つれづれに

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    今日のYoutube
 
 今日は一転して雨。10月なら、こんなものか。

ふと、5年前の同月同日の以下の内容を目を通すと、
お金を、使い方によって、「投資」と「消費」と「浪費」の三種類に分けている。
・買ったものが、払った以上の価値がある=「投資」
・買ったものが、払った額と同じ価値がある=「消費」
・買ったものが、払った額以下の価値しかない=「浪費」

なるほど、海外ツアーに5~10倍の価値と実感すると、
これは自分への投資になる。成るほど、これは納得。
これで過去の事業投資を考えると、過剰在庫の投資は、
「浪費」、これも納得。 毎週、みるシネマは、二倍の価値を
実感するから「投資」。 書籍の購入は、当然、「投資」。
 

・・・・・・
3497, お金の教養 -3
2010年10月22日(金)
 ーお金の教養ー「お金の仕組み」 泉正人著 
   * 何が「浪費」で、何が「投資」か
 何もかもが節約ばかりでは人生は面白くない。それでは貯蓄が目的になっては、
お金の本来の価値を楽しむことはできない。価値あるものにはしっかり使い、
価値のないものは、使わないというルールが必要である。著者は日常使う小さな
お金を、使い方によって、「投資」と「消費」と「浪費」の三種類に分けている。
・買ったものが、払った以上の価値がある=「投資」
・買ったものが、払った額と同じ価値がある=「消費」
・買ったものが、払った額以下の価値しかない=「浪費」
 これは分かりやすい。 私の場合、海外旅行は、払った5~10倍の価値は
充分にあった心底思っている。飲んでまわって三軒目以降は払った額の半分以下か零
と思うことが多い。 これは浪費。土曜日など家内といく居酒屋などの飲食店は
払った同額の価値だから、消費。 そう具体的にみると、それぞれの意味が実感できる。 
時に浪費の方が有意義?のことがあるが、ただ酒に飲まれている方が多い。
テレビ、パソコンは投資。 昼飯は消費。 本は大部分は投資。 週刊誌は消費で、
月刊誌の文藝春秋は投資?消費?これは実際に買って読んでから分かること。
去年買った電気アシスト自転車と海老反り器械と腰叩きマシーンは投資。成るほど! 
両親から捨て金を使うな!と教えられたのは、価値のあるなしを意識して金を使え
ということ。関西人は概ねこれに徹している。 マイホームは思い切って良い家を
買うが、普段の生活は質実剛健にする。 金の使い方だけでなく、著者はこれを
時間について当てはめている。 英会話の勉強に当てている時間や、健康のための
スポーツは投資の時間。 休みの日に、何をやっていたか記憶のない時間が浪費。
睡眠は、それが人間が生きるため必要な時間で(必要経費として)投資になる。
一年を振り返って、あれは良かったと思える時間が投資である。そういう視点で
「金と時間」の使い方をチェックしてみると、面白い。長期的投資と短期投資にも
分けられる。 浪費が入った三つが混合するから面白いもの。浪費と思っていた
だけのことが実は投資だったり、投資と思っていたことが浪費だったりする。
これは時間がたってみないと分からない。
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3122, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー3
2009年10月22日(木)
「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)  ー読書日記
 中世に西欧の国々が世界を拡大していく過程で、構造主義ではないが、
決して南米や東洋より優れているのではなく、逆に劣っているのを知ることになる。 
勝っているのは人殺しの技術だけ。 そこで西欧人は自分たちの方が優れていると、
信じたと思ったのである。同じ神を信じると認めあった仲間内では、平等とか
隣人愛を言うが、そこから外れた者については、公然と差別をし、何をしても
よいことになる。人間扱いされなかった奴隷たちが救いの神として唯一絶対の神
を信仰したが、その神は復讐の神だったからである。現在、原理主義者が平気で
