つれづれに

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家内が、数日前に、ディズニーランドに一泊二日で上京したおり、
二日目の昼頃にオープンの2階建てバス東京駅周辺でみかけ、
席が残っていたので、義妹と50分、1600円で乗ってきたが、これが
よかったというので、検索をした。夜のコースもあるとか。
 ロンドンのオープンバスは、たびたびTVなどで見かけるが・・・

少々の金と、好奇心と、一歩踏み出す勇気があれば、世には
面白いことだらけ! 知っていれば、土曜日に乗ってみることが
できたが、今度、乗ってみようか!


・・・・・・
2803, イングランド・ツアー ?
2008年12月07日(日)
 *集団スリに狙われて -2

 前回に集団スリの話を書いて、これまでのスリや偽札交換詐欺を思い出した。
ブラジルのリオのカーニバルイグアスの滝に行った時のこと。
「ショッピング・センターには少年の集団万引きに注意してください。
特にウィンドウ・ショッピングの時に囲まれて、後ろポケットの財布を
抜かれるケースが多い」という。面白そうなので、後ろポケットにサングラス
のケースを入れて、通路を歩きながらウィンドウ・ショッピングをした。
腕時計のウィンドウを見ていたら15歳位の少年が三人、両側と後ろに囲まれた。
子供が腕時計を見るわけがない。これが集団万引きと直感し、スーッと離れて
後ろを見ると、私を見ていた中年の男と目があった。その男、ニヤリと笑った
ので、わざとメガネケースを出してカラカッタことを知らせてやった。
ただ、それだけのことだが・・・・・
 万引きといえば、スイスに行った時のこと。電車の乗り継ぎで、駅の土産店
に入ったところ、人で身動きが出来ないほどだった。他のグループの日本人が
「この店中に女の万引きが居る」という話し声が聞こえてきた。
そこで自分の財布に注意しながら万引き女を探すことにした。初めての経験である。
その場合、見るのは‘目’と気づいた。 30人位の人混みなら直ぐに分かる。
三十歳ぐらいの女で、中年女性のバックをジッと見ている。これだなと、
その瞬間を待った。しかし連れに店外から呼ばれて、せっかくの場面を
見ることが出来なかった。
 ---

 *旅行の全てを楽しまなければ

「せっかくの旅行、高い値段を出して行くのだから、勿体ないじゃないか」 
これは人生と同じである。特に、移動時間をいかに過ごすかである。三十回目
辺りから、機内の席の12時間の移動の苦痛が最小になった。特に初日の成田から
目的地の機内がキツイ。キツイが反面、自由な時間が幾らでもあるということだ。
それを楽しむには、音楽かTVである。最近は、座席の前面に液晶TVと音楽、
そしてゲームが出来る。家内も行き帰りの、この時間が一番楽しい!という。
帰りの機内で、最新の映画を4本も観たという。私は、持っていったiPod
の音楽を休み休み聴いて過ごした。その御陰かどうか、殆ど疲れが残らなかった。
今回の機内のTVが最先端のものだった。映画や音楽などがネットで結ばれていて、
無数の中から選択可能なのだ。現実にも可能なのだろうが、実際に使って初めて
情報の進化を実感できた。凄い時代なのである。世界の広さと、深さを、家でも
無限に手軽に入手できるのである。 これまでは本とマスコミが中心だったが・・
それなら、情報機器を可能な限り利用して使ったほうがよい。 
ipodで、旅行先に自分の選択した2千曲を持っていけるのだから。

・・・・・・・・・
2007年12月07日(金)
2438, 犬は鏡で自己を認識できるか?
            (`・ω・。)っノXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】

