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* また、偶然の一致 ー二人の故人への追悼文ー
昨日の朝、倉庫の一角の書棚に、ある本の探し物に行ったところ、日本ペンクラブ編の「年齢(よわい)は財産」という
エッセイ集が目に付き書斎に持ってきた。そこで、一つのエッセイをテーマに書き始めて気づいた。何と4年前の11月21日に、
このテーマについて書いていたのである。まさか!である。 「言葉遊び」ーラ行受身形ーである。
このテーマに惹かれたのは、現在、長岡という城下町の中、強がりを言っているが、一つバランスを崩せば鬱になる状況。
それが、このラ行の受身形である。以前、この内容を取り上げていたことを全く忘れていたが、万一と思い、HP内の検索に
「ラ行の受身形」と入れて驚いた。何と4年前の今日、このテーマについて書いていたのである。 何かが、倉庫に引き寄せ、
この文章を改めて熟読しろ!という「意味ある偶然の一致」だろうか。 頭の中に、何か底知れない、磁石があるのだろうか?
いや、それより、一昨日、長年の付き合いのあった東芝エレベーターの馬場の奥さんからの「年賀欠礼」で、この8月に
亡くなっていたことを知り、故人をテーマに予定した下書で、故人を偲んでいた影響か? 彼が、この本に導いたと考えると、
筋が通る。 悟ったようなことを書いているが、一昨年の倒産劇から、「ラ行の受身形」の否定の視線と、内語の格闘である。
当然といえば、当然。その対処は、気持ちを背けないで、それらの中心に無心でたち向かうしかない。「正中心一点無」である。
ただひたすら、それを続けるしか、手立てはない。
あれから二年半、少し落ち着いて、これらから徐々に解放されつつある現在、馬場さんの訃報を聞き、追悼の文章の下書を
書いた後。 故人が、私を導いてくれたと考えると「シンクロニシティ=意味のある偶然の一致」ということになる。
それと一年前に、自死をした高校の同級生の故人を偲ぶ会が、今夜、開かれる。この春の同級会の幹事だったが、幹事特権で、
次回の幹事の指名権を持つシステム。そこで、某君に偲ぶ会の幹事を一方的に選んだ。どういうものか迷ったが、深夜、彼の
イメージを持って故人に問いかけた。「どうしようか?」 答えは、「何を言ってるや、開いてくれ! いつも同級生の葬式で
二次会で偲ぶ会をしているのに、何で俺にしないんだ」と・・ 参加者が10名と踏んでいたのが、18名の出席予定になった。
これだけで故人も喜んでくれるだろうが、私に「ラ行の受身形」を意識して早く立ち直れということ? このシンクロ二シティ、
「受け入れたくない、この事態で襲ってくる言葉を、感謝へと転換しろ!」という二人の故人のメッセージとして、以下の文を
感謝をしながら読み返している。この春の同級会で、老舗の会社を潰した男が、「この事態に感謝している」と話しかけてきた。
苦しみ、もがかなければ、こんな言葉は出てこない。悟ったということか。 それぞれに、似合った悟り方が与えられるもの。
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3152, ラ行の受身形
2009年11月21日(土)
「年齢(よわい)は財産」〜日本ペンクラブ編
の随想集の中にあった土居伸光氏の 【言葉遊び】ーラ行の受身形ー がよい。
ーその概要を短く纏めてみるとー
10数年前に末期癌で亡くなった奥さんの、死に至る過程を見つめ、彼女が否定的で
受け入れたくない出来事に対して使われる言葉が、感謝へと転換していく姿を愛情を込めて書いている。
ラ行の受身形とは・・・
・叱られた ・文句を言われた ・虐められた
・騙された ・裏切られた ・嫌われた これらは私達が日常でよく使う受身形。
どちらかというと、否定的で受け入れたくない出来事に使われることが多い。そこで、
「叱られた→叱っていただいた」「嫌われた→嫌っていただいた」など、ラ行の受身形を転換をすればよい。
その結果として、感謝の心を増幅させるだけでなく、人を大らかにし、強くさせる力になる。
奥さんは、絶えることなく襲ってくる激痛に逃げ出すことはしなかった。 直観力が強くなったのだろう、
激痛を事前に察知して、仏壇の前に正座をし、ローソクと線香を灯し、祈りながらそれがやってくるのを待った。
