つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=whcnBZ34BnA

 さてと、金曜日はシネマの日。午後から『アフター・アース』を見てくるつもり。
毎日、単調なスケジュールを一人、淡々とこなしていると、ストレスが溜まってくる。
で、金曜日辺りに、映画の世界としても、刺激の強い時間が必要だ。 見ている限り、
特にハリウッド映画が刺激は強い。怒りと、その爆発で対象を破壊するのが快感になる。


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1547, エホバの証人ー2
2005年06月28日(火)

彼らの世界に一度踏み入ると、多くの規則に従しなくてはならない。
信者は教会活動に全身全霊を捧げることを強要?される。
献血の拒否
偶像崇拝の禁止
・国の祝祭日の否定
・特定の学校行事への不参加
・長時間の伝道の義務
 (多いもので月に140時間、少ないもので60時間、
 『ものみの塔』と『目ざめよ』の両誌を手にして家をまわる)
・毎週5つの集会の出席

以上のような義務を果たそうとすると、
家庭はもとより、職場や学校から次第に離れるようになっていく。
そこが、彼らの狙いがあるのだ。
それゆえ、
「社会に背を向けた宗教集団」
「真理外の人々と社交をまじわるのは危険という独特な集団」
として、外部から敬遠される。
それが、ますます信者同士を強める結果となり、
家族との隔離をうんで、その結果がトラブルになってしまう。

彼らの説では1914年と、1942年と、1975年にハルマゲドンの大戦があるはずが
何も起きないことが、マイナスのイメージを強めている。

これらから考えてみても、典型的なカルト?と見られても仕方がない。
この教義を信じて教団に入っていれば、楽しいであろうが。
少なくとも疎外感とか、悩みはホボ解決されるからである。

検索でHPをみると、洗脳された人と、その家族とのトラブルが深刻である。
どこにもあるカルト対家族との対立構造が見てとれる。
このシステムに取り込まれたら、本人の自力では脱出はまず不可能だろう。
あのカルトの「オウム教」との共通点があるが、
信者の財産を根こそぎ奪い取らないからまだましか。

年間、三万数千の自殺者が出ている現在、
カルトを一方的には既存宗教も批難できない。
カルトも、その人達が金にならないことも知っている。
難しいところだが。
経済が右下がりの時代、カルトにとっては草刈場の場面である。

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2004年06月28日(月)
1182, 秘境・異郷ツアーレッスン -3

いま一つ面白いのは、添乗員と現地ガイドである。
旅行の3分の1は添乗員の質できまってくる。
そして、質とは我々をいかに楽しませてくれるかである。
結局、自分でその仕事を積極的に楽しんでいるかどうかである。
そして自分の仕事の役割を理解しているかどうかだ。
どんな仕事でも、それは共通している。

そこには、その人の素材としての質と会社の教育が重なって出てくる。
ツアー客の、代理店に対する評価は辛辣であり、それに耐え得なくては存立し得ない
厳しい世界である。見ていて本当に激務の仕事である。
次から次に起きてくる予期せぬトラブルを、一つずつ確実に処理をしていく。
ベテランなら解るが、まだ20代の女性の場合見ているほうが辛くなることが多い。
トラブルを処理をしてくれるのから、ツアーは非常に楽といえば楽である。

北スペインの時の女性はまだ忘れることができない。
20代半ばなのに、30分前に閉館した博物館を日本からワザワザ来たと談じ込んで
開けさせたのには驚いてしまった。「私は不可能を可能にする女」と自分でいっていた。
そして最後まで、その姿勢を崩さなかった。
最後は泣きながら大きなトラブルを処理をしていた。
仕事の辛さという面で、究極の場面が次々と出てくる。

やはり南スペインのアンダルシアの時の女添乗員もすばらしい。
スペインが大好きという本人の気持ちが全員に伝わっていた。
スペインのカセットを持ち込んで、バスの中ではその地方地方の音楽を流してくれた。
まあ、人生の何であるかを教えてもらったようだ。
厳しい中でも、その環境を楽しむこと、それだけでなく世界を知る努力の必要性である。
                            つづく

ー以前書いた文章をコピーしておきます。
[90] 人生のコツ   2001/12/21

ツアーで今ひとつの楽しみは、全国より集まってくるツアー仲間である。
本当に色々な人がいるものだ。推測だがどこかの高校の校長だったのでは
ないかと思われる67歳初老の人の事が印象的であった。

「60歳までに50回の秘境を中心にした海外旅行と、人生の余白を可能な限り
埋め尽くす生き方」をその人の感化でその旅行で決心した。

その人が言うには「自分の父の家系は40歳前半までに全員死ぬ家系!
若いときよりその死期までに人生総て生ききる生き方をしてきた!家族で
日本中を車で総て回る計画を立て実行、そしてその時期がやがてやってきた。
しかしどういうわけか死ななかった。
それなら一年一年が勝負と世界中を回る計画をたて実行、いまだ死なず世界中を
ほとんど回ってしまった。」

この時これだな!と思った。そして先ほどのの決心をしたのである。
「人生は後回しでなく、前回し」人生だけでなく何事もそうであるが。

その時「貴方だけが何故生き残れたか、こころあたりは?」の私の質問に
「毎日朝食にキャベツを千切りにして、紫蘇のドレッシングをかけて食べている」との答え。
「あとは好きな事だけをやること」だそうだ。

