つれづれに

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 今日のYoutube
https://www.youtube.com/watch?v=qJuoGX_-0GA

 スポーツジムでの「ヨガ」を始めて、二年半以上になる。
週二回の参加を、5月から三回にしたが、体調はよい。
瞑想や、座禅で座っている行者が、その場で、足腰が固まらないように
運動を取り入れたのがヨガ。 子供以来の足腰の関節のコリを伸縮させる。
50人が集合したヨガも、一番、後ろからみていると、壮観である。

  写真はネットからのものだが、真中の集合の写真が、
 スタジオも酷似していて、先生の位置も、ほぼ同じイメージ。
  この三倍の人数が、これより少し狭い間隔でマットを敷いて
 ヨガ音楽の中、薄暗い中で、先生の指導の中で、ポーズをとる。
  向かって左側の一番後ろの席を、私の定位置にしている。
 
 このスタジオでは、青竹踏みエアロと、ステップ台を乗り降りするエアロに
 参加している。 他に「イージーライン」のエアロに参加する。

・・・・・・
2420, サブプライム問題 ー1
2007年11月19日(月)

  新聞広告につられ年に2~3度しか買わない週刊誌を先日買って読んでみたが、
  なかなか面白い内容であった。 大体が週刊誌は期待した半分も中身がないが、
  週刊文春の11月22日の発行の「50年に一度の『株価クラッシュ』が始まった!」
  の特集は、どれも考えさせられるものばかりであった
  その中のアメリカのサブプライムの問題はもしかしたら大恐慌の引き金になるほど、
  根が深いようである。
  「住宅の借り入れ金の範囲しか責任がない(借金を返せなくなったら、
  その物件を銀行などの債権者にひき渡せば、それで済む)のがアメリカのノンリコール制度。
  この制度のおかげで、不良債権化した物件や債権を引き渡された銀行は、
  担保割れの物件の山になる。まだ住宅の相場良いうちは問題は生じないが、
  相場が崩れると、強気で貸し付けてきた銀行の損失になってしまった。
  それが数十兆円、百兆以上?もあるというから尋常でない」
  これでは大恐慌になっても何ら不思議ではない。
  どうなることか? これに石油高騰と穀物高が重なったのだから・・・
  来年は、更に荒れる年になるのは必定! 
    (*´_⊃`)ノ゜*。・・+。゜*゜【gOOd morning】 
 ーーー
 *まずは週間文春の一部を紹介してみよう*
日本人はつい日本の住宅ローンの常識によって物事を判断してしまう。
だがこれは大きな誤りだ。日本では、ローンを組んで買った住宅が大きく値下がりした場合、
家を売却してもなお借金が残ることがある。この時、借りた人間は律儀に残債を返すのが
当然だと私たちは思う。 だからこそ日本では不況が恐慌に発展せずに済んだのだが、
同時に十年以上も延々と不況が続いたのだとも言えるだろう。

日本の住宅ローンとは異なりつアメリカで一般的な住宅ローンはノンリコースローンである。
借金を返せなくなった場合には、担保、に入れていた住宅をお金の貸し主に渡してしまえば、
それだけで借金から解放されるという契約なのだ。 
日本の常識から見ると、アメリカの住宅ローンは、経営方針が大甘のカジノみのたいである。
金も持たずにやって来た客に対しても、喜んで賭け儲け金を貸してくれるという大甘の
カジノである。 客が勝てば(=買った住宅が値上がりすれば)勝った差額を自由に持って
帰ることができる。客が負けたら、手元に残った残金だけ返せば
(=担保となった不動産を引き渡せば)それ以上は責任を追及しないというカジノである。
こんな大甘カジノなら、客は殺到するだろう。
大繁盛すること(=住宅の価格が高騰すること)間違いなしだ。
だがカジノが繁盛していることと、カジノが儲かっていることとは、まったく別のことなのだ。
住宅への需要が水膨れすれば、価格が高騰するのも当然であろう。
だが、どう転んでも客が損しないサブプライムローンの仕組みが成立するためには、
住宅価格が右肩上が滑りで、今日よりも明日にはさらに高い値段になる必要がある。

