つれづれに

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 大相撲はアッサリと「御嶽海」が優勝をした。
この力士は関脇なら良いが大関横綱になると勝てなくなる
典型的な相撲取り。 相撲としては、当分、新たな力関係が
出来るまで混沌とすることになる。





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3405, この国の終わり ー2
2010年07月22日(木)

   * 考える遺伝子の不在 
 日本の現状に対して、殆んど誰も考えてない国家に絶望をしながらも、何とかしたいという著者の気持ち
が伝わってくる。これでも考えて生きてきたつもりだったが、この数年来、何を考えて生きてきたのか反省
しきりである。10年来の哲学等の学習効果が少し考えに厚みが出てきたが、そうすると人生全体に疑問を
持つようになる。こと日本人全体をみれば、ほぼ99パーセントは考えてないように見かけられる。
「考えて何になるの?」という質問が帰ってくるのが落ちになる。 欧米、特に欧州では中学校の段階で
哲学の授業があるという。考えるとは、陸続きの他民族の侵略の恐怖や不安がああるからだ。 
それを真剣に考える時に、それが立ち現われる。海に囲まれて当面の攻撃が考えられない日本民族にとって、
考える必要がそれほどないから、考えられないのである。
   ー以下の、箇所は辛辣だが、的を得た内容である。ー  -P34 
要するに「脳が足りん」のだ。 考えるー、という脳の機能が少なくとも他の民族と比べ極端に欠乏している。
猫でももう少しましに考えて行動しているのではあるまいか。 それは一方において、日本人があまりにも
鋭敏で潤沢な「感じる」という機能を持っているために、考える機能のほうが圧倒され、脳の土俵から押し
出されてしまったせいなのかもしれない。つまり右脳と左脳、ロゴスとパトスの千秋楽の結果である。
この事実への感慨は、母国の中の異郷、身寄りが一人もいない九州の山中に住み着いたこの六ヶ月、
日々ショックを新たにし、今日も変わらず、修正できず、ますます強まる一方である。 
 国家は芯の芯まで腐り果て、民族は脳死状態で、植物人間化している、ということを、ほとんど誰も
考えていないのである。いや、考えることができないでいるのだ。うすうすは感じてはいるらしい。
そもそも思考力よりも直観力の鋭かった民族である。なにやら日本の全体がおかしく、どこかが狂っていて、
怖ろしい結果が近づいている、といった漠然とした恐怖は、なんとなく感じてはいるらしい。何しろかつて
この国には起きようもなかった異常な犯罪は、それこそ日常茶飯といった感じで起こり続けている。
帰国してからのこの半年間でも、すでに数え切れない。 あまりの立て続けさに、私も忘れるし、人々も
覚えきれず、次々に忘れていくようだ。確かに世界中で犯罪は起きている。ニューヨークだって、パリだって、
私が十八年暮らしたオーストラリアだって、犯罪は起きる。しかし、これほどの異常な内容の犯罪は聞いた
こともない。どこであろうと、起きているのは「並みの犯罪」だ。並みの犯罪とは、犯人は、それがどんな
種類の犯罪であろうと、何かは考えている。どんなにバカな考えでも、異常な考えでも、愚かな考えでも、
邪悪な考えでも、要するに、ナニカは考えている。
≪ 恐慌以来の日本国家の存亡の危機に対し、国民の危機感の希少さに驚き唖然としている。
  それが考える遺伝子の不在としたら ≫
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3030、卒業40年周年か~ -2
 2009年07月22日(水) 
* 卒業40周年記念に参加してみた人間模様。
 1~2年次の教養課程の同級生では、TVでよく見かける服部学園服部幸應と、
 大阪学院大学の白井総長が面白い存在。
服部幸應は実名が染谷で、当時は存在感が殆どなかったが、常に財布に10万円を入れている
 という話はあった。一年留年をしてアメリカに行っていたのか、留年をしたためアメリカに行って
 いたのかはファジーである。二次会のクラス会が彼のために開かれているかどうかは定かではない。 
・私が学生時代で一番親しくして、卒業まじかで大喧嘩をした石○譲○。ハッタリ屋だったが20年前
