つれづれに

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 今日は、スポーツセンターでヨガをして、シネマで、『ヘラクレス』を見る。
家内は、後楽園でスマップの公演に行った。幸せなことだ。
その日、その日になって、さて何をするかを決めるが、ほぼ毎週同じこと。


・・・・・・
2347.ベナレス・・・3
2007年09月06日(木)
ベナレス -3   

出家した兄に対する妹の思いがそのまま伝わってくる。
出家をした目線がなかなか興味をそそられる。
ーーー
P-126
兄の品々を懐かしそうに見せてくれるサルラーさんの振る舞いは、
まるで、亡くなってしまった兄弟の遺品を大切に保管する遺族のようであった。
実際、出家遊行僧とはすでに死んだ存在であるとされている。
サンニャーシーとなる際に、ガンジス河の岸辺で白い団子を流すという
一つの儀式が行われる。白い団子は通常、先祖の供養に流すものであるが、
それを自らのために流すのである。つまり、死者となる自分を自分で弔い、
世俗の生活に別れを告げるのである。

出家を志した今、スワループさんの生活の場は限られたものになった。
ガンジス河のほとりにある僧院に住み、毎朝五時には屋上で、
対岸から昇る太陽に祈りをささげ、瞑想を行っていた。
ガンジス河が見下ろせる二階のバルコニーからは、金網越しに右手には
火葬場の茶毘の風景、左手には密集したべナレスの街並みを望むことができる。
ここはスワループさんがもっとも好きな場所であるという。

「この景色は美しいだけでなく、輝いています。
果てしなく続く空が眼前にひろがっています。そしてここからは、
生きることと死ぬこと、その両方を目にすることができます。見てください。
こちらの街では、まさに今、幾つかの建物が建てられようとしています。
新しい人生の物語が語られようとしているのです。一方、こちらでは、
まさに今、誰かが茶毘に付されようとしています。
一つの人生の物語が終わりを告げようとしているのです。
この街は人間が必ず死ぬということを教えてくれます。
欲望を追い求めてばかり生きると、死ぬ存在であることを忘れてしまいます。
中には私たちのことを世捨て人と言う人もいますが、私は欲望を捨てることで、
生と死、その中間の道を進みたいと考えているのです」

ベナレスは不思議な街である。ここでは火葬場がもっとも聖なる場所の一つとされ、
欲望を追い求めるのではなく、欲望を捨て去るという幸せのかたちが、
多くの人によって模索されている。
私たちの世界では火葬場は忌むべきものと敬遠され、欲望を追い求める
幸せのかたちが模索されているのではないだろうか。
ーーー
解)
死ぬための街は、インドにも他にも幾つかあるようだが、
それにしてもヒンズー教以外の人から見たら異様である。
火葬場近くの川の中で、死者が身につけていた金銀などを
流された骨の中から拾う人がいるのである。背筋が凍る思いであった。

