つれづれに

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 今日のYoutube
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昨日は、シネマの日で、『 フューリー』を見てきた。
スノータイヤを、まだ付替えてない、本格的降雪の中、
何とかシネマまでいってきたが、アカデミー賞有力の前宣伝に
つられ見ることにした。 戦闘場面が、この年齢になると、
見たくないが、30分もしないうちに、いつものとおり、何も感じなく
なっている。  評価は、少し甘く見て、95点というところ! 
ということは、今年見た中で、3本指に入るということ。


・・・・・・
2802, イングランド・ツアー ? 
2008年12月06日(土)

 *集団スリに狙われて
観光地には、必ずといってよいほどスリがいる。
何度か危ない場面はあったが、隙さえ見せなければ大丈夫と思っていた。
イングランドコッツウォルズブロードウェーの自由散策時間も終えて、
バスの待っている駐車場に行ったところ、添乗員が少し時間があるのでトイレに
行ってきてくださいとのこと。200メートル先のトイレに一人で向かったところ、
誰も居ないトイレの前に30歳過ぎの男達が三人、私を見ている。 
大きな駐車場に我われのバスが一台。少し危ない雰囲気だったが三人の横を通り過ぎて、
トイレで用を足して帰ろうとすると、男が一人、何時の間にか手洗いにいる。
危ないと思いながら外に出て、残りの二人の横をすり抜けようとした瞬間に、
トイレの中にいたはずの男が後ろから大きなヒャーと奇声をあげた。
ハッと後ろを振り向くと、右手にマジックを持って反対の手の甲に英語で何か書け?と、
早口で捲くし立てている。 瞬間にチンピラの因縁づけと判断、無言で目を睨め付けた
まま後ずさりをして、クルリと振り返って帰ってきた。 私がマジックを持ったら
何かするつもりのようだった。ただ突然に不意打ちである。
次の瞬間に他の二人が、その男を制しているようだった。 
その場では、「あれは何だったのか?」理解が出来なかった。
家内に言うと、「薬を飲んでラリッテ、絡もうとしたのでは!」と、
添乗員は「酒でも酔って声でもかけたのでは?」という。
でも何か、あの雰囲気は犯罪一歩手前の何かだった。

ミラノで家内がショッピングの時に、広場をブラブラして鳩の群れを見ていた。 
何時の間にか若い男が横にいて、トウモロコシの豆をスッと突き出してきた。
アワヤ手に取りそうになったが、手を引いて、その場を移動した。そして、
他の場所から男を何気なく見ていると、他の観光客に同じようなことをしていた。
初めは手に取ったときに一ユーロ位を要求するタカリだろうと思ったが、
後ろに仲間がいた。トラブルを起こしている間に財布を抜き取ろうというのだ。 
しかし、瞬間に、その人も手を引いたので、スリの現場を見れなかったが。
家内はスイスのユングフラッホで、財布を全く気づかずに摺られたことがあったが・・・

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2007年12月06日(木)
2437, ファッションを哲学する
                       ヾ(≧∇≦*)ゝおはよんよん♪
 哲学者の鷲田精一の「ファッション」論が面白い。 人は、とりわけ女性は
ファッションに多くの金をつぎ込むが、 その割りには「ファッションとは何か?」
を哲学者も社会学者も取りあげない。
鷲田は哲学仲間から呆れられながら考察をする。 
   
