つれづれに

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   今日のYoutube

 このところ、今まであまり意識をしてなかった?老いを実感するようになった。
老いを意識してみないふりをしていたのがアト数ヶ月で古希となれば、いたし方がない。
若い人からすれば、凄い年寄りに見えるのだろう。 
 老人は、須らく『老人性欝』で、年々、強くなっていくとか。
フッと気づいたことが、スポーツセンターや、外食時に、一人難しそうな顔を
している自分がいること。 意識してニコヤカにして、普通なのだろう。

 もう、今年も晩秋の時節になってきた。 紅葉は例年に比べて遅いそうだが。

・・・・・・
2036, 躁鬱病について -4
2006年10月30日(月)

           (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ~
一昨日、図書館の棚を眺めていると、たまたま
小川宏の「夫はうつ、妻はがん」という本があった。
丁度、うつ病について書いていたのでさっそく借りてきた。
経験者が在りのままを書いているので、一言一言が深い。

   きっかけは軽重あるが、そう簡単に「うつ病」になるものではない、
   それぞれの人生の積み重ねの結果に生じるのが病である。
   この本を読んでいると、うつ病になるべくしてなったのが理解できる。

病気になりかけたら、体験者の本が一番よいが、
そういう人は、その余裕や意欲が無い人が多い。

  まずは彼の談から・・・
  --
 「夫はうつ、妻はがん」
  ―夫婦で苦境を踏み越えて
   小川 宏 (著)
談)*「うつ病」完治は家族の絆あればこそ
 
 平成3年、私は不意に全身の倦怠(けんたい)感に襲われました。
 原因がわからず苦しい日々が続いたある日、ついに自殺未遂を起こしてしまいます。
 そして「うつ病」が発覚、3カ月の入院生活を余儀なくされました。
 その体験をテレビ番組で公表したところ思いがけず大きな反響を呼び、
 同じように悩んでいる方が全国に多くいることを知りました。

     元々私は、30年来の糖尿病とそれに伴う糖尿病性網膜症をはじめ、
     腎臓結石、気管支拡張病など病気とは縁の切れない生活をしてきました。
     そこにうつ病です。
     ストレス社会の現在、うつ病は“心の風邪”とも言われ、誰がかかっても
     おかしくない病となりましたが、社会の偏見を恐れて病院にかかることを
     ためらう人は、 今でも少なくないようです。
     本書では、そんな方やご家族に向けて「うつ」を防ぐ方法や、
     かかった場合の対処法などを私自身の体験と取材を含めて
     書かせていただきました。

 私がうつ病にかかったとき、家族をはじめ医療関係の方々など多くの人に助けられ、
 人は決して一人で生きているのではないという思いを噛(か)みしめました。
 病気は生活上の苦しみであって、人生の挫折ではありません。
 妻も子宮頸(けい)がんに加え うつ病に……つらい日々はありましたが、
 そんな経験があったからこそ、いま生きる喜びを感じることができるのだと思います。

     うつ病は必ず完治します。私がその証しです。この本を読んで、
     うつで悩んでいる方やそのご家族をはじめとする皆様に、
     希望を見いだすヒントとなれば幸いです。(談)
目次
第1章 うつとの闘い(糖尿病うつ病 ほか)
第2章 うつにならない生活術(ストレスは生活のスパイス
   居直っていい加減に過ごす ほか)
第3章 妻の病(まさか妻がうつ病
  「お父さんのときと似ている」 ほか)
第4章 夫婦の絆、家族の絆(腸閉塞
   みちのくの恋、そして結婚 ほか)
第5章 “老い”に生きる(認知症白内障 ほか)

    小川 宏
    1926年、東京生まれ。49年にアナウンサーとして日本放送協会(NHK)に入局。
    55年から10年間、人気番組『ジェスチャー』の司会を担当。
    65年に退局後、フリーとなり、フジテレビのワイドショー『小川宏ショー』で活躍、
   「初恋談義」などで同局の看板番組に育て上げた。
    温厚な人柄のにじみ出た司会で人気を博し、同番組は17年間、4451回にわたって放送。
    現在は時折りテレビやラジオに出演するかたわら、講演活動と執筆を中心に活躍。

 --
  モーニングショーの司会者だったこともあり、
 内容は読者の目をひきつけるような話題で一杯の本だ。
 まあ次回を・・・・ 
                   -つづく
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 ・・・・・・・・
 
 2005年10月30日(日)
1671, 「全ての装備を 知恵に置き換えること」-2

「全ての装備を 知恵に置き換えること」
は考えるほどに深い言葉である。
‘ハードを、ソフトに置き換える’
‘色即是空、空即是色
などが直ぐ思い浮かぶ!

