「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
   * 最近、涙もろくて困るんです・・・。
A: 「男は人前で涙を見せてはいけない」と教えられて育った昭和の男です。ところが、不惑を過ぎた頃から、どうも涙腺が
 弱くなってきました。いや、近しい人のお葬式とか娘の結婚式とかで泣くのならいいんですが、本当にちょっとしたことで
 泣いてしまうんです。特にヤバイのが映画。昔だったら絶対泣かないどころか、半分バカにして笑ってたようなべタベタな
 泣かせ映画で泣いてしまって、周りに気づかれないようにするのが大変です。「おっぱいバレー」や「ルーキーズ」で涙が
 あふれてきたときには、我ながら呆れました。一人のときならいいですが、人前ではみっともなくて困ります。
 どうすれば、つまらちいことで泣かずに済むようになるでしょうか。(51歳・男・自営)
B:  昭和の男だって、泣いていいんですよ。星飛雄馬だって父ちゃんだって、よく泣いてたじゃないですか。
 「少年兵は簡単に人を殺す」って(戦場カメラマンだった)鴨ちゃんに聞いた括だけど、それは子供は生きていくうえでの
 いろんなことを知らないから。子供はすぐ虫を殺すけど、大人は「かわいそうだから、やめておこう」ってなるのと一緒。
 大人の涙は、色んなことを経験したから出る涙なんだよね。「いろんな人生にお疲れ様」という涙。私の周りの大人もよく泣く。
 もう泣きまくり。男の人も女の人も。この年になるとみんなもう背負っているものが一杯になって。ちょっとしたことで
 「ああ……」って溢れてくる。私もホントに、世界中いろんなとこに旅行に行っても、本を読んでいても、子供のチョッとした
 こととか、猫が寝てるのとかを見ても、過去の何かとすり合わせようとするみたいで、自分の中でこみあげてくるものがある。
 ヘミングウェイの「何を見ても何かを思いだす」じゃないけど、もう走馬燈が回り始めてるのかも。「人前でみっともない」
 って、そんなことない。もし「泣いてる父さんが嫌だ」なんて言う人が周りにいたら、そんな人とはつき合わないね。 
 やっばり今まで我慢してきたことかたくさんあるわけで、そろそろ体の中の我慢のツボがいっぱいなんですよ。
 だから溢れてるわけで、それを無理に止めるとホントに心の病気になってしまう。だから、よく泣き、よく笑い、よく飲んで、
 よく食べて、外に出て、体を動かして日の光にあたること。その年で精神を壊すと大変ですから、我慢することなどしないで。
 遠慮せず、泣いてください。だって、あと少ししたらもうチンコも立たなくなって病気になって死ぬだけですから。
 歌にもあるでしょう、「泣きなさい、笑いなさい」って。すべて自然のままに垂れ流しでいきましょう。
   結論、 自然のままに垂れ流せぱよし。
 ▼ 20歳代によく布団の中で泣いたものである(但し人前では泣かなかった)。それが30歳過ぎた頃から泣かなくなった。
  泣いていられるほど置かれた立ち位置が崖っぷちだっただけだが。布団でも人前でも、涙を流すと何か踏ん切りができる。
  さめざめ泣くことと、腹から笑うことの中に、心の深い傷に対して人類の長年かけ作りあげた自浄作用があるようだ。
  自浄作用といえば、先日、信濃川の長岡大橋をポタリングをしている時のこと。初老の男が、川に向かい背中を反らした後、
  前を屈むようにしながら数度、「ワォーッ」と喚いていた。何かがあったのだろう。今度、誰もいないとき、やってみようと