 のバブルの崩壊で倒産。借入金が280億で、ビルが17棟だったという。 前回は身を隠している
 状態で不参加だった。三次会の最後は彼と飲んだが、二棟だけビルを隠して持っていて現在は、それが
 生活のベースになっているとか。更に、この恐慌で、経験を買われてコンサルタントもしているという。 
 バブル時の倒産劇は、人生の大きく覆いかぶさっているというがそうだろう。
・クラブ関係では、神田周辺の菓子問屋に養子に行った男が土産として、仰々しい包みのお菓子をくれたが、
 家内が言うに、「これって、前週に買おうと東京駅の地下の店のカリントウ。すごく有名だけど、わざ
 わざ並んで買ってくれたのかしら」と言っていた。「まさか、そこの社長じゃないと思うけど、少しは
 有りえるかも」と答えていた。お返しで、新潟の酒を送ったところ、自宅に電話があり家内が出て
 「そこの社長なんですか」と聞いたら、そうだという。「先週、買おうと店まで行ったら 行列で買え
 なかった。奇遇です・・・」家内は、本当か嘘か?その辺は調子が良いが、相手も悪い気がしないだろう。
・卒業してから数年後に、先ほどの石○譲○と、私の自宅に遊びに来た伊香保温泉の「村松屋」
 に婿養子に入った友人の根岸君。十数年前に脳溢血になって、九死に一生を得たとかで、半身不随に
 なっていた。それでも朝一の高速バスで來京し、最終のバスで帰ると言う。以前に一族の「いとこの会」
 を、その旅館で開いたことがあった。
・亡くなっている人はクラスの約一割である。 還暦を越えると、社会的に如何こうは、
 三番目か四番目になる。   10年後には出席できるかどうか。
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2665, 人生は儚いのか?
 2008年07月22日(火)
知人の墓に、亡くなってから隔月にお参りをしている。たまたま散歩をする土手の折り返しの近くに
墓がある因縁のためだが。習慣とは面白いものである。両親の墓には年に三度ほどしか参らないのに。
その都度思うことだが、「人生は儚い」ということだ。必ず、心の中で話しをするが、故人が語りかけて
くる言葉は「生きているうち、こっち(あの世)は、ただ空」そしてダメ押しに「もっと墓参りに来てくれ!」
勝手に沸いてくる言葉でしかないが、それでも何かがあるのだろう。故人と話しをしながら、思うことが、
娑婆のことなど全て儚い夢でしかないということ。そこで「儚いとは、如何いうことか?」を考えてみよう。
それは生まれる前の無限の時間と、死んだ後にも続く無限の時間を、死ぬと覚悟をした時に「あまりに
小さな時間」を思い浮かんだ実感である。だから、「幸福の4Fは克服できない苦難と悲しみ」というのも、
言い得ている。故人から学ぶことは、そのことである。達成した幸福の喜びなど、酒を飲んで盛り上がれば、
出来ること。そこには、生きているうちに感じる儚さしかない。しかし、それを言えるのは達成をした
経験のある人間しかない。それも、これも、如何でもいいことだが!儚さと感じるのは、4Fの克服できない
苦難と悲しみの意味を知らないからだ。儚いというのは「わたしの儚さ」である。「わたし」という有限
の自分の、小ささをシミジミ知ることである。その小ささの一番の意味は時間の小ささである。
それも、他人と比べるのではなく、生前、生後にある何処までも広がる時間に対してである。自分を取り
巻く永遠の広がりの時間である。そう感じる「わたし」は、実は過ぎ去った時間を振り返った時に「これ」
から「わたし」になった言葉。そうすると、「わたしの人生は儚い」は、その言葉に縛られた感情でしか
ないということになる。人生を振りかえって長かったような、一瞬だったような気がするが、それは現在、
そう思っている「わたし」の言葉ということだ。一年前の日記に「わたしの人生は儚い」と書いてあった
のを読み返したとして、あの日に、そう思っていた「わたし」がいた、というだけのこと。知人の墓参りに
感じる「儚い」は、故人からの教訓で、実は直面するだろう自分の死に対する、予行演習を勝手にしている
ということでしかない。儚いと思ったら、現在直面している苦難と悲しみをジックリ味わえ!ということ。
故人の墓参りをして「儚い」などとは、自分の心が、都合のよいことしか考えていない、解りやすい事例
でしかない。 まあ、そういうこと! みも蓋もない話になったが。

