* 価値の遠近法      『パワレルな知性』鷲田清一
 鷲田清一の「価値の遠近法」が面白い!
  ーネットによるとー
≪ 「価値の遠近法」は、あらゆる事象・物事を次の四つに分けること。
 ① 絶対に必要なもの、失ってはならぬもの
 ② あってもいいけどなくてもいいもの
 ③ なくてもいいもの
 ④ 絶対に不要なもの、あってはならないもの
彼は、これが上手に仕分けられる能力を「教養」と呼び、その重要性をいろいろ示す。
「価値の遠近法」は、それぞれ自身の価値観を明示的にする効果がある。
四つに仕分けることで、「何を大切にしたいのか」を自らに問い掛けることになるからだ。
自らの価値観を知ることは、自己理解の最も重要な要素。当然、人によって仕分け方は違うため、
自らの仕分け方と他者のそれを比較し、違いが起きた理由を探ることで、他者を理解するきっかけになる。
「価値の遠近法」を実践していくと、ある「真理」に気づくという。
「大事なものほど、仕分けづらい」「重要なものほど、答えがない」という真理である。
いま大きな社会問題になっている原発推進の是非を問う論争が、まさにこれ。
推進派と即時廃止派、さらには漸減派、一旦凍結派等々、議論が百出する。
「何を大切にしたいのか」を巡る論争には、唯一絶対の正解などない。さらにこの問題を突き詰めてみると、
わたしたちは、正解が見えないものに、とりあえずの解を出さないと前に進めないことにも気づく。
私たちは、不確定要素に満ち、偶然に左右され、先行き不透明な問題に囲まれ生きている。
わからないもの取り囲まれて、わからないままベストの解を出すことを迫られている。
国の経済政策も、企業の経営戦略も、個人のキャリアも、構造は同じなのだ。 
こういう問題に直面して、「価値の遠近法」を使って、よくわからない問題を仕分けていく時に
必要なポイントについて、「ようわからんけども大事!という勘がはたらくか」
「わからんことに囲まれていても、なんとか切り抜けていく」野性的な思考が必要という。≫
▼ <「右下がりの時代」は、社会が‘まとも’になっていくためには悪いことではない。
 右上がりの時代には次に何を手に入れようかと考えていたわけだが、下がっていく時代には
「何をまずあきらめるか」を考えざるをえない。私のいう「価値の遠近法」を、嫌でも頭に入れて
おかなければならない>とあるが、老いていくことは、不要なものを捨てていくこと。
「価値の遠近法」の、④、③、②と、一つずつ捨てて、①に絞ること。そのために教養が必要。
今さら遅いかどうかは、その人によるが・・ 「お金は、②、いや、①?」
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4556, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー1
2013年09月06日(金)           
  * 追われ追われて南米最南端     「新潮45ー6月号」ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより
 冒険家が人類の移動の跡を辿って見えてきたのは、「人類の弱者が、より悪い環境の地に追い込まれて、
その繰り返しの究極の地が南米最南端パタゴニアであった」ということ。アフリカから追われ、その移動先で
落ち着くと、その中の弱者はまた弾き出される。その積み重ねが、アフリカから南米の最南端までの人類の
軌跡であった。その過程で生き延びる知恵こそ、弱者の知恵になる。その過程で彼らは進化したかというと、
そうではない。北アフリカと欧州に留まり闘い続けた人間が、文明の基礎を作りあげていった。
逆に、エスキモーとか、南米インディアンは、逃げることで、生き延びていった。弱者には逃げるしかない。 
この切り口で人類の歴史を鳥瞰してみると面白い! 僻地の人間は、そのためか優しい。
  ーその辺りから抜粋ー
《 たけし〕しかし、六万年前に人類がアフリカから移動していって、世界中に広がったルートを
 逆に辿る発想は面白いけど、ずいぶん無茶なことをしましたね(笑)。
関野〕 確かに逆ルートは無理があります。やっぱり人類は逆ルートで移動しないことが、やってみると分かります。
 全部、逆風なんですよ。例えばべーリング海峡を渡るときに、風速5〜10Mのいい風というのは西から吹く。
 僕はアラスカからシベリアに行くわけですから、東風が欲しい。しかし、東風は風速15M以上になることが多い。  
たけし〕どうしてアフリカで生まれた人類が全世界に移動したと言われているんですか?
