『怒りの作法』小川仁志 著
   * 怒るとは哲学することである
 考えるきっかけのひとつに「感動すること」がある。ところが、ここで「怒るとは哲学をすること」と、いう。
突然、死に直面すると、「まだ遣り残したことが多い自分が何ゆえ死ななければならないのか?」という怒りが沸くという。
そして当然、「死とは何?」に行きつく。 怒りは対象を根こそぎ否定し、一歩踏み込むことになる。 ーその辺りからー
 ≪ 哲学の端緒としての疑う行為とは、「何かおかしい」という、現実に対する怒りなしには生じえないのです。
 その意味で、哲学はその出自においてすでに怒りと密接に絡みあった営みであるということができます。
哲学の父とされるソクラテスよりも、さらに前の時代の哲学者たちは皆、自然現象のメカニズムに疑いを投げかけ、
これは決して神の仕業などではなく、世の中を構成するもっと理屈の通った原因によるものにほかならないと考えた。
現代社会とは異なり、容赦ない自然の猛威に為すすべもない時代、彼らはさ苛立ったことでしょう。
 自然は何からできているのか、世界は何でできているのか、いったいこの世の本質とは何なのかと。
その精神を受け継ぎ、哲学は西洋社会で鍛え上げられてきたのです。世の中を説明するための原理として耐えうるように。
そしてデカルトを生み、カントを生み、へーゲルを生み、二ーチェを生み、今なお多くの哲学者たちが西洋社会で怒りを
露わにしています。それは現実に迎合したり、諦めを隠ぺいするために「真理」を妄信したりするような行為とは正反対の、
いわば現実に対する知的抗議ともいえる営みなのです。 怒りは言葉を生み出します。
怒ることを「黙ってはいられない」などと表現することがあるように、怒りは人に対して言葉を発するよう仕向けるのです。
それはまさに哲学の営みにとって不可欠の要素であるといえます。
 ・・・当たり前のことに怒る、わからないことに怒る、権力に怒る、従順なだけの民に怒る、自分自身の人生に怒る。
怒るとは、生きるうえでの情熱の尺度であり、それは悩み続ける人生を引き受ける営みにほかなりません。  
まさに怒るとは哲学することである。 ≫
▼ 問題解決には、粘り強い思考が要求される。単に感情をぶつけ合うのでなく、エネルギーを出し合って、ベストの
 道筋を考え出すのに怒りを利用すればよい。創業は、正に怒りの連続になる。目に見えないものを独り信じ、一つずつ
 積み上げていく。そこに計画通りにいかない苛立ちと不安と怒りが、自分の行為のエネルギーになる。また考える
 ヒントになる。哲学者の中島義道の著書の中で、彼が怒りっぽいことを具体的に書いていたが、この本を読んで、納得。
 この一連の出来事の中で、多くの怒りに直面してきた。その都度、目を背けないで、怒りの本質を凝視してきたが、
 成るほど、そこに経験者しか知りえない道理を見ることが出来た。手の裏を返してきた彼等。 ああ、そうだったのか!
 という気づき。それもあって、「怒るとは哲学することである」という言葉は、実体験で非常に理解できた。
 結局、人間は色いろな究極の場面で、品性が出てくるもの。それも、マイナーの方が表立って噴出してくる。
 年齢を重ねるほど、哲学(考えること)する必要性がある。何故、あの時、あの人は、あれだけ怒ったのだろう?
 何故、私は、あの時怒ったのだろう? あの時の感動で何が変わったのだろう? 感情の最たるものは怒りと感動?
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4113, 世界は動き出したようだ!
