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このところの午後三時過ぎには、ほぼ信濃川の長岡大橋から
大手大橋を一周するポタリングに出ている。この冬の、毒素が面白いように
出ているような心地になる。活性酸素というやつなのだろう。本来は早朝だが、
まだ寒さのため、連休明けからになる。
・・・・・・
2183, --つれづれなるままに--
2007年03月26日(月)
(~Q~;) おはよう~~ファ~
* 閑話小題
ー大相撲についてー
大相撲は、初日と千秋楽が特に面白い!と随想日記で何度も書いてきた。
十両以下の優勝決定戦が千秋楽にあるのも楽しみの一つである。
今場所は白鵬が優勝をしたが、朝青龍との決勝決定戦で立ちあいで、飛んで叩いて
勝ったためか、後味の良くない終わり方をした。この数年は朝青龍時代である。
白鵬が横綱になって「両横綱」という存在があってこそ面白くなる。
相撲の日本での成り立ちは、神社への奉納のための力自慢の演芸?である。
朝鮮系ーモンゴル相撲が原点の可能性があるから、神社は朝鮮系であるから、
原点?回帰になってきた。
ー春がきたー
この時期は多くのスポーツが重なる時期で、何ともいえない熱気がある。
プロ野球のオープン戦と開幕、春の高校野球甲子園、大相撲の春場所、
世界フィギア・スケート大会、サッカーの公式戦など連日おこなわれている。
これに卒業式、入社式と、進級、進学、そして桜の開花と初々しい光の日々となる。
昨日は庭の梅が一輪咲きだした。鴬は半月前から土手で幼い声で鳴いて梅の咲くのを
待っていた。いつ、庭で声を聴けるのだろうか。 春はやはり一年で一番良い時である。
ー夢ー
数日前の夜半、うなされて呻き声を上げていたと、その翌日聞いた。
大した悩みは無いが、憶えている夢の内容は朝のモーニング・ページに
克明に書いている。そんな深刻な夢はみていないが!
月に一度は魘されているという。ところで、昨夜半の夢は、学生時代にいた寮の部屋にいて、
そこに二人の知人が訪ねてきた。当時の知りあいではない。
他の人を訪ねてきたが、いないので私の部屋に上がる・・・
という物語の夢がつづく・・・
ー携帯電話ー
日本と外国との携帯電話では、利用目的が決定的に違うという。
外国の携帯電話の目的は、電話というコミ二ケーション手段であり、
メールなどはあまり使わないという。
現在、携帯電話では外国製で圧倒されているが、数年もしないうちに
日本の携帯電話が世界中を圧倒する可能性があるという。
日本の各社のメーカーの狙いは、「携帯電話の小型パソコン化で、
それとユビキタス(電化製品に組み込まれたコンピュータ化)と、
ネットで結ぶこと」という。携帯電話関連で十八兆円に市場規模があり、
そのシステム構築のプロジェクトが多く進んでいるという。
携帯電話を超小型パソコン化するのは日本の得意とするところである。
デジタル化は止まることはないから、日進月歩の進化は続くだろう。
人類20万年らいの大革命の時代!というが、決してオーバーな表現ではないようだ。
☆~~ヾ・ェ・)oバイバイ!
・・・・・・・
2006年03月26日(日)
1818, あちら側の世界-1
(’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?
