つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=1E6wyvgEZnA

 暑さが増してきた。 で、30年以上、使用してきた居間と寝室の二台のエアコンが故障。
新たに買い替え時になった。 このところパソコンに、自動車に、クーラーに、どれもこれも、
使用期間限度を遥かに超えたもの。 成るほど、年金生活者は大変だ! 

 このシーズンに入ると、首に巻く冷凍首巻が大活躍。 三本あるが、三十分しか
持たないが、それでも、フル回転。 ポタリングにも巻いて出かける。 それと、
冷やし枕も、寝る前に、タオルに包んで枕に重ねて寝ているが、これもよい。


・・・・・・
2316, 日本の原発依存度って、どうなっている?
2007年08月06日(月)
    
今回の地震による柏崎刈羽原発の火災などで、
殆ど意識してなかった原発に対する依存度に少し関心が向いた。
インターネットで早速しらべてみた。
 それによると・・・
世界の電力の16%は原子力で、日本国内の原子力依存度は、約3分の1強の37%。
世界全体として原子力の依存度が高まる傾向にある。現在の日本では、石油危機当時と比べ、
エネルギー消費に占める石油依存度が大幅に低下。日本と同様に石油資源を持たない
スウェーデンでは、70年の77%から95年の43%へと着実に石油依存度を削減 、
スウェーデンのエネルギーシステムの中で原子力発電は重要な位置を占めている。

石油危機当時の73年度には77.4%だったエネルギー消費に占める石油依存度は、
2001年度に50%になった。(エネルギー消費と発電の石油依存度は違う)現在の日本には、
53基の原発があり、発電量で37%を占め、これを50?まで戦略上持っていきたいというが
政府の意向。電力10社では原発31%、石炭火力26%、LNG・LPG火力24%と構成が
異なるものの、いずれも原発依存度は30%台と高い。

日本の原子力発電所は17カ所、53基が稼動中。
その数は米国、フランスについで3番目になっている。
国内総発電量の37%の日本に対し、アメリカは20?でしかない。
ここまで原発への依存度が高くなると撤去するわけにもいかない。

地球温暖化対策として化石燃料を増やせない現在、
日本では原発でカバーせざるを得ないのが実情。
刈羽原発を筆頭として、日本列島はどこでも地震が起こり得る。
今度の地震も新たな活断層が動いたというが、日本で活断層を避けることは難しい。
今回のように地震が起こって初めて分かるのが現状である。

資源の乏しい日本では、エネルギーを確保、維持していくことは国の盛衰に関わる。
といって、数年来の原発事故や安全性隠しで原発に対する不信感は非常に強い。
敦賀周辺や東海周辺の原発の地下には活断層がある可能性があり、一つ間違えば、
大都市が近くに多くあるため、数十万、数百万単位で死者が出る可能性がある。
この問題は、日本にとって今後ますます大きく問われることになる。
                    byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛
・・・・・・・
2006年08月06日(日)
1951, ローマから日本が見えるー20
              \(^▽^*)おはよう
        ー読書日記ー
第八章 「パクス・ロマーナ」への道 -3
    ーローマ軍団のリストラ
 皇帝アウグストゥスは税制を整理・再構成をすることによって、
以後のローマ帝国の財政面の基盤を確立した。彼は限られた財源をもとに、
あるゆる知恵を使い「パクス・ロマーナ」を実現していった。
 アントニウスとの内戦が終結した時点のローマは、50万人の膨大な兵力を抱えていた。
オクタヴィアヌスアントニウス双方がそれぞれに軍団を抱えていたから、
これだけに達していた。これをアントニウスは何と三分の一に削減する。
 下手に削減すると人気に影を投げかける。彼は私財を投げ出して、
退職金をあてることにした。その軍団を常備軍へと改組する。
 広大なローマ帝国を限られた兵力で守るために如何したらよいか?
彼が考えついたのは、属州民の活用であった。
彼は属州民からの志願者による「補助兵」からなる部隊を編成する。
その数は軍団兵と同数の15万人。軍団兵と属州軍の合計30万人があれば
ローマ帝国の防衛線は守りきることが可能と読んだ。
 属州軍の待遇は、さすがに軍団兵と同じにはできない。
そこで、属州軍には補助兵としての25年の満期除隊を迎えると、
自動的にローマ市民権が与えられることになった。ローマ市民権を得れば、
属収税は払わなくてよい。この場合の市民権は世襲の権利ですから、
子々孫々まで恩恵にあずかることができる。
 それを考えると、多少兵役期間が長かろうが、給与が低くとも、
属州民にとって「旨み」があったのだ。