関野〕研究者によって意見が違っていて、僕は最初、「あの山を越えたら何かあるんだろうか」という好奇心、
 あるいは「あの山を越えたらもっと獲物がいて、いい暮らしが出来るんじゃないか」という向上心で心で
 動いていたと思っていました。もしそういう好奇心とか向上心とか、いわゆる進取の気性に富んでいたなら、
 一番遠くまで行った人たちの末裔のはずです。
たけし〕そういうことになります。
関野〕ところが行ってみたら逆でした。南米最先端に行った人は一番弱い人なんです。
 そこでは狩猟生活もできない。ホタテとかカニをとって生活をせざるを得ないんです。どうしてそんな
 ところに移住してきたのだろうと考えてみると、弱いからじゃないか。
 例えば、あるところが住みよいとなれば人ロが増えていきますよね。
たけし〕 そうなると誰かがふき飛ばされる人が出てくる。
関野〕ええ、誰が出ていくかが問題になる。強い人出ていきません。そこで、はじき出された人が
 フロンテアに行くわけです。滅びてしまう人も多いと思いますが、そこでバイオニアになれた人が生き残れる。
 創意工夫を働かせて適応した人が「住めば都」に変えてしまう。そこでも人口が増えると、また弾き出される
 人たらが出てくる。だから、日本は弱い人の吹だまりだと思う。それ以上、東に行けないわけですから。
たけし〕日本人がもともと弱い人間の吹だまりだというのは面白いね。
関野〕それはイギリスも同じですね。もっと西に行けない。ところが、いいか悪いかけ別にして、
 日本はアジアを制圧しようとしたし、イギリスは世界を制覇しようとした。だから、もともと弱いといって、
 いつまでも弱いわけしでない。弱いから逆にいろんな知恵を使うわけです。元もと人類はその誕生のときから、
 弱いから知恵を使って生きてきた。 》
▼ 強みは、弱者の苦労から湧き出る知恵から生まれる。決して野心を持って挑んだ訳ではない。
 弱者の知恵こそ、力になる。弾き出した方はといえば、変化適応能力が無くなり弱者になっていく。
 何処かの国か、地域そのもの。脱皮できない蛇は死ぬ。
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4181, 呪いの時代 ー1
2012年09月06日(木)
                     「呪いの時代」内田樹
 なかなか時代の特質を捉えた面白い本である。バブルと、バブル崩壊を経た後、日本は20年以上も
下降曲線をたどっている。経済大国と言われたのも遠い過去になりつつある中、人々は、その環境の中で互いに
呪い、怒りをぶつけあっている。そして中流社会が崩壊を始め、総下流化社会になりつつある。そこでは互いに
呪い、一部勝ち組を呪う時代になっている。呪いは人間としての悪い意志、否定的な情動であるが、その核心
部分には他者の全面否定と破壊と殺意が内蔵されている。自己崩壊は他者への憎悪となり自他とも傷つける
だけでない、未来へ希望と友愛を損傷する。「呪いの時代」は、言い得て妙である。
  * まずは、第一章 呪いの時代より
≪「呪い」は今や僕たちの社会で批評的な言葉づかいをするときの公用語になりつつあります。
「弱者」たちは救済を求めて呪いの言葉を吐き、「被害者」たちは償いを求めて呪いの言葉を吐き、
「正義の人」たちは公正な社会の実現を求めて呪いの言葉を吐く。けれども彼らはそれらの言葉が他者のみならず、
おのれ自身へ向かう呪いとしても機能していることにあまりに無自覚のように思われます。
20年ほど前、まだ僕が学会というところに顔を出していた頃までは、学会発表後の質疑応答で、「あなたは…の論文を
読んでいないのではないか」とか「周知の…についての言及がないのはなぜか」といった、「そこで論じられて
いないこと」を持ち出して、「こんなことも知らない人間に、この論件について語る資格はない」と切り捨てる
態度に出る学者が沢山いました。僕はそういう「突っ込み」を見るたびに、どうして彼らは「自分の知っている情報」
の価値を高く格付けする一方、「自分の知らない情報」が知るに値しないものだとあれほど無邪気に信じて
いられるのか、その理由がよくわかりませんでした。僕たちは誰でも自分の知っていることの価値を過大評価し、
自分の知らないことの価値を過小評価する傾向にあります。だから、学者にとっていちばん最初の仕事は、
自分の所有する学術情報を適切に評価することであるはずです。でも、「君は『こんなこと』も知らんのか」