ウェブ進化論 -1 ー読書日記
ー概略編ー
新聞広告をみて面白そうだと思っていたが、買って読んでみてショックであった。
(ウェブの世界の深遠をみてしまった!ということで)私のような門外漢でも理解できる
内容がよい。読んで現在進行しているウェブ世界の奥行きの深さを思い知らされた。
というよりGoogleの世界の奥行きを知らされた思いだ。
私の場合、毎日平均数?回はGoogkeの検索を使っているから、
なおのこと理解できたのだろう。そして、5年間このHPを維持してから。
そしてamazonのHPの進化を実感してきたからである。
キーワードが現代のお金で、検索の向こうが現金引き出し機か、何でもでてくる自販機、
という譬えの世界である。ウェブのとてつもない世界が、向こう側で自己飛躍している。
ー資料をGooglの検索で集め、まとめてみた。
ほぼ、この本の概要の7~8割は把握できるだろう。
(このプロセスで、この本を2~3回読んだ効果はあったが。
本そのものの読み方もキーワードを検索をしながら読むと、
理解が早く深くなる。それより、やはり買って読んだほうがよいが。)
ー私の感想文というカタチにしたー
ーー (。・・)_且~~ お茶
ウェブの世界の人達からみれば、何ということが無いかもしれないが
その利用者として、驚きの毎日を過ごしている此方側の自分が、
著者としての当事者のアチラを含めたウェブの世界を鳥瞰している内容である。
ネットの「あちら側」と「こちら側」というユニークな視点で、
Webの進化がもたらす影響を論じている。
Googleの検索エンジンなど情報を取捨選択する方法が広まったことで、Webの世界が変わりつつある。
あちら側とはGoogle、Amazonなどネット上でサービスを展開する世界。
こちら側とは、企業内で閉じた情報システムなどのローカル環境を指す。
・「あちら側」では、Googleなどの圧倒的な資金力と知の集積により、
高品質なサービスが無料で提供されるようになった。
・「こちら側」は、依然として高いコストを投じて、閉じたシステムを開発し続けている。
著者は今後10年間で、システムや情報をこちら側に持つ時代から、
あちら側のサービス、情報を利用する時代へシフトすると予想。
実際、Googleのサービスを利用して、従来なら開発に数億円かかったシステムを、
数十万円で作った企業も出てきている。
私が、この随想日記を毎日書けるのも、あちら側のサービスの利用のお陰である。
IT関連コストの劇的な低下=「チープ革命」と技術革新により、
ネット社会が地殻変動を起こし、リアル世界との関係にも大きな変化が生じている。
ネット参加者の急増とグーグルが牽引する検索技術の進化は、
旧来の権威をつきくずし、「知」の世界の秩序を再編成しつつある。
・ブログ、
・ロングテール、
・Web2.0 などの新現象を読み解きながら、大変化の本質をとらえ、
変化に創造的・積極的に対処する知恵を説いている。
GoogleのようなWeb上の世界で生き残ることができるのは、
1. リソースを持ち、走り続けるもの
2. リソースはないが、独創性があるもの
3. amazonやgoogleのように、競争のプラットフォームを敷くものになる
・衛星写真活用マップ「グーグル アース」、
・持ち運び用ポータルサイト「グーグル パーソナライズ」、
・CDタイプの持ち運び用OS「ブーストOS」
・インターネット上にHDDを所持できる「オンラインストレージサービス」。
のようなサービスなど驚くべきWeb世界の成果である。
パソコンや携帯電話、値段はほとんど変わらないものは機能はどんどん上がり続ける。
ブロードバンドも電話代程度、ブログをやるのもタダ。そんな「チープ革命」の果てに
「総表現社会」が訪れる。 無数の人々が「知」を持ち寄り、「検索エンジン」が
それらを巨大な情報のインフラに組み上げていく。このウェブの世界に起きつつあるこの動きは、
私たちに何をもたらすのだろうか。
インテルの創業者の1人、ゴードン・ムーアが唱えた「ムーアの法則」というものがある。
18カ月ごとにトランジスタの集積度は2倍になる、という法則。
どんどんモノが安くなり、どんどん便利になる。 スピードも加速する。
この半導体の法則の「ムーアの法則」が広い意味で使われるようになった。
つまりIT関連製品は年率30~40%安くなる。この流れは、今後10年は変わらないだろう。
ということは、先ほど述べた『チープ革命』は留まるところがない。
主としてハードウェア分野の革新が、ある値を超えると、もう普通の人が必要なものはほとんど
全部タダ、もしくはタダ同然に近い状態になる。子どもでも、デジカメや携帯を持つようになる。
それが、この「チープ革命」がもたらしたことだ。通信なら、光ファイバーの普及であり、
ソフトウェアであればオープンソースがある。グーグルの検索エンジンを利用するのもタダだ。
この「チープ革命」と「総表現社会」とは密接につながってくる。
自分が表現しようとして不特定多数に配るのは、膨大なコストがかかった。
選ばれた人だけの行為であり、メディアが中心になり、1万人に1人ぐらいの人が表現者として
活躍する時代が続いていた。だが、チープ革命が「誰でも表現者になれる」という可能性をもたらした。
そこで現れてくるのが「総表現社会」である。実際の「総表現社会」とはどのようなものか?
