つれづれに

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 今日はシネマの日だが、雨が降っているし、何時もドンパチの映画ばかりなので、
少し普段見ないような『ディズニーの約束』をみてくるか!
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 季節の変わり目、二週間前から腰痛が出てきた。早朝、少しひやしたため。
ヨガを一回、休み、腰を温めているが・・・ 少し、よくなってきた。

 夜は、飲み会。一次会で帰って来る予定。
  


・・・・・・
1827, 日本一短い手紙「私へ」
2006年04月04日(火)
                 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
                -読書日記              
{「私へ」の手紙}といえば哲学的にいえば、 {即自から対自への手紙}ということになる。
だから万人に共通する言葉であり、一言一言が響いてくる!
あの歳の、あの場所で、あのケースで、呟いていた自問自答の言葉がある。
これほど奇麗事の言葉ではなかった。
ふて寝をしながら、涙を溢しながら、時間の過ぎるのを待つしかなかった。
こんな言葉が心の奥から聞こえてきたら、あれだけ傷はつかなかっただろう。
 この本の中で
「私にしかできないことがある。
 きっとある。 今は分からない。」 という言葉がある。
 この言葉には、希望と明るさがある。
絶望の海に溺れてしまった息苦しさの上の言葉には聞こえない。
「私へ」という自分が、そこにある!
それだけで、明るさがある!    それでよいが。
私の自分への言葉を、いま思いついたまま書いてみる。
 --
 まあ、いいじゃないか!
 それで、いいじゃないか!
 これしか、なかったじゃないか!
 それも、これも、 どうでも、いいじゃないか!
 
 ほんとうに、これでよかったのか?
 ほんとうに、あれでよかったというのか?
 
 まあ、いいじゃないか!
 これで!
 他に、しかたなかったじゃないか!
 ー

 歳を重ねると、こういう自問自答が多くなるのだろう。
それが老いるということである。
気持ちは青年のままでいたいものだ!
せめて年寄り臭い奴の傍には近寄らないことである。
そのためには常に感動、感激を求めることだ。             
                   お茶どうぞ 且_(゚◇゚ )ノ゙
ーー
日本一短い手紙「私へ」
 一筆啓上賞
おいおい そんなに落ち込むなって
人生少しわかりかけてきたじゃないか。    浅原昭子 青森県黒石市 40歳
お前の大きな財産の一つは、
いじめの痛みを知ってることだ。       荒平翔太 熊本県菊池郡合志町 17歳
コノセカイニ アタシハヒトリダケ
ソレハアタシヲ ツヨクスル         海道志寿佳 福井県坂井郡丸岡町 18歳
ずっと“いい子”の私。
やめたいのに本当の私を忘れてしまった。
私は何がしたいの?             金島道子 広島県庄原市 17歳
私にしかできないことがある。きっとある。
今は分からない。
でもある。きっとある。           黒木かつよ 宮崎県児湯郡都農町 19歳
あなたの心の悲鳴。
聞きとれるのは私だけ。
私とあなたの寂しい関係。          竹田飛鳥 東京都江東区 15歳
お願い、
黙って、
私が努力している綺麗な夢の孵化を、
手伝って…                 陳許玉蘭 台湾 72歳 主婦
一人で来たブラジルだけど、今は五人。
俺が我家のル-ツとはくすぐったくなるな。  堤剛太 ブラジル 52歳 会社員
アホでいるこっちゃ。
オサキにやるこっちゃ。
エライこといわんこっちゃ。         根市政志 青森県三戸郡福地村 65歳 無職
過去の僕よ、犬を飼わないほうがいい、
別れる時が、辛いから。           野村朋史 神奈川県藤沢市 14歳 中学3年生
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他にも、多くの印象的な言葉があった!
その一つが以下の言葉である。
自分に壁を作るのはやめよう。
見えるものも見えなくなるから。
自分の可能性は限りないから。
ー自分の現在の壁に気がついているのだろうか?
タダ、その気持ちはだいじだが。
次は、これ以外の響いた幾つかを抜粋してみる。
               ε(´',_c')зβyё☆βyёε('c_,'`)з゛    
・・・・・・・・
2005年04月04日(月)
1462, 永遠に生きるように学べ

