つれづれに

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 さて、明日はお盆である。 
今朝、駅前近くのアーケードで恒例で売っている墓参りようの「生花」を
4束買ってきた。 これで、家の仏壇を含め、6つの墓に供える。
家制度が時代とともに薄らぐ中、お寺は衰退産業の最たるものだろう。

 スポーツジムが、お盆休みで今週中、休みに入った。
その代わりに、早朝のほかに、二度目のポタリングに行くが・・・




・・・・・・
2686, 人生のハレとケ
2008年08月12日(火)

以前に何度か取り上げたことがあるが、再びハレとケについて考えてみる。
人生にはハレのときもあれば、ケのときもある。
ハレは、田舎の祭りや、稲刈りのとき、(晴れ晴れの時)
ケはそれ以外の地道な日々の生活である(ケチケチ、倹約の時)。
 我々は、この二つのリズムの中で生きている。

過去を振り返った時を考えれば、華やかの出来事に目が行くが、
しかし何気ない出来事の方が深い味わいがある。
書いたことすらも忘れていた学生時代の日記が半年分、倉庫の奥にあった。
そして、その日々を此処で連日書いた。 それを読み返すと何気ない日々が、
何と面白いかがわかる。ハレもケも書いてあったことで面白かった。

私のハレを振り返ってみると、それが秘境・異境ツアーであり、
事業の立ち上げの時であった。写真にも、旅行記も残っているし、
立ち上げは辛い反面、華やかだった。 そして記憶が鮮明に残っている。
そのために背景のケの日々が、その光によってかき消されてしまいがちになる。

家内が(というより女性は)、そのケの楽しみ方を知っている。 
とにかく日々の平凡を楽しんでいる。これは天性なのだろう。 
私も日々の生活を楽しむ術を知っている方だが、女性には敵わない。
生活を楽しむ!ということだろう。 隣に人がいてもいなくとも、
ただ目先のことを楽しむ!ということを。
坂本龍馬ではないが、『面白きなき世を、面白く』である。
だから、面白くないことを我慢するなど勿体ない、とつくづく教えられる。
白(ハレ)と黒(ケ)があるから互いが成り立つのであって、
白だけだったら白色の白が理解できない。

現在の我々を見渡すと、ハレだけを追いかけている。しかし
ケ=普段の平凡な日々を、如何に充実させることこそ人生の価値がある。

話しは変わるが、ユニクロが狙っているのは、普段着を如何に充実させるか、
ハレ(外着)の他メーカーの商品を引き立たせる裏方に割り切っている。
 「隠れユニクロ」と言われようとも、普段着を如何に良くし、楽しむことに
徹していれば、大多数の人が支持をしてくれる。ケの文化こそ今一度見直す
必要な時のような気がする。『日々、是好日』これこそ、知恵さえ使えば
できること。 現実の日本は正にケの時である。
   さて、今日の昼飯何にするかな! 鼻歌を歌ってスキップか~

・・・・・・・・・・
2007年08月12日(日)
2322, 政治家の家族とは・・ -3
        (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。*ぉはょぅ☆♪
*銀座のママと政治家の共通点*

彼女自身気づいているかどうか解らないが、銀座のママという職業にとって、
政治家の家庭で育った環境が大きくプラスになっている。夜の水商売は虚飾の世界。
前に書いたが、政治家も「あるべき理想的政治家」という仮面を被る世界。
社会を選挙民という票田と捉え、人の集まりには可能な限り顔を出し、理想像を
飾り票に結びつけていく。 そこには、本人個人の顔は無い。議員として相応しい
人物としての演出された顔である。

夜の虚飾も高級?な社交場の演出と提供である。愛?と社交を求めて集まってくる
「社用族ータカリ族」や、「成り上がり族」を相手にホステスと自分との愛のゲーム
(仮の自由恋愛の駆け引きの遊び)を夜ごと提供する。
お世辞と奇麗事と作り笑いに一晩の遊びと癒しを求めてくる男達を遊ばせ、
笑わせ、満足させてナンボの仕事である。遊ぶ方も、遊ばせる方も、全て解って
いながら気違い水(アルコール)で酔い、歌い、憂さをはらす。
サカリのついた狸と、それを遊ばせる狐の化かし愛?の世界というと、
チョッといいすぎか?