と気色ばむ学者たちは「こんんなこと」が議論の始点でなければならない理由について、ほとんど説明責任を
持ていないようでした。・・・・ 学者というのは「知識を持つ人間」ではなく、「自分のもつ知識についての
知識を持っている人間」のことだと思います。ですから自分の知っていることは「知るに値すること」であり、
自分が知らないことは「知るに値しないこと」だと無反省的に信じ込める学者のことを僕は端的に
「学者の腐ったようなやつ」と呼んでいました。しかし、学界だけの固有種であったこのタイプの人々が今ネット上
では異常増殖しているように僕には思われます。ディスプレイに向かって、グーグルでキーワード検索をしながら、
個別的なトピックについてのトリヴィアルな情報を入手することそれ自体は愉快なことですし、誰の迷惑に
なるわけでもありません(僕だって大好きです)。けれども、そうやって自分が仕入れた知識の価値を
「知識についての知識」というメタレベルから吟味する習慣を持たない人にとっては、どれほどトリヴィアルな
情報を収集しても、それは学的には無価値だということは忘れない方がいいと思います。≫
▼「呪い」が、恐ろしい結果をもたらす事例を、あまりに多くみてきた。特に、人生に恵まれてない人のそれは酷い。
 起こった現象しか見えないため、その背後の原因を突き詰める能力が無いのである。呪いは、羨望が含まれている。
 そのため周囲の全ての人が対象になるから始末が悪い。国会の有様は、正に呪いの政争である。
 呪いの政治は破壊しかない。
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3816, iPadを買った ー3
2011年09月06日(火)
 手元にきてから二週間、iPadにますます虜。パソコンが大好きだが、イマイチ使いこなせかった。
このお陰で?アプリを比較的簡単にダウンロードして気楽に使えるようになったことが大きい。 更にゲームを
パソコンで遊んだ経験が殆どなかった。そこで、まず無料のゲームで子供心に立ち返って遊んでいる。
「自分の人生がゲームそのもの、敢えてする必要もない」と決めつけ、受け付けなかったこともある。 
このところ一日2時間は熱中している。まずは無料の小学校低学年?レベルのもの数種類だが、始めると止まらない。 
まあ、いい歳をして幸せなことだが、面白いのは面白い! 先日、初めてデジタル雑誌をAplleから購入をしてみた。
『 最新 iPadアプリ 特選700』である。「成るほどiPadを買ったことで、iBookが購入出来た」と一人感心。 
そこで気づいたのは、目次から一瞬で項目のトップに切り替わること。それとitunesの音楽とは逆に、
ページの下に次々と、各ページのイメージがスクロールをすると現れてくる。 雑誌をパラパラと捲るのと
同じことが可能である。 また、最後に読んだところが、次回にiBookを開いた時に自動的に開く。 最近の録画は、
最後にみたビデオの部分が自動的出てくるのと同じ。 さらに字の大きさが親指と人差し指二本で拡大・縮小できる
のも便利である。 何よりも何時でも、何処でも、気楽に見れるのがよい。Podに数千曲入力してある感覚と同じ。
「アプリあってのiPad」が、この本の副題にあるが、PCでアプリを充分に活用できない者にとって、
iPadあってのアプリ」になる。それぞれの有り難さは違って当然。 私には「iPad 様様」のよう。 
初めて携帯電話を手にしたのに匹敵する。 問題は自分にピッタリのアプリを如何に探し出し活用できるかである。 
無線で、平面で、本の大きさのため、画面にピアノや太鼓の画面を表示し、作曲したり、演奏をしたり、
車の運転席で道路を疾走するする画面のゲームも現れている。それもネット上で誰かと競技も可能。
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3451, ニューカレドニアの休暇 −1
 2010年09月06日(月)
 去年はブタインフルエンザ騒ぎで予約をしていたクロアチア・ツアーを急遽キャンセルをした。
その後、あの騒ぎは薬品メーカー(WHOに入りこませた役員)が薬品を売るための詐欺紛いの扇動と後になって
気づいたが後の祭り。恐慌二年目も加わり、25年間、毎年行き続けた海外旅行が途切れてしまった。
そして今年は恐慌三年目、経済的状況は二番底に向け動き出した。さて、どうするか迷った。毎年9月以降に
大きな事件が起こる傾向があるので、最終タイムリミットは9月初旬まで。 近くで、安く、目だないツアーを
