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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=YpA_TO8blDE
今日はクリスマスのイブ。 ずっと前から、クリスマスといっても
ケーキを買ってとか、プレゼントとかは、あまり言わなくなった。
長岡駅前の市の施設、アオーレ長岡のクリスマスの電飾のツリーぐらいか、
その雰囲気を醸し出しているのは。
上はブログからとったもので、下は私が先日、撮ったもの。
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1361, ルーブルの一日
2004年12月24日(金)
ー夢の美術館
昨日は、NHK・BSHIの「夢の美術館」で「ルーブル美術館」の6時間生番組を見た。
10時から17時(昼一時間休憩)までのロングランであった。
私にとって、「ルーブルの一日」であった。
NHKの存在に対して疑問を持っている一人であるが、
こういう番組みを見ると、その存在も必要かと思ってしまう。
学生時代の旅行での、ルーブル美術館とベルサイユ宮殿は強烈なカルチャーショックの
最たるものであった。
ミロのビーナス、モナリザ、ニケの像、そしてボナバルドの戴冠式、などの絵を見た
時の感動は今も鮮明に憶えている。
いつか、数日をかけてじっくり見てみたいと思っていたので、
その前知識を入れておくのに丁度よいタイミングであった。
昼の一時間は息抜きで、ウォーキングをして効率的に時間を使った。
実際に見始めたら、トイレに行く時間もないほど内容の濃いものであった。
800年の時間の中で、それぞれの時代に翻弄されながら、
皇帝や市民に愛されたプロセス(歴史)を克明に追っていた。
この番組みでは、それぞれの絵などの背景や歴史を克明に追っていた。
その時代時代の皇帝や、その愛人、そして市民の、ルーブルに対する思い入れを
それぞれの作品の背景を通して追っていた。
フランソワ1世、ルイ13世、ルイ14世、ナポレオンの役割をあげることができる。
それぞれが思い入れて収集をしてきた作品群が残っている。
これだけ美術に対して思い入れてあるのも、フランスという国柄である。
国民が会員になって基金を毎年積み立てて、作品の収集を続けているという。
まだ、「自然・文明から文化に戻ってくる」には5年は早いと思っているが。
それでも、チャンスがあれば何でも見て知っておかなくてはならない。
それにしても、ハイビジョンは作品を鮮明にリアルに映し出すものだ。
人生は、前倒しにしておかないと。
いや、してきたか?!
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2003年12月24日(水)
994, 戦死者と犠牲者と殉職者ー1
「戦死者と犠牲者」は図書館で立ち読みをした「文芸春秋」の塩野七生の
寄稿文の「題名」である。
イタリアでは、イラクのテロで亡くなった兵士を「戦死者」で統一した
という。「戦死者」は言葉の通り、戦争で死んだ兵士をいう。
現在の日本は、もし死者が出たところで「戦闘」に参加したことにならない。
首相官邸でさえ「犠牲者」扱いにせぜるをえないのだ。
イタリアでは、戦死者として国葬並みの扱いをした。
それもアメリカ大統領が終戦宣言をした後で、参加したにかかわらずである。
ところが日本ではあくまでも「犠牲者」になってしまうのだ。
憲法を変えずに軍隊をつくり、このイラクにも「戦闘でない後方支援」と
言葉を濁して、問題を先送りをしようしている。
矛盾が出ることは必定だ。
隣にスターリン主義国家があり、その脅威に曝されている現実を直視しようと
しないで、平和主義を唱えていれば済む問題ではない。
それも堂々と主権国家の国民を100人以上も拉致をしている現実がある。
旧社会党と自民党の一部は、それに間接的に加担しているのである。
それにも拘らず、まだ寝ぼけている平和国家日本。
その虚構が脆くも崩壊しようとしている。
すでに国家の体を生さなくなっていると言わざるをえない。
ここまできても、自民党の利権屋に牛耳られているのだから、
小泉のパフォーマンスに目先を誤魔化されているだけである。