それは不特定多数無限大の「知」の集積化の始まりをもたらしている。
そこでネットの「向こう側」にいる不特定多数無限大の1人1人を、
プラスかマイナスと思うかで、大きな分かれ目になる。
先ほどあったようにこれまでの社会は、1億人の中から表現者を1万人選ぶプロセスがあった。
成績がいい、誰に認められるか、誰の弟子になる、とかである。そのプロセスで認められるようになると、
だんだん傲慢になり、そういう表現をしていない人に比べて、圧倒的に優れたものだ、と思い込んでしまう。
ところが、インターネットの「向こう側」にいる人々は、たまたまこれまで表現行為をしなかった
(しなかった)人たちである。
著者はシリコンバレーに12年住んで、IT産業について考え続けてきたプロである。
著者は「その世界の何か語れ」と言われれば、何についても語ることはできる。
ところが、アップルについて、スティーブ・ジョブズについて語ったとすると、
ネットの「向こう側」には、スティーブ・ジョブズに会ったことがある人や、
アップルに勤めていたことがある人、あるいは一緒に仕事している人達が無数存在している。
そういう、不特定多数無限大の人々の「知」の集積と比べれば、
全く優位性などなくなってしまうのだ。
ー不特定多数が参加する「ウェブ社会」では、本質的な違いとして、
表現する道具が安くなったことで、カジュアルに、誰もが表現が
できるようになった他に、もう一つは「検索エンジン」の存在が大きい。
インターネットを第1世代と第2世代に分けると、
第1世代はリアル世界のアナロジー(相似形)でインターネットを考えていた。
例えば、雑誌のアナロジーとして、野球のウェブサイトをつくるには
「有名なサイトをつくらなければ多くの人はやってこない。
企業がカネをかけ、いいコンテンツそろえ、パッケージにしなければ」という発想だった。
ー つづく
ーーーー
「ウェブ進化論 」-本当の大変化はこれから始まる
ちくま新書 -梅田 望夫 (著) サラバジャ~ ゝ(-_- )
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2005年03月26日(土)
1453, おどろき、そして感動
「考えるにはどうしたらよいですか?という純朴な問いかけがある。
この問いかけに対して、いずれの哲学書にも「おどろき」が「考える」突破口になると
書いてある。何でもないことの中にも、新しい発見を見つけ驚くことがその出発点になる。
驚きは、そのまま感動につながる。その感動が人生を動かす。
仏教の教えの中に「驚きをたてよ」という言葉がある。
この言葉は、考える、生きるという面で深い意味がある。
歳を重ねると、あまりにも多くのことを経験しすぎて驚きが少なくなる。
しかし、歳をとって解ったことは「驚きが桁違いに多くなった」ことである。
知れば知るほど、その周辺に知らない発見が増えるからだ。
驚くということは、未知・無知の分野に果敢に挑戦して新しい何かに
衝撃を覚えるということだ。それと未知なるが故の不意打ちが驚きになる。
そして、それが考えにつながっていく。無能の人は、何を見ても聞いても驚かない。
驚く素養がないのだ。いや思い込みというバカの壁が取り囲んでいる。
破れている太鼓が音が共鳴しないのと同じである。隣の太鼓の音にもよい太鼓は響くが、
破れ太鼓は実際に叩いても音が響かない。驚きには、その皮の張りが必要である。
世界を旅をすると、驚きに満ちている。そして、その深い世界に感動をする。
こんな世界があったのかと、内面が爆発しそうなほどの感動を数知れず経験する。
そして対象にのめりこんでいく。
人間は感情の動物といわれる。 たしかに理性的な部分が人間たる所以だが。
人間を突き動かすエンジンのはたらきをするのが感情である。
感情は