随想日記で何度か「動物の中で一部霊長類とイルカだけが、
鏡の中の自分を認識できる」ということを書いた事があった。ところが
池田晶子の本で、飼い犬が鏡の中の自分を認識していると述べていた。
少し頭の良い犬なら自分を認識するのも肯けるが、さすがに哲学を専門家、
見るところは鋭く観察している。でも、犬が自己を認識して、しげしげと
自分の顔を見ている姿は何か不思議な気持ちになるだろう。
{考える日々? 池田晶子著 ー鏡の中に「私」はあるか?}より抜粋
 ーー
ある動物園では、チンパンジーが退屈するので、大きな姿見を与えてみたという。
最初は驚いたり恐がったりしていた彼らは、やがてそれが「自分である」と
いうことを認識をし、表情を作ったりして遊び始めた。
番組では言っていたが、しかし、これは違う。たとえば、私の(賢い)
愛犬だが、彼は仔犬の頃、初めて鏡に「自分」を見出した時、慌ててその裏に
囲って調べた。同じ頃、ステンレスの専用の水飲みで盛んに水を飲んでいる
最中、いきなり跳び退いてびっくりしている。そうして、こわごわ器の中を覗き
込んでいる。器の底に、自分の顔が映っているということを、発見したのである。
今では、鏡というものの「意味」をすっかり認識し、時折、何が面自いのか、
しげしげと自分の顔を眺めていることがあるし、私がその後ろで手を振って
みせると、振り返ってニカッと笑う。鏡像認識は、霊長類に限らないようである。

で、ここからが今回の本題すなわち問題なのだが、鏡の中の自分を自分である
と認識するというのは、どういうことなのか。右の話の伝でなら、鏡の中の
自分を自分であると認識できるほど知能が高いということになりそうだが、
じつを言うと、私は、鏡の中の自分を自分であると認識できない時がある。
いや正確には確かに自分であるはずなのだが、どうもうまく実感できない。
とくに、真剣に思索モードに入っている時など、通りがかりに洗面所などの鏡に
顔を見つけ、「コイツは誰だ」「なんでコイツがこれなのだ」、そういう感じになる。
考えてみてほしい。人はなぜ自分を自分の顔や身体と同一と思っているのか。
なるほど、人は「私は」と言って、自分の鼻の頭を指すけれども、この場合、
指しているのが「私」なのだろうか、指されているのが「私」なのだろうか。
それを知ろうとしているのは、では誰なのだろうか。「私」は、どこに居る
のだろうか。鏡の自分を自分と同一と思うのは、じつは未だ進化の途上なので
あって、意識すなわち自己意識というのは、さらに進むと、もう一回ひっくり
返って、「自分」以外を自分だとは思わなくなるのである。確かに、顔や身体は、
「自分の」顔や身体ではあるけれども、それを自分の顔や身体だと思うためには、
その先に「自分」が知られているはずだ。で、ここでこそ正等に「自分とは何か」。
これこそが、猿でも犬でもない「人間」の問いなのである。
では「われわれ」とは?
ーーーーーーー

学生時代、何時も部屋の机の前に鏡を置いていた。あまり見るので、鏡の像の
自分が解らなくなることがあった。この人は誰とさえ思うことがあった。
40年近く前の話である。 女性は、恐らく多く経験しているはずである。
現在経験するのは、鏡の先に見るのは死んだ父そのものである。
それも、日ごとおう度、自分から父の顔が前面に出てくる。気持ち悪くさえ、
なることがある。先日も、スナックで父を知る人に全く同じことを言われた。
                    ((´_`○)ノ ノヾィ♪
・・・・・・・・・
2006年12月07日(木)
2074, 寝ずの番
            才八∋ウ_〆(∀`●) 
先週の金曜日の昼休みに、近くのレンタルDVDショップで何気なく「寝ずの番」
を借りた。落語家の大御所の葬式にまつわるコメディーで面白そうであった。
そして事務所に帰ってきて30分もしないうちに義母の死亡の連絡が入った。
その夜は生通夜、翌日が通夜、そしてその翌日が葬式とつづいた。
何かの因縁だろうと、土曜日の納棺・通夜の出発まで時間があったので
DVDを見ることにした。くしくもそれが通夜の内容で、下ネタのヒットパレード
不謹慎と解っていても、2時間近く爆笑であった。!!(^Q^)/゛

