* つれづれに 〜地球規模で天変地異が
・ネパールで大地震があったが、太平洋岸で次々と起きている 大地震の一連? 
 それと、イルカが最近、太平洋岸に迷い込んだのも関連しているのか。 
 それとチリの大噴火も、先年の大地震の関連。そうこうみると、三陸地震が、
 そう遠くない時期に起きても不思議ではない。
 ――
・自宅の極近くのSC内にある喫茶店チェーンのコメダコーヒー。今月になって
 二度行ったが、一人客が意外と多い。数ヶ月前、9枚綴りの回数券を買ったが、
 あと一枚残っている。近所のため、一人で行きづらいが、気分転換に良さそうだ。
 ――
首相官邸の屋上に、ヘリコプターのクローンが着陸し、発見されたのが二週間
後というから国辱もの。ハッキリいえば、テロから逃れること自体が不可能。
 ネット上で、一気に100人が打ち合わせをして飛ばしたら、どうなる? 
 「原子炉の上空をクローンが飛んでいるのを何度か見た」と報じていたが、
 恐ろしい時代に入った。人類は22世紀を無事迎えられないという説がある。
 ――
・小学生の頃から超大物といわれた高1の野球選手が注目を浴びてきた。
 ラグビー元日本代表の清宮克幸の息子。成るほど、それだけの器のようだ。
 少年相撲にも、それクラスのがいるというが。
 ――
・幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著―
 の感想文を、書いたが、フト、真逆の「不幸不利7つの法則〜不幸と失敗の
 意外な感想」をテーマに思いついて、数日前から下書きを書き始めた。
 幸福優位と、不幸不利性が、あい絡まっているのが人生。その二つを意識して
 コントロールするしかないが・・ 傍から見たら、私など不幸不利の典型に
 思われているのだろう。不幸不利に思える人を多く見かけるが、両親から
 引継がれているとしか思えない。 身近な姉、兄をみていると、連合い
 との相性もある。神様は、一番相性の悪いのをわざわざお選びになった?
・・・・・・
4791,「消費される物語」 ー1
2014年04月27日(日)
          ー耕論「消費される物語」朝日新聞(4月22日)よりー
 * 「消費される物語」 ー憧れをかみ殺す  
  ー「夢はかなう」を引きずるロマン 竹田青嗣ーより
 毎日、随想日記をネットに載せてから、まる13年になる。これも、ミニ物語
になるが、先日の朝日新聞の耕論「消費される物語」が考えさせられる。 
 ーまずは、竹田青ほぼ全文を抜粋ー
《 「どんな物語が杜会で受け入れられるか」ということは、「人々の間で
 広く共有されて一般化している欲望とは何か」ということに強く影響されます。
近代社会のかっての一般的な欲望は「自由」でした。職業選択の自由、思想信条
の自由、そして自由恋愛。だが、これらの自由への欲望は、先進諸国では20世紀
半ばまでに実現してしまった。それに代わり、現代社会で一般化しているのが
「承認」への欲望です。 そもそも人間の欲望には、それが他者から承認され
ないと実現できない、という特質があります。赤ちゃんがお乳を吸おうとする
ことさえ、母親の「あなたは私の子ども」という承認がなければ実現できない。
人間社会では、どんな欲望も承認を経て初めて実現する以上、快楽への欲望が
「みんなから認められたい」「祝福されたい」という承認への欲望へと移行して
いくのは、自然なことです。佐村河内さんの物語も、小保方一さんの物語も、
「不幸な境遇にある人や一見平凡に見える人が、がんばって成功し、多くの
人々から承認を得る」という基本的な枠組みは共通している。最近公闘された
英国の映画「ワンチャンス」も、携帯電話の販売員がテレビ(オーディション
番組で優勝し、塒界的なオペラ歌手になる、とり実話を描いた作品でした。
   □ 憧れをかみ殺す
 だが、ここで問題になるのは資本主義社会における「承認を巡る競争」
ゼロサムゲームで、勝者は常に少数派、です。「そこそこ満足」という人まで
勝者に含めても、6〜7割の人は最終的に挫折感や敗北感を抱くのではないか。
実現不可能な一般的な欲望に縛られ続けると、人間は不幸になるだけです。
(略)・・・ 挫折自体は決して悪いことではない。実現不能な欲望や憧れを
かみ殺し、強い忍耐で現実世との調停を試み、自らの生き方を確立する契機に
なるからです。・・欲望をすべて実現したいという「極端なロマン主義」、理想
がかなうことなど決してあり得ないという泥のようなリアズム、そのどちらかに
真理があるではない。両方の引き合いので、より深く生きられる「微妙な場所」
を探し当てることこそが必要なのです。私にとっては井上陽水の歌や、
フッサール、へーゲルの哲学が、そうした場所を見いたすための道しるべ
となってくれました。 ・・ ーつづく  》
▼ 現実にぶつかり、破壊された挫折経験の中で、「微妙な場所、そして立場」
 で、生きている我身にとって、自分にとって、都合の良い「物語」をつくる
しかない。それが、珍妙で、哀しく、痛面白いのである。逆に言えば、イドラ
