つれづれに

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 今日のYoutube
https://www.youtube.com/watch?v=SQ21VvuorXs
https://www.youtube.com/watch?v=LHL16av4C9k

 『幸福優位の7つの法則』ショーン・エイカー著
を図書館で借りてきたが、これが面白い! 
明日からの【随想日記の】の連載になるが・・・
 過去を振り返ると、「幸せが、成功を呼び起こす」という道理が、
この世の中にある。 成功すると幸せになるのではなく、
幸福が成功を呼び寄せるという考え方。 

 三年前の一連の出来事で、シェルターや、セフティネットを準備していたが、
その過程で、重圧に破壊されそうな事態の中で、逆に、『幸福優位』の
力が働いていた。 早朝の、随想日記の書き直し、書き上げ、アップが、
一つの心の支えであり、その直後の、信濃川土手のミニ・サイクリングと、
午前中の読書、午後からはスポーツジム、そして再度のミニ・サイクリング。
この本によると、運動、チャリによるサイクリング瞑想?
強みを生かす行為=随想日記、スポーツジムのヨガの瞑想?等の、
どれもこれも、幸せである習慣であった。 
 幸福だから、自然と、この習慣を組み込んでいたようだ。 
そのことが、この本で、理路整然と書いてあった。 
 
 面白いのが、「20秒ルール」という章がある。
野球にピッチャーが、キャッチャーからボールを受け取ってから
20秒以内に投球しないと、ストライクを取られるルールがある。
 これに似ているが、思い立ったら、20秒以内に、現状を変える
動作に入ることをルール化すればよいと!
 逆に、悪い習慣を変えようとしたら、20秒間、それをしにくい、
状況を前もって準備をしておくこと。 成るほど、である。

 いま一つ面白いのが、再起力である。
思い切って決断したことが、新しい道が出来るまでは五里夢中の中、
呆然とするが、その時に、多くのチャンスが生まれていた。 
危機の中にこそ、チャンスがある。
 幸福優位の人には、それが直ぐに吸い付いてくる。 
で、今回は何か? 私にとって、事業だけでなく、人生の前倒しの
清算をすべき!ということが、周辺の「世間レベル」の、あれらの
人たちから学んだこと。 要するに、受け止め方ひとつで、
不幸も、幸運になるということ。

 私の強みの一つが、「半世紀近く一日t数時間、学び続けてきたこと」。
それを続けていれば、自然と、再起力になっているはず。 それでも、
現実は、「一日、一期一会」である。
偶然だが8年前の以下の文章が、この続きにちょうど良い内容になる。

・・・・・・
2067, あたりまえなことばかり -18
2006年11月30日(木)
         
人生には、それぞれに相応しい時期がある。
その年齢ごとに新しい経験を織り込んでいくのが人生である。
私の中学校のクラスは卒業後も非常に仲がよくて、節目ごとにクラス会を開いていた。
地元にボス的な女性がいて、その都度声を掛け合って20人は集まっていた。
卒業後15年ほどしてからは1~2年ごとにクラス会を開いていた。
担任の先生の停年の年には(18年ほど前)、湯沢に一泊した翌日、長岡に帰ってきて、
延々と夜半まで三〇数時間も一緒に飲み続けた。
最近までは毎年のように理由をつけては会を開いていた。

    そこで見えてくるのは、「歳をとるから老いる」ということではないことである。
    経験を自分の人生の中で織り込んでしまえば、生きるということ、老いることも、
    むしろ面白く、味わいが深くなる。人生など大したことがないものである。
    深刻に考えるだけ馬鹿馬鹿しい。
    気楽に考えて、その時々を真正面から生きていさえすれば、
    それでいいんじゃないか!  ということである。
               ( ^3)~♪よ~よ~それが一番、
                       難しいんじゃないかい!          
 
