つれづれに

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

 他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 
   今日のYoutube
 日々、春めいてきているが、信濃川西側の土手の八重桜が開花を始めた。 

 地方議会選挙の投票、今回は行こうかと思ったが、市会議員の
広報をみたが、どうも? 行く気がしない。それでも、何とか一人見つけたが、
??大・大学院卒の修士様で、何処かの寺の住職? さて、どうするかだ。
 

・・・・・・
2214, 中国人移民の話
2007年04月26日(木)
       <(_ _)>  オハヨウゴザイマス
            
    去年、新宿周辺を知人の車で案内してもらった時、
    青梅街道などに韓国人商店街や、中国人商店街が出来ていたのには驚いた。
    アメリカをはじめ、何処の国の首都には中国人街がある。
    朝鮮人街も時には見かけるが、日本人街は殆ど見かけない。
    中国人街を見るたびに、中国人の海外居住者は何人いるのだろうか?という、
    素朴な疑問を感じていた。
   
 ー先日の毎日新聞に中国人の移民の記事があった。
  それによると、
 海外在住移民の数が3500万人!  こんなもの?と思ってしまった。
 シンガポールや、インドネシアが果して入っているかどうかは、
 この記事には無かったが。 総国民の3%が多いか、少ないかだが。

「イタリアのミラノ市で、移民と警官隊が衝突」
という見出しであった。これによると、
ミラノでは1平方?の地区に500軒以上の店がひしめき、20年前の500人の
ミラノ在住中国人が13000人と、26倍も膨れ上がったという。
イタリア人は欧州でも働かない国民性で、中国人の「勤勉・活気」に
妬みと軽蔑の気持ちが強く、互いの軋轢が出てきている、という。

    その横の関連記事として、中国人の移民の実態のレポートがあった。
    その内容を要約すると、
   ・大陸出身中国人は、151ヶ国に3500万人
   ・2000年から2005年間だけで、アメリカへの移住者が35万人。
   ・カナダ在住中国人は1988年の3万人から、2002年には30万人に激増。
   ・日本では、韓国、フィリッピンについで28000人
   ・観光などの旅行により中国本土からの出国者は昨年で3450万人で、
    2001年の3倍近く拡大したという。

旅行先では、「世界中には、何処にいってもネズミと中国人はいる」
と言われていて、飲食街では殆んどの都市で中華料理店を見かける。
それが、また美味しい店が多いの。
(日本料理は外れが多いが、中華料理店は外れは少ない)
いずれにしても、世界の人口の2割を占めていて、バラバラの国民性が
携帯などでネット化すれば、侮れない存在になっていくだろう。
人口が多いほど、個人の存在が小さく思われがちだが、逆に個性的でなければ、
生きていけない。
没個性的な日本人とは、相性が悪いのは致しかたがないことである。
           
             Σ( ̄∇ ̄|||  バイ!           
・・・・・・・・
2006年04月26日(水)
1849, ローマから日本が見える-6
            ≡≡≡⊂[ォ][ハ][ョ][ゥ]っゝд・)っ
第三章 共和制は一日にしてならず
ー王から執政官へー

紀元前509年、尊大なタルクィニウスを追放し、王政を廃止するに至った
中心人物はルキウス・ユニウス・ブルータスである。
これより460年後にカエサルを暗殺したマルクス・ブルータスとは
血縁は全く無い。
王を追放したブルータスは、ローマ市民を集めて
「今後一切、ローマ人はいかなる人物であろうとも王に就くことを
許さず、いかなる人物もローマ市民の自由を侵させない」と誓わせた。

    ーここからが面白い!
    ブルータスが考えたのが、「執行官」という最高指導者である。
    王と同じく、市民集会で選ばれて、ローマ内政の最高権力を握ると同時に、
    有事では指導者として軍隊を率いる。とはいえ、アメリカの大統領とは違い、
    当時は実際に最前線で指揮をとるのが常であった。
    このような大きな権力を与える一方、執行官が将来の王にならないように
    歯止めをかけた。

その制度とは「執行官はかならず市民集会によって二人選ばれ、その任期を一年とする」
ということであった。これでは王のように振舞えないと考えた。
しかも、執行官を二人にすることで、更に保険をかけた。
二人の執行官には上下がなく、それぞれに拒否権が与えられていた。
しかし、これには弱点もある。 任期が一年なので、長期の政策ができなくなる。
そこでブルータスが考えたのが、元老院の機能の強化であった。
100人の元老院を三百人に増やした。当時、三百人まで増やすということは、
殆どの有力者を網羅することになった。
                   まあ、茶でも!~~旦_(-ω-`。)
  ー「ノブレス・オブリージュ」ー
    著者の塩野は、ローマ帝国1000年を支えた根本は
    「ノブレス・オブリージュ」だったと強調している。
    ローマの貴族は社会的責任を負わなければならないという考えが強かった。
    戦争が起これば貴族は率先垂範して最前方に出て戦い、
    公共の利益をためには貴重な財産を社会に快く提供したという。
    ローマの元老院は真の意味で「貴族精神」の持ち主であった。

