つれづれに

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 今日のYoutube

 例の4日間乗り放題のチケットを使って、今日も、家内が東京に御のぼり。
一月以上前から、何処の名所に行くか、丹念に調べ、日帰りで連日通うのだから・・・ 
好きなことだから疲れはしない。 一日往復4千円は確かに安い!
何処もかしこも、中国人だらけ、そして、新幹線の中は、警備の保安らしき人が
巡回していたとか。 家でウジウジしているよりは良いが。



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3013,戒名は自分で付けよう ー3
2009年07月05日(日)

 有名人は、どのような戒名を付けているか興味がわくが、この本には、
それがあった。それぞれの坊様が知恵を絞ってつくったのだろうが、なかなか
味がある。時代の影響にされるのは当然である。 まずは、それを見てみよう。
 ーー
美空ひばり 慈唱院美空日和清大姉      石原裕次郎 陽光院天真寛裕大居士
三島由紀夫 彰武院文鏡公威居士        力道山 大光院力道日源居士
古賀政男 大響院釈生楽          嵐寛寿郎 寛寿院照誉威兄演達居士
松井須磨子 貞祥院実応須磨大姉       花菱アチャコ 阿茶好院花徳朗法大居士
榎本健一 天真院殿喜王如春大居士     夏目漱石 文献院古道漱石居士

鼠小僧次郎吉 教覚速善居士         清水次郎長 碩量軒雄山義海居士
浅野内匠頭 冷光院殿吹毛玄利大居士     大石内蔵助 忠誠院刃空浄剣居士
吉良上野介 霊性寺実山相公    徳川家康 東照大権現安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士
豊臣秀吉 国泰祐松院殿霊山俊龍大居士   織田信長 惣見院殿贈大相国一品泰巌尊儀
上杉謙信 不識庵宗心謙信

武田信玄 法性院櫛山信玄          足利尊氏 等持院殿仁山大居士
平清盛 浄海               藤原遭長 行覚
聖武天皇 勝満
 ーー
美空ひばり を私が即興でつくるとすると、「美空燦々院尼雲雀大姉」。
 言い得て妙で気に入ったのは 古賀政男の「大響院釈生楽」である。 
あの世の土地でも買っておくかと思っていたら、ネット上にも売り出されている。
戒名に興味を持つなど、オチカイのかもしれない。 
自分で位牌まで作って拝んでいればよい。

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2648, 座敷童子と出会える宿 ー2
2008年07月05日(土)