ところがアメリカは昨年末には不況入りした。当然、住宅需要は減ってくる。
みんな、一斉に勝ち逃げしようと考える。住宅の売り物が増えてくる。価格は下落に転ずる。
そうすると、サブプライムローンで住宅という賭け札を買うてギャンブルに参加した人たちは、
もはや手元の賭け札を高値で転売することができなか。つまり賭けは失敗したわけだ。
だがこれではローンの貸し手が困ってしまう。住宅価格は下がっているのだ。
自分たちの手元の担保流れの住宅を叩き売れば、住宅相場はさらに下落する。
貸金の回収がますます困難になる一方だ。 ーつづく
 ----
これでは、裾野の広い住宅関連から大不況が飛び火するのは、火を見るより明らか。
この続きは、明日載せるが、今週の文春は買う価値あり?  
          サョォォ━。゚(゚´Д`●゚)゚。ナラァァ━ッ!!!!
・・・・・・・・
2006年11月19日(日)
2056, あたりまえなことばかり -10
      (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ~ ヨウ

 内語は、声を出すと独り言になるが、
独り旅で内語というカタチでブツブツ言っている自分に気づくことがある。
毎朝のウォーキングも内語が活発化している。
内語といえば、この随想日記の同月同日の数年分を読み直しているとき、
そうか、そうか、と読みながら独り発語しているのは内語の究極と思える。
まあ、このHPも内語そのものと言えよう。
そう、今年の3月から始めたモーニング・ページ(起きざまに白紙のノートに
思いつくまま書き出す)も、自己対話の形式の内語である。
この良さは、頭で考えていることは、ほぼ些細な事と鳥瞰できることだ。
まあ、砂金がたまに見つかるのが・・・
 この自己対話で質問者と回答者の対立が深まると、分裂症状になるが。
近くの居酒屋の親父、厨房で頭に浮かんだまま声に出している。
私のことを一度「あいつ、俺には合わないんだよな~」と、言っていたか・・
ブログなど、内語だった地声?を、そのまま公開することである。
内語は考えるほど面白い形式だが・・

ー孤独とは苦しいものなのか -?
*「内語」と「孤独」について

「思う」とはどういうことだろうか。
何かを思うとき、思っているのは自分だが、思われているのは自分ではない。
これは、よくよく不思議なことでなかろうか。
「思う」というこれだけの出来事で、自他の区別はまったく不明瞭なのである。
あるいは逆に、「思う」ことによって、自他がそこで出合うのである。
孤独なもの思いにおいてこそ、人は世界へと開かれることができるという逆説、
孤独な思索者の内なる饗宴である。

「内語」という現象にそれは極まるだろう。
自分が自分に語りかけると、普通にわれわれは思っている。
しかし、自分が自分に語りかけるとは、一体どういうことであろうか。
もしも自分が自分として完結しているば、そこに語りかけるという行為は
発生しないはずである。語りかけるとは、問い尋ねる、確認する、疑念を発する、
同意を求める等、本来的に他者へと向けられる行為である。

しかし、語りかけているそこには、目に見える他者など、存在していない。
すると、そこに語りかけているのは誰だろうか。なるほど「自分に」だと言うしかない。
だからこそ、他者として、語りかけ語りかけられているのは自分とは、
自分にとって自分なのだろうか、他者なのだろうかという問いが、
いよいよ悩ましいものとして立ち上がることになる。
自分である、他者であるということは、自分であるという正にそのことにおいて、
いかにしても自明のことではあり得ないのだが、この場面において人は、
目に見えるもののみ信じすぎる。

他者とは目に見えるその個人であり、自分もまた目に見えるこの個人であると
思い込んでいるのである。そして、個人と個人はしょせん個人である。
ここで個人は孤独であると嘆くことにもなるが、じつは人は孤独であることなど
できはしないのだ。厳密をきするほど、自他の境は溶解し、何が自分であり、
何が他者であるとは言えなくなるのである。この奇妙で当たり前の事実に気づくのに、
内省する、自己観察するという習慣以外ないだろう。
個人主義は科学的世界観なしにはあり得なかった。しかし、それとてこの
数百年のことである。それ以前は、われわれにとって自分はそれほど自明のことで
なかった。自分であるということは、そのことだけで、何か神々や霊魂めいたものと
重なっていたことを知っていたからである。
    
われわれ日常とは、心の日常である。あらためて思うと、何と当たり前のことである。
そして、心は「人間」ではない。愛着や憎悪や嫉妬、それ自体が「人間である」とは
無意味であろう。「心のはたらき」は、人間ではない。それは「何」の働きなのだろうか。
 