ーさらに、この本のポイントになる文章を抜粋する。
「レベルの高い難しいクライミングをいくつもこなした後、
何がしたいかを問われたある男は言ったそうだ。
歩きたい、と。
道の方角へずっといつまでも歩いていたい、
そういったんだ。」
この言葉が彼のこれまでの人生を築き上げてきた哲学のように思えた。

実践からくる彼の言葉は一言一言重く深く響いてくる。
禅坊主の、シンプルと似ている。

ー著者の言わんとする一節があったー
人類がアフリカで誕生して以来、先祖は移動を繰り返してきた。
山を登り、川を越え、海を渡り、空を駆け、厚さにも寒さにも適応し、
今ではジャングルや沙漠、氷河にさえも人の息吹がある。
人間はあらゆる環境に生き延びる野生を持ち、その土地を生き抜く
強い生命力を備えている。
あるき続けることによって、肉体も精神も変化をし続け、その過程で
あらゆるものはそぎ落とされて、最後には本当に必要な知恵だけが残る。
人は旅の中で見て、聞いて、考える。
厳しいフィールドに身を置いている時に感じる幸せも、
異文化の中で生活している時に感じる幸せも、
それは変化を求められることへの喜びなのかも知れない。
自分はまだまだ歩き続ける。
自分にとって、生きるということは旅をすることだ。
それは揺るぎない。

ーーーー
「全ての装備を知恵に置き換えること」
            石川 直樹 (著)       
石川 直樹
1977年東京生まれ。
高校時代にインドを一人旅して以来、世界中を旅するようになる。
北極から南極までを人力で踏破する地球縦断プロジェクト「POLE TO POLE」、
世界7大陸最高峰登頂の達成など極限を目指すとともに、
人類学、民俗学などの領域に関心をもち、行為の経験としての移動、
旅などをテーマに文章・写真作品を発表している

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2004年10月30日(土)
1306, 究極の観光旅行

朝のニュースで、例の男が「死体で発見された」と報道していた。
「現在の若者の究極の面白い旅行が、イラク旅行」という話は聞いていたが、
これが現実である。

ヨルダンのアンマンで宿泊していたホテルマンと、同宿していた日本人が、
イラク行きを止めるように説得したが、「大丈夫!」と振り切って出かけたという。
何おか言わんやである。

ロシアン.ルーレットゲームの玉が当たっただけなのだ。
この男は究極のゲーム(命を駆けたエクスタシー・ゲーム)を
楽しんだのだ。

イチイチこんな連中のために、自衛隊イラクから撤去する必要はない。
「北海道の共産党の馬鹿親子」と、薬中の「あの女」のために、
生命の尊重とかで、日本中が慌てふためいた騒ぎは何だったのだろう。
あの救出劇が正しかったかどうか。

民主党岡田党首が、
「この責任は首相にある!」とかいっていたが、
「このボウヤ、何をいているの?」のレベルである。
小沢一郎が呆れるのも、当然である。
次の首相候補というから、お笑い以下である。
これが真っ当の理屈でないのは、誰でもわかる。

筋が入ってない言葉は、直ぐわかるから恐ろしい。

・・・・・・・・・
ー数日前の産経新聞の「産経抄」の内容がよい。
 コピーを貼り付けておきます。

何という奇跡、何という発見か。地震発生以来行方不明だった車の母子のうち
男の子が埋没現場から救出された。
それとは対照的に暗い話だが、小欄はイラク武装勢力の日本人拉致を書く。
小泉首相が「自衛隊は撤退しない」と言明したのは当然だった。

