つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=Csyznjm-kUg


 昨日と、昨夜半は、「雪下ろしの雷」が鳴り響いていた。
まずは、40~60センチの積雪があり、一度とけて、来年一月半ばから、
後半にかけて、2Mほど積もる。 それが無くなるのが三月から四月初旬。
そして、桜の開花になる。

 今夜、一年前に自死した高校の同級生の「偲ぶ会」
10人ぐらいの参加とみていたが、18名の予定。
今のところ、人が先、我は後だが、これだけは、分からない。
自死するには、するだけの訳がある。死にたくなるほどの苦しみがあるから、
逆に言えば、安心して死んでいけるのだろう。

 

・・・・・・
4268, この非常事態に、万一の備えがあるの ? -3
2012年11月22日(木)
   * 始まった身近な崩壊現象
 先週、歯医者で地元紙を何気なく見ると、高校の同級生の会社倒産の記事が載っていた。
早速、家に帰って地元情報に詳しい同級生に聞こうと部屋に置いていた携帯をみると、その人から留守電が入っていた。
久々に近くのサエゼリアでの雑談の中で曰く、「これで貴方を含め同級会の中心メンバーの三人全てが全滅!」だと。
10年前に100億規模のスーパーの社長をした男がガンで急死、息子が引き継いだが数年後に倒産。 そして、私が去年。
更に三人目が彼である。 ところが話はまだ続く。一昨日、午前のTVニュースで、「(地銀の系列の)計算センターが
雇用調整給付金の不正請求!」と報じていた。そこで午後、スポーツジムで地元紙を見ると、社会面に大きく
掲載されていた。
労働局が「内部告発があり、それにもとづき調査の結果、書類などの改ざんで水増しなどをした悪質なもの。
不正分の返金のため、刑事訴追はしなかったが、公表した・・」と。 二年間で1億3千万。200人規模の会社としても
半端でない。見せしめだろうが、全国レベルのニュースにならなかったのが不幸中の幸い。その社長も、そのクラスの
同級生。 その二人が春先の同級会の宴席の
前席に座っており、去年春以来の初めての同級会でもあり、上から目線で見られているようで、少し気遅れをしていた。
そこは銀行系なので責任が厳しく問われるかどうか。あまり偉ぶらず誠実で好感を持たれる人物だが、挫折には
強そうではない。それと内部告発は良くない。この制度は早くいえば、経営の苦しい中小企業への資金援助。
手続きに則っれば、問題はないはず。しかし解釈によっては、どうとにも判断が可能。悪意の虫が一匹、
社内にいただけのこと。今は疑心暗鬼のルツボだろうが、いずれの組織も一歩中に踏み込むと、どろどろした
何かが必ずある。不景気の一現象だが、三ヶ月もすれば忘却の彼方レベル。
処分は少し退職が少し早くなる位で軽く?済むだろうが、人生、何があるかわからないもの。
 ・・・・・・
3893, 閑話小題
2011年11月22日(火)
   * 乗りつっこみ
 漫才の掛け合いに「乗りつっこみ」がある。相手のつっこみに、そのまま乗って、その直後に否定することで笑いを誘う。
サンマやタモリなどは、そのへんのプロである。 「御前のカミさんはブスや」のツッコミに対して、
一度「そうや、ワイのカミさんはブスや」と、答えた後で、「御前に、何で言われなければならないや」と切り換えて、
一瞬間を取るやり方である。 日常の会話も、その技が出来るかどうかで大きく違ってくる。「つっこみ」に対する
「乗り」である。落語の、ご隠居と与太郎との会話も、この技法が多用されている。その場の空気を読んで、
落ちを考えて、笑いを誘うのである。それも一瞬のタイミングを外さないことが重要。
  * 言葉を使うときは王のような視点を持て、というが言葉を使うとき、文章を書くときには、王のような
視点を持てという。客観性と、真理、道理が厳然となければ、詭弁になる。
毎日この随想日記を書いていると、知らず知らずのうちに王様になった心持ちになっている。
偉そうに、である。自分の想いや意見は相手が納得しなければ、何にもならない。納得させるためには、
王様が語るほどの内容に権威が必要である。だから王のような視線で、言葉を選ばなければならない。 
また一度書いたものと毎年の同月同日に、再び出会うことになる。その時に矛盾や自分が恥じるような言葉と論理は、
そのまま己に帰ってくる。そのため何ども読み返し、論理の矛盾を探す。それでも数日後、数年後に読み返したとき、
それに気づくことが多い。それが論理や思考にプラスになる。それを続けていると、他の人の言葉、論理の矛盾が
分かるようになる。その反面、評論家や作家の卓越した論理と自分のそれの違いが見えてくる。
王のような視点を持て、というが、一流のプロは全く違う。恥ずかくもなく、馬鹿な知能を公開するのも
勇気がいるが、割り切ってしまえば、それはそれで自己満足になる。
・・・・・・・
3528, 死に至る地球経済  ー3
2010年11月22日(月)
  * トリフィンのジレンマ
 この著書で基軸通貨国のジレンマを紹介している。 ロバート.トリフィンというベルギー人の学者が、
流動性ジレンマ」と名づけ、以下のようなジレンマ「トリフィンのジレンマ」を見事に例えている。
 ーその内容は次の通りだ。
≪「基軸通貨というものは、世界で幅広く使われるのであるから、潤沢に出回ってもらわなければ困る。
供給不足は禁物だ。だが、あまり出回り過ぎると値打ちが落ちる。基軸通貨たるもの、値打ちが下がったのでは、
そもそも基軸通貨としての基盤が揺らぐから、これも禁物だ。要するに基軸通貨は希少価値があると同時に
流動性が十分でなければならない。希少性と流動性を同時に満足させることは極めて難しい。
これがブレトンウッズ体制下のドルにつきまとうジレンマだ。」 
トリフィンはこのジレンマをブレトンウッズ体制の構造欠陥だと批判したのである。トルフィン流に考えれば、基軸通貨とは
要するに人気歌手のようなものだ。人気があるという人気が高いということは、希少価値が高いということだ。だが、人気に任せて
彼方此方に出すぎると、飽きられ人気が落ちる。さりとて、あまり希少価値にこだわって自重していると、出し惜しみで顰蹙を買う。
人気稼業の難しさは人も通貨も変わりない。希少価値と流動性の同時たっせい。基軸通貨国には、この至難の技が義務付けられる。
この両立不可能なことの両立を求められる、これぞまさしく基軸通貨国家に課せられた呪いに他ならない。≫
 ~ とはいえ、基軸通貨国だけで、紙切れの紙幣を刷っただけで世界中のモノが入ってくるのだから、維持のためには
何でもするのは当然である。そのアメリカのドルによる基軸通貨体制が崩れようとしているのが現在の世界。
冷戦の終了と同時に共産圏が自由貿易圏に変わり、その広がりが増えたことが、20年近くドル基軸を保つことができた。
しかし、リーマン・ショック以降、それが崩壊を始まり、混迷を深めている。

