* 高速道路のサービスエリアで高額品が売れる訳
 先日のモーニングショーで、「何ゆえに、高速道路のサービスエリアで高額品が売れる?」を、テーマにしていた。
これは長距離移動で車中に束縛された反動で、そのストレスを発散しようとする無意識のはたらき?を、二組の
男女学生5人で試みるもの。 まず一組目に郊外の川辺で散歩させ、その後、寿司屋で自前で松竹梅を注文させた
ところ、一人だけが松を選び、他4人は竹と梅を選んでいた。もう一組には、目だけ空いた仮面を被って同じように
散歩をさせ、同じ寿司屋で注文をさせたところ、全員が松を注文をしていた。 この結果、ストレスが高額品を
選ばせる証明と結論づけていた。 10年ほど前の話。 新潟の、ある親睦会で、知人が大きな手術後、暫くして
出席をしてきたおりに、「退院直後、何が無性にしたくなったか、分かりますか?」と、全員に問いかけてきた。
「驚いたのは、買物! とにかく何か買いたくなる衝動には、我ながら驚いた」と。 成るほど、ストレス解消には
買物が良いようだ。 女無頼作家の中村うさぎは、重度の買物症候群をネタをエッセイ風に書いている。
買物の殆どが買ったままの袋詰め状態で、一室に山積み。 それも高額のブランド品もあり、借金地獄の実録の迫力は、
すざましい。以前からムシャクシャすると、スーパーか、百円ショップで買物をするが、お陰で、机周りと居間は、
得体の知れない小物が溢れている。 可愛いものだが・・ 百均はミニ・ディズニーランド。商品はネズミ?!
   * ローリングストーンに苔ははえない
「転がる石には苔が生えぬ」とは、同じ場所にとどまらない石には、苔も生えない事象を肯定的にとられている。
私は今まで、頭も身体を動かしていれば病にならないなど、マイナスにとらえていた。 本来は英国の諺で
「A rolling stone gathers no moss.」で、「職業や住まいを転々とする人は成功できない」という意味で使われるが、
米国では「活動的にいつも動き回っている人は能力を錆びつかせない」という意味で用いられる。この違いは、
イギリスは保守的、アメリカは改革的な考え方をするためである。 類義語では、「度々植えかえる木は根が張らない/
使っている鍬は光る/転石苔を生ぜず/流れる水は腐らず」などある。30年前からは、身体と脳をフル回転させて、
ウツ病とか、ガンの予防対策にしていたが・・ 
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4402, 自分の世界の自覚  ー世界内存在
2013年04月05日(金)
   * 象の皮膚の皺につく寄生虫     「知的余生の方法」渡部昇一
 10年位前に、何か哲学書の中で、象の皺を全世界、そこにつく寄生虫を人に喩えた「世界内存在」の説を知った。
寄生虫は、全体の象の姿を知ることが出来ない。だから旅行や小説などで時空を超えて象の皺から出てみないと・・
この随想日記でも度々、世間とかいう枠組の批判に、この喩えを使ってきた。 ーその出所が、ここに詳しくあった。 
≪ 象の皮膚の皺につく寄生虫は、自分がくっついているその皺だけが自分の全世界で、象がどのような形をしている
 動物かも知らないーというようなことを言ったのは仏の哲学者ルコン・デュ・ニュイユイ。このように虫の立場から
見る世界とか、鳥の立場から見る世界とか、人間以外の動物の目から見る世界という「視点の転換」を教えたのは
J・J・ユクスキュルというドイツの動物学者である。哲学史でどう取り扱われているかは詳しくは知らないが、
人間の思考法を大転換させる業績だと思う。・・・(略)
 ここから類推すると「人間は世界内存在である」という場合の「世界」は、人間の五官が認知できる世界ということになる。
縦、横、深さの他に時間を入れてもせいぜい四次元の世界である。五次元や六次元の世界がどのようなものであるかは想像も
つかない。音も光も人間が五官で羅できる周波数の範囲は限られている。それは象の皮膚の皺の中の寄生虫には星が存在せず、
梅の香りが存在しないようなものでないか。人間は五官の世界内に閉じ込められている。これから逃れる方法がない。
この状況を「人間の世界内脱出不可能性」というらしい。・・・(略)
 人間は、象の皮膚の皺の中に住む寄生虫とは違う。人間は自分が五官の世界内に存在していることを知りながら、
