【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著
   * 法則4:再起力〜下降への勢いを利用して上昇に転じる
 人生で何事も思うようになることはありえない。 人は「うまくいったか」「失敗したか」
のどちらか二択で物事を捉えがちだが、ここに「第3の道」が隠されているケースが多い。
その為には、節目を自らつくり、強く打たなければならない。予定挫折である。
 そこには、「失敗した後に学んで強くなり、最後に上手くいく再起する力」が出てくる。
心理学では「心的外傷後の成長」と呼ぶ。多くのベンチャー投資家は、ビジネスで大失敗した
人物しかマネージャーとして雇わない。マイケル・ジョーダンは高校時には控え選手だった。
「私は何度も何度も挫折した。それがいまの成功をもたらした」と。 第三の道は見えにくく、
近視眼的に物事を見がちになるが、長期的な立ち位置を客観的に認識する知識が必要になる。
≪ ◎ 第三のの道を見つけること
 人間の脳は、勤勉な地図製作者のように、頭の中の地図をしょつちゅう訂正して作り直している。
複雑で変転するこの世界で、そうやって私たちをナビゲートしてくれている。 こういう能力は、
何千年もの変化の過程を経て人の脳に組み込まれた。人類は生存のため、環境の物理的な地図を作り、
食料やパートナーを得るための戦略を立て、それぞれの行動がどんな結果をもたらすかをプランする
必要があった。(略)・・何かを決断するときには、このようなマッピングが頭の中で必ず行われる。
このマップには「現在地」(現状)が出発点として示され、そこからいろいろな道が放射線状に出ている。
道の数は決断の複雑さによって異なり、その瞬間の思考の明晰さによっても違う。最良の決断ができる
のは、明解でクリエイティブな思考により、可能な道すべて把握し、それらの道がどこに続くかを
正確に予想できたときである。しかし、ストレスを受けているとき、窮地にあるときには、多くの人が
一番重要な道を見落としてしまう。それは、上方に向かう道。 危機や逆境から延びる道は3つある。
1つは、いまいる場所をぐるぐる回る道。ネガティブなできごとは変化を生まないため、
いつのまにか出発点に戻ってきてしまう。
2つ目の道は、さらに悪い結果へつながる道。悪いことが起き後に、そこから更に悪い状態になっていく。
 こういう道があるために、人は事態に立ち向かったり、難題に桃戦したりすることを逃れる。
3つ目に、私が「第三の道」と呼ぶ道がある。これは失敗や挫折から始まり、人をより強くし、困難の
 さなかにこの道を見つけるのは易しいことではない。経済不況でもその他の危機でも、そういうときに
 作られる脳の地図は不完全なことが多いし、皮肉なことに、ポジティブで生産的な道が一番見えにくく
 なっているからだ。無力感や絶望に覆われていると、そういう直が存在することすら信じられない。
 だから探そうともしない。しかしこれこそ、ぜひとも探さぶければならない道である。
そこで、「第三の道」を発見できるかどうか、挫折に打ちのめされるか、そこから立ち上がれるかを、
分けられる。挫折を「成長の機会」ととらえられる人が、その成長を実現できる、ということを多くの
研究結果が示している。逆に、挫折を「この世の終わり」ととらえるなら、その通りになる。 ≫
▼ 私の経験でも、節目で「第三の道」が現れ出てきた。思いもよらないチャンスが、そこにあった。
 それが運命を変えてくれた。三年前の節目の「第三の道」とは何だろう。 足元を見直し、内省を
より深くすべきということ? 日々を味わう? 実際、自然の成り行きで、そうしているが・・ 