「寝ずの番」とは、生通夜に線香を絶やさず故人の思い出を語って、
一夜を過ごす風習である。この映画は、それを題材に色いろな故人のエピソード
を面白おかしく笑い飛ばすストーリーである。 伊丹十三の「お葬式」や
男はつらいよ」などで、通夜のドラマが演じられている。
泣きながら頭にあるのは相続の算段をしているのが、シビアで笑いを誘う。

ーその概要といえばー
俳優・津川雅彦が、祖父(牧野省三)、叔父(マキノ 雅弘)と同じ「マキノ」性
で映画監督デビューした作品でもあり、原作は故中島らもである。笑満亭橋鶴
という落語家一門の「寝ずの番」の可笑しくも悲しい物語。師匠橋鶴、一番弟子橋次、
おかみさん(師匠の奥さん)志津子と次々に亡くなり、それぞれのお通夜での
エピソードが味がある。始りの場面が、死に際の師匠の「そそ が見たい」という
言葉から始まる。(実はそそは‘空’の聞き違いだが)そこで弟子の上さんの??
を死に際の師匠に、見せる場面から・・・ 映画全体が下ネタのオンパレードである。 
 o_ _)ノ彡☆ ぎゃはは            _(_ _)ノ彡☆ばんばん!
--
京都で饅頭のことを「おまん」というらしが、京都でこの言葉を聞いて赤面した
ことがあるが・・。 ここまで次々と艶歌や下用語が出ていると、逆にイヤらしく
なくなるから不思議である。浅丘ルリ子米倉涼子中村勘三郎桂三枝
笑福亭鶴瓶などが本人役でチョイ役で出てきたが、津川雅彦の友情出演だろう。 
笑満亭橋鶴のモデルは、鶴瓶の師匠・笑福亭松鶴?。

生通夜の席上、亡き骸と踊る“らくだのカンカン踊り”や、下ネタの
座敷歌合戦’は「粋」でさえある。死ぬ前に遺した最期の言葉で残っているのは、
ゲーテは「光を、もっと光を・・・」ベートーベンは、「友よ拍手を!喜劇は終わった!」 
トルストイは、「私は真実を愛する」である。そして、この映画の笑満亭橋鶴は
「そら(そそ)が見たい」である。
           
邦画が再び息を吹き返してきたようだ。この映画は明らかに中年年代以上を狙ったもの。
しかし、悲しみを笑いに変えて偲ぶ内容は、下手な泣きよりも深い愛情が出て良いものだ。
葬式ほど、虚実の虚構そのものに目がいくから、尚のこと下ネタの奥にある人間味が
表出するのだろう。
 
・・・・・・・・・
2005年12月07日(水)
1709, 耐震偽造問題について 

 マンションとホテルの耐震強度偽装問題は、あまりに悪質である。
これまで「建設業界そのものが、政治、官公庁がらみの構造汚職体質」と、
このHPで辛らつの批判してきた。

その末端の一現象が、そのまま露出したにすぎない。 
さらに大きな広がりが、日ごとに出てくるだろう。 
                  ~~匸Pヽ(・ω・`)
今回の偽造が発端になった物件は、総研というビジネスホテルの開業指導の
コンサルタント会社が偽造の設計主導をしていたというから、問題が深い。
数年前に、坪・40万でホテルが建つと聞いていたが、まさか犯罪まがいの
建物とは思ってもみなかった。 もし当方で数年前にホテルの計画があれば、
総研の紹介の設計施工の業者に建設させていた可能性がないとはいえない。
TVで着工時の鉄筋の骨組みの写真が出ていた。
10階の建物で、本来はビッシリ鉄筋が詰まってなければならないのに、
スカスカの鉄筋が露出して写っていた。 施工業者が気がつかないわけがない。          
ー先日の地元の新潟日報によると、以下は字数の関係でカット(07年12月07日)

・・・・・・・
2004年12月07日(火)
1344, 面白くない日は一日たりともつくらない
 (2008年12月07日 字数の関係でカット) 