2012年6月29日(金)
   * イスラエルのイラン攻撃の時期
 イスラエルのイラン核施設への攻撃が、現実味を帯びてきた。それに備えてイスラエル与野党の大連立政権を樹立した。
時期は米・韓大統領選挙の前か、直後の辺りか。シリアの内戦は、その上空をイスラエルがイラン攻撃をするに丁度良い。
反政府軍への武器の供与は、イスラエルと西側がしているはず。 イランを援護するシリアに対し、西側寄りのトルコが攻撃する
機会を伺っている。イランは半年以内に原爆製造の最重要部分が完成する。それが攻撃の根拠。11月の米・韓大統領選挙は、
現政権にとって、最も有効にはたらく。それとギリシャ・スペイン発の世界恐慌発生が何故か重なる。 中国も日本も、
この時期に政権交代期である。 オリンピックが終わる八月半ばから政治も経済も世界情勢から目がはなせない。既に世界は
カオスの入っているが、これから具体的な世界恐慌中東戦争というカタチが現れてくる。イランはペルシャ湾閉鎖で対抗すると、
アメリカとNATOの参戦に口実を与える。その結果、イランは大打撃を受けるが、キリスト教圏とイスラム教圏の文明の戦いでもある。 
これを機会に世界各国はハイパーインフレになる可能性があり、金融システムは大きく揺らぐ。世界の金融システム炎上である。
オーバ―かもしれないが、これが現実味を帯びてきた。6京円の不良債権は膿みを出さない限り消すことは出来ない。
それにはイランとシリアでの戦争が狙い目で、一石二鳥になる。ロシアも中国も、それが分かってシリアの現政権を後ろで支えようとする。
小沢も、野田首相も、自民党幹部も、そのことを熟知?しているはず。 日本もイスラエル同様に、戦争と恐慌に備えた連立政権樹立が
必要条件になる。民主主義も、目先の正義も、世界恐慌と、大規模のカオスの中では必要が無い。それを前提に世界は動き出したのである。
小沢の離党も、民主と自民党の妥協も、その大きな渦の中から見れば小さなこと。恐慌と戦争に、平時の常識は全て捨て去ることだ。 
これは仮説ではない。いや仮説として世界の動きを注意してみると、全てが当てはまる。 世界は本格的に動き出したのである。
 ー 以上は、あくまで私の独り言である! 半年後に、振り返ってみたら? それを考えると原発の全面廃棄など、とんでもない! 
  必要悪だが、この時世、再稼働すべきである。日本も世界も危機である。
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3747, ジャズについて(?) ー「ジャズ完全入門!」?  −17 
2011年06月29日(水)
       ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー ?
【 ジャスは「曲目ではなく演奏を聴く」と、もう一つ大切なポイント。それは「ジャズは、聴き手が音楽に寄り添わなければ楽しめない」
ということ。音楽を二通りに分けてみると、ポピュラーミュージックや歌謡曲のように、音楽のほうから「ね、聴いて聴いて」とばかり
優しく聴き手に寄り添ってきてくれるものと、クラシックやジャズのように、ある程度受け手の側が積極的に音楽を理解するよう努める
姿勢がないと、そのよさがわかりにくいものとがある。これは、聞いてもらってなんぼの商業音楽と、ちょっと嫌味なコトバだけど、
「芸術性」を持ってしまった音楽の違いであるといってもいいだろう。厳密に言えばジャズは大衆芸能から生まれたものなので、
その昔は「ゲイジュツ」というようなご大層なものではなかったのだが、ある時期から、やっているミュージシャンの思惑とは
関係なく(もちろん自覚していた人もいるけれども)、否応もなく芸術性を持ってしまったのだ。
 これは・国宝に指定された仏像のことなどを例にすると、わかりやすいだろう。 はるか昔、お寺の仏像は信仰の対象であり、
その作り手は自分が芸術家であるなんて思ってみなかったろう。しかし後世に、いつしか博物館に飾られるような美術的価値を
持ってしまうことがあるように、大衆芸能であったジャズが芸術性というややこしいものを背負ってしまったと考えていただきたい。
 そしてこの芸術性というようなものは、とうてい一口で説明できないけれど、少なくとも、世間に流通している商品のように
口当たりのよいものばかりでもなさそうだということは、ご理解いただけるだろう。有り体に言って、芸術とは、商業音楽のように
誰もが喜んで購入するような多数決の世界とは別の原理で出来ているものだし、結果としてTVのワイドショーのように「万人が理解できる」
といったものでもない。
 (字数制限のためカット2012年6月29日)
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3382, 考えない・日本人
2010年06月29日(火)
911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  * 家畜人間ジャップ       ーアマゾン、内容紹介、よりー
≪ まだ信じているのですか? あの事件が真実だなんて。911の以前と以後では人間の歴史は完全に代わり、人間の条件も全く変わった。
これだけは確かなことである。911は、人間が最後にたどり着いた最大の愚かさと、最大の悪の結晶だった。 これだけは確かである。
911は、ある一部の人間たち、私風に命名すれば「ファイナル・パワー・エリート」たちが仕組んだものである。これだけは確かである。 
私は「911同時多発テロ」と呼ばれている事件は、すべて《彼ら》の自作自演であり、ヤラセであり、捏造であり、その他どんな言葉を
使ってもいいが、ブッシュ政府が公式に発表している内容とはまったく違うものであるということを、確信している。 なぜか? 
