つれづれに

イメージ 1

イメージ 2

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=2wcMu1SNRw8


 昨日は、アフター・アースをみてくる。 85点。
宇宙もののデジタル画面の映像に迫力があるが・・・ 
まあ、面白い。今週は?? もう決めてある。 
http://www.afterearth.jp/


・・・・・
1548, 私の酒中日記-11
2005年06月29日(水)
 金沢-7   1972年7月20日
明日で、金沢を去る。一番上の姉・正子さんから電話があり、京都に行く途中に金沢に寄るという。
そのため今夜、金沢で酒を飲むことになった。片町から少し歩いた犀川大橋の先にある、
ごり料理の有名店に行く。
「ごり」とは金沢を流れる浅野川などに生息するハゼのような川魚だが、昔から金沢料理に使われる名物。
川のほとりに建ち、「ごり」を中心にした加賀料理の店である。二階の一室に通されるが、なかなか趣がある。
ワラビのヌタや、ごりの佃煮と揚げ物が出た。夕景の中での料亭も風情があってよいものだ。
ごりは、小さな川魚でゴツゴツした形である。金沢で初めて食したが、良い思いでになった。
その後、金沢の郊外にある「ホワイト・ハウス」という有名レストランに案内をする。
金沢市内を一望できる有名店だ。同僚と一度いったことことを思い出して案内した。その後、都ホテルに姉を送る。
 
金沢の夜も今日で最終になった。一年半近くいたが、五年もいたような気分であった。
会社が揺れていたこともあるが、中味の凝縮された日々である。気分的には屈辱の日々であった。
金沢は見方によれば、露骨な差別社会で、そと者の社員は人間扱いはされない。
金沢で特に感じたことは、加賀百万石の文化の深さである。自分の故郷も元長岡藩だが、その歴史の深さがまるで違う。
金沢は、派手なのだ。背後には能登半島、福井、富山、高山を控えた観光地である。
対極にある長岡は、それに対して地味の世界である。比べること自体が問題であるが。
幕末に長岡藩家老の河井継之助が「贅沢禁止令」を出した文化が、今でも脈々と続いている世界である。
それと江戸末期に官軍に敗れたことが、どこか卑屈になっている。金沢に住んで、このことがよくわかった。
長岡は、金持ちが「めかけー愛人」を持つことは悪口の対象になる。金沢では、それは羨望であり、ほめ言葉である。
男女の??も非常に大らかで、自由な雰囲気が満ちていた。日本の中のスウェーデンと内々で自認している世界である。

また、男は今でも自分のことを「わし」という。相手を呼ぶ時は「お前」か、「貴様」という。
店では、男は絶対に掃除はさせないのだ。箒を持ったら誰か女性がきて、取り上げられてしまう。
とにかく、加賀百万石の異様な?世界であった。外者にとって、長くは住みたいとも思わない世界である。
でも三年住むと、それも無くなるという。 さらば!金沢。

・・・・・・・
2004年06月29日(火)
1183, ショーペンハウエルー哲学について-12
 ショーペンハウエルは、カントの思想を修正して完成をさせたドイツの哲学者で、主著は「意志と表象としての世界」。
(一七八八~一八六〇)に生き、その思想はカント・ショウペンハウエルというものをつくりあげた。
彼はあくまでカントを自分の理論の前提条件とした。その意味で彼の哲学の出発点は「カント哲学批判」だった。
「真の実在は盲目的な生存意志であるとし、個々の人間の中に意志として現れ、
盲目的意志の衝突が相継ぐ結果、苦痛に満ちた人生を送らざるを得ないという厭世哲学」を主張した。
 この苦痛から解脱する道は、
・芸術活動に専心して個体の意志を克服するか、
・個体はすべて同一の形而上学的本質をもつ意志であると自覚し、
 他人の苦痛への同情を根拠として倫理的に解脱するか、のどちらかであると論じた。
 絶え間ない望みと恐怖を伴う欲望の渦に身をゆだねるかぎり、永遠の幸福と平和は手に入らない、と説いた。
 カントは、物自体の世界にやどる意志の働きによって、人間の体は「自由」な運動をすることができると主張した。
それに対して、ショーペンハウエルは、それは不可能でとして、意志の働きとそれに関する体の働きは、
本当は同じ一つの出来事が二つの側面からとれえられているいるだけと考えた。一つは内側から経験されているもの
もう一つは外から経験されているものだ。このことを、彼は
「動機とは内側から経験される原因である」という有名な言葉でいいあらわしている。
人の倫理観の源になっているのは「同情心」であってカントが信じている理性ではない
と論じた。彼によればこの同情心こそ愛と倫理が生まれてくる基盤と考えた。
彼まで、西洋では東洋哲学は全く知られてなかった。その東洋哲学はこの時期に西洋哲学と同じ結論に達していた。
これを知った彼は、この発見を書にあらわした。
ショーペンハウエルは、人間が閉じ込められているこの世界の地下牢からのつかの間の解放される方法を
一つだけ示している。それが芸術であった。人は絵、劇、彫刻、とくに音楽を聴いているとき、
一生逃れることができない欲望から自分を解き放つことができるといった。
その瞬間、経験世界の外にある、異なる次元の存在に触れることができると。
 学生時代にショーウペンハウエルを知った時に何ともいえない神秘的なイメージを持った記憶が生々しい。
ワーグナーフロイトトルストイの人生の大きな影響を与えた哲学者として読んでおきたい人という想いがあった。
多くの偉大な芸術家や作家の若き日の人生の転機のきっかけをつくったのだ。
その36年後の今になって再会した神秘的な哲学者、というのが正直な気持ちである。
そのショーペンハウエルを深く知るためには、カントをいま一度読みなおす必要がある。
彼の後に登場した哲学者のニーチェも、彼の本を読んで哲学者になる決意をしたというから、
よほど文章力があったのだろう。
 彼が幅広い分野にわたって影響があった理由として「人のおかれた状況を見通す、たぐいまれなる洞察力と
文章家としての才能を合わせ持っていた」 からだ。
 ーーー
 ー彼の言葉を書き出してみるとー
・医者は人間を弱いもの、弁護士は人間を悪いもの、牧師は人間を愚かなものとみる。
                    ―「パレルカ-ウント-パラリポメナ」―
・我々の肉体が衣服に包まれているように、われわれの精神は虚偽に包まれている。
                    ―「幸福のためのアフォリスメン」―
・一般に、男性のあいだでは愚かで無知な男が、女性のあいだでは醜い女が愛され、ちやほやされる。           
                            ―「幸福のためのアフォリスメン」―
 ・われわれの人生の場景は粗いモザイクの絵に似ている。
 この絵を美しいと見るためには、それから遠く離れている必要がある。間近にいてはそれは何の印象も与えない。
                    ―「自殺について」―
・人は通常、金を貸すことを断ることによって友を失わず、
 金を貸すことによってたやすく友を失う。       ―「幸福のためのアフォリスメン」―
・全ての享楽と、全ての幸福とは消極的なものだが、苦労は積極的なものだ。―「意思と表象としての世界」―