なるほどと考えさせられた。

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2003年06月28日(土)
815, たそがれ清兵衛

構想十年、山田監督が藤沢周平の時代劇を選び映画化した話題の作。
中年男性が目に涙をいっぱいためて映画館から出てくるという。
昨年、行きそびれてしまい、DVDレンタルがでたら借りようと待っていた。
4月に貸し出し開始の予告の張り出し広告が、レンタルショップに出た。
しかし店頭には中々でなかったが、やっと3週間前に出た。
ところがいつも貸し出し中。それがやっと昨日借りることができた。

 藤沢作品は表題作を始め、どの短編もいじらしく人間くさい主人公と、
普段は見せぬがいざというときに出てくるあざやかな剣さばきの対比が素晴らしい。
作者が晩年に達したといわれるユーモアとペーソスをさわやかに織り成しながら、
剣客小説としての凄絶さも失われないのがよい。
彼の多くの小説の共通点がある。
地方の名も知れぬ小さな藩の中の、風変わりな主人公が、それゆえに周囲からあざ笑われている。
しかしそこで、お家騒動がおこり巻き込まれていく。
そして・・・

早速、映画をみて驚いた。
小説と映画は全くといってよいほど違っていた。

ー映画のあらすじは
 時は幕末。庄内地方の海坂藩の平侍井口清兵衛は妻を亡くし、家には二人の娘(萱野と以登)、
そして老母がいる。そのため生活は苦しく、下城の太鼓がなると同僚の付き合いなどを
一切断って帰り、毎日家事と内職に励んでいる。同僚たちはそんな清兵衛をからかって、
陰で“たそがれ清兵衛”と呼んでいた。

ある日、かつて想いをよせていた幼なじみ・朋江の危機を救ったことから剣の腕が藩士
噂となり、上意討ちの討ち手として清兵衛が選ばれる。
藩命には逆らえずやむなく承知した清兵衛は、朋江への秘めた想いを打ち明け、
意を決して邸に向かう。愛する家族に背を向け、命を賭けた果し合いに向かった・・・。

ー小説の「たそがれ清兵衛」では、
人間愛(夫婦愛)が描かれている、それと完全並立するかたちで、武士社会の論理も描かれている。
主人公のもとに上意討ちの討手の役がひそかに舞い込む。
実は彼は若い頃には藩内でも一,二を争う剣の腕前であった。
夕方の城中での上意討ちが刻々と迫る中、愛する女房の下がもれてないか気が気でたまらぬ。
が、そこは主人公、相手を鮮やかな腕で始末した後、いそいで女房の下の世話へと急ぐ・・。
病気の妻に優しい主人公。しかし「上意」(主君の命令)により何のためらいもなく、人を殺す。
いやためらいはある。
それは殺害の日には帰りが遅くなるので、妻の介護に差し支えはしないかという心配のためだ。
 また、その後日、殺した相手の護衛が主人公を殺そうとするのですが、この時も、
主人公は実にあっさりとその人物を殺している。何のためらいも、葛藤もなく。
そして平然とその場を立ち去り、妻の元に急いで帰ってゆく。
  ・・・・・

 私はどちらかというと山田洋次の映画のストーリーが好きだ。
やはり、私も映画をみ終わって涙があふれていた。
何ともいえない藤沢と山田洋次の合作がよい。
とくに上意討ちにあう男の生き様に、何ともいえない日本人の悲しさ、美しさが出ていた。


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 2002年06月28日(金)
451,星野富弘ー詩画展

先日、新潟近郊の豊栄の公会堂で彼の詩画展に行ってきた。
数百人が来ていて,何ともいえない熱気に包まれていた。

ー彼の概略は
・私と同じ年の1946年生まれ。
 24歳のとき教師をしていたクラブ活動で、首の骨を骨折して手足の自由を失う。
・入院の2年目より口に筆をくわえて文や絵を書き始める。
・9年後の退院の年に前橋で絵画展を開く。
・その後国内やアメリカ各地で花の詩画展を開く。
・1991年に生地の群馬県勢多郡東村で村立富弘美術館を開く。
   毎年40万人が訪れるという。

彼のことを知ったのは十数年前の「到知」という雑誌である。
対談だったと思うが、その中で「傷口よりあなたの優しさが沁みこむ」
という文が忘れられない。

早速詩画集を買って絵を繰り返し見た。
口で、これだけの絵を書くエネルギーに別世界を感じ取った。

今回の豊栄の「花の詩画展」で彼の絵を同じ目線で直接見て、
自分が彼そのものになって、自分の絵を見ているような気持ちになってしまった。

何か悲しい、しかし底から突き上げてくるような暖かさを感じとった。
更に動けない自分と花が一体化したような。
花も星野という一つの生き物が自分と一体になっていることを喜んでいる感覚。

見方によっては、反対に不自然な絵でもある。

これまで一人の人間に見つめられた花が過去にあっただろうか?
愛情と言葉とエネルギーに包まれ一体化して、絵として表現されたことが。
絵の世界ではあったのか知れないが。

決して幸せでない、動けない自分に対する苛立ち、諦め,怒り、そして
愛がそのまま絵と文を通して迫ってきた。
地方の女性が一生、因縁に縛られ他の世界を知ることなく終えようとしている。
そういう人にとって、その絵と文は今はやりの癒しとなるのだろう。