まず疑ったからである。疑わしい要因、要素が多すぎると感じたからである。次に考えたからである。知る努力をしたからである。
そのときに私の持った精神状態は、「情熱」と呼べるものとほとんど同じものだった ≫
ー 以下の箇所は、家畜化された日本人への強烈な批判だが、言いえて妙である。ー (P/86)
 給費留学生など、日本の若い頭脳がアメリカに召集された。 江藤淳などもその中の一人だったが、あのようなろくでもない
日本人のクズが、モルモット代わりに研究されたのかもしれない。 確かにあのような男を典型的日本人モデルとして研究すれば、
その洗脳のたやすさ、誘導のやさしさ、また、一般的な人聞家畜化の手引き材料としては理想的だったに違いない。
 (字数制限のためカット2012年6月29日)
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007,誰が電気自動車を殺したか?
 2009年06月29日(月)
 昨日の午前、何気なくWOWOWに回すと、「誰が電気自動車を殺したか?」というドキュメント映画を放映していたが、
時が時だけに、その内容に引き込まれてしまった。GMの倒産を暗示している内容で、映画の題名が良い。
19年前に画期的な電気自動車をGMが発表し、レンタルで貸し出した。 しかし電力モーターの普及に不利になる多くの
業界の圧力の中で、何時の間にか消えていった。その犯人を追及する内容。 犯人を自動車メーカーGM、石油メジャー、
アメリカ政府、消費者、マスコミ、州環境保存局、などと設定して、具体的に探っていく。 
  ーその映画内容の紹介のHPからー
「誰が電気自動車を殺したか?」(クリス・ペイン監督)。2006年 舞台はロスを中心としたカリフォルニア州。米自動車大手の
GMが1990年に発表した画期的な電気自動車「EV1」がさまざまな理由で、この世から葬り去られるまでを克明に描いている。
当初、高性能で環境にも優しいEV1は羨望の的だった。「とにかくスピードが速いから、反則切符切られるよ!」
(俳優トム・ハンクス)も大絶賛。ところが石油業界から「石炭火力発電だって大気汚染の原因」との声が上がって風向きが変わってくる。
低公害車の販売を義務づける法律も骨抜きに。トラブルも重なり、GMはリース中のEV1を回収し始める。もともと販売はなく
リースだけで市場に出回ったEV1は2005年3月、同州から完全に姿を消した。そのころGMが大々的に販売していた車の一つが
大排気量の装甲車のハマーが皮肉だ。ちなみに、そのハマーで環境問題を訴える催しに颯爽と登場するのがシュワルツェネッガー州知事
まるで笑い。 そのEV1自体にもトラブルがあったり、技術的に未熟な面があったが、作品は地球温暖化の恐ろしさを訴えた
不都合な真実」(2006年)に勝るとも劣らぬ衝撃的な内容。
 ▼ 現在のアメリカの恐慌の原因を、その事例として、急遽つくられた錯覚するようなアメリカの社会の歪みを炙りだした内容で、
三年前に作られていたというのが救い。現在、車一台あたりの部品が3万だが、電気自動車になると一万で済むという。
ということは、部品メーカーが半分から3分の一に減り、組み立ても同じことになる。
既存のメーカーは規模が大きいところほど、今後の転換が難しくなるのである。
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2643, 戦略+夢・ノート
 2008年06月29日(日)
大学ノートサイズのノートを、文庫本版と、バイブル版のサイズに変えた。文庫版に統一するのが本当なのだろうが、
あと一月で結論を出すつもりだ。サイズを小さくすることで、携帯に便利ということで、これだけ変えるとは思わなかった。
文庫版の薄いものなら常に持ち運びが出来る。 常に携帯できるのが、私にとってのポイントだった。
早速、日常の思いを書く「随想日記」「哲学ノート」と、5年?10年先を考える「戦略+夢ノート」を作った。
特に「戦略+夢ノート」が面白い。 5年を基点とした中期長期ノートとしたら、どんどん書きこめるのである。
そこに「7つの習慣」の「ベストの敵はベターである」を、副題として書き込んでみた。5年後(?10年後)を考えるということは、
5年前(-10年前)を振り返ることになる。ノートを開き5年先を想定することは、「潮流とは何か」を考えることになる。