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2002年12月24日(火)
620, パタゴニア旅行記ー7
-話しまくる人ー
今回の旅行で面白い人がいた。
常に一人話しまくっている人である。
常に自分が話をしていないと気がすまない人だ。
アメリカ経営学者のドラッガーの本にもこういう人のことが書いてあった。
500人に一人の割合でこれで上手くいく人がいるといっていた。
タレントのタモリやサンマや古館一郎あたりの人のことだ。
相手の反応を見ながら瞬時に内容を変え続けられる人で、
一方的に話をしていても不快さを与えない人だ。
誰かの話している間に割り込んで強引に自分の話題に引き込んでいく。
聞いているほうはたまらない。一種の自閉症に似ている。
閉じてしまっている自分の世界に相手を引っ張り込もうとする。
三人のグループであったが、その一人がコッソリト
「あの人は悪い人でないが直らない病気!」と教えてくれた。
誰もが持っているが、自分でコントロールしているものである。
私など人のことをいえた義理でない、他人より数倍その要素が大きい。
それにしても老年に差し掛かった女性のそれはすざましい。
人の話を聞けない人は案外と多い。
すぐに自分に置き換えてしまう心の癖がついてしまっている。
「出羽の守」という人だ。東京では、長岡では、仲間内では、
家族ではという自分の世界に置き換えてしまう人だ。
そうあの人のことだー幾らでもいるからこう表現した。
この随想日記も一人話しまくっているようなもの??
人間その要素を誰もが持っている。
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2001年12月24日(月)
279、飲み助考ー隙間風
男の楽しみの一つに「ちょっと一杯」がある。
酒を飲みながら‘隙間風’という歌を聴いていて、
「飲み助の気持ちの本質は隙間風、だから飲みに行くのだ」と感じた。
それだけでないが。
こういう時代だからこそ、この隙間客という言葉がでてきたと思う。
隙間ーこれはどういうことか?ハンドルの遊びか?竹の節か?
「漠然とした心に満たされない何か」というところか。
それを埋めについつい行ってしまう。
特に単身赴任の中年にさしかかった人は、それがないとやっていけないだろ。
学生時代に金がないので寮で月に一回ぐらい、皆で酒を買ってきて飲むのが楽しみでだった。
サッポロジャイアンツやトリスの大瓶、それにスルメ。
酒の美味さを知った最初といっていい。何ともいえない楽しみであった。
知恵で深夜から飲むのだ。そのほうが酔えるからだ。夏4時ぐらいに陽が昇ってくる
くるあたりは陶酔の絶頂になる。若いから出来たのだろう。
人は酒を飲んで大笑いしている時が、一番の幸福の状態だという。
それに知的会話があると、非常にお互いプラスになる。
他人の悪口になると、暗い狐になってしまう。
サラリーマン同士のそれは仕方ないか?組織内の軋轢は厳しいからだ。
私の金沢時代(25-6才)ある意味で一番つらい時期であったが、
片町や香林坊や武蔵ヶ辻の一杯飲み屋の酒は最高であった。
酒の美味しさとストレスは反比例するのだろう。
数百年の歴史のある街、一杯飲み屋にも何ともいえない深みがあった。
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ある時間の断片
12月24日 火曜日 1968年
9時ごろ、長岡の姉の正子さんから電話。
千葉の姉の西村、小林さんの所にクリスマスプレゼントを届けるように頼まれる。
16時に部屋を出て、伊勢丹に行って、犬の玩具と電車を買って東京駅に行く。
西村さんと待ち合わせるが、勘違いで30分待たされる。
その足で独りで銀座に行ってみる。
銀座4丁目から、みゆき通りを歩いてみる。
人の数は思ったより少ないようであった。
市川さんの部屋ですき焼きパーテーをしていた。
相楽がきていた。
私と対立して寮から出て行った男だ。
少し休んで、面白くないので新宿に出る。
23時過ぎまで飲みまわる。
0時に帰寮するが、市川さんが部屋に来て、再び寿司屋に飲みに出る。
明日自分を赤坂の「ムゲン」に案内をしろという。
自分のお客に案内するのに丁度よいという。
明日の飲み代は全て自分が持つという。
何か毎日、他人に振り回されている。