学生時代に、「永遠に生きるように学べ、そして明日死ぬかのように生きろ」
という言葉に出あった。最近、再びある本で出会ったが、年齢を重ねたためか、
この言葉の重さ・深さを改めて実感する。
母親が向学心が強い人で、その後姿を見ていたので死ぬまで勉強の必要性は感じていた。
その都度、自分も社会も変化していくのだから、基盤も変えていかなくてはならないのは
至極当然のことである。
年齢を重ねるほど、経験の裏づけが多くあるので吸収度が高くなる。
せっかく地球に生まれてきて、80年の時間を貰ったのだから、
地球のこと、宇宙のこと、そして人間が長年かけて積み上げてきた知識・文化を
可能な限り見て・知って・経験するのが、人間の生きる最大の目的になる。
自分で意識をしてこの言葉を自問していないと、虚脱感の強い・虚無的な人になってしまう。
「もう歳だから何で勉強をする必要があろうか」
「まあ世間様と同じように何事なく生きていれば良い」
と何もしない生き方になってしまう。
それならまだしも、真っ当に生きている人に対して批判をするのが
趣味になってしまうから、自分に対して更に害を及ぼすのを自覚できない。
90㌫以上?が、私の見る限りそうである。 いや、もっと多いか。
その辺で老人同士が、いい歳をして人の悪口を言っているのをみると、
思わず顔をそむけてしまう。それまで生きてきたようにしか歳をとれないのはわかるが。
「永遠に生きるように学べ」は「死ぬまで勉強」と、同義語であるが、響きが明るいのが良い。
「明日死ぬかのように生きろ」は人生のコツである。明日死ぬかもしれないのが人生である。
だから「いま、ここ」を大事に生きなくてはならない。一期一会である。
いま、ここの一瞬は永遠である。生きているとつくづく、このことを実感する。
この随想日記も、そう思って気持ちを集中している。何十年後に子供が読んでも、
この今の一瞬の集中の閃きは、そのまま言葉の中に永遠に篭っているはずである。
若き老人達よ,この言葉を自分の手帳に書いて、繰り返し読むことを勧める。
最低千回は口ばんでみるべし。「15歳で自分の人生を投げ出してしまった貴方のこと!」
「自分のこと!?」
「そう!」
 
・・・・・・・
2004年04月04日(日)
1097, 落し物
 散歩をしていたら熱くなってきたので、ベストジャケットを脱いだ。
持っていた折りたたみ傘をそのジャケットに入れたところ、いつの間にか無くなっていた。
傘はどういうわけか愛着がある。散歩道で15分前にジャケットを脱いだのでその時
落としたのだろうと、その道を取って返した。
ほとんど誰も歩いてなかったので、そのまま落ちているだろうと下を向いて
道を探したが見当たらない。いま時、傘を拾う人もいないだろうにと思い
拾った人は(私なら)如何するだろうかと考えた。
「おそらく目立つところに置くのでは?」と思い浮かんだ。橋の欄干ではないか。
今度は下でなく、目立つところ見て歩いたら、やはり橋の欄干に置いてあった。
拾った人が分かるようにそうしたのだろう。いまの日本人にはそういうところが残っている。
 傘は平均2年に一度は無くすが、後味の悪さがどうしても残る。
新幹線通勤で降りた瞬間、気がついて何度か引き返したことがある。
 15年前、生の現金を封筒に入れたまま、数万円を落としたことがある。
泥酔をしての事だ。長岡駅の交番にいったところ、うけあってもらえなかった。
「奥さんに言えない金を使ってしまって、狂言ではないか」と言われた。
怒りさえでなかった。「なるほど、そういう見方もあるんだ!」と驚いてしまった。
じつをいうと、数万入った財布をいま一度落としたことがある。この時も出てこなかった。
学生時代に5000円の入った財布を落としたことがあった。
それは警察に届いていた。500円のお菓子を持ってお礼に行ったことがあった。
明日は、拾い物について書いてみる。拾い物は以外と少ないものだ。
落し物は数知れずだが、記憶に残るものはこんなものだろう。
 