 言葉と衣服は似ているのである。ファション衣服は何ぞや?を、
考える前に衣料とは何ぞや?を取上げる。「なぜ服を着るのか」
「なぜその服でなければならないのか」を考え、ファッションを通じて、
「私」や「私の身体」について考察する。「ファッションはいつも愉しいが、
ときどき、それが涙に見えることがある。」という彼の言葉は痛烈である。  
更に、そもそも人は何のために服で体を隠すのか?
隠すべきものの実体は?等々、身体論を含めてわかりやすく説いている。
   ---
ー彼の論を簡潔にまとめるとー
・まず人は「らしい服をまとって人は『だれか』になる」という。
警官は警官の制服、そして兵隊は軍服、そして消防士は消防服をきて、
制服の中味になっていく。 社会的なコードとして一番わかりやすい。
・ファッションは社会の生きた皮膚として端的な表現をする。
 流行の服を着るということは、過去を捨て、未来のことも考慮に入れず、
まさに現在だけを考えるということ。流行の服を追う事というのは、
今を生きるということでもあるし、刹那的でもある。
・身近で加速するハイブリッド現象と捉えることができる。
 Tシャツであれ、ジーンズであり、衣服は国境や、民族文化の境界を
 やすやすと越えて浸透していく。哲学者や社会学者が異文化理解の
 可能性を説いている間にも、ファッションは確実に文化のハイブリッド化を
 加速する。カルチャーとサブカルチャーが世界を激しく横断する。
ー印象に残った部分を抜粋してみるー
 そういう虚ろな<像>を補強するために、われわれは他者とともに安定した
 <像>の様式をスタンダードとして作りあげ、それにしたがって自己の
 イメージを構成したり、ときには取り繕ったり、偽装したりもする。
 それをさしてロラン・バルトは、「モードは人間の意識にとってもっとも
 重大な主題(《わたしはだれか?》)と遊んでいる」と言ったのである。
 男性らしい服、子どもらしい服、会社員らしい服、喪の服をまといながら、
 ひとは社会のなかで「だれか」になっていくのである。ひとが自分の身体的
 存在をイメージするときのその回路を、衣服の社会的コードが拉致する。
 ちょうど、現代社会では病める自分の身体への関係が医学と医療制度に
 よって全面的に謀介されているのと同じように。 こうしてファションは、
 社会の生きた皮膚として、ある時代における社会の成員の自己同一化の
 構造を解読するための恰好のテクストとなるものである。
--
衣料品店に生まれ、ホテルの一角でファッション学生服も含めたら20年も
携わっていた。とにかく、市場とメーカーの架け橋のシステムを如何に
日々作りあげ、作り変えていくかに全てのエネルギーをかけないと、
一瞬に不良在庫の山になる。ファッションとは何かなど考えている暇は無かった。
知っていたところで、システムつくりには関係なかった。しかし、衣服とは、
そういうものである。社会的コードであり、社会成員の自己同一化の道具でもある。
劇をしようとしたら、まずは服装から始めることを考えれば解ることだ。 
昔から「馬子にも衣装」と言った。今だったら「馬子にもブランド」? 
 後記)偶然の一致とは!面白いものだ。後の方に貼り付けてあるが、
6年前の今日に「ブランド」というテーマで書いたあった。度々あることだが・・・
   
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2006年12月06日(水)
2073, 金は人を幸せにするか?
           才八∋ウ_〆(∀`●)
 お金に関しては、何度か書いてきたが・・先日の書評「金は人を幸せにするか?」
は題材として面白い。毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』=W・バーンスタイン著の
書評で、その内容が紹介されていたが、なかなかよい。 建前でいえば、
「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。
それが金で買えれば、世の中の金持ち全部幸せのはず。質問そのものがナンセンス」
が正論である。しかし本音のところ、「金は何でも買うこともできる自由の塊、
何でそんな建前をいうのか?そんなことを言えるのは充分ある人のこと。」と、
陰の声がささやく。

「貧乏の極みで家庭は崩壊、借金で高利貸しに追われ、最後は不幸のどん底
投身自殺を図ったが死に切れず・・・」 これなど不幸のカタチで何処にも
あるパターンである。倒産や失業では金欠が当面の切実の問題になる。
人間の品性は「金欠と女性問題」で露わになる事例を山ほどみてきたので、
間違いなく「金のないのは、人を不幸にする」ということだけは断言できる。
幸せになるのもいるが、それは珍しいから小説の種になる。

