つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=HhkxEBGCkS0

 参院選挙で自公が勝利をして「ねじれ」が解消した。
これで衆参とも3年間は選挙がないので、安倍政権が続くことになる。
3年も選挙がないのは、戦後政治史で三度しかないことという。
一度は、昭和55年から58ねんにかけて、もう一度は、昭和61年から平成元年にかけて、
前者の時は、国鉄民営化、後者は消費税である。
そして今回は、憲法改革と二度目の消費税のアップになる。
そのプロセスで日本のダウンサイズの断行となる。その時は、国家非常事態宣言で、
一種の国家権力の強制執行もありうるだろう。ある意味で、必然の政治体制となる。

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1571, 五稜郭
2005年07月22日(金)
幕末の混乱期、軍艦・開陽丸を駆って官軍と戦い蝦夷地に共和国を樹立しようとした男たちがいた。
この時期、オランダに派遣されていた榎本は帰国、同じ幕臣として勝海舟の幕引きに反発。
新政府に不満を持つ幕臣新撰組の土方と合流して未開の地・函館の五稜郭に共和国を樹立する。
そこで、官軍の参謀に就任した薩摩の黒田了介(後の内閣総理大臣黒田清隆)率いる軍と熾烈な
戦いを繰り広げる。その戦いの中で、榎本の人柄を知った黒田は全面降伏を勧め彼の命を救う。
しかし土方など幕府方の残党は殆んどここで最期を遂げる。
やがて刑期を終えた榎本は新政府のロシア交渉特使として活躍する。
阿部公房が「五稜郭」という小説で、榎本武楊が政治的に江戸幕府の残党を纏めて整理する役割に
なってしまった矛盾を書いている。学生時代に読んで、その複雑多層の立場を初めて知った。
攘夷か開国か、尊王か佐幕か倒幕か、公武合体か。それらの混沌とした中で維新の歴史は作られて
いったが、その中で榎本武楊の果たした役割は、結果として皮肉な結果をもたらした。
阿倍公房の小説は、函館の五稜郭で負けた幕府軍の囚人300人が脱走して、厚岸の海岸から上陸、
山の奥深くへ消えていった、という地元の伝承をもとにそれを追う男の話から始っていた。
蝦夷共和国」という、とんでもない構想に魅力を感じて読んだが、
実は?その背後の複雑な背景を抱えた夢の世界であったという阿倍公房の世界観があった。
もう三十数年前に読んだ本だが印象に深く残っている本である。