ーローマ防衛体制の構築ー
 30万人を長い国境に沿って薄く均等に貼り付けていたのでは、意味が無い。
外敵が侵入してきたとき、そこに兵力を集中してこそ撃退できるというもの。
そこでアウグストゥスは軍団兵を主戦力として活用できるようにして、
補助兵はその補助や警戒任務につけることにした。
・国境に沿って配置された見張り用の要塞では、地元で採用された補助兵が警戒に当たり、
・敵の襲来が発見されれば、ただちに狼煙を上げるか、
 馬を飛ばして近くの補助部隊基地に知らせます。
・補助部隊基地はただちに援軍を派遣すると同時に、軍団基地にその情報を
 もたさせて、主力である軍団兵の派遣を要請するというのが手順である。
つまり、敵襲はとりあえず補助兵で何とか食い止めて、本格的撃退は軍団で
というわけである。ここでカギとなるのが、スピードである。
 そこで役に立ったのが、ローマ人が共和制度の頃から営々と築きあげてきた
街道網である。これが、古代の高速道路としてカバーしていたおかげで、
ローマ騎兵は一日で百キロ近く、歩兵で時速5キロで移動できた。
 このローマ防衛体制のアイデアは、現代の国々の軍にもそのまま受け継がれている。
最前線の基地には最小限の兵を配置するだけにとどめ、
有事の際には機動部隊が海や空を移動して援軍に当たるというやりかたが、
二千年昔にローマ人が考え出していた。 (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
                      バイバイ!
・・・・・・・・
2005年08月06日(土)
1586, 日本経済恐ろしい未来
      ー 読書日記
「日本経済 恐ろしい未来」
この本を図書館から、何回か借りてきた。
そして読み返しながら、日本経済の行方の参考にしている。
全ての問題を先送りにしようとする日本の将来に大きく警鐘をしている。
冷戦が終了しアメリカの特待生であった日本が、アメリカなどに政治的に
利用するだけされても、まだ体質を変えることができない事態。
この本が書かれて3年経っているが、その後に何ら改善されていない。
いやマスマス悪化しているのが実情である。目先、中国のバブルによって、
日本からの輸出が増えて一見景気が良さそうだが。さらに改革の大元の
郵政法案が揺らいでいる。あるHPから、この本の概略をコピーしておきます。
ーーーー
-借金経済の行く末は国家破綻(2003/02/18)
 「日本経済 恐ろしい未来」-借金経済の行く末は国家破綻
  水谷研治著 東洋経済新報社 2003/1 p227 1,500円(本体)
   1.奇跡の経済発展
   2.右肩下がりへの転換
   3.慢性化する異常な経済
   4.「恵まれた環境」の終わり
[梗概]貿易黒字が続き、179兆円もの対外純資産を持つ日本。
今後10年間は経済の低迷が続いても、いまの平穏で豊かな暮らしを続けることが
できよう。しかし、日本経済の将来を展望すると、恐ろしい未来が見えてくる。
20年後までに、日本経済の破綻が表面化し、悪性インフレへの奈落に落ち込むであろう。
その時の最大の問題は、長年の財政赤字で膨らんだ国の膨大な借金である。
デフレがインフレへと変った時には、もはや打つ手がない。
それまでに問題を解決しなければならない。国の借金の速やかな返済が第一である。
 だが、税収は減り続け、歳出の削減では焼け石に水である。
消費税など大幅な増税しか解決の方法はない。それは、国民に犠牲を強いることになる。
政治家もメディアも、国民に犠牲を強いることにはあからさまに同意できないであろう。
国民がそのことを自覚し、日本の将来を考えるほかに道はない。
豊かさを満喫してきたわれわれに課せられた責任である。
 ---------------
 客観的にみて、日本はきわめて豊かである。社会は安定しており、治安状態も良い。
国内総生産は、世界第三位のドイツを大きく引き離し、一人当たりの国内総生産は事実上
世界最高に近い。上昇したとはいっても、失業率は5%台でヨーロッパの半分程度にすぎない。
国民は豊かさを満喫している。
この豊かさを維持しようと、長年にわたり国家財政に無理を強い、
目先の繁栄を続けてきたというのが真実であろう。それでもまだまだ体力は残っている。
内輪に見積もっても、10年間は問題なく過ごすことができると考えられる。
 わが国の経済力がこのまま低下し続けると、やがては限界を迎えると思われる
かもしれないが、実際にはそれが限界とはならない。
目の前に迫った危機を回避することに努力を向けていれば、これまでの豊かな
経済情勢はかなりのあいだ続くであろう。
 だが、この間に経済の体質はますます悪くなり、やがて最終的な限界が現れる。
それは何をきっかけにするかは分からないが、多分日本経済の強大さが単なる
幻想にすぎないことが、世界の人々に知られた時に一挙に起こる可能性がある。
 その後は、一気呵成に経済水準が下がっていき、異常な事態へと突き進む。
 戦後半世紀以上にわたってわが国は平和を謳歌してきた。世界中の多くの国が
戦乱に巻き込まれていたこの間、わが国は直接戦火に見舞われることもなく、
幸運にも経済に勢力を集中することができた。
冷戦のおかげで、日本はアメリカの同盟国として経済復興を遂げることができ、
そしていつのまにか自分の国を守らねばならないという意識がなくなってしまった。
そのようなことを意識せずとも、国は繁栄し、われわれ国民の生活は豊かに
なっていった。いまのままでよいと考える国民は多いに違いない。
 しかしその背景には、国が国民のために犠牲になってきた。
それは一時的には可能でも、いつまでも続けられることではない。
  (字数の関係上、あとの文章は「引き出し」の読書日記のコーナーに
   貼り付けてあります。)
 