  思ったが、これ、気持ちがいいはず。今度、シネマで、対象のストーリーに感情移譲をして、泣く練習をしてみようか。
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4156, EUメルトダウン
2012年08月12日(日)
           「EUメルトダウン 欧州発 世界がなくなる日」 浜 矩子 (著)
 オリンピックも終わろうとしているが、これから年末までの4ヶ月半の日々が、緊迫した日々になる。
この本の題材のとおり、「EUメルトダウン」と、イスラエルによるイラン核施設への可能性である。ズバリ8割だろう。
この書籍は書店では目にして立ち読みをしていたが、数日前に図書館で見つけた。去年暮れに出版された本で、その後の推移は、
ほぼ当たっている。しかし、その都度EUは何とか緊急融資を決定して、乗り切ってきた。しかし、どれもこれもギリギリの決断。
  ーまずは、アマゾンの内容紹介よりー
≪ ギリシャに端を発した、欧州の財政危機問題はポルトガル、イタリア、スペインといったいわゆるPIIGS諸国″に連鎖し、
 遂にEUの屋台骨の一つであるフランスまでにも飛び火して、金融危機が勃発しようとしている。さらに、もう一つの屋台骨である
ドイツも改革疲弊・限界支援で今後の動きが読めない。EUは、まさにメルトダウン寸前の状態にある。 ギリシャの破たんが、
すぐそこまで来ている今、ユーロは暴落し、諸外国の株価も急落している。EU発の世界経済大崩壊″第二のリーマン・ショック″は
日に日に現実味を帯びてきているのである。果たして世界最大の国家″EUは生き延びられるのかー。そして、この欧州危機は世界に
伝播し、大恐慌に陥ってしまうのか―? ‘ユーロという通貨の統合の果実が毒’に変わりつつある今、世界経済は大変革の
ターニング・ポイントを迎えている。欧州危機を乗り越えるにはどんな方策があるのか? そして、日本は今後EU諸国とどの様に
関わっていくべきなのか?エコノミスト・浜矩子氏が、EUの経済危機を、EMS(欧州通貨制度)の崩壊、マーストリヒト条約締結から
現在に到るまでの歴史的事実から、EU、そして欧州各国がとるべき政策を考察、解説する。≫
▼ 1979年に発足した欧州通貨制度は、その縛りを各国が守ることから始まったが、その足並みが揃わず、大きな壁に突き当たったが、
 最後に妙案が出てきた。事実上のドイツ・マルク本位制に見立てて、各国が、ドイツの経済実態に自国経済のパフォーマンスに
 摺り寄せることだった。インフレ率も、成長率も、失業率も、金利も、目指すはドイツだった。要するに「ベスト・プラクティス」を
 各国がすることだった。ところが、1990年代に入って、安定するはずのドイツが、東ドイツを吸収したため、西ドイツ・マルクが消滅、
 統一ドイツ・マルクになって、価値の定まらない通貨になってしまった。西ドイツの人々は、東ドイツの人々のために「連帯税」を
 取られ、その力を失っていった。そして、問題であった、南欧の人たちの仕事に対する甘さが、そのまま、ドイツに重く圧し掛かって、
 その将来に暗い影を落としてきているのが現状。ドイツ国民も、どこまで、この重圧に耐えられるか、もし、反対政党が、離脱でも
 言い出し、勝利を収めれば、このEUメルトダウンが大爆発を起こし消滅することにもなりかねない。その前にPIIGSの一つが
 デフォルトの可能性が大である。時の権力者は自分の代での爆発は避けたいもの。それが積もり積もって、限界点に到達したか?