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2004年07月22日(木)
1206, 「半落ち」ー 映画感想
30万部を越すベストセラー記録を樹立した横山秀夫ワールドの最高峰『半落ち』が映画化され、
今年の1月に公開された。そのDVDが、もうレンタルショップにあった。
さっそく借りてきた見たが、素晴らしい内容であった。見おわった時、涙が知らずと溢れ出ていた。
あとで家内から聞いたが、みた人のほとんどが泣くという。私の感想文は、最後に書いてある。
ー解説と内容(ホームページよりコピーしたもの)を貼り付けておきます。
ー解説
愛する妻を手にかけた、元捜査一課の敏腕警部。彼が自首するまでの「空白の2日間の謎」を追う幾多の人々。
が、この作品は、警察というフィールドで展開されるまぎれもないヒューマン・ドラマである。
年齢を重ねるにつれ、人はさまざまな理不尽を呑み込んで生きていかねばならない。
その現実に対峙し、何を、どう選ぶのか?状況に流されず、自らの生き方を選び取っていくのは容易ではない。
アルツハイマーの病状が進む妻に懇願され、嘱託殺人という重罪を犯した主人公・梶聡一郎。
その心の襞を探っていく物語は、いつしか彼を取り巻く人々の心のうちまでも照らし出していく。
半落ち』に仕込まれた'合わせ鏡'の見事さは、登場人物たちはもとより
観る者をも巻き込んで、自分の<今>のありようを見つめさせるのだ。
ー内容
「私、梶聡一郎は、3日前、妻の啓子を、自宅で首を絞めて、殺しました」
梶聡一郎が最寄の警察署に出頭してきた時、捜査一課強行犯指導官、志木和正は、連続少女暴行犯人の
自宅を朝駆けで急襲する最中だった。梶の取調べを命じられて、何ヶ月も追ってきたヤマから最後の最後で
引き剥がされ、警察署へUターンする志木の胸中に去来する複雑な思い。半年前、アルツハイマー病を発症した
啓子の看病の為、自ら刑事を辞して警察学校で後進の指導にあたり、広く敬愛を集めてきた梶が、
なぜ殺人を犯したのか。取調室で向き合う梶の視線の奥が、あまりに澄んでいることに驚く志木。
志木の取調べに対して、啓子の扼殺後自首してくるまでの2日間のことについて、固く口を閉ざす梶に、
志木のみならず、駆け付けた県警幹部すべてが困惑する。現役警部の殺人という一事件が、
県警そのものの権威と、そこに属する何千という警察官の信用を地に墜とそうとしているのだ。
取り調べにあたる志木に、誘導尋問で「空白の2日間」を捏造した事実で穴埋めするように、命じる県警幹部たち。
そしてその命令に背き、取り調べ官を解任された志木は、独自に、梶がひたすらに隠そうとしている
〈真実〉を探り出そうとする。7年前に一人息子の俊哉を急性骨髄性白血病で14歳の誕生日を待たずに亡くし、
寄り添うように生きてきた夫婦に、一体何があったのか。そして梶の事件がやむなく表沙汰になる。
さらに「空白の2日間」についての県警の発表にウソがあることが、梶が東京行の新幹線ホームにいたことを
目撃した男のマスコミへのタレ込みで明らかになり、県警の周囲は騒然さを増す。事件の推移と共に、
担当検事(佐瀬)、弁護士(植村)、スクープを狙う新聞記者(中尾)、裁く判事(藤林)が、
各々の人生を背負い、思惑を抱え、事件の真相を暴く為に、梶の人生、梶という人間そのものに近付いていく。
個人として捜査を続ける志木。県警と地検の〝取り引き〟でやむなく手を引く佐瀬。
これを機に名を上げようと、意気込んで梶との接見に臨む植村。梶の「空白の2日間」の行動の一端を掴む中尾。
公判で、啓子と同じ病を持つ父のことが脳裏を掠める藤林。そして、亡くなった俊哉の担当医、高木の
「俊哉君の発病から間もなく、ご夫妻でドナー登録されたんです」という言葉。
裁判の証言台で、「私は…啓子を殺してやることもできなかったんです…」と泣き崩れる、
姉・康子が保管している啓子の日記に貼られた、「命をありがとう」と題された投書記事。
弁護を引き受けた植村に梶が問い掛ける、「あなたには、守りたい人がいませんか」という言葉……
“来るべき日”を待ちわびる梶の、拘置所での、贖罪と希望への祈りを捧げる日々。
どんな犠牲を払い、誹りを受けようとも、あと1年だけ生きようとしている梶の人生の〈真実〉とは !?
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< 感想>
母をアルツハイマーで5年半、看護した経験があったので、主人公の深い思いに感情移入をしてしまった。
そして、それに関わる色いろな立場の思惑や利害も、身に憶えのあることばかりで、主人公の心の壁を
探っていく物語は、そのまま自分自身の心の壁を抉りだしているようであった。
そして、当時の自分の心の姿が浮かび上がってきた。
辛く悲しい母の姿と家族の、それぞれの立場で必死に生きていた当時の日々がリアルに浮かんできた。
しかし、そこには底知れぬ暖かさがあった。
アルツハイマーの身内を抱えた崩壊一歩手前の家族が、どういう気持ちで毎日を過ごしているか、
この映画は深く入り込んではいなかった。それも、しかたがないが。
高齢化社会の、大きな問題がアルツハイマーである。どこの家庭でも、ぶつかる大きな問題でもある。
いまの寝室の寝ているところが、母の寝ていたところである。アルツハイマーになった母が夢で
月に二回は出てくる。母は今でも私の中では生き続けている。
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2003年07月22日(火)
839, あいうえおー生き甲斐測定法
今やっていることが、生き甲斐があることか、天職か、ベストかどうかの
判定基準として、あいうえお生き甲斐測定法がある。
「あ」は、アイデア 
「い」は、インタレス
「う」が、ウォーク
「え」が、エキサイティング
「お」が、オーナーズシップ
この内の一つは抜けていてもよいが、二つ以上の場合情熱が感じられなくなる。
「あ」は、要は自分のアイデア、企画かどうか。
「い」は、興味、関心のこと。
「う」は、歩くことで、行動につながる。待っていたり行動なしでは何も始まらない。
「え」は、エキサイティング。燃えるような情熱の涌くこと。
「お」は、オナーズシィップ。自分でやり遂げたという喜びや自負心ー行蔵です。
 これは藤本儀一の『人間ほど面白い動物はない』サンマーク出版ーの最後に書いてあった内容である。
創業では、これが一つでも欠けていたら上手くはいかない。これを満たした上で総てを注ぎ込んで
初めて動き出すものだ。この5つを満たす為には、いつも随想日記で書いているように、
「自分の好きなことを見つけて、それに集中する」しかない。
 私自身、好きなことをして生きてこられたことが一番の誇れることだ。
この随想日記で一貫して私も主張してきたことである。最後に『楽しかった!』と言い切れる生き方である。
『好きなことだけをして生きていく』には、それなりのノウハウと能力と環境が必要である。
 その方法論を具体的に解りやすく書いてある本があった。 初心者向きで、どちらかというと
先人の知恵を租借している内容だ。といって好きなことをしてきたと自分で言い切れることがよい。

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2002年07月22日(月)
464,煮た豆
母から聞いた言葉で印象的な言葉で「煮た豆」がある。
もう出来上がってしまって芽が生えて来ない豆をいう。
人間に喩えると「もう出来上がってしまって、潰しのきかない人間」をいう。
この言葉は自分の自戒の言葉であり、常に前向きでチャレンジと変化と闘いを自分に課し続ける姿勢だ。
ある同?会の大部分が煮た豆だけでなく、納豆のようだ。腐ってしまって、お互い粘粘している。
仕方がないが、もうオカラのような人もいる。
豆の質も10歳で殆ど決まってしまうらしい。「3歳では遅すぎる」というソニー創立者井深大の本があるが。
私の見るところ、95㌫はいや99㌫はその範疇だ。もっともその時の優等生も大部分がただの人だが。
私のよくいう子狐は「煮た豆」が必死になって「生豆」を演じている姿だ。
いや「生豆」を粘々で絡もうとする姿だ。そういう自分ももう煮た豆か?
こういう文章を書いているといろいろ気づきがでてくる。

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2001年07月22日(日)
[83] バイキングについて
ー北欧旅行記ー 
バイキングは今より1200年前突然始まり200年で終わったそうだ。
キリスト教の影響ではないかと言われている。
面白いのは相続は末子相続で、長男次男はある年令に成ると家から出て行くそうだ。
海は日本の場合お堀の役割だが、夢に向けての希望という。1000年前のバイキング