 ーーーーーーーーーー
 老いは個人の生を超え  -? 
 ーーーーーーーーーー

老いるほど人生は面白くなるという言い方は、確かに可能である。
その歳まで、いったい何をしてきたのかと訝りたくなるような老人が多い。
おそらく、何もしてこなかった。
摂食、生殖、快楽の追及以外何もしてこなかった。
刺激に反応して、反応したら忘れるといった動物的生存の日々、
そういう人々は、したがって老いることを拒む。

動物的生存に価値がある限り、肉体の衰えは価値の喪失以外ではないからだ。
老いた自分に価値が認められない。「老醜」とは正確には自虐的に使われる。

    逆に、内省を知っている人は美しい。
    鏡を内側に持っているからだ。外に映る鏡の姿が崩れているにしても、
    ともに崩れる必要がない。
    若年からの内省の習慣、老いるほどにその姿は違って見える。
    内省すること、心の姿を整えること、それが魂の世話をする意味である。

歳を重ねると、内省と回顧が判然としなくなるが、面白いのは、
このとき回顧されているのが自分の人生ではなくなっているということだ。
自分の人生を振り返ってその視野に、自分の人生としての人類の人生、
すなわち「歴史」が、当たり前のように入ってくるようになる。

    内に鏡を所有して生きることの面白さは、
    その現在の鏡に過去が映っているからだ。
    過去とは現在以外ではなく、
    歴史とは自分以外のものでなかった、
    と気づかされるのだ。
    それが鏡が鏡であることの秘密である。
   「歴史は鑑である」とは、本来その意味であった。
   
   ーー 
 
 母親が80歳の時に、
 「私の生きた5~6倍前に家康や秀吉が生きていたと思うと、
 大して昔じゃなかったのね!」という言葉は、
 歴史が鑑であるという意味ではないが、ハッとする言葉であった。
 自分の生きた時間と家康の生きていた時代を対比して感じ取った言葉だからだ。
 
 田中角栄がどうした!と、今では確信を持っていえる自分がいる。
 それは自分の人生とは比べようもない実力を持った人も、過ぎ去ってしまえば、
 ただの悪名高き犯罪者でしかなかった政治家。
 その男が活躍していた時、私は学生で、雲の上の人とみていた。
 いまは、「何じゃい!戦後バブルの波に浮かんだ泡以上でも以下でもない男。
 そしてまだ、その娘が馬鹿丸出しで恥をさらしているだけ」としか思えないのも、
 自分が生きてきた時間の中で、自虐の自分を鑑にしてみるからだろう。
                (-"-;)
  これも長年生きた歪みが、この言葉であるということだ。  
  
 あと十年経てば70歳、20年経てば80歳である。
 これは生きていればの話で、もしそこまで生きていて加齢した自分を
 自虐していたとしたら、全く何もしていなかった人生を嘆いているだけになる。
 それは現時点でも言えることである。
    
     (ノ≧ロ)ノ<いまさら何をいってんだ、
            ばかやろぉ~~~!!!
               
               (*^ワ^*)i バイバイ
・・・・・・・・
・・・・・・・・

2005年11月30日(水)
1702, 中学校還暦同期会 -2

                    nemu(ρ_-)
先日
「中学校の還暦同期会とはこんなものだった」
  という概略を書いた。
   今回は還暦から人生を振り返って、感じたことを書く。
    
    人生の60代に入り、
     40数年ぶりの幼馴染に会い感じたことは
     「人生の成功とか、失敗は大して変わりはしない」
       ということだ。 (いや、あるか!?)
    ( )                   (・ω・`。) ?
     ∥┓  ((  
    (_)  匚P 
    ━┻    ♪~♪~                         
                           
       *上手くいったという人はそれでよし、
      *上手くいかなかったが、それも自分の責任、悔いはなし、
     というのもそれでよし。
    要は、自分の人生の受けとめかたである。

   人生の成功・失敗とは何だろうか?
  改めて考えてみる必要がある。
 
 どういう人生であっても、
 明るくニコニコしていれば         (o^v^o)
 それで良いのではないだろうか。      (≧▽≦)     
  (本当に、本当か?)

  誰にでも悔いがあるのが人生である。
   それに対し、でも生まれてきてよかった!
    と、心から思えれば良いのではないか?