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3791, スポーツジムの景色 −2
2011年08月12日(金)
 このところジムが何か変である。4月初旬に入会したが、当時は平日の午前中に関わらず会員で満タンで、
「ここは不景気とは別世界、私の知らないうちに社会は変わってしまった」と、思い知らされた。 まずは値段の安さである。 
昼間の空いている時間帯(主婦と定年後の団塊世代を狙いをつけた時間帯=金曜ー定休、日祭日を除く10時から17時)のコースが、
月に5980円である。 私は、ほぼ皆勤で10〜12時の二時間は通っている。20日で割ると一日300円でしかない。
 しかし私が入会後、一月もしない5月のゴールデン・ウィーク後から、ジム内の会員数が激減をしている。
まずは三割、そして五割、最近では三分の一ほどになってしまった。嘘のようだが、本当である。僅か4ヶ月のうちである。
平日昼の時間帯からみて、景気に敏感な主婦層が多いこともあるが、東北大震災の影響が直撃したようだ。
会費が二月分前払いのため、連休明けから激減したようだ。また場所柄、農家関係も多いこともある。考えてみれば新潟は福島の隣県。
イメージからして、農作物は中長期的にみて大打撃は避けられない。農業関係者なら敏感なはず。 連休後から御友達紹介キャンペインを
始めたが、新規の見学者が、このところ少なくなった。 スポーツジムはレジャーの範疇に入る施設である。 10年前の9.11テロと、
3年前の9.15−リーマンショックは、数百年に一度の文明と政治経済の大激震。その影響が、まずは日本に直撃。 それで今回、
私の事業も倒産に至った。 その上に、1000年に一度の地震津波の自然大災害と福島原発事故である。 そして先週末からの
世界同時株安が襲ってきている。 ジムが劇的に会員が激減していくのも当然といえば当然。
 家内は10年前から信濃川の川辺のイオン内のスポーツジムに通っている。 そこで家内に、会員数が減っているかどうか聞いたところ、
「元もと少ないので、減った感じはない」という。 とすると、ジム愛好者が居酒屋が新規開店に殺到するように、新しいジムに
様子見に来たのが一巡し、前のジムに舞い戻った要素もあるのだろうか?と考えてみたが、新しく大きい方が、より多くの種類の設備が
付加されているので、大方が元に戻るというのも考えにくい。 やはり大震災の影響である。それと私自身の見方が、時が時だけに、
悲観的にみてしまうことも考慮してもである。休日は、市営の公共施設のサンライフにいくが、そこで一通りジム設備が揃っていて、
我慢すれば出来ないことはない。公共のジムを二つ兼ねれば、それなりの満足感を得ることも可能である。スポーツジムからみる、
景気も、そう甘いものではない。 それにしてもジムは、ゴルフをしない者にとっては健康にとって、非常によい。 
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3426, iPad 対 キンドル ー3
2010年08月12日(木)
   『iPad 対 キンドル ー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著
 * iPadは「eBook」ではない?!
 初めの発表会でiPadが画面に出たとき、会場は単に大型のiPhoneに、がっかりしたようだった。
しかし途中から、会場の雰囲気は変わっていった。「10インチ」の意味が、デモを通して来場者に分かってきた。
アップルの狙いは「eBook」ではなく「リビング」ということが、ジョブスの紹介からみえてきた。
モバイルデバイス、要は「屋外に毎日持ち出して使う機器」だけでなく、リビングにシーンを移動したのである。
この数年、小型モバイルパソコンが爆発的なブームだったが、これは、台湾などでつくられた低価格の
モバイル小型ノートパソコンが、その原点にあった。 使用者は、そこに本や書類を入れて、リビングやカフェなどで
見ていたのである。そこに目をつけ考えられたのが、このタブレット式パソコン。そのためiPadキンドルとは似て非なる
ものとなったのである。大型のiPhoneというだけでなく、大きさをソファーやチェアやベッドで寝そべって見れるところが、
ポイントとなっている。 我家の居間のテレビ前の座り机の横にパソコンを置いている。その台は回転が効いて、