・・・・・・・・
2003年12月07日(日)
977, 「開運!なんでも鑑定団

 この番組み、いつも楽しみにしてみている。
代々、実家が古美術商であった為に両親の収集した古美術品に 囲まれて育った。
(両親は戦後になって衣料量販店に転業した。)
しかし衣料量販店で成功したお金で、趣味で骨董を買い集めていた。
  古美術の世界では「目利き」という言葉がある。この世界では
「騙しは悪いことでない」一般から観れば異様の世界である。
・「傾むきかけた旦那様から骨董を詐欺同然で買取る」のが仕入れになる。
 まずは仕入れで大儲けをして、
・反対に「旦那様」に可能な限り高く売りつけて、儲けるのだ。
 
 その為には、ほぼ太鼓持ちに近い状態になる。如何に良い旦那様に贔屓に
されるかが腕になってくる。父のお客は当時軍事産業で勢いを持っていた
「津上製作所」の津上退助、山本五十六、互尊文庫の創設者の野本互尊翁など
など、そうそうのメンバーだった。一年に一個売れば、一家が充分に生活が
できる稼ぎであったという。

 両親を見ていて、その買い方の凄さにタダタダ驚いた。
「蔵出し」という言葉がある。事業が傾いた家が、道具屋と組んで蔵の古美術品を
売りに出すのだ。 事業が上手くいっている人が、事業を失敗した家に乗り込んで
買い取る場面に両親に連れて行かれて何回か見た。修羅場もいいところである。
子供ながら、そのことは解っていた。

私が異常に「痴呆名士や、その??息子」を嫌うのは、こういう場面を両親に
意図的に見せられていた為だ。「蔵出し」とは、商売の勝ち組が負け組みから
ただ同然で財産を買い叩くことだ。勝てば官軍、負ければ賊軍の凝縮された場面。
絶対に負け組みになってはならない。

昨日、「開運!なんでも鑑定団」を十年近く見てきた中で、一番すごい場面をみた。
「光悦」の茶碗が出てきたのだ。嘘だろうと思ってみていたら、何と本物であった。
この春、ある収集家が自信を持って出したものが全部、贋物であった。
その本人がリベンジで出てきた。10年前400万で買った「光悦」の茶碗の鑑定だ。
もし本物なら、国宝ものである。 結果からいうと本物であった。 
光悦の作品が17点あることは知られていて、今まで8~9点の存在は確認されて
いるという。新たに不明の一点が出てきたのだ。 鑑定の値段は「5千万円」
であったが実際は値がつかないだろう。 ー最近、話題はTVか、
レンタルDVDの映画が多い。どうしてもカウチポテト族になってしまう。

・・・・・・・
2002年12月07日(土)
603,ある時間の断片-17
 10月8日 1968年

10時起床。12時40分に上野に向け出発。 六日町の雲頓庵へ。 
久々だ雲頓庵だ。 計画はこうだ。6時半起床、一時間掃除、食事、30分間座禅、
9~12時勉強、昼飯後、13時から15時勉強、30分休憩後、17時30分
まで勉強。食後30分座禅の後、19時半から23時半まで勉強。24時就寝。
卒論の大筋をつくり、目次を第三章までまとめる。 小項目をそれぞれ書き込む
こととする。  ー追記ー  2002年12月06日記
 この時に書いていた卒論の内容について書いてみる。
ー卒論 「流通革命について」
 私の卒業論文は「流通革命」であった。 内容は今のスーパーの出だしのころで、
そのころ主流を占めていた百貨店や一般小売店やデスカウントハウスに変わり、
チェーン店の時代がくるという論証であった。

 その為にアメリカのチェーン店を引き合いに出して、その組織や業態を事例
に出して、これからは今までの流通経路と全く違ったバイパスとしてのチェーン店
の時代の到来を、渥美俊一や林周一の流通革命という書物を種本にして纏め上げ
ようとしていた。今なら一月もしないうちに、いや二週間で軽く書き上げることが
できるが、基礎となる文章の書き方も知らないで、もがき苦しんでいるのが手に
取るようにわかる。
 ・今なら結論は何だ!と決める。その30~40語をまず決める!
 ・その結論を導き出す3~4の項目をたてる。それに集中する。
 ・あとはそれぞれのキーワードを3~4つさがす。
 ・あるべきスタイルをアメリカのチェーン店にモデルをさがす。
  それと日本の現状の差を見つけて埋めるプロセスたてる。
 