目に見える「人間」を認めないとき、逆に関係性そのものとしてとしかあり得ない世界の
ありようが見えてくる。そのことによって、各人の個性が個性でなくなるわけではない。
個性すなわち、性格の現れとか感情の訪れなどは、そもそもが「個人」の出来事ではない。
いや、個人などというものは、この世界のどこにもない。
 まずは、そう思ってみてみたらどうか、世界の相貌は劇的に変わるはずである。
そうすると、関係性としてしかあり得ないそのような世界で、
孤独はどのようにして可能だろうか。
 
言葉は個人の発明ではなく、個人の所有でもない。言葉は個人のものではない。
しかし、人は多く言葉は個人のものであり、言葉を話すのが自分であると思っている。
しかし、もしも言葉を話すのが自分であるなら、なぜ他者と話す言葉との間に、
「会話」が成立するのだろうか。あの人は話が合わないというためには、
あらかじめ話の意味が理解されていなければならない。
理解されている言葉の意味は、自他の区別より先に存在するのである。
ある言葉を選択し、そのように使用する、そこに各人の個性が現れるのであって、
その逆ではない。「人間の側」こそが、言葉の個性のために使われる「口」なのだ。
 
 論理に孤独の影はない。それは、すべての人に理解され、また理解されるべきものとして、
 思考の光源に輝くものだ。論理から離れ、遠ざかるにつれて、言葉の影は濃く長くなる。
 それは各人の心の陰影として、さまざまな角度から理解されることを拒まないものだ。
 あるいは、そもそも理解されることを拒むものだ。
 理解している、そう言われれば、いや理解などされたくない、そう感じる部分はあるのは
 どういうわけか。他人には理解できない秘めたる部分が自分にはあるのだ、
 そう思うことによって心のどこかで悦ぶのは、心は日の光に広く暴かれることを必ずしも
 望まない、心はじつは自分の影を好むからである。
 心は、その孤独が自分自身にとっての一種の滋養であることを知っている。
 心は孤独を味わい食べながら、その陰影をさらに深くする。
 ヒダのひとつひとつには、そのように味わわれた世界がそのつど織り込まれてゆく。
 
 友情が、魂にとって必要なのは、お互いに相手を信頼しているからである。
 信頼するとは、相手の孤独を尊重することに他ならない。
 孤独は尊重されるべき価値だということを、成熟した魂は知っているのだ。
 そうでなくては、言外の含みへと互いに想像を巡らす、
 そのことで信頼を深める友情が、どうして可能になるのだろうか。
 深く孤独であるほどに、さらに関係しあえるのだから、魂は。
 魂は、自分であるほど他者になれるのだ。
 
 じっさい、われわれは誰も、その見た目やその言葉の背後に、それよりはるかに広大で
 複雑な領域を所有している。この当たり前の事実を、他人にも自分にも認めるとき、
 孤独であるということは、それ自体で非常に豊かであると知るはずである。
 ある意味で、魂は、想像力そのものとして世界に関わり、世界そのものの宇宙の内実と
 化すことのできる魔法である。
 魂の孤独こそが、この喧騒の地上における、唯一の楽土としてあり得るものだが。
                (*^○^*)ノ ホンジャ!また
・・・・・・・・・
2005年11月19日(土)
1691, ザ・マインドマップ-4
マインドマップのメリットといえば、
(字数の関係でカットー2007年11月19日)

 。。。。。。。。。〆(∀`*)
 2004年11月19日(金)
1326, 海外旅行ー履歴  

今までいった旅行履歴である。あらためて、よく行ったと自分でも感心する。
60歳まで50回という目標は無理であるが、年二回のペースなら63歳に達成する。
この不況の中、年二回のペースを守れるかどうかだが?
70歳まで、年二回のペースを守ると65回になる。
このくらい行けば、心の大きな財産になり、人生に対する悔いは残らないだろう。

ある地区に偏らないで、まんべんなく行っていた。
「オーストラリア、アメリカのグランドキャニオン、東欧、モンゴル
インドネシアの辺りが空いている」が、今のところあまり行きたいとも思わない。
「43」北イタリア                    -2005・10
「42」オーストリア                   ー2004・08
「41」アイスランド                   ー2003・10

「40」アラスカ                      2003・07
「39」パタゴニア                    ー2002・12
「38」スイス                       2002・07
「37」西アフリカーコート-ジボアール
    ・ガーナ・ベナントーゴ              2002・03
「36」ベトナム                     ー2001・11

「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ             2001・06
「34」メキシコ                      2001.01
「33]モッロコ                      ー2000.11 
「32」パキスタン・中国                   2000・06 
「31」シリア・ヨルダン・レバノン              2000・04 