政治家も、やりもしない、できもしない公約を掲げ有権者に夢を売る。
選挙が終われば、選挙民は公約など忘れてしまうことなど、お見通し。
政治の政は、祭りごとである。(政治ー政を治める)祭りごとなど、年に数度の
祝い事を難なくこなすことでしかない。その祭りには酒と女は欠かせない。
だから酒を飲むことも、男にとっては一つの祭りごとである。
古代ギリシャの政に出てくる巫女は売春を兼ねていた。
それも社会的身分が高いというから・・・

クラブのママは冷徹に名刺というカードを集める。それが個人の財産であり、
カードの蓄積を持っていれば、どの店でも渡り歩ける。ところでママの髪型が
店の格をあらわすという。髪の高さが値段を現し、前への出っ張りが店の格を現す
という。笑ってばかりはいられないか!

売春もしないのに女性が横につき接待するクラブのシステムは、世界で日本だけ。
ホステスという職業はお金を稼ぐために割り切っている女性が多い。
ママとかグランドボーイが、こっそりと、その落としどころを教えてくれる?
酒飲みの男には、だいたい二種類の酒のみのタイプがいる。
酒とカラオケなど、その雰囲気が好きな部類と、酒場で女を求める部類と。
後者はフィリピン・パブなど、別コースの中間地帯が用意してある。
蛇の道は蛇ということか? 暴力団が後ろについて、すんなりとコースがあるとか。

政治家も何でも、プロの道は厳しいものである。
どこかで醒めた眼が必要である。そのためには、逆に熱中してないと・・・

          o(*′з`)o"グッ☆o(*′▽`)〇))"バァァイ☆
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2006年08月12日(土)
1957, 片づけられない女ー2
             \(^▽^*)おは!
検索に「片づけられない女」と入れたところ、「片づけられない女」
サリ ソルデン著 という本が出てきた。現代病の典型的な病で、これまでにも
TVで多く扱われていた。ダラシない性格の女というわけではなかった。

ーまずは、その本の説明文ーから自分の部屋を片づけることができず、
 ゴミの中に埋もれるようにして暮らす女性について、多くのマスコミは半ば
 おもしろがって取り上げる。本書はその原因が本人のだらしない性格にある
 のではなく、神経系の障害である可能性を唱え、全米でベストセラーとなった。
 この神経系の障害は、ADD(注意欠陥障害)と呼ばれる。幼いころから兆候が
 現れていても、見落とされることが多く、大人になるまで本人が気づかない
 ことも少なくないという。 さらに、散らかす、なくす、忘れるといった
 特有の症状は、社会が女性に期待する女性像とのギャップが大きく、
「片づけられない女」というレッテルを貼ることで、解決されてしまいがちだ。
 カウンセラーであり、自らADDである著者は、本書でADD女性が直面する困難に
触れながら、ADDを持ちながら充実した人生を送るための意識改革の必要性を
説き、同じ悩みを持つ女性たちにエールを送っている。
ー内容ー
持ちものが片づけられず、部屋が片づけられず、頭の中の考えさえも
片づけられず、毎日の生活に苦労をしている女たちがたくさんいる。
彼女たちは、雑用の山に圧倒され、すっかり落ちこみ、不安と戦っている。
人間関係がうまくいかない人、潜在能力はあるのに、学業や仕事で力が発揮
できない人も少なくない。プロのセラピストが、新たな心の病として日本でも
注目されているADHD(注意欠陥多動性障害)、ADD(注意欠陥障害)を現代に生きる
女性をベースにわかりやすく解説した初の書。
ーー
以上だが、この説明書きを読むまでは、「片づけられない女は、分別ゴミなど
の分類や、それぞれのゴミだしの日のチェックまで、神経が回らなくなって
しまったのだろう。」と思っていた。これはレキッとした病気なのである。

時々、TVで自分の庭にゴミの山をつくってしまい、近所からの苦情で、
強制執行の撤去の様子が出ることがある。これも一種のADHDの変形なのだろう。
まだゴミの部屋は誰に迷惑をかけるわけでない。 ○=(≧Σ≦)へっくし!        
ー次も、あるHPから拾ったチェックリストである。これによると片づけ方を
知らない人には2つのタイプがある。10問のチェックリストで、
どちらのタイプか分類出来るという。

 -片付けられないタイプチェックリストー
1,賞味期限切れの食品がたくさんある
2,カタログショッピングが好きで、つい買ってしまう
3,年賀状を整理しようと思いながら、1年経過した
4,洗剤やティッシュなど買い置きしていないと落ち着かない
5,キレイな包装紙や紙袋はとっておく
               (o_o ;)
6,片づけや掃除は定期的にやらず、時々、一気にやる
7,毎日使う食器は、水切りかごに入りっぱなし
8,写真のネガや郵便物がテーブルの上に放置さている
9,ソファやイスには、いつも脱いだ服がかかっている
10,「つめ切りはどこ?」と聞かれても即答できない
                ー_ー’
 1から5番目の質問は、「物を処分できないタイプ」の特徴を、
 6から10番目の質問は「整理能力がないタイプ」の特徴を示している。
 それぞれの項目で4個以上YESがあるとそのタイプに分類される。