(真実を覆っている嘘)世界にドップリ浸かっている人たちが鮮明に見えてくる。 
だから、この結果も悪くはないのである。イドラの言葉から、世間を読み解くと
面白い! 其の辺の、市場で聞いた噂を、信じて、小さな殻の中で、情念で
生きているのが一般である。ほぼ、世の中は、嘘と妄想で出来ているのが、
気づかない人たちの総称を「世間」。日本人の大多数にとっての宗教が、
この「世間教」。で、信者の群れが数多、屯する。それを、学生時代のゼミの
「ケース・スタディ」で、徹底的に議論の中で教わった。現象の中に隠された
真理、道理を冷静に捉える知識の必要性である。釈尊の遺言に「すべてのものは
移り変わる、怠らず努め励めよ」とある。変化する時代の中で、ロマン主義と、
泥のようなリアリズムの引き合いの中でこそ、怠り務めることだ!(-ノ-)/Ωチーン
・・・・・・
4424, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー8
2013年04月27日(土)
      「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲
  * 私たちが何故不幸か、進化心理学が教えてくれる
 チンパンジーからして、実は平等も格差も遺伝子に刻印されている。
この矛盾が、人間を不幸にしている。能力も、女性の容姿も、生まれながら
大きな差がある。それを克服するには、一生を要するが、それを失うには数年、
いや、数ヶ月で済む。女性が連れ合いの選択にシビアになるのは当然、それで
人生の大半が決まってしまうため。だから二段階上の相手を必死に探す。
それをシンデレラコンプレックスという。しかし殆どが夢幻の幻想で終わる。
だから神様は、男の性欲を過剰に与えて、仮装の相手に惑わさせるようにした。
で、男は一生、その付けを払わされる。平等欲求と格差の遺伝子を同時に与え、
不幸になるように創られたのは、神様の仕業。だから幸福など気の迷い。
「不幸なのは人類の宿命で、私や貴方だけでない!」と割り切るしかない。
 ーその辺りから抜粋ー 
≪ 二頭のチンパンジを真中をゴフス窓で仕切った部屋に入れ、片方にキュウリ
を与えるとすごくおいしそうに食べる。ところがもう一方のチンパンジー
バナナが与えられると、いきなり怒り出し、手にしていたキュウリを壁に投げ
つける。さっきまであんなにうれしそろだったのに。霊長類学者ドゥ・ヴァール
は、こうした観察結果から極めて重要な発見をした。平等はチンパンジー
とって、けっして譲ることのできない「基本的猿権」なのだ。 ぼくたち人間も、
「平等」に強いこだわりをもっている、人種差別で沢山の血が流れるのも、
バックパッカーがぼったくられたことに延々と文句をいうのも、同じ人間として
平等に扱われていないと感じるからだ。でも平等が遺伝子に刻み込まれた生得的
な価値観でなぜ世の中は格差社会になるのだろうそれは、「格差」もまたぼく
たちの遺伝子に刻印されているからだ。 初対面の二頭のチンパンジを四角い
机に座らせ、どちらにも手が届くところにリンゴを置くと先へと互い取り合う。
負けけがつづと威嚇の表情を見せるが、喧嘩にはならない。互いに先取者に
所有権があることを認めているからだ。ところが同じことを何度も繰り返すうち、
どちらか一方がリンゴに手を出さなくなる。からだの大きさなどさまざまな特徴
から二頭の間で自然に序列が生まれ、いちど階層が決まると、下位のチンパンジー
は上位者にエサを譲るようになる。保育園や幼稚園でも、子どもたちを集団で
遊ばせるとごく自然に階層が生まれ、リーダーが決まる(とくに男の子の場合、
この傾向は明瞭だ)。サルやヒトには、相手と自分の関係を測り、無意識のうちに
支配したり従ったりする強力なちからが働く。 人間の耳には、五〇〇ヘルツ
より低い周波数は意味のないハミング音としか聴こえない。ところがぼくたちが
会話をすると、最初はハミング音の高さがひとによってまちまちだが、そのうち
全員が同じ高さにそろう。ひとは無意識のうちに、支配する側にハミング音を
合わせるのだ。 声の周波数分析は、アメリカ大統領選挙のテレビ討論でも
行なわれている。一九六〇年から二〇〇〇年までの大統領選挙では、有権者
一貫してハミング音を変えなかった(すなわち相手を支配した)候補者を常に選んで
きた。わざわざ選挙などやらなくても、討論のハミング音を計測するだけでどちら
が勝つかはわかってしまうのだ(ドゥ・ヴァール『あなたのなかのサル』) ≫
▼ 誰もが不幸になるよう設計されていると思えば、少々の怒りや悩みは解消
 される。だいたい幸・不幸は一時的感情。だから格差を容認するため「公平」
という考え方を作り上げた。ここでチンパンジーに平等の意識が「基本的猿権」
 としてあるのに驚いた。数十、数百万年かけてつくられたのだろう。小・中・
高校、大学に進学する度に選択されていく。上に進むたびに格差された自分の上下
左右が鮮明に見えてくる。平等、自由、博愛、これは理念、現実は逆ということも!