絞って盆明けになって探した。グァム島はありきたり、バリ島は家内が嫌。 オーストラリアはイマイチ。
そうこう調べてると南太平洋の中で「7日間で8万弱のニューカレドニア」を探しあてた。 ワンフライト8時間で、
滞在型で、エネルギーが最小で済むところとあいなった。しかしホテルの一ランク上に上げたり、現地で4回の
オプションツアーに参加したりで、二倍近くになってしまった。それでも15万である。 振り返ってみて、
オプションは2回で十分で、あとはホテル近くの海岸線の木陰で日干しをしたりして、のんびりするのが正解。 
二度と来ないと思うと可能な限り動きたい気持ちに勝てなかったのである。私の基準の採点では80点。 
フィジーが90〜95点とすると少し低いが、私の避暑的時間の過ごし方になれてなかったこともある。
 フィジーと違って、ここはフランス領ニューカレドニア。 四国ほどの面積に25万弱の人口が住んでおり、
小さな多くの島が点在している。 ニッケルを主とした鉱山資源が豊富。フィジータヒチなど年中、常夏な気候に
対し、5度ほど寒い冬がある。この時期は丁度冬と夏の境目。冬で20度、夏でも25度というから、やはり常夏である。 
大まかにポリネシア系の現地人が4割、フランスなど白人系が3割、アジアの移民が3割の比率で、フランス支配感が
強い国で、地中海のフランス領の小島にいるようである。 その点、フィジーは小さいながらもポリネシア
独立国でありポリネシアの人間的特性が前面に出ている。料金はフィジーが5割高くなる。  
南太平洋に行くなら、何処の国の領地か、独立国か調べた方がよい。 植民地は白人支配が前面に出ている。
現在、世界は一部の白人が支配している厳然たる事実がある。 インドのカースト制度は、三千年かけた
アーリア人による身分制度で、裏づけにヒンズー教で心まで支配するシステムになっている。一神教ユダヤ
キリスト教も、ほぼ同じ手法で、侵略の尖兵として、キリスト教で洗脳しながら乗り込んでいく。 
そして世界を牛耳っている。 ここで、日本がアメリカの金融被支配国が表面化してきた。それだけでない、
軍事も支配されている現実がある。 バカではないかというほどの人の良さが小さな島国の運命である。
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3076,120年の物指し
 2009年09月06日(日)
 週刊朝日の記事ー 平成維新「次の100年が始った」が面白い。
  ーまずは民主党の大勝の長短の4つの物指しを要約
一、麻生の一年足らず政権、永田町の政治記者レベルの内容。今後、民主党が、
  そのレベルとして参院選挙まで、いかに実績を積み重ねることができるか。
二、次は、四年前の小泉劇場の大勝で、今度の選挙のように逆ぶれで民主党に政権が転がり込んできた。
  4年後の衆院選挙も同じ道をたどることになるかどうか。
三、小選挙区制度ができて15年で、ここでようやく政権交代が実現した。1993年の国会は、「政治改革国会」
  と呼ばれ、翌年には小選挙区比例代表制を含む政治改革関連4法が成立。今後15年で二大政党の
  交代システムが出来るかどうか。
四、120年という物指しで、これが最も本質的な物ざし。明治憲法ができて120年になるが、この間の政治は
  実は官僚に従属してきた。今度の政権は120年の「中央集権国家」を廃絶して新たに「地域主権国家」
  を樹立しようというのである。 自民党も「地方分権」といい、その具体策として「道州制度」を
  導入しようとしているが、あくまで「中央集権国家」が今後とも続くという前提である。
  その官僚主導体制とその中核である財務省による徴税・国債管理・予算分配の「財政中央集権」も続く
  ということであり分権といっても、うやむやにされることは目に見えている。これに対して民主党は、
  国民生活に密接な権限と財源を基礎自治体に渡してしまうもの。
▼ 以上だが、その15年間、延命を繰りかいした自民政権があまりに狡猾であった。それも120年続いた流れで、
 国民が騙されていたことが露出してしまったのである。二度とあの威信は戻ることはない。 
 あとは民主党の自滅を待つしかない。
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2711, 臨死体験を経験できるヘルメット
 2008年09月06日(土)
何の知識無しで初めて幽体離脱を経験したときの驚きを今でもリアルに憶えている。