「処分ができないタイプ」の人は、
 片づけられない原因として“物が捨てられない”事が考えられる。
 処分ができないタイプの人は、物を捨てるための基準を作ればよい。
 例えば、1年間着なかった衣類は、体型や趣味に合わなくなっている事が 
多いため思い切って処分する。CDや本は棚の容量を超えたら優先順位を
付けて処分する。 などなど・・・
 
 人の心の中と、その人の部屋の中は似ている・・・
 人間は何らかのカタチで、幾つかの精神症を持っているという。
精神病と精神症のチガイ解る?
 精神病は周囲に危害や大きな迷惑をかける精神的欠陥。
 精神症は迷惑をかけない範疇内でとどまっている精神的欠陥。
                           (′O`)~3
 人間である限り、幾つかの精神症を持っている。
 軽いか重いだけの問題だが、その危ない上でコントロールしているだけに過ぎない。 
                        @(-。-) ハフゥ~
 だから遊ばないと、それも全てを忘れて遊ばないと!
 バランスが崩れてしまうのです。狂うよりよいのです。
 さて、と!・・・・・・・ o(^-'o)♪☆(o^-^)o~♪
           (oェゥ)o キャアキャア♪(ー'`ー;) バカ!   
  Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.bye  
・・・・・・
2005年08月12日(金)
1592, 幇間ー太鼓もち

幼稚園の頃から高校を卒業するまで、実家の店では年越しの
宴会をしていた。そのため年末が子供ながら楽しみであった。

芸者を何人かよんだり、近くの太鼓もちを呼んだりしていた。
といって長岡あたりではプロの太鼓もちはいない。
近くの酒の好きな漬物屋の親父がセミプロとして呼ばれていた。
通称「八木漬物屋のオヤジ」である。彼がいないと場がしらける
ほど存在感があった。映画で観る幇間そのもので、芸者の三味線に合わせて
色いろな芸をしていた。それをキッカケに、他の人の芸が出てくる。
家族や従業員・取引先など50~60人の宴会が何時も盛り上がっていた。
幼稚園の頃から日本酒を判らないようにコッソリと飲んだ記憶がある。

幇間とは、いわゆる太鼓もちのことである。座敷に呼ばれて、
芸者と同じように旦那衆におべっかを使って機嫌をとるのが仕事である。
落語によくでてくるヘラヘラしながら、しかし暖かい雰囲気を醸し出している
技を持っている男芸者である。愛嬌があって、人から何か好かれる魅力が
なければならない。そして宴会などを上手く盛り上げる座持ち役である。

人間は誰でも、褒められ威張りたいものである。太鼓もちは、その辺を
熟知しており徹底的に自分を蔑みながらお客を持ち上げる。
これは余程の持って生まれた天性が無ければ勤まらない仕事である。
もう亡くなったが俳優の三木のり平の太鼓もちは絶品であった。
一度でよいから、この太鼓もちをやってみたいが、無理である。

営業のベテランは、その要素を経験から充分持っている人が多い。
話のキッカケは何か褒めることから始る。それも自然に、いつの間にか
持ち上げられてしまう。現在、プロの太鼓もちは、ほぼ絶滅?
下町の旦那が余興で踊りなどを演じている位という。

・・・・・・・・・
2004年08月12日(木)
1227, 新潟駅前ランチ事情

新潟駅前のランチ事情も変わってきた。 この1~2年で、横浜軒、松屋
ロイヤルホストすき家が進出してきた。それまでは、居酒屋やラーメン屋
などがランチ定食を出していた。売上不振のフグ割烹の専門店までも昼飯を
出し始めていた。大体680円が相場であったが、最近は300~500円の店が増えてきた。
私も、そのプライスの店に行くようになった。朝食はウォーキングの後という
こともあって、しっかりと食べる為か、昼飯はジャンクション食と割り切って
いるので、手軽で済ませたいし、安い方がよい。
500円以下の店は混んでおり、700円以上のプライスの店はお客は少ない。

先日、事務所の近くに「定食の専門店」が出た。チェーン店ではないが、
とにかく安くて、自分で好きな惣菜をチョイスできるのがよい。 
大体400円~500円で済む。私の場合、週一単位で店を使い分けている。
回転寿司、蕎麦専門店、居酒屋、牛丼(豚丼)専門店、定食屋、
うどん専門店など10軒の店を、その日の気分で決めている。