・・・・・・・・
2004年08月06日(金)
1221, 運について-2

何回か「運について」(後にコピーしてある)を書いてきたが、再び書いてみる。
運にも二種類ある。 受身の運と、積極的に自分からつかみとる運である。

・受身の運は、「結果として何時も運がついている運」
性格とか、親の愛情が本人に染み付いているとか、宗教的な環境の中で
育っていて良い結果をもたらす運である。
ー性格の明るく良い人。良家の子女(躾がゆきとどいている人)。
・積極的な運は、「何事にもポイントがある、それを見逃さないよう努力を
する。意志こそ運の原動力、原因」という運である。
ここで取りあげる運は、両者を重ねもつ運である。
両方が揃って初めて開ける運である。
私の周辺の女性に、美人で、性格が明るくて、一生懸命に生きているが、
そのわりには、状況が不幸せの人が何人もいる。
やっと幸せを手に入れたと思ったら、すぐに不幸のどん底に落ちてしまう。
よく見ていると、両親が不仲だったり等、色いろの理由がハッキリみえる。
「ある程度耐える」という家系からくる知識・体質を持ってない。
「ありがとう」を繰り返し言いつづけることは、耐えることの呪文である。
運が上向く以前に、耐えることが出来ない習慣を変える作用がある。
いま一つ、言葉の重要性を知らない。
「自分は、ついている(運がある)」と、毎日こころの底から思っていれば、
そして、「ついている」と現に言葉に出していれば、ツキが回ってくるに。
「俺はついてない」「どうしようもない」「世の中が悪い」
「あいつのせいで、こうなった。あの畜生め」と、あけてもさめても
唱えていれば、不運しかこないのは当然である。
もし幸運がきても、それが見えなくなってしまっている。。
世の中の八割そうだから、それで良いのかもしれないが。
チョッとしたことなのに、せっかくの人生、あまりにも勿体ない。
運は因縁と似ている。因は直接の原因、縁は間接原因をいう。
これが重なって結果がきまってくる。
多くの因縁の中で、良いものを選択するのも本人である。
やはり良い本、良い人、良い芸術、大自然にシャワーのように浴びるしかないのか。
ーーーー
265, 運について -1
2001年12月10日(月)

運がいい、悪いというが運とは何か考えてみよう。
「ある事をやった結果がたまたま上手くいった、失敗した」
というのが一般的にいう運の意味である。
運は結果論でもある。そうするとその「決定」が関ってくる。
ある決定の段階で、情報の受けかたと判断が重要になってくる。
そう考えると運のいい人とは、「無意識の判断」が適切・正しいということだ。
運のいい人とは適切な判断家ということになる。適切な判断の連続線が運と言ってよい。
曇りのない心で情報、情勢を見る目が大事だということだ。
以前、情報工学の中山正和氏の講演を聴いた。科学者に似合わない内容だった。
その内容は後でコピーしておく。この文章もそれが土台になっている。
ついている人がいる。そういう人は本当に、どこまでもついているという。
もって生まれた運勢があるという。
その共通点をみると。明るく、楽天的で、勘が鋭いという。
(これは私の追加の感想ー>)それと努力家で夢がある人である。
ーこういう問題を自分で提起しておいて、逆に疑問を投げかけてみるー
運なんてあるのだろうか?「能力」の別名でしかないのではないか?
何も努力をしないで、なにも学ばないで「俺は運がない」と呟いている人を
何人も見たからだ。そして他人の努力の結果を運にしか見えない人間の浅さを。
運は字のとうり「はこぶ」である。努力と判断力で結果を呼び寄せるものだ。
多くの人と接していると、その人の将来まで解かる。少しオーバーか?
運の悪い人に多いのは「甘さと狡猾さ」を持った人である。それなら私だけなく、
別に誰でもその人間の将来を見通せる、何故なら誰もそれをもっているからだ。