     そうすると、笑いと感謝さえ失わなけれ、
     「『ありがとう』を一日、千回いって、
      その結果として、自然の笑いが出てくればよい」
       ということになる。         ♪~(=^ε^= )

      出席している人は、比較的に恵まれている人?のためか、
     全体として、明るい人が多かった。
    めでたい席で暗い顔もしていられないのだろうが。
   
   私が、彼らの気持ちを代弁していうと、
  「ここまで、人生の良いところを生きてこられて良かった!」
  というのが、偽らざる気持ちだったろう。
 年齢に気持ちがついてきてないのが本当のところだろう。
 
    人生は短い!      (-ω-*)
  還暦は逆成人式ということだ!          
                      (^_^)/~~baybay

・・・・・・
・・・・・・
 
 2004年11月30日(火)
1337, 「自分を活かす極意] 」
       
       ー読書日記 -1
齋藤スタイル―自分を活かす極意
齋藤 孝 (著)
            

書店のエンドでよく斎藤孝の本を見かけたが手にとるだけで買わなかった。
いや一度、この著者の本を図書館から借りてきたが、読まずに返したことがあった。
先日、図書館でこの本を見かけ借りてきて速読をしたところ、内容が濃厚である。

斉藤孝の多角的世界を集大成してある。
日本語、身体、能力、読書、教育、子ども…。
多彩なテーマを独自のスタイルで語たりかけていて、
斎藤ワールドのダイジェストといえる。
対談という形を通して著名な人の意見と議論がより深みを持っている。

特に「三色ボールペンで読む日本語」のダイジェストの章がよい。
赤ペンチェックの言葉が多い。
「図化と文章化」
「具体的かつ本質的」
「エネルギーを出し続けているが故に、技も必然的に磨かれていく」
などもよい。

著者は、「勉強でもスポーツ仕事でも、自分が体験し学んだことは、
自分のスタイルとして練り上げ、技化しなければならない」といっている。
齋藤氏の「スタイル」と、ノウハウの集約書である。

ー今回は、まずは三色ペンについて書いてみる。

数年前に、「三色ボールペンで読む日本語」を図書館から借りてきて目を通したが、
ほとんど読まないで返してしまった。
おそらく他に面白い本があったのだろう。

しかし先週の土曜日に、この本を借りてきて再度「三色ペン」の効用を読んで、
4色ペンを買ってきた。ー著者の勧めの青、緑、赤だけの三色ペンが無く、
これに黒の入った4色ペンしかなかったー
まずは買うことによって、実際の効果を確かめたかったのである。

この本では、三色ペンで読書をしながら
・重要な部分を「赤」の線、
・少し重要な部分は「青」の線、
・面白いところを「緑」の線、
で色分けをすることを勧めている。

これは取りも直さず20対80法則の、20の区分けをしていることになる。
メモにもこの三色を使い分けることが可能だ。
さらに、速読法に三色ペンを使うのだ。
読む前に、速読をしながら色分けをしてしまうのだ。
私のあみ出したページ折込と同じか、それ以上の効果がありそうだ。

この歳になって、こういう初歩的なノウハウの発見があまりにも多い。
数年前に、このノウハウを読んでいて全く心が動かなかったのは、
どうしてだろうか?考えてしまった。

会社の大矢さんに聞いたら、
彼は「4色のペン」を常時もっていて、
メモで、個人と、会社と、家族と、子供に分けて使っているという。

私の場合は、今のところ斉藤孝氏の三色の使い分けの他に
黒を、感動か新しい発見・知識にしようかと思っている。
あるいは書き込みもよい。

この数ヶ月間の訓練で、思わない発見がでてくるだろう。

            ーつづく
・・・・・・・・
・・・・・・・・

2003年11月30日(日)
970, 「遺言川柳」

 UFJ信託銀行が11月25日に単行本「遺言川柳」を発売をした、
と新聞やTVで話題になった。
当銀行が「遺言川柳」を募集したところ、約1万2000人から
5万通以上の作品が寄せられたという。
せいぜい2000~3000作品」と見込んでいたUFJ信託銀行にとって
うれしい誤算だった。そこで急きょ、出版社からの申し出で「敬老の日
を狙った作品集の発行が決まるなど、「遺言川柳」がちょっとしたブームに
なっているという。 
 