 ▼とはいえ、国には国民の生命保護の義務と責任がある。
 救出に全力を傾注すべきこともまた当然だが、二十四歳のこの男性のイラク入りは
 ボランティアのためなどではない。
“何でも見てやろう”的漫遊の途上だったという。
 その無謀と軽率がやり切れないのである。

 ▼この春、同じイラクで日本人誘拐があったが、世論が「退避勧告」を無視した
 「自己責任」の問題を取り上げたところ、一部マスコミは人質と家族の不当な
 バッシングだといって騒ぎ立てた。しかし見当違いもはなはだしい。

 ▼テロリストの要求をそのまま主張する家族が自覚も反省もないことに、
 世論は嫌悪感を覚えたのである。
 「個」と「公」のけじめのなさと、それを情緒的にたれ流す新聞やテレビに、
 “ちょっと違うなあ”という違和感をもった、ただそれだけのことだったのだ。

 ▼この夏、戦乱のイラク取材にかかわったフリージャーナリスト勝谷誠彦(まさひこ)
 さんの行動基準というのをご紹介したことがある。
 それは「私は国家の『行くな』という意思に背いて、イラクへ出かけるのである。
 ならば何かが私の上に起きた時は、それなりの責任を自ら負うつもりである」と。

 ▼そして「万一の際は日本政府に多大の労力と血税を使わせたことをわびる」
 といっているのである。あっぱれジャーナリストの覚悟と根性というべきだ。
 すべての人がそうであれというのではないが、超危険地帯ではそれに近いものが
 要るだろう。

ーこの勝谷という男も、この若者と大して変わりはしないのに、少しオカシイが!
 何があっぱれだというのだ。

・・・・・
・・・・・

2003年10月30日(木)
939, ゲーム理論 -1

 一昨夜、コンサルタントの林さんと酒を飲んで「ゲーム理論」の話題が出た。
ほとんど忘れたこともあり、「ゲーム理論」をインターネットで検索して調べてみた。
また本を読み直してみた。
なるほど勉強になる面白い理論である。
一般的にゲームというと、「目標を決め、途中に難関を置き、それを乗り越えながら
達成するプロセスを、第三者か自分自身と競う事を楽しむこと」であるが
ゲーム理論」というと少し違ってくる。

ー要点を書いてみるとー

「『勝つ』ためには‘損切り’をして『負け』をへらす!」
が一番のポイントと思われる。

  ゲームと仕事に勝つための4原則は
・『勝利』より『損切り』を重視する
・裏切りによる勝利は長続きしないことを知る
・相手も自分と同様に利益を求めていると知る
・あらゆることが起こり得ることを知る
である。

 ーゲーム理論では「相手の存在』が不可欠である。
ゲーム理論は数学理論をもとにしている。
その大前提は、『自分』と『相手』がいて、それぞれが「合理的・利己的」に
「最適な状態」を目指すことにある。
かけひき上手を競うのが「ゲーム理論といってよい。

 ゲーム理論で考えられる世界は、100人が100通りの答えを持ち、
相手の存在と立場を見ながら戦略的に手を打つ。
「生き残り」という至上命題のための戦略、科学体系がこの理論である。

 ーゼロサム社会では勝者以外は全て「敗者」である。
いまのような不況は「ゼロサム社会」とよばれる。
ジャンケンのように誰かが勝つと誰かが負けるという
二つの和がゼロになる条件下のゲームを指す。
 
 ゼロサム社会での特徴は、現状の均衡点どちらにふれても誰かが損をする。
別名、利益の再配分の逆の「損の再配分」といえる。
この結果は「社会の硬直化」だ。
ものごとが決着しなくなり、社会が保守化し、誰も自分の既得権益のみを
守ろうとする。

 ゲームに勝とうとするには、「負けを減らす」ことだ。
勝つのではなく、負けた場合の損失を減らすのは消極的に見えるが
ゲーム理論では最も重要なことである。
ミニマックス戦略」というこの戦略はこの時代最も重要である。
株式の世界では「損切り」といわれる手法だ。

 ギャンブルがうまい人は、自分の利益が出たときだけ、大穴勝負をする。
それも勝ちの一部だけを賭ける。大穴はほとんど外れる。
それでも利益があがる。
一般的には、負けが込んで、追い込まれて最後の勝負を確率の低い大穴に
すべてを賭けてしまう。そしてすべてを失ってしまうのだ。

 人生は一つの大きなゲームである。
 そして事業もだ。
人生の利益とは何であるか、
愛か、知識か、力か、お金か、誠実性か?
事業もしかりである。
拡大か、利益か、社会貢献か?