・・・・・・・
2006年09月06日(水)
1982, ある首斬り役人の日記 -3
                     -読書日記
215、1602年9月14日
  ゲオルク・ブラウン、マンスフェルト出身。
  彼は蜂蜜・胡椒入りケーキ職人で、流れ者の剣客であった。
  旅の道連れだった青年から13ターラを盗み、その代わりに石を入れておいた。
  その後、コペンハーゲンでも同じ青年からまたしても8グルデンを盗んだ。
  その他にもある車夫から車を盗んだ。
  同人を当地にて処刑した。その後たっぷり7,8分、彼の首は石の上であちこちを向き、
  さながら、四方を見回すように動いた。
  また、何かをいいたいように、舌を動かし、口をあいた。
  私は、今までこのようなことを一度も見たことがなかった。
感想)
  このような文章を見ていると、時代を超えた何が伝わってくる。
 229、1604年10月13日
  コンラート・ツヴィッケルベルガー、市民で、コンパス器械作り職人。
  彼は大工の妻バラバラと淫らな行為に耽った。
  彼は以前ある女性にも夫にそうさせたのだが、この大工の女房にも
  蚊の粉を調理して夫に食わせるよう、三度そそのかした。
  夫は6度吐いたが、どこも身体を害することはなかった。
  ツヴィッケルベルガーは、年老いた魔女に二グルデンの金をやり、
  大工の亭主が刺し殺されたり、河で溺れ死ぬように呪文を唱えさせた。
  同じく彼は24年前に、大工の母親とも関係を持ち、淫らな行為に耽った。
  またパン屋の三姉妹とも淫らな行為に耽ったことがある。その他の人妻とも。
その件で彼はお慈悲をもって打ち首に処した上で、火あぶりにした。
 感想)
  どの時代も、人間の性欲からくる人間ドラマがある。
  性欲だけは、コントロールが難しいから、ドラマと悲劇が起こるのだろう。
*嬰児殺しー
  嬰児殺しの内容が、この日記に多いのに驚く。
  新生児を母親が手にかける典型的な女性犯罪は、古くて新しい問題である。
  フランツ親方の日記にみる動機は、もっぱら婚外婚の結果の清算である。
  避妊や堕胎の認められぬ時代、この悲劇に至る過程は無知、貧困、誘惑、
  陵辱などさまざまあろうが、社会的に認知されない児を産めば、
  大罪とこの上ない不名誉を招くことは自明である。
  便つぼ、河川、泉、雪中、長持が棄却場所であり、
  また殺害方法も頭を押しつぶす、首筋を締めると、いかにも哀れである。
  何時の時代も同じである。
 感想)
  許されない不倫や、その結果としての嬰児殺しはいつの世も起こる悲劇である。
  それにしても人妻の浮気の多いのは、どの時代でも同じ?
  それとも、男の浮気は問題にならないだけか!助平は生物の存続原因、仕方がないか!
  一盗、二卑、三妾、四妓、五妻というから、スリルとサスペンスがあるのだろう?
              (+>∀<+)ノ ホンジャ!
・・・・・
2005年09月06日(火)
1617, 楽しく生きる-2
大不況の中、毎日を楽しく生きることができれば、これにこしたことがない。
図書館で借りた「楽しく生きる」精神科医高橋和巳著が、なかなか含蓄のある内容。
ー概要をまとめてみた。
(時間をかけて書き写すだけの価値は充分にあった)
 ーー
人の欲求が新たな希望へと向かう心の軌道とは?
欲求の生起ー>否定ー>欲求不満ー>
絶望(対象喪失ー>茫然自失ー>否認ー>怒りー>自失->怒りー>自責)->
抑うつー>悲しみー>孤独の自覚ー>諦めー>新たな希望の獲得ー
この過程のどこに「私」はいるのか考えてみよう、と提起している。

望みが叶わないといって
絶望や諦めを恐れる必要はない。
人の心は絶望や諦めを超えることで、
孤独の中の本当の自分と出合い、
自分が何を望んでいたのか、
欲求の全体構造を明らかにする。
そして、その先にある新たな希望へと導く。

挫折から、諦め、そして孤独の底から、新しい自分に出合い、
新たな希望を創っていく中から、真の楽しみ方を見出していくのである。

何を考えても埒があかない。どう望んでも解決が見えない。
そんなときには、一度すべての欲求から離れるしかない。
自分の心、身体、他人や環境のあらゆるものから離れて、濁流や、澱みや
流れの全体を見渡せる場所に自分を置く。そこで自分を作り直す。
そこで、もう一人の自分に自分に出会う。

我われがあらゆる欲求から離れることができるとすれば、
それは時間が止まったときだけだ。
時間は二つの場合に止まる。
絶望の中と、満足の中で。

欲と向き合う、そして自分を満たして、自分から離れる
<諦めて得た楽しみ>
 追いつめられて見つけたもの、
 孤独と正面から向き合って心の安らぎを得ることである。
 それは、世間的な色・金・名誉を断念することで初めて可能になった
 心の安らぎである。その引き換えに諦めを得たのである。
 