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2007年07月22日(日)
 2301, また地震!どうなっている?まったく! ー5
 まず今回は原発に絞って、これまでの問題をまとめてみる。
・世界最大規模の刈羽原発の真下に、実は活断層が直下に走っていて震度6強、
 マグネチュード6・8の地震が発生した。それは、日本の国家として最も恐れていた非常事態である。
・海岸線のため、それは普通の地震とは違い、一般住宅が1000世帯、半壊はその倍の2000?
 被害家屋が10000世帯にのぼった。それは直下型地震の上、地盤が弱いことが原因である。
 それからみて、原発の施設は想像を遥かに超える損傷を負ったと考えるのは妥当である。
原発は最大マグネチュード6・5を想定して設計されており、6・8とすると2,5倍の衝撃が
 かかっている。もし、中越地震並みに震度7だったら、マグネチュード7,2だったら、と想定
 すると、日本はチェルノブイユのような事故になっていた、と考えられる。 日本壊滅?は、決して
 小説・映画の世界ではない!ということになる。
・マスコミで「この事件の結果、過去に原発反対運動の住民が言っていたことが、ほぼ正しかったことが
 改めて検証できた」と報じた。ということは、利権で推進した連中は、国家をあわや滅ぼそうとした輩
 として断罪に値する、ということになる。想定外でしたとは、言いのがれはできない! そのトップ
 だったのは誰かは周知の事実である。その利権に屯したマフィアは誰か!
・3日前に私の知人が海水浴に行ったら、殆ど泳いでいる人が居なかったという。
・最も不運だったのが、外部の火災である。それがトップニュースとして世界中のマスコミに
 流れてしまった。このイメージダウンは最悪といってよい。彼らは、ことの真実を見抜く力がある。
 報道規制は彼らには効かないのである。それだけではない、インターネットで原発で働いている人から
 内部の生々しい状況が瞬時流されてしまった。さらに、消火が二時間も放置されていた事実も映像で
 あるからリアルである。消火が遅れたのは被爆と火力を恐れて誰も近づけなかったというが・・
・おまけに、さらに震度6弱の余震がある可能性があるのに、それが原発施設に及ぼす影響、危険に
 対して住民避難を検討した形跡が、どうもない。そういう私も、もう起きないだろうと実はタカを
 くくっている。これは自己責任のレベルの問題であるが。
新潟市に近い‘巻’という村で原発計画があった。 一度決まりかけた計画が、住民運動のため
 中止になった。かなり激しい住民同士の対立があった。しかし、この結果からみると反対住民が
 正しかったことになる。柏崎と長岡の関係と、巻と新潟は同じような立場にある。 柏崎は経済波及
 を選択したのだ。決して政治家や建設マフィアだけが悪いのではない。これで、全国の原発周辺の
 住民は大きな不安を倍加したことになる。 特に、福井周辺には幾つかの原発がある。新潟北から
 神戸にかけての地震危険地帯の上にある。これら全ての廃棄を、真剣に検討すべきである!
 