今さら第三の道でもないか! 「死の淵に立ってこそ分かること、後悔することを、今、経験しろ」
ということか。 日々を楽しみ、味わって過ごせば、第三の道を歩くことになるが。
・・・・・・
4647, 閑話小題 ー「考えないこと」こそ罪 ー2
2013年12月06日(金)
* 「考えないこと」こそ罪 ー2
 人間が考えないのは、「馬鹿の壁」に取り囲まれているからである。その「バカの壁とは何か?」
 をネット検索すると・・・
《「養老 孟司の『バカの壁』を解りやすく説明してください」の問いかけに対し、
「人間は、外界からの刺激を感知する際に、その刺激に対してX(エックス)という変数をかけている。
例えば私たちは、自分が大好きな歌を聞くときには、「その歌」×「限りなく大きなX」に導かれる
値を刺激として受け止めています。一方、まったく興味のない歌を聞くときは、「その歌」×
「限りなく0に近いX」から導かれる値を刺激として受け止めています。そのため、前者の刺激が
非常に大きく、その人に対して多大な影響を持つのに対し、後者の刺激は「空気」のような存在です
(レストランの有線放送が良い例)。「バカの壁」とは、こうした「外界からの刺激に対する
無意識の判別」を指す言葉だと理解しています。もし全ての刺激に「大きな変数」をかけてしまうと、
その結果頭に入ってくる刺激に対応しきれなくなるため、刺激の必要不必要を判別するこの機能は
非常に重要です。それは外界の刺激に対する「目隠し、壁」としても働いている。》
▼ バカの壁は決してマイナスだけでない。問題は、自分のそれを意識できるかどうか。 
 人間である限り誰もが考えている。問題は、より広く、より深く掘り下げて考えようとしないこと。
現在、アベノミクスのミニバブルが起きつつある。15〜6年前のデフレ直前1990年代半ばに似ている。
その後に2001年の9・11テロ、2008年のリーマンショック、そして、2011年の東北大震災が起こった。
現在の私の立ち位置の高台からは津波(恐慌)の本体が見えるが、眼下の海辺近くの街中で、宴会で
酔い遊んだり、仕事をしている人には、次の大津波が見えない。それを察知するに、自頭で考えるか、
情報に対する己の勘しかない。そこで、近い将来の犠牲者達が、高台に避難した人を不思議そうに
見ている。 笑っているのもいる。ところで、『そういうアンタ、考えているの?』と言われると、
『ウ〜ン!』になる。 石原慎太郎がつくりあげた尖閣列島の国境問題。下手をすると戦争だが、
今の日本には、これで良い。目先に迫った危機が、ピンとこないようだ。「考えない」のはの罪で
あり、罰になる。最初の余波で浚われた罰を受けた私が言うのだから、間違いない。
・・・・・・
4282, 閑話小題 ー人生、面白くなければ
2012年12月06日(木)
   * 人生は面白くなければ生きる価値がない
 レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる、フィリップ・マーロウの 
「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」の言葉をもじった、
「人生は明るくなければ生きていけない、でも面白くなければ生きる価値がない」の言葉を、
ある本でみつけた。 高杉晋作都都逸
「おもしろき  こともなき世を  おもしろく」に、相通じていている。この年齢になり、
世相も心も暗くなりがちになると、一日一日を如何に面白く時間を過ごすかが課題になる。
その辺は、長年かけて鍛え上げてあるが。ただ明るく面白ければいい、のではない。
その人の人生を貫く信念がなければならない。
   * 書斎の楽しみ !