その逆を重ねていくということか。
ーーーーーーーーーーー
H0605般若心経のすすめ  

十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”
という講演で般若心経のすばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。
その内容は
ー運を良くしたいと思うなら「般若心教」を暗記して、コトあるごとに
言っていなさい、そうすれば運が自然とつきますよーということ。
今まで何万回唱えただろうか。当社では入社教育で丸暗記が必須となっている。
二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。
十年間の経験より(私の実体験より)直観した事を列記すると
?自分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
?心臓音に波長があっている(リズム)
?α波がくみこまれている
?“念”がこの中に入っている
?お寺・神社等で唱えるとTPOとして、その場のイメージが鮮明に残る
?情報雑念等を切断、整理をする働きがあり結果として“運=無意識の判断”
を左右する。
?これをくり返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき自己の中に
その中空がつくられる
?夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、
等々限りない

・・・・・・・・
2003年08月06日(水)
854, 閑話休題
 全くテーマが浮かばず如何してよいか解らない日がある。
まあほとんど毎日だが。そこが面白い面もあるが。
それでも強引に書いた文章ほど後で読むとよいから不思議なものだ。
そうこう考えていたら、あるホームページに「閑話休題」というテーマがあった。
これから無理にテーマを決めないで、時々「閑話休題」で書きはじめることにした。
書いた後でテーマを書き換えればよいし、そのまま閑話休題としてもよい。
 野口悠起雄の「超文章法」の中で、テーマの探し方に「窓から飛び降りそうなくらい
大変なものである、考え尽くしてひねり出すしかない」と書いてあったが、
それを読んで学者でもそうかとほっとした。それと「文章上達は量をこなして、
校正と推敲を重ねるしかない」と本音で書いていた。結局は努力努力努力しかない。
 一見なにげなく書いてある文章に、それだけのエネルギーと時間が入っている。
逆にいえば、プロほど想像を絶するほどの絶対量と、その校正と推敲を重ねているのだ。
これはすべての分野にいえることで、プロの世界はそうそう甘くはない。
気楽な「閑話休題」を、時たま挟み込むのも本音がでて面白いだろう。
いまもテーマを意識しないためか次々とキーが動いてくる。
 話は変わるが、昨日隣家で建前があった。
100坪の敷地に二階建てで延べ50坪位の結構大きい家だ。
夕方帰宅したら、屋根の下地も含めて建前が終わっていた。
家内が言うには「20~30人が蟻のように取り付いていた」とか。
夕方には子供たちを集めて、上棟の祝いで何かをばら撒いていたという。
大きいクレーン車が次々と加工された材木を吊り上げ、鳶が組み立てていく。
いま流行の何とか工法という奴で遠くの工場で加工して持ってくるのだろう。
 新しい家は、その人たちにとって仮の天国の世界の創造である。
本人達はいまが一番嬉しい時期だ。いままでは隣家に広い庭の空間があったが、
これからは光が少なくなる。仕方がないが。

・・・・・・・・・
2002年08月06日(火)
479, 楽観と意志

「楽観は意志、悲観は感情」
この言葉と出会って、「楽観の意味」が始めて理解できたようなきがした。
そういえば若い時ー理想に燃えていた時、その背後には悲観という不安が
大きな口を開けて足元にあった。
若い時期の楽観はあくまでも虚構のような夢の世界であった。
その正体が意志であった事がこの言葉を知るまで解ってなかった。
それだけ強烈な言葉であった。悲観はただ流されている喜怒哀楽でしかない。
そういう悲観に占められていた時期の自分は、ただ感情的世界でしかなかった。
鬱の自分はそう感情の世界にドップリつかっている意志喪失の自己の世界である。
常に鬱の人は教養のない感情に支配されている人が多い。
また非行動的の人が多い。行動の、行は仏教語で判断という。
動はあくまで動物の動きでしかない。行動は意志が入った動きだ。
行動的ということは楽観が勝っている状態と云える。
私の周辺の80?の人は悲観的な感情に支配されている人だ。また非行動的の人が多い。
行動的かつ楽観的の人はその背後に強烈な意志が隠されている。
楽しかった過去を思い出し楽しみ、将来の楽しみの計画をたてている
今。それに過去の計画を実践している今。
それが楽観であり、意志である。

・・・・・・・・・・
2001年08月06日(月)
[100] あら!たのし

難しいことをやさしく!
やさしいことを深く!
深いことを愉快に!    (井上やすし)

井上やすしの本を読んでいて納得して、彼のように紙に書いて
机の電気スタンドに張ってある。彼の言葉じゃなくて誰かの言葉を
彼なりに変えた言葉だが。コツとか要領を旨くついている。
天才はそれぞれこの方法を子供の時より造りあげていた。
考えている対象の文章化とか、ゲーム化とか絵画化とかして。
楽しみまで高めるのはそう簡単ではないが、でもやってやれないことはない。
「四S主義 = シンプリフィケーション  スタンダーディゼーション 
スペシャリゼーション  セグメンテーション 」
というチェーン理論のベースになる教えも、これに