 私の持論は、「金で80?の幸せは買えるが、あとの20?は金で買えない。
その20?こそ一番大切なことである。 しかし80?は買える。
幸せとは、したいことがあり、それをやり遂げた心のさまである。
それは金では確かに買えない部分もあるが、しかし金=自由であるから、
やり遂げる手段としては、最有効になる。」である。
                    (*´θ`*)金、欲しい!
理屈として、「買えるものは買えるし、買えないものは買えない。
買えるものは金があればこそ買える。金が無ければ‘買えない’範囲が広くなる。
そのぶん自由度が狭くなる。自由は人間にとって非常に大きい幸福の要素である。
自由度を大きくするには、より多く金が有ればよい。
生存レベルで必死の人にとって、{生活手段としての資金の確保から解放される
ことが幸せである}のは当然のことであり、お金は資金確保からの解放を意味する。

 生存レベルの資金確保の束縛から解放された人は逆に幸福感が
「生活資金確保の段階」からアップスケールしているのだから、身近な世界の
人との比較や、違うレベルの欲望の達成の幸福感でなくては、幸せなれなくなる。
金が無くなって「お金だけが人生ではないお金は決して人を幸せにはしない」と、
言うに丁度よい言葉の羅列にはなるが。ー先日の毎日新聞
『「豊かさ」の誕生…』の詳細は、‘サロンのコーナー’にコピーしておきました。                                         
・・・・・・・・・・
2005年12月06日(火)
1708, 戦略ノート -1
          -読書日記
 また斉藤孝である。       
ただし、この本は訳者としてだが。 俗にいう「夢・枝もの」である。
『夢』-目標・戦略ーを持ち、それに対して『枝』ー戦術ーと 根ー教養ーを
長年かけて養えば、いつの間にかほとんどのことは叶う、という手のものである。
実際のところ、その通りだが80?の人が初めから興味を示さず、残りの20?うちの
5?の人しか、長年にわたって努力をしない。これが人間の固定観念のなせる業だ。
この本では、成功とはなんだろうか?
 富は成功の付属物にすぎない、から始まり、ー成功を以下のように定義する。  
  1、自分の人生の目的を知り
  2、潜在能力を最大限に発揮するために成長し
  3、人のためになるような種をまくこと  (n´∀`)η゚・.。. .。.:*・
   ・自分の心の奥底から望むことは何か? ということを熟考して
   ・自分の後ろ盾、強みは何か? を把握
   ・何でも屋ではなく専門家になれそうすれば優先順位が明確になる
  
 更に 次の5つのステップで夢を見つける
  1、自分は成功できる! という強い信念を持つ
  2、プライドを捨てる。プライドが高いと能力よりも外見にとらわれ、
    安全圏を出れない
  3、不平、不満を建設的なアイデアに変える
  4、マンネリ習慣から脱却する
  5、いつもやる気満々で仕事に向かえ      ょしゃ∩(´∀`)∩
   そのためにバックアップしてもらえる人や、     yaruzo!
   情熱の火を消さない知人を持つことも重要。
   勝者の思考回路を徹底的にまねる 事も重要だ。
    ∥┓  ((  
     (_)  匚P 
     ━┻    
  ー自分の可能性を最高度に発揮する7つの習慣 ー
    