「知性ではギリシャ人より劣り、体力ではケルト人やゲルマン人より劣り、
経済力ではカルタゴ人より劣っていたローマ人が、永らく巨大帝国を維持できた
原動力は社会指導層の役割だった」と主張した。

     辞書にはノブレス・オブリージュの意味を
    ・身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、
     欧米社会における基本的な道徳観。
    ・高い地位や身分に伴う義務。ヨーロッパ社会で、貴族など高い身分の者には
     それに相応した重い責任・義務があるとする考え方。
    ・もとはフランスのことわざで
    「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意とある。                      (´Д`;)/ヽァ・・・
ー「リキニウス法」の驚くべき内容ー
 紀元前367年といえば今から2373年以前。
 日本は歴史以前、中国では戦国時代に入ったばかりの時期に、
 ローマ人が成立させた法律「リキニウス法」。

   この法律でローマは国政の中枢に貴族の賛成の上に平民を受け入れることを決定。
   (流血もなく平民の受け入れを決めたのは驚くべきことである。)
   この目的は貴族と平民の対立の解消にあったにせよ、この改革は英断であった。

その賛成をした大部分が元老院の大多数を占めていた貴族であったから、
尚のことである。それも彼らが選んでのは「全面的な開放」という道であった。
つまり、共和国政府のすべての官職について、貴族であろうが、平民であろうが、
ローマ市民なら誰でもなれるようにした。 「機会の平等」という他にない。
平民と貴族の結婚さえ合法化されたのである。

    ローマ人は、30年前の紀元前404年にアテネがスパルタに敗れさった事実を
    見ていたからだろう。この事実が、[[近現代史の教訓」として
    強く刻まれていたからである。当時のトップランナーであったアテネ
    民主主義の暴挙を許したがゆえに凋落してしまった姿を見たためだろう。

 ・・・・・
 果てしない戦いの中で『共和制』の体制の基盤を作っていったローマは、
 『機会の平等』という民主主義と自由主義に似た考えに辿りついたのだろう。
 指導者に「ノブレス・オブリージュ」を失えば、その国は滅び去るしかない。
 どこかの国にもいえることだ。いや組織にも!                      
                         -つづく
            ●・з)ノ" バイバイ~♪
・・・・・・
2005年04月26日(火)
1484, 24歳の日記ー2         
  ー1970年3月22日
 
朝11時に、実家の店に手伝いに行き、17時まで手伝う。
よく売れるのに驚かされる。今日、大鵬を見ていておどろいてしまった。
再起不能といわれながら、努力で再起をして優勝をしたのだ。
ただ驚きである。人間の一番美しい姿を見せてもらった。

今日、一年の設計図の大枠を考えるつもりが何も考えられない。
どうしたことか、例の手紙のせいか気持ちが揺らいでいる。
明日は病院に行って、精密検査をしなくては。

ー3月23日
午前中は、病院で検査である。
午後は設計図を書いたが、いい加減である。
早々簡単に書けるわけがないが。
焦りだけあって、何もできないのだ。

こういう時間をもらっていながら、何もできないのが情けないが。
といって時間だけは過ぎていく。一日一日、一歩一歩、歩むしかない。
走ろうとしても無理、歩くしかないのだ。
自分と直面して解るのは自分の甘さと、いい加減さである。

 ーーー
ー 3月30日
今朝、急に父が8時半に居間に集まるように言われた。
両親に、家の裏に住んでいる姉夫婦、兄の三郎、そして私である。
遺言の内容の言い渡しという。

急なことで全員が、吃驚する。
ー内容の概略は以下の通りであるー
・大手通の本店のビルを私、兄、義兄の三人名義にする
・会社の名義も以上の三人の名義とする
・台町の社宅になっている土地と会社名義の資金も三人共有にする
・今後三人には、別個積み立てで毎月20万づつ積み立てる
・今朝白の土地と、父個人の名義の預金は、母のものとする
・父が万一の時は、母が社長となること
・株式は母も加えた4人名義とすること
 以上が遺言の骨子であった。

父が、兄と私の立場を心配をして作ってくれたものだ。
特に、一番足がかりのない私を心配したようだ。
早く言えば兄と、私と、姉夫婦に対して三等分にするという宣言であった。
姉夫婦は半分か三分の二と思っていたようだ。

それと「長姉夫婦の派手な生活ぶりに対する父親の怒りがあった」
ようだ。それにしても姉夫婦の華やかな生活振りには驚くが。
姉夫婦は、顔色を変えていたのが解った。
しかし何にも言わせない父の迫力があった。

父親の私に対する心配がこうさせたのだろう。
父親から、多くのものを得なくてはならない。
私もこれから力をつけなくてはならない。父が元気のうちにである。
ある意味で、私の青春は終わったのだろう。
これからは一個の人間として、自分に真の力をつけなくてはならないのだ。
今日で、青春は終わったのだ。
 ---

ー2005年4月18日記ー
全く書いたことも憶えていない生活信条には驚いた。
これを土台にもっともっと書き直して、常に手帳に書いておけば
もっと違った人生をおくれただろうに。
少し硬いが、いま読んでも面白い内容である。
もう少し、軽いもののほうが良かっただろうが。
書いてあることの方が、自分でいうのは何だがすごい。
書き残すことの重要性に社会に出てから無頓着だったようだ。
現在から考えてみても、よく狂わなかったものだ。
それだけ追い詰められていたことを思い出す。

・・・・・・・・
2004年04月26日(月)
1119, 北朝鮮の怪?