テロを仕掛けるのも、この辺の事情による。
 ー以下の部分は、その辺のことを詳しく書いているー
 * 大航海のカルチャーショックと、ペスト発生の由来 (P-13)
Q: 西欧キリスト教文明が、十一世紀以来、イスラームと敵対していたという話
ですが、その後、大航海時代から帝国主義と、猛烈に世界に進出していきますね。
そしてその際にきわめて大規模な虐殺が起こっている。
岸田: 大航海時代でアフリカ、アジア、アメリカ、インドなどに出ていった
のですが、その結果、ヨーロッパ人はますます劣等感と敗北感が募ったと思います。 
誰だって、ふるさとの地で何とか暮らしていけていれば、決してふるさとを捨てて
遠い外国なんかへ行きたいとは思わないものですが、当時のヨーロッパ人は
ヨーロッパに安住できないいろいろな事情がありました。人口の四分の一から
三分の一が死んだと言われる十四世紀半ばのペストの大流行、打ち続く飢饅、
宗教的迫害など。ヨーロッパ人自身は、進取の精神で広く世界へと進出したと
思っているようですが、他の大陸へ出掛けていった連中は、客観的には、
命からがら逃げ出した難民でした。 十五世紀の終わり頃は、ヨーロッパより
インドや中国のほうがはるかに文化的にも経済的にも上で、豊かな生活をして
いたのですね。 ヨーロッパの難民たちは、世界を知ることによって、ヨーロッパ
がいかに遅れていて劣っているかを発見したのです。 その劣等感というか敗北感
をひっくり返すというのが、近代ヨーロッパ人の植民地主義を支えた情熱なんですよ。 
われわれのほうが遅れている、劣っていると感じて、それ以後のヨーロッパ人は、
われわれのほうが上なんだ、優秀なんだということを証明しようと必死でした。
それ以後、彼らが、何かにつけて、ヨーロッパのほうが進歩していると繰り返し
繰り返ししつこく主張したがったのも、この必死の努力の表れでした。
小滝: ペストのことで一言注釈しておけば、あれもキリスト教に原因があるんです。 
当時は修道院があちこちにでき、実に多くの成人男子が修道院に入っていたそうです。
その食糧をまかなうために、大規模な森林伐採をやったのです。さらに森林伐採には
宗教的な意昧もあって、森を残しておくと、土着的な精霊信仰が生き残って、
異端や異教が生まれるので、キリスト教を広めるという意味でも森林を伐採した。
そうしたらフクロウとか蛇とかがいなくなって野ネズミが大発生し、それにペスト菌
  を持ったノミやダニが寄生したもので、大流行を引きおこしていった。
 ~~
  現在、アメリカをはじめ西欧文明が基礎から揺らいでいるが、この辺の一神教
 主導してきた文明の行き詰まり。そして、これからは中国、インド、東南アジアの
 文明が必然的に世界をリードしていくしかない。アメリカの属国として戦後の経済
 成長を続けてきた日本も、ここで大転換期をむかえたのである。
 ・・・・・・・・・
2757, 今後のノーベル賞の有力候補は?
 2008年10月22日(水)
 一昨日の産経新聞 【正論】のーノーベル賞で「銀メダル」の日本ーが、面白い! 
 その中で、今後の日本のノーベル賞の候補を何人か挙げていた。
 アメリカの国力を感じるが、日本も満更ではないことが窺える。
  ーーー
 ●≪政府の50年目標も有望≫
 アカデミーが南部陽一郎小林誠益川敏英の3氏の日本人に2008年の
ノーベル物理学賞を授与すると発表し、翌日には同化学賞を下村脩氏に贈ると発表。
日本人がノーベル賞を受賞するのは、2002年の田中耕一氏(化学賞)と小柴昌俊
氏(物理学賞)以来6年ぶりで、同じ分野の賞を3人で共同受賞するのは初の快挙。
この結果、自然科学系のノーベル賞を受賞した日本人は13人となった。
今回の快挙を含めて、最近ノーベル賞での日本人の進出が目立つ。 
化学賞は2000年から白川英樹野依良治田中耕一の3氏が3年連続で
受賞しているから、下村脩氏で4人目。
 (以下、字数の関係でカット2009年10月22日)
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2007年10月22日(月)
2393, 恥はかかせろ、いじめはなくすな
 戸塚宏が、「新潮45」6月号に寄稿していた文章が考えさせられた。
 彼は自分の戸塚ヨットスクールで、生徒を何人か死なせた責任で6年の