 以上を繰り返し書き直しを重ねるだろう。 34年経った今、その当時の雄であった
ダイエーが国家管理で、長崎屋やニチイが倒産。西武流通グループは解体。ヨーカ堂
ジャスコも今はよいが、10年後は存続は5分5分の状態。 面白いものである。

・・・・・・・・
2001年12月07日(金)
262,強請りーその手口

ーヤクザ対処法ー
この仕事をやって20年、前面(現場)には一切立たない。
現場は危ない部分があったが、危ない人に一円たりとも支払った事は一度もない。
暴対法ができてから、チンピラやヤクザも大人しくなった。しかしその以前から
殆どない。現場に「すぐ警察に電話をするよう」と指示してあるからだ。
2ヶ月位前、本屋で「ヤクザの実践心理術」という本を買った。
どうということのない本だが、面白い内容であった。脅しのテクニックが
詳しく書いてあった。 

まず私の経験を書くと
1、彼らが一番恐れているのが警察である。電話を迷わずかけること、警察の門
 をくぐる事だ。ーこれをただ実直に守ったから20年間一回も脅されたことはない。
2、暴力の使用を一番恐れているのは、彼ら自身である。それを熟知していればよい。
 「恐喝で逮捕の危険」の塀の上を彼らは歩いているのだ。
3、彼らと3メートル以内に近寄らない、いや100メートルだ。
4、数年に一回ぐらい間違えて電話をとってしまうことがある。電話を無言で
  たたききる。2^3回やると二度とこない。いちゃもんのつけようがない。
5、「ワイは正しいで、間違ってるのはアンタや」という我田引水のレトリックをつかう。
  「心理学のプロフェッショナル」である。火のないところにイチャモンをつけ、
  煙を出させてシノギー稼ぎーをする。言葉のパフォーマーである。ただそれだけだ。
6、簡単だが、でも恐ろしい?‘警察’という言葉を多用することだ。そして行くこと。
  それしかない。彼等はプロである。 金のならないヤバイ相手はすぐ見抜く!
7、弱味を見せない、彼らは情報産業だ。つけ入られるような事をしないことだ。

ー先ほどの本の要旨は
・まずは怒鳴り!そして筋論に引っ張り込む。
・次は捨て身の居直り。
・王手飛車取り「数百万の損をしたとか大きく出て、数十万、時に数万を下げ強請る。
・いかに底深く、底知れなくするかを演出。ーそれを常に考えている。
・キャステングボードをとって、相手を引きずりまわすかが勝負。
・善意の第三者をよそう、そしてチャンスを狙う。

恐れるのは仕方ないが、とりあえず警察に相談それしかない。そしてその瞬間、
彼等にとって「それはもはや獲物でなくなる」幼稚なお芝居の終了になってしまう
からだ。恐怖も悩みもそれから逃げようとせず、その中心点を凝視すること。
「恐れさせ、混乱させ、警察に垂れ込めないようなお芝居」が彼らの実態だ。
ーこれがその本のいわんとするところだ。

 ・・・・・・・ 
 ある時間の断片
12月7日(土曜日)1968年  

12時過ぎに目が覚める。 何となく時間が過ぎる。 18時に、山岡さんがくる。
先日のバザーのお金を受け取ってないという。 私はただ言われたまま無料奉仕を
しただけだ。 20個の歯ブラシ代を永田さんがポケットに入れたままだと言う。
何で私が責められなくてはならないのだ。11時過ぎに深井を呼ぶ。この前、
ドタキャンに対して強く彼を責める。言い過ぎたようだが、これでよい。
夜半の0時に駒村と米林と3人でのみにいく。駒村が、かなり酔ってしまった。
私のことを寮の先輩として尊敬すると褒め立ててきた。お世辞でも嬉しい。 
この時、思わずオーストリアに行った河路先輩を非難してしまった。
また、満田先輩もだ。寮から抜け出れない姿勢が問題であると。
学生気分から抜け出れないのだ。 逃避で寮に来ているだけだ