 事業を創業することは、まさしくゲームである。
ゲーム以外の何ものでない。

ー以前、ゲームについて書いたものをコーピーしておきます。
                   -つづく
ーーーーー

513, 入試はクイズゲーム?
- 2002年09月08日(日)

「入試にしても、資格試験にしても、暗記とか理解を捨ててしまえ!
ーゲーム、パズルゲーム、クイズゲームと割り切ってしまえ!」
 というある文章を見て固まってしまった。

「ゲームや遊びの類と割り切ってしまったら、真っ当に受験勉強を
しないはずだ。クイズゲームの能力のレベルを上げたいなら、
過去のクイズゲーム(問題)の質問と答えを徹底的に調べて、
その傾向とか癖の調査を楽しめ!その為の準備を遊べ!」
要するにゲーマーになってしまえということだ。

何事も遊びに昇華した時に能力が飛躍する、入験がそうだと。
自分で試合を創れる男をゲーマーという。
ゲームとは「目標を決め途中に難関を置き、それを乗り越えながら
達成するプロセスを第三者か、自分自身と競う事を楽しむ事」という。
あるレベルを超えると、これが一番重要になる。

自分が事業を始めたとき、そうだった。
自分の練り上げた計画を実行というプロセスを楽しむゲームと
いう要素があった。そこまで計画を自分で内省した。
「計画お宅」といってよかった。

評論家がそれを非難した文を読んだことがある。
「遊びで事業をしている馬鹿がいる!」とか、これは第三者の目。
そこまで練り上げると遊びになっているのが解らないのだ。
いやそのはるか下のレベルの人を言っているのか?
その差も解らないレベルの批評というと、その批評に対しても、
同じレベルの目線という理屈になる。

高校時代に不思議に思っていた「同じ勉強をしてどうして全く違うのだ?」
それが40年経ったいま初めて気づいた浅はかさ!
でも実際社会にでた時から、実践でそれをやってきたから後悔はないが。
あの受験の時の優秀?の人はゲーマーだったのだ。

まあ、それだけではないと思うが。
本当にしたい事、なりたい仕事があったから必至に勉強したとかが
本当のところだろうが。
パズルゲームか、あれは!!?クイズ??
馬鹿馬鹿しいともおもえない。
誰も教えてくれなかった、その事実を。

愚直に挫折をしながら、独り知恵を絞った事も事実である。
それが力を創ったことも確かだ。

でも事業で両親から、その遊びかたを教わっていた!
遊びになるまで集中しろ、継続しろ、努力しろという事だ。
彼らはそれを受験勉強で知っていたのだ・・・??

人間はその人の範囲のレベルしか力はつかないものだ。
のっけから、そう思って真剣に望めば逆に能力が湧き出る。
秘境旅行も「旅行道?というものがあるならば地球の何処を
埋めていこうか?」というゲームになっている?!!

ところでこの随想日記はじつは危ないゲームになっている。
毎日のネタさがしと、その内容の構築がゲームでもある。
全くの無の状態から探し、材料の構築はスリルでもある。

・・・・・・・

565,、ある逸話ーインドで見たこと
- 2002年10月30日(水)

インドの空港で帰国の時である。
修行僧のいでたちの男、杖一本をつきながらやって来た。

素足で身に付けているののはパンツ一枚である。
それで飛行機に乗ろうというらしい。
急を聞きつけた警察が数十名が周りを取り囲んだが誰も手を出せない。
空港の制服の女の人が間に立って説明をしているが、どうしても
折り合わないのだ。
パスポートも持たないでパンツ一枚で国際線に乗ろうとしているのだ。

恐らくカースト制で身分が高いのだろう、素裸の男の態度がでかい。
大声で入国査察官を怒鳴りつけているのだ。
恐らく「神の指示で乗れといわれたのに何故乗せぬ」と言っている
ようであった。
最後の結末をみないで飛行機に乗ったが、インドの社会を最後まで
見せ付けられた出来事であった。