 遺言といえば、両親とも、私にとって「有利な遺言」を書いて亡くなった。
遺言は残された子供にとって、その後の人生を左右するほど大きい要素になる。
母が亡くなったときは、さすがに4人の姉に「恨み辛み」をいわれた。
それだけ、両親は「家」というものを重んじていたのだ。
両親が亡くなるとき、同居をしていたため情が移っている部分と、
末っ子という特殊要因もあった。

 相続は、それぞれの子供に連れ合いがいるから複雑になる。
日常でおこる争いの一番の原因になる。
そして生々しい。

ー以下の遺言川柳は一つ一つの意味の深さを十二分に実感できる。
・・・・・・・・

ー特選ー 1作品

・遺書書いて 腕立て伏せを 二十回 (64歳・男性)
  
  ーーーー
ー入選ー 5作品

・遺言も 開けてみるまで 宝くじ (25歳・女性)

・情よりも 法が出しゃばる 遺産分け (63歳・女性)

・書き替える たびに痩せゆく 遺産額 (70歳・男性)

・通夜の席 銀行マンが 勢揃い (55歳・不明)

・遺言を 地球が書いて いるらしい (46歳・男性)
  ーーーー
-佳選ー 20作品

 ・どこからか 首だしてくる 遺産分け (66歳・男性)

・家計簿に 挟んであった 遺言書 (78歳・男性)

・遺言状 誰も知らない 名が交じり (74歳・男性)

・句読点 きっちりと打つ 遺言書 (80歳・男性)

・終章は 「信託」と書き 安堵する (81歳・男性)

・ 遺産分け 親不孝ほど よくしゃべり (35歳・女性)

・遺言を 書くと一気に 海が凪ぐ (52歳・女性)

・遺言の 中味で家族 大笑い (83歳・男性)

・遺言を 考え直す 棺の中 (48歳・女性)

・遺言も 親父らしいと 泣き笑い (69歳・男性)

・遺言に 皆んなの顔が 弾んでる (65歳・男性)

紙ふうせん まあるくたたむ 風の遺書 (72歳・女性)

・身内から 火の手のあがる 遺言書 (77歳・男性)

・バブルで変え デフレで直す 遺言状 (78歳・男性)

・遺言で 結び直して いる絆 (74歳・女性)

・遺言へ 妻が本気に なってくる (74歳・男性)

・正直に いえぬから書く 遺言書 (62歳・男性)

・魚焼き ながら遺言 考える (44歳・女性)

・遺産分け ホームページに 載せてみる (67歳・男性)

・遺言の 逆転劇を 夢に見る (76歳・女性)

・・・・・・
 
 以下は新聞広告の見出しに載っていたものだ。
本屋ー出版業者の方が面白いものを選ぶ!

・贅沢な 育ててもらって よこせとは

・汽車賃も 出ないと遠くの 姉ふくれ

・きょうだいで 分数の答え みな違い

・嫁作る 雑煮のもちに 二度詰まり

・嫁の出す お茶が玉露に 変わるとき

・相続の 話になれば 出るうな重

・相続の 説明会で 嫁と会う

・家族への 勤務評定 書き残す

・相続は おばあちゃん おまけつき


こんなのもあった
 『もう遅い?しときゃよかった 親孝行』
      …(しとかなあかんで親孝行)
      
・・・・・・・・・・
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2002年11月30日(土) (2)
596, スーパー床屋は席貸業 -


