つれづれに

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  この年齢で思うことは、「世の中、平等でない!」ということ。
 良いことは、何故か上位2割の人に、8割は偏って集中する。
 悪いことは、下位2割に8割は集中する。 『2対8の原則』が、
 ここにも働いている。結局は、幸せの人に、良いことが磁石に
 ひき付けられるように。 

  不幸の人は、まず他人の不幸のタネを探し、そこに敏感に
 反応する。それが、回りまわって自分に帰ってくることに
 気づかない。

  自由も幻想の一つかもしれないが、『自らに由る』という点では、
 自分で作り出すことができる。自主性とは、自分で決定すること。
 それには、情報と知識が必要になる。もう一つは、群れても、
 同じないこと。『和して同ぜず』の精神が必要である。
  
  つれづれに書いたが、何か上から目線のお言葉になっている。



・・・・・・
3511, ユダヤ人の頭脳活性法 ー5
2010年11月05日(金)
        「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
   * 感じたことをどう表現するか
 10年近く毎日、テーマ日記を書いてきた。そして得たことは、感じたことを、
素直に表現できるようになったこと。それは前日書いた文章を、早朝40~60分
かけて添削し続けてきたからである。たった、この短い文章にである。
そのため過去に自分が書いた同月同日の文章を読んでいて、時間をかけたエネルギー
を文章の中に感じ取ることができる。魂の一片である。 言葉のデッサンの修正と、
色づけをしていたことになる。 知人が、あれだけ自分にはスラスラ書けないと、
諦め顔でいったが、私だって出来ないのを一番知っている。スラスラ書けるように
なるには、文筆業でしか生活が出来ない土壇場を経験してきたプロでしか出来ないはず。 
天才は別だが。早朝、何度か書き換えてアップロードする時に必ず「稚拙だが、
これしか書けない!」という思いで吹っ切っている。さらに自分の文章の蔵庫を開放
しているに過ぎないと。満足に近いのは年に数回しかない。それも自画自賛で我を
見失っている時である。それ位、感じたことを適切に表現することは難しい。
いや、その感じているそれさえ、疑問を持っている。(この本のマトメというより、
自己主張になっているか)この本に【短くても素直な言葉、素直な表現、素直な
組み立てで自分の心にある思いを表現する、それが考えるということ】とあるが、
それが考えることの基本である。素直な心-ことばは、おのずと独特の音、
独自の韻を持っていると、著者は述べているが、その自然の抑揚と響きが読者の
心を打つのである。 過去10年近くの文章を毎日読み続けていると、ただ書き写した
文章と、自分の脳を通して消化してある文章の差を自分が一番敏感に知ることになる。 
素直に発したことばは、時空を超えて過去の自分に邂逅できる。だから、素直になる
しかない。それが毎朝となれば、添削の作業そのものが瞑想そのものに近くなる。
それと過去の文章を無心で読むことも。だから続いている。  
この文章は、著者に触発されて、私が感じたことを、そのまま書いてしまった。
 ところで今度、実際のダ・ビィンチなどのデッサンの模写をしてみようか。 
名画の模写と、名文の模写は基本である。ー文字制限のため毎日、文章をカット
しているが、これが自分の身を切るようで辛いー
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3136,脳と日本人 -2
2009年11月05日(木)
 「脳と日本人  松岡正剛 茂木健一郎」 -読書日記
 * 日本という方法
松岡: ぼくは、日本をヨーロッパ思想の規範の価値観だけで見るのじゃなくて、
 日本が日本を「方法としての日本」にしようとしてきたことに関心があるんです。
 それを見ることが好きなのです。たとえばインドに生まれたブッダの仏教は、
 中国をへて日本に伝来しましたね。中国の浄土教が日本に入ってくると、
 法然や親鶯らによって、かなり独創的な日本浄土教というものになっています。
 空海密教も、インドはむろん、中国にもあまりないものです。つまり、日本は、
 中国にあったものを変えて日本化させてしまっている。再編集するのですね。
 それは禅もそうだし、屏風や庭園もそうです。屏風は、中国ではほとんどが木です。
 日本は紙ですね。 日本という方法になっていくんですね。 たとえば、屏風は、
 閉じてまた開くとか、季節になったら蔵から出してきて、終わったらまた蔵に
 戻すとか。ぼくの家もそうしていました。掛け軸も、その場に合わせて掛け替える。
 ヨーロッパなどでは、いつ行っても同じ絵を飾っていますね。