そこから脱出しようという努力をしたり、脱出することを祈ったりするからである。そしてそれに成功している人もあると
主張する人もいる。それがオカルトである。オカルトとは、つまり五官と時間の囲い込みを超越しているという意味である。
どの宗教の神様も人間の世界内に閉じ込められてはいない存在だ。だから有難いのである。
 神様とはいかないまでも、超能力があるという人もある。ある宗教家には私の前世がわかるという。私の霊魂は在原業平
ベンジャミン・フランクリンのそれだったという。二人とも私が好きな人であり尊敬する人でもあるから悪い気はしないので、
それを信ずるわけでないが、有難く承っている。こういう認識の仕方は、人間の世界内存在の状況を完全に超越している
普通の人間は、解剖学的制限の下にある。これが哲学的に言えば「世界内存在」の実体である。だから解剖学者はオカルトの
世界を認めない人が多い。人間はいくら解剖をし、すぐれた顕微鏡や検査法を用いても、その存在は認めらないからだ。≫
 ▼ カントが同じようなことをいっていた。人は5感の範囲でしか、経験の範囲内でしか認識できない。認識できた範囲を、
  対象に貼り付けているだけ。「知っている範囲しか、知り得ない!」当たり前のことだが。これが自覚できないのが問題。
  カナダのロッキー、テーブルマウンテンケニアの大草原、カラコルムハイウェーなどなど、どれもこれも、
  想像を遥かに超えた世界であった。問題は、帰国し日常に帰った時、象の皺の世界が逆照射し見え、元に戻れないこと。
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4028, シングルイン、31年間の総括 ー8
2012年04月05日(木)
   * 3・4の法則
 あるコンサルタントの先生から教わった「へ」の字の「3・4の法則」がある。
「上手くいった新店でも、そのままだと3年上りで、下り4年になる。4年目から右上がりを続けるためには、二年から
新たなへの字=革新をつくり続けないと4年目から下りに入り7年で死に体になる。 この法則からすると、ホテルの場合は
長期物件もあり12年上りで、下り18年とみると、確かに、その通り。 事業とは時流の先取りを事業化をしてバブリ、
最盛期から空気の抜けたように萎んでいくのが自然の姿。 新潟駅前シリーズの事業も創業10年目にソ連・東欧の崩壊と、
日本経済のバブルが崩壊した。それからしバブル崩壊の数年以内にホテル事業を売却すべきだったことになる。 
終戦直後に生まれ、右上がりの時代に少年・青年期を過ごした体質からして無理か。 バブル崩壊が日本にとって、
衰退期へ大断層だったのを読みとくことが出来なかったのである。 偉そうに書いているが、これが私の限界。 
バブル崩壊時に郊外型ビジネスホテルを考えたが、実際は、駅前の280室を500室に増加の戦略ミスの選択をした。 
それが18年の下り坂の節目。 1985年のプラザ合意で米国にバブル政策を強いられ、その結果のバブル崩壊
日本は致命的打撃を受けた上に、10年後の2001年の9・11テロと、2008年のリーマンショックである。
私の事業も日本経済と全く同じ運命を推移してきた。 人生も7年か8年で一節。 前半上りで、後半下りである。 
その辺りを人生計画に嵌め込めば良いが・・ 女が7年、男8年というが、振り返ると、大方あてはまる。
同じ体質を保つに不断の改革が必要というのが、「3・4の法則」だが、失敗するには、それなりの理由がある。
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3662, 閑話小題
2011年04月05日(火)
  * 大相撲の八百長処分
 大相撲の八百長処分が発表され、23人の力士と親方が事実上、角界から追求。
幕内6人、十両9人というから、影響は大きい。私が知る限り現親方も含めて9割が日常的に八百長が行われていたみるのが順当。 
「今さら何が八百長?、何で自分だけが」と追放された力士は合点がいかないのは当然のこと。まだまだもめるはず。 
日本的談合社会の縮図が、そのまま現れた事件。 結果からいうと、情報化が、それを許されなっていたことを察知して
談合システムを変えるべきだったが、伝統を重んじる古い体質が、それについていけなかったことになる。