 実刑を終えて、再びヨットスクールで指導をしている。
 石原慎太郎も弁護者で彼を支持している。
 ーまず彼の論の概要をまとめてみるー
  *力は悪か、いや善である。
・6年経って出所して、子供たちは良くなったかといえば、ますますオカシク
 なっている。生気がなくなり、得体の知れない無力感を漂わせ、
 一方で些細なことで直ぐに自殺する子供が増えている。
・暴れる子供はまだよいが、無気力で何も行動を起こさない子供は直し
 にくいし、完全に直らない。登校拒否とか、引きこもりやニートといった、
 社会に反発する力のない子供たち。彼らは幸福を感じる能力もないし、
 幸福になろうと行動もしない。人類始まって以来の、最も奇妙な生きものが
 出来上がってしまった。
・明らかに戦後教育が間違っていた。戦後教育は「力は悪なり」と教え込んで
 いた。教育者も親も、その信者で子供を強くすることは悪だと思い込んでいた。 
 そして子供たちを弱く弱く育ててきた。しかし、力は善に決まっている。
 弱ければ役に立たない。海で溺れている子供を、腕におぼえのある人が助けて、
 子供は一命を取りとめることができる。力があればこそ助けられるのである。 
 強いからこそ、行動ができるのである。それをどこで、どう間違ったのか、
 「悪」としてきたのが、戦後教育なのだ。
・子供を教育するに当たって、「褒めて育てる」ということがまかり通っている。
 「叱るより褒める方が正しい」と親も先生も思い込んでいる。だが「褒めるより
 叱る方が正しい」に決まっている。褒めて褒めて、みんな駄目にしてきた。 
 叱ることを、罰のひとつとしてみよう。 罰は世界中にある。 だから人間の
 本能である。 本能は種族保存を目的としているから善、当然、罰は善である。
 駄目な奴、失敗した奴を罰しようというのは、善なる目的を持っている。 
 それは、相手の進歩でもある。罰は相手のためを思ってやることなのだ。
 叱ることも同様で、相手を考えて叱ってやるのだ。
・いまは何でも気に入らないこと悪いことは人のせいにするような若者が
 増えている。自分が幸福でないのは、あいつが悪い、社会が悪いという具合に。
 自分の責任を棚上げしてしまう。だから自分の責任として考えなければ、
 その人の責任はない。
・叱って、自分のやったことは自分の責任だと、その責任を明確にしてやる。
 そうして初めて己がよくわかるものなのだ。 自分より上の人がわかってくる。
 そうするとそこに出てくるものは何か。恥である。恥は怒りを導き人間を進歩
 させようとする意志と行動を生む。つまり、恥をかく能力は自分を進歩させる
 能力なのだ。だから私はいつも、いかに恥を出してやるか、に心を砕いている。
  ーーー
 ヤンキー先生とかいう、わかったようなことを言っている男をTVでみかける。
それなりに若者を理解して指導をして効果を上げているのだろう? しかし、
何か若者に媚びているだけに思えて良い印象はなかった。半年ほど前に戸塚宏と、
ヤンキー先生が議論をした。数分でヤンキーの化けの皮が吹っ飛んでしまった。
見ていても気の毒で、哀れな無様な姿が、そこにあった。私の見方が歪んでいた
のか、自省しながらみていたが、そうではなかった。不良のエネルギーの方向を
変えることと、引きこもりの心に火を点ける視点は違うが。 戸塚の
「叱って『恥だし』をして、怒りを導き出し、意志と行動を生み出させること」
これはやる気を引き出す基本。それにしても、9割の若者たちは酷い、あまりに! 
自ら気づいてないからなお恐ろしい。    ーつづく
 ・・・・・・・・
 2006年10月22日(日) 2028, ネット空間「セカンドライフ
                        才八∋ウ_〆(∀`●)
最近のネットには、日々驚かされることばかりである。
 ー朝日新聞の文化欄の記事(10月19日)ー
:現実に溶け込む仮想世界「もうひとつの世界」で起きたメディアの地殻変動: 
 には驚かされてしまった。「ネット上の仮想世界で建物を作ったり、売った
お金で現実に住居を手にいれた」というような夢のような話が起きている。
 (以下、字数の関係でカット2008年10月22日)
           (+●∀●)ノ さいなら! さいなら!