 今回の北朝鮮の大爆発の事件,何か不可解な事件である。
数百メートルが瞬時吹っ飛んでいたのに、どうして電線から引火をしたのが
解るのだろうか? 組織的な大掛かりのテロ?
TVで「近くの中国側の街での噂で、今回の事件は暗殺未遂といわれている」とか、
「金総書記が通過する近くに、危険物を乗せた貨車があること自体不自然だ」とか、
報じていたが、異常な事件であることは間違いはない。
北朝鮮は単純なミスと報じていたが、そんなわけがない事件である。

NHKでも、阪大の爆発物の専門の教授が出てきて「電線から引火は考えられない、
爆発物によるものと考えられる」と言っていた。
中国から近い駅というと、アメリカのCIA?がとも想像してしまう。
北朝鮮そのものが、援助目的の窮余の一策ともいう仮説は少し無理がある。
状況からみたら、軍部のからんだ大掛かりな暗殺未遂のテロとみるのが自然だろう。
これから、いろいろな情報が出てくるだろうが。

スターリン型の国家が隣国に存在していること自体信じられないことだが。
現在の北朝鮮にピッタリの事件に思えるが、いつも犠牲になるのは一般大衆である。

・・・・・・・・
2003年04月26日(土)
752, SARSの不安

 もしアルカイダーか北朝鮮のテロなら!と考えると、背筋がゾッとする。
発生源が特定しているからまだよいが、そうでなかったらテロと疑われ
パニックになるところであった。
単純な自爆テロなら、その範囲で済むが、火薬を細菌に置き換えたテロを
彼らが始めたら大変なことだ。
 
 中国の香港や広東州からばら撒くのが、世界恐慌を狙う彼らからみた時に、
一番効果的である。あまりにもTPOSがよすぎる疑問が残る。
もしアルカイダーの立場なら、自分を感染させてアメリカとか日本に行くのが
効果的である。不特定多数の殺戮とパニックを狙うのがテロである。
悲観的に考えたらどこまでもマイナスに考えられるが、そこまで今は危ない
状況である。これが世界中に蔓延をしたら、パニックと恐慌は必至である。

日本などはすぐにパニックになりやすい国だ。
北朝鮮あたりが、その病原菌を貯水池などにばら撒くことも考えられる。
北京は市内閉鎖の噂で飛行場に人が殺到したとか、スーパーや小売店
買いだめのお客で殺到している内容のニュースでやっていた。
私達のようなサービス業は、国内で蔓延をしたら一番影響をうける。
全ての人が他人事でないのが流行り病だ。
先日、新幹線で咳をしたらいっせいに視線が集まった。
飛行機で世界中に一瞬に広まるのだから、恐ろしい。

これに北朝鮮の大問題だ、どうなっていくか?

・・・・・・・
2002年04月26日(金)
388, 温度差

3~4年前の将棋の米長棋士の講演会で聞いた話だが、
丁度北海道拓殖銀行がつぶれた直後で、彼の講演がそこの主催で入っていた。
当然のことながら急遽中止なった。
急なことで時間もとっていたし、飛行機の切符も送られてきたし,
他の人との予定も入れていたので、そのまま行ってきたという。

それと札幌の雰囲気がどうなっているかみたかったという。
飛行場からのタクシーの運転手に話を聞いて、思わぬ内容に耳を疑った。
北海道中、特に札幌の道民は内心皆、喜んでいるという。
彼らは北海道では超エリートで、威張り尽くしていた。
永年のその鬱憤が一般の中に蓄積されていた。
確かに北海道経済にとってマイナスで、喜んでいられないが、
道民感情は拍手喝采だという。

そして数日札幌滞在中、会う人全員がそういっていたという。
これは実際現地に来てみなくては解らない情報である。
彼が言いたかったことは、実際マスコミに流れる情報と、そこの情報の差である。
「何事も現場の声を実際聞いてみなくてはわからない」ものだという事だ。
反面ITの時代は、こういう情報が瞬間流れてしまう。
「それにしても、あれは何だったんだ?」ということだった。

そこまで嫌われる理由は?
マスコミはこういう情報は間違っても流すことは出来ない。
こういう情報は現地で直接しか聞けない。
どこかの県市でも、同じことが生じている。
気がつかないのは当事者だけ、破綻したときそれが表面化する。
何処かの城下街のそれは時間の問題という。

リストラにあった元管理職や街の中から???
という話が生々しく聞こえてくる。