今後も大相撲が続く限り、この問題は続くはず。伝統芸能の一環として、目くじらを立てすぎるのも問題あり。
  * 都知事選挙TV討論をみて
 日曜日の朝7時半の「新報道2001」をみて、現知事と他の候補のレベルの差に驚いた。
一同に集め議論をさせると、その差異から、それぞれの質が見えてくる。 石原慎太郎が良いということでなく、
他が東京都知事としての素質がないのが、議論の中身から感じ取ることができた。恐らく、石原がたたなかったら、
あの方々の一人が、選出されると都政は滅茶苦茶になると危機感を持ったフィクサーが、石原の引退をとどめたのだろう。
この大震災の中で、他の誰に都政が任せられるというのか? 一応、日本の首都の首長を考えると・・・
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3297, 不思議現象の正体を見破る ー2
2010年04月05日(月)
 * 手品師 ユリゲラーの超能力
 ユリゲラーも、当時からマスコミに、その正体が暴露されていた。それは後として、私より一歳齢下のイスラエル
ユリの経歴に興味をそそられた。1946年12月30日、テルアビブに生まれた。少年期に両親が離婚、キブツに入れられ、
色いろあって、15歳でスパイ組織に加わり、2年間の訓練を受ける。そして21歳の1967年にイスラエル兵として
第三次中東戦争に従軍し、戦場で負傷してリハビリのキャンプに送られて療養生活に入るが、そこで、シュトラング
(通称シュト)と知り合い、本格的なマジックの練習を取り組み、初めは友人の誕生パーティーなどで演じていたが、
後には、クラブのショーなどに出るようになる。得意な演目は「ツゥー・パースン・テレパシー」と呼ばれるもので、
目隠しをしたユリ・ゲラーに悟られぬように一人の観客が黒板に数字を書き、全員が確認したところで跡形もなく消してしまう。 
すると、ユリ・ゲラーがおもむろに目隠しを外して、観客に数字のイメージを念じるように要請する。
つまり観客が念波をユリ・ゲラーがとらえて当てようというわけ。 そこで、お客に念じ方が足りないとか、色いろけしかける。
やがて、おもむろに「5でしょう」などと、当てる。 何とことはない、観客席に居るシピが「はなを触ったらといった暗号に
基づいて信号を送っていただけの話。 あまりに単純のため劇場の支配人にまで見破られたが、それでも止めようとしないので、
裁判沙汰までなっている。 有罪の判決で、営業停止になったが、今度はアメリカからプハーリクなる超心理学者がきて、
ユリのショーを見て「超能力」と信じ込んでしまった。 さあ、これが大変な切っ掛けとなった。
 彼はユリをアメリカに連れ帰って、スタンフォード研究所でテストを受けたが、これが、いかに杜撰だったようである。
相棒のシュトが、明らかに巧妙に信号を送ったかが、その結果からして窺える。 その実験は中途半端で中止された。
 しばらくはスプーン曲げなどで世間を、アッといわせたが、アメリカのTV局も考え始めた。
プロのマジシャンと相談してカメラ・ワークを緻密に設定し、ユリ・ゲラーの側にマジシャンを監視役に立てたところ、
彼の売り物の超能力は全く起きなかった。 これは英国と同じ結果となった。 ユリは成功すると、サスガ超能力者、
失敗すると、体調次第で念の集中が上手くいかないこともある、とされるようになった。 アバタもエクボである。
ユリが1974年に日本に上陸、TVに出演した。(私も、その番組を見ていたが・・)まずはスプーン曲げで仰天させた。
当時のマジックにはスプーン曲げなどの演目がなかったので、日本人もすっかり騙された。 その後、日本の少年Sも、
その超能力があると、一世を風靡したが、後に週刊誌のストロボ撮影を通じて、トリックが暴かれた。
何とことはない、投げる瞬間にスプーンを絨毯に押し当てて曲げてから投げていたのである。 ー つづく
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2922,中沢新一の『三位一体モデル』 −1
2009年04月05日(日)
 『三位一体モデル』中沢新一著  −読書日記
図書館で何気なく借りて、目を通したところ面白い本である。特に、キリスト教イスラム教の違いと、その争いの元を