長期の装置投資を事業するものにとって、この程度の専用ノートを書き続けるべきであった。一度気がつくと、前から、
こういうノートを専用に作っておかなかったことが悔やまれる。ただし、これが何時まで続くか自分でも楽しみである。
(数ヶ月で自然消滅の可能性もある)「モーニングページ」(毎日思いのまま書き込むノート)は、会社にきてからの
「ランチページ」として続いている。朝はこの随想日記を完成し、アップすることと、ウォーキングを優先している。
  (字数制限のためカット2011年6月29日)
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2007年06月29日(金)
2278, あと半年の命!と告げられた人の言葉  ー2      才ノヽ∋?_φ(゚▽゚*)♪
 ガン告知と、末期がんの死期の告知とは違う。 その辺が曖昧になっているから、医療現場では残酷な問題が生じる。
「あと半年!」と言われて、果たして抗しきるというのだろうか。この女性は、正直にその辺の気持ちを吐露している。
その瞬間から、砂漠の真っ只中の炎天の中に置かれたようになるという。それまで生きてきた分の人生を、
その期間の僅かの間に生きるのである。だから死ぬ時は、その人が生きてきたように死んでいくのである。
 ー以下は昨日の、続きー
我がことながら、いまもってその行為(祈り)の意味、内容を言葉で説くことはできません。最初は確かにわかりやすかった。
「助けて」「治して」といった懇願でした。が、いつの間にか意味不明、質、量もつかめぬまま曖昧な時間に変わってしまう。
いわば、からっぽ。・・・・中略  私の住む京都は数え切れぬほどの宗派が密集しています。そこで多くの宗教的なる行事、
儀式に参集し、指導されるまま念じたり、動いたりしてきた。そこで何となしにつかめたのが、炎、音、匂い、金銀極彩色、
像、言葉、残酷な修行のいずれも、からっぽになる為の巧みな装置であるということでした。それらを駆使して何処かに導くのが、
僧侶、宗派の教祖であるようで、彼らは演出家といっていい。人の祈りにさらされ、磨かれた回数、機会が多い宗派ほど、
その演出、導きの巧みさが際立っているのは言うまでもありません。それを理解してなお、告知されて後の恐怖のリアルを
とりあえず騙す、目くらまし剤は今考えても、どうさぐってもあの、からっぽへと導く行為の蓄積以外にはなかったと思います。
それにしてもテレビなどで紹介されると必ず数十通の手紙が局に届き、数人がわが家を訪れます。ほとんどが健康食品と
宗派への勧誘です。そこで語られ、展開される論旨、勧誘の説得法、術はどれもきわめて似ています。訪間者の全員が
確信を瞳に浮かべ、強引に部屋に進入し、笑顔を湛えています。これで貴女は救われますと断じます。 彼らの確信する
「やさしさと善良さ」を如何拒めばよいのか? 形も効果もない空っぽだけが私を支えうる、と善男善女に伝える術を
今だ見つけられず、戸惑うばかりです。          ーおわり
 ▼ ー死は誰にとっても永遠なる闇の空洞。その空洞はその大きさ、質感、彩など具体的に知るうる
 捉えきれないゆえに言いしれぬ恐怖を誘います。想像力のなかに位置するブラックホール
  (字数制限のためカット2010年6月29日)
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2006年06月29日(木)
1913, くちなしの花       \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
 一昨日の日経新聞の「私の履歴書」ー遠藤実ー の中にあった詩である。
  深い純粋な思いが直接伝わってきて、思わず息を呑んでしまった。
俺の言葉に泣いた奴が一人   俺を恨んでいる奴が一人 それでも本當に俺を忘れないでいてくれる奴が一人 
俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人 みんな併せてたった一人
 私が20代後半に流行った、渡哲也の「くちなしの花」(遠藤実・作曲)の元になった詩。
(以下、字数の関係でカット2008年6月29日)         (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! 
