩壊
の70円代というのも肯ける。この自動車業界の惨状からみて、これまでの
彼らの繁栄が、大多数の国民の犠牲の上で成り立っていたと思うと、腹が
立つことも事実である。
ーこの本のP−8にある次の箇所を読んでいて、腹が立ってきた。ー
・・「ビッグマック指数を使って次のように考えるとよくわかる。
東京で276円で買ったビックマックをニューヨークに持っていって売るとする。
販売収入3・49ドルを100円のレートで日本円にすれば349円になる。
276円の元手で349円が得られるから、こういう行動が利益をもたらす。
移動で品質が低下するので現実的ではないが、製造業では品質は低下しない
から、取引は現実的になる。たとえば、「日本でもアメリカでも自動車が
ビッグマック一万個分」とすると、日本円で276万円の車が、3万4900ドル。
したがって、日本で製造した車が外国に輸出して売れば、右のメカニズムで
利益が発生。」この数年間に現実の経済で生じたことの基本は、このような
ことだった。・・ 現在起こっていることは、その正常値になっただけと、
野口悠紀雄は述べているのである。それも一挙だから、パニック状態になる
のである。 円高は原油高、穀物高、資源などを5割以上も高く買わされていた
国民からみたらマイナスである。その上で、彼らは繁栄を謳歌していた。
それが東海ベルト地帯だけが、その他の地域と違う国ではないかとさえ
思えるほどの差になっていたのである。