解りやすく書いている。三位一体とはキリスト教の考え方で、西欧の考え方でもあり『父』『子』『精霊』を指す。
それぞれの円が三つ重なりあっている図を想像すれば良い。
・『父』は 物事の基本になる普遍的なこと。哲学や理念などが含まれる。
・『子』は 『父』のベースを具体化する存在。 
・『精霊』は 子の働きにより、増殖するコントロール不能な物もの。(販促、宣伝など資本主義の増殖を助ける役割を担ってきた)
 この3つがバランスよく配置されることで物事の意味や本質が捉えられ、すべての問題はこのバランスをみると理解出来ると言う。
 会社をみると『父』は理念や社会還元、『子』は会社そのもの、『精霊』は販促や生産活動。
『父』の不在が、会社を迷走させることになる。社会問題の多くは、社会の父たる規範が無くなっていることから始まる。
『精霊』はキリスト教社会の中で不可欠なもの。 イスラム社会では『精霊』にあたるものがない。偶像廃止も、
 この辺からきている。(お金でお金を生んでだめ<株>はいいらしい)
 そのためにイスラムの銀行は利子がつかない建前をとっている。 資本主義の『精霊』に頼る経済はイスラム世界にとっては
『堕落』そのもの、『9.11テロ』でニューヨークのWTC(経済のシンボル)に突っ込んだのも、その攻撃行動という。
 この本は100ページも満たないが、多くの示唆が含まれている。    ーつづく
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2558, 爪もみ療法
2008年04月05日(土)
ある本を読んでいたら、「爪もみ療法」という聞きなれない健康法があった。そこで早速ネットで調べてみたら、
以下のようにあった。
 【爪もみのやり方】
・爪の生えぎわの角を反対側の手の親指と人さし指で両側からつまんで揉みます。
・一カ所を十秒ずつ、症状に対応する指は二十秒ずつ、揉みます。
・以上を一日に二から三度行います。
・少し痛いくらいの強さで刺激する。
・薬指だけを揉むことは避ける。(薬指は交感神経を刺激する指のため。他の四本指の刺激と一緒に行なう)
   (字数制限のためカット 2010年04月5日)
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2007年04月05日(木)
2193, やまあらしのジレンマ                 オッ(*^○^*)ハ?ヨウ!
 ショーペンハウエルの「やまあらしのジレンマ」の話が面白い。
  ーまずは、その内容からー
あるところに二匹のやまあらしがいた。冬の朝、寒いので二匹のやまあらしは互いに暖めあおうとして身を寄せあった。
しかしあまりに近く身を寄せあった二匹のやまあらしは自分の体に生えているハリで互いに傷つけてしまった。
そのため二匹のやまあらしは相手から離れたが、また寒くなった。そこでふたたび二匹のやまあらしは身を寄せあったが、
また互いに相手を傷つけてしまう。このように二匹のやまあらしは離れたり近づいたりを繰り返し、「最適の距離」を見いだした。
 ▼ この寓話は、我々の心は「寒さ」と「痛み」のジレンマの中でしか「最適の距離」を見いだすことができないことを提示している。
 やまあらしのトゲとは、人間の自我(欲望や、社会的立場、感情)をいう。青年期は自我の一番強い時期、だから青春期の恋愛は、
トゲとトゲの刺しあいになり、愛しあうほど傷つけあうことになる。その繰り返しの中から、お互いの最適な距離感を身につける
ことになる。青年期は、傷つきやすい時期でもある。その傷の癒しを他の対象に求め、そこで更に深く傷つくのがあたり相場。
癒しを他に求めること自体が次の傷をつくる準備をしていることになる。そのこと気づかないのが若さからくる無知。
孤独は人間の本質的なことであり、それをしっかりと自覚していないと、傷口がどんどん広がり、化膿していく。夫婦関係にも
言えることである。トゲとトゲの差し合いを今だしているが、互いの皮膚が30数年の結果、痛みを殆ど感じなくなってしまった。
適当の距離感とは、=あまり親密にならないこと!である。 青年期に女性も友人も、ある距離に近づくとトゲが全身から出るのを感じた。 
あれが、自我だったのだ。今もそうだが! トゲは必要である!自己を守るためにも。しかしトゲの先は丸くしておかなければならない!     