私が使ってないときは、家内が向きを反転させ使っている。だから、iPadをデモで見たときに驚いてしまった。
居間で時間を遊ぶ面白さがよく分かるからである。 次にiPadの価値はiPhoneに使われている「アプリ」にある。
既に多くのものがiPhone用に開発され、世界中に普及している。それが、使えるとなると、その顧客を取り込める。
そのためkindleeBookの「単機能」に対して、iPadは「汎用」に特徴になる。 またeBookに関していうと、
手軽な「文庫本」的なキンドル、それに対して「雑誌」的なiPadといえる。現在iPadが月に100万台の大ブレークの販売に、
一挙にタブレット式パソコンに火がついてしまった。これは、これまでの出版業界だけでなく、マスコミそのものの根本からの
崩壊に繋がる。紙の出版物は10年後には半減どころか、10分の一になる可能性すらある。傍目には面白が、恐ろしい時代である。
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3051,人を殺すとはどういうことか
2009年08月12日(水)
「人を殺すとはどういうことか
   ―長期LB級刑務所・殺人犯の告白」  [著]美達大和
 図書館で何気なく題名に引き寄せられて立ち読みをしたが、その生々しさに立ちすくんでしまい、借りてきた本である。
LB級刑務所は長期の重犯罪者達の檻、その大部分は良心のカケラもない人たち。これは獄中でつづった特異な半生記・観察記で、
今年になって出版されたもの。著者自身が2件の殺人を犯し、無期懲役刑に服しながら獄中でつづった手記で、前半が自分の半生。
後半が刑務所の他の受刑囚たちの観察記である。 本人は今も無期懲役に服している。
高い知能と冷徹さを生かして社会的な成功を収めた後、自らの価値観に従ってふたりの人間の命を奪う。 
逮捕後や公判中も罪の意識はまったく感じなかったが、検察の論告を聞いているときに突然、情動のスイッチが入り、
後悔や反省の念がわき起こる体験をする。最初の殺人は26歳のとき、金融業で成功を収め、ヤクザの組織に在籍していたときに
起こした。用意周到な犯行ですぐに発覚することはなかった。 2件目の殺人はその数年後。その動機について
「私から見て誠実と感じられなかった被害者の言動などが主因になりました」という。2件目の犯行で逮捕され、1件目の犯行が発覚。 
 その後、償いの日々を送りながら他の受刑囚を観察し、犯罪の動機や今の感情についてインタビューを試みる。
そこでみえてくるのは、フィクションでは描ききれない矛盾に満ちた人間の生々しい姿。
強盗殺人を犯したある男は、被害者に「全くざまあみろだ」と言い放つほど冷酷な人間が、TVのご対面番組には涙を流す。
ヤクザ同士の抗争で殺害した被害者の強さを畏敬し「ヤクザとしての自分の生き方がしっかり決まった」と出所していった男。
(以下、字数の関係でカット 11年08月12日)
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2686, 人生のハレとケ
 2008年08月12日(火)
以前に何度か取り上げたことがあるが、再びハレとケについて考えてみる。人生にはハレのときもあれば、ケのときもある。
ハレは、田舎の祭りや、稲刈りのとき、(晴れ晴れの時)ケはそれ以外の地道な日々の生活である(ケチケチ、倹約の時)。
 我々は、この二つのリズムの中で生きている。過去を振り返った時を考えれば、華やかの出来事に目が行くが、
しかし何気ない出来事の方が深い味わいがある。書いたことすらも忘れていた学生時代の日記が半年分、倉庫の奥にあった。
そして、その日々を此処で連日書いた。それを読み返すと何気ない日々が、何と面白いかがわかる。ハレもケも書いてあったことで
面白かった。私のハレを振り返ってみると、それが秘境・異境ツアーであり、事業のの立ち上げの時であった。
写真にも旅行記も残っているし、立ち上げは辛い反面、華やかだった。そして記憶が鮮明に残っている。そのために背景のケの日々が、
その光によってかき消されてしまいがちになる。家内が(というより女性は)、そのケの楽しみ方を知っている。 
とにかく日々の平凡を楽しんでいる。これは天性なのだろう。 私も日々の生活を楽しむ術を知っている方だが、女性には敵わない。
生活を楽しむ!ということだろう。 隣に人がいてもいなくとも、ただ目先のことを楽しむ!ということを。