最近、新潟でも目立つようになってきたスーパー床屋の実体が面白い。

日経流通新聞の広告でフランチャイジーの募集の内容に興味を
持った。「経営は理髪師の免許がなくても可能です」
どうして?と思うのは当然である。

既存の理髪業も今の日本の旧体質の典型?である。
若い人が既存の店で修行と称してタダ働きに近い状態?を
強いられていた職人の世界である。

そのプロセスを踏まないと新規の出店の時に想像を絶する嫌がらせに
会うと聞いていた。
誰もが知っているあの日本的馬鹿いや愚かの世界である。

関西人がそこに目をつけ、チェーン化を始めた。
場所貸し業と捉えたのである。
スーパー床屋のシステムはその席貸し業に組み替えたシステムである。

この辺の話しは良く解る。オーナーは不動産業なのである。
最適な立地の不動産のオーナーと理髪のフランチャイザーが組む。
フランチャイジーはマニュアルどおりにやればよい、
タダそれだけでしかない。
席を借りた人は働いただけお金になるのだ。

札幌のススキノで飲んで帰るタクシーの運転手さんの話が
今でも忘れられない。
深夜のタクシーは倒産した人の最後の砦の世界という。
とりあえず、お金がほしい自分達の必至の金稼ぎの世界である。

タクシー会社も深夜の高い人件費を考えると、そのままタクシーを
丸投げで貸したほうが良いという。
その応用がこのスーパー床屋の世界なのである。
場所貸しで割り切った若い人が必至に働いてもらった方がいい。

若い人で4~50万稼ぐ人がいるとか。
都会の既存の床屋はここにきて大きな落ち込みが始まり、
また新規開店がげきげんしたとか。
床屋の世界おまえもか!である。

そういえば宅配便の運転手はもっとシビアの世界だ。
そのベンチマーキングの結果の美容・理容の世界でしかない。
全国チェーンもあるところまでいくといきずまるだろうが!

商売は全てがシステム7割、商品3割である。
そのシステムが根こそぎ変わろうとしている。

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[243] 大相撲
 2001年11月30日

4~5才の頃、住んでいた実家の店の屋上で、
地方巡業の大相撲のやぐら太鼓をうっていた。
戦災で大きいビルは他になかったためだ。

その貸賃かでタダ券が入ったのだろう,
父親からいつも相撲を見に連れてもらっていた。
吉葉山とか、千代の山鏡里、三根山そして栃錦を憶えている。

考えてみれば10年~20年前までは、巨人と大相撲とボクシングぐらいしか楽
しみがなかった。

好きでTVでみ続けているが、「大相撲も終わってしまった」感がある。
どうしてそうなったのか?やはり八百長と古い体質と真剣さが薄れたためだ。
ハングリーさが感じられないのも、その結果の為だ。

この50年近くで一番面白かった時期は、栃若時代と柏鵬時代と三八トリオ
小錦大乃国・保志など)が下から上がってきた時期だ。

もうそういう時代は来ないだろう。その世界の老人たちとその一派が、
今のプロ野球と同じくその世界を壊していくのは、自民党橋本派と同じだ。
プロレスのショーと同じ、出来合いがばれてしまったのだ。

初めは嘘だろうと思っていたが、要所の一番はショーと信じている。
そう判断すれば、見るのが馬鹿馬鹿しい。
ーーー

如何でもいい事だが、あの原を監督に選んだ長島と読売の老醜社長!
コミックとしか言いようがない。
あの清原を残し、マルチネスを首!逆だろう哀れとしか思えない。
首を切るのは清原だろう!

首を切るのは、今のコーチだろう。そして凄腕のコーチを他所から引っ張って
きて改革をすべきなのが解かってない。話がそれたが。

何か今の哀れな日本の象徴だ、ここまで来たか日本!

・・・・・・・・
・・・・・・・・

11月30日(土曜日)  
  1968年
・11時起床。
 昨日はかなり寝る前に深く考えた。
学校へ行こうと30分以上バスを待つがこない。
 仕方なくタクシーで学校へ向かう。
 260円のロスが出た。

・図書館で川崎と会う。
・彼と食事後、図書館で彼の帳面をうつす。
・その後、ゼミの武沢教授と卒論指導で会う。
 やっと切り抜ける。厳しい。
 しかし、年内に下書きを書き上げることを約束をする。
・帰寮後、風呂に行き、20時から3時まで卒論と中間試験の勉強をする。

自分なりに学生時代を精一杯過ごしてきたが、高校までの読書習慣がなかった為、
ここにきて基礎が足りないことを実感する。