 諦めは怒りへの固執を解く。諦めは生まれてから長く慣れ親しんできた
 自分の外界の世界への固執も解く。
 もう、表象の欲に振り回されることもなく、静かに居られる場所を持ったのである。
 人の精神が新しい世界に飛躍する時は、静粛に一度立ち戻らなくてはならない。
 静粛の中で起こることは、古い欲求構造の破壊と新しい欲求の誕生である。

ー 雅ー欲を楽しむという意味
 「雅であることは、この世の花を楽しむ心だからだ・・・」
 弓で的に矢を当てることと同時に、雅であることを大切にしなくてはならない、
 雅ということは、弓の握り方、矢の支え方、弦の引き方、的への向かい方の、
 的を射ぬくまでの一つひとつの過程を楽しむことだと、教えるのである。
  矢を当たることだけを追っている人は、余裕を失って、一つを達成すれば次が
 欲しくなり、何時までたっても満足しないから、「この世の花」を楽しめない。
 この世を楽しむには、まず留まることが必要だ。
 矢を射ること自体を楽しめる人が「雅」である。
 「雅」とは、欲を楽しむこと、諦めを通過することによって可能になる。
 しかし、欲を楽しんでいる過程は、やはり、それを実現したいと思っている時である。
 諦めとは、欲を捨てることではない。ただ、欲に対する自分の態度を変え、
 「この世の花」を楽しむことことだ。
 優雅さとは、奥ゆかしく、上品で、華やかなこと、それは欲に素直でありながら、
 それに囚われないで実現できる生き方である。              
                        ーつづく
・・・・・・・・
2004年09月06日(月)
1252, オーストリア旅行記ー3
  ーシェーンブルン宮殿
シェーンブルンの意味は「美しい泉」である。
その名を持つこの宮殿は、
女帝マリア・テレージアをはじめ、その娘マリ-・アントワネット、
皇帝フランツ・ヨーゼッフ1世、皇女エリザベートなど、
パプスブル家の人に愛され、光栄ある時代を今にとどめている。
そのきらびやかな部屋からは、華麗なる彼らの生活が蘇って見えてくる。
その幾つかを書いてみると、
・ナポレオンの部屋
 1805年、1809年の二度、ナポレオンがウィーンを占領した際に
 居室として使用していた部屋である。18世紀の軍隊生活を描いたブリュッセル
 写実的なタベストリーが部屋を飾ってあった。
マリー・アントワネットの部屋
 マリア・テレイジアの娘であるアントワネットが、フランスに輿入れをするまで
 殆どをこの宮殿で過ごした。 その後はダイニング・ルームとして使われていた。
・鏡の間
 1762年に、当時から神童として名だかかったモーツァルトが、マリア・テレージア
 の前で初の御前演奏を行なった場所である。そこで演奏後、けつまずいた
モーツァルトを助け起こしたのがマリー・アントワネットであった。
・漆の間
 マリア・テレージアが亡き夫を偲んで改装した部屋は濃茶の漆塗りに
 金で描かれた花鳥や東洋的な風景が壁一面に覆っていた。
 そこにはフランツ1世や、ジョセフ2世などの肖像画が飾られていた。
 そこでマリア・テレージアが夫の思い出に浸っていたという。
 
ー聖シュテファン寺院 Stephansdom
 市内中心部にある大きな教会。
塔は一部修復中であったが、屋根の模様は見ることが出来た。エレベーターで、
その屋根の上まで昇ってみてウィーンの街を見下ろしてみた。
その後、ケルントナー通りの聖シュテファン寺院から国立オペラ座あたりまでを
ぶらぶらと歩いてみた。

・・・・・・・
2003年09月06日(土)
885, 遥かなるアルゼンチンタンゴ
 先日、NHKのBSTVで「遥かなるアルゼンチンタンゴ」の
2時間番組を放送していた。
昨年末にアルゼンチンに行って、本場のアルゼンチンタンゴのショーに
感激した余韻が残っており丁度よいタイミングであった。
(感想文は後にコピー)