 去年の春以来、書斎に一日4〜5時間はいる。この随想日記の下書きや、読書、
そしてネット・サーフィンが主。他には、日記や、音楽を聴いたり・・・ 早朝2時間、
午前中2時間、夕方1時間。 この三本柱の時間帯と、寝室に7時間、スポーツジムに2時間。
居間に6〜7時間。早朝のミニ・サイクリング1時間(冬季を除く)。他には風呂とか、
図書館など数時間になる。 この判で押したようなアカデミック?な生活をしていると、
孤独な孤高のゾーンに奥深く入ることが時おりある。ポタリング信濃川の土手や橋を
引きチャリをしている時にも、そのゾーンがやってくる。だから続くのである。
特に書斎では思いもよらない過去の思い出、思わぬ気付きが奥深くから湧き出ることがある。 
読書も然り、書き手の世界に入り込み、その琴線に触れる時、このゾーンに入り込む。 
雑念を超えた時空の世界である。 作家とか芸術家は、その世界を広く深く持っていて、
そのゾーンから何かが伝わってくるのだろう。魂という言葉があるが、このゾーンと
繋がった心の状態をいうのではなかろうか。
・・・・・・
2011年12月06日(火)
3907, ルソーの孤独
 2009年12月1日の随想日記「人生に関する小題」の中で、現在の私を予感させる文章があった。
≪【 わたしは地上でたった一人になってしまった「孤独な散歩者の夢想」は、64歳のときに書き始め
 2年後の死ぬ直前に終わった文章、ルソーの絶筆である。「第一の散歩」から「第七の散歩」まで
あり、その後「八、九、十」がメモのような文章が続く。冒頭で、「こうしてわたしは地上でたった
一人になってしまった。 人なつっこい人間でありながら、万人一致の申合せで人間仲間から追い出されて
しまったのだ・・ わたしは、かれらから離れ、すべてのものから離れたこのわたしは、いったい何者か」
 と問う。「自分に残されたことは、すべての世間から放逐された自分はいったい何者なのかを探求する
ことだけなのだ」と自覚する。】私の周辺の倒産時の男たちの気持ちは、まさに、このようだ。 
多くの取引先、部下を路頭に迷わせ、自分の存在の卑小さと、嫌らしさに自己嫌悪を独りする。 
自分は何者なのか? ただ、歩くこともままならぬ、折れてしまった、これ(私)!である。≫
▼ この文章を書いた二年前から、倒産を決断するまで売上下降が続くとは夢にも思わなかった。 
 そしてトドメが東北大震災。税理事務所の30年来の担当Jさんが、「初めは気が張っているが半年も
過ぎれば、ジワジワとボディーブローとして効いてきますよ」と忠告してくれた。地方の大方の会社に、
この大不況が直撃していることも事実。 大津波の前兆の波が、特に敏感な立ち位置の当方に先に直撃
したが、本体の波が来るのは今年から来年にかけて。(但しG20が時間稼ぎをして来年に先送り)
どのようにシュミレーションをしても、本体の津波がやってくれば海岸線に近い三次産業、輸出関連
産業は、致命的大打撃を被る。ところが津波に一番危ない会社ほど、大津波に気づかず高台に逃げて
いく人を嘲笑う? ルソーの孤独感は、独り死に直面した時に誰もが経験することになる。
ネット上にブログを10年間書き続け、墓としての思いを入れ続けてきたので、ルソーの孤独感は無い。
 しかし、この10年間に多くの友人知人が亡くなっている。亡くなる直前に、ルソーのような
絶望的な孤独感にさい悩されたはず。  このルソーの孤独は、虚無という真っただ中に漂う私が、
壊れていく恐怖が伴う。談志も死を前に強がりを言っていたが・・・
  ・・・・・・・
3542, 価値観の中心の書き換え −4
 2010年12月06日(月)
  * そもそも「成功」とは何ぞや?
 ーここで成功とは、そもそも何かという著者の論理が、言いえて妙である。ーまずは、その辺より
【 大金持ちになりたいかと訊かれれば、ほとんどの人間が手を挙げるだろうが、だからといって、
 なにがなんでも絶対になりたいとか、人生の目標の一番に「成功」(大金持ちになること)を掲げて
生きていきたいわけではないのである。成功本を書く著者たちは、人生の最大価値を「成功」に
置いているようである。つまり金を儲ける「仕組み」を作ったら、あとは「こっちの水は甘いそ」
とかいいながら、左うちわで遊んで暮らすというのが理想の生活だと考えている。
人間を金持ちとそれ以外に二分し、金持ちだけが「自由人」で、それ以外は「不自由人」だ、
などと幼稚なことをいって恥じるそぶりすらない。もしめでたく「成功」したとしても、それは全の