 もちろん、柏崎・刈羽原発の再開は、検討する以前の話である。『廃棄!』である。 
 再開など世界が許すわけがない。

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 2006年07月22日(土)
1936, ローマから日本が見えるー14   (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!
 第6章 勝者ゆえの混迷ー3
  ー同盟者戦役ー
マリウスの改革は、特に志願兵の導入は『誰の既得権をも損なわない』という意味で利点があったが、
思わない副作用をローマにもたらすことになった。志願兵の導入は元老院の力を最終的に削ぐ作用を
働かせていく。ローマ連合に属している同盟国や地方自治体の市民にとって、兵役はいまだに義務の
ままだった。彼ら非ローマ市民たちは、直接税を納めた上に『血の税』としての兵役に就く義務が課せら
れていた。これに対してローマ市民は兵役が免除され、しかも直接税はもともと存在しない。
これではあまりの不平等である。こうして起こったのが「同盟者戦役」である。イタリア半島の比較的
貧しい8つの部族が一斉蜂起したこの戦争は、さすがに苦戦を強いられてしまった。結局この戦いは、
戦闘に勝ったローマが大幅な譲歩をしたことで完全に収拾する。戦役の二年目にあたるBC90年の冬、
ローマは「ユリウス市民権法」を制定、同盟国に暮らす市民がローマ市民権を自由に取得できるようにした。
かってガイウス・グラックスが市民権改革を提案したのは、30年前のこと。人間とは、厳しい現実を目の
前に突きつけられてしか改革はできない。 しかし、この市民権を開放をしたのは大英断であったと
言うべきである。
 ースッラの登場と改革ー
マリウスはもともとローマ市民権さえ持たない出自で、軍団畑をたたき上げでのし上がってきた。
そして40歳でユリウス一門のカエサル家の娘と結婚する。カエサル家はローマでは2流の
家柄だったが、これで名門につながることになる。
  (字数制限のためカット 2010年7月22日)

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2005年07月22日(金)
 1571, 五稜郭
幕末の混乱期、軍艦・開陽丸を駆って官軍と戦い蝦夷地に共和国を樹立しようとした男たちがいた。
この時期、オランダに派遣されていた榎本は帰国、同じ幕臣として勝海舟の幕引きに反発。
新政府に不満を持つ幕臣新撰組の土方と合流して未開の地・函館の五稜郭に共和国を樹立する。
そこで、官軍の参謀に就任した薩摩の黒田了介(後の内閣総理大臣黒田清隆)率いる軍と熾烈な
戦いを繰り広げる。その戦いの中で、榎本の人柄を知った黒田は全面降伏を勧め彼の命を救う。
しかし土方など幕府方の残党は殆んどここで最期を遂げる。やがて刑期を終えた榎本は新政府の
ロシア交渉特使として活躍する。阿部公房が「五稜郭」という小説で、榎本武楊が政治的に江戸
幕府の残党を纏めて整理する役割になってしまった矛盾を書いている。学生時代に読んで、その
複雑多層の立場を初めて知った。攘夷か開国か、尊王か佐幕か倒幕か、公武合体か。それらの混沌と
した中で維新の歴史は作られていったが、その中で榎本武楊の果たした役割は、結果として皮肉な
結果をもたらした。阿倍公房の小説は、函館の五稜郭で負けた幕府軍の囚人300人が脱走して、
厚岸(あっけし)の海岸から上陸、山の奥深くへ消えていった、という地元の伝承をもとにそれを
追う男の話から始っていた。「蝦夷共和国」という、とんでもない構想に魅力を感じて読んだが、
実は?その背後の複雑な背景を抱えた夢の世界であったという阿倍公房の世界観があった。
もう三十数年前に読んだ本だが印象に深く残っている本である。
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ー榎本武楊ー 1836-1908
 (字数の関係でカット09年07月22日)
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2004年07月22日(木)
 1206, 「半落ち」ー 映画感想 
30万部を越すベストセラー記録を樹立した横山秀夫ワールドの最高峰『半落ち』が映画化され、
今年の1月に公開された。そのDVDが、もうレンタルショップにあった。さっそく借りてきた見たが、
素晴らしい内容であった。 見おわった時、涙が知らずと溢れ出ていた。あとで家内から聞いたが、
みた人のほとんどが泣くという。 私の感想文は、最後に書いてある。
 ー解説と内容(ホームページよりコピーしたもの)を貼り付けておきます。
       (字数の関係で中略カット弐千八年七月二十二日)
< 感想>
母をアルツハイマーで5年半、看護した経験があったので、主人公の深い思いに感情移入をしてしまった。
そして、それに関わる色いろな立場の思惑や利害も、身に憶えのあることばかりで、主人公の心の壁を
探っていく物語は、そのまま自分自身の心の壁を抉りだしているようであった。そして、当時の自分の
心の姿が浮かび上がってきた。辛く悲しい母の姿と家族の、それぞれの立場で必死に生きていた当時の
日々がリアルに浮かんできた。しかし、そこには底知れぬ暖かさがあった。アルツハイマーの身内を
抱えた崩壊一歩手前の家族が、どういう気持ちで毎日を過ごしているか、この映画は深く入り込んでは
いなかった。それもしかたがないが。高齢化社会の、大きな問題がアルツハイマーである。どこの家庭
でも、ぶつかる大きな問題でもある。いまの寝室の寝ているところが、母の寝ていた ところである。
アルツハイマーになった母が夢で月に二回は出てくる。 母は今でも私の中では生き続けている。