それを契機に、キュープラ・ロスや、立花隆臨死体験などの本を読み、その経験の意味を知った。
ところが最近になり、アメリカでパーシンガー博士の開発したゴッドヘルメットと呼ばれるものがあり、
これ装着すると万人が体外離脱できるという。博士はてんかんの治療で、脳を電極で刺激する手術を400例以上
やっていて、その手術の際に側頭葉のシルビウス溝と呼ばれる、右耳の上を電極で刺激すると、体外離脱が
おこることを発見した。これで体外離脱した意識が、遠くのものを見てきて、現実と一致したり、霊が他人の体を
ジャックしたイメージも起こるという。 これまでのように脳を開いて直接電極を押しあてたりせず、電磁気で脳を
刺激して、反応を見る研究が盛んのようだ。体外離脱とは、脳の中の幻覚ではなく、アストラル体のような意識が、
抜け出している状態ともいわれる。実際に体外離脱の経験者に装着したところ、同じような経験をしたという。
それまで一部霊能者とか、そういう体質を持った人だけしか経験できなかったことを、科学者は誰にでも体験
できるようにする。 何年もしないうちに、家電の店頭で並ぶかもしれない。 これを被って気が向いたら
幽体離脱をするのも面白いだろう。そういえばアルファー波を発生させる器械を買ったことがあった。
またマリファナを吸ったと同じ気分になるCDのセットも買ったことがあったが、少し酔ったような気分になる。
私は酒に酔いの方が好きだが。他のTPOSが面白いだけであるが・・・恐らく、これを被っても、私の経験した
幽体離脱の緊迫した感覚とは違うだろう。色いろな状況の中で独りで、誰にも言えない奇妙な体験だから
神秘的なのであって、ヘッドギアの器械で幽体離脱をしても、味も素っ気もないだろう。しかし、面白そうである。
前に書いたことがあるが、欧州の帰りの飛行機の中での夢。「自分の身体が突然にフワフワ空に向かって
上昇していく、電信柱が下に見えてきた辺りで恐怖心が出てくる。夢から早く覚めて布団に身体を戻さないと、
我に返った。 ところが、そこは飛行機の中で、身体が地上に在るはずなのに逆に、その遥か上を猛スピードで
移動している。 そこには、飛行機も、シートも、周囲の人たち消えて、独り宙を移動している」
身体が凍りつくとは、このことだろう。 恐らく、死ぬ瞬間とは、あの感覚になるのでは? 絶叫をしそうに
なったが、ギリギリ抑えることができた。人間は大地の上で生きているのである。死ぬと、大地から離れるのである。
幽体離脱で元の身体に戻ってこれないで、狂ってしまうケースもあるというし、自分が外に出ている間に、
動物か彷徨っている霊が入り込む場合が往々にあるという。 オウム教が騒がれていた頃、ニュースなどの映像で、
ヘッドギアをしている信者の姿を見かけたが、あれがゴッドヘッドだったのか?集団維持の手法や典型的カルトの
教えは否定されるべきだが、宇宙からの視点とか、こういう幽体離脱の手法は、なるほどと感心する。
脳はまだまだ未知の世界である。脳は3?しか使われておらず、10?も使えば天才になれるという。
神様(自然)は何を脳にさせよとしたのだろうか。我われ凡人は、パソコンなど、道具を有効に使ってせめて
5〜6?を使えるようにすればよい筈だが?
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2007年09月06日(木)
 2347.ベナレス・・・3
 (字数制限のためカット 2010年9月6日)
・・・・・・・
2006年09月06日(水)
1982, ある首斬り役人の日記 −3
           Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning    −読書日記   
215、1602年9月14日
ゲオルク・ブラウン、マンスフェルト出身。彼は蜂蜜・胡椒入りケーキ職人で、流れ者の剣客であった。
     字数制限のためカット      (+>∀<+)ノ ホンジャ!
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2005年09月06日(火)
1617, 楽しく生きる−2
大不況の中、毎日を楽しく生きることができれば、これにこしたことがない。
図書館で借りた「楽しく生きる」精神科医高橋和巳著が、なかなか含蓄のある内容であった。
ー概要をまとめてみた。 (時間をかけて書き写すだけの価値は充分にあった)
(以下、字数の関係でカット08年9月6日)