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 2788, 平心庵日記
 2008年11月22日(土)
  「半歩遅れの読書術ー?」で紹介されていた本で、さっそくアマゾンで注文、朝晩の通勤の新幹線内で読んでいる。
  これが何ともいえない味わいがある。 もしかしたら己の人生を間違えていたか?と、考えさせられる内容である。
  明治初期に三井物産を創設した大茶人の益田孝(鈍翁)と、主治医・近藤外巻(平心庵)の心の交流を、
  大正13年から昭和13年までの平心庵日記をもとに、平心庵の長男である近藤道生が描いた本である。
  当時まだ年少だった著者の目を通してみた大正から昭和初期の時代の想い出がもの静かに書かれている。
  「明治経済界の重鎮である鈍翁は,江戸の武士道気質と明治以後の欧米ビジネスマンの感覚を合わせ持つ実力者だが、
  政治的には影の存在に徹した。 隠居の地小田原で,無私の外科医・平心庵と茶事を通じて結んだ親交は、
  現代人が失ってしまった真のもてなしの精神と、日本文化の奥行きを伝える豊かな時間であった。」と書評にあるが、
  成るほど読むほどに大茶人の片鱗が窺える。 千利休以来の大茶人と謳われ、茶の湯や美術関係の人には、
  よく知られているという。両親の趣味が茶道だったこともあり、子供の頃から色いろな話を聞いたり、
  茶席に同席させられたこともあり、何か、日記の一言一言が目に浮かぶようなイメージが沸いてくる。 
  これを読んでいて気づいたが、両親はかなりの茶人だったようだ。私は、どうも堅苦しい作法に反発を感じ、
  現在も近寄れない。  しかし私の人生で、知っておくべき世界だったかも知れない。 
    ーーーー    
   「平心庵日記 :失われた日本人の心と矜持」 近藤道生
 ー日記が大体が次のようなベースで書かれていまる。
  (字数の関係でカット 2011年11月22日)
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 2007年11月22日(木)
2423, 夢のようなホントの話                       
 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
週刊誌を何気なく読んでいたら面白い話があったので、紹介しよう。作家の高橋三千綱のミニ・エッセーだが、
引き込まれる内容。こういうことが実際にあるのだろうし、また逆のこともあるはずだ。 
その分岐点は、その人が持っている人間性である。
 ーまずは、その部分からー
南カリフォルニアのラ.コスタに滞在していた、ある年の夏のことである。
・・ホテルのラウンジバーで飲んでいると、いつのまにか人の輪の中に紛れ込んでいた。
話題がラスベガスの話になったので、その頃人気のあったマジックショーを見たいものと私が言った。
時刻は午前一時を回っていた。どうやらホテルのマネージャーを呼び出しているらしい。
相当酔っているな、と私はあきれていたのだが、四日後にはラスベガス空港に降り立っていて、しかもリムジンが待っていた。
それから私は、夢のような3日間を過ごした。部屋はスイートで寝室がふたつあり、バーも広い談話室もついていた。
最前列で見るマジッグショーは迫力満点で、目の前で巨大な像が消えた。ホテルでは私専用の女性秘書をつけてくれて、
あらゆる用事を彼女がやってくれた。その全でが大男の招待だった。カジノでも私はつきについた。
一体、あの男は何者なのだ、と秘書に訊くと、ニューヨークの大富豪で、有名なプロデューサーでもあるという。
何も知らなかったの?と驚く彼女を見ながら、こんな話をしても誰も信じないだろうな、と私は思っていた。
 ▼ 大金持の酔っ払い世界に紛れ込んだということだ。その大男からみたら「気分が良かったのでしてあげた」
  だけのこと。2~300万の宝クジに当たったレベルの話でしかないが、それでも庶民感覚とは、
  かけ離れた世界の一端を、垣間みた話である。