座敷童子を売りにしている旅館が、他に「緑風壮」がある。 実際、どうなのだろうか? 
一度、面白そうなので行ってみたいが。 ーまずは昨日の続きから
  ------------- 
 *優しい妖怪*
夜9時頃、旅館に帰ると、ビデオで座敷童子についての研修がある。
その後、ワイドショーの録画で「私は確かに菅原別館で座敷童子を見た」
という証言を見る。そこで、座敷童子がいるという刷り込みがなされるのだ。
9時半頃に研修が終わり、その後、旅館の若旦那が各部屋を回り、座敷童子
居場所を教えてくれる。筆者の部屋にやってきた若旦那は、
「今日はテレビの裏あたりに居る。男の座敷童子だ」と言う。
私は疲れていたので、すぐに眠ってしまった。深夜1時頃、お手洗いに
行くために起きて、部屋にもどってきた。それから、少し経ったところで、
私は確かに座敷童子を見た。女の子の姿をした座敷童子で、身長は1M弱である。
黄色の服を着ていて、白い靴下をはいている。 ただし、胸のあたりで姿が
ぼやけて、首や顔は中空で消えている。
要するに頭のない化け物であるが、不思議と怖くはなかった。
座敷童子は、両手で体長30センチくらいの茶色い猫(雌雄不明)を私に渡す。
そこのところで、私の記憶はとぎれている。おぼろげにテレパシーで座敷童子
話をした記憾があるのだが、会話の内容がどうしても思い出せない。
冷静に考えてみれば、私は、座敷童子の夢を見たのである。その前週の金曜日
(1月13日)は東京でも、珍しく雪が降った。家内と二人でスパゲティーを食ぺた
帰りに西国分寺駅前のコンビニェンスストアー「アップルマート」の前で茶トラ
の雄猫(推定2歳)を保護した。人なつっこい猫で、いまでは家族の一員になっている。
その印象が強烈だったので夢に出てきたのだろう。しかし、私の認識では、
あれは夢ではない。
確かに私は座敷童子に会ったのだ。 村上氏に座敷童子は出なかったという。
〈だけど残念ながら私には座敷わらしが出ない、邪心や欲があると座敷わらしは
逃げるそうですね。無邪気な幼心でいとおしむ、無条件で信じることが大事ですね〉
村上正邦)・・・・・
ーーー
こんなところだが、TPOSで、暗示にかかっている風にも思える内容でもあるが。
大人のファンタジーを集団で楽しむには、丁度良い題材で、罪がない。
 http://www9.plala.or.jp/ryokufuso/index02.html
  http://www.zashikiwarashi.jp/
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2007年07月05日(木)
2284, 10歳の放浪記 ー2
                       *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
 この番組の中で、教職員を前に上条さなえさんの講演の一部を放送していた。
その内容がユニークである。
「あなた方仲間に年配の口うるさいオバサンがいるでしょう。
彼女らを嫌わないでください。彼女たちは誰からも愛されなくなってしまったのです。
誰からも愛されなくなると、人を愛せなくなるのです。先生の仕事は子供を愛することです。
人を愛することです。その為には人に愛されなければなりません。さらにそのために、
まず自分を愛せなくてはなりません」 という言葉が何とも説得力があった。
一年間のホームレスの後、養護学校に初めて行ったとき、アンパンを食べようとしていた
自分に、男の先生が「自分の弁当と交換してほしい、東京のアンパンが食べたい」と、
家庭の味のする弁当を交換してくれた。その時、「必ず良い人間になる」と自分に誓い、
先生になりたいと決心をする。教育に無条件の愛情以上に何の能力が必要なのだろうか。 
ヤクザが気の毒に思い、10歳の子供にいう。「俺のような人間になっては駄目だ。
人間真っ直ぐに生きなくてはいけない」これも、自己否定からくる良心からの説得力の
ある言葉である。「うらやましがられることもあるけど、やっぱり平凡な人生がよかった。
まず親が『幸せ』と感じなければ、子供も幸せになれない。それぞれの自分の人生に
価値を見いだしてほしい」「私の書く小説すべてがハッピーエンドに終わるのです。
色いろな経験から、そうしなくてはならなくなったのです」の言葉が重い。
最近、14歳というのがキーワードになっている。中学二年生、誰もが覚えがあるだろう、
あの揺れ動いていた時期の日々を。誰も周囲から居なくなって、自分ひとりが取り
残されてしまったような不安の日々。ひとつの節目だが、その前の十歳も大きな節目となる。
そこで決まってしまう時期でもある。初めて自分の自我に目覚め、人間としての最初の?
壮烈な戦場がある。そこには虐めと、虐められるギリギリ中で、人間としてのベース
がつくられる。彼女のような経験は特殊だが、しかし大きく揺れる時期でもある。
一番問題なのは、親が全て取り仕切り、自主性を刈り取ることである。
10歳の子供が、ケネディーの「国家が何を自分にしてくれるかより、
国家のために自分が何ができるかを問え」を「親」に切り替えるとは、驚きである。
                         (* ̄∀ ̄)**SeeYou
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2006年07月05日(水)
1919, 睡眠負債
                才八∋ウ_〆(∀`●)
図書館で月刊雑誌を立ち読みをしていたら、睡眠についてのレポートがあった。
キーワードが「睡眠負債」である。睡眠不足のことだが、不足より負債という方が
分かりやすい。睡眠の場合、負債の免除期間が二週間。どんな溜まった不足でも
二週間でチャラになるという。深い眠りをとろうとしたら、寝不足状態の状態が一番良い。
脳の機能と食欲などの欲望も同じである。それなら、そうすればよいが。
睡眠時間は世界共通で8時間だが、気にならない睡眠時間が、その人のベストの
睡眠時間という。仕事などの関係で、いつも睡眠時間が取れない人が、小刻みに昼間の
睡眠を取るのが理想的な睡眠の取り方。私の場合、睡眠に関しては殆んど問題はない。
寝れない時の対処がしてあるからだ。布団滞在時間7時間が私のベストである。
 インターネットの検索で調べたら、ー快眠10ヶ条ー   があった。
1 起きたら太陽の光を浴びる  2 同じ時間に起きる  3 朝、軽い体操をする 
4 朝食を食べる  5 日中も太陽の光を浴びる  6 メリハリのある生活を送る 
7 適度な運動をする 8 夜は強い光を避ける  9 眠る前はリラックスする 
10 ぬるめのお風呂にゆったり入る
 私の場合、ほぼ実行しているが、寝際にクラシックを聴きながら寝ている。
更に初期睡眠(三時間)を深くしている。
             (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
  ーー
 2002/09/14 眠れない夜に
眠れない夜にどういうわけか、こうすると不思議によく眠れる。
・仰向けになり全身の力を抜く。
・頭から額にかけて力を抜くー次に目とその奥、鼻と口、 首と肩、両手、
 両足と気持ちをその都度そこに集中して力を抜いていく。そうすると、自然に
 寝ていても何処かに力みが入っているのが分かる。
・完全に力が抜けた状態で、一番楽しかったことを考える。私の場合海外旅行の
 大体3番目のあたりで睡眠に入る。それでも眠れないで、過去に行った全ての
 「思い出し旅行」に3時間かけたことがあるが。
 それはそれで楽しい時間であった。
・眠れないときは寝ようと考えず、眠れない状態で自然に任せることだ。
 それでも眠れないのが不眠症だろうが。月に一度位は、夜半に目が覚め寝つけ
 なかったりする。でも苦にはならない。ポイントはマイナス思考の差し込む魔の
 時間にしないことだ。これは注意していれば防げるのが不思議だ、訓練の結果だが。
・羊の数を数えるとよいという説があるが、私の場合逆に疲れてしまう。
  何かの本に面白い内容があった。
 「アメリカの西部の砂漠の深い渓谷をイメージする。自分はインデアンの
 イメージで、騎兵隊のを待ち受けている。狭い渓谷に入ってきた彼らその一人
 一人を狙い撃ちをする。一人一人が自分の銃で撃たれて死んでいく。彼らは
 それでも何処に潜んでいるのか、いくらでもいるのだ。
 それでも執拗に一人一人を撃ち続ける。眠りに入るまで。」
 これをやるチャンスはまだないが、何か寝てしまいそうな感じだ。
 寝付きのよいほうだが、不眠症の人の焦りも解る。不眠症の原因は、寝れない
 時間の過ごし方が下手ではないか? その時間を空想や過去の楽しい思い出を
 楽しめばと思うのも、当人でないからだ。