駅前のサラリーマンにとって、昼飯を食べるのは大変である。12時直後に、
どこも満席になってしまうからである。最近は、昼飯を抜くか、牛乳ですます
ケースが多いという。 小遣いが節約ができるからである。
ランチの世界も、デフレの影響がモロに出ている。

・・・・・・・・
2003年08月12日(火)
860, プライド -1

プライドについて考えてみる。プライドとか自負心を自分で意識する時は、
「逆境の時」とか、「あまり自分の意にそわない時期」に多い。
プライドー自己尊厳ーとは程遠いと思われる人ほど、プライドが高いのに驚いた
経験をしたのは私だけでないだろう。新潟では長岡人を「異常な位プライドが高く、
閉鎖的で彼らだけで群れたがる」と評している。常に小さい世界で誰かを
意識せざるを得ないからだ。まあ地元の悪口になるから、長岡人の話はやめておく。

 プライドが何故マイナスの状態の時とか、マイナスの人の心の状態に現れて
くるのか考えてみる。「自分の子供がよい会社にいるのを誇りに思う」とか
「自分のやってきたことに誇りを持っている」とかに表現される。
それは誰かとか、何かに対しての満足感を表す言葉である。
その背後には、他と比べて、
・自分の収入は誰より多い
・誰よりも名声がある
・学歴は誰誰よりも高い
等々、常に比較の世界に生きている人の言葉である。

 自分の価値観をしっかり把握していれば、そんなことは如何でもよいことだ。
私が嫌っている「子狐」世界は、その比較の世界に生きているからである。
その小さい世界しか知らない無知の住人だからだ。そういう人ほど表面的利害
を求めて彷徨っている。それも隠しプライドー子狐の尻尾ーをたれ下げながら。
彼らには本当の深い喜び、満足感、充足感はない。

 比較の世界に生きている人間に、自分の心の奥の芯の歓喜があろうはずがない。
彼らは、そのプライド故に嫉妬、羨望、憎しみが異常発生してくるのだ。
比較の世界では、上から見下ろすだけでなく、下からの歪んだプライドも出て来る。
ある会など、見ても無残な歪んだプライドの世界である。常に誰かの悪口、中傷の
歪んだ暗い比較の世界である。真の価値観を持ち得ない人が、他者に対して持つ
歪みが変形した世界になっている。自己宣伝に精を出しているチンドンヤ、
噂を餌に営業をしている??、太鼓持ちなど多士済々で面白いといえば面白いが。
それも如何でもよいことだが。
                                             
・・・・・・・・・
2002年08月12日(月)
485, 「我思う故に我あり」-1

デカルトの「我思う故に我あり」という言葉はあまりに有名だが、フランスの
‘生’の開祖と言われているビランが「我意欲す故に我あり」と、デカルト
否定して定義した。

「キリストの求めよさらば与えられん」もこのことだ。どこかの女子大の哲学の
教授の「我笑う故に我あり」という本があるが、あまり面白い本ではなかった。
前回家内と「何で私らだけこれだけ感動に多く出会えるのだろ?」と話し合った。
その時の答えは「求めたからさ!」たったこれだけを殆どの人がしてない。

そこで自分で何か面白いものはないか考えてみた。
「我 実践す 故に我あり」
「我 行動す 故に我あり」
「我 祈る  故に我あり」
「我 感動す 故に我あり」
「我 愛する 故に我あり」
「我 夢みる 故に我あり」
「我 美食する 故に我あり」
「我 セックスする 故に我あり」
「我 読書する 故に我あり」
「我 前進する 故に我あり」
「我 遊ぶ 故に我あり」
「我 闘う 故に我あり」
「我 歌う 故に我あり」

幾らでも出てくる。「我ーーーーー故に我あり」
自分にとってのそれは何か幾つか考え明確にしておくとよい。
それが自分ともi云える。

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2001年08月12日(日)
[106] 坂之上小学校ー同級会

昨日小学校同級会、場所はかもがわ別館。 25人参加。
かなり盛大であった。二次会は全員参加。 楽しいひと時であった。
3クラス合同の会で100人強のうち4ぶんの1あつまったことになる。
5^6人が亡くなったようだ、それもこの2~3年で。
そういう時期になってきたと言う事か。5年に一回の会で丁度いい感じだ。
どうしても女性が多いのは、当然の事だろう。 出席してよかった。