                    • -

2006年04月05日(水)
1828, ずっとやりたかったことを、やりなさいー5゜
   +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ       ー読書日記
 ーアーティスト・デートー
「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており、今までの経験や年齢等に関係なくアーティストとしての創造性を
秘めている。そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが)その才能にアクセスする方法がある」という。
ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家
といった俗にいう「アーティスト」だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる「創造性」の開花をいう。
その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。特にクリエイターの方々(デザイナー、各種コーディネーター、ライター)
には参考になる方法である。机上の空論ではな、才能開花のための実践的なトレーニング法が12週間という
具体的なプランに落としこまれたトレーニングプログラムである。本を読みすすめていきながら書かれている通りに、
一週間約30ページずつ、作業を進めていけばよい。そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と
「アーティスト・デート」。先々回はモーニング・ページを紹介した。今回は「アーティスト・デート」である。
 ーその一部を本文より抜粋してみると…
アーティスト・デートとは具体的に何なのか?それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、あなたの創造性の象徴である
「内なるアーティスト」の育成に専念することだ。もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、
あらかじめ日時を指定しておくデートであり、他人の進入を禁じた時間だ。「アーティスト・デート」には部外者を
同行させてはいけない。行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、つまりあなたの「想像する子供」だけだ。
恋人も、友人も、配偶者も、子供もだめ ーどんな肩書きの人もお断りだ…
 ▼ 以上だが、要約すると「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」
  ということ。私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に「アーティスト・デート」と気づいた。
   ーそれ以外にこの本で印象的なことを抜粋してみる。
《怒りは耳を傾けてもらいたがってる。怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。
  (字数制限のためカット 2012年04月5日)
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2005年04月05日(火)
1463, 「虚構の王国」ー NHKスペシャル
一月前ほど前、このHPで堤義明のことを書いた。ところが、その内容についてTBSの記者から電話が入った。
自民党の歴代の派閥の長が首相になると3億の祝儀を彼が云々・・」と書いたが、そのニュースソースを知りたいとの問い合わせ、
「翌日の、報道番組に取り上げたい」。キーワードで検索をして、知ったようだ。「ヤバイことを書いてしまった!」と、
少しパニック状態になってしまった。しかし、10年程前には誰も知っていた話である。年代が変わったのだろうと、
知人に何人か聞いてみたところ、「現在はどうかわからないが、当時は流布していた」と聞いてホッとした。
ところで先日、NHKスペシャルで「虚構の王国」ー西武鉄道土地神話の五輪計画とサミット・闇の株式取引ー
というテーマのドキュメントを放送していた。 その最後のナレーターの言葉が印象的であった。
「虚構の王国の向こうに見えたのは、戦後日本の実像である」この言葉は、現在の日本のバブルの崩壊の姿そのものである。
インフレ時代の勝ち組が、現在負け組に変わっている。最後のバブル崩壊の象徴として西武が浮かび上がってきた。
(字数制限のためカット 2012年04月5日)
ーーーー
2004/04/15  1108, 西武鉄道・堤会長の辞任
(以下、字数の関係上カット2008年04月05日)
・・・・・・・
2004年04月05日(月)  
1098, 拾い物
拾い物は殆ど無いが、それでも幾つか記憶が残っている。10年ほど前になるが、池袋のサンシャイン・ビルで何かの研修で
行った時のこと。腹の具合が悪くなりトイレに駆け込んだところ、カードと現金が数万も入った財布が忘れてあった。
現金だけを抜くという手もあるのかなと頭によぎったが、過去に一回もそういう経験をしたこともないし、
良心に対してマイナスになる。早速、案内嬢のところに持っていくと、係わり合いになりたくないというのがアリアリ。
(以下、字数の関係上カット2013年04月05日)
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2003年04月05日(土)  
731, 前提を疑ってかかるという事
 「縦社会の人間関係」
「縦社会の人間関係」という中根千枝の本を学生時代のゼミで読まされ、それに対する議論をした事を思い出した。
  ー要旨はー
「日本社会は蛸壺のように縦社会になっている。これは島国特有の社会であると同時に、江戸時代の藩体制がそれぞれの
縦社会をつくった。西欧社会はそれに対して資格社会であり、横社会である」であった。
(以下、字数の関係上カット2013年04月05日)
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2002年04月05日(金)
 367,「携帯TV電話」は究極の情報機器。
5年前、マスコミで聞いた内容である。それが今年から始まったのである。「携帯電話」が我々の生活を劇的に変えた。
(以下、字数の関係上カット2013年04月05日)