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2005年07月05日(火)
1554, つれづれに

ー売り手責任
先日、ニトリにホテルの共同キッチンのダイングテーブルを買いにいった。
ところが、「家庭用商品を営業用には売ることが出来ません。
売り手責任に問題が出る可能性があるので、お売りできません」という。
上の上というから、本部判断をあおいでいた。当方だって買い手責任があるし、
設置責任がある。何かおかしいいのではないだろうか?それとも、そこまで
問題にしなくてはならないのか。
ー知人の息子がTV出演?
去年亡くなった五十嵐恭一さんの息子がTVに出ているというので昨夜見た。。
月曜日の23時の「あいのり」という番組。「嵐」というニックネームで出ていた。
かなりの応募の中で選ばれたのだろうから、光るものがあったのだろう。
「1年浪人後、「法政の二部」に入学金を払ったが、駒沢大に受かった。
本人は法政の二部に行くつもりというが、如何したらよいか?」という相談が、
故五十嵐さんからあった。「駒沢大に決まっているじゃないか!一部と二部では
先生と、同期の質が全く違う。それでは浪人した意味がないではないか!」
と返事をした。そこで、本人も迷って高校の担任のところに相談にいったが、
私と全く同じ返事であったので、駒沢に行くことにしたという。
その男が、TVに出ていたが、なかなかのイケ面である。若い人の間ではなかなかの
人気の番組というが。ー今日散歩で、高校の友人の墓参りによる。いつも散歩する
コースの折り返し地点の橋から5分のところにある。
先週も行ってきたので、これで4回目になる。特に、この一月で三回目だ。
墓をみるかぎり誰もお参りに来ていないようだ。まさか、私がこうしてお参りを
しているとは、彼も意外だろう。たまたま散歩コースの近くにあっただけだが。
一番長生きしそうな男であったが。お参りは、対象より自分自身に出会っている
ようなものだ。まあ、反対の立場だったら、彼なら絶対にお参りに来なかったはずだ。
そう考えながら、お参りをしていると色いろ考えさせられる。人生は生きているまでだ。
「生きているうちに、やるべきことをしっかりしておかなくては」と、
彼が話しかけてきているようだ。