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2003年07月22日(火)
 839, あいうえおー生き甲斐測定法
 今やっていることが、生き甲斐があることか、天職か、ベストかどうかの判定基準として、
あいうえお生き甲斐測定法がある。
「あ」は、アイデア      「い」は、インタレス
「う」が、ウォーク      「え」が、エキサイティング  「お」が、オーナーズシップ
  この内の一つは抜けていてもよいが、二つ以上の場合情熱が感じられなくなる。
「あ」は、要は自分のアイデア、企画かどうか。   
「い」は、興味、関心のこと。
「う」は、歩くことで、行動につながる。待っていたり行動なしでは何も始まらない。
「え」は、エキサイティング。燃えるような情熱の涌くこと。
「お」は、オナーズシィップ。自分でやり遂げたという喜びや自負心ー行蔵です。
 これは藤本儀一の『人間ほど面白い動物はない』サンマーク出版ーの最後に書いてあった内容である。
創業では、これが一つでも欠けていたら上手くはいかない。これを満たした上で総てを注ぎ込んで初めて
動き出すものだ。この5つを満たす為には、いつも随想日記で書いているように、「自分の好きなこと
を見つけて、それに集中する」しかない。私自身、好きなことをして生きてこられたことが
  (字数の関係でカット2008年7月22日)

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2002年07月22日(月)
464,煮た豆
 母から聞いた言葉で印象的な言葉で「煮た豆」がある。もう出来上がってしまって芽が生えて
来ない豆をいう。人間に喩えると「もう出来上がってしまって、潰しのきかない人間」をいう。
この言葉は自分の自戒の言葉であり、常に前向きでチャレンジと変化と闘いを自分に課し続ける姿勢だ。
ある同?会の大部分が煮た豆だけでなく、納豆のようだ。腐ってしまって、お互い粘粘している。
仕方がないが、もうオカラのような人もいる。豆の質も10歳で殆ど決まってしまうらしい。
「3歳では遅すぎる」というソニー創立者井深大の本があるが。私の見るところ、95?はいや99?
はその範疇だ。もっともその時の優等生も大部分がただの人だが。私のよくいう子狐は「煮た豆」が
必死になって「生豆」を演じている姿だ。いや「生豆」を粘々で絡もうとする姿だ。
そういう自分ももう煮た豆か?こういう文章を書いているといろいろ気づきがでてくる。
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2001年07月22日(日)
 [83] バイキングについて
ー北欧旅行記ー 
バイキングは今より1200年前突然始まり200年で終わったそうだ。キリスト教の影響ではないかと
言われている。面白いのは相続は末子相続で、長男次男はある年令に成ると家から出て行くそうだ。
海は日本の場合お堀の役割だが、夢に向けての希望という。1000年前のバイキングの船がそのまま
発掘されて展示されていた。一艘40人ぐらいの定員で50艘位で攻めていくそうだ。アメリカまでも
行っていたそうで、コロンブスの発見より5^600年さかのぼる事になる。それにしても金髪で背が
高く足が長い、それに美男美女である。料理も上手い!