その後姿に、著者は揺るぎない彼女の覚悟が読み取れた。 そして、ある日、
「問題は、すべて私の中にある。ガンを早期に発見できなかったのは病院ではない。ガンそのものが、問題ではない。
ガンは自らがつくり出したもの。ガンは自分自身。誰も悪くない」と耳の疑うような言葉が彼女の口から飛び出した。
その言葉を境に、奥さんは大きく変わっていった。・・・ 激痛を乗り越える過程で受身だった彼女は感謝の心に
変わっていったのだ。 そして余命半年といわれていた奥さんは結局三年生きた。
我われは老いの進行と共に、頭や身体は思い通りには動いてくれなくなる。 第三者から「ラ行の受身形」の言葉=
《叱責、文句、虐め、騙し、裏切り、嫌悪》が、未来の自分に投げかけられる可能性がある。 その都度、心が大きく
揺れるようでは、人生の平安はほど遠くなる。ラ行の受身形を転換し続けることで、すこし謙虚になったように思うという。
文句を言われるのは、文句を言われるようなことがあったからと気づく。そう考えると、自分の至らなさが見えてきたりする。
そうすると、文句を言った人に、怒りではなく感謝の気持ちがわいてきて、嫌な人物がそうでなくなってくる。
今の私には嫌な人物は一人もいないという。 単なる言葉遊びと思われるかもしれないが、
やってみる価値は十分ある遊びである。この遊びの素晴らしいところは、使っても目減りをしない。
使えば使うほど心は確実に成長し、その結果は微笑みという形をとって顔に現われてくると、無邪気に信じてくるようになる。
ー
味わ深い内容である。 この続きも良いので次回に書く。 これは先日書いた「要は、受止めかた次第」の具体例と
考えるとよい。 その意味で、この文章に偶然出会ったのが不思議である。 書いていて思い出したのが
「もとは、こちら、そのままけっこう」である。 実際に現在抱えている幾つかの問題に対して言葉遊びをしてみたら、
直ぐに「そんな問題じゃないだろう」と、心(言葉)が噴出してきた。 しかし、「遊び、遊び!」と自分に言い聞かせ、
何度か言葉遊びを繰り返すと、あれだけ腹立っていたことが収まってくるから不思議である。色いろな悟り方があるもの。
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3153, ラ行の受身形 ー2
2009年11月22日(日)
ー まずは前回の続きの部分より ー
妻の葬式の時、私は不思議な体験をした。 いよいよ出棺というそのとき。私の鳩尾(みぞうち)から喉に向かって稲妻のように
熱いものが走ったかと思うと、それは胸全体へと広がっていった。 その瞬間、私は言葉では譬えようのない至福感の中にいた。
あの体験は、「 死は悲しみではありません。 私は満ち足りた気持ちであの世へ向かっています 」という妻からのメッセージでは
なかったかと、今になってそう思うのである。もし、あの世の妻とコンタクト可能なら、私はこんな問い掛けを妻にしてみたい。
「 がんに殺されたと思う? 」、「 いえ、がんに殺していただいたんです。お蔭でたくさんのことを学ばしていただきました。
ありがとうございます 」 「ラ行の受身形」の透けとおった心で、そう応えるかもしれない。そして最後に
「あなたも感謝の心を持って、狼狽えることなく生きてくださいね 」と妻は、微笑みながらそう付け加えるのを忘れないであろう。
▼ こういうのは、本人しかできない不思議な体験である。 「鳩尾から喉に向かって稲妻のような熱いものが走った」というのが、
チャクラが反応したのである。 似たような経験を、幾つかの記述を何度か読んだことがある。身近な故人とは、色いろの魂の邂逅が
あるようだ。 私も父が亡くなった初七日に不思議な邂逅があった。 夢で父の気持ちになってしまい、死の恐怖心から
〔死にたくない〕と思った瞬間、我に返った時、あれっ、私は生きている!という不思議な安堵感と父の魂との邂逅、と似ている。
思いは、言葉で作られ、そして残るもの。 思いも、それを形成する言葉は、後々残るから大事にしなければならない。
気楽に、言葉遊びとして、ラ行の受身形を前向きな言葉に替えるように努めたいものである。〔こん畜生め!〕は、やめとこう。
言ってもいいが、その後に「何かのサインを出してくれて、ありがとう」を加えれば、気が楽になる。
老人の、あの暗い顔だけはなりたくない。