「30」ノルウエー・トロムソ               ー1999・12 
「29」ケニア・ヌー                        ・08 
「28」イスラエル                         ・04 
「27」ネパール                          ・02
「26」北インド                    ー1998・10  

「25」 北スペイン パンプローナ                 ・07  
「24」タンザニア(ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原)ー1997・12  
「23」 べネゼイラ・(ギアナ高地)               ・08
「22」 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)       ー1996・06  
「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)      ・02   

「20] 南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)ー1995・10 
「19」ニュージーランド
 (クウィーンズタウン・ バンジージャンップ・ミルフォードサウン)・05 
「18」ブラジル(リオのカーニバルイグアスの滝)        
「17」ケニヤ(ナクル湖・マサイマラ・アンボセリ )    ー1994・06
「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  ー1993・12 

「15」フィジー(コマ島・ )              ー1992・11
  ---
「14」スペイン1周の旅 
   (アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛)      ー1991・08  
「13」カナダ・ロッキーの旅 ー会社               ・05
「12」香港クルージング                 ー1990・07 
「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ)          ・04     
「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅    ー1989・12 
「9」 中国(北京・けいりん・上海)          ー1988.09  
「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス                ・06
「7」カナダ・ナイアガラの旅 ー個人           ー1987・08
「6」香港の旅                      ー1986・10          
「5」ハワイの旅                     ー1983・08
「4」ハワイの旅                     ー1980・08 
「3」ハワイの旅                     ー1978・08 
「2」アメリカ・商業界                  ー1976・07
「1」欧州30日一周                    ー1967・07

・・・・・・・
585, ある時間の断片ー12
- 2002年11月19日(火)
1968年 10月1日

9時半に起床、11時までボーと過ごす。
その後学校に行く。石川と入れ違いに兼子がくる。
一緒にコピーをとりに校外にでる。そこでフェステバルの行進にであう。
かれの食事に付き合うーそれまで私は終えていたが。
彼も自分に対して自信を持ち始めたようだ。
女性に対してかなり発展しているとか-同棲をしているとか。
彼とボーリング場に行くが満員で時間待ちということそのまま帰る。

帰寮後、風呂に行き試験勉強を1時間半する。
キックボクシングを見た後、石川へ電話のため電話ボックスにいく。
9時半より夜半の一時まで試験勉強。 精神がまだ甘いとつくづくおもう。
就寝。
・・・・
1968年  10月2日
10時起床、11時に学校に向かう。
食後図書館に行く。石川と隣り合わせで試験勉強をする。
途中に同級の雨宮がくる。彼と話をするが、外国に行きたいとのこと。
必死に将来を考えているようだ。兼子も来る。

図書館の私が座っている場所が溜まり場みたいになっている。
今日の試験はまるで簡単であった。まじめにやりすぎたのが馬鹿みたいだった。
帰寮後、先輩の佐々木さんと高橋君と食事、その後後輩の
駒村君と米林君と話す。駒村がのろける。自分がもてるのに驚いているという。

そういえば今日昼の12時半に深井と会う。
彼が今度の土曜日に聖心女子大の彼女等と会うという。
私も行くことになるが、その前に小作とどこか女性と遊びに行く予定がドタキャンになる。
そう考えていると偶然の一致に彼と出会う。 面白いものだ。彼の誘いを断る。

・・・・・・・・・・
「232」人生の三つの坂
 2001/11/19

人生に三つの坂があるという、
「上り坂」「下り坂」「まさか!」 である。
この最後の「まさかこんなことが!」は誰でも起こるはずである。
問題は、その時の対処の仕方である。
どうそれを受け止め受容していくかが問題になる。

特に人生の後半には、遅かれ早かれ誰にも否応なく起こってくる。
という事は、これは[まさか]ではない必然ということか?
「上り坂」も「下り坂」も直接原因で生ずるケースが多いが、
「まさか」は間接原因のケースが多い。あるいは突発のケースだ。

悄然とそれを受け止めることは、ほぼ不可能だ。
少なくともそうなった時、今まで好きな事をやれたのが救いだ!
という生き方が必要ではないか。
誰もが持っている心理として、自分だけは大丈夫という、
そして特別という甘さがある。それがあるから生きられるのかもしれないが。

それが「まさか」という冷徹な事実に木っ端みじんに砕かれてしまう。
「まさか」の坂を一歩踏み違えると、「まっさかさま」に転げ落ちる