・・・・・・
4050, 一時停止 ー8
2012年04月27日(金)                
 * 「好き」という言葉が好きだ     
          「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
≪ ・・ぼくは生きる上でいちばん大切なのは、好きになる気持ちだと思って
 いるんだ。好きになるのに理由はない。「好き」はじぶんのからだとこころ
のもっとも深いところからわいてくる。 むりして好きになるわけじゃない、自然
に好きになる。好きになる気持ちは人間に、そしてほかの生きものにも、はじめ
からそなわったすばらしい能力だと思う。何かを、誰かを好きになること、じぶん
が生きているこの世界を(それがときにどんなに苦しく悲しいものであれ)好きに
なること、そしてこれがけっこうむずかしいんだけど、じぶんじしんを好きに
なること。じぶんがきらいじゃ、ほかの人を好きになれないし、生きているのが
つらくなる。はじめきらいだと思っていたものや人が、知っていくにつれて
だんだん好きになるってことだってある。ぼくは「好き」ということばが好きだ。    
                  (母のひろば482号一 二〇〇四年) ≫
▼ 人生の早い段階で好きなことを見つけ、続けることは大事なことだが、
 それぞれの年代ごとに、蛇の脱皮のように、好きなことを変えることも必要。
それは男女の出会いに対していえること。節目ごとに好きな対象が変化するものと、
一貫して好きを貫くか、である。「好きと嫌いじゃ どれほど違う 命ただやる 
ほど違う」という都々逸があるが、それほど好みは根源から湧き出るもの。 
反面、「好きになるまで取り組んだことを突き詰めれば、奥底好きになれる」
こともある。好きという言葉は、人生の鍵を握っているようだ。現在の自分が
好きになれるか?特に人生の晩秋に差し掛かった時期の自分が、どうだろうか?
 「日々、面白い!」と思えるかどうかが目安。ここまでくれば、
「突き抜けた自分を好きと思うしかないか!」自嘲的自己肯定か、最期は。
   ・・・・・・・
3684, 自己を見つめる −8
2011年04月27日(水)          
  * 仕事について     「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 第二の人生に入って一ヶ月足らずになる。 今月から仕事・事業人生から
無職のリタイアの人生に入った。人生の大部分を仕事を通して幸福・不幸の
波の中で泳いできた。仕事は人生の核であることは間違いない。社会の中の存在
意義が仕事を通して証明される。そこで表現した中に自分が見えてくる。仕事、
趣味、そして学びは人生の三本柱。人生のプロセスで、その重心が変わって
くるが、男は家族を作り、養っていかなければならない。だから仕事の比重は
のしかかってくる。とはいえ、三本柱の一つだが・・・
  ーこの本の中の仕事に関する部分を抜粋して考えてみるー
【 したがって、社会に応えてなんらかの役割を果たし、世間に寄与することが
 できるということは、人間の自己意識にとっては、自己の存在の意味を確認
することのできる最も直接的な答えであり、また喜びであることは、疑いようの
ないことだからである。もちろん、そうした仕事における労苦のうちには、
失敗や挫折、困難や事故、予期せぬ妨害や災害、さらには競争や不運など、
実にさまざまな心労の種が含まれていて、人生の現実が容易ならぬものである
ことが、誰にでも、ひしひしと実感されてくる。人生における懐疑や煩悶、
疑心暗鬼や気欝は、多くの場合、仕事をめぐるトラブルや、そこに絡んでくる
陰湿な人間関係に起因するものであることは、否定することができない。
けれども、そうした暗欝な影にもめげずに、自分の関与する仕事の有意義性を
確信して、少しでも前進し、実りある人生行路を切り開こうとする人にとって、
やはり、仕事を措いて、人生の実質上の道程は考えられないことになるであろう。
そして、もしもその人が、強い信念の持ち主として、どんな障害にも屈服せずに、
この世界では善が勝ち、道徳的な世界秩序が実現してゆくはずだと確信する
ことができるならば、たしかにヒルティも述べたように、その人にとっては、
仕事を通じた人生の意味と幸福が、力強く確認され、労働の喜びが増すであろう。】
▼ 「人生における懐疑や煩悶、疑心暗鬼は、仕事をめぐるトラブルや、
 それに絡んでくる陰湿な人間関係に起因する。」 しかし、それを乗り越えて
仕事を成し遂げることこそ、その醍醐味がある。とはいえ、経済震災や、自然震災
は、その全てを飲み込んでしまう。これほど大激震だと諦めがつくが。
これも人生。人生の多くを事業を通して多く学び、楽しんだことも確か。
 まあ、面白かった! 