 えんえん百年間も同じ絵を飾っているという家庭もありますからね。
 セザンヌの絵でもお爺さんの肖像画でも、三年ぶりに訪れたら掛け替えてあった
 ということはほとんどないしね。 新しく購入した絵画を自慢したいというのは
 別ですけどね。 ところが、日本では、僕くが育った環境では、少なくとも季節
 ごとに変えています。 みんな、お金持ちじゃないから繰り返して使いますけどね。
 そういうやり方をするわけです。また、禅宗は中国で生まれて発展しましたが、
 日本で広まり、五山の禅宗文化になった。そこにはいろいろ付属して芽生えたもの
 もある。細長い掛軸もそのひとつ、座敷で酒を飲むのもそのひとつ。
 その代表的なものが、枯山水です。中国にもロックガーデンは沢山ありますが、
 枯山水はまったくありません。枯山水は、水を使わずに岩や石や砂を配置しただけで、
 そこに山や水をあらわしている。水を感じたいから、あえて水を抜いているんです。 
 枯山水の庭の前に、日本では池泉庭園というのをつくっています。
 毛越寺の庭園ですね。そういうのがあったにもかかわらず、枯山水の庭をつくって
 岩や石や砂があるだけなのに、そこに水の流れや大きな世界を観じようとした。
 つまり、感じたいものを方法論的にそこから抜いたのですね。 こういうことは、
 宗教改革のような既存価値の打倒や分割とはいえないかもしれないけれど、
 とはいえそこには宗教感覚が生成していないともいえないんです。
 水を感じたいがゆえに、あえて水をなくしてしまった。
 不在をもって、かえって存在感を表現する。
 ―
 松岡は、何らかの情報を得て受けとめる方法のすべてを「編集」であると見て
 史書の編纂から日記、短歌、連歌などにとどまらず政治・経済のシステムや、
 書くこと話すこと、生きることそのものまでを編集行為として捉え、長年考察し
 続けてきた成果をもとに日本を日本ならしめている「日本的編集方法」を探っている。
 ただ「主題」を求めようとするのではなく歴史に蓄積された「日本という方法」
 を発見している。極東の島国に流れ込んだ、あらゆる文化を島国に合わせて
 再編成を長年かけてしてきたのが日本である。21世紀こそ、このノウハウが
 世界に必要となるのではないか、という。分からないでもないが。
 ・・・・・・・・・
2771, 女の一生
 2008年11月05日(水)
ある随想を読んでいたら、次のような内容があった。一人ひとりの人生を見つめると、
誰も彼もが波乱に富んでいる。短い文章の中に、一人の人生が垣間見れるようだ。
「言葉には魂が宿る」ということである。
 ーー
・・十代の終わりには私は親もとをはなれ、働きながら自分で縫ったスーツを
着て成人式に出席しました。これが二十代のはじまりです。そして.「この人と
なら死んでもいい」と思える恋をしたものの、「わしの目が黒いうちは、
かまどの下の灰も、他人にはやりたくない」と彼の母親に言われ、死ぬほど
辛い失恋をしたのも二十代のことでした。主人と知り合って妻になり、長男を
授かって親となって、私の二十代は終わりました。主人が交通事故のために、
右足切断の身体障害者になったのは三十代のはじめでした。
しかし私は考えた末、身籠っていた長女を出産しました。
それからの月日は二人の子どもの養育と、後に自宅を改装して開いた喫茶店
経営の忙しさに追われ、いろいろなことはありましたが三十代、四十代は夢
のように過ぎてしまいました。子どもたちが成長して私の元から去っていき、
五十五歳で喫茶店も閉じました。先日、紀伊国屋書店で何げなくめくった本に、
こんなことが書いてありました。
  女の一生
 二十代 美しく 三十代 強く    四十代 賢く   五十代 豊かに
 六十代 健康に 七十代 しなやかに 八十代 艶やかに 九十代 愛らしく
気がつけば私は六十歳の半ばも過ぎて、四人の孫の「ばあば」になっていました。
振り返り、私の「女の一生」は、どうだったでしょうか。
記憶にも残らない日々を、多く積み重ねただけのような気がします。
私に残されたこれからの人生は、自分のためにも、そして、友人や知人のためにも
健康に気をつけて、しなやかに、艶やかに、愛らしく生きていこうと考えています。
年賀状をポケットに、ポストに向かう私の背を北風が強く押してくれました。
 ーー
解)女の一生 を 男の一生に 私の実感から書いてみると、 
  二十代 七転八倒         三十代 激しく逞しく
  四十代 ゆるやかに、よろよろと  五十代 面白可笑しく、三十年分を
  六十代 静かに 穏やかに?    七十代 (やはり)しなやかに
・・・・・・・・・
2007年11月05日(月)
2407, こころの旅 ー?   ´ω`○)ノ**c⌒っ *・∀・)φ【才八∋ゥ♪】
 この本は、ところどころに見逃すことの出来ない「人生の道理」で満ちている。