・・・・・・
2003年04月04日(金)
730, 「ほめ芸王」ー読書日記

ー褒め上手は芸のうち
営業を何年もやっているうちに身につける芸である。
口先だけの営業手段として、ただで一番効果のある手段だ。
十年以上営業をしていれば、営業術から営業芸にランクアップしてしまっている。
キーマンに会ったときの枕詞として、「さて今日は何の褒めネタでいくか?」
と考える。それが営業の第一歩であり、まずは切り口となる。
今日の芸はどの程度であったかを日記に克明につけたらプロであろうが。
「どっこいしょ」と持ちあげて、次に相手を落とすのだ。
「どっこいしょ日記」に、おだて上げと落としの日記を克明に書けば
いかに人間は幼いものと解ってくるだろう。人間は誰も褒めて欲しいのだ!
ー「ほめ芸王」の内容の一部を抜粋する
・わたしはほめない、ほめちぎるのだ。
 ほめるのでは足りない、ほめちぎらなと、ほめたうちにならない。
・「ほめ下手の人は、ほめているものの、相手を見下げている。
 ほめるということは、見上げる事である」
 -これは言いえて妙である。「このことに関しては全然あなたの方が
 上ですね」という言い方にすれば、相手も受け入れる。
・「ほめることは簡単だ。しかしほめ続けることはむずかしい」という。
・「感嘆」に勝るほめ言葉はない。
・ほめるとは相手を語ることではない、自分を語ることである。
 自分のほめ方は自分にしかできない。
・相手をほめることで、自分自身の存在を確認する事ができるのだ。
 神様の心にならなくては、ほめることができない。
 ほめることで神様の心になれるのだ。
 怒った顔で、ほめる人はいない。
 ほめる時、人は誰でも、神様になれるのだ。
 ほめるとは、感動である。
 ほめるとは、感謝である。
 ほめるとは、感激である。
 ほめることで、二人の人が幸せになる。
 一人は相手。そしてもう一人は、あなた自身なのだ。
感想ーどうもほめる事は難しい。自信がないのだろか。
やはり営業でそうせざるを得ない立場の人は身についている。
私がほめると効果てき面だが、軽々しくほめたくはない。
まずは顔色からほめるのもよいが。
家内を実験台に少し始めてみるか!
少なくとも貶すのはやめよう!

「ほめ芸王」中谷彰宏
・・・・・・
2002年04月04日(木)
366, 速読法
先回も書いたが、速読法という本を読んでいて吃驚した。
一つ一つの語句に目を合わせるのでなくて、一度にページ全体を眺め、
フォトフォカス状態で文書を眺める。意識下でなく、無意識下で
その文書を取り入れてしまうものだ。
初め読んだ時、本当かと疑ったが、実際やってみて驚いた。
見開きの2ペジの中央に目を合わせ、それを4つかどの隅に全体の視野を
広げていき、ジッと10秒ぐらい見続ける。
そして再び、一ページ単位で中央に目を持っていき、それをまた意識を
そのページの隅に持っていき10秒ぐらい見続ける。
そして文章を読むと、通常の数倍の感覚で文章がスラスラ読めるのだ。
目そのものがスキャンの能力をもっているのだ。
もし疑うなら実際やってみればいい。人間の脳力の凄さの一端をみたおもいだ。
一回めくる度に4秒をかければ、250ページなら20分かかるが、
かなりの情報が脳に記憶されるという。
・・・・・・
<お笑い>
ー幽霊が出てきた
「何かよーかい(妖怪!」
「この化け(あ)もん!」
「YOU-霊?」
立川談志が癌になって
「おれガンマニア!、  ガンファイター! 
 指きりガンマ    おれガン張るよ」