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2004年07月05日(月)
1189, 異境・秘境ツアーレッスン ー7
    ー大自然

 大自然の秘境の見どころには山脈系、氷河系、滝系、大草原系、平原系、
 海・海岸系、などに分けることができる。多くはその幾つかが重ねあっている。
・山脈系としては、北米のロッキー、欧州のスイスアルプス、
 南米のアンデス山脈ヒマラヤ山脈、など。
・滝としては、ナイアガラの滝、イグアスの滝,ビクトリアの滝、
 エンゼルフォールの滝などがあげることができる。あまり知られてない滝で、
 その迫力に思わず息をのむことが多い。迫力景観からいったら、やはり
 イグアスが一番である。
 ー主観をこめて印象に強い順にかいてみるー
1、一番は何といってもケニアの草原の夕景である。
 幻想的で、この世のものと思えないオレンジ色と白光色が入り混じった
 360度の視界の草原の美しさは、言葉には表現できない。
2、次にはカナダのロッキー山脈である。湖も含めてその壮大な景観は、
 これがほんとうに地球だろうかと思ってしまった。その時思ったことは
 [人生をこれをみた 以前と以後と分けることができる]
3、南米のベネズエラテーブルマウンテンの絶景。
 夕景の中、キャンプの近くから見上げたテーブルマウンテンの世界は、
 数億年の時間が目の前で直感できるイメージ。
4、スイスアルプスと、チロルの大草原、そして氷河・・・
5、南米チリのパイネ国立公園のパイネ山の夕景
6、ブラジルのイグアスの滝
7、アラスカの遊覧飛行で見たマッキンレー山脈
8、パキスタンカラコルムハイウエーからみたヒマラヤ山脈
9、アイスランドでみた、オーロラ
10、フィジーでみた海と海岸と、小さな島々
11、イスラエルの荒野
12、アラスカとスイスとチリで見た氷河 などなどである。 
それぞれが、比較してランク付けできないほど素晴らしい。
ある高僧の言葉がよい
 [大自然は、自分で自分の美しさを見るために、小自然の人間をつくった]

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2002年0705
旅行中につき休止
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2003年07月05日(土)
822,ある時間の断片ー29

  10月31日ー 1968年
・朝の9時過ぎ、松村君から電話で11月3日8時20分に地下鉄の
早稲田駅で待ちあわせの約束をする。午後から2時間、勉強をする。
21時から佐藤君の部屋で酒を飲む。24時の就寝。まだ卒論に集中できない。
焦りばかりが先立つ。自分に対してまだ突き放していないようだ。
最後の学生時代の時間はあまり残されてないのに如何したことか。
  11月01日
・夜半の0時半ごろ佐藤の部屋で間中とお茶を飲んでいると、OBのMさんが
炊事場で高橋を説教をしている。何か自分にあてつけのように聞こえてきた。 
彼は4年間それで通してきたのだから、それでよいのだろうが。
寮を出たのだから、そうそう寮に来るべきではない。会社では上手くいってない
と聞いている。学生気分が脱皮してないためだ。気の毒といえば気の毒だが、
結局何処にも帰属できない苛立ちがああいうかたちになっている。
先日、セミナーで集団主義的烏合を私に指摘した。二重帰属、三重帰属を
割り切ってできてない甘さをつかれた。 他人事でないが。