 それを知っているといないとでは、人生が全く違ってくるだろう。
 その意味では、この本は常に身近において読んで置いてよい本である。
・一歳半~五歳位の間におきる脱中心化=自己客体として自分の身体を客観化する転換期、
・思春期におきる超時間的な抽象的時間の概念をもつようになる転換期、
・熟年時におこる宇宙時間の実感化への転換期、 と、人生に三回の
 コペルニクス的転回を指摘している。
私は宇宙的時間の実感化はおこり始めているが・・・
まずは、その部分を抜粋して考えてみる。
  -----
  *人生の三回のコペルニクス的転回
・第一の転換期については、ピアジュは子どもの研究において、一歳半ぐらい
 までの幼児はすべてを自己中心に考えているけれども、一歳半ごろから自分の
 活動を自分のからだから「脱中心化」し、自分のからだをほかの客体の中の
 一つとして見ることを始める。これは四歳ごろから顕著となり、五、六歳ごろ
 には本格的なものとなる。つまり、空間における自分のからだを客観的に見る
 ことができるようになり、ものを抽象的に考えることができるようになる。
 これが第一の転換期という。
・さらに思春期ごろから第二の「コペルニクス的転回」が起こる。 
 青年は時計の「物理的時間」は便宜上のものにすぎないということが
 わかって来て、超時間的な、抽象的な時間概念をも持ちうるようになるという。
 つまり時間というものは極めて不思議な、哲学的な問題であって、青年期に
 この問題に思いをひそめる人は必ずしも少なくない。
  (字数の関係でカット09年11月05日)
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2006年11月05日(日)
2042, 田舎に泊まろう!
     。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ~ ヨウ
田舎に泊まろう!」を見ながら、この文章を書いている。(11月4日9時半)
地上放送で土曜日の9時25分に、夜はBS/TVで、20時に放送しているが、
最近はどちらかを必ず見ている。(字数の関係でカット08年11月05日)
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2005年11月05日(土)
 1677, うそつき-3
子供の頃、「うそはついてはいけない」と信じていた。当時の子供社会は、
まだまだ純朴な時代背景があった。中学生になってクラスの隣の席の男が平気で
うそをつくのに驚いた。それまで、うそを平気でつく人間はほぼいなかったからだ。
それから年齢を重ねると同時に、うそを平気でつく人間を多く知るようになる。
また裏切りも多く出会った。うそに対しては、誰も一言も二言も言いたいことが
あるはず。父が癌であと一年と宣告された時(本人には隠されていた)亡くなる
までの一年の間、自宅で父と暮らした。私が26歳の時であった。
死に病を隠すために時々父にうそをつかなくてはならない場面が多々あった。
そしてあと三ヶ月と宣言された時、父に隠れて葬式用の黒服を作りにいった。
何かを察した父は、『何処に行ってきたのか』と聞いた。その瞬間のうそほど
つらいものはなかった。その時、「うそも訓練していなくては!」と、思い知った。
そして、私に思わぬ出来事があった。セミナーで、東京に泊まったときのことである。
ホテルの近くの居酒屋で会社の人と酒を飲んで、何処かのスナックに入った。
そこで上機嫌で飲んだことは憶えているが、その後のことは全く忘れてしまった。
二日酔いの私に連れが翌日、「前日のことを忘れてしまったでしょう」と言われた。
「そういえば、全く記憶にない!」と答えると、思ってもない内容であった。
人格豹変というのか、全く違う自分がそこにいた。「自分は、数ヶ月前に離婚を
して現在は、その心の傷でしょぼくれている」そして、悲しそうな顔をして肩を
落としていたという。恐らく、よった勢いで二度とくることはないのだから
「しょぼくれた男を演じてやれ!」と、思ったのだ。酔いが醒めたこともあり、
深い自己嫌悪に陥ってしまった。酒癖の悪い男の一場面でしかないが。
(字数の関係でカット10年11月05日)
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2004年11月05日(金)
 1312, まさか、地元で大地震!ー9
この地震シリーズを書くのも終りのはずであった。書くのも飽きてきたし、
面白くない内容だ。昨日は普通の生活パターンに戻る初日。ところが新幹線が
長岡駅を発車して7分後に、再び余震があるとは思ってもいなかった。
震度は4で、ユサユサという感じの揺れであった。災害以後の、通勤初日の
新幹線でまた余震にあうとは。今年の台風と同じで、どこまでも続くのが不気味である。 