 ー字数の関係でカット(2007年12月6日)ー
        ゚・*:.。. .。.:тндйк уoц      ヾ(^-^)ゞbaibai

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2004年12月06日(月)
1343, 雪下ろしの雷

今朝方の夜半の2時から、大きな雷が30分ほど鳴り響く。特徴は、落雷の時間の長さ。
落ち始めてから十数秒?も鳴り響いて、それが何度も続いていた。
これだけ長い時間の落雷の音を聞くのは初めてである。
さらに明け方になって、再び駄目押しの雷が鳴り響いた。おかげで、寝不足である。
今の時期の落雷は「雪下ろしの雷」といって、雪がまじかに降るというお知らせである。
雪も降るときには降ってもらわないとスキー場や冬物商売に差支えが出てる。
新潟県は雪で一年の3分の1か4分の1は閉ざされてしまう。反面、その雪が天然の
ダムの役割を果たして豊かな水をもたらす。そのため中越地震の被害を受けたところは、
内福のところである。魚沼米とか、錦鯉とか、闘牛の山古志牛とか、地味だが内福を
絵に描いたようなところといわれている。見たと聞いたとこれだけ違う所も少ないだろう。
贅沢をしない県民性もあるが。雪下ろしといえば、最近は温暖化のためか雪の量が
年々少なくなっている。子供の頃は、3~4メートルの雪など珍しくなかった。
柏崎の原発が出来てから、さらに顕著になったようだ。住んでいるほうは、少ない方が
生活をしやすいが、自然のバランスからいえば降るべき時には多く降ったほうが良い。
雷といえば、学生時代に自衛隊に合宿した高崎の雷を思い出す。数十メートル先に
何回も落雷があった。二段ベッドの鉄の手摺りが、落雷の電気が走ったのを
アリアリと憶えている。

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 2003年12月06日(土)
976, 新婚さんいらっしゃい ! -2

この5月に、このテーマで書いたが、再び書く。人間関係の、いや人生の凝縮が
結婚と親子関係である。特に結婚は全く違った人生を生きてきたもの同士が、
一つの家庭の中で生活をするのだから大問題が生じて当然。まずは二人だけの
権力闘争がはじめるのだ。そして、底知れないドブ沼が二人の間にできてくる。
その入り口に立った二人が、熱にうなされ発情している状態が面白い。
‘我まま’丸出しの女が出てきて、男を奴隷のように扱っている姿を見ていると、
その男の中に自分の姿を見ているようで、我を忘れて感情移入をしてしまう。

 先日みた番組では、週の小遣いが500円という。500万円の収入があるのに、
月に2000円の小遣いである。「何で、そんなに少ないの?」と桂三枝の質問に
「貯金が私の趣味なの!」と答える??女の答えが可笑しい。
亭主の昼飯が月曜日から金曜日まで「かけうどん、かけうどん、かけうどん、
かけそば、かけうどん」という。凄いものだ。本人はやせ細っていた。
旦那が小遣いの値上げを懇願していた。せめて5000円というなら解るが、
900円で喜んでいた。

また数年前になるが、パキスタン男と結婚した女は亭主を奴隷のように扱っていた。
まあ「愛の奴隷」のうちはよいが、「人種差別」による奴隷のようだった。
この時も月に2000円か3000円であった。会場からは怒声が聞こえてきた。
番組みの関係上、下ネタを明け透けに話すが聞きなれてくると「いやらしい」
感じないのがよい。それにしても新妻?が恥じらいもなく話すのには驚いてしまう。
書いていて気がついたが、この番組みの主役は新妻だ。「高校三年生」の
流行歌を聞いて育った年代としては、女性の変容に時代の流れを感じる。

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783, 新婚さんいらっしゃい ! -1
2003年05月27日(火)
 (字数の関係でカット2008年12月06日)
 
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2002年12月06日(金)
602,ある時間の断片-16
 1968年 
 