だから、面白くないことを我慢するなど勿体ない、とつくづく教えられる。白(ハレ)と黒(ケ)があるから互いが成り立つのであって
白だけだったら白色の白が理解できない。現在の我々を見渡すと、ハレだけを追いかけている。 しかしケ=普段の平凡な日々を、
如何に充実させることこそ人生の価値。話しは変わるが、ユニクロが狙っているのは、普段着を如何に充実させるか、ハレ(外着)の他
メーカーの商品を引き立たせる裏方に割り切っている。「隠れユニクロ」と言われようとも、普段着を如何に良くし楽しむことに
徹していれば、大多数の人が支持をしてくれる。ケの文化こそ今一度見直す必要な時のような気がする。
『日々、是好日』これこそ、知恵さえ使えばできること。 現実の日本は正にケの時である。
   さて、今日の昼飯何にするかな! 鼻歌を歌ってスキップか〜
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2007年08月12日(日)
2322, 政治家の家族とは・・ −3    (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。*ぉはょぅ☆♪
 *銀座のママと政治家の共通点*
彼女自身気づいているかどうか解らないが、銀座のママという職業にとって、政治家の家庭で育った環境が大きくプラスになっている。
夜の水商売は虚飾の世界である。前に書いたが、政治家も「あるべき理想的政治家」という仮面を被る世界。社会を選挙民という
票田と捉え、人の集まりには可能な限り顔を出し、理想像を飾り票に結びつけていく。 そこには、本人個人の顔は無い。
議員として相応しい人物としての演出された顔である。夜の虚飾も高級?な社交場の演出と提供である。愛?と社交を求めて集まってくる
「社用族ータカリ族」や、「成り上がり族」を相手にホステスと自分との愛のゲーム(仮の自由恋愛の駆け引きの遊び)を夜ごと提供する。
お世辞と奇麗事と作り笑いに一晩の遊びと癒しを求めてくる男達を遊ばせ、笑わせ、満足させてナンボの仕事である。
遊ぶ方も、遊ばせる方も、全て解っていながら気違い水(アルコール)で酔い、歌い、憂さをはらす。 サカリのついた狸と、
それを遊ばせる狐の化かし愛?の世界というと、チョッといいすぎか?政治家も、できもしない公約を掲げ有権者に夢を売る。
(以下、字数の関係でカット 09年08月12日)
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2006年08月12日(土)
1957, 片づけられない女ー2            \(^▽^*)おは!
検索に「片づけられない女」と入れたところ、「片づけられない女」サリ ソルデン著 という本が出てきた。
現代病の典型的な病で、これまでにもTVで多く扱われていた。ダラシない性格の女というわけではなかった。
ーまずは、その本の説明文ーから自分の部屋を片づけることができず、ゴミの中に埋もれるようにして暮らす女性について、 
 多くのマスコミは半ばおもしろがって取り上げる。本書はその原因が本人のだらしない性格にあるのではなく、
 神経系の障害である可能性を唱え、全米でベストセラーとなった。 この神経系の障害は、ADD(注意欠陥障害)と呼ばれる。
 幼いころから兆候が現れていても、 見落とされることが多く、大人になるまで本人が気づかないことも少なくないという。
 さらに、散らかす、なくす、忘れるといった特有の症状は、社会が女性に期待する女性像とのギャップが大きく、
 「片づけられない女」というレッテルを貼ることで、解決されてしまいがちだ。
 カウンセラーであり、自らADDである著者は、本書でADD女性が直面する困難に触れながら、ADDを持ちながら
 充実した人生を送るための意識改革の必要性を説き、同じ悩みを持つ女性たちにエールを送っている。
  ー内容ー
(以下、字数の関係でカット 09年08月12日)
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2005年08月12日(金)
 1592, 幇間ー太鼓もち
幼稚園の頃から高校を卒業するまで、実家の店では年越しの宴会をしていた。そのため年末が子供ながら楽しみであった。
芸者を何人かよんだり、近くの太鼓もちを呼んだりしていた。といって長岡あたりではプロの太鼓もちはいない。