 番組はアルゼンチンタンゴの歴史や由来、超一流のタンゴの踊りを交えた
内容の濃いものであった。アルゼンチンタンゴは踊りだけでなく、歌も庶民の悲哀と
愛を歌い続けてきた。バンドネオンといわれるアコーデオンやバイオリンなど
中心としたタンゴオーケストラもある。
ー以下はその放送に流れるナレーションを纏めたものである。
 禁断の踊りの魅力に満ちた哀愁の漂う街ブエノスアイレス
その隅々までタンゴの一部になっているようである。
パリの街の売春宿の踊りとして有名になった時、時の法王が、
そのあまりの過激さに、「タンゴ禁止令」をだした。
 その時パリにやってきていたカシミール・アイーンが、法王に直訴をした。
そして法王の眼のまで実際におどって見せた。
それをみた法王が感動して、禁止令を撤回したという逸話が残っている。
 この世界中を魅了している踊りの歴史は深くはない。
南米のアルゼンチンのブエノスアイレスに、世界中の踊りや歌を携えて
船乗りたちがながれてきた。そしてそこの男女が互いを誘惑しあった踊りである。
キューバのタバネロや、スペインのフラメンコが混ざり合い出来上がっていった。
執拗に互いの身体を密着しあった踊り、それをアルゼンチンタンゴというようになった。
 男女が誘惑しあうタンゴの原点はいつの世にも変わることはない。
変な気取りを全て捨てて鳥のように誘惑しあう姿が美しい。
男女が身体を離して踊るのではない。二人は密着しあって一つになる踊りである。
彼らはタンゴから人生そのものを学んだ。
 ブエノスアイレスは犯罪が少ないという。
男女の欲望はタンゴをとおして発散できるし、出会いの場が多い。
ダンス場が街のあちこちにあり、入場料はマンドリン(飲み物付き)
で200円ばかり、眼が合えば一時の恋人になる。
音楽の続く3分間はお互いに相手にゆだねる。
全く知らない人でも、ダンデーな男と艶やかな女になれる、
それがアルゼンチンタンゴである。
ー以上であるが、何よりも男女の誘惑しあう踊りがイヤラシクも何もない。
スペインのフラメンコは一人踊りか、集団で踊るかだ。
それに対して、男女二人が体を密着して誘惑しあう。
 ・・・・・・・・・・・・・
ータンゴの歴史
 タンゴがうまれたのは今からおよそ130年位前のブエノスアイレスの場末といわれる。
ジャズよりもずっと昔からタンゴが存在していたことになる。タンゴを生んだのは
プエノスアイレスにやつてきたイタリア系とスペイン系の移民たち、自然に生きてきた
牧童ガウチョ、黒人の子孫たち、それも社会生活からハミ出してしまったやくざ者たちである。
 彼らが自分たちの娯楽として作り出したダンス音楽がタンゴとなったのだ。
だからタンゴにはそれぞれが生れ故郷で親しんできた昔楽が入り込んでいるし、
望郷を思わせる哀愁あるメランコリックなメロヂィーを持っているのである。
 タンゴが他の地域へとひろまり始めたのが1920年代。きっかけはそれまで
ダンス音楽だつたタンゴに「歌」という表現形式が現れたことといわれる。
それから楽譜産業、レコード産業の発展も大きく貢献した。
それと並行してパリを中心にしてタンゴは世界的流行を見せ始める。
 その後はアメリ力の映画や音楽に押されてしまうが、1940年代に復活、
フアン・ドミン」・ペロン大統領とその妻エビータのナショナリステイツクな
政策も助けとなって第二の黄金期を迎える。
 1950年代後半から経済悪化にともない、小編成グループが増加、
アストル・ピアソラを中心とした現代タンコ・への歩みもスタートする。
 今、アルゼンチン・タンゴ・界では昔からのスタイルも、現代的なスタイルも、
男性歌手も女性歌手もあり、ダンサ一も数多く活躍し、とてもパラエティに富んだ
趣味、芸術に発展したのである。