10月6日  日曜日
朝10時半に起床。 部屋の大掃除後、洗濯屋に行くため部屋を出ると、
大妻女子大の5人と出くわす。この前に来ていた人もいた。彼女たちの会いに
来た相手がいないので、私の部屋で一時間ほど過ごす。昼飯後、風呂に行ったり、
音楽を聴いて時間をすごす。0時に先輩で代議士秘書をしている永田さん部屋にくる。
何か自分中心で好感が持てなくなってきた。自分のことしか見えてないのが嫌だ。
のんびりした一日であった。
 ーー
10月7日
9時半起床。10時半に学校に出発、ところが学校は休み。図書館もやってない。
校庭の4丁目にいると、クラブの加藤と古市と会う。彼等が変わっていたのに驚いた。
12時過ぎに石川と待ち合わせて会う。 ウエストサイドで3時過ぎまで話す。 
辛らつにお互いの批判になる。自信過剰で視野の狭い人間だといわれた。
かなりこたえた。その後本屋に寄り、寮に帰る。音楽を聴いていると、
後輩の米林君がくる。 頭のよい吸収力のある男だ。明日から卒論のまとめの為に
新潟の六日町の雲頓庵に行くが、そこで大筋と構想をまとめてみようと思う。
石川について ーかなり自尊心に傷をつけられた。 もともとお互どちらが
正しいとはいえない。割り切って付き合わなくては。 それにしても
この自分の動揺はどういうことか。

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2001年12月06日(木)
261,ブランド品

ブランド品の定義ー
1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。
それも不釣合いのノーコーデネート。一品豪華主義の典型
2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。
3、キャリアのブスの中年女がこれ見よがしに身に付けたがる。
  -野村監督の奥様。スナックなどでも時時いる金ぴか女? 
 ブランド痴呆女というところか!
4、自分のセンスに自信がない人の印籠代わりの小道具。
5、家具から、身に着けているも全てコーデネートして初めて意味のあるもの。
 したがって大金持ちの贅沢遊び!収入が年間何億のレベルの人種のステータス
 シンボル。したがって一般の人が買うことは、金持ちコンプレックスの低脳
 披瀝していることと同じ。一時凝っていた家内が突然買うのを止めた。
 その意味が解ったのだろう。アジアの黄色人種が身に付ければ、エテコウのお笑い! 
 それが旅行を重ねているうちに気づいたようだ。飛行場とか、ツアーで連れて
 行くショップのブランド物は2~3年か それ以前の「投げ捨て商品」。 
 その筋のシンジケートから「売価の一~二割の原価」のしろもの。
 ハワイの飛行場で確か売上の6割か7割の家賃を取っていることで、
 それが公になった。 その事は20年以上前から、知っていた。
 大手の旅行代理店がそれを熟知、それで一時は荒稼ぎをしていた。
 黄色のエテが群がっている姿は、西欧人の軽蔑の対象だった。

・・・・・・
12月6日 
1968年
 朝7時半目覚まし時計がなる。しかし起きることが出来なかった。
やっと10時過ぎに起きた。タクシーで学校へ。11時20分にやっとのことで、
食事をしてゼミの「工場見学」に、時間ギリギリで間にあう。新宿から京王線
府中へいく。NECの工場だ。事業所長の説明後、工場の見学だ。
アカデミックな感じがした。雰囲気が知的で、コンピュータが部屋せましと並んでいた。
 16時から、工場所長と人事部長補佐など数名と労務管理について話し合う。
積極的に話したのは、石川・田島・植本君の三人であった。 それに質問者の
横井さん以外誰も無口であった。
 18時から腹がすいて苦しかったが、19時に天丼がでる。 
19時半に終了。その後マイクロバスで府中へ。解散後、田島と河村と三人で
 井の頭公園へ行く。 それから荻窪へ行って、喫茶店で話をする。
 田島がよく話す。彼は先まで一緒だったゼミの石川に腹を立てていた。
 彼が10月頃から大きく変わったと言った。彼は「寂しい、ずるい、ゆわい人間だ」
と指摘していた。私が感じていることを、そのまま言葉にして田島が言った。
 ゼミの個性派同士の対立というべきだ。大人しい河村も石川を否定した
ということは、彼はやはり異常と言ってよいのだろう。人間性が崩れているというのが
共通項であった。自分で墓穴を掘ったのか、それとも自己の創造性を見出した
のかは判断できない。何か話していて、その姿が自分の姿でもあることに気がつく。