・結婚とは、男の権利を半分にして義務を二倍にする事である。
・謙遜(けんそん)というものは、平凡な能力を持つ人間の場合には単なる誠実であるが、
 偉大な才能のある人間の場合には偽善である。
・人間の幸福の敵は、苦痛と退屈である。            ―「随筆」―
・孤独は、すぐれた精神の持ち主の運命である。       ―「パレルカ-ウント-パラリポメナ」―
・推理する能力を持っている人はたくさんいるが、判断する能力を持っている人は少ししかいない。

・・・・・・
2003年06月29日(日)
816、『80対20の法則』ー読書日記
                   リチャード・コッチ著 
 ー解説ー 
 数年前になるが、この本を読んだ時はショックであった。
約100年前のイタリアの経済学者パレートは、19世紀のイギリスにおける所得と資産の分布を
調査した結果、所得と資産が一部の人達に集中していることを発見し、2つの奇妙な事実に気が付いた。
「わずか20%の人達に資産総額の80%が集中していた」という数理的事実を発見した。
以前からABC 分析や戦略論などがあったが、この本は非常にわかり易い内容であった。
この法則を知っているかどうかで、数倍も人生を濃く生きる事が可能になる。
7つの法則ー最優先事項ーに、要約すると似ているところがある。
人は無意識的に「如何でもよい方の80」を選択しているように思えて仕方がない。 
どの要因の20%が結果の80%を決定するのかを、つねに自分に問いかけてみる習慣をつけるかだが。 
ー 以下は幾つかのホームページから抜粋したものである。 
■この本の内容
・80対20の法則とは、たとえば、あなたが成し遂げる仕事の80%は、費やした時間 の20%から生まれる。
・あるいは、本の価値の80%は、ページ数にして20%以下の中 にみつけることができることなどをいう。
 但し、80対20というのは目安にすぎず、 不均衡がもっと大きくなる場合もあれば、小さくなる場合もある。
★80対20の法則を理解すれば、自分の周りで起こっていることがじつによくわかっ てくる。
 80対20の法則をうまく活かせば、何もかも驚くほど改善する。
★80対20の思考とは、数量分析をせずに、80対20の法則を日常生活に適用することである。
★目に見えない20%、水面下に隠れている20%をみつけ、求めよ。
★80対20の思考の目的は、行動はひとまず忘れ、しずかに考え、心の闇の中に光を 見いだし、
 それから行動を起こすことにある。そして、行動を起こすときは、目標をふ るいにかけ、
 いちばん大切なものに的を絞り、必要最小限のエネルギーと資源で最大限 の結果を出すために全力をあげる。
★戦略的ということは、重要なこと、他人にとって以上に自分にとって重要なことに力 を集中し、
 計画を立て、断固とした決意で粘り強く、その計画を実行していくことである。
★80対20思考は、経験と思索と想像力に訴えるものなので、線形ロジックの罠から抜け出すことができる。
 自分は今不幸だと感じているとしたら、その原因をあれこれ考 えてはいけない。幸せだった日々を思い出し、
 それと同じような状況をつくり出そうと 考えたほうがいい。
★達成と幸福の80%は、時間の20%の中で起こる。
★重要な鍵を握っている要因はつねに、ごく限られており、それは目に見えにくいこと が多い。
 それが何であるかがわかったら、その力をいままでの何倍も活かせる。
★誰でも、偉大なことを成し遂げられる。鍵は努力ではなく、やるべきことをみつけられるかどうかである。