・・・・・・・・・
2002年12月21日(土)
617,パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4
 アルゼンチンタンゴがすばらしい!
昔はブエノスアイリスは女性が少なく、その憂さを晴らすため船員同士
が女のふりをしてエロッチクな踊りをふざけて踊ったのが由来という。
 それが波止場近くの娼婦の売り込みの踊りと変化していった。
その踊りが西欧の人達に認められていった。
従って内容はエロチックで情念丸出しのものであった。
 ブエノスアイリスで一番の1400人収容の店で、ショーが2時間以上に
わたって繰り広げられた。全く期待をしていかなかったのが良かったのか、
初めから終わりまで拍手喝さいのすばらしいショーであった。
 お客の全員が感動に包まれ、アンコールの連続であった。今まで見たショーで
一番の感動と言ってよい。辛口のツアーの同行者もこれだけは絶賛をしていた。
この旅を締めくくるに最高のイベントであった。写真を見てもらえれば解るはずだ。
よいのはダンサーが一番楽しんでいる事だ。
この旅行は心に多くのものを残してくれた。

・・・・・・・
2002年09月06日(金)
511,こころの添削

「文章を添削することは心を添削することだ。
その人の心が添削されないかぎりはその人の文章も添削されようがない」
       ー藤村藤村の「初学者のために」より
なにか毎日[[随想テーマ日記」を書き続けていて、一番勉強になるのが
自分自身である。思っていることを書き出して、添削を続けていると
心を書き出し、こころを添削しているような気になる。
小さな、ネジ曲がった自分がまず浮き彫りになる。
そして、他人に見られていることを意識して書き直す。
その作業を通して、自分の心が添削されていくのが実感で解る。
文章の上達は「量を書くことと添削しかない」と立花隆
書いていたが、そのとおりである!
添削は誤字や文の脈絡の捩れを直すだけでなく、
その前提になっている自分の視線・視点を治す事だ。
言葉が汚い自分はこころも汚い事と反省しなくてはならないが!
・・・・・
人生は「自分が真にしたいことを見つけ、面白く生きること」
これが秘訣だと両親の生き方より若いときから学んだ。
ものを書くことも然りと、田辺聖子の「いい文章を書くために」
という随想に書いてあった。
「書きたいことを、面白がって」
そうすれば、読む方もその人の本当に言いたいことに注目をするし、
面白がって読むだろう。文章も躍動感に満ちたものになるだろう。
なるほどと思ったと同時に、文を書くとき本当にそう考えていただろうか?
・・・・・
「随想はつまるところ自慢話」と井上ひさしがいっていたと、
林真理子が書いていた。なるほど、そのとおりである。
毎日書き続けていてそう実感する。
「こんなことを知っているぞ」とか「こんな経験したことがあるぞ」
とかだ。それでは外に何を書けといえばいいのか?
やはりその類のことしか実際のところない。
勝手に書いて、公開しているんだからと開き直るしかない。
何か書いている原動力が自慢話とは、それも面白いものだ。
「毎回見ていただいてありがとうございます!」
いや「毎回自慢話を聞いていただき有難うございます!」

・・・・・・・・
2001年09月06日(木)
[135] 熊
「熊に追われ逃げてきた、そこに大きい池がある、その横に木が立っている、
その向こうに家がある」 さあ貴方はどうする。
「木に登るか、池に飛び込むか、家に逃げ込むか?」
木は理想。池はセックス。家は-実家ー昔の思い出ー
ー木に登りしがみつき、池に飛び込み溺れ、家に飛び込み熟睡,でもすぐ飽きてしまう。
これが人間の姿だ。熊は何かーもちろん現実そのものだが、     自分の影か父親か。
この質問を第三者にしてみると本当に面白い。そのものずばりだからだ。
この喩えを知っているためか、よく熊に追われる夢を見る。
「何処かの家の外に熊がいる、いつのまにか家の一階にいる、そのうちドアの
外まで来ている、どうしよう」というところで目が覚める。
どういう訳か熊に襲われる前に目が覚める。