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2005年06月29日(水)
1548, 私の酒中日記 −11  
   金沢ー7        1972年7月20日
 明日で、金沢を去る。 一番上の姉・正子さんから電話があり、京都に行く途中に金沢に寄るという。
そのため今夜、金沢で酒を飲むことになった。片町から少し歩いた犀川大橋の先にある、ごり料理の有名店に行く。
「ごり」とは金沢を流れる浅野川などに生息するハゼのような川魚だが、昔から金沢料理に使われる名物である。
川のほとりに建ち、「ごり」を中心にした加賀料理の店である。二階の一室に通されるが、なかなか趣がある。
ワラビのヌタや、ごりの佃煮と揚げ物が出た。夕景の中での料亭も風情があってよいものだ。ごりは、小さな川魚で
ゴツゴツした形である。金沢で初めて食したが、良い思いでになった。その後、金沢の郊外にある「ホワイト・ハウス」
という有名レストランに案内をする。金沢市内を一望できる有名店だ。同僚と一度いったことことを思い出して案内した。
その後、都ホテルに姉を送る。金沢の夜も今日で最終になった。一年半近くいたが、五年もいたような気分であった。
会社が揺れていたこともあるが、中味の凝縮された日々である。気分的には屈辱の日々であった。金沢は見方によれば、
露骨な差別社会で、そと者の社員は人間扱いはされない。金沢で特に感じたことは、加賀百万石の文化の深さである。
自分の故郷も元長岡藩だが、その歴史の深さがまるで違う。金沢は、派手なのだ。背後には能登半島、福井、富山、高山を
控えた観光地である。対極にある長岡は、それに対して地味の世界である。比べること自体が問題であるが。
幕末に長岡藩家老の河井継之助が「贅沢禁止令」を出した文化が、今でも脈々と続いている世界である。
それと江戸末期に官軍に敗れたことが、どこか卑屈になっている。金沢に住んで、このことがよくわかった。
長岡は、金持ちが「めかけー愛人」を持つことは悪口の対象になる。金沢では、それは羨望であり、ほめ言葉である。
男女の?も非常に大らかで、自由な雰囲気が満ちていた。日本の中のスウェーデンと内々で自認している世界。
また、男は今でも自分のことを「わし」という。相手を呼ぶ時は「お前」か、「貴様」という。
店では、男は絶対に掃除はさせないのだ。箒を持ったら誰か女性がきて、取り上げられてしまう。
とにかく、加賀百万石の異様な?世界であった。外者にとって、長くは住みたいとも思わない世界である。
でも三年住むと、それも無くなるという。          さらば!金沢。
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2004年06月29日(火)
1183, ショーペンハウエルー哲学について-12
 ショーペンハウエルは、カントの思想を修正して完成をさせたドイツの哲学者で、主著は「意志と表象としての世界」である。 
(一七八八?一八六〇)に生き、その思想はカント・ショウペンハウエルというものをつくりあげた。
彼はあくまでカントを自分の理論の前提条件とした。その意味で彼の哲学の出発点は「カント哲学批判」だった。
「真の実在は盲目的な生存意志であるとし、個々の人間の中に意志として現れ、盲目的意志の衝突が相継ぐ結果、
苦痛に満ちた人生を送らざるを得ないという厭世哲学」を主張した。 この苦痛から解脱する道は、
・芸術活動に専心して個体の意志を克服するか、
・個体はすべて同一の形而上学的本質をもつ意志であると自覚し、
 他人の苦痛への同情を根拠として倫理的に解脱するか、のどちらかであると論じた。
絶え間ない望みと恐怖を伴う欲望の渦に身をゆだねるかぎり、永遠の幸福と平和は手に入らない、と説いた。
 カントは、物自体の世界にやどる意志の働きによって、人間の体は「自由」な運動をすることができると主張した。
それに対して、ショーペンハウエルは、それは不可能でとして、意志の働きとそれに関する体の働きは、本当は同じ一つの出来事が
二つの側面からとれえられているいるだけと考えた。一つは内側から経験されているもの、もう一つは外から経験されているものだ。
このことを、彼は「動機とは内側から経験される原因である」という有名な言葉でいいあらわしている。
人の倫理観の源になっているのは「同情心」であってカントが信じている理性ではないと論じた。
彼によればこの同情心こそ愛と倫理が生まれてくる基盤と考えた。彼まで、西洋では東洋哲学は全く知られてなかった。
  (字数制限のためカット2011年6月29日)
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2003年06月29日(日)
816、『80対20の法則』ー読書日記
 リチャード・コッチ著  仁平和夫訳 
ー私の解説ー 
 数年前になるが、この本を読んだ時はショックであった。約100年前のイタリアの経済学者パレートは、19世紀のイギリスに
おける所得と資産の分布を調査した結果、所得と資産が一部の人達に集中していることを発見、2つの奇妙な事実に気が付いた。
 (字数の関係でカット09年06月29日)
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2002年06月29日(土)
 452,「まあだだよ
昨夜TVで見た黒澤明作品である、これで見るのが3回目だ。見れば見るほどその味わいが深くなる。
内田百聞とその門下生だった男達の心あたたまる物語である。 その内容は省くが、見るたびに新しい味わいを感じる
百聞の記念式典で花の贈り物を持ってきた生徒の孫に、思わず説教をする。もちろん小学生低学年でその意味が解るはずがない。
    (字数の関係でカット2010年06月29日)