地球規模の大気圏と地層で、何か起り始めているのではないのか?と考えざるを得ない。 
観光旅館は、県内は壊滅状態という。中越地区は、ほぼ100?がキャンセル。
他の地域でも80?がキャンセルをしているという。本当に深刻である。
これは典型的な業種であるが、ほぼ全ての経済は壊滅だろう。困ったものである。
長岡駅新潟駅の専門街は殆どお客は見当たらない状態である。
旅行をしていると、この数年どこにいっても、「地球温暖化の影響で、
この数年異常気象が起きている。生態系のバランスが崩れて色いろの分野で大きな
問題がおきています」という。神(大自然)が怒っているのだろうか。
 ーーー
 昨日、出社の直後書いた日記の内容である。
 ー11月4日ー
「冗談じゃない!」11日ぶりの新幹線、やっと平常に戻れたと思いながら外を見ていた。
ところが発車して7分ほどして、新幹線が急停車。その後10秒程度?揺れていた。
「これは地震で震度4~5位だが、もっと大きいかもしれない。当分、新幹線の車内から
出ることが出来ない!下手すると、数時間はかかるだろう。それにしても、
危ない場面に出くわしてしまったのだ」と思い、自宅に携帯電話をするが不通である。
そこで新潟に電話をして状況を聞くと、中越地区が震度5強地震という。
しかし30分後に発車、長岡を出発して1時間後に新潟に着いたことになる。 
これで当分警戒期間が延びることになる。災害地は、昨日の大雨で地盤が緩んでいた
はず、二次三次災害がないといいが。 先週の水曜日の余震5の時も、やはり三条と
長岡の中間地点にいた。 今回の地震では、一回目の地震の三時間前に震源地に近い
小千谷のスー・パー・センターに行っていた。何か巡り合わせが悪い。少し、それを
意識しなくてはなるまい。帰りの新幹線は長岡まで果して開通するのだろうか。               
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2003年11月05日(水)
945, 瀬戸内寂聴
 先日たまたまBS・11にチャンネルをまわしたら、瀬戸内寂聴の講演で
「四苦八苦」の仏話を面白おかしく話していた。その時の概要が「笑うこと、
合掌すること、そして鏡を見ること」であった。後半の滝田栄と寂聴の対談が面白い。
「人の命は甘美なものだ!」と釈迦が言ったという寂聴の言葉が印象的。
 そして「慈悲が真髄だ」というのが彼女の実感として迫ってきた。
「笑わすことが重要だ」「渇愛こそ最も大事な愛だ」「自分を慎め!」
「51歳で出家して、一つだけ守っているのはセックスだけだ。あとは守ってない」
「出家といっても、カタチからキチンと入ることが大事である。
もし髪を下ろさなかったら、煩悩に負けてしまっていただろう」
「髪を下ろすことを絶対に勧めます」「仏像を彫りなさい!」等々、
印象的な言葉がドンドン出てきた。作家である為か、難しい仏教の真理を
簡単にしてしまうのが彼女の特性と自覚しているのがよい。
「笑うこと、合掌すること、そして鏡を見ること」という言葉もよいが
「書くこと、与えること、夢をみること」もよい。
ーーーー
[216] クルージング
- 2001年11月05日(月)
10数年前になるが、3分の1の値段でいいから、クルージングのツアーに
参加しないかと、当時のある大手の旅行代理店の支店長から話があった。 
定員を大きく割っているので、得意客を優先的にディスカウントをするという。
もちろん二つ返事でOK!当時第二新館の土地の買収先のオナー夫妻と参加した。
クルージングが4泊5日で香港2泊の一週間で10万円だった。こういうレジャー
もあるものかと感激した。毎食がバイキングで、これ以上おいしい料理がない
くらいの美味しさ。かつ夜10時から朝6時くらいの睡眠以外、船内のあちこちを
ブラブラしている。それがまた楽しい。船上で甲羅干しで寝ているか、ウオーキング
をしたり、ライフルを撃ったりする。 船内ではヨガ教室に参加したり、英会話、
ダンスの講習、などイロイロあり、その好きなやつをして過ごす。
それが気ままにどれに参加してもいいのが楽しい。金持ちはイロイロな楽しみ
考えるものだ。贅沢な遊びの最高に属するものだ。三ヶ月で数百万するものが
たまに見ることがある。 ここで面白い社会構造を見た。船会社と船員が
イギリス人、コックが中国人、メイドや下働きがフィリッピン人であった。
それに客が日本人であった。夜がカラオケにパーテーやカジノの時間だ。
これが毎日続く。気分的に最高であった。そして飽きた頃にフィリッピン
上陸である。 マニラとミンダナオ島であった。正式な上陸でなく警察つきの
仮上陸の為、パトカーのサイレンを鳴らしながらのビップ待遇である。
えらい?代議士がその気になるのが解かった。60歳を過ぎて余裕ができたら、
地中海のクルージングに参加したと思うが。