・おどろき ・愛 ・憎しみ ・喜び ・悲しみ ・欲求の6つから成り立っている。
他の感情は、この6つの感情の組み合わせでしかない。
希望はー>喜び+欲求 ねたみー>愛+悲しみ
この感情の中で「おどろき」は一番の根本にある。
未知なものに不意に直面した時に、こころは変容する。
その変容の状態そのものが「おどろき」である。
おどろいて呆然と立ちすくむ状態である。おどろきは、最も原始的な感動である。
おどろきは未知なものが現われた時、それを説明できない不思議を自分に知らす。
正も反(喜びに対して悲しみ)の感情も越えた「おどろきの対象」に対して、
説明できる必要性が出てくる。
おどろきは未知に対する無知に気づき、知的探求を刺激する。
あるイベントの会場で、BOSEのコンポを聴いた時に思わず立ちすくんでしまった。
聴いたことのないような音響におどろき、何回か足を運んで聴きなおした。
こんな小さなコンポから、こんな音が聞こえてくるのか不思議でたまらなかった。
そこで係り員から説明を聞いた。パンフレットを見て、その原理を知って、
知人から情報を得て、インターネットで検索をして、購入に至った。
会場で聴いた音に対する、おどろきと感動が出発点であった。
そして、なぜ、どうして?と、その理由を探していった。
昨日も早速、音楽に対する本を二冊買ってきた。
三枝成彰の「音楽の本」と、「CDクラッシクの名盤」である。
一流なものに接して感動と驚きをシャワーのように浴びなくてはならないのだ。
以前にも書いたが、親は子供に感動とおどろきをシャワーのように与えなくてはならない。
躾と、最高のものを知らしめることが家庭教育の基本である。おどろきを得るためには、
3C-チェンジ、チャレンジ、コンペティションがキーワードになる。
挑戦しろ、変化しろ、そして戦えである。
・・・・・・・・
2004年03月26日(金)
1088, 商売人
「商才は西進する」とシルクロードの旅行で聞いたことがあった。
ところが、曽野綾子の文章に同じ内容があった。
・東京商人は大阪商人に比べたら子供
・大阪商人は中国商人に比べたら赤子
・中国商人はインパキ(インド・パキスタン)に掛かったら、それ以下
・そのインパキもレバシリ(レバノン・シリア)に掛かったら、問題外という。
もしそうなら、世界一金持ちのはずだが、ここで言う商売人は小商人を言うのだろう。
そのレバシリもユダヤ人に掛かったら、馬鹿なアラブ人でしかないのだ。
ツアーで一番多く現地人と接しる場面といえば、市場などの商売人である。
そして、そこで安物の高値つかみをさせられる。まあ、それが面白いのだが。
商売人といえば、日本でも士農工商というほど一番下に位置づけられていた。
安く買ってきて高く売るのだから、胡散臭さや怪しさがつきまとう。
「男はつらいよ」の寅さんもテキヤという路上商売人である。
瞬間芸でお客を騙してお金を稼ぐ仕事である。
第三次産業といえば流通・サービス業である。人の集まるところに、
その機能が必要とされる。初めは、自然発生のハエみたいなものである。
しかし、その時代にそったニーズを一番敏感に感じ取るのが彼らでもある。
現在、日本が変になっているのは、商売人の強かさを失っているいるためだ。
これも他人事ではない自戒のことである。
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(お笑い) 「氷水」☆☆☆
アフリカ縦断鉄道、あまりの暑さにある老夫婦の奥さんが氷水が飲みたくなった。
車掌に頼むと、‘有るわけがない、とんでもない’とのこと。
それでもなんとかと頼みこむと暫く考え込んだ車掌わかりましたと
言って、氷水を持ってきた。暫くするとまた奥さん飲みたくなった。
チップをはずみ2杯3杯と持ってきてもらった。
更にと言うと車掌困った顔をして、‘これ以上もってくると死体が腐ってしまう。