なかの一つの要素に過ぎない。ところがかれらはそれが人生のすべてで、それがなければ人生ではない、
みたいに考えているらしい。「成功」が人生の最上位に立っているのだ。かれらにとってすべての
価値判断が金を持っているかいないか、だけのように見える。
頭のなかにはつねに、いかにして金を儲けるかというだけのようだ。「自由」であるほずなのに、
「不自由」なのかもしれない。有り余るほど金があるのなら、本なんか書かないで隠遁していれば
いいのに、やほり「名」が欲しいのだろう。けれどかれらには金はあるかもしれないが、
どう転んでも「名誉」だけは手に入らない。「プライド」もない。・・・・・・
 人生で大事なことは「過程」そのもの。それが目標を[[実現していく過程」であろうとなかろうと、
目標が「実現」しようとしまいと「過程」がそれ自体が大事である。それらの「成功」という言葉が
馴染みにくいと思っていたら、全部アメリカ人の好きな、大げさかつ幼稚な言葉であるサクセスや
グレートやドリームの受け入れだったからではないか。】
ーまずは、彼の批判している成功は、衰退し右肩下がりの時代背景からみた成功に対する目線でもある。
高度成長期では大方の人からは受け入れられない見方である。現在は、多くは成功は無理。ならば、
それぞれが自分の価値を見出し、追求していくプロセスを大事にするしかない。情報化で価値の
多様化が進んでいる現在、何をするにも、それぞれスキルが必要である。人生に今さら成功も
失敗もない?いや、ある? 人生を旅に喩えると、やはり良った旅と、良くない旅がある。
旅の準備を充分してきたか、災難を無難に乗り越えられるか、その知識は必要。 
成功とは良かったと思える旅のことになる。 良かった思えば、良い旅になる。
でも、良くない? 修行が足りないのでは。
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3167, シュリーマンの話  ー4
2009年12月06日(日)
  ー抜粋のつづき
 彼は貴族ではない。清国と日本の支配階級を対比しているのではなく、市井の人々のこまごまと
した暮らしぶりの中から、日本の庶民や下級武士、坊さん、はては花魁に至るまで、きれい好きで潔く、
親切な人々を事細かく書き残しているのである。彼は、玩具、織物、刀剣、象嵌細工、木彫り等々を
見て、日本の工芸品は蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達していると評する。 
教育についても、「ヨーロッパの文明国以上に行き渡っている。アジアの他の国では女たちが完全な
無知の中に放置されているのに対し、日本では、男も女も皆仮名と漢字で読み書きができる」と称賛。 
彼のために、彼の目が日本びいきであるために曇っていたのではないかという疑いを晴らしておきたい。
 幕末当時、日本には1万5千の寺子屋があり、武士は100%、庶民男子50%、女子20%、江戸市中で7
0%の識字率で、当時のロンドンの識字率30%などを断然凌駕し、何百年も世界一を続けていた事を
申し上げておきたい。彼のたどり着いた疑問は二つ。
《 一つは深奥なる体系的な宗教が存在しないこと。もう一つは、「ここでは君主が全てであり、
労働階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、
そして世界のどの国にもましてよく耕された土地がある 》という到達点であった。
 シュリーマン旅行記が今密かなブームを呼んでいるという。失いつつある懐かしい日本の原風景に
触れることができるからであろうか。 最後に本書の訳は素晴らしい。気品と気骨に満ちた石井和子
さんという老婦人の訳である。たまたま旧知の関係だったご子息にお聞きしたところ、数年前
ご逝去されたとのこと。お会いできなかったのは誠に残念である。以上【文芸春秋7月号 但木敬一著】
 〜〜
 戦国時代、そして幕末・明治初期に日本を訪問した外国人の旅行者の報告書は、この旅行記とほぼ
同じである。日本人が清潔で、礼儀正しく、親切で、勇気と正義感を持ちっており、教育熱心で
識字率が高く、日常の生活用具や工芸品などの技術水準が高い。 また武士の倫理観の高さである。 
日本人は中世の頃から誇り高く、質実剛健で、教養が高く、公平な社会を築いていた。 
しかし、戦後60数年のアメリカ占領教育で、それらが多く失われてしまった。NHKが「天地人」や、
「坂之上の雲」などを放送するのも、あるべき日本人像に立ち返るべき時と、言いたいからである。