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2005年10月22日(土)
1663, 「人生の実りの言葉」-3
 ー独創?
・この章ー独創?ーの冒頭の「ゲェテとの対話」ーエッケルマンを抜粋してみる。
「世の人はつねに独創(オリジナリテート)の話をするが、どういう意味だろう。
 生まれるとすぐ世界は影響しはじめ、そして死ぬまでつゞく。
 一体エネルギイと力と意志と以外に自分のものがあるか。若し私が偉大な先駆者
 や同時代の人に負うた点を一々あげることができたら、残る所はきはめて僅か。」
・更に、この章の一番のさわりの文を抜粋する 
 (以下、字数の関係でカット2008年10月22日)
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2004年10月22日(金)
 1298, 2000年前のポンペイ -2
 図書館で何気なく歴史コーナーを見ていたら、「『ポンペイ』完全復活、
2000年前の古代都市」というグラビア集があった。一ケ月位前にTVで『ポンペイ
を特集していたのをDVDに録って、その面白さに繰り返し見た後なので、思わす時間
を忘れて、その場で見入ってしまった。もちろん、借りてきて見ているがTVより
さらに深い内容である。本は、映像では表現できない違う役割がある。AC/79年8月24日、
ヴェスヴィオス山の大爆発で火山灰で埋没したこの街は、その18世紀半ばからの発掘
によって、古代ローマを知る上で大発見になった。それまで、古代ローマの遺跡といえば、
ローマ市郊外の遺跡であったり、地中海沿岸の都市であった。ローマ帝国は、このような
街が数千もあって支えられていた。しかし、それらはその後の追加工事などで、
当時の原型を殆ど留めていないものばかり。これだけ、完璧に残って発見されたのは
歴史上初めてである。街そのものを、石膏(火砕流)を流し込んで、そのまま保存
したようなものである。
 ーそのグラビアの内容とはー
・街全体の航空写真と、それを元につくられた街の復元の絵
・それで解ったポンペイの都市計画図 そして街の構成と築造技術
 (以下、字数の関係でカット2009年10月22日)
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2003年10月22日(水) 
 931, 強みに焦点をあわせよ
「強みに焦点をあわせる」経営学者のドラッカーの一番好きな言葉である。
企業にしても人間にしても当てはまることだ。強者は強みを最大限いかすから強者
になり、弱者は弱みのうえに自己を置くから弱者になるのだ。まずは自分の強み
とは何かを探さなくてはならない。過去の中でうまくいった事、埋もれている潜在的
な何かを自分で探すしかない。 企業もしかりである。その強みを活かしていくと、
それが違いになってくるのだ。 それを個性というが。 強みを探すとき、
「他との違いを探す」方法もある。 違いの中に強みがあることが多い。
弱点に見える中に、強みがある場合も多い。 一例をあげると、柔道の棟田という
重量級にしては、極端に背が低い選手がいる。彼は外国の背の高い選手に強いのだ。
重心の位置が低い利点を活かして、相手を投げ飛ばす。
 強みを活かし続けると、そこに独自性が生まれてくる。強みに焦点を合わすと
合わさないとでは、時間の中で大きな差が生まれてくる。ついつい弱点の矯正に
気が回って、いつの間にか重心がそこにいってしまう。弱点を修正することより、
強みを活かすことに全力をあげる事だ。 人を使う場合もそうだ。
ついつい弱点に眼がいってしまう。意識的にその人の強みを探し出して使うことだ。
 私を例にとるとーまた露出だが、
・8人兄姉の末っ子 ・両親とも商家の出で商売大好き人間 
・私の幼児期は敗戦の真っ只中で、転業の創業期  
・末っ子の知恵 ・人を内側から多くみている 
・負けず嫌い  これは強みでもあり、弱点にもなる。
 少なくとも勤め人より、商売系が向いている。それも時代の変化に
対しての創業系ー転業を活かすのに向いている。弱点は自制がきかないで
突っ走ってしまう危険がある。
・・・・・・・