インドは普通の感覚では考えられない身分社会なのだ。
牛が堂々と街を我が物顔で歩いているのだ。
宗教上で神聖な生き物なのだ。

以前にも書いたが、20?のある階級は餞民で人間とみなされないのだ。
交通事故死でも警察が取り合わないという、牛なら騒ぎになるが。
実際その経験談を読んだ事がある。同乗した車が餞民を轢き逃げしたが、
その後新聞でも何も載ってなかったとか。
轢いた本人も犬を引いた程度としか思ってなかったのに驚いた、
と書いていた。まあ凄い社会である。
一度はこういう社会を見てみるのも必要な事だ。

4年前に書いた文章をコピーしておきます。

・・・・・・・・・・

10/11
インド旅行記 ー私のみた北インド 

“インドとは...”など滞在一週間のツア-では表現できない。
面白いほど多様な国である。まず印象を列記してみよう。
? 汚く、臭く、多種多様な人種、動物が“ごった煮”されている国であった。
映画の“深い河”や二本のTVドキュメント、本は五冊読んで実際行ってみて、
ここまで貧しく、奇異に感じるとは!

? 大部分がバスの異動であったため、点というより線でインドを見れた。
“街の生活”や“田舎の街道”よりみた地域ごとの暮らしが印象に残った。
小さな節穴より垣間見た程度であったとしても沢山の事を見て、
感じ取ることができた。

? ヒンドゥ-教の聖地ベナレス。生まれて初めて見た“美しい日の出”
その日の出がガンジスに反射する陽光!そこでの聖なる沐浴の光景!
三千年前とほぼ変わらぬ宗教的行事という。その岸辺での火葬の情景!
帰りの道すがらの物乞いの一団。
ふと気づくとライ病の集団に一人囲まれていた。

? インドの2/3が最下層に属し、ほぼ乞食に近い生活をしているといって
オ-バ-でない。野良犬、野良牛、野羊と全く同じ感覚で一緒に生活している。
日本の80%が中流意識とは対極にあるといってよい。
帰ってきて今でも日本が逆に奇異にさえ見えてきた。
-完璧すぎる平等と潔癖症。そして豊かさが。

? インドはヒンドゥ-教とカ-スト制を抜きでは理解できない。
おおよそ4階級に身分制があり、皮膚の色により白系(一億人)、
赤系(一億人)、黄色(一億人)、黒色(四億人)に分類されている。
我々が街で目にするのは最下層の人たちが主で、動物並みにしか上層の人より
見られておらず、本人達もそう思いこんでいる!
(ヒンドゥ-教の教えがその裏付けされている)。
白色ほど身なりがキチッとしているのは私達でさえ判断できた。
レストラン、ホテルなどそれぞれ決まっており、決して違う層は入れないという。

・・・・・・

[203] 夢ー11
 2001/10/30
 
 五~六年前にみた夢で忘れられないのが、自分の葬式の祭壇を見たことだ。
学生時代住んでいた部屋であった。久しぶりに寮の自分のいた部屋を覗くと、
それがあった。恐らくもう‘あの時の自分がもう終わってしまった’
というシグナルだったのではなかろかうか。
何か変な奇妙な印象が残っている。

 どんどん変わっていく中で変わらないのが過去だけだ、しかし夢でさえ
もうあの時の自分は消滅したといってくる。
それから一年に一度位見ていた寮の夢をほとんどみなくなった。

ーまたこんな夢もみた。
中東?の兵隊の自分が絞首刑になる夢である。7~8年前か。
それを当人になっている自分と、それを上から見ている自分がいた。
その瞬間もう一人の違う自分に移り、やはり絞首刑を経験する夢である。
いやに茶色の埃っぽいイメージが残っている。その前に確か廃墟の建物を訓練で
数人と昇っていた。

 非常にリアルな、前世の自分の過去霊をが夢に出てきた?感覚であった。
これとは全く違うと思うが、瞑想をしていると、突如「タジージーダ」という
人の名前?が突如出てきた。
「なんだこれは?」と今でもそれが何かわからない。
情報のシャワーの中で、脳が勝手にある単語を吐き出したのだと思われる。