 ・・・・・・・・
3319, 理性の「理」は、理由の「理」
2010年04月27日(火)
   『カントはこう考えた ー人はなぜ「なぜ」と問うのか』 石川文康著
 学生時代に理念、理性の「理」の意味は何だろうと疑問に思い、ゼミの人たち
に聞いてみたが、納得する答えがなかった。そこで字づらから、王の里で、真理
の大元と一人合点をした。ところが、先日図書館で借りてきた『カントはこう
考えたー人はなぜ「なぜ」と問うのか』石川文康著に、カントの
純粋理性批判」中の「理」が解りやすい。
《 理性の「理」は、実は理由の「理」にほかならない、と述べている。 
 欧州の古典語であるラテン語で「理性」を意味する「ラテオ」は、同時に
「理由」を意味する。理由とは、「なぜならば〜」と表現されるもので、物事の
「根拠」、物事を「根拠付ける」働きを意味する。さしずめ「なぜならば」と
答える能力が理性であると言ってよい。20世紀のハイデッガーは、理性と理由、
理性と根拠が同一であることを際だたせて、次のように述べている。
「理性とはラチオのことであり、すなわち根拠の能力。理性は物事を基礎づける
根拠である。根拠は純粋理性の理性的根拠以外にない」 ところで、この
「なぜならば」といきなり、切り出すものはいない。それを誘導するものがある。
それは「なぜ?」という問いである。「なぜ?」と問われて、はじめて
「なぜならば」が発せらるのである。・・・ 》
▼ 以上だが、理性的とは「なぜならば」と答える能力である。と同時に
「なぜ?」と、問う能力である。分かっているようで、分かってなかったようだ。
そうすると、常に「なぜならば」と「なぜ?」を、考えている人が理性的という
ことになる。人は「なぜ『なぜ』と問うのか?の答えは、「人は根拠となる
物事の基礎を把握したいため」である。「なぜ?」「なぜならば」と、言っている
限りは、理性を使っていることになる。 ということは、根拠=原因を知りたくなる
根本的な探究心のため何か驚いたり、知らない現象に出会うと、その背後にある
原因を探したくなり、「なぜ」と問うのである。認識に経験論と合理論があるが、
合理の理性から物ごとを認識をするという場合、経験が直接的に認識するのに対し、
 合理の理性で把握するのは間接的に認識する、ということになる。 −つづく
 ・・・・・・・
2944,ブラックアウト
2009年04月27日(月)
 ーブラックアウトについてネットで検索をしたら、以下のようにあったー
blackoutは、飲酒中やその直後に自分の行ったできごとについて、翌日に一部の
記憶がなくなるアルコール性記憶喪失をいう。例えば、飲んでタクシーで帰ったが、
友人に乗せられたまでは覚えているが、その後はまったく記憶がないなどである。
社交飲酒家でも認められるが、アルコール依存症者ではしばしば認められる。
ブラックアウトの出現はアルコール依存症の入門切符。
▼ 「元スマップの草薙剛が、ブラックアウト?で逮捕された」と報道された。
 深夜三時ごろに全裸で騒いでいるところを逮捕されたもので、何と猥褻罪という。
深夜に素っ裸で公園にいたところで誰に見られた訳でなし、やりすぎではないかと
思うのは私だけではないはず。有名人でなければ、これだけ騒ぎになるわけでなし、
酔っ払い保護センターもあるし、騒ぐほうも騒ぐほう。
(字数制限のためカット2012年4月27日)
・・・・・・・・・
2580, 閑話小題
2008年04月27日(日)       \(⌒∇⌒)/おはよ?!
 ー哲学と思想の違いー
池田晶子著の「暮らしの哲学」で 「哲学」と「思想」の違いについて
次のように書いている。
『「哲学」と「思想」の違いは「哲学」とは考えることであり「行為」である。
それによって導き出された言葉なり文章なりの結果が「思想」である。だから
「哲学する」とは言うけれど「思想する」とは言わない』と。解りやすい説明。
「哲学は考えること。思想は思いこむこと」 というと、何か違うような気がする。
 人の考え、思い込んだことを言語化したもので、貼り付けることが出来るのが
思想で、考える行為が哲学ということ。一般的には、哲学も思想も同じように
論じられているから、話がややこしくなる。ここの差異をハッキリさせおくと、
哲学・思想書関連の本を読んでも整理がつく。
 ー何でも半分ー
 (字数制限のためカット2010年4月27日)