557, 基調色-着こなしのコツ -2  2002年10月22日(火)
 ある洋服屋だった社長から聞いた話である
ー昔の大金持ちの旦那衆は、目立たない高級呉服を似た柄で何枚も持って
いて毎日着替えていた。よほどの目が利く人でないと、その違いが判らない。
無頓着にいつも同じ服を着ていると思わせていたという。チョットした柄の
違いのもので、羽織や帯や足袋をかえていた。そういう粋な着方が本当の
お洒落だとかー  基調色を決めておくというのに合い通じる内容だ。
たったこれだけの話の中に多くの教訓が入っている。
シンプル、スタンダード、スペシャリテー、セグメントのチェーン理論の
ドライ主義が全て入っている。一番主義と集中主義である。 目立たない
ーシンプル、スタンダードー似た柄で、高価なースペシャリテー、
何枚もーセグメントである。何代も続く家柄という長い時間の中で、
体得した知恵なのだろう。日本も洋服を着るようになって、まだ日が浅い。 
着こなしでは当然欧米人に比べ落ちるのは仕方がない。しかし和服では
チャンと着合わせが出来ていた。 色というと7色が基本となる。
どうしても私などは単色と思いがちだ。しかし赤一つとっても数千種類も
あるという。理屈からいえば無限のはずだが。江戸時代はその色の違いを
楽しんでいた。そして自分の好きな赤を決めていたという。 
本当にイロイロあるものだ。
・・・・・・・・
 至高体験-1 2001/10/22
もう10年前に読んだコリン・ウイルソンの‘至高体験’が面白かった。
フロイトは‘性’で、ユングは‘聖’で、アドラーは‘権力’の視点で
精神分析を深めていった。しかし彼ら心理学者は精神症・精神病の患者
の医者の立場だ。これに対して‘非常に健康的な人’の持っている
性格的特性とかを調べた。そしてその共通点を探したところ、普通の人に
対して‘至高体験’が多いという事だった。至高体験とはこれ以上ない感激
の極み、絶頂の幸福感をいう。インドを旅行した時、ツアーで一緒だった
女性に「20年前にインドに来たとき、ハシシー麻薬を吸ったことがある」
と言ったので「どういう気分になるのか?」聞いた。「とにかく楽しくって、
笑いが止まらなくなった」とのこと。しかし薬物は中毒になる。死ぬときの
痛め止めの薬物の楽しみに取っておくとよい。ある姉が嬉しそうな顔をして
「極致の喜びを味わったことがある?」と数年前か私に聞いた
。少し躁鬱の気がある人で、近くにいた義兄がハッとした。
「まさかオルガニズムの事でも言い出すのでは?」と私もその瞬間思った。
「それでは貴女はあるのか?」と聞いたら、「一度ある」という。
もちろん私がそういう系統ー精神分析とか、心理学が好きということは
解らないようだった。そちら(セックス系)の内容でなかったが、
「私は三桁は軽くある」、と答えると全く信じられない反応であった。
「そんな事絶対あるわけはない」という。「それでは長島が昨年(7~8年前)
セリーグで10月6日に大逆転優勝をした時に、至高体験したのでは。
長島は三桁は至高経験をしているのでは?」といった時、やっと納得した。
私の場合では、海外旅行で数十回はある。また事業で一仕事終えた時、
緊張感の極めの合間の一瞬の弛緩の時、あるいは会社の忘年会とかに絶対的
幸福感になる。 (それだけ盛り上がる)上げれば限がない。
これはある程度の訓練も必要だ。会社で昼休みに30分、アルファー波の
発生器に‘聴く麻薬の音楽’(アルファー系音楽)を繋げて、もう10年
以上聞いている。(アルバム日記に写真あり)それを毎日している為か酒を
飲んだ時など、直ぐブロックが外れそれに近い状態になる。少しきわどい
内容になるが、コリー・ウイルソンのその本に、「ロシアンルーレット
その状態になりやすい」と書いてあったことをおもいだした。ピストルに
弾一発を入れ、弾そうを回すやつだ。そして引き金を引く。6分の1で死ぬ
やつだ。死の緊張感と助かるのを楽しむ。そして相手と自分が死ぬまでやる。
助かった時の幸福感は至高体験に近いらしい。家内が不思議そうな顔をして、
何人もの友人が「自分を不幸と信じているみたい?」という。 
少しは勉強すれば?と思う。 生きているそれだけで素晴らしいのに!