・・・・・・・・・・
2001年07月05日(木)
[74] 死について

誰もが直面するまで見て見ぬふりをする、一番厄介な避けてとうれない
一大問題である。40歳過ぎれば何時直面してもおかしくない問題である。
子供の頃から両親に‘死の不安’の話を聞いていた為、死にたいして耳年増に
なってしまった。そして親戚が多かったせいか、死を身近に見てきた。 そ
して坊さんの死の話も聞いた。その中で一番印象に残っているのが
「人(他人)は先、我は後!」である。自分が生きてる限り全くそのとうりである。 
たしかギリシャの哲人の言葉に「自分にとって死は存在しない、なぜなら死んだ
瞬間は自身無になるのだから、死は残された者たちの自身の言葉でしかない。」
という言葉をその坊さんは噛み砕いたのだろう。 
ー以下は以前書いた文章である。
ーーーーー
H0503 “死”について
・ 自宅の両隣の御主人や息子さんも含めて近所で、このところ五軒も
 葬式があった。 六年程前に“いとこ”がやはり四人、たて続きに亡くなった。 
 私の年令の風景の一つなのか?
・ 人間の死亡率は百%!
・ 人間の恐ろしいのは、“死”より“死に際”じゃないか?
・ 親の死は、子供に対する最大のプレゼント
・“我々が生きている間は死はこない。死が来た時にはわれわれは
 もはや生きていない”(エビクロス)
・ 死んでしまえば塵である。(伊藤栄樹)
・ 死んで三日もたてば三百年前に死んだと同じ事。
・ “苦”は生きているうち。それが死への苦しみであっても!
・“いろいろ、あったが死んでしまえば何ってこたあない!はじめから無かった
 と同じじゃないか!皆の衆”(山田風太郎
・“ああ、自分が消滅した後、空も地上も全く同じとは何たる怪事!
・ 死とは人生における最後の挑戦である。(ハイデッカー)
・ 死はお浄土への単身赴任である……極楽世界があるかないかではないのです。
  あるべきなのです。いや、あらねばならないのです。(さち・ひろや)
・ 死も人生というドラマの一部分、それも最後の仕上げという。
・ 死に直面した時“さようなら、たださようなら、さようなら!”これこそ、
 死の苦しみにとらわれない妙薬。
・ 人間は死ぬ事を、ひそかに望んだので戦争をしたのだ。
  自己保存の要求はきわめて強いかもしれないが“死”への欲情はさらに深い。
・ “死の準備”は大別して“自分の心の覚悟”と“自分の愛する者達への配慮”
 にわけられる。死は根本的には“無”。“無”にはいかなる準備のしようがない。
 “無”になる事に覚悟せよと言ったって、いかなる覚悟も“無”であり、
 “無”になる。死はどうであれ “無の世界”=“無”も自覚も存在のない
  世界へ運び去るのだ。
・ “父母によばれてこの世に遊びに来て、用が済んだら、はいさようなら”(一休和尚)
・ “自分の死”に対して、どれ位時間をかけたか?やっぱりかかった時間と比例します。
 だから死について考え続けるより他にありません。自分の心を明確にする事。それを
 やっていると毎日が濃縮されて、いつ死んでもいいと思う程、充実してきます!(曽野)
・ 死は暗闇ではなく光明と考えられるかどうか、もどって来た人はいないのだから。
・ 他人(ひと)は先、我は後!
・生前、死後には無限の暗黒のひろがり…その暗黒は球状をなしているように幻想され、
 私の死後ばかりか、わたしの生前もぐるっと取りかこんでいるごとくだ。
 丁度、地球儀の或る視点だけが明るくかがやいていて、あとはすべて球形の闇だという
 格好である。向こう側(彼岸・無)よりみれば針の尖でついたような、しかしながら、
 たしかにここに光っているわたしの生、それ故にわたしはこの世に有る限り
一日一日を大切に遺憾なく生き抜かなくては…   (吉野秀雄?やわらかな心)