近くの酒の好きな漬物屋の親父がセミプロとして呼ばれていた。通称「八木漬物屋のオヤジ」である。彼がいないと場がしらけるほど
存在感があった。映画で観る幇間そのもので、芸者の三味線に合わせて色いろな芸をしていた。それをキッカケに他の人の芸が出てくる。
家族や従業員・取引先など50~60人の宴会が何時も盛り上がっていた。幼稚園の頃から日本酒をコッソリ飲んだ記憶がある。
幇間とは、いわゆる太鼓もちのことである。座敷に呼ばれて、芸者と同じように旦那衆におべっかを使って機嫌をとるのが仕事である。
落語によくでてくるヘラヘラしながら、しかし暖かい雰囲気を醸し出している技を持っている男芸者である。愛嬌があって、
人から何か好かれる魅力がなければならない。そして宴会などを上手く盛り上げる座持ち役である。人間は誰でも褒められ威張りたいもの。
(以下、字数の関係でカット 11年08月12日)
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2004年08月12日(木)
 1227, 新潟駅前ランチ事情
新潟駅前のランチ事情も変わってきた。 この1〜2年で、横浜軒、松屋ロイヤルホストすき家、などの
ナショナル・チェーン店が進出してきた。それまでは、居酒屋やラーメン屋などがランチ定食を出していた。
売上不振のフグ割烹の専門店までも昼飯を出し始めていた。7000円が相場であったが、最近は300〜500円の店が増えてきた。
(以下、字数の関係でカット 12年08月12日)
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2003年08月12日(火)
 860, プライド -1
プライドについて考えてみる。
プライドとか自負心を自分で意識する時は、「逆境の時」とか、「あまり自分の意にそわない時期」に多い。
プライドー自己尊厳ーとは程遠いと思われる人ほど、プライドが高いのに驚いた経験をしたのは私だけでないだろう。
新潟では長岡人を「異常な位プライドが高く、閉鎖的で彼らだけで群れたがる」と評している。
常に小さい世界で誰かを意識せざるを得ないからだ。まあ地元の悪口になるから、長岡人の話はやめておく。
 プライドが何故マイナスの状態の時とか、マイナスの人の心の状態に現れてくるのか考えてみる。
「自分の子供がよい会社にいるのを誇りに思う」とか「自分のやってきたことに誇りを持っている」とかに表現される。
(以下、字数の関係でカット 11年08月12日)
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2002年08月12日(月)
 485, 「我思う故に我あり」-1
デカルトの「我思う故に我あり」という言葉はあまりに有名だが、フランスの‘生’の開祖と言われている
ビランが「我意欲す故に我あり」と、デカルトを否定して定義した。
「キリストの求めよさらば与えられん」もこのことだ。
どこかの女子大の哲学の教授の「我笑う故に我あり」という本があるが、あまり面白い本ではなかった。
前回家内と「何で私らだけこれだけ感動に多く出会えるのだろ?」
と話し合った。その時の答えは「求めたからさ!」たったこれだけを殆どの人がしてない。
そこで自分で何か面白いものはないか考えてみた。
「我 実践す 故に我あり」「我 行動す 故に我あり」「我 祈る  故に我あり」「我 感動す 故に我あり」
「我 愛する 故に我あり」「我 夢みる 故に我あり」「我 美食する 故に我あり」「我 セックスする 故に我あり」
「我 読書する 故に我あり」「我 前進する 故に我あり」「我 遊ぶ 故に我あり」「我 闘う 故に我あり」
「我 歌う 故に我あり」   幾らでも出てくる。「我ーーーーー故に我あり」
自分にとってのそれは何か幾つか考え明確にしておくとよい。それが自分ともi云える。
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2001年08月12日(日)
 [106] 坂之上小学校ー同級会
昨日小学校同級会、場所はかもがわ別館。 25人参加。
かなり盛大であった。二次会は全員参加。 楽しいひと時であった。
3クラス合同の会で100人強のうち4ぶんの1あつまったことになる。
5^6人が亡くなったようだ、それもこの2〜3年で。
そういう時期になってきたと言う事か。5年に一回の会で丁度いい感じだ。
どうしても女性が多いのは、当然の事だろう。 出席してよかった。