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2802, イングランド・ツアー 
2008年12月06日(土)
 *集団スリに狙われて
 観光地には、必ずといってよいほどスリがいる。何度か危ない場面はあったが、隙さえ見せなければ
大丈夫と思っていた。南イングランドコッツウォルズブロードウェーの自由散策時間も終えて、
バスの待っている駐車場に行ったところ、添乗員が少し時間があるのでトイレに行ってきてください
とのこと。200メートル先のトイレに一人で向かったところ、誰も居ないトイレの前に30歳過ぎの
男達が三人、私を見ている。大きな駐車場に我われのバスが一台。
 (字数制限のためカット 2010年12月6日)
・・・・・・・・・
2007年12月06日(木)
2437, ファッションを哲学する          ヾ(≧∇≦*)ゝおはよんよん♪
 哲学者の鷲田精一の「ファッション」論が面白い。人は、とりわけ女性はファッションに多くの金を
つぎ込むが、その割りには「ファッションとは何か?」を哲学者も社会学者も取りあげない。
鷲田は哲学仲間から呆れられながら考察する。言葉と衣服は似ているのである。ファション衣服は
何ぞや?を、考える前に衣料とは何ぞや?を取上げる。「なぜ服を着るのか」「なぜその服でなければ
ならないのか」を考え、ファッションを通じて、「私」や「私の身体」について考察する。
「ファッションはいつも愉しいが、ときどき、それが涙に見えることがある。」という言葉は痛烈である。  
更に、そもそも人は何のために服で体を隠すのか?  隠すべきものの実体は?等々、
身体論を含めてわかりやすく説いている。
   −−−
ー彼の論を簡潔にまとめるとー
・まず人は「らしい服をまとって人は『だれか』になる」という。警官は警官の制服、兵隊は軍服、
 そして消防士は消防服をきて、制服の中味になっていく。社会的なコードとして一番わかりやすい。
・ファッションは社会の生きた皮膚として端的な表現をする。 流行の服を着るということは、
 過去を捨て、未来のことも考慮に入れず、まさに現在だけを考えるということ。流行の服を追う事
 というのは、今を生きるということでもあるし、刹那的でもある。
・身近で加速するハイブリッド現象と捉えることができる。
 Tシャツであれ、ジーンズであり、衣服は国境や、民族文化の境界をやすやすと越えて浸透していく。 
 哲学者や社会学者が異文化理解の可能性を説いている間にも、ファッションは確実に文化の
 ハイブリッド化を加速する。 カルチャーとサブカルチャーが世界を激しく横断する。
ー印象に残った部分を抜粋してみるー
 そういう虚ろな<像>を補強するために、われわれは他者とともに安定した<像>の様式を
 スタンダードとして作りあげ、それにしたがって自己のイメージを構成したり、ときには
 取り繕ったり、偽装したりもする。それをさしてロラン・バルトは、「モードは人間の意識にとって
 もっとも重大な主題(《わたしはだれか?》)と遊んでいる」と言ったのである。
 男性らしい服、子どもらしい服、会社員らしい服、喪の服……をまといながら、ひとは社会のなかで
「だれか」になっていくのである。ひとが自分の身体的存在をイメージするときのその回路を、
 衣服の社会的コードが拉致する。ちょうど、現代社会では病める自分の身体への関係が医学と
 医療制度によって全面的に謀介されているのと同じように。 こうしてファションは、
 社会の生きた皮膚として、ある時代における社会の成員の自己同一化の構造を解読するための
 恰好のテクストとなるものである。
−−
衣料品店に生まれ、ホテルの一角でファッション学生服も含めたら20年も携わっていた。
とにかく、市場とメーカーの架け橋のシステムを如何に日々作りあげ、作り変えていくかに全ての
エネルギーをかけないと、一瞬に不良在庫の山になる。ファッションとは何かなど考えている暇は
無かった。知っていたところで、システムつくりには関係なかった。しかし衣服とは、そういうもの。
社会的コードであり、社会成員の自己同一化の道具でもある。劇をしようとしたら、まずは服装から
始めることを考えれば解ることだ。 昔から「馬子にも衣装」と言った。今では「馬子にもブランド」                   ( ̄∠  ̄ )ノ サラバジャ! 
 後記)偶然の一致とは!面白いものだ。後の方に貼り付けてあるが、
6年前の今日に「ブランド」というテーマで書いたあった。度々あることだが・・